8 / 87
1章 原石を、宝石に
7 食べ歩きと仮の宿
しおりを挟む
『――宿? うちに泊まってきなよ。その方がなにかと便利だろ?』
契約を交わし、「宿を取らないといけないので……」と去ろうとした師弟を、細工師の青年は当然のように引き留めた。ご丁寧に、黒髪のおっとりとした魔術師の肩にぽん、と大きな手をかけて。
師弟は今、下町に程近い市にいる。
生活雑貨はもちろん、食料、小物、書籍、安価なアクセサリー、あやしげな薬……とにかくごちゃ混ぜだ。
ひとの量も多い。
旅人、地元民、流浪の旅芸人――……ここまで雑多だと顔を隠す意味もないかと、師弟は楽にフードを下ろしている。
隠れたいわけではないが、素顔を晒していると経験上、何かと絡まれやすいと知っているための習慣だった。
左右に並ぶ店は、地面に直に布を敷いて商品を並べたものから、簡易の店舗を拵え、布で日除けを成したものまで千差万別。
だが、それぞれに味わいがあって、つい目移りしてしまう。
「あ、キリクそれ美味しそう。一口ちょうだい」
「え? あ、はい。どうぞ」
雑踏の中で、師弟は仲良く遅めの昼食を折半している。路銀の問題ではなく、一人分の量が多いのだ。
少年は、かなり重みのある串焼き肉を師匠の女性の口許に差し出した。食べながら歩くのは困難な程の人いきれなので、通りの端に寄っている。
スイは、長い髪が串焼き肉に付かないよう丁寧に耳に掛けなおすと、はむ、と遠慮なくかじった。
「……」
しばらく、味わっての咀嚼。
――こうなると、この女性は絶対に喋らない。出会った翌日には知ることになった、彼女の癖のひとつだ。
熟知の域に達した少年は長い沈黙を意にも介さず、みずからも熱々の肉汁と塩だれが垂れる串焼き肉を、がぶりと一塊の半分、頬張る。
ごくん。
隣で、嚥下の気配がした。
「けっこう、辛かった……塩だけじゃない……?
わ、何これ香辛料?? かっらい!」
「ほーへふえ。はひうふい、はいはふ?」
「キリク……言いたいことはわかる。でも、食べてる間は喋っちゃだめ。あと、リスみたいだよ。可愛いね」
くすくすくす、と。
あとからじわっと来た辛さのため、若干の苦笑を湛えたスイは、弟子に文句を言われる前に――と、すぐ隣の露店で果実水を注文し始めた。
師弟のやり取りを何となく見ていた壮年の店主は破顔している。
「仲いいねぇ! 姉さんの子どもにゃ見えないな、甥っ子か?」
「ふふっ。まぁそんなとこ。ねぇおじさん、それって白桃水? いいね。それにする」
「おうよ。じゃ、おまけだ。甥っ子にやってくれ」
代金を支払った帰り、スイの右手には大きめの白桃水、左手には小さめの薄荷水のコップが握られていた。
「はい、キリクの分。おじさんがくれたんだよ。食べ終わったらお礼言いに行こうね」
「あ、はい。ありがとうございます…」
一応食べ盛りだ。串焼き肉は、時間をかけてただの串になった。少年は薄荷水を受けとり、こくこくと喉を鳴らして飲んでいる。
師匠もまた、こくのある甘さの白桃水に口をつけた。
ふぅ……と、どちらからともなく吐息が漏れる。満腹だ。
「さて、当面の必要物資や着替えも買えたし、コーラルさんのところに戻ろうか」
「お師匠さま。あの……本当にあそこに泊まるんですか? 僕は、そこの宿でもいいと思いますけど」
キリクが指差す先には、何件か安価そうな宿が立ち並んでいる。
「う~ん…」と、スイも腕を組んで一応思案した。――が、目を瞑ると、ふるふるっと軽く首を横に振る。つややかな黒髪が、光を弾いて微かに揺れた。
「ごめんね、確かに細工師の側にいたほうが便利なんだ。“あの子”は、普通じゃない。私の予想が正しければ……かれ、けっこう酷い目に遭ってると思うよ。今ごろ悲鳴をあげてるかも」
そんなに……? と訝しげに眉をひそめるキリクに。「行けばわかるよ」と微笑むスイ。
