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第二章 機関区の影
第五話 横浜の少女
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「ええ。確かに言われました。『ここは自分たちがやるから、お前たちは休んでいろ』と・・・・」
拝島さんが焼きそばを食べながら言う。
「・・・鉄道の現場は、一種独特な気風があります。『自区の機関車の責任は自区でもつ』というのもその一つです。時にはその機関区の技工長が機関車に添乗することもあるくらいです・・・・・」
箸をおいて、お茶をすすった。
「だから、その時も大して気にしませんでした。『責任感の強い機関士さんなんだなぁ』と思ったくらいです」
「それで、アレを見たと?」
兄さんが問う。
「ええ。その日はたまたま給水スポートの調子が悪いっていうんで、はしごをかけて登って様子を見ていたんです。そして、ふっと下を見降ろしますと、ちょうどボート・トレインの機関車が見えたんです。その炭庫の中に、何か箱のようなものが見えました。最初は何かの試験をやっていて、その計測装置か何かかと思ったのですが、上司に訊いてもそんなことはないらしくて・・・・」
拝島さんがお茶をまた飲んだ。
「それは、どんなものだったんですか?」
「確か、箱状で大きさは大体両手で持てるほど。箱をさらに油紙か何かで包んだような見た目でした」
なるほど。それほど大きくはないわけね。
「そして、それを石炭で埋めるようにしていました。それ以外は特に何もなかったですね・・・」
「そうですか。それはボート・トレイン全てで?」
兄さんが問う。
「いえ、毎回同じ機関助士の時です。確か、左の頬に刀傷のある若い助士でしたね」
拝島さんが言った。
「ところで、それを直接本人に訊いたことは?」
兄さんの問い。
「いえ、それはなかったです。その人はどことなく怖いんですよね。なんとなく近寄りがたい雰囲気が漂っていました」
拝島さんはそう言ってお茶をすする。
「そうですか・・・・名前は分かりますか?」
「いえ、わからないです」
「そうですか・・・・」
兄さんが言った。
「そうだそうだ・・・・」
拝島さんが口を開く。
「せっかくいらしたのですし、よろしければ機関区を見学いたしませんか?」
プシュー・・・・ ダン! ダン!
吹き出す蒸気の音とせわしなく動く機械の音・・・・・
ゴトン ゴトン・・・・・
砂利や石炭を積んだ貨車がゆっくりと通り過ぎていく。
「随分と埃っぽいんですね・・・・」
わたしはそう言うと、拝島さんの後について歩きだした。
「まあ、そんなお上品な場所じゃあないですからね」
拝島さんが歩き出す。
シュァー・・・・・ ピィィィ!
汽笛の音と蒸気の音。
「この機関車は5500形。横浜港駅や東横浜駅の入れ替えを行っています」
目の前の給炭台で、一両の機関車が石炭を補給している。各部が優雅な曲線を描き、煙突の先の真鍮が輝いていた。
シュッ シュッ・・・・・
機関車は給炭を終えると、ゆっくりと動き出す。
ダン ダン・・・・
レールの継ぎ目を踏む音とともに、初めて見る構造物に載った。
「あれは・・・・?」
「あれが転車台です。蒸気機関車の前後を入れ替える道具ですよ」
拝島さんが説明してくれる。
ゴォォォォ・・・・・・
モーターの音が響き、転車台が回転を始めた。
「随分とゆっくり回るんですね」
「あまり早いと事故りますから」
拝島さんが言う。
ピィッ!
