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1章 原石を、宝石に
3 見えざる世界の稜線
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カチャッ……と、何の軋みもなく扉は開いた。
すかさず「いらっしゃいませ」と、声がかかる。
扉を開けた正面には、キリクでも大股で五歩ほどの距離に、品のよいアンティーク・ブラウンの受付台があった。そこに一人、飴色の髪を片方の耳の下でゆるく結った女性が椅子に掛けている。声の主は彼女だ。
師弟は迷わず、そちらに向かった。足元に敷き詰められたオリーブ色の絨毯が、靴越しにもふかふかとした感触を伝える。
「初めてでいらっしゃいますか? 本日はどのようなご用件でしょう」
「えぇ、初めて。腕のよい宝飾品の細工師を探してるんだけど」
“宝飾品”と聞いて、受付嬢の眉がぴくん、と動き、目許の真剣味が増した。扱う額が跳ね上がったからだ。そのまま暫し口を閉ざし、ちら、と値踏みするように師弟を眺める。
黒髪の女性は、怯むことなくにこり、と優美に微笑んで見せた。まるで由緒ある貴族の奥方のように。
「……」
束の間、それをぼうっと眺めていた受付嬢は、ぱち、ぱちと瞬きを繰り返し――やがて、目を泳がせてからこほん! と気まずさを紛らわせると、辛うじて質問を続けた。
「腕のよい細工師……扱うのは貴金属だけ?宝石もですか?」
「両方。あと、信用できるひと。腕の良さも大事だけど、第一条件はこっち。譲れないわ」
「ははぁ……まぁ、そうですよね。わかりました。では、こちらに必要事項の記入を。ただいま見本を持って参りますので」
「ありがとう。宜しくね」
受け取った用紙に、台に備えてあった羽ペンを使ってさらさら…と記入して行く師をよそに、弟子である少年はぐるりと室内を見渡した。
受付嬢は、既にカウンターの奥にある部屋へと移動している。
「ねぇ、お師匠さま」
「ん、何? キリク」
「無用心じゃありません? ここ、結構いろんなもの、飾ってありますけど」
キリクが指差したのは、入り口に程近い場所からぐるりとここまで、待ち合い用のソファースペースの反対側にあたる壁一面の硝子のショーケース。
中には、それこそ宝石もあれば貴金属もある。見事な細工の懐中時計に、オルゴールと思わしき細工を施された箱。見るからに価値の高そうなそれらは、確かに窃盗の類いの標的に相応しい。
黒髪の女性は、ふふっと笑った。
「平気だよ。流石、だてに細工師ギルドは名乗ってないよね――見てて」
言葉の後半を、やや潜めて早口で独り言ちた女性は、スッと右手を少年の顔の高さまで上げると「パチン!」と小気味よく指を鳴らした。すると……
「え……あ、わぁっ! 何です、これ?」
「あの棚にかけられた、守護の魔法。見える? あそこの精霊」
「は、はい。……すごい。でも、なんだか……」
(幽霊みたい)
――実物を見たことはなかったが、キリクはそう感じた。その精霊は、青白い顔で棚に寄りかかり、うつろな空洞のような、色のない瞳でぼんやりと佇んでいる。
棚全体も青白く光り、まるでそこだけが異界の領域に切り取られたようだった。
少年の師は、今度はみずからの顔の横で再び指を鳴らす。すると、すうっ……と、幻のように幽かな光と精霊は消えていった。
「……」
思わず立ち尽くし、日常の風景に戻った視界を凝視する弟子に、師は微笑みながら話しかける。
「消えた訳じゃないよ。見えなくしただけ」
「あ……はい。そうですよね、なるほど。さっきの精霊が、棚に“守護の魔法”を?」
「そういうこと。かれは、使役されてたね――無理やり。覚えておいて、キリク」
言葉をいったん区切った師は、そっと、肩から掛けた皮の鞄に左手をあてた。
「きみが、私の弟子となったからには、あの見えざる世界の住人達との付き合い方を覚えなきゃいけない。いろんな方法があるけれど……私は、きみのおじいさんから託された“この子”を、あんな風にはしない。他の、どの精霊であっても、だ。
……学ぶことはたくさんある。とりあえずは、今から行う奴さんとの交渉を見てて。きっと『当たり』を引きあてて見せるから」
