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1章
彼女との距離が近付いたように感じた一日、それでも彼女はいつもと変わらない
しおりを挟む「立花くんに、如月さーん! 今日は来てくれてありがとー!! またねー!!」
店を出てから少し歩いたところで、弥生さんの声が聞こえたので振り返ると、彼女が満面の笑みを浮かべて手を振っていた。
時折、その場でぴょんぴょんと跳び跳ねつつ、僕らに向かって精一杯の感謝を伝えている弥生さんの姿を見て、僕はちょっとだけ苦笑してしまう。
僕もそんな彼女に向けて小さく手を振り返す。それからまた如月さんと共に歩き出したのだった。
そして店を後にしてから少しして、二人で並んで歩いていた際に、隣にいる如月さんが僕に声を掛けてきた。
「……ねぇ」
「ん? えっと……どうかしたの?」
「蓮くんは、さっきの人と仲がいいの?」
「えっ?」
「随分と親しそうだった」
「あー……うん、まあ……あれは……」
如月さんの問い掛けに対し、僕は少し言い淀んでしまう。正直なところ、僕にもその辺りは良く分からなかったりする。
親しいのは親しいのだけれど、ただ、それは弥生さんだけの話だ。彼女から話し掛けてくるぐらいで、僕から話し掛けるようなことは無かったりする。
考えてみれば、弥生さんとはこれまで三回ぐらいしか会話を交わしていない。あの距離感だから勘違いをしてしまいそうになるけど、それほど彼女との接してきた時間は長くはない。
それに弥生さんは相手が誰だろうと親しみを込めて接するようなタイプだし、そういう意味では誰とでも仲良くなれるような性格をしていると思う。
だから、僕が弥生さんと特別に親しくなったという訳ではないはずだ。あくまでクラスメイトとして、彼女からすれば友達として、普通に接してくれているだけなのだから。
……決して、僕だからという訳では断じて無い。絶対に。
「弥生さんとは、ただのクラスメイトでしかないよ」
「そうなの?」
「そうだよ。弥生さんは優しいから……僕みたいなのが相手でも、親しくしてくれるだけだから」
「……そう」
如月さんはそう呟き、それ以上は何も言ってこなかったので、僕もこれ以上のことは口にしなかった。
そしてそのまましばらく歩いていると、如月さんが不意に立ち止まった。
「蓮くん」
「ん?」
「私……この辺で帰る」
「あ、そうなんだね。分かったよ」
如月さんがそう言うので、僕もそれに合わせて立ち止まる。すると、彼女は僕の顔をしっかりと見つめた上で、こう続けた。
「今日は付き合ってくれてありがとう」
顔を少し傾けつつ、彼女はいつもの口調でそう言った。僕はそれに対して首を横に振って答える。
「う、ううん、僕の方こそ……今日は一緒にいてくれてありがとう。とても、楽しかったよ」
僕がお礼を言うと、彼女は少しだけ口元を緩めたような気がした。でもそれは一瞬のことで、すぐに元の表情に戻ってしまったけれど。
そんな如月さんの表情を見て、僕は恐れ多くもこんな想いを抱いてしまった。もう少しだけでもいいから、彼女と一緒にいたいと。
せっかくの休日であり、まだ日も落ちていない。それなのに、彼女ともう別れてしまうということを考えると、何だか無性に寂しく思えてしまった。
このまま家に帰ってしまえば、次に如月さんと会えるのはいつになるだろうか。多分だけど、連休中にはもう彼女と会える機会は無いと思う。そうなれば、次に会えるのは休み明けの学校でとなる。
そもそも如月さんがこうして僕と休日を過ごしてくれているのも、僕に対するお礼という名目があってのことだ。そうでなければ、人付き合いを嫌う彼女がこうして休みの日にわざわざ僕と過ごしてくれるなんて思わないから。
本当は一人で黙々と山に登って落ち着いた時間を過ごし、誰とも会話を挟まずにゆっくりと食事を済ませたかった。なんて想いが彼女の中にあるのかもしれない。そんな如月さんが理想とする世界に、僕が土足で踏み込んでいるような気がしてならない。
如月さんが僕に求めている役割はただの鳥よけでしかないのに、僕のやっていることは、彼女の時間を邪魔する侵略者である。求めている役割を全くこなせず、逆に彼女が迷惑に思っている周りの存在と同じことを僕はしてしまっているのではないか。
そう思うと、途端に申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまう。僕は如月さんに迷惑を掛けていないか、彼女の邪魔をしてはいないか、そんな考えが頭に浮かんできてしまって、胸が苦しくなってしまう。
それでも、僕は……如月さんと一緒に居たいと思ってしまう。彼女が好きだから……彼女に少しでも近付きたいと、そう思ってしまうのだ。……でも、それは僕の我儘であって、如月さんには関係ないことだ。
だからこそ、この場で正しい選択肢としては、このまますんなりと如月さんと別れて帰ることなのだろう。それは十分に分かっている。彼女を一人にさせて、快適な時間を過ごして貰うのが一番だ。
……だけど、気付けば僕の口は勝手に動いていた。まるで誰かに操られているかのように口が動いていく感覚を覚える。僕は自分の意思とは関係なく言葉を発していた。
「あ、あのさ!」
「……なに?」