転車台が止まると同時に、機関車が汽笛を短く鳴らして後退し、扇形庫に取り込まれていった。
「あの機関車は明日、東横浜駅の入換仕業につきます。これから庫内手が車体を磨き上げるでしょう」
そういう拝島さんの後について、さらに機関区の中に入る。
「あ・・・・」
ふと側線に目を向けると、先ほど見たきらびやかな機関車が目に入った。
「ボート・トレインの・・・」
近くで見ると、やっぱり派手な機関車だ。いたるところがキラキラと輝いている。
「!?」
兄さんが何かに気づき、その方向を指さした、
「あ・・・ッ!?」
その方向を見ると、ちょうど一人の男性が歩いてくるところだった。紺色のナッパ服に身を包み、右手に工具箱を持っている。何より、その人の大きな特徴となっていたのが、右頬の刀傷・・・・。
「もしかして・・・・・」
「ええ、あの人が例の機関助士です」
わたしが口を開くと、拝島さんが言った。
「どうした?」
その機関助士がこちらに近づき、拝島さんに声をかける。
「はい、機関区の見学に来られた方です」
「そうか、それならいいが、品川区の機関車には手を触れさせるなよ」
機関助士が言う。確かに、凄みのある声で近寄りがたい雰囲気だ。
「わかりました」
拝島さんが言うのにうなずき、機関助士は機関車のステップに足をかける。
そして、運転台に乗り込んでいった。
「さて、さらに別の場所を見学しましょう」
拝島さんがさらに向こうへと歩き出す。
「わかりました・・・・・」
わたしは初めて見る男の職場に胸を高鳴らせ、そのあとについていった。
「ええ、私も言われましたね・・・・・」
高島機関区の炭水手詰め所。拝島さんの同僚の方が言う。
「・・・他の者たちも言われたことがあるはずです。うちの庫内手や炭水手の間ではちょっとした有名人ですよ。『とにかく機関車に触れられることを嫌がる機関助士』って」
彼―本人の希望で名前は伏せさせてもらう―に対し、兄さんが問う。
「機関士の方は?」
「いえ、機関士はいつも同じというわけではありません。そもそも、機関士と機関助士の組み合わせは、固定されているわけではないのです」
ほほう、常に乗務員の組み合わせは変わるってことね・・・。
「機関車に触られるのを異常に嫌がるのは、あの人だけでしょう」
「なるほど。特に、機関車のどの部分に触れられるのを嫌がりますか?」
さらに問う兄さん。
「炭水車です。特に炭庫のあたりは絶対に近づかないよう言われました」
彼はそう言うと、湯呑に薬缶のお茶を注いだ。
「そうですか・・・」
兄さんがそう言って、懐中時計を見る。
「お話を聞かせてくださってありがとうございました。帰りの列車の時間が近いので、これで失礼いたします」
椅子から立ち上がり、一礼した。
「ありがとうございました」
わたしも一礼し、兄さんの後に続いて機関区の外に向かう。
「横浜港駅までお願いします」
正門前に呼んだタクシーに乗り込んだ。
エンジンをうならせ、タクシーは横浜港駅に向かう。
キキッ
ブレーキ音が響き、横浜港駅に着くと、兄さんは運転手さんに料金を払って車外に降り立った。
「さて・・・・・」
横浜港駅ホームに据えられたボート・トレイン。
「東京に帰りますか・・・・」
そう言って改札を通ろうとした瞬間・・・。
「あなたたちですね?ここ最近機関区周辺を嗅ぎまわっている人間は」
ふいに後ろから声をかけられる。振り向くと、一人の少女がわたしたち二人の肩をつかんでいた。
「・・・で」
金剛ビル四階、兄さんが向かいのソファーに座った少女を見て言う。
「君は一体誰なんだ?成り行きで連れてきてしまったが・・・・」
「あ、はい!」
わたしの出した紅茶を飲んでいた彼女が背筋を伸ばし、カップを置いた。
「わたしは津山茉莉。高島機関区区長の娘です」
茉莉は深々と頭を下げると、口を開く。
「ここ最近、東京から来た怪しい人たちがうちの周りをうろついていると聞きました。そこで、機関区の周りを見張っていたのです」
「そこで、わたしたちを捕まえた・・・と?」
わたしが問うた。
「ええ、ただ、本来探していた人物とは違ったようです」
「その探していた人物とは、どのような奴だったのかね?」
兄さんが問う。
「ええ、青色の作務衣を着た焼き芋屋だと聞いていました。それと、蒸気を使って走る奇怪なバイクに乗っているとも・・・・」
「それって・・・・」
わたしは兄さんの方を見る。
ガチャッ
兄さんが電話機の受話器を手に取り、ダイヤルを回す。
「もしもし、一つだけ言う。今すぐ金剛ビルに来い!何も情報はいらん!」
そう言うと、受話器を置いた。
しばらくして・・・・
シュポポポポポポ・・・・
ワン!ワン!
