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1:共食い法案

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「いや、やめて……」

 けたたましいサイレンの鳴り響く中、銀行員の女性は左足を撃たれて床をはいずっていた。
 お金と貸金庫の貴金属をバックに詰めて、犯人に渡したのに……

「うるせぇよ、黙ってろ……」

 撃ったのは粗悪な模造銃から硝煙をたなびかせる覆面の男、くぐもった声は明らかに苛立っていた。

「SOSのスイッチなんか押しやがって……しかたねぇなぁ……てめえで遊んでから牢屋でバカンスしておこうか……ガキができるかどうか楽しみだぜ」

 ぽい、と密造銃をリノリウムの床に放り出してぎっしり金と貴金属が入ったカバンを放り捨てる。
 その隣には額から血を流し、首に足跡をつけた銀行員の男性が物言わぬむくろとなって虚空こくうを見つめていた。
 他の従業員が我先にと逃げる中、人質となった恋人の為に犯人の眼をかいくぐり通報ボタンを押す……代わりに自らの命が奪われたが……。

「お願い……」

 もぞもぞと、男が何をするか予想のついた女は激痛にさらされている足を必死に動かし……男から距離を取ろうとした。
 しかし、腰が抜けて内股をかばおうとする仕草が男の劣情れつじょうを誘う結果にしかならない。

「ちょっと歳がいってるが……締りはどうかなっと!」

 男は勢い良く女性のお腹を踏みつける。
 硬い軍用ブーツの裏が無遠慮ぶえんりょえぐった。
 
「がはっ!」

 こみ上げる胃液の酸っぱさに涙を浮かべ……丁度、恋人に向いた視線。
 その彼の前で、彼女は絶望を味わうのを悟る……。


 ――キンコン!


 夜間銀行の受付口のインターフォンがサイレンの音に交じり銀行のロビーに、覆面の下の笑顔がゆがんだ。

「……状況見ろよ馬鹿が」

 ほんの少し、気分はそがれるが……どうせ銀行にすぐには警察は踏み込めない。
 その間に楽しんで、自分たちが護るべき一般市民の艶姿あですがたを警官に晒してから捕まろう。
 どうせ捕まれば、しばらく……もしくは一生。
 日常へは戻れない事が決まっていた。

 「さて、と……先ずは下から脱がせて……」

 身をかがめ、男は女性のスカートに手をかけ思い切り引きちぎる。


 ――キンコン……キンコンキンコンキンコンキンコンキンコンキンコンキンコンキンコンキンコンキンコンキンコンキンコンキンコンキンコン!


 今度はしつこいぐらいに主張を始めたインターフォン。
 流石にこれ以上鳴り響かれたら立つものも起たない……仕方なく男は女の顔を蹴り、逃げるなと言い含めて銀行の奥にある外との通話用受話器を取る。

「お楽しみ中だ、後にしろ」

 にべもなく言い放つ。
 しっかりと防弾シャッターが閉まり、外部との行き来が不可能になった銀行内にはどうせ入れない。
 だからこそ、取り囲む警察官どもは馬鹿みたいにサイレンを鳴らし……自分から開けさせようと騒いでいた。

「え!? 僕も遊びたいなぁ! あそぼうよ!」

 明らかに不自然な電子音が混じる声が警戒に応える。
 その声に、男が受話器を戻す手を止めた。
 不可解な返答であることは間違いない……思わずもう一度受話器を耳に当て怒鳴りつける。

「取り込み中だ!! 他に行け!!」

 おそらく同業者、こんなに堂々と乗り込んでくるなんて頭がどうかしているが……面倒くさい事になったのは分かった。
 勢いよく受話器を床に叩きつけて、ぐしゃりとブーツで踏み壊す。
 こうなったらさっさとヤル事を済ませて……そう思い女の元へ戻ろうとした背に……。

 ――ギィィィィイィィィィィイイイィィイィン!!

 甲高いエンジン音とギャリギャリと何かが回る金属音がサイレンを上回る。
 
「まさか……」

 銀行の受付の中に並ぶモニターを一つ一つ確認して回る男の眼に、何個か目のモニターが答えを返す。

 そこには……4分割の監視カメラの画像が映っていて。
 左上は真っ赤な池にパトカーが沈む画面。
 左下には今回の強盗の仲間であろう人物の右腕や、頭部、中身と眼球が散乱する玄関……。
 右上は失禁して腰を抜かす警察官や、野次馬だろうか? 右腕をもぎ取られ、けたたましく笑い声をあげて狂乱する老婆……。

「……くそ……やべぇ」

 そして、最後の一画面には……チェーンソーを振りかぶる。

「クリミナルだ……」

 にこやかな笑顔のメイクを施して、血で全身を飾り立てたピエロが居た。


 ――ギィィイイイン!


