67 / 76
第三章 運命の人
67 ゆめの境目
しおりを挟む
熱にあえぐ。夢に落ちる。
記憶の海のただなかは『過去』がひどく濃厚で『今』が薄い。ずっと昔に嗅いだ雨上がりの丘の匂いも、くせのある紅茶色の髪を櫛けずる手触りも、何もかも。
そのときに抱いた感情すらも生々しくて、ヨルナははじめ、それを夢だと気づけなかった。
まるで、生を終えたあとの一瞬。
魂だけで神様のおじいさんのところへ引き寄せられる、あの慣れた道程のように。
時の法則を無視して、己のなかに蓄積した出来事をゆっくりと辿る。
たゆたうのだ。
* * *
あの日。
夏になるたびに村を訪れる、ほっそりとした銀髪のひとがお姫様なのだと大人たちの噂話で知った。
体の丈夫なかたではなかった。今思えば避暑と療養を兼ねていたのだろう。
あのかたが恋に落ちていらっしゃるのは、誰に聞かずとも明白だった。
笑顔がすっかり翳ってしまわれた理由も。
――人間として過ごした事実を、周囲から記憶ごと消して、猫になって。ひととしての心も残していた、あのわずかな間。
あのかたの瞳に、お姫様を見つめるときの甘さと切なさを見つけて胸がしくしくと痛んだ。
それが一度めの、最後の記憶。
*
(二度めは――そう、商家のご子息だった。私は小さな織物工房の娘で)
父と納品に行くと、ときどき彼に対応してもらえた。
織りの出来が良いと、とても褒めてもらえるのが嬉しくて精一杯がんばった。
そんなとき、彼が近くの神殿に納められた巫女様を一途に慕っておいでだと、お屋敷の同じ年頃のメイドさんに教えてもらった。
(そのかたが還俗して、あっさり他所にお嫁にゆかれたのよね。なんてお声をかけたらいいかわからなかったから。あの時は、お慰めしたい一心で目の前で猫になっちゃったけど……)
暗転。
場面が変わる。
三度めは、お互いの家に行き来のある、地方貴族の幼なじみだった。
思いきって『好きなひとはいる?』と聞いたら、動物好きな従姉妹のお姉さんだと言ったから。猫になって、仲を取り持ってあげたくて……。
結果がどうなったかは、わからずじまい。
*
四度めの私は、身よりをなくした孤児だった。さいわい村の神官様が引き取ってくださり、息子だったあのかたは跡取りの神官見習い。
十数年、同じ家で暮らせた。実の妹のように優しくされて、天にも昇りそうだった。
村長の娘さんとの婚約が、生まれる前から整っていたというのに。――なぜか、一方的に破棄されてしまって。
先方からは『あの子さえいなければ』と彼女が漏らしていたと聞いて、打ちのめされた。
邪魔だった?
血の繋がらない孤児が本当の妹のように、と。
目障りだったんだろうか。親戚として付き合いたくない、とか。
『ごめん。理由は言えない』
そう言って塞ぎ込むあのかたを見ていられなくて。
小さな動物だったら、前のように微笑んでくれるかしら、と、身を切られるように能力を使った。
それが、前世。
それらがすべて。
「わたし……今回はどうしたらいいのかしら」
「姫様っ? あぁよかった! お目覚めになりましたか」
急くような、聞き慣れた声に、意識が瞬時に戻る。
口のなかがカラカラ。
ぼうっとする視界のなか、自分を心配そうに見つめるサリィを見つけた。
「サリィ……? ここは」
「ジェイド公爵様のお城ですわ、ヨルナ様。お見覚えはありませんか?」
「ある、わ。そっか、私、倒れ…………っ……!?」
「? どうかなさいました? お辛いところが?」
――――思い出した。
アクアジェイル。
猫を抱いたアイリス。
……ルピナスに、求婚された。
たちまち力が抜ける。なかば起き上がろうとしていた上半身を、再び寝台に沈めた。
「大変。やはり熱は……まだありますね。とにかく、お医者様を呼んで参ります。お水は飲めますか?」
「いただきます。サリィ大好き」
「あら。ふふふっ。ご冗談を言えるのでしたら、大丈夫ですね」
ころころと笑い、サイドテーブルにあった玻璃の水差しから清水をグラスに注いでくれる。
