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悪夢
しおりを挟む押し潰されそうな暗闇の中、私は走る。
獣人族の血の強靭な足腰や魔法の身体強化を駆使して駆け抜ける。
後を追うのは血と汚泥に塗れた家族の形をしたもの。それはどこかあの日の悪夢のような化け物とよく似ている。
百の獣の腕と百の獣の顎が私を追う。
空をも飲み込みそうなその大きな顎で私を噛み砕こうと迫ってくる。
『お前が死ねばよかったのに』
『なぜお前だけが生き残ったのか』
一族の恥、死ねと投げつけられた言葉に我慢できずふりかえる。
「だまれ偽物共。」
家族によく似ているが悍ましいその風貌が恐ろしく逃げていたがその言葉だけは許せなかった。
魔族の象徴である鋭く、黒く染まった爪で横薙に一閃、化け物たちは汚泥となり崩れ落ちていく。
腕にどろどろとした汚泥がまとわりつく。
「あの極限状態でも私を案じ、己が屍を踏み越えてでも生きろと言ってくれた家族たちが、叱責こそしても、私の死を願うわけがないだろう!バカめ、おととい来やがれ」
『お前は家族の見分けもつかないのか』
「てめぇらこそ何言ってやがる。私の家族はお前達みたいに穢らわしい見た目をしてない!私の家族は美しく凛々しい獣たちだ!」
一喝した私の声に気圧されるように家族の形をした者達がさらにどろりと崩れていく。
『あははははっバレちゃったか』
ざらりとした声が暗闇に響いた。
途端、腕が重くなり、まとわりついていた汚泥が大きな手枷に変わったことを知る。
ジャラリと無骨な鎖が音を立てた。
『ダメじゃないか。ミーシャ、ご主人様から逃げたら』
「…ひっ」
『ほら、こっちにおいで実紗さん』
「ーーーっ!」
崩れた汚泥から這い出てきたのは最悪の3年間の象徴たる勇者とそのハーレムだった。
声にならない悲鳴が喉を鳴らす。
手枷の鎖を勇者が引っ張る。
「ねえ、12歳になるまでは俺はずっとずっと待ってたんだよ?やっと結婚出来るね」
「離せ!離せ変態!私は!もう自由だ!」
ねっとりと囁かれ半狂乱になって抵抗する。
ぐいぐいと鎖を引き寄せられる。
「いやぁっ」
本質は泥なのか暴れると鎖が身体を崩しては直りを繰り返す。
勇者の腕が壊れた時を狙って走り出した。
「ダメじゃない。」
涼やかな声とともに視界が大きくぶれる。鉄臭い汚泥に顔を押し付けられ息が詰まった。聖女だ。
「ダメじゃない。無様に這いつくばって媚を売るしか能がない犬娘の分際で飼い主の手に粗相をするなんて。お陰でいい迷惑」
何度も何度も頭を蹴られる。再び泥沼に顔を押し付けられ何もわからなく、息もできなくなった。
「聖女様ァ、あんまり酷いことしないでくださいねぇ…実験はまだまだしたりないんですから」
「あら、ごめんなさいセーイラ。」
「分かってくれたらいいのですよー。じゃあ前回の続き、いっときますか」
頭上で軽く交わされる不気味な会話に身体の震えが止まらない。
乱暴に首輪を掴まれて顔をあげられる。
「前回は毒殺双頭ヘビ、じゃあ今回はカエルにしましょうか。次回はナメクジで!丈夫で若くて治りも早い!いつ見ても素敵な実験体だよ君は。混血ってのは血が混ざる分だけ丈夫になるのかな」
ニヤリと笑うセーイラと聖女。その手に握られる赤黒い液体が詰まったビン。
そして勇者とハーレムの後ろに積み上げられた私の可愛い弟分、妹分。
「う、そだ…」
「サンプルは多ければ多いほどいいんですよね!珍しいのがたくさんで嬉しい!特にあの蜘蛛の下半身の個体!アラクネとどう違うか生きたまま解剖した時は…興奮して何回もイッちゃいました」
「嘘だ」
認めない。認めない。アドリアナの白い蜘蛛足を染め上げる赤も、アレッサーナの千切れた耳も認めない。
「さあ、貴方もいつものようにお注射しましょう?」
聖女のもった針が動けない私の腕に突き刺さる。
――――――――――
「ッッッッ――――……!!」
自分の悲鳴で目が覚めた。腕を確認する。ボツボツと肘の内側に何度もされた注射の針のあとが浮かぶ。
「治ったはずなのに!なんで!?」
穢らわしいそれを布団のシーツで擦る。擦る。擦る。取れない。嫌だ。
「嫌っ」
消えろ、消えろ。消えない。息が荒くなる、ダメだよ思い出してはいけない。
嫌な動悸がする。耳鳴りと一緒にぐるぐると色々なものが脳裏を駆け巡る。
人族セーイラ。補助魔法が得意で魔物の研究者の一面も持っていた。
家族を剥製にして辱めた後に旅に加わり、聖女と一緒に私に「実験」を施した狂った学者
「うっ…ぐ、ぇ…」
酸っぱいものがこみ上げて慌てて近くのゴミ箱に吐き出す。
「お姉ちゃん…?」
「入るな!」
カタリ、という音と共に遠慮がちに扉の向こうから声をかけてきたオレオ。
咄嗟に近くにあった本を投げつける。扉は意外なほど大きな音を立てて扉の向こうでオレオが怯えたのがわかった。
「ね、姉ちゃん…?」
「…来ないでくれ、頼むから。」
こんな無様な姿は見られたくない、と告げると慌てたように足音が遠のいていく。
私はそれを聞きながらゆっくりと布団にもぐり子供のように頭まで毛布を被った。
首元をまさぐる。大丈夫。もう首輪は取れた。
「大丈夫、大丈夫。大丈夫。首輪は取れた。枷もない。法律の国でアイツらからの接触権を奪ったら本当に自由なんだ。大丈夫、あとちょっとあとちょっとだから。」
震えるな、身体。
「大丈夫。」
縮こまる尻尾を抱き締めながら私は自分に大丈夫としか言えなかった。
「大丈夫か、ミーシャ!」
しばらくそう過ごしていたらドタバタバッタンとけたたましい音を立てておっちゃんがきた。
そのまま私を毛布ごと抱き上げる。
「はは、大丈夫に決まってんだろ…離せよ」
扉の向こうにはチビ達が心配そうに覗いているのが見え、おっちゃんに下ろすように言うも聞き入れられない。
ただ、少し苦しいくらい強めに、私が抱きしめられていると感じられるほど強めに腕に力が篭った。
「なんでもない、あいつらのムカつくこと思い出しただけだ」
「そうか。」
労うように背中をさすられる。ドアの閉まる音がして一丁前に気を使われた事を知った。
「……注射器で身体に魔物の血を入れられた」
未だに跡が浮かび上がったままの腕をおっちゃんに見せる。おっちゃんは何も言わない。
「初めは家族の血だった。それが意図的に腐らせられたり毒を混ぜられたり、血を混ぜ込んだまま入れられたり」
「そうか」
「私たちはこんな目にあうために産まれてきたんじゃない」
「当たり前だ」
「こんな目にあうために産まれてきたんじゃないよ……」
私の口から言葉が出なくなるまで、おっちゃんは私のことを抱きしめていた。
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