桜並木の、その下で

汐の音

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めぐる春の章

3 掠める告白

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 くだんのスーパーは、すぐにわかった。
 和装に白い前掛け姿のみなとはそれなりに通りで注目を集めたが、日頃“み”の早苗さなえ実苑みそのもちょくちょく買い出しに来ているのかもしれない。日常の一風景として受け入れられている。

 レジ台に肘をついて新聞を読みふけっていた線の細い中年男性は、湊を見て「あぁ」と表情をあらためた。いらっしゃい、と速やかに接客モードに移行する。

「“み穂”さんだね。バイトのひと? 補充かな」

「はい。実苑さんから、これだけの品を頼まれたんですが。こっちの……三人で持って帰れるよう、小分けにしていただけますか?」

「いいよ。ちょっと待ってね」

 店員は実苑のメモを一瞥して受けとると、てきぱきと動きだし、店の奥で休憩中だったらしい老人(父親?)と手分けして瞬く間に段ボールと袋に詰めてくれた。
 結果、十分ほどでお使いミッションは半ば完了コンプリートした。



   *   *



 遠足ではないが、『帰るまでがお使い』と、心得ている。
 二人とも率先して段ボールを担当してくれたおかげで、湊の片手を塞ぐのは白いビニールの買い物袋だけ。業務用調味料のたぐいで少しだけ重量はかさんだが、手伝いを申し出てくれた二人に比べれば申し訳ないほどに身軽だった。

「すみません、本当に……。あ、そこ、気を付けて。止まりましょう。トラックが来てます」

「あぁ、ありがと」


 歩行者用商店街のアーケードの下でも、小路と交わる地点では普通に車が通ってゆく。湊は空いた左手をたかむらの腹の前に差し出し、通せんぼをした。
 左の篁と右のりつが同時に止まる。

 右側から来て、じきに通過するかに見えた紅葉マークを貼った軽トラックは、目算で時速十キロあるかないか。なかなか目の前に到達しない。――焦れて渡るほどではないが。

 一行は束の間、信号機の色が変わるのを待つようにそれを待った。そのかん、ふと思い出す。

「律君。そういえば何を賭けたの? だめだよ、篁さんはそういうの、ぜんぜん容赦なさそうだから」

 問われた律は、みるみる憮然とした。

「……もの、じゃないんです。宣戦布告っていうか」

「? よりいっそう大人げないよね……? いったい何の」


 ちょうどそこで白い車体が過ぎた。たくさんのビールのケースが積まれた荷台から察するに、酒屋だろうか。

 それを、見るともなく左側へ視線を滑らせると同時に、左側の人物から顔を寄せられる。
 エンジン音に紛れるように目を伏せ、ふわりと笑みかけられた。

「――きみに、本気になるって宣言。つまり、結婚も視野に入れて、左門さもん君よりもずっと付き合えるオレを見て欲しいって、昨夜から伝えたかったんだ。いま伝えたけど」

「………………え!!?」

「ちょっと、近い! 場所変わって、湊さん。ほら、行こう」

「え、あ、はい」

 至近距離で唖然と篁の笑顔を見返していると、両手に段ボールを抱えた律が間に割って入った。
 篁は大して気分を害した様子もなく上体を戻し、「そうだね」と、何事もなかったかのように先陣を切って小路を横断する。

(き、聞き違い……?)

 あえて蒸し返す気にもなれず、心持ち律の影になるように歩いた。こわくてそちらを見れない。

 影――
 
 すなわち、急に、確固とした『異性』をさらりと主張してきた大人の男性に。
 今まで、自分が友人として抱いてきた感情をぐらぐらと不確かなものにされた気がした。

(聞き……違いじゃない。はっきり、言われた)



 ――――左門君よりもずっと、すぐに付き合えるオレを見て。



 耳朶じだから身体中に響く柔らかな低音で囁かれ、かれ特有の底無しの余裕と、包容力の限りを見せつけられて。

 目をそらせなかった。
 かれの言う『本気』の何たるかに気づき、身がすくんだ。

 三者無言で来た道を正確に戻り、青みを増した柳の枝がしなる水路の脇で左折。
 “み穂”の駐車場が見えて、ようやく詰めていた息を吐いた。







「お帰りなさい。お疲れさま……あら? 大丈夫? 喧嘩でもした?」

「いえ、実苑さん。さすがにお客さんと、それは」

「そう? ならいいけど。そうそう、手を洗ったらこっちに来てね。調理補助お願いします」

「はい」


 店内を満たす茶香と挽きたての珈琲の香りに包まれて、湊は、今が勤務中であることに心底感謝した。

 きびきびとたすきを掛け、手を洗浄してカウンターのなかに陣取る実苑の側に寄る。
 普段と変わらない篁と、寡黙な律によって運び込まれた段ボールから玉子を取り出してボウルに割り入れた。二つ。それから牛乳にグラニュー糖……。
 カシャカシャ、と泡立て器の音が鳴る。作業を進めつつ実苑は指示を出した。

「今、内線で知らせが。もうすぐ左門の奥様が降りてらっしゃるの。おいでになったらホットとそちらのシュークリーム、お出ししてもらえる?」

「わかりました」

 手際よく熱したフライパンでフレンチトーストを焼き始めた実苑に頷き、白いカップを温める。
 やがて牧歌的な鐘の音を鳴らし、扉がひらいて早苗が現れた。『左門の奥様』こと、喜恵きえを後ろに伴っている。

 妙齢のご婦人がたが交わす談笑の気配に、たちまち空気が華やぐ。
 ちらり、とこちらに配されたまなざしに背筋が伸びて、湊は極力表情を和らげた。

「いらっしゃいませ奥様。お疲れさまです、オーナー」

「えぇ。お疲れ」
「こんにちは。お邪魔してるわ。瀬尾せのおさん。孫がいつも、どうも」

「いいえ、そんな。こちらこそ」

(~~こちらこそ、お孫さんにはお世話になりっぱなしです。どころか本当に申し訳ないです……。絶対に道を踏み外してはいけないと重々、日々、言い聞かせているのですが!!!!)

 心中の釈明に反する、ありとあらゆる回想が脳内を占める前に、湊はきっぱりとサイフォンを手に取った。

「お好きな席へどうぞ。ただいま、お持ちしますので」

「ありがとう」

 にこ、と軽やかに笑む喜恵は洗練されてうつくしく、早苗以上に年齢を感じさせない。
 上品なカシュクールワンピースはほんの少しラベンダーがかった薄いグレー。うなじでまとめた髪型に隙はなく、いっそ、同性として惚れ惚れする。

 だからだろうか。そのあと彼女が向かった先には瞠目しただけで済んだ。内心、叫び尽くしたあとの胸中は大嵐だったが。


 喜恵はまっすぐ、何やらぼそぼそと言い合いをしていた律と篁のテーブルへと赴いた。



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