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1章

傷心からの脱却

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「本気ですか? お嬢様」
「本気よ、ラズ……」

 魔王城のセリスの私室、巨大な花崗岩かこうがんから削り出した書斎机の上に鎮座する生首の金と銀の瞳がメイドのラーズグリーズをしっかりと見据える。
 その彼女は……ぽりぽりとラズの手を借りてクッキーを頬張っていた。
 そんなセリスにラーズグリーズは呆れたような表情で言葉を返すしかない。

 魔王城でセリスの私室に入れるものは少なく、身分やそういう事ではなく純粋に魔眼に抗える力量を備えてない者は良くて生きたまま石の彫像に、普通は即死するし最悪の場合絶命した瞬間を石にされてそのまま未来永劫その姿を晒し続けてしまうのである。

 メイドのラーズグリーズとヘリヤは取り分けて魔眼の耐性が高く、メイドの力量も優れていることからセリスの幼い時からもずっと側仕えであった。

 故に、セリスの冗談も喜怒哀楽も……本音も即座に見極められる自負がある。何よりラーズグリーズの金髪、同僚のヘイズの銀髪は奇しくもセリスの瞳の色と同じであり他の使用人からは親しみを込めて『令嬢メイド』と呼ばれていた。

 そのラーズグリーズはセリスがこういう時に引かないことも重々承知している。

「……どうしてそこまで」

 昨日手痛い失恋を経験して泣きはらした目をラーズグリーズは思い出す。あれはそんな簡単に乗り越えられるものではない……同行しているヘリヤに連絡を取ったが……アイゼン陛下にお願いして今回の訪問自体を一旦なかったことにしようと書いて寄越すほどだった。

 ヘリヤは特にセリスに甘い、あの場で暴れ出してもおかしくないほどなのに……一緒に落ち込むほど。
 それは正しく感覚を共有しているからであろう。

「私は、幸せでした」

 セリスは目線を下に向けてポツリと呟いた。

「父様に愛され、この目と魔力に絶望しなかったのは貴女とヘリヤ、おじいちゃんを始めとする城のみんなのお陰……嬉しかった。あの戦争の時、父様のお陰で私は初めてエルフやドワーフ、そして人と並び立って戦えた。必要だと言ってくれた。普通なら……引きこもり、歪んでもおかしくなかったのに……私はこうして、幸せだったと胸を張れる」
「お嬢様……胸は向こうにありますよ」
「ふふ、そうね」
「お嬢様、しかし……今回はお嬢様とは全く関係なくどう解釈してもあのあんぽんたんの戦闘バカのせいで傷ついたのですよ? それなのに……」
「そうよ、でも……アイゼン陛下も5年間準備をして国に招いてくれたんだもの。きっと大変だったはずだわ、謁見の時の事……覚えている?」 
「ええ、阿鼻叫喚でしたね」

 ヘリヤはちょうどいいのがなかったからと棺桶でセリスを運んだが、実際はちょっと違う。魔王城の宝物庫を漁っても身体と頭が近い状態ではセリスの魔力を抑えるのは難しかった。
 そんな時、戦争の時に残された瓦礫の中から出てきた棺桶が尋常ではない魔力封じの細工が施されていたので……無理やり流用する事となる。

 それでも万が一、と言うセリスの要望で身体を棺桶で運んだが、あそこから起き上がり首がコロンと落ちたら魔族だって普通にビビる。
 
「でも、誰も……私を怖いとは思ってなかったわ」
「……あ」

 確かに万全の装備をしていた、何かの拍子にセリスの魔眼が機能しても大丈夫なように。
 でも、あの場に居た騎士……そして文官に至るまで。

「ちょっと失敗しちゃったけど。きっと」
 
 歓迎してくれた。

 そう思える。

「お礼がしたいの。みんなが私を愛してくれたように……今度は私が誰かを……誰かのために、これからラデンベルグに来る魔族のために」
「で、相談所。ですか」
「うん、それに……これだけ離れていれば体の方は魔力も人並み位になってるってヘリヤが言ってたし。魔族だけじゃない、エルフやドワーフ……もちろん人族の相談にも乗れるわ……人と魔族の架け橋、元々はそれが目的の婚姻だったんだし。違う形でも……それだけは成し遂げたいの」

