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1章

開所しました!

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 心地よい風が吹く昼下がり、こじんまりとした屋敷の庭でセリスはのんびりと日向ぼっこをしていた。
 頭がなくとも感じられる風の感触と草の匂い、太陽の暖かさについついウトウトしてしまう。

「セリ様、昼に寝すぎるとまた夜に目が冴えてしまわれますよ?」

 ぱん! と気持ちいい音を立てて洗濯物のシーツをシワ取りして……手際よく物干し竿にかけていくヘリヤが呆れ混じりに声を掛けた。

『あまりにも気持ち良い天気なんですもの……無理ぃ』

 魔族領ではとんとお目にかかれ無いうららかな日差しに、セリスはすっかりハマってしまっている。

「まあ、魔王城周辺区域は年中曇天どんてんか雨ですからねぇ。夜行性や陽の光が苦手な種族の為にって」
『それはそれで必要なことだけれどもね。ヘリヤとラズが出張に出たがるのも理解できましたわ』
「ラデンベルグは四季がありますからヘリヤはこの季節が一番好きです」
『今は春……なのよね。夏は?』
「嫌いです……ラズはお気に入りらしいですが」

 確か、ちょっと暑いはず。と記憶の中の知識を引っ張り出してセリスは首を傾げた。魔族領では年がら年中ラデンベルグで言う梅雨時期と真冬をかけ合わせた風土だからとても楽しみにしている。

「それはそうとセリ様、昨日までに言われた通りチラシを街の色んなところに貼ってきましたが……城には貼らないのですか?」
『お城は内装工事の邪魔になりそうだったから、宰相様とお話して貼らないことにしたの。どのみちお仕事終われば家に帰るだろうし、街のチラシを見てもらえると思って』

 魔王城では住み込みの使用人はほとんど居ない、ちゃんと宿舎や城下町に自分の家があるからだ。

「……そう、ですか」

 ヘリヤもラデンベルグに来て日が浅いとはいえ、夜にふと城へ目を向けると窓から漏れる光の中をチラホラと動く人影を見ている。
 その人数を考えると……とてもそうは思えない。

 お使いで城へ向かうと結構な確率で眠そうに書簡を運ぶ文官や、パタパタとせわしなく働く目の下に隈を作ったメイドを見かけていたからだ。

『それに、お城って基本的には中枢機能を備えてるものでしょうから困ってもその中で解決することって多いと思うの。だからまずは街の人に知ってもらうほうが先かなって』

 人差し指を立てながらセリスは言葉を紡ぐ、ヘリヤはまあそれはそうか……圧倒的に街の中のほうが母数が多いのでそっちに目を向けるのは自然な流れであるし、セリスの性格から考えると腑に落ちる。

「畏まりました。予定通り3日後からセリス相談事業所を開設いたします……そう言えば今日でしたね、王城からお手伝いに来る使用人が挨拶に来るの」

 そんな思い出したかのようにつぶやくヘリヤの言葉に、セリスが肩をビクッとさせてジダバタと

『へ!?』
「……忘れておられましたか?」

 必死に頭の中の記憶を探るセリス、そんな事言ってただろうか??? 腕組みをしてうんうんと唸るような仕草でヘリヤはなんとなく察しがついた。

「先日ラズからの連絡で寝る前にホットワインを浴びるように飲んだ日がありましたからね。その日ですから酔っ払ってお決めになられたのでしょう……準備は済んでおりますから大したことではありませんけど、飲み過ぎは程々になさいませ」
『……あの日ですか』

 ちなみにヘリヤもセリスとラズの酒宴に混ざりたかったので、酔っ払ったセリスの身体がベッドの上で身振り手振りでジダバタしている姿を肴に黙々と呑んでいたりする。
 セリスのサポート体制で唯一ヘリヤに不満があるとすれば、魔王城側にあるセリスの頭の様子は共有でわかっても……自分の言葉や声がリアルタイムではセリスにしか聞こえないという事だった。

