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最終話:どこにでもあるギルドの風景
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「良かったの? クロノス」
「何がさ?」
のどかな田園風景の中、白い大理石を削り出して作られたテーブルと椅子に座り。
優雅なひと時を紅茶と共に楽しんでいたアリスが頭の上でまどろむクロノスに問う。
「弥生ちゃん達の件よ、わざと殺すしかない様に書き換えたでしょ?」
「ああ、それか……別に大したことじゃないさ。あの魔王がしてくれたことについての対価が払いきれないから、ついでに分けただけ……それに」
クロノスは一度言葉を切り、懐かしむように一呼吸おいて言葉を紡ぐ。
「あのままだと、いつまでたってもトラブルに巻き込まれて可哀そうだから……一度そういうのと切り離さないとね」
「ついでに貰ったあの子の魔力も戻るし、ね」
「まあ、貰った後。また生き返った人生の分は彼の物だ……そっちは対価として望んじゃいないよ」
「ふうん、珍しいじゃない。人の生き死になんて知ったこっちゃない、がアンタのモットーなのに……」
「気まぐれだよ。あんなまっすぐな眼を見たら誰かさんを思い出してね」
ゆっくりとアリスの頭から降りてクロノスはテーブルの上に寝そべる。
ひんやりとした石の冷たさが心地良い。
「誰よそれ」
思い当たる人物が思いつかなく、アリスが眉を顰めた。
そんなアリスをクロノスはわらう。
「さあね? 自分で考えてよ」
「……まったく」
憮然としたアリスが紅茶のカップを手に取る。
ほんのりと香る茶葉の匂いで心を落ち着かせ、一口運んだ。
「アリスちゃん! スコーン焼けたわよ!!」
「アリス様! 私も手伝いました!!」
そんなにぎやかな母と使用人の声を聴いてせっかく安らいだ気分が吹き飛ぶ。
「ちょっと! お母様!! ベティ!! 私の監視なく料理は駄目っていつも言ってるでしょう!?」
かちゃん、と乱暴にカップを置いて屋敷に飛び込むアリスをクロノスはのんびりと見送る。
「合格だよ弥生ちゃん、人を呪わば穴2つ。慈悲深さは君の美徳だ」
つい、と鼻先に小さな窓を作って覗いた先には……金髪の少女や少し生意気そうな弟、白髪の母や竜に乗った妹に囲まれ……父と手を繋いで買い物かごを手にした黒髪で、地味な少女が笑っていた。
◇◆―――◇◆―――◇◆―――◇◆
――ゴクリ
重厚、その一点に全てをかけた鋼の扉を前にしてゴブリンの特殊個体。
バニ・マイスターはのどがカラカラになるほど緊張していた。
先日行われた昇進試験、おそらくその結果を今から伝えられるとニーナ書記官から連絡を受けたのがお昼過ぎ。
「だ、大丈夫。夜ノ華も響子もあんなに熱心に教えてくれたんだもん……」
すぅ、はあ……と胸に手を当て、バニは深呼吸する。
真っ青なベストと白いブラウス、薄灰色のパンツは秘書官の制服。
数年前にあまりにも地味で不評だったギルドの制服と共にデザインが一新された。
今では私服代わりに来ている者も多い。
意を決して、バニは扉をノックする。
――コンコン
思いのほか軽い音が響いた。
たっぷり数秒間、無音の時が流れる……
――はぁい、どうぞー!
