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本編

第二十八話 新たな命

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 ダカッ、ダカッ・・・・

 ルルとクバンがゆっくりと速度を落とし、わたしたちの前でその足を止める。
「ホーホー、お疲れ様・・・・」
「お疲れ。よく頑張ったな」
 友稀那さんがクバンの首を軽くたたき、正彦がハミに引手を通した。
「ルルもお疲れ」
 わたしもルルのハミに引手をかける。
「あさひ、ありがと」
「いいのいいの」
 友里恵と話しながらルルを厩舎前まで引いていくと、友里恵がピョンとルルの背から飛び降りた。
「やっぱりルルはすごい馬だよ。天皇賞馬のクバンと互角に走れてた」
「障害とはいえG1勝馬なだけあるわね」
 友里恵に手綱を任せると、ルルの腹帯を緩めてゼッケンと鞍を外す。
「すごいよ、よく頑張ったね!」
 ルルの鼻面に抱きつく友里恵。
「お疲れ、友里恵」
 友稀那さんが近寄ってくると、友里恵の肩を叩く。
「お姉ちゃんもお疲れ」
 友里恵はルルから目をそらさずに言う。
「オーディルルドのこと、気に入ってくれたみたいでよかった」
 友稀那さんが笑いながら言う。
「アタシが友里恵のために用意した馬だからね」
(そういえば確かに・・・)
 友里恵と初めて話した騎馬会の時、友里恵が言ってた「昔お世話になった競馬関係の方」って・・・。
「あの馬はね、アタシが初めて障害重賞を勝った馬なんだよ。気性はいいとは言えないけど、乗った瞬間に惚れたね」
 友稀那さんがルルと友里恵を見ながら言う。
「けど、障害馬は引退しても種牡馬入りの声がかかることは少ない。まあ、最近は種牡馬も飽和気味だしね」
 だから・・・と言って続ける友稀那さん。
「ルルが引退する時期と友里恵が野馬追に出るって決めた時期が重なったのは、本当に嬉しかったな」
 友稀那さんはそう言うと、ルルの事を見て微笑む。わたしはその顔を見ると、問いかけた。
「そういえば、友稀那さんはなんで今日、野馬追部に来たんですか?ルルとクバンに会いにですか?」
 少し笑って友稀那さんは答える。
「え~っとね、今日は呼ばれたの」
「呼ばれた?誰にですか?」
「狼森の御曹司。優太朗にね」
(狼森先輩に?何でまた・・・・)
 そんなことを考えていると・・・
「あっ、いたいた・・・・。友稀那先生!お待ちしておりました!」
 当の狼森先輩が友稀那さんに向かって駆けてくる。後ろには白衣を着た獣医さんらしき人も一緒だ。
「優太朗、一体なんだい?急に呼び出して。おかげで美浦から高速道路で来なきゃならなかった」
「どうもすみません。今日はここの牝馬の受胎確認でして、何頭かの仔は友稀那先生にお願いしようと思ってたので、来てもらったんです」
「まだ受精卵のうちから調教師に見せようってのかい⁉なんともせっかちだね」
 友稀那さんが笑って言うと、狼森先輩が後頭部を掻きながら言葉を継いだ。
「いえ、友稀那先生に預けようと思ってる馬の母が、だいぶ曲者でしてね」
「ほう、曲者?」
 首をかしげる友稀那さん。
「ちょっとアレでしてね。あさひ、ちょっとこっちに」
「はい、どうしましたか?」
 狼森先輩に呼ばれてそのそばに向かうと、先輩は困ったような顔で言う。
「友稀那先生に頼む馬の母親は、体質なんです」
「双子か。そりゃ難儀なもんだ」
 友稀那さんも困り顔だ。
「とりあえず、今日はその馬の受胎確認なので、一緒に見てもらえないかと思いましてね」
「そうか、じゃあさっそく馬房に行くか」
 二人で話して馬房に向かおうとする背中に、わたしは声をかける。
「あの!なんでわたしも一緒に見るんですか?」
「生まれた仔は、あさひに育ててもらう」
「聞いてませんよ!」
「今初めて言ったからな!」
 そんなこんなで話しながら第二厩舎に入り、その母馬の馬房の前に立った。
「この子がその馬かい?綺麗な青毛だね」
「うちの親父がドイツから肝いりで輸入した繫殖牝馬です。名前はシュヴァルツァーヴォルフ。父が凱旋門賞馬のトルカータータッソ、母はドイツオークス馬のセリエンホルデになります。本馬もドイツオークスの勝者です」
 狼森先輩が言うと、友稀那さんが目を丸くした。
「こりゃ随分と良い血統を入れたじゃないか。どれくらいしたんだい?」
「だいたい百万ドル、日本円だと一億になると聞きました」
「案外安いな。やっぱり体質の影響か?」
「そうです」
 狼森先輩が言った。
 双子の競走馬は稀だ。元々馬は一回のお産で一頭しか仔を産まないのもあるし、もう一つ・・・
「競走馬で双子だと、必ずどっちかはますよね?」
 わたしの質問にうなずく二人。
 そう、競走馬の繁殖牝馬は、双子を受胎しても片方は人口堕胎つぶすことが多い。決して広くはない牝馬の子宮に二頭が入ることになるし、生まれても小さく生まれやすいからだ。
(残酷だけど、これも経済動物の宿命・・・)
 実際、双子の競走馬が大成したためしはない。かのダービー馬、アイネスフウジンにも双子の弟がいるが、大成することなく競走馬生を終えた。メジロアルダンのように、片方が死産になる可能性だってある。
「そうだ。だが、仮に双子でも今回は潰さない」
「ホントにいいんですか?」
 きっぱりと言い切る狼森先輩に問うと、先輩は笑って言う。
「手続きが順調にいけば、俺は二十歳になると同時にJRAの馬主資格を取得する予定だ」
 ヴォルフを指さした。
「で、親父からは『コイツの初仔はお前にやる』と言われている。だから、双子は双子でいいんだ」
「そりゃまたどうしてだい?」
 友稀那さんが問う。
「この馬の仔が双子だったら、それで『実験』をしてみたいと思ってるんだ。双子で果たして違うところはあるのか、身体能力は一人っ子の馬より劣るのか?」
 恍惚とした目つきで語る先輩。
「俺は、双子馬の能力を見てみたいんだ。このことを考えると、好奇心がうずいて仕方がないんだよ」
 だけど・・・と言って狼森先輩は続ける。
「それもこれも受胎確認をしなきゃ捕らぬ狸の皮算用だ。結那、ヴォルフを洗い場につないでくれ」
「はーい!」
 いつの間にかやって来ていた結那がヴォルフに引手をかけ、洗い場に引いていった。
「エコー・・・ですか?」
 洗い場にはすでに獣医さんが待機していて、そのそばには超音波検査機がドンと置かれている。
「そう、エコーで検査するんだよ!人間と同じだね!」
 キラッキラの笑顔で言う結那。

