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第二章 動き出す歯車
33 過ぎたるは(後)
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天幕の中なのに、雨かと思った。
目の前を一筋、銀糸のような雨垂れが落ちて。
(え)
指示通りに石舞台の中央に立ち、支柱に備えられた中空ステージのロザリンドを仰ぐこと少々。オーケストラの指揮者よろしく、座長の青年が舞台の手前で両腕をあげ、ちいさな声で何かを唱えていた。――おそらく呪文のようなものを。
ゼローナの魔法は、ほぼ無詠唱だ。
ヨルナは行使したことはないが、魔法の根源は使い手の裡なる魔力だという。必要なのは内在するエネルギーに応じた現象のイメージだけ。特定の文言が発動条件となったり、出来映えを左右することはない。であれば。
(魔族の魔法は、いわゆる古代魔術を継承してるのかしら。失われた術式を刻んだ魔道具や、鍵となる詠唱がある。……と、いうことは、ロザリンド様が持ってる水差しは魔道具? じゃあ、この水は? え、どうなっちゃうの???)
『ちゃんと聞けば良かった』と、後悔してももう遅い。身の危険を覚えて身構えると、きん、と空気が張り詰めた。
中空ステージからは、たえず水が滴り続けている。足元には結構な量の水溜まり。
おかしい。普通なら、とっくに水はなくなっているはず。彼女が傾けている銀の水差しは、とてもほっそりとしたデザインなのに。
「え……、えぇっ?」
堪えきれずに声をあげると、薄目を開けたシュスラにあやしく微笑まれた。「お静かに。動かないで」
次の瞬間――――
(!!)
どうっ! と、水溜まりの水が立ち上がった。信じられないことに、逆さ向きの瀑布のようにどんどんと伸び上がり、上へ上へと目指す。
しまいには舞台全体の上に巨大な水の真球ができていた。その水は内側にも押し寄せて。
(いけないっ、溺れる)
とっさに深呼吸して両手で鼻と口を押さえた。思いきり目を瞑る。――が、待てども待てどもつめたい水の感触は訪れなかった。おそるおそる片目を開けると。
「へっ?」
令嬢にあるまじき声をあげてしまったが、誰にも聞こえていないようだった。どころか、誰もこちらを見ていない。
「うそ……」
キラキラと天井の光を受けて、水面と水中の揺れが複雑な紋様をえがいていた。なんと、水球のなかには水棲魔族の人魚や白い鱗の水蛇まであらわれ、戯れている。しかもその一人は。
(!! やだ、あれ、私っ???)
人魚たちの中央に、同じく魚の尾を生やしたヨルナとロザリンドが手を繋ぎ、微笑んでいる。幸い服は着ていたので、ほっとした。
――じゃなくて。
「なんで? 私はここにいるのに……。これも何かの幻術なの?」
「そうみたいね」
「!」
弾かれるように後ろを振り返った。
濡れていない。動ける。
外側が水の真球であるように、ヨルナが立つこの場所は空気の真球に包まれていて外の水を受け付けない。
そこに、複雑そうな顔のロザリンドが立っていた。竜人の女性も。
「ろざ……、ローズ?」
「してやられたわよね。上の人魚も幻らしいけど、あの二人はわたしたちの姿を被せてるんですって」
「!!? こ、これ全部幻なんですか!? すごい精度ですよ。あの人魚なんて、どこからどう見てもローズです。ちょっとお淑やかすぎますけど」
「うるっさいわね。一言多いのよ、あんたは。……で? このあとはどこへ行くんだった? 竜人さん」
しっし、と追いやるような仕草でヨルナの興奮をいなしたロザリンドは、みごとに誰にも気づかれず自分を舞台へと降ろした女性に視線を流した。
女性はにこり、と笑う。
「こちらへ。天幕の裏側に本物の小型の竜が控えております。お嬢様がたには、この水の幻が消えた瞬間、それに乗ってお戻りいただきますよ」
「すごい仕掛けね」
先頭を黒い翼の大柄な女性。真ん中をロザリンド。殿をヨルナがつとめて、こっそりと舞台を降りる。
本当にこの幻のなかにある限り、自分たちの姿は客席から見えないようだった。
照明の当たらない暗い通路を抜け、雑多な小道具や木箱が積まれた舞台裏を通り、三人は檻がいくつも連なるスペースへと辿り着く。
薄暗い。ライオンに似た魔獣もいたので、あとで本当の曲芸もあるのかもしれない。
やがて、檻から出されて餌をついばむ竜を見つけた。これに乗るのだろうか……と、首を傾げたとき。
(?)
一瞬、ふらりと目眩がした。急にまぶたが重くなってくる。
おかしいな、とぐいぐい目をこすっていると、突然ぐらり、とロザリンドが倒れてきた。
「わっ! あああの、ローズ? どう、し……」
――――どうしたんですか、という問いはできなかった。ヨルナ自身も、ロザリンドを受け止めたあとへなへなと座り込んでしまう。
眠い。眠くて……
ぱたり。
耐えきれず、ロザリンドの肩にうしろから折り重なるように伏せてまぶたが落ちる。支えていた手も地面に落ちてしまった。
――なんだ、やっと薬が効いたのか。
――今ごろは、あの金髪の王子様も夢の中でしょ。
――無駄口叩いてないで。さっさと運び出して。
(この声。どこかで聞いたような……?)
朦朧とするなか、耳だけが反応していた。まるで強すぎる風邪薬を飲んだときみたいに。
いやいや、これは大ピンチなのでは。なのに、くらくらして意識をとどめておけない。
だめ。起きないと……――
ヨルナはそのまま、ぷっつりと寝入ってしまった。
目の前を一筋、銀糸のような雨垂れが落ちて。
(え)
指示通りに石舞台の中央に立ち、支柱に備えられた中空ステージのロザリンドを仰ぐこと少々。オーケストラの指揮者よろしく、座長の青年が舞台の手前で両腕をあげ、ちいさな声で何かを唱えていた。――おそらく呪文のようなものを。
ゼローナの魔法は、ほぼ無詠唱だ。
ヨルナは行使したことはないが、魔法の根源は使い手の裡なる魔力だという。必要なのは内在するエネルギーに応じた現象のイメージだけ。特定の文言が発動条件となったり、出来映えを左右することはない。であれば。
(魔族の魔法は、いわゆる古代魔術を継承してるのかしら。失われた術式を刻んだ魔道具や、鍵となる詠唱がある。……と、いうことは、ロザリンド様が持ってる水差しは魔道具? じゃあ、この水は? え、どうなっちゃうの???)
『ちゃんと聞けば良かった』と、後悔してももう遅い。身の危険を覚えて身構えると、きん、と空気が張り詰めた。
中空ステージからは、たえず水が滴り続けている。足元には結構な量の水溜まり。
おかしい。普通なら、とっくに水はなくなっているはず。彼女が傾けている銀の水差しは、とてもほっそりとしたデザインなのに。
「え……、えぇっ?」
堪えきれずに声をあげると、薄目を開けたシュスラにあやしく微笑まれた。「お静かに。動かないで」
次の瞬間――――
(!!)
どうっ! と、水溜まりの水が立ち上がった。信じられないことに、逆さ向きの瀑布のようにどんどんと伸び上がり、上へ上へと目指す。
しまいには舞台全体の上に巨大な水の真球ができていた。その水は内側にも押し寄せて。
(いけないっ、溺れる)
とっさに深呼吸して両手で鼻と口を押さえた。思いきり目を瞑る。――が、待てども待てどもつめたい水の感触は訪れなかった。おそるおそる片目を開けると。
「へっ?」
令嬢にあるまじき声をあげてしまったが、誰にも聞こえていないようだった。どころか、誰もこちらを見ていない。
「うそ……」
キラキラと天井の光を受けて、水面と水中の揺れが複雑な紋様をえがいていた。なんと、水球のなかには水棲魔族の人魚や白い鱗の水蛇まであらわれ、戯れている。しかもその一人は。
(!! やだ、あれ、私っ???)
人魚たちの中央に、同じく魚の尾を生やしたヨルナとロザリンドが手を繋ぎ、微笑んでいる。幸い服は着ていたので、ほっとした。
――じゃなくて。
「なんで? 私はここにいるのに……。これも何かの幻術なの?」
「そうみたいね」
「!」
弾かれるように後ろを振り返った。
濡れていない。動ける。
外側が水の真球であるように、ヨルナが立つこの場所は空気の真球に包まれていて外の水を受け付けない。
そこに、複雑そうな顔のロザリンドが立っていた。竜人の女性も。
「ろざ……、ローズ?」
「してやられたわよね。上の人魚も幻らしいけど、あの二人はわたしたちの姿を被せてるんですって」
「!!? こ、これ全部幻なんですか!? すごい精度ですよ。あの人魚なんて、どこからどう見てもローズです。ちょっとお淑やかすぎますけど」
「うるっさいわね。一言多いのよ、あんたは。……で? このあとはどこへ行くんだった? 竜人さん」
しっし、と追いやるような仕草でヨルナの興奮をいなしたロザリンドは、みごとに誰にも気づかれず自分を舞台へと降ろした女性に視線を流した。
女性はにこり、と笑う。
「こちらへ。天幕の裏側に本物の小型の竜が控えております。お嬢様がたには、この水の幻が消えた瞬間、それに乗ってお戻りいただきますよ」
「すごい仕掛けね」
先頭を黒い翼の大柄な女性。真ん中をロザリンド。殿をヨルナがつとめて、こっそりと舞台を降りる。
本当にこの幻のなかにある限り、自分たちの姿は客席から見えないようだった。
照明の当たらない暗い通路を抜け、雑多な小道具や木箱が積まれた舞台裏を通り、三人は檻がいくつも連なるスペースへと辿り着く。
薄暗い。ライオンに似た魔獣もいたので、あとで本当の曲芸もあるのかもしれない。
やがて、檻から出されて餌をついばむ竜を見つけた。これに乗るのだろうか……と、首を傾げたとき。
(?)
一瞬、ふらりと目眩がした。急にまぶたが重くなってくる。
おかしいな、とぐいぐい目をこすっていると、突然ぐらり、とロザリンドが倒れてきた。
「わっ! あああの、ローズ? どう、し……」
――――どうしたんですか、という問いはできなかった。ヨルナ自身も、ロザリンドを受け止めたあとへなへなと座り込んでしまう。
眠い。眠くて……
ぱたり。
耐えきれず、ロザリンドの肩にうしろから折り重なるように伏せてまぶたが落ちる。支えていた手も地面に落ちてしまった。
――なんだ、やっと薬が効いたのか。
――今ごろは、あの金髪の王子様も夢の中でしょ。
――無駄口叩いてないで。さっさと運び出して。
(この声。どこかで聞いたような……?)
朦朧とするなか、耳だけが反応していた。まるで強すぎる風邪薬を飲んだときみたいに。
いやいや、これは大ピンチなのでは。なのに、くらくらして意識をとどめておけない。
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ヨルナはそのまま、ぷっつりと寝入ってしまった。
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