扉の向こうからなんだか低い声で招かれた。
まるで寝起きのようなガラガラ声で……
「ひ、ひゃい!!」
がちがちに緊張したバニが扉を開けようとドアノブに手をかける。
くい、とひねると思った以上に軽く手前側に開いた。
そこには……
逆光の中、正面の大机に誰かが座っている。
きらりと反射する支給品のガラスペンがバニの眼をくらませた。
「ふいっ!」
それに気づいた影の主が、慌ててカーテンを閉める。
「ごめんごめん、そうだ……午後だとこの部屋入り口からまぶしいもんね。ちょっと待ってて、キズナ、電気つけて」
「おう」
――ぱちり
扉の脇に控えていた金髪の女性が壁のスイッチを押した。
天井のLEDライトがついてカーテンで暗くなった室内をちょうどいい明るさに調整してくれる。
「お疲れ様ですバニさん! 座って座って!」
腰まで伸びた黒髪、ガラス職人が磨き上げた黒縁眼鏡。
そして……革製のこげ茶ワンピースにこれまたこげ茶のベストを羽織り、胸元に白金のバッジをつけた女性が樫の木でできた椅子を運んできて机の前に置く。
「2、2級書記官! バニ・マイスター、入ります!」
右手と右足が一緒に出るほど緊張して進み始めたのを見て、金髪の女性がぷっと吹き出した。
「そんなに緊張するなよ。いつも顔合わせてるのに」
肩より長くして、右側だけみつあみ。
黒のタンクトップに白いシャツを羽織ったキズナがバニの肩をポンと叩く。
藍色のカーゴパンツに突っ込んであるガムの包み紙を取り出して、ほれ、とバニに渡した。
「だって……今から儀式だってエキドナが……」
そう、緊張の最大の原因はエキドナさんだった。
「儀式? なんかあったっけキズナ」
「……多分バッジの贈呈の事じゃねぇの? 姉貴がバニに吹き込んだのって」
「バッジの贈呈?」
もしかして煮えたぎった巨釜で茹でられるのとか妄想していたバニがキョトンとする。
「うん、無事一級書記官に昇進だから……新しいバッジを送るんだけど……」
ぽりぽりとほほをかく弥生が申し訳なさそうにバニに説明した。
「安心しろよバニ、姉貴は後で俺が吊るしとく……」
キズナもポケットから自分の分のガムを出して口に含む。
今ではすっかり手放せないキズナの嗜好品だ。
「……騙された?」
「「うん」」
バニの肩がおちる……書記官の中でも人が好い事で有名なバニへ毎日毎日誰かしら悪戯を仕掛ける光景は統括ギルドの日課とも言われるほど、まあ、そのたびに犯人は吊るされるのだが。
「酷いよエキドナぁ……」
「むしろ騙されるのはバニだけだろ」
「毎回可愛いんだよね~バニ虐」
「二人とも酷い!?」
そう、ころころと変わるバニの可愛さが悪い。
弥生もキズナもその悪ノリ―ずとして名を馳せていた。
「まあ、エキドナさんは後で吊るすとして……本題済ませちゃおうか」
ぽんぽん、と椅子を叩いてバニを促す。
ぷくぅ、とほほを膨らませたバニがちょこんと座った。
「ええと、来月からバニは一級書記官。頑張ってね。あとは……ジェニちゃんの保育もようやく空きができたから統括ギルドの一階で受け入れできるけど、どうする?」
「ジェニはそのまま今の保育園で良いよ。お友達も出来たし」
「そっか、じゃあ別な人に回しちゃうね。以上!」
「……これだけ?」
「これだけ」
微妙な顔つきのバニ、こんなにあっさりとした面談に緊張した自分が恥ずかしい。
「そもそもバニは俺らと一緒に動くことも多かったし、推薦状も来ているからな……そのままやってりゃいいのさ。一応だこんな面談」
「家も隣だしねぇ」
弥生家、キズナ家、バニ家、神楽家……そしてレンの家は統括ギルド裏手のギルド宿舎の一角に固められている。
その気になれば徒歩五分、晩御飯は大体誰かの家で会食&父親勢の飲み会が始まるような現状だ。
「そうだった……あ、そういえば一級書記官の随伴は?」
「あ、それバニ」
「分かった。ジェニは夜ノ華にお願いして良い?」
「いいよ~。お母さんも喜ぶよ」
すっかり緊張の解けたバニが今後の事を話しながらゆらゆら揺れる。
あれから三年、しっかりと学んだバニは晴れてゴブリン初の一級書記官となった。
「真司も連れて行くんだろ?」
キズナがついでに、と確認する。
「うん、真司と洞爺おじいちゃん、あとは……氷雨さん」
「おふくろも? 珍しいな……」
「エルフの国の南にファングが居た実験施設と言うか工場があるんだって……そこに焔さんとおじいちゃんの煙草がいっぱいあるから取ってきてほしいみたい」
「……自分で行けよ欲しいなら」
ぺちんと顔に手を当てて呻くキズナ、公私混同も甚だしいのが恥ずかしい。
「まあまあ、アルマジロのバッテリーもそろそろ交換時期だから入れ替えるみたいだよ?」
持ち出したバッテリーも数年使い続けたし、向こうで充電するなり整備すればまた使える。
こんな機会でもなければなかなか向かわないのだからと、弥生も快く許可を出した。
「じゃあ俺はファングか……そういやアイツ海渡れんのかな?」
――ばぁん!