 金属製の防火扉を火花を散らしながら切り開こうとするチェーンソー。
 癇に障る金属音がどんどんどんどん扉を削り、割き……

「くそ! 無理やりこじ開けるつもりかよ!!」

 急いで女の元へ戻り、乱暴に金色の髪を掴んで男は叫ぶ。

「おい、どこか出れる所はねぇのか!」

 ひぃ、とか細く悲鳴を上げて涙を浮かべる女は震える指を一生懸命ATMコーナーの奥を指す。
 
「あ、あそ、あそこに……避難扉が、もしかしたら出れる。かも」

 火事などの際、スライド式になっている壁を開くと薄い外壁を破って脱出できた。
 先日も避難訓練があったからはっきりと覚えている。

「こい! 出れたら殺さない!」

 無理やりそのまま引きずる男の背後で、とうとう貫通したチェーンソーの刃が顔を出した。
 もう何分も持たないだろう。

「あぁーそぉーばぉー!」

 ノイズ交じりの合成音声が男と事態を理解できない女に届いた。

「なに……あれ」

 チェーンソーがゆっくり引かれ、真っ赤なまだら模様の手が隙間から差し込まれる。
 その手が少し迷う様に鍵のノブを探し当て、かちゃりと軽い音を立てて開いた。

 外からの開錠は難しいが、中からは簡単。
 そして……ゆっくりとドアノブが回り……暗がりのドアの隙間から……。

「あー……そー……ぼぉぉぉ」

 ピエロが顔をのぞかせる。
 のそり、と右手に血の付いたチェーンソーと左手に女性の下半身だけを引きずって……満面の笑顔でピエロは銀行強盗の男と涙を浮かべる女性を睥睨へいげいした。

「な、にあれ……」

 ピエロの張り出たお腹から滴る紅い液体。
 でたらめな色彩の水玉の服は歪に中のものの輪郭を浮かばせていた。

「腹の中に……斬った生首とか入れてんだよ……なあ?」
「せぇーいかぁぁぁぁい! ごほうびあげるねっ!」

 ピエロは満足そうに左手を振り上げ男に向かってそれを投げる。

 ――どちゃっ……

「ひっ!」

 無理やり割かれた酷い状態の女性の下半身が目の前に降ってきて、銀行員の悲鳴がこぼれる。

「趣味わりいぜ……」
「何してあそぶ? 何してあそぶ?」

 その場でどったんどったんとステップを踏む度に、腹や、ズボンのポケットから戦利品代わりの人体だったパーツが転がり出てくる。

「人形遊びなんてどうだ?」
 
 銀行強盗の男はひりつく喉の不快感に耐えながら、ピエロに提案した。
 下手に刺激すると間違いなく殺されるので、必死に頭を働かせてこの場から逃げるための最善策を実行する。

「おままごとぉ?」

 左手の指を口元に持って行き、首をかしげるピエロに向かって男は女の背を蹴って押し出した。

「あうっ!?」

 抵抗などできない女性は背中の痛みに耐えながら、そのピエロを仰向けに見上げる。
 
「おにんぎょう?」
「ああ、そうだ、それで遊んでろ!! あばよ!」

 踵を返し、男は避難口へ一目散に駆けだすが……

「そっちがいいなぁ」

 右手をくるりと回し、チェーンソーのエンジンを再起動させるピエロ。
 それでも男に勝算はあった。
 すでに出口は目の前、一部分だけ色が違う場所がそうだろう。
 体当たりで突き破ればいい。

 振り返らずに、チェーンソーの刃が回る甲高い音を背に肩を押し出すようにタックルが……できなかった。

 ――ぞくん

 ごしゃり、と男の左鎖骨が回転刃に喰われる。

「あ?」

 顔にかかる自分の血と機械油の匂いに茫然としながらも、左肩を見ると……肉が抉れてピンク色の中身をさらし。
 自らの骨が覗いている。

「まーわれっ! まわれまーわれっ!!」

 ――ぎゅいんんん!!

 手元の部分、回転歯を回すスイッチだけがピエロの手の中に納まっていて……細いケーブルが男の肩へ食らいつくチェーンソーのエンジン部分につながっていた。

「やめ……」

 ――ぶちん

 ころころと、冗談の様に転がる頭部と噴水の様に噴き上げる血しぶきに……ピエロは手を叩いてはしゃぐ。
 命を奪う事に何の引け目もない……銀行員の女性も今起きている事が整理できずに冷たくなった恋人へすがるように手を伸ばす。

