前日譚編

灰色サレナ

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とある剣客とその弟子

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「ふむ、今日は中秋の名月か」

 ひんやりとした板間に腰かけ、窓の外を見上げるとそこにはまん丸の月が浮かんでおった。
 珍しくも雲一つない。

「月見の団子一つ用意もできぬとは、儂は本当に無作法じゃのう」

 思えば年末年始もお盆もかなり適当に取り繕ってしまった。

「ご安心を師父殿、ちゃんと午前中に作ってありますのでこの後お月見といたしましょう」

 そう、今やすっかりこの愛弟子に頼り切っておる。
 毎日三食、バランスも良く儂の好みを熟知したご馳走を用意し。手入れを怠っておった家の隅々までを毎日欠かさず掃除して……。

「何せ今日は師父を超えて……妻になるのですから。お祝いです」

 いつの間にか周囲全員に儂の妻と認識されておるほどに。

「う、うむ。あのな? 楓よ……これ、必要なのかの?」

 ぺたん、ぺたんとついさっき磨いた道場の床を楚々と歩み寄る愛弟子に聞く。
 
「洞爺さんが出した条件ですから」

 月明かり差し込む道場に立つ楓の姿は美しい、軸もぶれず髪を結い、その手に傷だらけの木刀を握っておらなければな!?
 儂、そんなこと言ったっけ? なんかもう歳のせいにでもしてなかったことにしたいのじゃが。

「ちゃんと、ちゃんとこの十年間。神楽一刀流を学び……貴方に並び立つと決めて、やっとこの日が来ました」

 あ、うむ。
 今朝は驚いたぞ? なぜかお主の幼馴染である牡丹が突撃してきて『青田刈りの洞爺殿、さあこれにサインを』とかぬかしおったから。条件反射で儂思いっきりぶん殴ったけど生きとるじゃろうか?

「母親から承諾ももらいました」
「……父親、儂の一番弟子であるあやつは?」
「きっと草葉の陰で喜んでいます」
「さよか……逝ったか」

 ちなみに死んではいないが一昨日全身打撲と三か所の骨折で入院した後、一番弟子(楓の父親)からは『早まるイコール死、お師匠様おーけー?』と余裕たっぷりのメールが届いたのじゃ。
 儂が楓に負けると思っとる……ちょっと心が寂しくなったのじゃ。

「やっとこの日が来ました……洞爺さん。お覚悟を」
「なあ楓よ……そのセリフさっきから『おとうさんのかたきぃ!!』みたいな感じで儂、討たれるフラグなんじゃが」
「気のせいです」
「気のせいですか」

 だめじゃ、楓の瞳の中がもうハートマークで一杯じゃこれ。
 もう表情なんか口角ヒクついてにやけ顔だか痙攣か判別つかんほどじゃし、ハチマキ巻いて髪を結っておるが結び目おでこ側になっておるし……一言でいえばいったん落ち着こう。

「さて、洞爺さん……語らうのは夫婦となった後しっぽ……ゆっくりと」
「まて、今過程をすっ飛ばしかけたな?」
「ゆっくりとお月様を見ながら……ムーンライト、ノクターン……ぐへへ」
「遅かったか、桃色に染まっておる」

 まあ、目の前にご褒美がぶらさがっとれば人間だれしもこうなる。
 楓はうむ、十年の積み重ねでちょっと抑えきれておらんだけで今まで完璧に隠しきれておったからな。大目に見るとしよう。
 それに……腑抜けておればこの一太刀で終わりじゃからのう。ゆっくりと立ち上がり、右足を引き、右手の逆手に携えた木刀へ左手をそっと添える。ただそれだけでいい……そもそも構えなんぞ無駄であると儂は考えていた。
 戦時中わざわざ流派を名乗った戦友はこめかみに流れ弾を受け即死、それから儂は生きる事だけ考えねばならんかったのだ。

柘榴ざくろ

 良くも悪くもその経験は劇的に儂を鍛え上げる炎となり、何度も何度もたたき上げられ一振りの刃となる。左手の小指を柄頭に当てて指を順に絞り込む、右手は太刀筋の線を崩さぬよう支えるのみとして上体を前に傾げさせた。
 最速ではない、そんなものに意味はない。
 左肩がちょうど愛弟子の真正面に向いた瞬間、息を吐き、ただただまっすぐに左腕を木刀と共に水平に振り抜く!