キズナが何となくつぶやいた瞬間、扉が良い勢いで開け放たれる。
そこにはいつも通り、白衣と巨乳の黒髪魔王の桜花さんが目の下にクマを作って立っていた。
「そんな事もあろうかと!!」
「弥生、俺ジェミニに乗るわ……申請よろしく」
「うん、分かった」
「ちょっと!! 聞きなさいよアンタたち!!」
「桜花、やっほー」
秘書部で唯一、家を帰宅のど真ん中に構えた間宮家の長女。
そのマッドサイエンティストぶりはすでに国内で知らない者はいない。
「桜花さん、減給です」
「私が何したのか心当たりが多すぎてわからないわ!!」
「クロウ宰相の家、いつの間に空に飛ぶようになったんです? 王城のメイドさん達から洗濯物が影になってるって苦情が殺到してるんで。今日中に元に戻してください」
「え、じゃあどかすわ」
白衣のポケットからコントローラーを取り出して、さっき弥生が閉めたカーテンを開ける桜花。
その先には浮遊するクロウ宰相の屋敷とその敷地が一部。
「動かすってお前……」
どうやって? とキズナが問いかける前に。
――ちゅどん!
びりびりと揺れる窓ガラスがその衝撃の大きさを物語る。
「ひゃあ!?」
「にゃあああ!?」
バニと弥生の悲鳴をBGMに窓の向こうのクロウ邸が爆発四散した。
さすがなのは屋敷内に居たクロウが障壁を張って瓦礫の落下を防いでいる事だろう。
「……自爆ボタン、これだったっけ?」
ふう、と肩を落とす桜花にやよいがぽん、と肩を叩く。
桜花が振り向くと、そこには弥生ではなく夜叉が居た。
「減給、3か月。いいですね?」
「あい……」
外では不死族のメイドさんや訓練中の騎士さんたちがバタバタと避難したり、クロウの救出に向かい始めた。
そして……城のバルコニーでは……
――やよいぃぃ! 桜花!! 今すぐ城に出頭しなさぁぁぁい!!
わざわざ風の魔法で声を増幅させたオルトリンデが怒り心頭で地団太を踏んでいた。
「俺、ちょっとエルフの国のルート視察に行ってくるわ……一週間くらい」
くるりと、名前を呼ばれなかったことを良い事に仕事を名目にして逃げようとするキズナのシャツを弥生が掴む。
「護衛官、逃げるのは許されない」
「俺、仕事ある」
「上官命令」
「大ボス俺の名前言わなかった」
片言で応酬する二人を見て、バニはわらう。
この三年、毎日飽きもせず元秘書部はどこかで騒ぎを起こす。
それは、きっとこれからも続いていくのだろう。
バタバタと来客は止まらない、甚兵衛を着た老剣士、洞爺もノックもせずになだれ込む。
「嬢ちゃん! 探索者ギルドの新人がまたやられた……どうにかならんかフレアベルは!」
「洞爺おじいちゃん、私それどころじゃないんだけど」
窓の外からはノルトの民の配達員がのぞき込んできて、さらなる事件を報告してくる。
「監理官! 西区の市場でジェノサイドとジェミニがクッキーをめぐって喧嘩してます!!」
「俺が行く、何してんだアイツら」
キズナが呆れたように弥生を振りほどいて、窓から現場に向かう。
「お姉ちゃん! お兄ちゃんがフレアベル伯父さんのちまきに直撃してなんか変な笑い方してるの!! レンちゃんも怖がってて! 何とかして!?」
すっかり背も伸びて、ぷち弥生と言われるほど似てきた妹が兄の不幸を告げる。
ファッションセンスは周りのおかげで月とスッポン。
「えええ……もう面倒くさいからアカシアで吹っ飛ばしていい?」
「ダメだよお姉ちゃん、お母さんとお父さんにまた怒られるよ?」
「うぐっ……それは困る」
毎日毎日これである。
舞い込む事件と騒ぎ、そんな中で弥生は……