蒸気機関の音と疾風の吠える声。かすかに石炭の燃えるにおいと潤滑油の匂いが鼻に届いた。
「毎度ありがとうございます!」
例の焼き芋屋さんが階段をのぼり、わたしたちのいる書斎に入ってくる。
「お前、ちょっとそこに座れ」
兄さんがソファを指さす。
「お前なぁ、隠密調査のつもりがバッチリ相手にバレてんじゃねえか」
あきれたように言う兄さん。
「いやあ、噂を集めるには商売しながらの方が都合のいいものでね」
焼き芋屋さんが悪びれずに言う。
「お前はただでさえあのバイクが目立っているんだから、少しは気を付けろ」
兄さんが「呆れた」とでも言いたげに言った。
「あなた、うちの周りを嗅ぎまわってましたよね?見てましたよ?」
茉莉が焼き芋屋さんに詰め寄る。
「そんなに詰め寄らないでくれ、津山茉莉ちゃん」
焼き芋屋さんはそう言うと、茉莉の鼻先を軽く押した。
「なっ、なぜわたしの名前を!?」
「おっと、それだけじゃないよ」
少しひるんだ茉莉に対し、焼き芋屋さんはさらに言う。
「津山茉莉。高島機関区区長、津山義春の娘。幼いころから探偵物語を読んでいた影響で自らも探偵を志すようになる。ただ、『推理』は常に空回り。ついでに言うと・・・・」
兄さんを指さした。
「そこにいる初霜武―いや、ここでは日向坂陽先生と呼んだ方がいいかな?―の大ファン」
「どうも、私の親愛なる読者君。お手紙はいつも拝見しているよ」
兄さんが立ち上がり、優雅に一礼する。
「あっあっ・・・・」
混乱しているのか、茉莉は何も言えず口をパクパクさせていた。
「ちょっと!そんな一気に情報流し込んだら混乱しちゃうでしょ!?」
わたしは二人と茉莉の間に入り、その話を遮った。
「ほんとごめんなさい。うちの兄とその仲間は人のことを考えられない奴らばっかりだから」
「まあ、いいんですが・・・・」
何とか気持ちを取り戻した茉莉。
「ところで・・・・」
兄さんが茉莉の目を見る。
「俺と小春についてきたということは、何か言いたいことがあるんだろう?」
「はい、そのことについてですが・・・・」
茉莉が語り始めた。それによると、彼女の父親―つまりは高島機関区長の言動が最近おかしいそうだ。
曰く、これまで家族思いの父親だったのが、家族そっちのけで機関区にいることが多くなったとのこと。
「なるほど、それで何かがあったのかと思ったわけか・・・・」
兄さんの言葉にうなずく茉莉。
「ええ、その時、機関区付近にこれまで見なかった焼き芋屋が出没していると聞いたものですから、それと何か関係があるのではないかと・・・・」
茉莉が兄さんに言う。
「なるほど、それで高島機関区に近づく怪しい人間がいないか見張っていたわけだね?」
「そうです」
茉莉がうなずいた。
「それで、あなたたちを見かけたので、横浜港駅に先回りしていたわけです」
「ちょっと待って!」
わたしは茉莉の話を遮る。
「わたしたちがタクシーに乗った時、周りには炭水手の拝島さんしかいなかったけど、どうして横浜港駅に行くってわかったの?」
「お二人がタクシーの運転手と話しているのを聞いたんです。少し離れた電柱の影から」
「ちょっと待って」
わたしは再び茉莉の話を遮る。
「聞いていた。って、結構距離あったよね?」
「わたしは昔から、他の人よりちょっとばかり耳がいいんです。他の人はわたしほど細かい音を聞き取れないみたいですね」
茉莉がけろりとしていった。
いや、あの距離で会話の内容を聞き取れるのは「ちょっとばかり耳がいい」の次元を超えていると思う。