 もちろんラズにも感覚を共有することはできるがただでさえ距離が遠いのと、複数人に同時共有するという繊細な作業はお酒を呑んでいたりする負荷を減らしたいのでラズとの共有は緊急時のみに絞っている。

「お嬢様の準備自体は特にありませんし、初日に着る服を決めるぐらいでしょうか?」
『いつものドレスじゃだめかな?』

 ちなみに魔族は自らの魔力で衣服を『編む』、厳しい自然環境下や唐突な戦闘に耐えうるための知恵だが……セリスは現状使える魔力が限られてたりするので一番着慣れた赤いドレス以外は市販のものを着るしか無い。

「構いませんが……もうちょっと落ち着いた色でいかがでしょう。ただでさえ見た目がアレですので」
『……首無しで赤、確かにホラーな演目の歌劇でそんな幽霊が居ましたわね』
「天井裏のメアリー、ですねぇ」
『……昨日ラズにも言われました。おじいちゃんも口元隠して笑ってた』

 自分で首を落として早2ヶ月、魔王城もすっかり首だけになったセリスを見慣れたものも大半でラズや執事長などにからかわれる事も在る。
 若干釈然としないセリスの心境とは別に、周りは馴染みつつ在るという証拠であった。

「……かえって良いかもしれませんね。一発で覚えていただけるでしょうから」
『そ、そうだよね!』
「……(トラウマという意味でですが)」
『こういう仕事は覚えてもらえて口コミが大事だってお父様も言ってたもの』

 ふんす、と握りこぶしを作って意気込むセリスを見てヘリヤはこっそりため息を付く。
 そう言えば魔王はそんな事をたまにセリスに吹き込んでいたなぁ……と、悪気はないのだが、そういう事があるたびに執事長や周りの教育係が苦笑いしていたことをヘリヤはしっかり覚えていた。

 妙に常識的な魔王ではあったが、少しずれているところはまさに親娘で微笑ましい反面……大真面目に明後日の方向へ走り抜けるのは内心ヒヤリとさせられる。

『あら?』

 そんな事を懐古するヘリヤをよそに、セリスの肩のあたりに浮かび上がる疑問の言葉。
 
「来たようですね」

 屋敷の警備も兼ねるヘリヤが屋敷の門に目を向けると、ちょうど数人の男女が門の前に立ち止まり声を上げるところだった。

「すみません~! どなたか居られませんかぁ?」
「侍女長から聞いてないのか? ここはお二人しか居られないのだと……」
「はあ……先が思いやられる」

 一人はメイド服を着ている黒髪の少女、手をメガホンのようにして口元に当てて叫んでいるのをメガネを掛けた執事服の青年がたしなめる。
 その後ろにはあからさまなため息をつきながら白い調理服の上からこげ茶のエプロンをした隻眼の女性が腕組みをしていた。

「セリ様、ここでお待ちを」

 最後のシーツを洗濯かごから出してぱぱっと干すと、門へと駆け寄るヘリヤ。
 先日宰相から聞いていた通りの人相だと確認して、笑顔で声を掛ける。

「お待たせしました。魔王様の御息女、セリス様の侍女を務めておりますヘリヤと申します。宰相様より伺っております侍女見習いのメイ様、フットマンのレオス様、パティシエールのファウナ様でお間違い無いでしょうか?」

 完璧とも言える所作でのヘリヤに3人は返事を返すこともできずにぽかんとする。
 はて? とその様子を見てヘリヤが首を傾げた。なにか失礼でもあっただろうかと。

「こんな少女が……ヘリヤ、様?」

 ――ごつん! 

