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1章

運ばれてきた料理と衝撃のマーボー

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 そして注文してからしばらくして、弥生さんが両手でお盆を持ち、その上に乗せた料理を僕たちが座るテーブル席へ運んできた。

「はーい、お待たせー。とりま、如月さんの方からね。辛さが激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリームの麻婆豆腐定食でーす。熱いから気を付けて食べてねー。はい、どーぞー」

「ありがとう」

 そうして弥生さんは如月さんの前に麻婆豆腐定食を置き、それを見た如月さんがお礼の言葉を口にしていた。

 僕はその、如月さんの目の前に置かれた料理を見て、思わず息を呑んでしまう。何故ならそれは、麻婆豆腐と言うにはあまりにも禍々しい見た目をしていたからだ。

 まず目を引くのはその赤さだ。もう真っ赤である。これでもかというぐらいに唐辛子がぶちまけられた真っ赤な色をしている。僕が今まで見てきた麻婆豆腐の中でも、これほどまでに赤いものは無いのではないだろうか?

 そんな真っ赤なマグマのような餡の中に見え隠れするのはひき肉と豆腐。そしてその上には香辛料がたっぷりと振りかけられていて、さらに色味として葱が添えられている。その様相はまさしく地獄の炎を連想させるような代物だった。

 極めつけはその匂いだ。普通の麻婆豆腐なら食欲を掻き立てるような刺激的な香りがしてくるけど、如月さんが頼んだ料理からは鼻をつんざくような強烈な匂いが漂ってくるのだ。

 ……何だ、この料理は? 本当に食べられるものなのか? そんな疑念を抱いてしまうほどの異臭と忌避感を放つ物体を前にした僕は、恐怖のあまり身体が震え始めてしまう。

 麻婆豆腐の周りに置かれた白米やサラダやらが普通の見た目をしている分、それが余計に恐ろしさを駆り立てているとも思えた。僕だったら絶対に食べたくない。

 そんな僕とは対照的に、如月さんはとても目を輝かせながら、目の前の料理を視覚と嗅覚だけでも楽しんでいるようだった。こんな劇物を前にして、良くもそんな感情になれるものだと僕は思ってしまう。

「美味しそう……」

「あははー、そう言ってもらえるのは嬉しいねー。けど、無理はしないでよ? 大の激辛好きでもヤバいって言うぐらいの辛さだからさー」

「大丈夫。問題ないから」

「……そう? まぁ、それならいいけど」

 そして如月さんはお盆の上に添えられていた蓮華をその手に持つと、目の前の劇物に目掛けて差し込んだ。

「……いただきます」

 如月さんは一言そう言うと、レンゲを使って掬い上げたその中身を、口元へと運んでいく。そして、そのまま口の中に放り込むと、咀嚼するように口を動かした。

 僕はその様子をじっと見つめていた。如月さんはいつもと変わらぬ無表情のまま、静かに味わいながら食べているように見えた。

 しかも、こんなにも辛そうな見た目をしている料理を食べているというのに、彼女は汗一つかいていないどころか、涼し気な感じで食べているのだ。一体どういう神経をしているんだろうと思ってしまうほどである。

 やがて、如月さんはゆっくりと口を開いた。

「……うん、美味しい」

「え、えぇ……」

 僕は目の前で起きている光景に愕然としてしまう。激辛麻婆豆腐を涼しい顔で食べる如月さんの姿が信じられなかったからだ。

 あんなものを平然と食べられるなんてどうかしてるとしか思えない。というかそもそも、あれは本当に食べ物なのだろうか? 僕にはどう見ても毒にしか見えないんだけど……。

 そんなドン引き気味の僕を置いて、如月さんはどんどんと激辛麻婆豆腐を食べ進めていく。その姿はまるで何かに取り憑かれているかのようで、僕の目には不気味に映った。

「はいはーい! じゃあ、こっちが立花くんの分だよー。辛さまじおこの、普通のレベルねー」

「あ、ありがとうございます……」

 そして如月さんの様子を見て呆然としていた僕の元に、弥生さんが僕の分の料理を持ってきた。目の前にそっと置かれた麻婆豆腐定食は普通の見た目をしていて、これぞ麻婆豆腐といった感じがしている。そして漂ってくる香りも食欲を刺激するようなものだった。

 如月さんが食べているものに比べれば、普通に美味しそうに見える。これなら僕でも食べられそうだと思った。

「じゃあ、ごゆっくりどうぞー」

 そしてそう言い残して、弥生さんは笑顔を浮かべながら手を振りながら去っていくと、厨房の方へと戻っていった。僕はそれを見届けた後、早速自分の目の前にある食事に手を付けることにした。

「い、いただきます」

 僕は手を合わせてからそう言った後、蓮華で麻婆豆腐を掬って口の中に入れる。すると舌の上で感じたのはピリッとした痺れるような辛みだった。しかしそれは一瞬のことで、すぐにその風味豊かな味が広がってくる。

 どうやらこの料理には香辛料以外にも山椒などの複数のスパイスが使われているようだ。それによって複雑な旨味を生み出していて、辛いだけではなく美味いという感想が出てくるほどだった。