「監理官!」
「嬢ちゃん!」
「お姉ちゃん!」
こめかみに指を当て、ひとしきり悩んだ後。
「まずは探索者ギルド! おじいちゃん、文香、案内して。喧嘩はキズナに任せるとして……夜音ちゃん居る?」
監理官室の一角、少し暗がりになっているところに向けて弥生は声を投げる。
「はいはい、オルトリンデの所に行けばいいのね?」
ぽんぽんとボールを地面に投げて遊びながら、赤い着物の童女が嗤う。
座敷童の夜音がくるりと身を回し、弥生の姿に化ける。
「ごめん、バニも夜音ちゃんと一緒に! 一級書記官最初のお仕事だね!」
「え!? オルトリンデ陛下めちゃくちゃ怒ってるんじゃ!!」
「大丈夫、死にはしない……多分」
まったく安心できない一言を残して弥生は監理官室を脱出した。
いつも通りの廊下を三人で走り抜けながらすれ違うギルド員にあいさつをしていく。
もはや名物とまで言われる弥生達の姿にみんなそれぞれ、行ってらっしゃい、や今度は何したんだ? と笑いながら声をかけた。
「ううう、休暇が欲しい」
「だったら問題起こさなければよかろう」
「私大人しいもん!?」
至極真っ当な洞爺の指摘にかみつく弥生だが、文香からすれば全然大人しくない姉の行動はフォローしようがなかった。
階段を駆け下り、受付嬢さんの挨拶もそこそこに……三人はギルドを出た。
そこには小さな緑色の肌をした子供を連れた夫婦がいた。
「あら? 弥生」
「また何かしたのか?」
白髪の女性、すっかり主婦に戻って青いブラウスと白のフレアスカートの夜ノ華。
その隣にはシャツとベストを着てカフェエプロンを身に着けた幸太郎。
おそらくジェニのお迎えとお散歩を兼ねた買い物をしている途中らしい……慌てている長女と次女を見て、またか……と言わんばかりに苦笑する。
「お仕事! 行ってきます!!」
詳しく話すと面倒くさい事になりそうなので、弥生は端的に告げてまた走り出した。
その背に向かって夜ノ華と幸太郎は……
「「行ってらっしゃい! 今晩はハンバーグだから早く帰ってきなさい」」
そう言って、手を振り送り出す。
「わかったぁ!」
「やった! お姉ちゃん! 今晩ハンバーグだって!!」
「偶には肉も良いのう」
ウェイランドは以後100年、少しづつ発展して……語り継がれる伝説が生まれた。
どんな種族でも臆することなかれ。
学びを得るために臆することなかれ。
かの国は誰であろうと受け入れる。
魔物であっても。
人であっても。
機械ですらも。
異なる理の存在でも。
先を目指すのであれば……誰であろうとも。
「明日は何が起きるのかな?」
かの国の監理官はその導となる。
”ウェイランド国立図書館寄贈・長女は家族を養いたい”
著者:ケイン・日下部
「何がさ?」
のどかな田園風景の中、白い大理石を削り出して作られたテーブルと椅子に座り。
優雅なひと時を紅茶と共に楽しんでいたアリスが頭の上でまどろむクロノスに問う。
「弥生ちゃん達の件よ、わざと殺すしかない様に書き換えたでしょ?」
「ああ、それか……別に大したことじゃないさ。あの魔王がしてくれたことについての対価が払いきれないから、ついでに分けただけ……それに」
クロノスは一度言葉を切り、懐かしむように一呼吸おいて言葉を紡ぐ。
「あのままだと、いつまでたってもトラブルに巻き込まれて可哀そうだから……一度そういうのと切り離さないとね」
「ついでに貰ったあの子の魔力も戻るし、ね」
「まあ、貰った後。また生き返った人生の分は彼の物だ……そっちは対価として望んじゃいないよ」
