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ワナビネット小説家健介

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 健介は人生で初めて金縛りにあった。

 何かが眠っている健介の上にのしかかっている。恐る恐る何者かの姿を確認すると。それは健介自身だった。

「ドッペルゲンガー……」

 どんな異形よりも恐ろしかった。よくよく見ると現在の健介とは少し異なった。幼さの残る、中学生くらいの自分。あの時は勉強もスポーツもできて女子にもモテていた、自信にあふれていた頃だ。

「うわああああああ!」



 叫び声をあげた。

「うわっ、びっくりした」

 健介は目を覚ました。自分の分身の代わりにのしかかっていたのはトモエだった。

「やめてよ。近所迷惑じゃん」

「降りろ、重い」

「あ、サイテー。女の子に重いは禁句だよ」

 トモエは頬を膨らませて健介から離れた。

「せっかく起こしてあげたのに」

「頼んでない」



 トモエが現れた昨日、あまりのことに体力を奪われた健介は睡魔に襲われ眠ろうとしたが「女の子を床で寝かせるの? ふーん」と言うトモエにベッドを占領された。

 仕方なく座椅子とこたつの組み合わせで寝たが、変な夢を見たのもそのせいだと思った。



 健介はスマホで時間を確認した。朝の五時だった。

「なんでこんな早朝に起こすんだよ」

 トモエは昨日を再現するように健介のデスクを指した。

「小説書いて」

「は?」

「小説家になるんでしょ?」



 健介が25歳にもなってアルバイトの身分に甘んじているのはトモエの言う通り、小説を書きたいという思いがあったからだ。

 しかし、大学四年生の時に「刑事がファンタジー異世界に転生して悪の組織と戦う」という筋のネット小説を書き始めたが続かず、「エターナル」を語源とした通称「エタる」ことになって以来、投稿活動はしていなかった。

 それでもネタを出して、書き始めてみるということはしばしばあったが、序章や第一話だけ書いては削除するというのが常だった。

 そして次第にそれすらもやらなくなって今に至る。



「……違うが?」

「随分間があったわね。認めたようなものよ」

「やかましい、大体なんで君にそんなことが分かる」

 健介の創作活動のことはごくわずかな親しい友人にしか話していない。

「それはあれよ、小説家の匂い的な。分かる人には分かるの」



「さ、充電も済んでいるわよ」

 電源コードがノートパソコンとコンセントをつないでいた。トモエはパソコンの電源ボタンを押した。しばらくすると、パスワードの入力画面になった。

「ほら」

 トモエが健介を促した。健介は何故か逆らえない。椅子に腰かけた。そして何か月かぶりにパスワードを打ち込んだ。



 ブラウザを起ち上げた。お気に入りにはまだ小説投稿サイトが登録されていた。アクセスすると自分のホーム画面に移った。

 投稿履歴の欄に「異世界コップ」とある。その右に「次話投稿」ボタンが設置されている。これを見るのが苦痛だったのがこのサイトから足が遠のいた理由かもしれない。



「なあ、もっと後でよくないか? 今日はバイトもないから午後のほうがたっぷりと時間があるし、五時に起きてまでやらなくても」

「だめ。知ってる? 人間は朝が一番クリエイティブなの。だから朝一に書くのが一番いいの」

 それなら健介も聞いたことがあった。だから午前中に書いてみるということもあったが、三日と続かなかった。

「人によるだろ」

「じゃあ、いつ書くの? 朝は午後でいいや。午後は夜でいいや。夜は明日でいいや。そうやって書かなくなるんじゃないの」

「ぐぬぬ」



 くすっとトモエが笑った。

「何だ」

「そうやってマンガみたいな言い方をするのが好きだなって思って」



 トモエの可愛らしい笑顔にほだされたわけではないが、健介は「新規小説作成」をクリックした。白紙のテキストエディタが現れる。



 以前は書きたいネタなら山ほどあった。その中の一つを思い出して書き出そうとしたが、指が動かなかった。そもそも指に命令を送る頭の中のほうが真っ白になっている気がした。



「駄目だ。書けないよ」

「どうして?」

「プロットを作らないと」

「いらないよ」

「なんでさ、小説の設計図がないと書けないだろ」



 トモエがやれやれといったように肩をすくめた。

「いったいどのくらいの長さの小説を書こうというの?」

「そりゃ本になるくらいの原稿用紙300枚以上の……」

「無理、諦めて」

「なんで」

「いきなり書ける訳ないじゃない。見たところ一作も書ききったことがないんでしょ。原稿用紙5枚分でいいからとにかく一作完成させて。完成させるのが大事なの」



 完成させるのが大事。それは健介もわかっていた。しかし、健介には出版できるような長編を書かなければいけないという焦りがあった。



「そんなのわかってるよ」

「わかってるならやれ」

「はい」



 キーボードに指を置いた。やはり指が動かない。文章が浮かんで来ない。

「駄目だ、何も思い浮かばない。やはりプロットを」

「ねえ、何を書こうとしてるの」

「警察ものかなやっぱり。初めてハマった小説シリーズが刑事もので……」

「あなた刑事だったことがあるの?」

「いいえ」

「そんなんで書ける? 最初は自分の身近なことから題材を選んだほうがいいよ」

「ですよね」



 健介は自分に何が書けるか考えてみた。すぐに一つ思いついたものがあった。

「野球」

「野球! いいじゃん好きだったよね」

「なんで知ってる」

「え? いやほらそこにバットが立てかけられているし」

 トモエは部屋の隅を指した。大学時代に野球サークルで使っていたバットがそこで埃をかぶっている。



 健介はパソコンに向き直った。一つ大きく息をついた。今度は指が動いた。拙いながらも文章が、展開が浮かんできた。



 五時間かかって、「ぼくのかんがえたさいきょうのやきゅうせんしゅ」が中軸打者として弱小校を甲子園に導いて、ドラフトにかかり弱小球団を日本一に導き、日本代表選手団に選出され日の丸を背負ったチームを世界一に導くという導き請負人ドラマを生み出した。

 原稿用紙十枚分の分量だった。読み返してみるとあっという間に読み終わった。二度と読みたくないと思わせる出来だった。



「できたじゃん、偉い」

 トモエはそう言って褒めてくれた。最後に他人に褒められたのは遥か昔のことだ。

「じゃあ、ブランチにしよっか」

 パソコンの時刻を見ると、まだ昼前だった。今日という日がまだたっぷり残っているのに、健介はくたくたに疲れていた。疲労感とともに、経験したことのない充足感があった。
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