 そんな素晴らしい味を堪能しつつ、今度は白米と一緒に一口食べた。すると、ご飯の甘みと混ざり合い、更なる美味しさを引き出してくれる。

「お、美味しい……」

 うん、普通に美味しい。というか、すごく上手い。これだったら、いくらでも食べられる気がする。それぐらいに美味しかった。

 如月さんが食べている料理を見てしまった分、料理に対するハードルが上がってしまったけど、これは文句無しに良い出来だと思う。少なくとも僕の中では満点に近い評価だ。

 そんなことを思いながら黙々と食べ進めていくが、僕は途中で手を止めて如月さんの方に視線を向けた。

 彼女は相変わらずの無表情で劇物を口にしている。顔色も全くといって変わっていない。そんな様子を見てか、僕はこんな風に思ってしまった。あの、麻婆豆腐……見た目はそうでも、案外と辛くは無いのかもしれない、と。

 そう思い始めると、急に興味が湧いてくる。果たして、僕の口に合うのだろうか? もし合わなかったらどうしようか。そんなことを考えながら見ていると、僕の視線に気が付いたのか、彼女がこちらを向いた。

「どうしたの?」

 蓮華を片手に、如月さんは首を傾げつつそう聞いてくる。

「いや、別に何でもないんだけど……」

 僕はそう言いながら、彼女の手元にある麻婆豆腐に目を向ける。

「それ美味しいのかなって、ちょっと思っただけで」

「すごく美味しい」

「そ、そうなんだ……すごいね、ははは……」

 僕は苦笑いを浮かべるしかなかった。だって、あんな劇物を平気で食べてるんだから。もしかしたら味覚音痴なのかもしれない。そう思ったけど、さすがにそんなことは言えないので口を噤んだ。

「もしかして、蓮くんも食べたいの?」

 すると、僕が苦笑いをしていたからか、彼女は少し不思議そうな顔をしながらそう聞いてきた。

「え?」

 その言葉に僕は驚いてしまう。まさかそんな事を聞かれるとは思っていなかったからだ。

 そして僕が言葉を返す前に、如月さんは蓮華で激辛麻婆豆腐を掬うと、それを僕に差し出してきた。

「はい」

「えっ!? いや、いいよ!」

 僕は慌てて拒否した。確かに興味は引いていたけど、いくら何でも、これを食べられる気はしない。

「遠慮しなくていいから。ほら、あーん」

 しかも、まさかの『あーん』案件!? いやいやいや、勘弁してくれ! 僕は心の中で叫んだ。いくら何でも、そこまでして貰うわけにはいかない。そう思って必死に断ろうとしたけど、如月さんは僕に向かって麻婆豆腐を突き出すようにしてくる。

「いいから、早く」

「で、でも……」

「口開けて」

「うぅ……」

 如月さんは引く様子を見せない。僕はそんな彼女の様子を見て、覚悟を決めた。

「……あ、あー」

 僕はゆっくりと口を開く。そして、如月さんはそこに蓮華を差し込んできた。

「んっ!?」

 その瞬間、口内に広がる刺激的な辛みに思わず声が出てしまう。まるで口の中が爆発したような、そんな感覚がする。それと同時に襲ってくる痺れるように突き刺してくる痛み。それがあまりにも強烈過ぎて、涙が出そうになる程だった。そして同時にやってくる何とも言えない不快感。

 それを少しでも和らげようと水の入ったコップを手に取り、ゴクゴクと勢いよく飲み干していく。しかしそれでも完全に消え去ることはなく、むしろ悪化しているような気がした。

 あまりの辛さに悶絶しそうになるのを何とか堪えながらゆっくりと呼吸をすることで落ち着きを取り戻す。それからようやく目を開けてみると、そこには変わらず美味しそうに激辛麻婆豆腐を食べる如月さんの姿があった。その様子を見ていると、やはり自分は間違っていなかったのだと確信出来た気がした。

「……どうだった?」

 僕が落ち着いた様子を見計らってか、如月さんが感想を求めてそう聞いてきた。そんな彼女に向けて返す言葉は決まっている。僕が言うべき言葉はこれしかなかった。

「か……」

「か?」

「辛過ぎて……無理……」

 痛みと痺れでどうにかなりそうな口をどうにか働かせて、如月さんに向けて僕はそう答えた。

「そう……」

 それを聞いた如月さんは残念そうに肩を落として、残念そうな表情を見せる。この辛さが共感出来なかったことに対する落胆なのだろうか。

「ご、ごめんね……せっかく分けて貰ったのに……」

「別にいい」

 如月さんはそう言うと、再び食事を始めた。そのスピードは先程よりも早い。

「あ、如月さん。ゆっくり食べないと体に悪いよ」

「大丈夫」

 如月さんはそれだけ言うと、また麻婆豆腐を食べ進める。僕は心配になりつつも、自分の食事を続けることにした。

 そしてそれからの食事は特に会話も挟むこともなく、静かに進んでいった。だけど不思議と気まずい雰囲気になることはなかった。

 お互いに気を遣わず、ただ淡々と食事をしているだけだというのに、居心地が良いというか何というか……とにかくそんな感じだった。

 だからだろうか、この時間はあっという間に過ぎ去っていったように思えたのだった。


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