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鬼か菩薩か
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健介は一日ぶり二度目の金縛りにかかった。
今度健介の自由を奪っていたのは中学生の時に片思いしていた相手だった。
彼女とは中学三年生の時にクラスメイトだった。大人しい彼女が時折健介に見せた柔らかい笑顔が好きだった。想いを告げられないまま卒業し、別々の高校に進学した。
二十歳の時に開催された同窓会で再会した彼女は昔よりも活発になっていて、台湾への留学を控えているという。当時勉学への努力を最低限にも満たしていなかった健介は彼女に置いて行かれたように感じた。彼女には自分も勉強を頑張っているかのように話した。
今現在のフリーターの健介を蔑んでか幻の彼女は冷たい眼差しを向けてきていた。彼女に嫌われるのだけは嫌だった。
健介は飛び起きた。
「うわっ、びっくりした」
目の前にトモエの顔があった。寝ぼけ眼でトモエを見つめると。その顔が夢の中の彼女と重なった。トモエは彼女と似ている気がした。
「今度は叫ばなかったわね」
健介はスマホの時計を見た。朝の5時だった。
「さ、小説書きましょう」
健介は寝床代わりのコタツに潜り込んだ。
「ちょっと、寝るな起きろ」
トモエにコタツ布団を剥がされた。
「今日は寝かせてくれよ。昨日はあんなに頑張ったんだ。バイトも2連休だし」
大学入学以来着実に朝に弱くなっていった健介は抗議の声を上げた。
「駄目。毎日書く。それがデビューへの近道だから」
「デビューなんか目指してないけど」
ぼそぼそと呟いた。
「他にやることもないでしょう」
ないことはない。
積まれたゲームソフトや小説を消化したいし。ろくに弾けもしないギターの錆びた弦を交換したいと考えていたところだし。録りためたテレビのロードショーも見たいと思っていた。
ただそのどれもがここのところずっと後回しになっていた。
やることと言ったらネットサーフィンをするかユーチューブを見るかだった。より消費するのが楽なコンテンツに流れてしまっているなとは健介自身も思っていた。
それを敢えて改めようとすることもなかった。
「どうしたの、黙っちゃって」
「いや、別に」
健介はいかにも大儀そうに見えるようにデスクに向かい、パソコンを起ち上げた。
実のところ小説を書く意欲はあった。今のところゲームやギターよりもやりたいことだった。昨日初めて一つの小説を完成させるという体験をしたおかげだ。それにエタるに至った「異世界コップ」を書いていたときもそれなりに楽しかったのだ。
ともすると睡眠やネットに逃げそうなところをパソコンに向かわせてくれるトモエの存在はありがたかった。
それを態度に出すのは恥ずかしかった。
さてと健介は書き始めようとしたが、一文字も入力されることは無かった。
「あれ?」
「どうしたの?」
「書くことがない」
「どうして、昨日と同じようにやればいいのよ身近なものを題材にして……」
「ないんだ」
「は?」
「よくよく考えてみると俺に語れるのは野球ぐらいしかない」
こうやって自分を振り返ってみると、ここまで頭の中を野球に蝕まれていたのかと愕然とした。
大学まで軟式野球を続けたがたいしてうまくもなかったし、今では別に好きでも何でもないと思っていた。
いかに何にも熱中せずに生きてきたかが分かった。
「よくそんなんで小説を書き始めたわね」
「自分でもそう思う」
健介は肩を落とした。
「いいんじゃない」
「え?」
「野球で書けばいいのよ」
「そうなのか?」
「うん、モネっていう画家は知っているでしょ」
「ああ、睡蓮の」
「そう、その睡蓮なんだけど、何枚描かれたか知っている?」
健介は首を傾げた。
「私も知らない」
「は?」
「よくわからないってくらいたくさんあるってことよ。モネは睡蓮っていう題材だけで何枚も何枚も書いたの。小説もそれでいいんじゃない? 何なら昨日のと同じ設定で書いたっていいと思うわよ」
健介は黙って頷いた。西洋の偉大なる画家に勇気づけられた。パソコンに向き直った。
昨日は選手を書いたから、今度は指導者の物語を書いた。少年野球の、元気なのが取り柄の監督と、クールな名伯楽のコーチを登場させて、監督が選手を奮い立たせてコーチの指導で技術を獲得していき、大会優勝を目指すという筋にした。
昨日と同じ、原稿用紙五枚分を書いたところで一区切りついたが、まだまだ終わりそうにない。そこを第一部分として保存した。
「うん、そんなところで今日は良いんじゃない?」
健介の本棚をあさってマンガを読んでいたと思ったら、タイミングよくトモエがパソコンを覗き込んでいた。
「え、でも全然終わってないよ」
「いいの。一度にやりすぎると三日坊主コースまっしぐらなんだから」
「俺はてっきり、完成するまで缶詰で書かされるものと思っていたよ」
「そういうのはプロになってから言いなさい」
時計を見るとまだ八時過ぎだった。昨日よりもはるかに時間がかからずに書けている。これくらいなら毎日できるかもしれない。健介はそう思い始めた。
実際毎日書かされた。トモエに朝五時にたたき起こされては机に向かわされる。アルバイトに行く前に一部分を書き上げる。
ページ数がじわじわと増えていくのがなかなか楽しくて次第にトモエに対して文句も言わなくなっていた。