「なるほどな・・・」
兄さんが机に置いてあったパイプを手に取る。
「君の耳の良さは何かと役に立ちそうだ」
英国からわざわざ輸入しているという煙草を火皿に詰め、火をつけた。
「そうですよね!?」
茉莉が身を乗り出し、兄さんに詰めよる。
「そ、そうだな・・・」
兄さんが目を背けながら言った。
「そこで!」
茉莉が自分の胸に手を置く。
「わたしがこの耳の良さで、日向坂先生の推理に協力させていただきたいのです!」
「それはなぁ・・・・」
兄さんがたばこの煙を吸い込んで言う。この声音は、「どう断ったらいいか」とか考えてる声だ。
「決して迷惑はかけませんから!」
畳みかけるように言う茉莉。
「じゃあ、これだけ約束して欲しい」
兄さんが茉莉に向かって言う。
「まず、このことは君の家族や友達にも秘密だ。できる限りこのことは知られたくない」
「わかりました!秘密ですね!」
元気よく答える茉莉。
「もう一つ。死にそうになったらすぐに逃げること。何も率先して死にに行く必要はない」
「わかりました」
真面目な顔をして茉莉が言う。
「よし!じゃあ協力してくれ」
「ありがとうございます!」
茉莉が満面の笑みを浮かべて言った。
「よし・・っと」
茉莉が返事するのを確認して、兄さんが立ち上がる。そして、そばにかけてあった帽子と上着を手に取り、身に着けた。
「ちょっと人に会いに行くぞ、お前たちも来い」
拝島さんが焼きそばを食べながら言う。
「・・・鉄道の現場は、一種独特な気風があります。『自区の機関車の責任は自区でもつ』というのもその一つです。時にはその機関区の技工長が機関車に添乗することもあるくらいです・・・・・」
箸をおいて、お茶をすすった。
「だから、その時も大して気にしませんでした。『責任感の強い機関士さんなんだなぁ』と思ったくらいです」
「それで、アレを見たと?」
兄さんが問う。
「ええ。その日はたまたま給水スポートの調子が悪いっていうんで、はしごをかけて登って様子を見ていたんです。そして、ふっと下を見降ろしますと、ちょうどボート・トレインの機関車が見えたんです。その炭庫の中に、何か箱のようなものが見えました。最初は何かの試験をやっていて、その計測装置か何かかと思ったのですが、上司に訊いてもそんなことはないらしくて・・・・」
拝島さんがお茶をまた飲んだ。
「それは、どんなものだったんですか?」
「確か、箱状で大きさは大体両手で持てるほど。箱をさらに油紙か何かで包んだような見た目でした」
なるほど。それほど大きくはないわけね。
「そして、それを石炭で埋めるようにしていました。それ以外は特に何もなかったですね・・・」
「そうですか。それはボート・トレイン全てで?」
兄さんが問う。
「いえ、毎回同じ機関助士の時です。確か、左の頬に刀傷のある若い助士でしたね」
拝島さんが言った。
「ところで、それを直接本人に訊いたことは?」
兄さんの問い。
「いえ、それはなかったです。その人はどことなく怖いんですよね。なんとなく近寄りがたい雰囲気が漂っていました」
拝島さんはそう言ってお茶をすする。
「そうですか・・・・名前は分かりますか?」
「いえ、わからないです」
「そうですか・・・・」
兄さんが言った。
「そうだそうだ・・・・」
拝島さんが口を開く。
「せっかくいらしたのですし、よろしければ機関区を見学いたしませんか?」
プシュー・・・・ ダン! ダン!
