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1章

30:何気ない日常

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「くうぅぅ……」
「少しは落ち着いてくれぬかの? 灯子、魚が逃げる」
「だってぇ」
「やれやれ……お、ほいっ!」

 ひゅん、としなる竿を立て。ぴん、と張った糸が水面から魚を引っ張り上げる。
 その魚は宙でびちびちと身もだえながら……当たり前のように蓮夜の横に置かれた魚籠にスポンと収まった。
 これで10匹目。
 ちなみに竿を降ろしてからまだ一時間と経ってはいない。

「くそぅ……一匹位釣れると思ったのに」
「じゃから任せておけと言ったのじゃ。さて、翁殿とナナシが待っておる……行こうかの」

 そそくさと釣り具を纏め、魚籠の紐を肩に担いで蓮夜は笑う。
 反対に坊主の灯子は憮然とした顔で蓮夜の後に続いた。
 春から夏へと移ろう中、蓮夜の鶴の一言で釣りに出掛けたものの……釣り勝負は身も蓋もなく灯子の敗北で終わる。

「ヤマメって警戒心強いんじゃなかったっけ? こんなに簡単に釣れるものなの?」
「餌を喰った瞬間に竿を上げただけじゃよ……釣りで儂に勝てるのは頭領位かの」
「もう……絶対釣りしない。蓮夜が釣ってよ」
「任せておけ、必要分必ず釣ろう」
「自信満々なのがムカつく!!」

 ぽこぽこと蓮夜の背を叩く灯子を笑って受け流す蓮夜。
 あれから一月、すっかり怪我の癒えた蓮夜とした街の生活に慣れた灯子は愉しそうに暮らしていた。偶に来る翁が酒を飲みに来たり……ナナシは事あるごとに蓮夜に泣きつき、蓮夜は暇さえあれば灯子に読み書きや計算を習い……今までを取り戻すかのようにのんびりとした暮らしを送っている。

「おっと、灯子……足元に気をつけろ?」
「え? あ?」

 でこぼこの獣道を灯子が踏み外し、転びそうになるのを蓮夜はそっと手を伸ばし支えた。

「言った傍から、危なっかしいのう」
「ありがと」

 脇か差し込まれた連夜の腕は、細くともしっかりとした筋肉がついていて灯子の体重くらいでは微動だにしない頼もしさがある。
 この一月、蓮夜と暮らす灯子はそう言う蓮夜の気づかいや頼もしさを目の当たりにしていた。

「少し鍛えるか?」
「考えて置く……」

 その度に、灯子は少しづつ蓮夜に心を開き……惹かれていく。
 し・か・し。

「まあ、ここは足場も悪い……のんびりと歩くのも悪くはないが……あまり待たせると翁殿の機嫌も悪くなるしのう……跳ぶか」
「え?」
「口を半開きにしておれ、舌を噛むぞ?」
「ちょ!」

 ――ぐいっ!

「おえっ!!」

 ぐん、と流れる景色とこみ上げる怒り。
 これなのだ……。

「お、向こうか……さて、と」

 カキンっ! と蓮夜の足から音が響く……すっかり修復され履物代わりにされた千里である。

「待って!! それは!!」

 悲痛な灯子の叫びは受け入れられなかった。

「安心せい……火薬量は減らしておる。ロの一番、発破!!」

 ――ドゥン!!

「!!!??? ぐ!! ぴぃ!?」

 真横に引っ張られる感覚と共に、灯子は諦め交じりに息を吐く……事の始まりは灯子の一言『なんか空を飛んでるのって気持ちよさそうね』。気分を良くした蓮夜が灯子を背負って飛び回ったのだ。
 その時までは良かった……普段感じる事の出来ない浮遊感、気持ちのいい風を受けてはしゃいだ灯子を見て……蓮夜は気を利かせたつもりだったのだ。

 自分以外、耐える事すらままならない音速に近い軌道を……灯子に体験させてしまう。

 もちろん、景色もクソもない。
 気が付いた時は自宅の布団で涎を垂らしながらぴくぴくと痙攣した自分を冷や汗だらだらで介抱する蓮夜が居た。

 それに懲りたのか、蓮夜は翁の所に出向き……なぜか千里の新しい炸薬づくりを始めてしまう。
 結果として成功だったのだが……それはあくまでも何とか気絶しないで済むというだけだった。

「お、ついたぞ灯子」

 くるりと反転して灯子をお姫様抱っこして落下する蓮夜、木の枝を何度か踏んで勢いを殺し……焚火の前で胡坐をかく翁の後ろに着地する。

「おう、寒天頭。熊でも出たのか? 千里なんか使って」
「いや、灯子が躓いてしまうのでな」
「……で、無事なのか嬢ちゃん」
「……はき、そう」
「む!? 生水でも飲んだか?」
「馬鹿野郎、緊急時以外他人を千里で運ぶなって言ったろうが!? 三歩歩けば忘れる鳥頭よりひでぇなお前の頭!!」
「ちゃんと緊急が漢字で書けるようになったんじゃぞ! 訂正を求めるのじゃ!」
「そこじゃねぇよ!?」