 凄まじく重たい拳骨がメイの脳天に突き刺さる。
 
「びにゃ!?」
「おお」

 普通には知覚できないほどの速度で振り下ろされたファウナの拳骨にヘリヤが感心の声を上げた。もしかしたら不意打ちだと当たってしまうかもしれないほどの速さだったのだ。

「魔族なんだから見た目通りの年じゃねぇだろ、悪いヘリヤ様……こいつ魔族と会うの初めてなんだ」
「いえ、慣れております。この国では案外便利ですのでお気になさらず」
「そか、礼儀知らずで悪いが俺がファウナ。そっちの眼鏡がレオス、このうずくまってるのがメイで間違いない。宰相のクソジジイの命令で来た」
「ご紹介ありがとうございますファウナ様、どうぞこちらへ」

 微笑んで門を開けるヘリヤだが、心の中では早くも真っ黒な雨雲が立ち込め始める。ぷすぷすと脳天から煙を上げるメイをひょい、と真顔で担ぐレオスの様子から普段からこういう子なのだろうと予測がついたから。

「先に言っとく、俺……」
「ご安心くださいませ、セリス様はお気になさりません」

 反面、ヘリヤにとって一番好感が持てたのはファウナであった。
 自分の礼儀のことを言おうとしたのを遮り、柔らかい声で先を紡いだ。
 そのことに驚きつつも、ファウナは苦笑を浮かべながら先を歩き始めたヘリヤの背中に返事を返す。

「そか……良いやつだな」
「ええ、きっと貴女も気に入ります」

 反対に、一番困るなぁ……と言う印象を持ったのはレオスだった。
 一見黙々とやるべき事をやるタイプに思えるが……今の挨拶からの一幕に一切眉根を動かさ無い。

 警戒されているのとも違う、これは。

「……(無関心、ですか)」

 ある意味執事としての才能とも言える。が。
 ちらりとメイを背負うレオスの目は一切視線がブレずに前だけを見ている。一抹の不安を抱えながらもまずはセリスに三人を紹介するのを優先させた。

「……きれいな庭だ」

 ポツリと呟くファウナにヘリヤの意識が戻る。
 そこまで綺麗だろうか? 確かに屋敷の建設中は暇なので庭弄りはしたものの雑草を抜いて芝を刈っただけだからだ。

「そうですか?」
「メイドはあんた一人と聞いていた……とても一人でできる広さじゃない」

 まあ、確かにこじんまりというものの貴族区域の住宅敷地はそれなりに広い。
 人族からしたら手には余る……のかな? と納得するヘリヤ。
 おいおいその辺の常識もすり合わせなければと頭の片隅に置きつつ、セリスが待っている庭の端っこまでたどり着くと……セリスが4人の方を向いて立ったまま待っていた。

「セリ様、王城からの派遣で来られました皆様をご案内いたしました」
「よろしく、俺はパティシエールのファウナ」
「フットマン見習いのレオスです。背中のメイド見習いはメイです」

 ちゃんとここに来る前に宰相から聞いているだけあってファウナ達はセリスの頭がない事には驚く様子は見られない。
 別な意味では驚いているのだが……。

『はじめまして、魔王の忘れ形見……セリスと申します。相談事業所開設のご協力に感謝を』

 ふわりとなびくスカートの裾を摘んで一礼するセリスにファウナの目が見開いた。

「聞こえているのか」
「はい、私の魔法で視覚、聴覚、触覚、などを共有しておりますので」

 ヘリヤの補足に「魔法って何でもありだな」とつぶやくファウナがセリスに挨拶を返す。

『よろしければ中でお茶でも飲みながら……の前に』

 セリスはレオスに担がれているメイの頭に優しく手を置き、柔らかい光を放つ。

「これは、回復魔法……」

 不意に眼前まで来たセリスにも動じなかったレオスがセリスの魔法に驚いた。

「魔族は使えないんだとばかり思ってました」
『使えないと言うより知らなかった。が正しいのです。ここに来る前にアイゼン陛下に教えていただいてますので……一通りは使えますわ』

 ほんの僅かな時間でメイがほにゃ? と寝ぼけた声で目を覚ましたのを見てファウナが「おもしれえお嬢さんだ」と口の端を笑うように歪める。

「ではセリ様、私はお茶を用意いたしますので皆様と応接室へ」
『わかったわヘリヤ。よろしくね』

 三者三様、セリスはウキウキと。ヘリヤはさて、どうしたものかと。3人のお手伝いはどうにも判断しがたい様子で大人しくセリスの後ろに続くのだった。
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