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1章

5:安定の暗部さん

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「良い湯じゃった」
「そうね、ゆったり出来た」

 服を洗濯に出してしまっているので旅館の浴衣を二人で着ていた。 
 上質な綿製で浴衣にしてはしっかりと身体に重みを伝えてくるのがどことなく安心する。
 のほほんと二人で休憩用ベンチに座り、牛乳の蓋がポンっと小気味いい音を立てて開いた。
 灯子が見つけてきて蓮夜の分も持ってきたのだ。

「風呂上りはやっぱりこれじゃな」
「私初めて……なんで牛乳?」

 分厚い瓶に入れられた牛乳はひんやりとしていて、手にはしっかりと冷たい感触が帰ってくる。

「銭湯の定番らしいのぅ……月夜連の同僚が風呂好きでな」
「……暗部も銭湯行くんだ」
「むしろ戦闘後に先頭に立って銭湯に向かう奴じゃった……」
「…………そんな言い回しができるなら頭は良いのに」

 ふう、とため息を一つ吐いて牛乳を口に含んだ灯子達の元へ一人の仲居が近づいて来た。
 濃厚でほのかに甘い牛乳は火照った体にちょうど良く、のどを鳴らして一気に飲み切ってしまう。
 丁度二人が飲み終えた頃、胸元がかなり開いている浴衣に割烹着を羽織ると言う煽情的な格好とは裏腹に、三つ指をついて蓮夜の隣へ上品に腰を下ろす仲居がゆっくりと声をかける。

「蓮夜様、灯子様。御召し物は夕方にはお洗濯が終わりますので、御夕飯の後にお持ちいたしますがよろしいですか?」

 そんな彼女に蓮夜はうなずく。

「いつもすまぬな。それと、もう儂は月夜連ではないからそんなに丁寧にする必要は……」

 丁寧な彼女の対応はありがたいが、蓮夜としてはもうどこにでもいる爺。という事で普通に接してほしいとの思いだった。
 しかし、にっこりとしたまま仲居は蓮夜に言葉を紡ぐ。

「蓮夜様、例え月夜連でなくともここの従業員一同はいつまでも蓮夜様の事を大切な方だと思っております。そんな寂しい事は言わないでください、いつでも遊びに来てくださいませ」
「そうよね……高級、宿だもんね」
「いいえ、灯子様。蓮夜様は『特別』なんです」
「?」

 首を傾げる灯子に仲居は続けた。

「蓮夜様をはじめとする皆様がこちらをご利用される際、蓮夜様は遊女も呼ばず私たち従業員にいつも優しくて……お客様と言うよりそうですねぇ、親みたいな、祖父みたいな……そんな心の支えみたいな方なんです」
「……そうなんだ」
 
 だからこそ、蓮夜に灯子はこの宿の事について責めなかった。
 宿に入った瞬間、蓮夜を心配していたのか子供から女将まで仕事の手を止めて玄関に集まって来たのを見たから。

「おぬしらはそう言うが儂も随分この宿には助けられた。月夜連の他の連中もな……さて、儂は少し散歩する。灯子殿は?」
「私、ちょっと本を読みたい。廊下の本棚の本は借りれる?」

 先ほどこの大浴場に連れてきてもらう際、綺麗な中庭の見える廊下に本棚があった。
 その中には古びた小説や詩集が並んでいて灯子の興味を惹いていて、ぜひとも目を通したかったのである。

「ええ、こちらで執筆されたお方の寄稿本ですのでお持ち出しはできませんが。この宿の中で読む分には何冊でもどうぞ」
「……執筆した人の寄稿? 楽しみ」

 そう言って灯子は嬉しそうに頭を揺らした。
 
「では、夕餉は18時半で頼む……灯子殿。柳川鍋で良いのか?」

 一息で牛乳を飲み干して瓶を仲居に手渡しながら、蓮夜は席を立つ。
 
「うん、楽しみ」

 実に嬉しそうな灯子の笑顔とは反対に、仲居の表情が曇った。

「申し訳ありません蓮夜様、灯子様。本日は隣の料亭は貸し切りの連絡が来ておりまして……柳川鍋はご用意できないんです……」

 なぜか今日のタイミングで大人数の予約があって、出前には回せそうもないと料理長が連絡をくれたばかり。普段なら空いてるくらいなので仲居は不思議だと思いつつも承知する他なかった。

「む? そうか、ではまたの機会にしよう」
「仕方ない」

 灯子も蓮夜もそれならしょうがないとすんなり諦めて、何にするかと相談し始める。

「その代わりと言っては何ですが……牛鍋などいかがです?」

 そんな二人に仲居は提案する。

「実は横浜の『じゃのめどう』さんが近くで三号店を出したんですよ。近江から牛を仕入れてとっても美味しいんです」
「牛鍋って食べたことない」
「儂も、そういえば食べ損ねて以来縁がなかったのう……それにするか」
「ではご用意いたしますのでご賞味くださいませ。蓮夜様、お預かりしている刀は受付の者に言っていただければすぐご用意します」
「うむ、のんびり散策するだけじゃから宿を出るまで預かっててくれ。では後で、灯子殿」

