上 下
4 / 8

鬼か菩薩か

しおりを挟む
 健介は一日ぶり二度目の金縛りにかかった。

 今度健介の自由を奪っていたのは中学生の時に片思いしていた相手だった。



 彼女とは中学三年生の時にクラスメイトだった。大人しい彼女が時折健介に見せた柔らかい笑顔が好きだった。想いを告げられないまま卒業し、別々の高校に進学した。



 二十歳の時に開催された同窓会で再会した彼女は昔よりも活発になっていて、台湾への留学を控えているという。当時勉学への努力を最低限にも満たしていなかった健介は彼女に置いて行かれたように感じた。彼女には自分も勉強を頑張っているかのように話した。



 今現在のフリーターの健介を蔑んでか幻の彼女は冷たい眼差しを向けてきていた。彼女に嫌われるのだけは嫌だった。



 健介は飛び起きた。

「うわっ、びっくりした」

 目の前にトモエの顔があった。寝ぼけ眼でトモエを見つめると。その顔が夢の中の彼女と重なった。トモエは彼女と似ている気がした。



「今度は叫ばなかったわね」

 健介はスマホの時計を見た。朝の5時だった。



「さ、小説書きましょう」

 健介は寝床代わりのコタツに潜り込んだ。

「ちょっと、寝るな起きろ」

 トモエにコタツ布団を剥がされた。



「今日は寝かせてくれよ。昨日はあんなに頑張ったんだ。バイトも2連休だし」

 大学入学以来着実に朝に弱くなっていった健介は抗議の声を上げた。

「駄目。毎日書く。それがデビューへの近道だから」

「デビューなんか目指してないけど」

 ぼそぼそと呟いた。

「他にやることもないでしょう」



 ないことはない。

 積まれたゲームソフトや小説を消化したいし。ろくに弾けもしないギターの錆びた弦を交換したいと考えていたところだし。録りためたテレビのロードショーも見たいと思っていた。

 ただそのどれもがここのところずっと後回しになっていた。

 やることと言ったらネットサーフィンをするかユーチューブを見るかだった。より消費するのが楽なコンテンツに流れてしまっているなとは健介自身も思っていた。

 それを敢えて改めようとすることもなかった。



「どうしたの、黙っちゃって」

「いや、別に」

 健介はいかにも大儀そうに見えるようにデスクに向かい、パソコンを起ち上げた。



 実のところ小説を書く意欲はあった。今のところゲームやギターよりもやりたいことだった。昨日初めて一つの小説を完成させるという体験をしたおかげだ。それにエタるに至った「異世界コップ」を書いていたときもそれなりに楽しかったのだ。



 ともすると睡眠やネットに逃げそうなところをパソコンに向かわせてくれるトモエの存在はありがたかった。

 それを態度に出すのは恥ずかしかった。



 さてと健介は書き始めようとしたが、一文字も入力されることは無かった。

「あれ?」

「どうしたの?」

「書くことがない」

「どうして、昨日と同じようにやればいいのよ身近なものを題材にして……」

「ないんだ」

「は?」

「よくよく考えてみると俺に語れるのは野球ぐらいしかない」



 こうやって自分を振り返ってみると、ここまで頭の中を野球に蝕まれていたのかと愕然とした。

 大学まで軟式野球を続けたがたいしてうまくもなかったし、今では別に好きでも何でもないと思っていた。

 いかに何にも熱中せずに生きてきたかが分かった。



「よくそんなんで小説を書き始めたわね」

「自分でもそう思う」

 健介は肩を落とした。



「いいんじゃない」

「え?」

「野球で書けばいいのよ」

「そうなのか?」

「うん、モネっていう画家は知っているでしょ」

「ああ、睡蓮の」

「そう、その睡蓮なんだけど、何枚描かれたか知っている?」

 健介は首を傾げた。

「私も知らない」

「は?」

「よくわからないってくらいたくさんあるってことよ。モネは睡蓮っていう題材だけで何枚も何枚も書いたの。小説もそれでいいんじゃない? 何なら昨日のと同じ設定で書いたっていいと思うわよ」



 健介は黙って頷いた。西洋の偉大なる画家に勇気づけられた。パソコンに向き直った。



 昨日は選手を書いたから、今度は指導者の物語を書いた。少年野球の、元気なのが取り柄の監督と、クールな名伯楽のコーチを登場させて、監督が選手を奮い立たせてコーチの指導で技術を獲得していき、大会優勝を目指すという筋にした。