吹き出す蒸気の音とせわしなく動く機械の音・・・・・
ゴトン ゴトン・・・・・
砂利や石炭を積んだ貨車がゆっくりと通り過ぎていく。
「随分と埃っぽいんですね・・・・」
わたしはそう言うと、拝島さんの後について歩きだした。
「まあ、そんなお上品な場所じゃあないですからね」
拝島さんが歩き出す。
シュァー・・・・・ ピィィィ!
汽笛の音と蒸気の音。
「この機関車は5500形。横浜港駅や東横浜駅の入れ替えを行っています」
目の前の給炭台で、一両の機関車が石炭を補給している。各部が優雅な曲線を描き、煙突の先の真鍮が輝いていた。
シュッ シュッ・・・・・
機関車は給炭を終えると、ゆっくりと動き出す。
ダン ダン・・・・
レールの継ぎ目を踏む音とともに、初めて見る構造物に載った。
「あれは・・・・?」
「あれが転車台です。蒸気機関車の前後を入れ替える道具ですよ」
拝島さんが説明してくれる。
ゴォォォォ・・・・・・
モーターの音が響き、転車台が回転を始めた。
「随分とゆっくり回るんですね」
「あまり早いと事故りますから」
拝島さんが言う。
ピィッ!
転車台が止まると同時に、機関車が汽笛を短く鳴らして後退し、扇形庫に取り込まれていった。
「あの機関車は明日、東横浜駅の入換仕業につきます。これから庫内手が車体を磨き上げるでしょう」
そういう拝島さんの後について、さらに機関区の中に入る。
「あ・・・・」
ふと側線に目を向けると、先ほど見たきらびやかな機関車が目に入った。
「ボート・トレインの・・・」
近くで見ると、やっぱり派手な機関車だ。いたるところがキラキラと輝いている。
「!?」
兄さんが何かに気づき、その方向を指さした、
「あ・・・ッ!?」
その方向を見ると、ちょうど一人の男性が歩いてくるところだった。紺色のナッパ服に身を包み、右手に工具箱を持っている。何より、その人の大きな特徴となっていたのが、右頬の刀傷・・・・。
「もしかして・・・・・」
「ええ、あの人が例の機関助士です」
わたしが口を開くと、拝島さんが言った。
「どうした?」
その機関助士がこちらに近づき、拝島さんに声をかける。
「はい、機関区の見学に来られた方です」
「そうか、それならいいが、品川区の機関車には手を触れさせるなよ」
機関助士が言う。確かに、凄みのある声で近寄りがたい雰囲気だ。
「わかりました」
拝島さんが言うのにうなずき、機関助士は機関車のステップに足をかける。
そして、運転台に乗り込んでいった。
「さて、さらに別の場所を見学しましょう」
拝島さんがさらに向こうへと歩き出す。
「わかりました・・・・・」
わたしは初めて見る男の職場に胸を高鳴らせ、そのあとについていった。
「ええ、私も言われましたね・・・・・」
高島機関区の炭水手詰め所。拝島さんの同僚の方が言う。
「・・・他の者たちも言われたことがあるはずです。うちの庫内手や炭水手の間ではちょっとした有名人ですよ。『とにかく機関車に触れられることを嫌がる機関助士』って」
彼―本人の希望で名前は伏せさせてもらう―に対し、兄さんが問う。
「機関士の方は?」
「いえ、機関士はいつも同じというわけではありません。そもそも、機関士と機関助士の組み合わせは、固定されているわけではないのです」
ほほう、常に乗務員の組み合わせは変わるってことね・・・。
「機関車に触られるのを異常に嫌がるのは、あの人だけでしょう」
「なるほど。特に、機関車のどの部分に触れられるのを嫌がりますか?」
さらに問う兄さん。
「炭水車です。特に炭庫のあたりは絶対に近づかないよう言われました」