ヨルナは背に手を当てられながら体を起こし、こくこくと飲み干した。ふう、と人心地つく。
「あ、待って。私、どれくらい寝てたのかしら。運んでくれたのは騎士様?」
医師の手配のために退出しようとしていたサリィの背に、あわてて問いかけた。カーテンが閉まっているが、おそらくは夜。
迷惑をかけたひとには、とにかく謝罪をしなければならない。旧エキドナに関する会談も、どうなったのか。
つ、と立ち止まったサリィは肩にショールを掛けながら振り返った。
「倒れられたのが今朝ですから……丸々半日ねむっておられた計算になります。姫様を運んでくださったのはルピナス様ですよ」
「ル」
はくはく、と口を開閉して「……え?」と聞き返すヨルナに、サリィはうっとりと頬を手に当てて答えた。
「びっくりしました。素敵でしたよ、ルピナス様。お顔はアイリス様にそっくりでいらっしゃるのに、しっかりと姫様を両手に抱えて懸命なご様子で……。今夜は遅うございますから、明日、お加減が良くなればお礼に参りましょうね」
「は、はい」
パタン、と扉が閉められ、隣を伺うときちんとベッドメイクされた寝台は空っぽ。
ひょっとしたら、晩餐などが催されたのだろうか。ミュゼルの不在にようやく気づく。
(ううう。ほんと、どうしたらいいの? こっちが夢だったら良かったのに)
頭を抱え込んでしばらく。
ヨルナはこっそり、ひたすらもだえ転がった。
記憶の海のただなかは『過去』がひどく濃厚で『今』が薄い。ずっと昔に嗅いだ雨上がりの丘の匂いも、くせのある紅茶色の髪を櫛けずる手触りも、何もかも。
そのときに抱いた感情すらも生々しくて、ヨルナははじめ、それを夢だと気づけなかった。
まるで、生を終えたあとの一瞬。
魂だけで神様のおじいさんのところへ引き寄せられる、あの慣れた道程のように。
時の法則を無視して、己のなかに蓄積した出来事をゆっくりと辿る。
たゆたうのだ。
* * *
あの日。
夏になるたびに村を訪れる、ほっそりとした銀髪のひとがお姫様なのだと大人たちの噂話で知った。
体の丈夫なかたではなかった。今思えば避暑と療養を兼ねていたのだろう。
あのかたが恋に落ちていらっしゃるのは、誰に聞かずとも明白だった。
笑顔がすっかり翳ってしまわれた理由も。
――人間として過ごした事実を、周囲から記憶ごと消して、猫になって。ひととしての心も残していた、あのわずかな間。
あのかたの瞳に、お姫様を見つめるときの甘さと切なさを見つけて胸がしくしくと痛んだ。
それが一度めの、最後の記憶。
*
(二度めは――そう、商家のご子息だった。私は小さな織物工房の娘で)
父と納品に行くと、ときどき彼に対応してもらえた。
織りの出来が良いと、とても褒めてもらえるのが嬉しくて精一杯がんばった。
そんなとき、彼が近くの神殿に納められた巫女様を一途に慕っておいでだと、お屋敷の同じ年頃のメイドさんに教えてもらった。
(そのかたが還俗して、あっさり他所にお嫁にゆかれたのよね。なんてお声をかけたらいいかわからなかったから。あの時は、お慰めしたい一心で目の前で猫になっちゃったけど……)
暗転。
場面が変わる。
三度めは、お互いの家に行き来のある、地方貴族の幼なじみだった。
思いきって『好きなひとはいる?』と聞いたら、動物好きな従姉妹のお姉さんだと言ったから。猫になって、仲を取り持ってあげたくて……。
結果がどうなったかは、わからずじまい。
*
四度めの私は、身よりをなくした孤児だった。さいわい村の神官様が引き取ってくださり、息子だったあのかたは跡取りの神官見習い。
十数年、同じ家で暮らせた。実の妹のように優しくされて、天にも昇りそうだった。
村長の娘さんとの婚約が、生まれる前から整っていたというのに。――なぜか、一方的に破棄されてしまって。
先方からは『あの子さえいなければ』と彼女が漏らしていたと聞いて、打ちのめされた。
邪魔だった?