「ふうん、珍しいじゃない。人の生き死になんて知ったこっちゃない、がアンタのモットーなのに……」
「気まぐれだよ。あんなまっすぐな眼を見たら誰かさんを思い出してね」
ゆっくりとアリスの頭から降りてクロノスはテーブルの上に寝そべる。
ひんやりとした石の冷たさが心地良い。
「誰よそれ」
思い当たる人物が思いつかなく、アリスが眉を顰めた。
そんなアリスをクロノスはわらう。
「さあね? 自分で考えてよ」
「……まったく」
憮然としたアリスが紅茶のカップを手に取る。
ほんのりと香る茶葉の匂いで心を落ち着かせ、一口運んだ。
「アリスちゃん! スコーン焼けたわよ!!」
「アリス様! 私も手伝いました!!」
そんなにぎやかな母と使用人の声を聴いてせっかく安らいだ気分が吹き飛ぶ。
「ちょっと! お母様!! ベティ!! 私の監視なく料理は駄目っていつも言ってるでしょう!?」
かちゃん、と乱暴にカップを置いて屋敷に飛び込むアリスをクロノスはのんびりと見送る。
「合格だよ弥生ちゃん、人を呪わば穴2つ。慈悲深さは君の美徳だ」
つい、と鼻先に小さな窓を作って覗いた先には……金髪の少女や少し生意気そうな弟、白髪の母や竜に乗った妹に囲まれ……父と手を繋いで買い物かごを手にした黒髪で、地味な少女が笑っていた。
◇◆―――◇◆―――◇◆―――◇◆
――ゴクリ
重厚、その一点に全てをかけた鋼の扉を前にしてゴブリンの特殊個体。
バニ・マイスターはのどがカラカラになるほど緊張していた。
先日行われた昇進試験、おそらくその結果を今から伝えられるとニーナ書記官から連絡を受けたのがお昼過ぎ。
「だ、大丈夫。夜ノ華も響子もあんなに熱心に教えてくれたんだもん……」
すぅ、はあ……と胸に手を当て、バニは深呼吸する。
真っ青なベストと白いブラウス、薄灰色のパンツは秘書官の制服。
数年前にあまりにも地味で不評だったギルドの制服と共にデザインが一新された。
今では私服代わりに来ている者も多い。
意を決して、バニは扉をノックする。
――コンコン
思いのほか軽い音が響いた。
たっぷり数秒間、無音の時が流れる……
――はぁい、どうぞー!
扉の向こうからなんだか低い声で招かれた。
まるで寝起きのようなガラガラ声で……
「ひ、ひゃい!!」
がちがちに緊張したバニが扉を開けようとドアノブに手をかける。
くい、とひねると思った以上に軽く手前側に開いた。
そこには……
逆光の中、正面の大机に誰かが座っている。
きらりと反射する支給品のガラスペンがバニの眼をくらませた。
「ふいっ!」
それに気づいた影の主が、慌ててカーテンを閉める。
「ごめんごめん、そうだ……午後だとこの部屋入り口からまぶしいもんね。ちょっと待ってて、キズナ、電気つけて」
「おう」
――ぱちり
扉の脇に控えていた金髪の女性が壁のスイッチを押した。
天井のLEDライトがついてカーテンで暗くなった室内をちょうどいい明るさに調整してくれる。
「お疲れ様ですバニさん! 座って座って!」
腰まで伸びた黒髪、ガラス職人が磨き上げた黒縁眼鏡。
そして……革製のこげ茶ワンピースにこれまたこげ茶のベストを羽織り、胸元に白金のバッジをつけた女性が樫の木でできた椅子を運んできて机の前に置く。
「2、2級書記官! バニ・マイスター、入ります!」
右手と右足が一緒に出るほど緊張して進み始めたのを見て、金髪の女性がぷっと吹き出した。
「そんなに緊張するなよ。いつも顔合わせてるのに」
肩より長くして、右側だけみつあみ。
黒のタンクトップに白いシャツを羽織ったキズナがバニの肩をポンと叩く。