 ぴゅう、と風を割く音を捉え。切っ先が緩い弧を描きながら楓の首を狙う。

 ――かぁん!!

「神楽一刀流『山女あけび』」

 ほ、ちゃんと防いだか。
 まあこれぐらいは寝ていてもしのいでくれんと流派をくれてやるわけにはいかん。ちょうど十字に重なるように……十字?

「洞爺さんったらもう、式は教会で上げます!? ウェンディングドレスも捨てがたかったんです!!」
「お主というやつは……よい、好きにするとよい。ただし……」

 序の口程度ではすまさん、やるなら本気じゃ。
 細く、細く息を吸う。
 時間をかけてゆっくりと……今からやるのは試合ではありつつも一太刀でも気を抜けばどちらかが大けが、または死ぬかもしれんやり取りと身体に言い聞かせる。

「最終試験兼花嫁修業総まとめ……洞爺さん、お願いしますっ!!」
「……兼、の後せめて今だけ省かんか? 締まらぬ」
「……えええぇぇ。じゃあ改めて、13代目……継がせていただきます」
「こい、もう未熟者とは呼んでやらぬぞ……」

 もう儂も60じゃ、日々衰えを自覚する頃合いになんと幸せな事か……目の前の弟子が名を継ぐのだ。周りの老害どもは女だからとぎゃあぎゃあ言う、本当に愚かな事じゃと儂は思う。

「はいっ!」

 おお、良き眼じゃ。
 まっすぐに儂を相手と認め儂と同じように相手を凌駕する事だけに特化していく気配。それがなんとも心地よい。

「「菖蒲あやめ」」

 互いに木刀を一度引き、儂は左手、楓は右手で刃を地に這うように滑らせ逆袈裟に切り上げる! 同じ技、同じ速度、鏡写しの様にブレぬ剣線が激突し停まる。
 珍しい事じゃが同じ威力、方向の一撃が交差するとこうなる。

桔梗ききょう!」
雛罌粟ひなげし!」

 しびれを伝える木刀に鞭を打ち、儂と楓は次々と技を繰り出した。
 流派は同じ、されど個性は出る。
 儂が直線的に足を運び最短を結ぶのに対し楓はその軌跡が弧になり円を描くように踊る。わかりやすく例えるなら儂が地味で楓は華があった。

「ぬんっ!」
「しっ!!」

 縦に、横に、斜めに奔る暴力の線。
 しかし儂は……愉しかった。
 楓と技を交わす際に薫る白梅の香り。儂よりもしなやかで柔軟な剣筋。
 そして……儂の様に血に塗れてない真っ白な向上心。
 打ち鳴らされる乾いた木の叩かれる音はかん! かん! と小気味良く儂が想像していた通りのタイミングで道場に広がる。

 なんと幸せなのだろう、幸いにも楓も笑っておった。
 そうか、儂と同じか。

「まだまだじゃ!」
「はいっ!」

 速度を上げる!
 どこまで持つかわからぬ、だが……後進の若人に不甲斐ない『最強』を見せてどうする!
 足の指先に伝わる床の冷たさがいつの間にか暖かい。
 何千何万回と踏み込んできた儂の領域にぴたりと追随する一回り小さな足も、示し合わせたかのようにどんどんと速く、鋭く、その身を高みへ導く。

「神楽一刀流」
「神楽一刀流」

 そんなに時間を置かず、自然とその言葉は互いからこぼれた。

「「12代目口伝……八重の桜」」

 くるりと身を回し、左に撫いだ刀を送り足で軸を肩に持っていき軌道を変えた。
 肩がみしりときしむが黙らせて直角に振り下ろし、峰を返して跳ね上げて回し、腰を起点に遠心力でその身ごと回し斬る!
 無論、そこでは終わらん。
 地に刃先が当たると同時に逆手に持ち替え水平に、背に伝わる楓の気配めがけて切っ先を右脇の下を通して突き入れた。

 ――がぎっ!!