彼はそう言うと、湯呑に薬缶のお茶を注いだ。
「そうですか・・・」
兄さんがそう言って、懐中時計を見る。
「お話を聞かせてくださってありがとうございました。帰りの列車の時間が近いので、これで失礼いたします」
椅子から立ち上がり、一礼した。
「ありがとうございました」
わたしも一礼し、兄さんの後に続いて機関区の外に向かう。
「横浜港駅までお願いします」
正門前に呼んだタクシーに乗り込んだ。
エンジンをうならせ、タクシーは横浜港駅に向かう。
キキッ
ブレーキ音が響き、横浜港駅に着くと、兄さんは運転手さんに料金を払って車外に降り立った。
「さて・・・・・」
横浜港駅ホームに据えられたボート・トレイン。
「東京に帰りますか・・・・」
そう言って改札を通ろうとした瞬間・・・。
「あなたたちですね?ここ最近機関区周辺を嗅ぎまわっている人間は」
ふいに後ろから声をかけられる。振り向くと、一人の少女がわたしたち二人の肩をつかんでいた。
「・・・で」
金剛ビル四階、兄さんが向かいのソファーに座った少女を見て言う。
「君は一体誰なんだ?成り行きで連れてきてしまったが・・・・」
「あ、はい!」
わたしの出した紅茶を飲んでいた彼女が背筋を伸ばし、カップを置いた。
「わたしは津山茉莉。高島機関区区長の娘です」
茉莉は深々と頭を下げると、口を開く。
「ここ最近、東京から来た怪しい人たちがうちの周りをうろついていると聞きました。そこで、機関区の周りを見張っていたのです」
「そこで、わたしたちを捕まえた・・・と?」
わたしが問うた。
「ええ、ただ、本来探していた人物とは違ったようです」
「その探していた人物とは、どのような奴だったのかね?」
兄さんが問う。
「ええ、青色の作務衣を着た焼き芋屋だと聞いていました。それと、蒸気を使って走る奇怪なバイクに乗っているとも・・・・」
「それって・・・・」
わたしは兄さんの方を見る。
ガチャッ
兄さんが電話機の受話器を手に取り、ダイヤルを回す。
「もしもし、一つだけ言う。今すぐ金剛ビルに来い!何も情報はいらん!」
そう言うと、受話器を置いた。
しばらくして・・・・
シュポポポポポポ・・・・
ワン!ワン!
蒸気機関の音と疾風の吠える声。かすかに石炭の燃えるにおいと潤滑油の匂いが鼻に届いた。
「毎度ありがとうございます!」
例の焼き芋屋さんが階段をのぼり、わたしたちのいる書斎に入ってくる。
「お前、ちょっとそこに座れ」
兄さんがソファを指さす。
「お前なぁ、隠密調査のつもりがバッチリ相手にバレてんじゃねえか」
あきれたように言う兄さん。
「いやあ、噂を集めるには商売しながらの方が都合のいいものでね」
焼き芋屋さんが悪びれずに言う。
「お前はただでさえあのバイクが目立っているんだから、少しは気を付けろ」
兄さんが「呆れた」とでも言いたげに言った。
「あなた、うちの周りを嗅ぎまわってましたよね?見てましたよ?」
茉莉が焼き芋屋さんに詰め寄る。
「そんなに詰め寄らないでくれ、津山茉莉ちゃん」
焼き芋屋さんはそう言うと、茉莉の鼻先を軽く押した。
「なっ、なぜわたしの名前を!?」
「おっと、それだけじゃないよ」
少しひるんだ茉莉に対し、焼き芋屋さんはさらに言う。
「津山茉莉。高島機関区区長、津山義春の娘。幼いころから探偵物語を読んでいた影響で自らも探偵を志すようになる。ただ、『推理』は常に空回り。ついでに言うと・・・・」
兄さんを指さした。
「そこにいる初霜武―いや、ここでは日向坂陽先生と呼んだ方がいいかな?―の大ファン」
「どうも、私の親愛なる読者君。お手紙はいつも拝見しているよ」
兄さんが立ち上がり、優雅に一礼する。
「あっあっ・・・・」
混乱しているのか、茉莉は何も言えず口をパクパクさせていた。
「ちょっと!そんな一気に情報流し込んだら混乱しちゃうでしょ!?」
わたしは二人と茉莉の間に入り、その話を遮った。
「ほんとごめんなさい。うちの兄とその仲間は人のことを考えられない奴らばっかりだから」
「まあ、いいんですが・・・・」
何とか気持ちを取り戻した茉莉。
「ところで・・・・」
兄さんが茉莉の目を見る。
「俺と小春についてきたということは、何か言いたいことがあるんだろう?」
「はい、そのことについてですが・・・・」
茉莉が語り始めた。それによると、彼女の父親―つまりは高島機関区長の言動が最近おかしいそうだ。
曰く、これまで家族思いの父親だったのが、家族そっちのけで機関区にいることが多くなったとのこと。
「なるほど、それで何かがあったのかと思ったわけか・・・・」
兄さんの言葉にうなずく茉莉。
「ええ、その時、機関区付近にこれまで見なかった焼き芋屋が出没していると聞いたものですから、それと何か関係があるのではないかと・・・・」
茉莉が兄さんに言う。
「なるほど、それで高島機関区に近づく怪しい人間がいないか見張っていたわけだね?」
「そうです」
茉莉がうなずいた。
「それで、あなたたちを見かけたので、横浜港駅に先回りしていたわけです」
「ちょっと待って!」
わたしは茉莉の話を遮る。
「わたしたちがタクシーに乗った時、周りには炭水手の拝島さんしかいなかったけど、どうして横浜港駅に行くってわかったの?」
「お二人がタクシーの運転手と話しているのを聞いたんです。少し離れた電柱の影から」
「ちょっと待って」
わたしは再び茉莉の話を遮る。
「聞いていた。って、結構距離あったよね?」
「わたしは昔から、他の人よりちょっとばかり耳がいいんです。他の人はわたしほど細かい音を聞き取れないみたいですね」
茉莉がけろりとしていった。
いや、あの距離で会話の内容を聞き取れるのは「ちょっとばかり耳がいい」の次元を超えていると思う。
「なるほどな・・・」
兄さんが机に置いてあったパイプを手に取る。
「君の耳の良さは何かと役に立ちそうだ」
英国からわざわざ輸入しているという煙草を火皿に詰め、火をつけた。
「そうですよね!?」
茉莉が身を乗り出し、兄さんに詰めよる。
「そ、そうだな・・・」
兄さんが目を背けながら言った。
「そこで!」
茉莉が自分の胸に手を置く。
「わたしがこの耳の良さで、日向坂先生の推理に協力させていただきたいのです!」
「それはなぁ・・・・」
兄さんがたばこの煙を吸い込んで言う。この声音は、「どう断ったらいいか」とか考えてる声だ。
「決して迷惑はかけませんから!」
畳みかけるように言う茉莉。
「じゃあ、これだけ約束して欲しい」
兄さんが茉莉に向かって言う。
「まず、このことは君の家族や友達にも秘密だ。できる限りこのことは知られたくない」
「わかりました!秘密ですね!」
元気よく答える茉莉。
「もう一つ。死にそうになったらすぐに逃げること。何も率先して死にに行く必要はない」
「わかりました」
真面目な顔をして茉莉が言う。
「よし!じゃあ協力してくれ」
「ありがとうございます!」
茉莉が満面の笑みを浮かべて言った。
「よし・・っと」
茉莉が返事するのを確認して、兄さんが立ち上がる。そして、そばにかけてあった帽子と上着を手に取り、身に着けた。
「ちょっと人に会いに行くぞ、お前たちも来い」
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