「あーそーばー!」

 ぐしゃりとピエロはそんな彼女のしなやかな手を踏みつぶした。
 昨日まで、ただただいつものように暮らしていた日常をあざ笑うかのように……

「やめろ……民間人だ」

 開いた夜間金庫のドアからかかる男の声……その制止はピエロの様子を激変させる。
 ガタガタと目に見えるほど震えだし、そおっと女性の手から足を上げた。

「こ、殺さないよ……遊びたかっただけだよ」
「どうだかな……表は片づけた。目的のゴミはどうした?」
「く、首が取れたけどあそこにあるよ! そ、そっちの男は僕じゃない!!」
「……見ればわかる。なら帰るぞ」

 ドアから顔だけを出し、ちらりと倒れた銀行員の女性と、息絶えた勇敢な銀行員の男性を一瞥したのは左目に頬までかかる大きな傷のある男性。

 その表情は点滅する非常灯の赤で塗りつぶされてはっきりとはうかがえない、でも。
 ピエロを止めてくれた礼だけは……。
 少しだけ理性が戻る女性銀行員に、ピエロは……

「顔を見るな、殺されるよ」

 震える声で制止する。

 びくり、と肩が跳ね上がり……女性は視線を明後日の方へ向けた。
 否、向けられた。

「マッドファンサ……何をもたもたしている。殺すぞ?」
「お、おもちゃを拾ってただけだよコンクヴィト!! すぐ行く! すぐ行くから!!」

 慌ててマッドファンサはチェーンソーを回収し、あれだけ陽気に歩いていたのは何だったのかと言う位……慌てて男の元へ向かう。

 女性銀行員は……それから警察が同じドアから突入するまで、茫然ぼうぜんとへたり込んでいたのだった。



 ◇◆―――◇◆―――◇◆―――◇◆



「何人殺した」
「さ、三人」
「…………みせろ」

 無言でコンクヴィトと呼ばれた黒ずくめの男が銀行から出た直後、マッドファンサの服を捲り上げる。
 あらわになったのは……

「三人……銀行の中で一人だから一つ頭が多いように見えるのは気のせいか?」
「た、たまたまそこにいたんだ!! 信じてくれよ!! 俺は悪くない!!」
「……そうだな、お前は悪くない」
「こ、コンクヴィト……」

 真っ青な顔から一転、マッドファンサの表情が安堵に代わる。
 とにかく厳しい決まりの中、たまたま……好みだった顔の女が居たから殺して犯した。
 それ位のご褒美は許される、そういう風に周りだってこっそりやっている。

 自分のコントロール外のもので死なせてしまった場合はこの拘束具ストレイトジャケットは反応しない。
 その裏をかいただけだ。

「上手くやったな?」
「へ、へへ……チェーンソーの跳ねる方向までは普通は把握できないから……それで跳ねさせたんだ」
「それで、殺せたのにお前は死なないんだな。この情報を売れば、また釈放が早まる……感謝する」
「へ?」

 ごり、とピエロのお腹に突き付けられるのはコンクヴィトの拳銃。
 いつの間にか開いていた右手で腰のホルスターから抜いていた。

 そして、表情一つ変えずに引き金を引く。

「じゃあな」

 ――ダン!! ダン!! 

「がはっ!」

 至近距離で二発、ただ撃っても同じクリミナル同士は拘束服が邪魔をして防いでしまう。
 だから、基本的に肌が露出するのを本人達はとても嫌がる。

「二流、一つ教えてやる……」

 血の気が引いて、涙でメイクがぐちゃぐちゃになるマッドファンサにコンクヴィトはそっと囁いた。

「悪党に仲間意識を持った時点で……お前はゴミと一緒だ」
「いや、だ……」

 コンクヴィトは無造作にマッドファンサを蹴り倒し、腰のポーチに入れた連絡用端末を操作する。
 ほんの少し、タイムラグがあった後……呼び出し音が切り替わって男の声が流れ始めた。

『終わったか』
「ああ……マッドファンサが死んだ。民間人を殺したから処分した」
『拘束服か?』
「いや、条件の抜け道がある……買うなら教える」
『収容所へ戻れ、そこで話を聞く』
「わかった」

 おそらく警察の増援だろう、銀行の裏手からでも表通りの赤色灯とサイレンが確認できる。
 そんな慌しくなりそうな雰囲気を察して、予定されている回収ポイントへ歩いて向かった。

「通信終わる」

 プツッ、と通話を切り……コンクヴィトは何事もなかったかのようにマッドファンサの死体を放置する。

「待ってろ……いつか自由になるために……出てやる」

 深まる闇の中へ歩きながら。
 咎人は檻の中へと還る。

「クリミナル・ロウブレイカー法案。うまいことを考えたな……善良な市民。それがお前らの首を絞める日が……楽しみだ」

 対重犯罪者用に使われる犯罪者。
 どちらが死んでも困らない、理想的な構図に……彼ら本人達は自虐交じりにこう呼ぶ。

 共食い法案と。



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