 楓の木刀と切っ先同士が点で押し合いへし合い、動きは鈍るがここは爺の悪知恵で手首をひねる。

「あわっ!?」

 向きをずらされた拍子に体勢を崩したのだろう。
 声が漏れるのをほくそ笑んで儂は技を完成させる。

「咲け」

 利き手とは逆の手で木刀を握り、左足を引きまっすぐに切り上げ……る?
 
「派生、鬼椿」

 ぼぐっ!!

 派生って……いつの間に、と感心しつつも……鈍い音を立てて儂の腹に突き刺さったを視界に収めながら。
 
「見事」

 かろうじて発したその一言を最後に顔面から床に落ちながら、冗談みたいに気絶したのじゃった。
 ほんのりと鼻に届いた汗と白梅の香りに笑みを浮かべて、な。


 ◇◆――――◇◆――――◇◆――――◇◆――――◇◆



「ん、むう」
「おはようございます、またはこんばんは洞爺さん」
「まだ夜じゃ。どれくらい寝ておった?」
「あれから24時間経ちました」
「流れるように嘘をつくでない」
「まだ痛みます?」
「うむ、容赦ないのあの一撃は儂を満足させるに足る一撃じゃ……」
「……なぜでしょう、うれしい言葉なのになぜか寒気が」

 奇遇じゃな、儂もなぜか背筋が凍りかけた。
 しかし、柔らかいのう……儂膝枕されとったのかな? ふと気になり首を回したら……尻がある。ん? んんん? 楓の顔は上にある。しかし儂の後頭部には尻!? 

「だれじゃ!?」
「私です洞爺殿」
「脈絡なさ過ぎて怖いわ!! 楓!」
「あ、牡丹が気絶した洞爺さんを写メに取ろうとしたので私が叩きのめして洞爺さんの枕にしたんです」
「別な意味でご褒美ね、洞爺殿の」
「気絶して起きたら妻の幼馴染の尻を枕にして寝ておるとか理解できない!!」

 思わずそう叫ぶ。
 いやうん、儂これ悪くないし。しかし、その言葉に楓と牡丹がキョトンとする。
 なんかおかしいこと言ったか儂?

「言った」
「言ったわ」

 目をまん丸くしてぽかんと口を開け、昔から変わらぬ二人の顔。
 そういえばこんな事が昔あった気がするのう。

「何をじゃ?」
「洞爺さんが、私をと……」
「間違いなく言ったわ」

 うむ、言うたな。
 見事に負けたのだ。もうどうのこうのと言う気もない。

「うむ、速水……ではないのう。神楽かぐら楓……なってくれるか?」

 ちゃんと儂のほうから言うべきじゃろ。

「はい……はいぃぃ!!」

 こんな枯れた爺を10年も追い続けたんじゃから。

「まずは……月でも見ながら明日からの事を考えるとするか」
「洞爺殿、意外と素直ですね?」
「洞爺さんはいつも素直ですよ?」

 子供とか、割とまじめに考えんといかんのじゃから。

「牡丹、茶じゃ」
「? 妻に頼んではいかがです?」
「……こ奴、本気で気が回らんのか」
「牡丹ですし……私、いれてきます」

 なんじゃろうな。まだまだ楽しい日々が過ごせそうじゃ。
 見上げる窓の外に浮かぶ月、気づけばうっすらと雲がかかり淡い光が儂らを優しく照らす。

 まあ、見届けてもらった代わりに誓っておくか。
 残り少ない一生を妻に尽くすとな。


 まさかこの後、異世界に飛ばされて竜が隣に住むことになったりするとは……思わなんだが。
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