藍色のカーゴパンツに突っ込んであるガムの包み紙を取り出して、ほれ、とバニに渡した。
「だって……今から儀式だってエキドナが……」
そう、緊張の最大の原因はエキドナさんだった。
「儀式? なんかあったっけキズナ」
「……多分バッジの贈呈の事じゃねぇの? 姉貴がバニに吹き込んだのって」
「バッジの贈呈?」
もしかして煮えたぎった巨釜で茹でられるのとか妄想していたバニがキョトンとする。
「うん、無事一級書記官に昇進だから……新しいバッジを送るんだけど……」
ぽりぽりとほほをかく弥生が申し訳なさそうにバニに説明した。
「安心しろよバニ、姉貴は後で俺が吊るしとく……」
キズナもポケットから自分の分のガムを出して口に含む。
今ではすっかり手放せないキズナの嗜好品だ。
「……騙された?」
「「うん」」
バニの肩がおちる……書記官の中でも人が好い事で有名なバニへ毎日毎日誰かしら悪戯を仕掛ける光景は統括ギルドの日課とも言われるほど、まあ、そのたびに犯人は吊るされるのだが。
「酷いよエキドナぁ……」
「むしろ騙されるのはバニだけだろ」
「毎回可愛いんだよね~バニ虐」
「二人とも酷い!?」
そう、ころころと変わるバニの可愛さが悪い。
弥生もキズナもその悪ノリ―ずとして名を馳せていた。
「まあ、エキドナさんは後で吊るすとして……本題済ませちゃおうか」
ぽんぽん、と椅子を叩いてバニを促す。
ぷくぅ、とほほを膨らませたバニがちょこんと座った。
「ええと、来月からバニは一級書記官。頑張ってね。あとは……ジェニちゃんの保育もようやく空きができたから統括ギルドの一階で受け入れできるけど、どうする?」
「ジェニはそのまま今の保育園で良いよ。お友達も出来たし」
「そっか、じゃあ別な人に回しちゃうね。以上!」
「……これだけ?」
「これだけ」
微妙な顔つきのバニ、こんなにあっさりとした面談に緊張した自分が恥ずかしい。
「そもそもバニは俺らと一緒に動くことも多かったし、推薦状も来ているからな……そのままやってりゃいいのさ。一応だこんな面談」
「家も隣だしねぇ」
弥生家、キズナ家、バニ家、神楽家……そしてレンの家は統括ギルド裏手のギルド宿舎の一角に固められている。
その気になれば徒歩五分、晩御飯は大体誰かの家で会食&父親勢の飲み会が始まるような現状だ。
「そうだった……あ、そういえば一級書記官の随伴は?」
「あ、それバニ」
「分かった。ジェニは夜ノ華にお願いして良い?」
「いいよ~。お母さんも喜ぶよ」
すっかり緊張の解けたバニが今後の事を話しながらゆらゆら揺れる。
あれから三年、しっかりと学んだバニは晴れてゴブリン初の一級書記官となった。
「真司も連れて行くんだろ?」
キズナがついでに、と確認する。
「うん、真司と洞爺おじいちゃん、あとは……氷雨さん」
「おふくろも? 珍しいな……」
「エルフの国の南にファングが居た実験施設と言うか工場があるんだって……そこに焔さんとおじいちゃんの煙草がいっぱいあるから取ってきてほしいみたい」
「……自分で行けよ欲しいなら」
ぺちんと顔に手を当てて呻くキズナ、公私混同も甚だしいのが恥ずかしい。
「まあまあ、アルマジロのバッテリーもそろそろ交換時期だから入れ替えるみたいだよ?」
持ち出したバッテリーも数年使い続けたし、向こうで充電するなり整備すればまた使える。
こんな機会でもなければなかなか向かわないのだからと、弥生も快く許可を出した。
「じゃあ俺はファングか……そういやアイツ海渡れんのかな?」
――ばぁん!
