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1章

9:企む者

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 米国大使館、それは日本で初めて作られた三か国の大使館の中で一番地味だった。

 それはそうだろう、長らく歴史上付き合いの長い中国や鎖国の間でも貿易を確保していたオランダ。この二か国に比べて半ば脅しに近い開国を迫ったアメリカ。
 いろいろと上手い事宥められたりしたが、他の2国より敷地も狭ければ建物も2階建て……内装は職人が良かったのか落ち着いた白亜の城をモチーフにした洗練されたデザインだ。

 その中でも大統領の執務室を模して造られた大使執務室は写真からではあるが、凝り症で知られる日本の職人がものの見事に再現して見せる。
 実際、彼が使う机は質実剛健の芸術品だった。

「気分だけは大統領だな」

 祖国の大統領、行政学の父とも呼ばれるトーマス・ウッドロウ・ウィルソン。
 どうにも煮え切らない立ち位置の政治をする人物だが、彼の使う大統領の執務机はとても羨ましく。ダメ元で創らせたら……本物以上の物ができてしまった。
 
「ホウ大使、この大使館ではあなたがトップだ」

 応接用のソファーに身を沈める黒いスーツの男がその机の主である『DT・ホウ』大使を煽てる。

「そんな事は知っている、が。改めてそう言われると気分は案外良い物だ。これからも頼むよタツジ」
「もちろんですよ大統領。あの目障りな老害を排除してくれた分、しっかりと働きますよ……ビジネスですから」
「そうか、日本ではこう言うんだったか? お願いします先生?」

 それは時代劇の用心棒を呼ぶ名セリフだ。
 そう突っ込みたい海藤達治(かいどう たつじ)は喉元までこみ上げるその言葉を必死に飲み込む。その代わりに……

「大統領、それじゃあ私が貴方より立場が上になってしまう。Do me a favor(頼んだ)…で良いんですよ」
「タツジ、大統領はスラングを使わない……が、まあ。格好は良いな……」

 確かに40代になったばかり、まだ高価な視力補正器具の眼鏡をかけていて知的な雰囲気が漂う。実際に外交官という事もあり、日本語も堪能で日常会話は難なくこなせる世間一般では有能な人物だ。

「……生粋の女好きが偉そうに」

 誰にも聞こえないほどの小さなつぶやき。
 そんな海藤の言葉は彼の本性を的確に言い表せていた。

「何か言ったか?」

 尊大な物言いで海藤を睨むホウ。
 思ったより耳ざといな……と海藤は心の中で愚痴りながら、愛想笑いを返す。

「いえいえ、処分予定の女を有効活用だなんてさすがだと思ったまでです」
「どうせこの国では死刑がある。どうせ死ぬなら人権も何もあるまい……私が活用しようというだけの事だ、私は合理主義なのでね」
「その為に邪魔な月夜連の排除。我々『闇狩り』が代わりにこの国を制御する」
「そこで出た不穏分子……女は私が買って君等の資金源に」
「まさに、ギブアンドテイク。最新型の回転式弾倉銃も提供していただけるとは……なんとも羽振りがいい事で」

 ホウは海藤の腰にあるホルスターに目を向ける。
 そこに収められているのはアメリカでも有数のガンメーカー、S・W(スミスアンドウェルキントン)社製の最新リボルバーだ。

「なに、モデルチェンジに先立ってほんの数十丁多めに作らせただけだ。日本人でも使いやすいだろう?」

 ところどころに、日本人を侮るかのような発言が混じるホウだが……これでもマシな方だ。
 先日納品に来た時に、たまたま『お楽しみ中』のタイミングの時は海藤ですら顔を顰めるおぞましい行為の真っ最中。
 それ以来海藤はホウの所を訪れる際に事前連絡を欠かさなくなった。

「ええ、とても使いやすい。数人の部下に使わせてます」
「あまり目立つな。鼻の良い連中はどこの国にでもいる」
「もちろんです、それに……俺たち以上に目立つ連中が国内に散らばってますから」

 切子硝子の根付を付けた有名人が。
 そう言うと、ホウは首をかしげる。

「君の言う……月夜連合、だったか? そんなに厄介な犯罪集団なのか?」
「ええ、そりゃあもう……好き放題勝手に首を突っ込む厄介な連中ですよ。あまりに手が付けられないという事で国で囲ってしまうような連中です」
「……わが祖国のアルカトラズみたいなものか、向こうは軍のつまはじき物の再教育、懲罰房と言ったものだが」
「まあ、似たようなものです……鎖国の頃から残る日本のゴミですから」