血の繋がらない孤児が本当の妹のように、と。
目障りだったんだろうか。親戚として付き合いたくない、とか。
『ごめん。理由は言えない』
そう言って塞ぎ込むあのかたを見ていられなくて。
小さな動物だったら、前のように微笑んでくれるかしら、と、身を切られるように能力を使った。
それが、前世。
それらがすべて。
「わたし……今回はどうしたらいいのかしら」
「姫様っ? あぁよかった! お目覚めになりましたか」
急くような、聞き慣れた声に、意識が瞬時に戻る。
口のなかがカラカラ。
ぼうっとする視界のなか、自分を心配そうに見つめるサリィを見つけた。
「サリィ……? ここは」
「ジェイド公爵様のお城ですわ、ヨルナ様。お見覚えはありませんか?」
「ある、わ。そっか、私、倒れ…………っ……!?」
「? どうかなさいました? お辛いところが?」
――――思い出した。
アクアジェイル。
猫を抱いたアイリス。
……ルピナスに、求婚された。
たちまち力が抜ける。なかば起き上がろうとしていた上半身を、再び寝台に沈めた。
「大変。やはり熱は……まだありますね。とにかく、お医者様を呼んで参ります。お水は飲めますか?」
「いただきます。サリィ大好き」
「あら。ふふふっ。ご冗談を言えるのでしたら、大丈夫ですね」
ころころと笑い、サイドテーブルにあった玻璃の水差しから清水をグラスに注いでくれる。
ヨルナは背に手を当てられながら体を起こし、こくこくと飲み干した。ふう、と人心地つく。
「あ、待って。私、どれくらい寝てたのかしら。運んでくれたのは騎士様?」
医師の手配のために退出しようとしていたサリィの背に、あわてて問いかけた。カーテンが閉まっているが、おそらくは夜。
迷惑をかけたひとには、とにかく謝罪をしなければならない。旧エキドナに関する会談も、どうなったのか。
つ、と立ち止まったサリィは肩にショールを掛けながら振り返った。
「倒れられたのが今朝ですから……丸々半日ねむっておられた計算になります。姫様を運んでくださったのはルピナス様ですよ」
「ル」
はくはく、と口を開閉して「……え?」と聞き返すヨルナに、サリィはうっとりと頬を手に当てて答えた。
「びっくりしました。素敵でしたよ、ルピナス様。お顔はアイリス様にそっくりでいらっしゃるのに、しっかりと姫様を両手に抱えて懸命なご様子で……。今夜は遅うございますから、明日、お加減が良くなればお礼に参りましょうね」
「は、はい」
パタン、と扉が閉められ、隣を伺うときちんとベッドメイクされた寝台は空っぽ。
ひょっとしたら、晩餐などが催されたのだろうか。ミュゼルの不在にようやく気づく。
(ううう。ほんと、どうしたらいいの? こっちが夢だったら良かったのに)
頭を抱え込んでしばらく。
ヨルナはこっそり、ひたすらもだえ転がった。
0
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説
【完結】引きこもり令嬢は迷い込んできた猫達を愛でることにしました
かな
恋愛
乙女ゲームのモブですらない公爵令嬢に転生してしまった主人公は訳あって絶賛引きこもり中!
そんな主人公の生活はとある2匹の猫を保護したことによって一変してしまい……?
可愛い猫達を可愛がっていたら、とんでもないことに巻き込まれてしまった主人公の無自覚無双の幕開けです!
そしていつのまにか溺愛ルートにまで突入していて……!?
イケメンからの溺愛なんて、元引きこもりの私には刺激が強すぎます!!