にっこりと、弟子に微笑みかける師の瞳は、ちょっとした戦いを勝ちにゆく者のつよい意志を映して、鮮やかな紫水晶のように輝いていた。
すかさず「いらっしゃいませ」と、声がかかる。
扉を開けた正面には、キリクでも大股で五歩ほどの距離に、品のよいアンティーク・ブラウンの受付台があった。そこに一人、飴色の髪を片方の耳の下でゆるく結った女性が椅子に掛けている。声の主は彼女だ。
師弟は迷わず、そちらに向かった。足元に敷き詰められたオリーブ色の絨毯が、靴越しにもふかふかとした感触を伝える。
「初めてでいらっしゃいますか? 本日はどのようなご用件でしょう」
「えぇ、初めて。腕のよい宝飾品の細工師を探してるんだけど」
“宝飾品”と聞いて、受付嬢の眉がぴくん、と動き、目許の真剣味が増した。扱う額が跳ね上がったからだ。そのまま暫し口を閉ざし、ちら、と値踏みするように師弟を眺める。
黒髪の女性は、怯むことなくにこり、と優美に微笑んで見せた。まるで由緒ある貴族の奥方のように。
「……」
束の間、それをぼうっと眺めていた受付嬢は、ぱち、ぱちと瞬きを繰り返し――やがて、目を泳がせてからこほん! と気まずさを紛らわせると、辛うじて質問を続けた。
「腕のよい細工師……扱うのは貴金属だけ?宝石もですか?」
「両方。あと、信用できるひと。腕の良さも大事だけど、第一条件はこっち。譲れないわ」
「ははぁ……まぁ、そうですよね。わかりました。では、こちらに必要事項の記入を。ただいま見本を持って参りますので」
「ありがとう。宜しくね」
受け取った用紙に、台に備えてあった羽ペンを使ってさらさら…と記入して行く師をよそに、弟子である少年はぐるりと室内を見渡した。
受付嬢は、既にカウンターの奥にある部屋へと移動している。
「ねぇ、お師匠さま」
「ん、何? キリク」
「無用心じゃありません? ここ、結構いろんなもの、飾ってありますけど」
キリクが指差したのは、入り口に程近い場所からぐるりとここまで、待ち合い用のソファースペースの反対側にあたる壁一面の硝子のショーケース。
中には、それこそ宝石もあれば貴金属もある。見事な細工の懐中時計に、オルゴールと思わしき細工を施された箱。見るからに価値の高そうなそれらは、確かに窃盗の類いの標的に相応しい。
黒髪の女性は、ふふっと笑った。
「平気だよ。流石、だてに細工師ギルドは名乗ってないよね――見てて」
言葉の後半を、やや潜めて早口で独り言ちた女性は、スッと右手を少年の顔の高さまで上げると「パチン!」と小気味よく指を鳴らした。すると……
「え……あ、わぁっ! 何です、これ?」
「あの棚にかけられた、守護の魔法。見える? あそこの精霊」
「は、はい。……すごい。でも、なんだか……」
(幽霊みたい)
――実物を見たことはなかったが、キリクはそう感じた。その精霊は、青白い顔で棚に寄りかかり、うつろな空洞のような、色のない瞳でぼんやりと佇んでいる。
棚全体も青白く光り、まるでそこだけが異界の領域に切り取られたようだった。
少年の師は、今度はみずからの顔の横で再び指を鳴らす。すると、すうっ……と、幻のように幽かな光と精霊は消えていった。
「……」
思わず立ち尽くし、日常の風景に戻った視界を凝視する弟子に、師は微笑みながら話しかける。
「消えた訳じゃないよ。見えなくしただけ」
「あ……はい。そうですよね、なるほど。さっきの精霊が、棚に“守護の魔法”を?」
「そういうこと。かれは、使役されてたね――無理やり。覚えておいて、キリク」
言葉をいったん区切った師は、そっと、肩から掛けた皮の鞄に左手をあてた。
「きみが、私の弟子となったからには、あの見えざる世界の住人達との付き合い方を覚えなきゃいけない。いろんな方法があるけれど……私は、きみのおじいさんから託された“この子”を、あんな風にはしない。他の、どの精霊であっても、だ。
……学ぶことはたくさんある。とりあえずは、今から行う奴さんとの交渉を見てて。きっと『当たり』を引きあてて見せるから」
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