 ぎゃあぎゃあと、虚ろな瞳の灯子を抱いて言い合いを始める二人を……

「何やってんだあの二人……さて、と。今の内に俺の分の肉は確保しておかねぇとな」

 ちゃっかりと鉄板で一番上等な肉を先に焼き、確保しようと三人に背を向けるナナシ。
 翁が出した金で肉屋が言う一番良い肉はじゅうじゅうと良い匂いを漂わせ、最近売り出した甘辛いタレでいただこうとしていたら。

「ご苦労ナナシ、私の分の肉を焼いておいてくれたのだな」

 紺色のスーツに身を包む上司とその秘書に、ひょいぱくと育てた肉を掻っ攫われる。

「あああああああ!!」
「うむ、美味い」

 他の肉も、秘書の少女が遠慮なく口に運ぶ。

「せっかく綺麗に焼いたのに!! 酷いじゃないっすか!!」
「むぐむぐ……いや、そこに肉があったのでな。私の好物だ」
「そうじゃないっすよ!? くうう……」

 みっともなく男泣きするナナシを放置し、秘書の少女は黙々と肉を焼く。
 そうして幻陽社の社長は蓮夜達の元へと歩いていく……なんか元社員が白目をむいてだらーんとしているが……まあ、良いかと無視することに決めた。

「蓮夜殿、久方ぶりだな」
「うむ? 珍しいな幻陽社殿……何か問題でも起きたか?」
「勘弁してくれ、まるで私が厄介事を起こしてるかのような物言いでは無いか」
「ちがう……のか?」
「蓮夜殿だけには言われたくない、先週の一件も!!」
「……こいつ、何やらかしたんだ?」
「夜間に千里を使って散歩したそうです……おかげで町では雷様の怒りだと大騒ぎに」
「……おい、寒天頭。今すぐその千里を俺に返せ……二度と飛べねぇようにしてやる。もしくは地平線の彼方まで吹っ飛ぶように改造してやる」

 半ば本気の翁に蓮夜は冷や汗を浮かべ目を逸らす。
 
「まったく……今日はこれを持ってきただけだ。手配に手間取ったが」

 呆れる社長が胸ポケットから一つの封筒を出して、蓮夜に差し出した。
 それはきちんと封蝋がされている立派なもの。

「おお、思ったより早かったのう。苦労掛けた」
「多少手間はかかったが……なぜか向こうも乗り気でな。指名が入った」
「指名? ほうほう……」

 なんとなく、蓮夜にはその指名の相手は分かっている。
 随分と耳が早い物だと口元に笑みを浮かべた。

「う、ん……ぎぼぢわるい」
「おお、目が覚めたか灯子」
「おろし、て……」

 周りを見ると社長やら翁やらが居て、気恥ずかしい灯子が気力を振り絞って立つ。
 まあ、足ががくがくと震えているが……少しづつ慣れているが故に立てていた。

「久しぶりだな、如月灯子。無事ではなさそうだが……元気そうではあるな」
「若干、体力が付き始めた気がします……蓮夜、何その封筒……その封蝋。アメリカ?」
「うむ……幻陽社を通じて連絡を取った」

 ぺりぺりと丁寧に封筒を開けると、二枚のチケットに数枚の便せんが入っている。

「ふうん、知り合いでも居るの?」
「そんな所じゃ……のう灯子。明日立つ、これを食べたら一度帰ろう」
「は? へ? 行くってどこに?」
「……アメリカじゃ」

 たっぷりと数分間、灯子は頭の中で整理をした後。
 驚愕の声を上げながら、蓮夜の首根っこを掴んで『どうしてそう言う事を早めに言わないの!!』とまるで母親のように、烈火のごとく声を上げるのだった。

「まったく、ちったあ大人しくできねぇのか寒天頭は」
「同感だ」

 きっと、蓮夜がその手配をしたのは灯子の為なのだろうと察しがついた翁と社長は笑いながら踵を返す。その視線の先に本物の社長である少女とナナシが無言の攻防を繰り広げているのを見て……ため息に変えた。

「まったく、にぎやかなもんだ」
「毎日こうだと良いがな」

 そんな社長の言葉に。

「ちげぇねぇ」

 翁がキセルに煙草の葉を詰めながら同意する。
 大正の世に名を馳せる月夜の斬鬼、その実態は……人の見方それぞれだが……。
 蓮夜の自由な夏が。灯子の波乱万丈な夏が。
 これから訪れようとしているのであった。

「もぉぉぉぉ!! 何にも旅の準備してないのよ!?」
「な、何か必要かの?」
「こ、この……………この寒天頭ぁぁぁぁ!!」

 天高く響く絶叫は、北海道へと向かう……通りがかりのシラサギにだけ届くのだった。
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