 そう言い残して、蓮夜は大浴場の休憩所から出ていく。
 大浴場の暖簾をくぐり、ヒバの木の廊下をのんびりと進んだ。

 そこからは良く手入れがされたツツジの庭が広がり、甘い匂いと火照った身体を涼ませてくれる風が通る。

「こうして昼間に出歩くのはいつ以来かの?」

 今までこの廊下を歩く時は日が落ちてからが多く、ランタンの明かりに照らされる手元近くの光景しか覚えが無かった……日中歩いたのも任務で大怪我をして体力を取り戻すために、ゆえにこんなにのんびりと眺める機会は初めてかもしれない。

「綺麗な赤い花じゃ……」

 これからは堂々とお天道様の下を歩くことが多いのだろう。
 残りどれくらいの人生が残っているかは分からないが、少なくとも今日明日で終わる事は無い。
 無駄に頑丈な身体になったし、使いきれないほどの報酬が銀行にはある。

「刀を置いて……儂は何をすればいいかの。家を買ったらゆっくりと考えればいいか」

 ふわふわと取り留めもない事を考えながらゆっくりと歩いていく。
 
「しかし……自炊と言っても米の炊き方も知らんしな……こんな日が来るなら教えてもらえばよかったわい」

 そもそも興味自体持たなかったのはお前だろうと、ここには居ない同僚からの突込みが来るのは目に見えていたが……きっとぶつくさ言いながら面倒を見てくれると想像がついた。

「ふむ」

 ひらりと視界を横切る蝶の後を追い、廊下の先に目を向ければ……いくつも思い出せる懐かしい記憶。
 未熟だったころ、血まみれになりながら転がり込んだこともあった。
 仲間の命を救うために叫びながら仲居を呼んだこともあった。

「暇になると思い出せるものじゃのう」

 思わず頬を緩めて廊下を進むと、不意に右のふすまが開く。
 そこから顔を出したのは清掃中の仲居、洞爺と鉢合わせして妙な沈黙が流れた。

「すまぬ、驚かせたか?」
「驚きました。蓮夜様がとうとう女性を手籠めにして昼間からお盛んに!!」
「儂が驚く番じゃな!? 人聞きの悪い事を大声で言うな!?」
「しかも金髪碧眼の少女だとか!」
「知っておって遊んどるな!? な!?」
「はい、驚かされた仕返しでございます」
「……何やらこのやり取りも定番になりつつあるのぅ。久しいな、息災か?」
「うふふ、はい、娘も12になりました。蓮夜様もお元気そうで」 

 箒と塵取りを脇に置いて、仲居が蓮夜に微笑む。
 
「先ほどまで危うく行き倒れる所だったがな。そうか、もう12になるか……」
「……行き倒れる?」
「うむ、銀行で金を降ろせなかった……」
「……蓮夜様、退所の際に当面の生活費を皆様は現金でいただいておりましたけど……一年はゆうに遊べる額だったかと他の皆様から聞いておりますよ? 島でもお買いになられたんですか???」

 仲居は別れのあいさつに来た他の月夜連合の面々に聞いていた事を確認してみる。
 
「……なんじゃと? そんなものあったか?」

 顎に手を当てて蓮夜は必死に記憶の引き出しを開けまくったのだが……覚えはない。

「ええ、月夜連の施設の出口で皆様お見送りされたと……」
「見送り!? まて、確か儂……」

 あの日、月夜連合で集まる最後の日……

――では、またいつか明るい場所で会えることを期待する……

 蓮夜を含めた12人がそれぞれ頭領の話に頷き、一人一人部屋から出て行った……最後に残った蓮夜は彼に礼を言って……

――次は酒でも酌み交わそう……のんびりな

 普段と同じように、作戦指令室の窓から颯爽と出て行った。
 そのまんま適当に敷地内から出て……数日で行き倒れる。

「ああああああああ!!」

 そういえばあの時、なんか頭領の慌てた声が聞こえた気がした!!
 思わず両頬を押さえて叫び声をあげる蓮夜。

「……もしかして、いつもと同じように窓から出て行かれたのですか? 蓮夜様」

 さすが付き合いの長い仲居さん! 読みが正確である。
 ツツジの赤とは正反対の顔色に染め上げられる爺の顔を、仲居はくすくすと笑いながらも呆れた声で宥める姿は……どことなく慰められる犬の様であったとか。
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