彼女は、ひょいっと少年の手から空のコップを奪うと、先の店主の元まですたすたと歩いて行った。
慌てて、金茶の髪をふわふわと靡かせた少年があとに続く。
時刻は午後の三時を回ったところ。
師弟は手土産の菓子など買い込み、雑踏をするりと抜けて細工師の家へと足早に戻った。
契約を交わし、「宿を取らないといけないので……」と去ろうとした師弟を、細工師の青年は当然のように引き留めた。ご丁寧に、黒髪のおっとりとした魔術師の肩にぽん、と大きな手をかけて。
師弟は今、下町に程近い市にいる。
生活雑貨はもちろん、食料、小物、書籍、安価なアクセサリー、あやしげな薬……とにかくごちゃ混ぜだ。
ひとの量も多い。
旅人、地元民、流浪の旅芸人――……ここまで雑多だと顔を隠す意味もないかと、師弟は楽にフードを下ろしている。
隠れたいわけではないが、素顔を晒していると経験上、何かと絡まれやすいと知っているための習慣だった。
左右に並ぶ店は、地面に直に布を敷いて商品を並べたものから、簡易の店舗を拵え、布で日除けを成したものまで千差万別。
だが、それぞれに味わいがあって、つい目移りしてしまう。
「あ、キリクそれ美味しそう。一口ちょうだい」
「え? あ、はい。どうぞ」
雑踏の中で、師弟は仲良く遅めの昼食を折半している。路銀の問題ではなく、一人分の量が多いのだ。
少年は、かなり重みのある串焼き肉を師匠の女性の口許に差し出した。食べながら歩くのは困難な程の人いきれなので、通りの端に寄っている。
スイは、長い髪が串焼き肉に付かないよう丁寧に耳に掛けなおすと、はむ、と遠慮なくかじった。
「……」
しばらく、味わっての咀嚼。
――こうなると、この女性は絶対に喋らない。出会った翌日には知ることになった、彼女の癖のひとつだ。
熟知の域に達した少年は長い沈黙を意にも介さず、みずからも熱々の肉汁と塩だれが垂れる串焼き肉を、がぶりと一塊の半分、頬張る。
ごくん。
隣で、嚥下の気配がした。
「けっこう、辛かった……塩だけじゃない……?
わ、何これ香辛料?? かっらい!」
「ほーへふえ。はひうふい、はいはふ?」
「キリク……言いたいことはわかる。でも、食べてる間は喋っちゃだめ。あと、リスみたいだよ。可愛いね」
くすくすくす、と。
あとからじわっと来た辛さのため、若干の苦笑を湛えたスイは、弟子に文句を言われる前に――と、すぐ隣の露店で果実水を注文し始めた。
師弟のやり取りを何となく見ていた壮年の店主は破顔している。
「仲いいねぇ! 姉さんの子どもにゃ見えないな、甥っ子か?」
「ふふっ。まぁそんなとこ。ねぇおじさん、それって白桃水? いいね。それにする」
「おうよ。じゃ、おまけだ。甥っ子にやってくれ」
代金を支払った帰り、スイの右手には大きめの白桃水、左手には小さめの薄荷水のコップが握られていた。
「はい、キリクの分。おじさんがくれたんだよ。食べ終わったらお礼言いに行こうね」
「あ、はい。ありがとうございます…」
一応食べ盛りだ。串焼き肉は、時間をかけてただの串になった。少年は薄荷水を受けとり、こくこくと喉を鳴らして飲んでいる。
師匠もまた、こくのある甘さの白桃水に口をつけた。
ふぅ……と、どちらからともなく吐息が漏れる。満腹だ。
「さて、当面の必要物資や着替えも買えたし、コーラルさんのところに戻ろうか」
「お師匠さま。あの……本当にあそこに泊まるんですか? 僕は、そこの宿でもいいと思いますけど」
キリクが指差す先には、何件か安価そうな宿が立ち並んでいる。
「う~ん…」と、スイも腕を組んで一応思案した。――が、目を瞑ると、ふるふるっと軽く首を横に振る。つややかな黒髪が、光を弾いて微かに揺れた。
「ごめんね、確かに細工師の側にいたほうが便利なんだ。“あの子”は、普通じゃない。私の予想が正しければ……かれ、けっこう酷い目に遭ってると思うよ。今ごろ悲鳴をあげてるかも」