キズナが何となくつぶやいた瞬間、扉が良い勢いで開け放たれる。
そこにはいつも通り、白衣と巨乳の黒髪魔王の桜花さんが目の下にクマを作って立っていた。
「そんな事もあろうかと!!」
「弥生、俺ジェミニに乗るわ……申請よろしく」
「うん、分かった」
「ちょっと!! 聞きなさいよアンタたち!!」
「桜花、やっほー」
秘書部で唯一、家を帰宅のど真ん中に構えた間宮家の長女。
そのマッドサイエンティストぶりはすでに国内で知らない者はいない。
「桜花さん、減給です」
「私が何したのか心当たりが多すぎてわからないわ!!」
「クロウ宰相の家、いつの間に空に飛ぶようになったんです? 王城のメイドさん達から洗濯物が影になってるって苦情が殺到してるんで。今日中に元に戻してください」
「え、じゃあどかすわ」
白衣のポケットからコントローラーを取り出して、さっき弥生が閉めたカーテンを開ける桜花。
その先には浮遊するクロウ宰相の屋敷とその敷地が一部。
「動かすってお前……」
どうやって? とキズナが問いかける前に。
――ちゅどん!
びりびりと揺れる窓ガラスがその衝撃の大きさを物語る。
「ひゃあ!?」
「にゃあああ!?」
バニと弥生の悲鳴をBGMに窓の向こうのクロウ邸が爆発四散した。
さすがなのは屋敷内に居たクロウが障壁を張って瓦礫の落下を防いでいる事だろう。
「……自爆ボタン、これだったっけ?」
ふう、と肩を落とす桜花にやよいがぽん、と肩を叩く。
桜花が振り向くと、そこには弥生ではなく夜叉が居た。
「減給、3か月。いいですね?」
「あい……」
外では不死族のメイドさんや訓練中の騎士さんたちがバタバタと避難したり、クロウの救出に向かい始めた。
そして……城のバルコニーでは……
――やよいぃぃ! 桜花!! 今すぐ城に出頭しなさぁぁぁい!!
わざわざ風の魔法で声を増幅させたオルトリンデが怒り心頭で地団太を踏んでいた。
「俺、ちょっとエルフの国のルート視察に行ってくるわ……一週間くらい」
くるりと、名前を呼ばれなかったことを良い事に仕事を名目にして逃げようとするキズナのシャツを弥生が掴む。
「護衛官、逃げるのは許されない」
「俺、仕事ある」
「上官命令」
「大ボス俺の名前言わなかった」
片言で応酬する二人を見て、バニはわらう。
この三年、毎日飽きもせず元秘書部はどこかで騒ぎを起こす。
それは、きっとこれからも続いていくのだろう。
バタバタと来客は止まらない、甚兵衛を着た老剣士、洞爺もノックもせずになだれ込む。
「嬢ちゃん! 探索者ギルドの新人がまたやられた……どうにかならんかフレアベルは!」
「洞爺おじいちゃん、私それどころじゃないんだけど」
窓の外からはノルトの民の配達員がのぞき込んできて、さらなる事件を報告してくる。
「監理官! 西区の市場でジェノサイドとジェミニがクッキーをめぐって喧嘩してます!!」
「俺が行く、何してんだアイツら」
キズナが呆れたように弥生を振りほどいて、窓から現場に向かう。
「お姉ちゃん! お兄ちゃんがフレアベル伯父さんのちまきに直撃してなんか変な笑い方してるの!! レンちゃんも怖がってて! 何とかして!?」
すっかり背も伸びて、ぷち弥生と言われるほど似てきた妹が兄の不幸を告げる。
ファッションセンスは周りのおかげで月とスッポン。
「えええ……もう面倒くさいからアカシアで吹っ飛ばしていい?」
「ダメだよお姉ちゃん、お母さんとお父さんにまた怒られるよ?」
「うぐっ……それは困る」
毎日毎日これである。
舞い込む事件と騒ぎ、そんな中で弥生は……
「監理官!」
「嬢ちゃん!」
「お姉ちゃん!」
こめかみに指を当て、ひとしきり悩んだ後。
「まずは探索者ギルド! おじいちゃん、文香、案内して。喧嘩はキズナに任せるとして……夜音ちゃん居る?」
監理官室の一角、少し暗がりになっているところに向けて弥生は声を投げる。
「はいはい、オルトリンデの所に行けばいいのね?」
ぽんぽんとボールを地面に投げて遊びながら、赤い着物の童女が嗤う。
座敷童の夜音がくるりと身を回し、弥生の姿に化ける。
「ごめん、バニも夜音ちゃんと一緒に! 一級書記官最初のお仕事だね!」
「え!? オルトリンデ陛下めちゃくちゃ怒ってるんじゃ!!」
「大丈夫、死にはしない……多分」
まったく安心できない一言を残して弥生は監理官室を脱出した。