毎日17時と19時に更新します。
全12話完結+番外編
「小説家になろう」でも掲載しています。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。
秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚
13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。
歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。
そしてエリーゼは大人へと成長していく。
※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。
小説家になろう様にも掲載しています。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
家庭菜園物語
コンビニ
ファンタジー
お人好しで動物好きな最上 悠(さいじょう ゆう)は肉親であった祖父が亡くなり、最後の家族であり姉のような存在でもある黒猫の杏(あんず)も静かに息を引き取ろうとする中で、助けたいなら異世界に来てくれないかと、少し残念な神様に提案される。
その転移先で秋田犬の大福を助けたことで、能力を失いそのままスローライフをおくることとなってしまう。
異世界で新しい家族や友人を作り、本人としてはほのぼのと家庭菜園を営んでいるが、小さな畑が世界には大きな影響を与えることになっていく。
最強令嬢とは、1%のひらめきと99%の努力である
megane-san
ファンタジー
私クロエは、生まれてすぐに傷を負った母に抱かれてブラウン辺境伯城に転移しましたが、母はそのまま亡くなり、辺境伯夫妻の養子として育てていただきました。3歳になる頃には闇と光魔法を発現し、さらに暗黒魔法と膨大な魔力まで持っている事が分かりました。そしてなんと私、前世の記憶まで思い出し、前世の知識で辺境伯領はかなり大儲けしてしまいました。私の力は陰謀を企てる者達に狙われましたが、必〇仕事人バリの方々のおかげで悪者は一層され、無事に修行を共にした兄弟子と婚姻することが出来ました。……が、なんと私、魔王に任命されてしまい……。そんな波乱万丈に日々を送る私のお話です。
転生先は盲目幼女でした ~前世の記憶と魔法を頼りに生き延びます~
丹辺るん
ファンタジー
前世の記憶を持つ私、フィリス。思い出したのは五歳の誕生日の前日。
一応貴族……伯爵家の三女らしい……私は、なんと生まれつき目が見えなかった。
それでも、優しいお姉さんとメイドのおかげで、寂しくはなかった。
ところが、まともに話したこともなく、私を気に掛けることもない父親と兄からは、なぜか厄介者扱い。
ある日、不幸な事故に見せかけて、私は魔物の跋扈する場所で見捨てられてしまう。
もうダメだと思ったとき、私の前に現れたのは……
これは捨てられた盲目の私が、魔法と前世の記憶を頼りに生きる物語。
転生調理令嬢は諦めることを知らない
eggy
ファンタジー
リュシドール子爵の長女オリアーヌは七歳のとき事故で両親を失い、自分は片足が不自由になった。
それでも残された生まれたばかりの弟ランベールを、一人で立派に育てよう、と決心する。
子爵家跡継ぎのランベールが成人するまで、親戚から暫定爵位継承の夫婦を領地領主邸に迎えることになった。
最初愛想のよかった夫婦は、次第に家乗っ取りに向けた行動を始める。
八歳でオリアーヌは、『調理』の加護を得る。食材に限り刃物なしで切断ができる。細かい調味料などを離れたところに瞬間移動させられる。その他、調理の腕が向上する能力だ。
それを「貴族に相応しくない」と断じて、子爵はオリアーヌを厨房で働かせることにした。
また夫婦は、自分の息子をランベールと入れ替える画策を始めた。
オリアーヌが十三歳になったとき、子爵は隣領の伯爵に加護の実験台としてランベールを売り渡してしまう。
同時にオリアーヌを子爵家から追放する、と宣言した。
それを機に、オリアーヌは弟を取り戻す旅に出る。まず最初に、隣町まで少なくとも二日以上かかる危険な魔獣の出る街道を、杖つきの徒歩で、武器も護衛もなしに、不眠で、歩ききらなければならない。
弟を取り戻すまで絶対諦めない、ド根性令嬢の冒険が始まる。
主人公が酷く虐げられる描写が苦手な方は、回避をお薦めします。そういう意味もあって、R15指定をしています。
追放令嬢ものに分類されるのでしょうが、追放後の展開はあまり類を見ないものになっていると思います。
2章立てになりますが、1章終盤から2章にかけては、「令嬢」のイメージがぶち壊されるかもしれません。不快に思われる方にはご容赦いただければと存じます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる