上 下
30 / 76
第二章 動き出す歯車

29 幻を名乗る一座

しおりを挟む
 白い耐水布を張った天幕は、天井や木組みのそこかしこに吊られた光源に照らされている。
 真鍮のような土台に嵌め込まれたクリスタル(の、ようなもの)――は、ゼローナではあまり見ない。明らかにランタンや灯火の類いではない器具だった。

(やっぱり、文化がちょっと違うのよね……。技術も。ひょっとしたら魔法体系じたい、違うのかしら)
 ぼんやりと天井のきらきらした光を眺めていると突然、視界にさらりと金糸の髪が映った。

「ヨルナ殿、大丈夫? はい、これ」

「ト……、あ、ありがとうございます」

 何かを手渡されつつ、視線は自然に髪の先からかんばせへ。吸い寄せられるように青い瞳へと向かう。
 王妃そっくりの繊細な容貌。弟君と同じ目の色。トール王子は、見れば見るほど前世まで想い続けた“あのひと”と同じ容姿だった。なのに。

 ――なぜ、惹かれないんだろう。
 なぜ、アーシュ様あのひとだとわかったんだろう……?

 まじまじと眺めてしまい、ハッとしたヨルナは、かなり遅れて自分の手に握らされたものが何かの容器だと気がついた。シンプルな筒状のグラスに、赤紫の冷たい液体が七分目まで注がれている。

「あの。これは?」

「入り口の売り場でベティが買って来るって言ったから。運ぶのを手伝ってたんだ。あの子、素早い上にすごく気が利くよね。ベリーのジュースだって。はい、ローズも」

「ありがと、兄様」

 つん、と澄ましたお礼でグラスを受け取ったロザリンドは、早速口を付けていた。それを「おやおや」と見守ってから、トールも席へと移動する。

 中央の舞台に向かって右からトール、ロザリンド、ヨルナ、ベティ。
 四名は、入り口から見れば二時方向にあたる最前列の端に陣取っていた。

 ヨルナも、ちびっと傾けたグラスからジュースを少量含む。美味しい。でも。
(どうせなら、アーシュ様やミュゼルや、アイリスも一緒のほうが良かったな)

 今か今かと始まりの気配を探し、舞台に視線を凝らすロザリンドを傍目はために、ヨルナはため息を禁じ得なかった。



   *   *   *



「ご機嫌斜めですね? アーシュ」

「アイリス」

 今まさに、舞台を挟んで対角線状の最前列に位置するヨルナたちに目を奪われていたアストラッドは、思い出したように左側の令嬢を眺め見た。
 それから紳士的に表情を和らげ、笑みを浮かべる。

「そんなことは…………あるかな、すみません。兄が彼女に何かしないかと、ひやひやしてしまって」

「何か」

 む、と眉をひそめたアイリスもつられて眼下に視線を向けた。

 アストラッドたち三名は、すり鉢状の観客席の上から二段目を座席に選んだ。
 わりと空いているし、会場全体を見回せて良い席だと感じたので。

 ――ロザリンド同様、最前列に座りたいと最後まで主張した、ミュゼル以外の令嬢と王子は。



「お二人とも。見ものを間違えてましてよ……」

 鬱々と呟き、ミュゼルが持参のナッツのショコラを口に運んでいる。
 それから、す、と真ん中の王子と反対側の北公息女に、秘蔵の菓子袋を差し出した。仕草がいささか投げやりだったのは否めない。

「いかが? 甘いものを取られたほうが苛々は減りますわ」

「いや、結構。お気持ちだけで」
「甘味は苦手だと言ったでしょう? ミュゼル」

「まぁ……なんて、つれない人たち!」

 『心・底・心・外』と言いたげな口ぶりで、ミュゼルはぷりぷりと手を引っ込めてしまった。
 そうして、本人も何粒目か忘れてしまったショコラを口にする。

「一応、わたくしもお妃候補のはずなんですけど。本当にヨルナ一途ですのね、アーシュ様」

「すみません」

「謝らなくても結構よ。むしろ、わたくしはヨルナの味方ですもの。貴方を応援いたしますわ」

「どうも。……あ、やっと離れた」
「ほんとだ」

「……」


 ストロベリーブロンドの令嬢のふくれ面を他所よそに、普通の少年に扮した王子と騎士装束の令嬢は淡々と向かいの席の実況を中継する。
 ほとほと馬鹿馬鹿しくなったミュゼルが再び袋に手を入れたとき。


「あ」


 パッ、と天幕を照らしていた光源という光源、そのすべてが暗闇に転じた。
 一瞬の静寂のあと、絶妙のタイミングで天井のクリスタルのみ、輝きが戻る。

 まるでスポットライトを浴びるように、古びた石造りの舞台には一人の人物が現れていた。
 観客がざわめく前に、彼はにこり、と微笑み芝居がかった礼をとる。

 つややかなカラスの濡れ羽色の髪。裾を引く重々しい衣装。古書にある、禁じられた魔術の使い手のような。
 ――わざと禍々しい演出を? と勘違いしそうになった客の一人は、そう言えばこの一座はまごうかたなき辺境の民なのだと思い出した。

 うち、たった一人の緋色の髪の観客は、こぼれそうなほど目を見開いている。

「うそ」
「ロー、……ズ?」

 訊き返すヨルナの声に、ロザリンドは視線を固定したまま、囁きで答えた。

「なんで、こんなところに来るの……? あいつ、裏ルートの攻略対象の一人よ」


 ――――ようこそ、ゼローナの紳士淑女の皆様! 我ら『ナイトメーアの幻』の、記念すべき!!


 マイクもないのに、不思議とどの客の耳にも飛び込むちょうど良い音量で、座長らしき青年の言上は麗々しく響き渡った。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

絶対死なない吸血鬼

五月雨
ファンタジー
学校の帰りにトラックに引かれ、重傷の中気付いたら異世界にいた。 魔女の従者になって、人でなくなって、吸血鬼になっていた。 不死身の吸血鬼の異世界転生ファンタジー!  fin!!

【完結】あなたに知られたくなかった

ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。 5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。 そんなセレナに起きた奇跡とは?

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

最強令嬢とは、1%のひらめきと99%の努力である

megane-san
ファンタジー
私クロエは、生まれてすぐに傷を負った母に抱かれてブラウン辺境伯城に転移しましたが、母はそのまま亡くなり、辺境伯夫妻の養子として育てていただきました。3歳になる頃には闇と光魔法を発現し、さらに暗黒魔法と膨大な魔力まで持っている事が分かりました。そしてなんと私、前世の記憶まで思い出し、前世の知識で辺境伯領はかなり大儲けしてしまいました。私の力は陰謀を企てる者達に狙われましたが、必〇仕事人バリの方々のおかげで悪者は一層され、無事に修行を共にした兄弟子と婚姻することが出来ました。……が、なんと私、魔王に任命されてしまい……。そんな波乱万丈に日々を送る私のお話です。

【完結】貧乏令嬢の野草による領地改革

うみの渚
ファンタジー
八歳の時に木から落ちて頭を打った衝撃で、前世の記憶が蘇った主人公。 優しい家族に恵まれたが、家はとても貧乏だった。 家族のためにと、前世の記憶を頼りに寂れた領地を皆に支えられて徐々に発展させていく。 主人公は、魔法・知識チートは持っていません。 加筆修正しました。 お手に取って頂けたら嬉しいです。

家庭菜園物語

コンビニ
ファンタジー
お人好しで動物好きな最上 悠(さいじょう ゆう)は肉親であった祖父が亡くなり、最後の家族であり姉のような存在でもある黒猫の杏(あんず)も静かに息を引き取ろうとする中で、助けたいなら異世界に来てくれないかと、少し残念な神様に提案される。 その転移先で秋田犬の大福を助けたことで、能力を失いそのままスローライフをおくることとなってしまう。 異世界で新しい家族や友人を作り、本人としてはほのぼのと家庭菜園を営んでいるが、小さな畑が世界には大きな影響を与えることになっていく。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

【完結】番を監禁して早5年、愚かな獣王はようやく運命を知る

恋愛
獣人国の王バレインは明日の婚儀に胸踊らせていた。相手は長年愛し合った美しい獣人の恋人、信頼する家臣たちに祝われながらある女の存在を思い出す。 父が他国より勝手に連れてきた自称"番(つがい)"である少女。 5年間、古びた離れに監禁していた彼女に最後の別れでも伝えようと出向くと、そこには誰よりも美しく成長した番が待ち構えていた。 基本ざまぁ対象目線。ほんのり恋愛。

処理中です...