 もちろん、セリスの願いはヘイズとの結婚だったが……それとは別にちゃんと目的を持っていた。
 いずれにせよなにかしたいと思っていたアイディアの一つがその相談所という訳である。

「……そっくりです」

 ふふ、と口元に手を当てラーズグリーズは口を開く。

「え?」
「そっくりと申し上げました。魔王様そっくりです……真っすぐで、自分のことは二の次」
「そ、そう?」
「ええ、首を斬ったときもそうです。首を斬ってそのまま弱い回復魔法を寝ている時も維持だなんて魔王様でもできませんからね? コックのデュラハンも呆れていたくらいですから」

 身体を動かす練習の際。おそろいですわね、とセリスが冗談めかして彼に告げた時にデレデレになっていたのをラーズグリーズは鮮明に思い出せる。
 きっとあの兜の中は真っ赤になっていただろう。

 若干名、冗談にしてはシュールすぎると周りは引いていたが……。

「だ、そうですよ執事長。いかがですか?」

 そんなラーズグリーズがセリスの部屋のドアへ声を掛ける。
 キョトンとしたセリスが目線だけをそちらに向けた。

「さすがは千里眼のラズ、腕を上げましたね」

 ゆったりとした低い声の後……控えめにコンコン、とドアがノックされる。

「おじいちゃん? どうぞ」

 石造りの扉を開いて現れたのはいつも通りの執事服に身を包み、片眼鏡をかけた老紳士。魔王城の執事長であった。

「申し訳ありませんセリス様、ノックをしようと思ったら声が聞こえまして」

 礼をしたまま非礼を詫びる。

「ふふ、じゃあ改めて説明は不要ですわね。助かりましたわ」
「ありがとうございます。お嬢様」
「もうお仕事は終わりでしょう? いつも通りで良いですよ」
「ほ。言われてみればそうですな、では……本気ですか? セリス」

 時計はすでに22時、魔王城の使用人の日勤は21時まで……確かにセリスの言う通りプライベートと言っても問題はない。

「本気です。それに、ヘイズ様との再会は残念な結果ですが……諦めてはないのですよ?」
「はい?」
「なんと?」

 コロコロと笑うセリスの言葉にラーズグリーズと執事長は顔を見合わせる。
 そもそも恋愛にすら届かない再会なのに、セリスは諦めないとは一体???

「た、確かに……ヘイズ様が私を倒すのをお父様と約束していたと言うのは頭が痛くなりそうな誤解ですが。悪人ではありませんわ、なんたって勇者ですもの」
「しかし……」
「まだ始まってないのです」

 そう、そもそも始まってないのだから……始めればいい、この瞬間から。セリスはそう決心した。

「お嬢様」
「だから……始めたいのです。ヘイズ様に、そう、思ってもらえるように」

 なぜそこまでの思いを、執事長もラーズグリーズも息を呑むほどの純真さでセリスは告げる。

「それに」
「「それに?」」
「せっかくラズとヘリヤのお陰で、初めて外を自由に歩けるのよ? もったいないじゃない」

 それもまたセリスの本心。

「……もったい」
「……ない?」

 そう言われてみれば、たしかにセリスが外出する際は厳重な下準備と協力が必要だったと二人は思い出す。
 万が一、偶然であろうが無かろうがセリスに出会ってしまえばセリスの意図にかかわらず生物や一部の無機物は魔眼の影響を受けてしまった。