 そう言って海藤はへらへらと笑う。
 見方が違えば立場も変わる。

 海藤にとっては月夜連は己の行動を邪魔する厄介者、それは間違いないのだから。

「まあいい、一人でも始末できたのか?」
「いやいや、まだ様子見ですよ……事故に見せかけて先日殺せないかと思ったのですがまだ元気なようで……しばらく掛かりそうです」
「そうか、そっちは任せる。それよりも次の納品だ、二人……そうだな。姉妹が良い」

 もとより月夜連に興味が薄いホウは海藤に別の仕事を命じる。
 
「姉妹ですか? まあ、できれば。でいいですよね?」
「何なら若い母と娘でもいい」
「……いいご趣味で、探しておきますよ」

 呆れたように、それでも上司には逆らえないと海藤はため息交じりに了承する。

「たのんだよ。ところで、先日の交易船で良い葉巻が手に入った。一本どうかね?」
「生憎、俺はこっちが良いもんで」

 気を良くしたホウが進める葉巻には目もくれず、海藤はスーツの胸ポケットから小さな紙袋を取り出して綺麗な四角いケースから取り出した紙にその中身を出す。
 茶色い乾燥させた葉を器用にくるくると巻き、端を子寄りの様に捩る……手巻きの紙巻きたばこ。最近国内でも安く出回り嗜む者が増えてきた嗜好品の一つだ。

「紙巻きたばこか、どうも私は好きになれないんだがね……」
「キセルよりも手軽で処理も簡単ですから良いんですよ」

 どちらにせよ灰になってしまうんだから同じじゃねぇか、と海藤は内心で思うがおくびにも出さず笑顔を浮かべて出来上がったたばこを咥える。テーブルの上のガラスの灰皿も日本製で綺麗な切子の模様が施されていた。

 ――カキン、シュボッ……

 スーツのポケットから取り出したオイルライターを手慣れた様子で着火し、息を吸い込みながら煙草に火をつけた。
 応接室にふわりと紫煙が漂い、視界の端を揺らぎながら消えゆく。

「我が国のライターかね? 見たことのないデザインだが?」

 ホウが海藤のライターに興味を持って問いかける。
 構造は自国にある一般的なオイルライターだが、その表面には美しい螺鈿の細工がされていた。

「ああ、近所の細工屋が余ってる細工用の貝殻で施してくれたんですよ。最近は何でもかんでも工場製だってボヤいてやがったんで……払いに少し色を付けたらこんな事に」
「バタフライに……」
「蝶と鹿と猪……花札、わかります?」
「あの謎のカードゲームの絵柄か、器用なものだ」

 ホウは何度か海藤の部下が休憩中にやっている花札をすぐに思い出した。
 ポーカーやブラックジャックと違い、盤上に札を並べて交互に取り合うというルールが良く分からず首をかしげるばかりだったが……その絵柄は実に繊細だったので良く印象に残っている。

「何なら小銭でも投げつけりゃあ喜んで作りますよ、アイツら」
「ふむ……では7つ、希望の絵柄は後で伝える。そうだな……50ドルでどうだ?」
「……商談するまでもなく」

 物の価値は人それぞれだが、日本の職人の暇つぶしに豪勢にも125円……途中で海藤が紹介料でいくらか抜いてもとんでもなく破格な報酬だ。
 きっと降って湧いた臨時収入にその職人は大喜びだろう。
 ホウの金銭感覚に……と言うより散財が趣味なのでは? と言わんばかりの行動に海藤は内心呆れつつも片手をあげて了承する。

「では頼むよ、半年もあればできるかな?」
「絵柄が決まりゃあ5日もいらんですよ……」

 アメリカの職人はそんなにのんきなのかと海藤は思うが……ホウを見ているとなんとなく想像ができた。5日間という速さに驚くホウに海藤は告げる。

「日本人はせっかちなんでね……依頼の女もそんなに待たなくていいですよ」

 いつの間にか、灰がポロリと落ちそうなほど伸びた紙巻きたばこをテーブルの灰皿にクシャリと押し付けて火を消す。

「じゃあ、くすぶってる火を消しに行ってきますよ。大統領」

 座り心地も良い、居心地も良い応接室だが……

「狩りの時間なもんで」

 闇に紛れて狩りを行う狩猟者として……海藤は居場所に戻るのだった。
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