健介は一週間かかって原稿用紙三十枚ほどの短編を完成させた。
今度健介の自由を奪っていたのは中学生の時に片思いしていた相手だった。
彼女とは中学三年生の時にクラスメイトだった。大人しい彼女が時折健介に見せた柔らかい笑顔が好きだった。想いを告げられないまま卒業し、別々の高校に進学した。
二十歳の時に開催された同窓会で再会した彼女は昔よりも活発になっていて、台湾への留学を控えているという。当時勉学への努力を最低限にも満たしていなかった健介は彼女に置いて行かれたように感じた。彼女には自分も勉強を頑張っているかのように話した。
今現在のフリーターの健介を蔑んでか幻の彼女は冷たい眼差しを向けてきていた。彼女に嫌われるのだけは嫌だった。
健介は飛び起きた。
「うわっ、びっくりした」
目の前にトモエの顔があった。寝ぼけ眼でトモエを見つめると。その顔が夢の中の彼女と重なった。トモエは彼女と似ている気がした。
「今度は叫ばなかったわね」
健介はスマホの時計を見た。朝の5時だった。
「さ、小説書きましょう」
健介は寝床代わりのコタツに潜り込んだ。
「ちょっと、寝るな起きろ」
トモエにコタツ布団を剥がされた。
「今日は寝かせてくれよ。昨日はあんなに頑張ったんだ。バイトも2連休だし」
大学入学以来着実に朝に弱くなっていった健介は抗議の声を上げた。
「駄目。毎日書く。それがデビューへの近道だから」
「デビューなんか目指してないけど」
ぼそぼそと呟いた。
「他にやることもないでしょう」
ないことはない。
積まれたゲームソフトや小説を消化したいし。ろくに弾けもしないギターの錆びた弦を交換したいと考えていたところだし。録りためたテレビのロードショーも見たいと思っていた。
ただそのどれもがここのところずっと後回しになっていた。
やることと言ったらネットサーフィンをするかユーチューブを見るかだった。より消費するのが楽なコンテンツに流れてしまっているなとは健介自身も思っていた。
それを敢えて改めようとすることもなかった。
「どうしたの、黙っちゃって」
「いや、別に」
健介はいかにも大儀そうに見えるようにデスクに向かい、パソコンを起ち上げた。
実のところ小説を書く意欲はあった。今のところゲームやギターよりもやりたいことだった。昨日初めて一つの小説を完成させるという体験をしたおかげだ。それにエタるに至った「異世界コップ」を書いていたときもそれなりに楽しかったのだ。
ともすると睡眠やネットに逃げそうなところをパソコンに向かわせてくれるトモエの存在はありがたかった。
それを態度に出すのは恥ずかしかった。
さてと健介は書き始めようとしたが、一文字も入力されることは無かった。
「あれ?」
「どうしたの?」
「書くことがない」
「どうして、昨日と同じようにやればいいのよ身近なものを題材にして……」
「ないんだ」
「は?」
「よくよく考えてみると俺に語れるのは野球ぐらいしかない」
こうやって自分を振り返ってみると、ここまで頭の中を野球に蝕まれていたのかと愕然とした。
大学まで軟式野球を続けたがたいしてうまくもなかったし、今では別に好きでも何でもないと思っていた。
いかに何にも熱中せずに生きてきたかが分かった。
「よくそんなんで小説を書き始めたわね」
「自分でもそう思う」
健介は肩を落とした。
「いいんじゃない」
「え?」
「野球で書けばいいのよ」
「そうなのか?」
「うん、モネっていう画家は知っているでしょ」
「ああ、睡蓮の」
「そう、その睡蓮なんだけど、何枚描かれたか知っている?」
健介は首を傾げた。
「私も知らない」
「は?」
「よくわからないってくらいたくさんあるってことよ。モネは睡蓮っていう題材だけで何枚も何枚も書いたの。小説もそれでいいんじゃない? 何なら昨日のと同じ設定で書いたっていいと思うわよ」
健介は黙って頷いた。西洋の偉大なる画家に勇気づけられた。パソコンに向き直った。
昨日は選手を書いたから、今度は指導者の物語を書いた。少年野球の、元気なのが取り柄の監督と、クールな名伯楽のコーチを登場させて、監督が選手を奮い立たせてコーチの指導で技術を獲得していき、大会優勝を目指すという筋にした。
昨日と同じ、原稿用紙五枚分を書いたところで一区切りついたが、まだまだ終わりそうにない。そこを第一部分として保存した。
「うん、そんなところで今日は良いんじゃない?」
健介の本棚をあさってマンガを読んでいたと思ったら、タイミングよくトモエがパソコンを覗き込んでいた。
「え、でも全然終わってないよ」
「いいの。一度にやりすぎると三日坊主コースまっしぐらなんだから」
「俺はてっきり、完成するまで缶詰で書かされるものと思っていたよ」
「そういうのはプロになってから言いなさい」
時計を見るとまだ八時過ぎだった。昨日よりもはるかに時間がかからずに書けている。これくらいなら毎日できるかもしれない。健介はそう思い始めた。
実際毎日書かされた。トモエに朝五時にたたき起こされては机に向かわされる。アルバイトに行く前に一部分を書き上げる。
ページ数がじわじわと増えていくのがなかなか楽しくて次第にトモエに対して文句も言わなくなっていた。
健介は一週間かかって原稿用紙三十枚ほどの短編を完成させた。
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