いつも通りの廊下を三人で走り抜けながらすれ違うギルド員にあいさつをしていく。
もはや名物とまで言われる弥生達の姿にみんなそれぞれ、行ってらっしゃい、や今度は何したんだ? と笑いながら声をかけた。
「ううう、休暇が欲しい」
「だったら問題起こさなければよかろう」
「私大人しいもん!?」
至極真っ当な洞爺の指摘にかみつく弥生だが、文香からすれば全然大人しくない姉の行動はフォローしようがなかった。
階段を駆け下り、受付嬢さんの挨拶もそこそこに……三人はギルドを出た。
そこには小さな緑色の肌をした子供を連れた夫婦がいた。
「あら? 弥生」
「また何かしたのか?」
白髪の女性、すっかり主婦に戻って青いブラウスと白のフレアスカートの夜ノ華。
その隣にはシャツとベストを着てカフェエプロンを身に着けた幸太郎。
おそらくジェニのお迎えとお散歩を兼ねた買い物をしている途中らしい……慌てている長女と次女を見て、またか……と言わんばかりに苦笑する。
「お仕事! 行ってきます!!」
詳しく話すと面倒くさい事になりそうなので、弥生は端的に告げてまた走り出した。
その背に向かって夜ノ華と幸太郎は……
「「行ってらっしゃい! 今晩はハンバーグだから早く帰ってきなさい」」
そう言って、手を振り送り出す。
「わかったぁ!」
「やった! お姉ちゃん! 今晩ハンバーグだって!!」
「偶には肉も良いのう」
ウェイランドは以後100年、少しづつ発展して……語り継がれる伝説が生まれた。
どんな種族でも臆することなかれ。
学びを得るために臆することなかれ。
かの国は誰であろうと受け入れる。
魔物であっても。
人であっても。
機械ですらも。
異なる理の存在でも。
先を目指すのであれば……誰であろうとも。
「明日は何が起きるのかな?」
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”ウェイランド国立図書館寄贈・長女は家族を養いたい”
著者:ケイン・日下部
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☆カクヨムにて、200万PV、ブクマ6500達成!☆
【あらすじ】
どこにでもいるサラリーマンの主人公は、突如光り出した自宅のPCから異世界に転生することになる。
神様は言った。
「あなたはこれから別の世界に転生します。キャラクター設定を行ってください」
現世になんの未練もない主人公は、その状況をすんなり受け入れ、神様らしき人物の指示に従うことにした。
神様曰く、好きな外見を設定して、有効なポイントの範囲内でチートスキルを授けてくれるとのことだ。
それはいい。じゃあ、理想のイケメンになって、美少女ハーレムが作れるようなスキルを取得しよう。
あと、できれば俺TUEEEもしたいなぁ。
そう考えた主人公は、欲望のままにキャラ設定を行った。
そして彼は、剣と魔法がある異世界に「ライ・ミカヅチ」として転生することになる。
ライが取得したチートスキルのうち、最も興味深いのは『攻略』というスキルだ。
この攻略スキルは、好みの美少女を全世界から検索できるのはもちろんのこと、その子の好感度が上がるようなイベントを予見してアドバイスまでしてくれるという優れモノらしい。
さっそく攻略スキルを使ってみると、前世では見たことないような美少女に出会うことができ、このタイミングでこんなセリフを囁くと好感度が上がるよ、なんてアドバイスまでしてくれた。
そして、その通りに行動すると、めちゃくちゃモテたのだ。
チートスキルの効果を実感したライは、冒険者となって俺TUEEEを楽しみながら、理想のハーレムを作ることを人生の目標に決める。
しかし、出会う美少女たちは皆、なにかしらの逆境に苦しんでいて、ライはそんな彼女たちに全力で救いの手を差し伸べる。
もちろん、攻略スキルを使って。
もちろん、救ったあとはハーレムに入ってもらう。
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これは、そんな主人公が、異世界を全力で生き抜き、たくさんの美少女を助ける物語。
【他サイトでの掲載状況】
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