如月さんは相変わらず淡々とした様子で、しかしいつも通りの表情で僕を見つめていた。僕はそんな彼女の瞳を真っ直ぐに見つめ返しながら、口を開く。
「その、良かったらなんだけど……もし良かったら、送って、いこうか?」
「え……?」
如月さんは驚いたような表情を見せた。まさかそんなことを言われるとは思っていなかったのだろう。
僕だってこんなことを言うつもりはなかった。本当ならここでお別れして、僕は家に帰ろうと思っていたのだから。
それなのに、気付いた時には僕は如月さんを家まで送ると申し出ていた。それも自分でも驚くぐらいの勇気を振り絞って、声を絞り出して言ったんだ。
正直、断られたらどうしようかと不安だった。如月さんなら断る可能性だってあるかもしれないから。僕はそれが怖くて堪らなかったけど、それでも言ってしまった以上はもう引き下がれない。
心臓がバクバクと脈打っているのが分かるし、掌にはじっとりと汗が滲んでいるのを感じる。緊張からか手足の先が少し震えているような気もするけれど、今はそんなことどうでもいい。
とにかく、如月さんの返事を聞くまでは気が気じゃなかった。一体どんな返事が返ってくるのか……それを想像するだけで恐怖心が芽生えてくる。もしかしたら嫌われるかもしれないと思うと、それだけで泣きそうになった。
そうして暫くの間、沈黙の時間が続く中、やがて如月さんは口を開いた。
「どうして?」
「えっ……」
「どうして、私を送ろうと思ったの?」
「そ、それは……」
改めてそう聞かれると困ってしまう。確かに言われてみればそうだ。何故僕はこんなことを言い出したのだろうか? 自分で自分が分からない。いや、分かってるんだけど、分かりたくないだけなのかもしれない。
「私が、心配だから?」
「えっ……」
僕が答えられずにいると、如月さんは続けてそう言ってきた。その言葉に対して、僕は何も言えなかった。
「それとも、何か別の理由があるの?」
「い、いや……そういう訳じゃ、ないんだけど」
「そう」
如月さんは短くそう呟くと、再び黙ってしまった。相変わらず何を考えているのか良く分からない表情のまま黙り込んでいる。
僕もまた何を言えばいいのか分からず、無言のまま立ち尽くしているしかなかった。お互いに黙ったまま時間だけが過ぎていく。
そしてしばらくしてから、ようやく如月さんが言葉を発した。
「……別にいい」
「……えっ?」
「別にいいよ」
如月さんが発した言葉を受けて、僕は喜んでいいのか、それとも残念に思うべきなのか、判断に困った。彼女が発した言葉は、果たしてどちらの意味で言っているのだろうか。
僕の提案を受け入れてくれたのか、それとも必要が無いと言っているのか。それが分からない以上、反応をすることは出来ない。変に勘違いをして反応してしまえば、彼女は困惑するだろう。だから僕は、続く言葉を静かに待った。そして―――
「……私は大丈夫だから、一人で帰れる」
返ってきた答えは拒絶であった。つまり彼女は僕を頼るつもりはないということだ。僕が提案したことを拒否して、一人で家に帰るつもりらしい。僕なんかの力はいらないのだと、彼女は言いたいようだった。
「……そっか。ごめんね、変なこと言って」
「……」
僕が謝ると、如月さんは何も言わずに踵を返した。そのまま僕に背を向けると、そのまま歩き出してしまう。
「じゃあね、また学校で」
僕は最後にそれだけ言ってから、彼女に向かって手を振った。すると、彼女も一度だけ振り返ってから―――
「うん、またね」
と、そう言って小さく手を振り返してくれたのだった。それから彼女は振り返ることなく歩いていくと、そのまま曲がり角へと消えていった。僕はそれを見送ってから、踵を返す。そして自宅へと向かう道を歩き出した。
さっきまではあんなに楽しかったのに、今は凄く寂しい気分だ。……きっと、一緒にいられる時間が終わってしまったからだ。
せっかく如月さんと楽しく過ごせたと思っていたのに、結局はこんな感じに終わってしまった。少しは彼女に近付けたと思ったのに、それでも彼女はまだ遠い存在だった。
……もっと、仲良くなりたいなぁ。もっともっと、彼女と親しくなってみたい。そう願わずにはいられないけれど、それは叶わぬ願いだと知っている。如月さんからすれば、僕は偽りの存在で、偽物の関係なのだから。
だから、僕はこの想いを胸の奥底に仕舞い込むしかない。こんな感情を彼女にぶつけてしまったら、その時はきっと……彼女とのこんな関係は終わるだろうと思う。
僕はただ、如月さんと一緒にいる時間を楽しめればそれでいい。それ以上は望まないし、望んじゃいけない。だから、せめて……今だけはこの時間を大切にしよう。
僕はそう心に決めると、空を見上げた。雲一つない青空が広がっていて、太陽の光が眩しい。僕が抱える気持ちなんて知らないとばかりに、燦々と輝く太陽は眩しかった。そんな在り方は、どこか僕にとっての如月さんと似ている気がした。
そんな太陽の日差しを手で遮りながら、僕は帰り道を進んでいく。いつもと変わらない風景を眺めながら歩いているはずなのに、いつもよりも違った風に見えたような、そんな気がしたのだった。
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