 昨日と同じ、原稿用紙五枚分を書いたところで一区切りついたが、まだまだ終わりそうにない。そこを第一部分として保存した。



「うん、そんなところで今日は良いんじゃない?」

 健介の本棚をあさってマンガを読んでいたと思ったら、タイミングよくトモエがパソコンを覗き込んでいた。

「え、でも全然終わってないよ」

「いいの。一度にやりすぎると三日坊主コースまっしぐらなんだから」

「俺はてっきり、完成するまで缶詰で書かされるものと思っていたよ」

「そういうのはプロになってから言いなさい」



 時計を見るとまだ八時過ぎだった。昨日よりもはるかに時間がかからずに書けている。これくらいなら毎日できるかもしれない。健介はそう思い始めた。



 実際毎日書かされた。トモエに朝五時にたたき起こされては机に向かわされる。アルバイトに行く前に一部分を書き上げる。 

 ページ数がじわじわと増えていくのがなかなか楽しくて次第にトモエに対して文句も言わなくなっていた。



 健介は一週間かかって原稿用紙三十枚ほどの短編を完成させた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

バーチャル女子高生

廣瀬純一
大衆娯楽
バーチャルの世界で女子高生になるサラリーマンの話

ある文子官の日常

紫翠 凍華
大衆娯楽
一人の文子官が、しっかり者の先輩の進めで士官した先の日常(非日常?)、ただ上司が・・・ (それネタバレするからダメだよ) そこ書いとかないと読んで貰えないかも・・・ (私の話しでしょ) ・・・涙あり、感動の (嘘は辞めようね) (私、黒龍国、文子官、仙子のお話です、楽しんで頂けると幸です。)

愛した彼女は

悠月 星花
大衆娯楽
僕、世羅裕(せらゆたか)は、大手会社から転職したその日、配属された先で橘朱里(たちばなあかり)という女性と出会った。 彼女は大輪の向日葵のように笑う人で、僕の心を一瞬で攫っていってしまう。 僕は、彼女に一目惚れをしたのだ。 そんな彼女に、初めて会って30分もしないうちに告白をして玉砕。 当たり前だが……それでも彼女の側でいられることに満足していた。 年上の彼女、年下の僕。 見向きもしてくれなかった彼女が、僕に笑いかける。 いつの日か、彼女の支えとなるべく、今日も今日とて付き従う僕のあだ名は忠犬ワンコ。 彼女の笑顔ひとつを手に入れるため、彼女と一緒にお勤めしましょう。 僕は、考える。 いままでの僕は、誰にも恋をしてこなかったんじゃないかと…… 橘朱里が、僕にとって、初めての恋だったのだと。 初恋は実らない?いんや、実らせてみせるさ!必ず、彼女を振り向かせてみせる。 もう、振られているけど……そんなのは……ちょっと気にするけど、未来を想う。 朱里さんが、彼女が、僕を選んでくれるその日まで…… ずっと、ずっと、彼女を支え続ける。 気持ち悪いだって……?彼女が気にしてないから、僕からは口に出さない。 僕が朱里さんと出会って初めて恋を知り、初めて愛を知った。 彼女となら……永遠さえ、あるのではないかと思えるほどである。 最初の恋を教え、最後に愛を残していってしまった人。 赦されるなら……ずっと、側にいたかった人。 今は、いないけど、そっちにいくまで、待っていてくれ。 必ず、迎えにいくからさ……朱里。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

女豹の恩讐『死闘!兄と妹。禁断のシュートマッチ』

コバひろ
大衆娯楽
前作 “雌蛇の罠『異性異種格闘技戦』男と女、宿命のシュートマッチ” (全20話)の続編。 https://www.alphapolis.co.jp/novel/329235482/129667563/episode/6150211 男子キックボクサーを倒したNOZOMIのその後は? そんな女子格闘家NOZOMIに敗れ命まで落とした父の仇を討つべく、兄と娘の青春、家族愛。 格闘技を通して、ジェンダーフリー、ジェンダーレスとは?を描きたいと思います。

どれっと王国

浅貴るお
大衆娯楽
 保護猫を助けるお話。

亀と千代さんの徒然なる日々

チェンユキカ
大衆娯楽
この穏やかな日々が、いつまでも続くと思っていたのに……。 『亀』は、一人暮らしの老婦人・千代さんと何年も一緒に暮らしている。 時々尋ねてくる友人や息子家族とのやりとり、一人で気ままに過ごす姿、亀は千代さんのことをずっと見守っていた。 亀は気付いていなかった。ただただ平穏に流れる二人の時間に、いつか終わりが来ることを……。

処理中です...