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コンビニアルバイト健介

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 健介は無心でアルバイト先のコンビニのレジを打ちながら時間の過ぎるのを待っていた。ちらりと腕時計を確認すると16時50分を指していた。17時までのシフトなので後10分で帰れる。



 列ができる訳ではないが、レジに商品を持ってくる客は途絶えない。このくらいが退屈でもなく、忙しすぎでもなくちょうど良かった。

 仕事終わりの解放感が手伝って健介は愛想よく客を捌いていった。



 次のシフトの大学生がユニフォームをまとって出てきたので、商品を手に持ってレジに真っすぐ向かっている客を最後にあがることにした。



 その客は若い女性だった。健介にわかったのはそれくらいだ。普段から客の顔を見ているようで見ていない。悪質な客もしばしば現れるので、客のことは渋沢か、津田か、北里だと思うようにしろ。と芸人をやっている先輩から教わった。その先輩は諭吉、樋口、野口時代からの古株だ。



「お願いします」と言って女性が置いたのは歯ブラシと歯磨き粉、それに何枚かの下着だった。

 健介は不快に思った。男の所に泊まるんだと勘ぐったのだ。頭脳明晰スポーツ万能の自分はモテないのになぜ世の中の男はやることをやっているのだろうと恨んだ。



 健介は軽く首を振った。決めつけはよくないと思った。パンツを何枚も買っていることから、女子だけのお泊り会の可能性のほうが高いじゃないか。そう考えることにした。



 津田一枚分余りのお買い上げだった。女性は渋沢一枚を出した。皺ひとつないピン札だった。健介は折り目の付いた津田一枚とくすんだ色の小銭数枚を返した。「どうもー」と言って女性は去っていった。



 健介もバックヤードに下がりタイムカードを切ってユニフォームを脱ぎ捨てコートを着込んで退勤した、外は雪だ。

 そういえばさっきの女性客は寒そうな格好をしていたなと思い出した。だが、どうでもいいことだった。きっと近くに住んでいるんだろう。



 寒風が顔に突き刺さるように吹いてきたので健介はうつむいて歩き出そうとした。アパートは徒歩5分もないところにある。



「あの」と声をかけられた。顔を上げると上下ジャージの寒そうな格好の女性が立っていた。その女性は健介と目が合うとはにかんだように笑った。

「しばらく泊めてくれる?」

「は?」



 健介は思考停止した。しばらくそうしていたが、やがて顔を伏せて歩き出そうとした。聞かなかったことにしたのだ。

 女性の横を抜けようとしたが腕を掴まれた。

「ちょっと、なんで無視するの」



 健介は親切な人間だ。ベビーカーを押すママさんのためにコンビニの手動ドアを開けてやるし、荷物で手のふさがった宅配便の兄ちゃんのためにコンビニの手動ドアを開けてやる。

 たった一回キャバクラで遊んだのがカミさんにばれて部屋を蹴りだされた、先述の芸人の先輩を、仲直りするまで部屋に停めたこともある。



 だがそんなものとはわけが違う。見ず知らずの若い女性がいきなり泊めてくれと言ってくるなんて、今どき小説にもならないあり得ないことだ。



 健介はちらっと女性の顔を見た。好みのタイプだなと思ったがそれはそれだ。部屋に上げたが最後、怖そうな人たちに囲まれて、尻の毛まで毟られて、カニの密漁船に乗せられて、最期はオホーツクの藻屑になるに違いない。



 健介は女性の手を振りほどこうとしたがなかなかに力が強かった。

「ちょっと、やめてよ」

「うるさい、離せ」

 健介は捕まれている腕を思いきり下げた。するとしがみついていた女性が体勢を崩し、腕の上のほうを掴みなおそうとしたので、そのすきに体を捻ることにより脱出した。

 高校時代の球技大会の種目の一つの柔道に出るにあたって勉強した釣手を切るというテクニックの応用だ。



 健介はそのまま走り出した。

「待って、待ってよ」女性が叫びながら追いかけてくる。

 不摂生な生活のせいか、すぐに息が上がった。口が開いて、粘膜が外気にさらされ、かぴかぴになっていった。健介は人生で何度目かに禁煙を誓った。



 結局部屋の玄関ドアのカギを開けるのにてこずっているところを捕まった。女性は鍵穴に挿すところまでいっていた鍵を回しドアを開けてするりと中に入って、あろうことか中から鍵をかけてしまった。止める気力は残っていなかった。



 健介は慌ててカギを開けてドアを開けようとしたが、時すでに遅し、チェーンを掛けられていた。

「おい、どういうつもりだ。開けろ」

 半開きのドアから中に呼びかけた。

「泊めてくれるなら、開けてあげる」

「ふざけるな、警察呼ぶぞ」

「窓から逃げるだけよ。一階だもん。イタ電だと思われていいのかしら? おほほ」



 わざとらしい笑い声の前に健介は屈した。

「わかった。俺の負けだ。開けてくれ」

 ドアが閉じてカチャカチャと音がしてまた開いた。健介は城を攻め落とされて投降した武将のような気分で自らの部屋に入った。



「この真冬にコートも着ていない女の子を放り出すなんて信じられない」

 健介が座椅子に体を預けるなり、女性がぷりぷり怒り出した。

「なんでそんな格好なのさ」

 女性はわが物顔でパイプベッドに腰かけた。

「いいでしょ、別に。女の子のファッションに口出ししない」

 それはそっちがコートが云々言い出したからではと心がもやっとした。



「で? 君はどこのどなた?」

「トモエよ。あなたの親戚かな。25歳」

「ああそう、それはどうも。同い年だね」

 トモエなどという親戚に心当たりは無かった。付き合いのある親戚はいとこまでぐらいで、葬式で大おじや大おばと顔を合わせている程度だ。発言を信じるとすれば、こんなはとこくらいいるかもしれないなと思った。



「なるほどなるほど、この辺でしばらく用事があって俺を頼ったわけだ。合点合点。それならそうと言えば良いのに」

 健介はそういう絵を描いた。どんな事情であろうとすでに転がり込まれてしまっている。

「わけも聞かずに逃げようとしたじゃない」

 トモエは口を尖らせた。「わたしを見ればわかるかなって思ったし」とか「にぶいんだな」とかぶつぶつ言うのが聞こえた。申し訳ないが親類の誰にも似ていないと思った。



「仕事は? 何かやってんの?」

 どうでもいいことだが手拍子で聞いていた。健介の周りにはミュージシャンだの声優だのを志す人間が多かった。夢破れて就職していく者も多かった。そのせいか同年代と知り合うと職業を聞くようになった。

 自分と同じ半端者がいるとホッとしたし、まっとうに働いている者がいると焦りを生んだ。



 トモエは健介のデスクを指した。埃をかぶったノートパソコンと大学ノートとボールペンが乗っている。健介が首を傾げると「小説家よ。東京には取材で来たの」と言った。
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