そんなに……? と訝しげに眉をひそめるキリクに。「行けばわかるよ」と微笑むスイ。
彼女は、ひょいっと少年の手から空のコップを奪うと、先の店主の元まですたすたと歩いて行った。
慌てて、金茶の髪をふわふわと靡かせた少年があとに続く。
時刻は午後の三時を回ったところ。
師弟は手土産の菓子など買い込み、雑踏をするりと抜けて細工師の家へと足早に戻った。
0
お気に入りに追加
22
あなたにおすすめの小説
異世界酒造生活
悲劇を嫌う魔王
ファンタジー
【アルファポリス ファンタジーランキング 一位獲得(三月二十七日時点)大感謝!!】
幼い頃から、味覚と嗅覚が鋭かった主人公。彼は、料理人を目指して日々精進していたが、成人を機にお酒と出会う。しかし、そのせいで主人公は下戸であることが判明し、自分の欠点にのめり込んでいく。気づけば、酒好きの母に最高のお酒を飲ませたいと、酒蔵に就職していた。
そこでは、持ち前の才能を武器に、ブレンダー室に配属された。しかし、周りから嫉妬された若き主人公は、下戸を理由に不当解雇をされてしまう。全てがご破産になってしまった主人公は、お酒が飲めなくても楽しめるBARを歌舞伎町に出店した。しかし、酒造りに対する思いを断ち切れず、ある日ヤケ酒を起こし、泥酔状態でトラックに撥ねられ死亡する。
未練を残した主人公は、輪廻転生叶わず、浮世の狭間に取り残されるはずだった。そんな彼を哀れに思った酒好きの神様は、主人公に貢物として酒を要求する代わりに、異世界で酒造生活をするチャンスを与えてくれる。
主人公は、その条件を二つ返事で承諾し、異世界転移をする。そこで彼は、持ち前の酒造りの情念を燃やし、その炎に異世界の人々が巻き込まれていく。そんな彼の酒は、大陸、種族を超えて広まって行き、彼の酒を飲む事、自宅の酒棚に保有している事は、大きなステータスになるほどだった。
*本作品の著者はお酒の専門家ではありません、またこの作品はフィクションであり実在の人物や団体などとは関係ありません。
*お酒は二十歳になってから飲みましょう。
キーナの魔法
小笠原慎二
ファンタジー
落とし穴騒動。
キーナはふと思った。今ならアレが作れるかもしれない。試しに作ってみた。そしたらすんばらしく良くできてしまった。これは是非出来映えを試してみたい!キーナは思った。見回すと、テルがいた。
「テルー! 早く早く! こっち来てー!」
野原で休憩していたテルディアスが目を覚ますと、キーナが仕切りに呼んでいる。
何事かと思い、
「なんだ? どうした…」
急いでキーナの元へ駆けつけようとしたテルディアスの、足元が崩れて消えた。
そのままテルディアスは、キーナが作った深い落とし穴の底に落ちて行った…。
その穴の縁で、キーナがVサインをしていた。
しばらくして、穴の底から這い出てきたテルディアスに、さんざっぱらお説教を食らったのは、言うまでもない。
転封貴族と9人の嫁〜辺境に封じられた伯爵子息は、辺境から王都を狙う〜
HY
ファンタジー
主人公は伯爵子息[レインズ・ウィンパルト]。
国内外で容姿端麗、文武両道と評判の好青年。
戦場での活躍、領地経営の手腕、その功績と容姿で伯爵位ながら王女と婚約し、未来を約束されていた。
しかし、そんな伯爵家を快く思わない政敵に陥れられる。
政敵の謀った事故で、両親は意識不明の重体、彼自身は片腕と片目を失う大ケガを負ってしまう。
その傷が元で王女とは婚約破棄、しかも魔族が統治する森林『大魔森林』と接する辺境の地への転封を命じられる。
自身の境遇に絶望するレインズ。
だが、ある事件をきっかけに再起を図り、世界を旅しながら、領地経営にも精を出すレインズ。
その旅の途中、他国の王女やエルフの王女達もレインズに興味を持ち出し…。
魔族や他部族の力と、自分の魔力で辺境領地を豊かにしていくレインズ。
そしてついに、レインズは王国へ宣戦布告、王都へ攻め登る!