 カチャッ!

 ヴォルフがしっかりと洗い場に繋がれると、獣医さんが肩ほどまでの長さがあるビニール手袋を身に着けた。
「よいしょっと・・・・」
 手袋をはめた手をヴォルフの肛門に突っ込む。

 ズチュ、ズチュ・・・・

 直腸から掻き出された馬糞が、コンクリートに落ちる。
 この瞬間、わたしは人間の雌に生まれたことを心から神に感謝した。
「直腸内はあらかた綺麗になったから・・・・」
 獣医さんはいったん手を引き抜くと、今度はエコー検査のプローブを手に持つ。そして・・・

 ブリュ

 再びヴォルフの肛門に手を突っ込んだ。
「馬は外からだとエコー検査が見えづらいから、直腸から検査するんだよ!」
 結那が言うけど、わたしも知識としては知っている。
(でも・・・)
 あんまりいい絵面ではない。間違ってもゴールデンタイムのお茶の間には流せないだろう。
「うん、そうだな」
 エコー検査のモニターを見ると、獣医さんは口を開いた。
「おめでとうございます。受胎はしております」
「・・・!」
 皆の顔がパァッと明るくなる。
「ただし・・・」
 獣医さんがエコー検査のモニターを指差して説明を始めた。
「まず、こちらに見える丸い影が受精卵です」
 エコー検査の画面には、丸い受精卵の影が
「もう見てもお分かりかと思いますが、今回は双子を受胎しております。通常の馬であれば、減胎処置をしなければ危険です」
 しかし・・・。と言って獣医さんはヴォルフを見る。
「この馬はサラブレッドにしてはかなり大柄ですから、確率は低いですが、いけるかもしれません」
 確かに、ヴォルフはかなり大きい馬だ。ファンたちから「デカすぎ」と言われたヒシアケボノも超え、JRA最高馬体重のショーグンに迫るほどの馬体を持っている。
「トルカータータッソにもセリエンホルデにも、デカくなる要素はないはずなんだがなぁ・・・」
 生命の不思議ってヤツだな。と狼森先輩は笑った。
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