 そのためにいつも執事長が計画を立て、ラーズグリーズが監視し、ヘリヤが野生の魔獣や魔物、動物を共感覚で遠ざけていた。

「久しぶりに……自分の見るものを、怖がらずにすむの」
「…………」

 それは、セリスのトラウマ。
 幼少期、魔眼の力が覚醒する前までは良かった……城の使用人もセリスの高い魔力にも引けを取らぬ実力を持つものがほとんどだったし、それまでのセリスは魔力を生まれながらに完璧な制御を行っていた。

 しかし、成長し……魔眼が覚醒すると話が変わった。

 本来魔眼は1人につき1つ、魔王ですらセリスの魔眼については無理やり魔力を流して封じる他なかったのである。
 それでも10年、10年もあればセリスが制御できると誰もが信じていた。

 でもだめだった。

 ただでさえ年齢にそぐわない強力な魔力を制し、更には誰も経験したことのない2種の魔眼をその身に宿すセリスには誰もその制御を指南できる先達は居ない。
 最強の魔力を持つ魔王が力付くで相殺する以外にセリスに近寄れるものは居なくなる。
 
 皮肉にも、その魔眼を前にしても抗えるだけの技量を備えればいいと自己研鑽した魔族の中に魔眼耐性を持つものが現れたのは不幸中の幸いだっただろう。

 執事長は思い出す。
 あの頃の城は凄まじかった。
 誰も彼もが自己の魔力を高め、制し、魔眼に抗うべく研究に勤しんでいた。

 それはすべて、セリスのために。
 
「だから、お願い。やってみたいの」

 ラーズグリーズも血の滲むような努力の末に得た魔眼耐性。
 それに気づいたときは純粋に嬉しかった。
 幼い時からラーズグリーズはセリスの従者であり良き友人でもある。

「お嬢様、わかりました」
「ラズ……ありがとう」

 勤務時間は絶対にやらないが、今は勤務時間外だ。
 ぽふん、とラズの白い手がセリアの頭を優しく撫でる。

「まったく……お嬢様、夜分遅く申し訳ありませんでした。私は仕事を1つ思い出しましたゆえ、片付けてまいります。ラズ、後は任せましたよ」

 ふう、と胸ポケットに入っている時計を確認しながら執事長はくるりと踵を返し仕事に戻ろうと扉に向かった。
 その背にセリスは声を掛ける。

「おじいちゃん、アイゼン陛下にあまり無理を言わないでね?」
「やれやれ、お見通しでしたか。早めに寝なさい……今晩は冷える」

 ぱたん、と優しく閉められた扉にセリスはありがとう。と声を掛ける。

「ではお嬢様……寝付きを良くするためにホットワインでもいかがですか? シナモンとはちみつも入れましょう」
「え? ええ? 今から?」
「はい、こういう時にはお酒に限ります。エルフの国から昨年より届いたワインは若いですがとても美味しいですよ!」
「はいはい……じゃあ、一緒に飲みましょうか」

 きっと、ラーズグリーズはセリスを励ましているのだろう。
 そんな彼女の気遣いに頬を緩めながらセリスは同意する。

「あ、その前に……」
「うん?」

 ラーズグリーズはポケットから綺麗なハンカチを取り出して、水差しから少し水を垂らして湿らせるとぐりぐりとセリスの顔を拭き始める。

「んにゃあ!? なにするのラズ!!」
「そんな顔で誰かに見られたらどうするんです。涙の跡、そのまんまじゃないですか」
「だ、だって体が」
「そのための私です。もっと頼ってください、もっと我儘言ってください、こんなに泣きはらした顔より……いつも笑っててほしいのだから」

 ひょい、とセリスの頭を抱き上げ胸元でしっかりと保持する。

「……あったかい」

 ふっくらとした感触と人肌の温かさにセリスの頬が更にほにゃんと緩む。

「それはようございました。さあ、行きましょう行きましょう」

 激動だったセリスのラデンベルグでの最初の晩は深く深く、静かに終わろうとしていた。
 温かいホットワインの香りの中で。
 
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