転封伯爵子息の国盗り物語、ここに開幕っ!
薪割りむすめと氷霜の狩人~夫婦で最強の魔法具職人目指します~
寺音
ファンタジー
狐系クール女子×くまさん系おおらか男子。
「旦那が狩って嫁が割る」
これは二人が最高の温かさを作る物語。
分厚い雪と氷に閉ざされた都市国家シャトゥカナル。極寒の地で人々の生活を支えているのが、魔物と呼ばれる異形たちの毛皮や牙、爪などから作られる魔法具である。魔物を狩り、魔法具を作るものたちは「職人」と呼ばれ、都市の外で村を作り生活していた。
シャトゥカナルに住む女性ライサは、体の弱い従妹の身代わりに職人たちが住む村スノダールへ嫁ぐよう命じられる。野蛮な人々の住む村として知られていたスノダール。決死の覚悟で嫁いだ彼女を待っていたのは……思わぬ歓待とのほほん素朴な旦那様だった。
こちらはカクヨムでも公開しております。
表紙イラストは、羽鳥さま(@Hatori_kakuyomu)に描いていただきました。
セイントガールズ・オルタナティブ
早見羽流
ファンタジー
西暦2222年。魔王の操る魔物の侵略を受ける日本には、魔物に対抗する魔導士を育成する『魔導高専』という学校がいくつも存在していた。
魔力に恵まれない家系ながら、突然変異的に優れた魔力を持つ一匹狼の少女、井川佐紀(いかわさき)はその中で唯一の女子校『征華女子魔導高専』に入学する。姉妹(スール)制を導入し、姉妹の関係を重んじる征華女子で、佐紀に目をつけたのは3年生のアンナ=カトリーン・フェルトマイアー、異世界出身で勇者の血を引くという変わった先輩だった。
征華の寮で仲間たちや先輩達と過ごすうちに、佐紀の心に少しづつ変化が現れる。でもそれはアンナも同じで……?
終末感漂う世界で、少女たちが戦いながら成長していく物語。
素敵な表紙イラストは、つむりまい様(Twitter→@my_my_tsumuri)より
職人は旅をする
和蔵(わくら)
ファンタジー
別世界の物語。時代は中世半ば、旅する者は職人、旅から旅の毎日で出会いがあり、別れもあり、職人の平凡な日常を、ほのぼのコメディで描いた作品です。
異世界の神様って素晴らしい!(異神・番外編)
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
アサの旅。竜の母親をさがして〜
アッシュ
ファンタジー
辺境の村エルモに住む至って普通の17歳の少女アサ。
村には古くから伝わる伝承により、幻の存在と言われる竜(ドラゴン)が実在すると信じられてきた。
そしてアサと一匹の子供の竜との出会いが、彼女の旅を決意させる。
※この物語は60話前後で終わると思います。完結まで完成してるため、未完のまま終わることはありませんので安心して下さい。1日2回投稿します。時間は色々試してから決めます。
※表紙提供者kiroさん
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる