妖精に愛される花嫁

千代杜 長門

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はじまりはさよならで

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  レオベリオ歴105年 花の月 四度目の主神の日

  広場には沢山の人が集まっていた。季節は冬で凍えるように寒いはずなのに人々の熱気と群衆の前方、噴水の横で赤々と燃え盛る火で汗をかく程の暑さであった。

  火が燃え移らないように噴水を挟んで反対側に設けられた高台には一段高く作られた刑台に手や首を鎖で繋がれ這い蹲う男女と喪服を着た少女が立っている。

──これから刑が執行されるのだ。

  王城より派遣された刑の見届け人の読み上げる刑に至るまでの理由、そしてその罪の顛末に群衆の熱気が最高潮になる。
邢台の真正面に作られた貴族席にも異例の数の貴族達がひしめき合い、嘲笑、怨嗟、怒号様々な負の感情を罪人にぶつける。

  黒き喪服を身に纏い、表情をヴェールの奥に隠した少女が手を上げた。

  瞬間、水を打ったように広場が静まり返る。

「最期に、言い残すことはありますか?」

  少女の言葉に男女が顔を見合わせた。
そのまま力の限り手を伸ばす。それはどこか蜘蛛が互いに手を伸ばしているようで滑稽でも、醜悪でもあった。

「……ミリア、短い間だったが幸せだった。今日共に死ねるのなら来世も歳が近い状態で生まれるだろう。その時は、また結ばれよう」
「クロートザック様……ミリアも、貴方が迎えに来るのをお待ちしております。」
「以上ですか?残念です。こんな結果になって」

  少女の発した言葉はどれもは決して大きなものでは無い。
しかし、風の精の計らいで広場の隅々まで言葉は届けられていた。

  男が目に憎悪を燃え上がらせ、噛み付くように叫んだ。

「ここまでするのか!お前はそこまで私を憎んでいたのか!仕方ないだろうっ伴侶の運命に誰が逆らえると言うんだ!」
「いいえ、憎んではいますがこの処刑は正当なもの。貴方の勝手な行動によって貴方の家と彼女の家は連座で死にます。ご愁傷さまです。」
「仕方ないだろう!心から愛した女を何故愛人になどしないといけないのだ!」
「いいえ、貴方はそれで納得すべきでした。納得して分を弁えたのなら私はここまではしなかった」

  男の返答は、ない。
正確には口を開け閉めはすれど声が出ない。
精霊が「言葉という音」を奪ったせいだ。

「それでは愛しく憎らしい私の元婚約者様、御冥福をお祈りします」

  少女の合図とともに断罪の刃が振り落とされ、彼の首がごとりと落ちた。
血が噴水のように吹き上がり、広場に雨を降らす。

  首の断面には魔法陣が浮かび時折体に残った地を絞り出すように光った。

  罪人の血の雨を浴び、半ば狂気じみた歓声を上げる群衆と隣の女の悲鳴が混ざりあって嫌なハーモニーを奏でる。

「っ!いやぁぁぁあっザック様っ…貴方は鬼よ!鬼以下よ!!」
「……あら、彼は私の婚約者でしたの。気軽に愛称で呼ばないでくださる?……分家の分際で、主筋の人間の婚約者を奪うなんて野良猫ですらもう少しお行儀が良いわよ?」

  つまらない言葉遊びを続けると執行人のひとりがそっと後ろから囁いてきた。

「お嬢様、血を出し尽くしたそうです。」
「燃やしなさい王からの許可はあります。首も身体も全て燃やし尽くして川に捨てなさい。埋葬は許しません。……ああそう、女は殺したら丁寧に弔いなさい。必ず、生まれ変わるように。」

  少女の言葉が広場に伝わると一瞬の間の後、処刑台が揺れるような怒号が響く。 

  それはこの世界で1番残酷な刑罰。

  死体は弔われなければ死の神も魂を見つけることは出来ず、次の生に行くことは永劫ない。

  領地に重税を課していた貴族の男が、精霊に愛されていた少女を、国に尊ばれた少女を捨てて地方の毒婦を愛したのだ。 

  殺されて当然、当然の結末。
歪んで積み重ねられた庶民の鬱屈した感情が一気に噴き出す。

  貴族席からも歓喜の声が上がる。

  人ではないモノの血を遠い昔に引き入れた貴族達は、運命の伴侶という考えをとても尊んでいる。
貴族達は愛のない結婚を強要される。
それは豊かな者の権利。統べる者の義務。

  限られた貴族の身分、そして家格に釣り合う血の純度。

  その中で運命の伴侶を見つけられるなんて砂漠の中に落ちた1粒の宝石を見つけるような奇跡。

  義務は自由な恋愛を許さず、そして悲しみの末に見つけた伴侶を囲う。

  子供は正妻の子を優先とし、本能が愛する者を理性が蔑ろにしなければならない苦痛。

  それを放棄したものに与えられる罰が、生まれ変わることを許されず未来永劫この世とあの世をさ迷うことになるのだ。

  生まれ変わった片割れも永遠に運命の伴侶に会うことは出来ずに。

  何たる悲劇!何たる狂気の結末!

  嬌声にも似た叫び声が女に投げつけられる。

「なっ……愛されなかったくせに!私に奪われて妬んでいたくせに!せっかく真実の相手に逢えて来世の約束もしたのにそんなことをするなんて!」
「……身体でのし上がることしか出来ない、しかもその事に矜持すら持てない売女が真実の相手など見つけても意味無いでしょう?あなたは愛人として、大人しく彼を甘やかしていればよかったの。」

  分をわきまえない、愚か者が。
  耳元で囁かれた言葉に女の目が限界まで見開く。
  目の端が切れ、血が涙のように流れている。

「殺せ!私もあの人のところに行く!燃やせっ」
「……身分に相応しい言葉も忘れたの?分家の、後家の、平民の分際でわたくしにかける言葉がそれ?」

  少女の言葉に反応して執行人のひとりが強く女を押さえつける。

「燃やせ!燃やしなさいっ!無礼者!」
「誰が無礼者なのか、死の神の前で懺悔しなさい。」

  悲鳴は聞こえなかった。
ごろりと首が落ち、鬼のような形相をした女の生首が少女を睨みつける。
降り注ぐ血の雨にふたたび怒号が湧き、少女は笑を浮かべた。

「罪人の罪はその血と首をもって贖われた。この良き日を見守る善なるもの全てに感謝を!」
「感謝を!」

  少女の言葉を広場の面々が口々に叫ぶ。
少女は足元に転がった生首を意外なほど優しい手つきで持ち上げた。
化粧をしていないその唇に男の首から滲む血を口紅のように塗ってやる。

「許すわけがないじゃない。私の伴侶は貴方達に殺されたのに、弔えなかったのに。貴方だけ来世の幸せを夢見るなんて」

  一筋の風が少女と女の生首の長い髪を揺らした。


────

  森の中で小さく拓かれた畑で一人の女性が腰を屈めて野菜を収穫していた。
背後に聳え立つ古びた屋敷から5歳ほどの少女が女性に走りよる。

  亜麻色の髪を愛らしくふたつに結び、どんぐり色のかわいい瞳をぱちぱちと瞬かせ、健康的に肌を焼いた少女はうさぎのように跳ねながら女性に声をかける。

「おかーさーん!」
「はーい。どうしたの、アリア」

  アリアと呼ばれた少女が走った勢いを殺さずに女性に抱きついた。

  女性は体勢を崩し、収穫していた野菜を零してしまったが苦笑をひとつ零すと落ち着かせるように肘を器用に使い少女の頭を撫でる。

「あのねあのね、ターニャがうんちしたらリナもリタもアレクもみんなしちゃったの!お部屋くさくて大変なんだよおかーさん!」
「あらあら、大変ね。それじゃあきっとレトリ達も大慌てしてるわ」 

  口元を隠しておっとりと笑う女性はアリアを産んだようには見えない。
年は15は超えているようには見えるが、20歳は超えているようには見えない。

「レトにぃたちお目目がお月様みたいにつり上がってがおー!ぎゃー!って怒ってる!」
「……想像以上に大変なのかしら。急いで戻りましょうか。」

  戻りましょう、と差し出した手をアリアが両手で握りしめた時、どこからか響いてきた軽やかな笑い声と共に優しい風が2人をクルクルと包み込む。

「あら、私たちを抱き締めてくれるかわいいお隣さんはだぁれ?」

  風はアリアをくすぐり、地面に落ちて土に塗れてしまった野菜を綺麗に籠の中に戻してから2人の前に姿を見せた。

『貴方は私の善き友、善き隣人さん。憐れで優しいヴィルデ・フラム。大変よん。レトリ達もやっぱりまだまだお子様なのねん。慌てすぎて泣き出しちゃった』

  爪先から徐々に姿を表していく魅惑的な風の乙女の正体はシルフィード。

  風と共に世界を揺蕩う麗しの乙女の一人。
茜色の空に吹く西風から生まれた彼女は生まれた時の空と同じ茜色の衣を見に纏い、空と同じ色の髪を風に靡かせて微笑んだ。

  1枚布を器用に身体に巻き付けたドレスは彼女自身が起こす風によって豊満な彼女の身体を垣間見せるため少々視線に困る。

  鳥の鉤爪にも似た異形の脚、黒曜石の輝きを持つ白目の無い瞳。そして翼と一体化した両腕。

  彼女を人ならざるものとして構成する全てのパーツが彼女の得体の知れぬ美しさを表現している。がそれもご愛嬌だ。

「貴方は私の良き隣人、良き友。敬愛すべきシーリー・ウィフト。麗しの風の乙女。野菜を綺麗にしてくれたの?ありがたいわ」
『あらあらん?精霊であり妖精である私にお礼を言ったのかしらん?私のかわいいお友達


  琴の音に蜂蜜を混ぜた甘い響きの声を出しながら風の乙女は2人を柔らかな翼で抱き締め頬を擦り寄せた。
身を固くするアリアを抱き寄せながらヴィルデ・フラムと呼ばれた彼女は風の乙女に笑いかけた。

「あら、お礼なんていつ言ったの?私の可愛いシーリー・ウィフト。ありがたいとありがとうは日向に咲く四つ葉のクローバーと日陰に咲く四つ葉のクローバーほど違うわ。恥ずかしがり屋の
妖精さん」
『あら、あらあらあら…本当ねん。私の可愛いお友達。日向に咲く四つ葉のクローバーと日陰に咲く四つ葉のクローバーは昼間の満月と夜の三日月ほど違うわ。やっぱり貴方と話すと楽しいわねん』
「私の大好きな風の乙女。私も貴方と喋るのが好きよ。楽しくて。だけど屋敷で私を待っている小さい子達がいるの。戻っても宜しくて?」
『ええ、いいわ。私の哀れなヴィルデ・フラム。妖精の名前をつけられた哀れな魔女』
「あら、哀れだと思ったら自分が哀れになってしまうのは、貴方の教えよかわいいお友達。」
『そうだったかしらん?』

  くすくすと2人の秘めやかな笑い声が畑に響く。アリアはそれを不安そうに見ていた。

  母と慕う女性や森の屋敷に引き取られた子供の一部は時折誰もいない空間に向かって話しかける。

  そして話しかけられた空間はその度に琴の音のような旋律で返事をするのだ。

今もアリアと母の周りを柔らかい風がクルクルと回るように包んでいる。

  母は精霊というその風は恐ろしいと思ったことは一切無いが母が連れていかれそうでそれが怖い。

「お母さん……」
「なあにアリア」
「レトにぃ達待ってるよ……」
「あら、私の可愛い風の乙女と話してるとすぐに覚えていたことを忘れちゃうわ」

  スカートを引っ張り声をかけると風の乙女と話していた母はすぐにアリアを見た。
優しい微笑みにこっそり安堵のため息をついて抱きついた。

『私の可愛い亜麻色の髪の乙女はまだ目が見えないのね可哀想』
「気落ちしないで私の可愛い風の乙女、貴女の風を感じ取れて声も聞き取れるのよ、一緒に踊れる日も近いわ。それじゃあ私たちは屋敷に行くけどかわいい私のお友達はどうします?」
『私はまだ世界を回るわ。愛しい隣人さん。お部屋なんて石で囲まれて空気の動かない場所なんて真っ平御免。それじゃあ月のうさぎが空喰らう狼に追いかけられてお日様を追い払うまで御機嫌よう』

  ヴィルデ・フラムの目にはシルフィードが風のようにひゅるりと消えてしまうのが見えた。

  今度こそ屋敷に向かおうとフラムはアリアの手を握りしめて小走りに走りだした。

「おかあさぁぁぁんっっっ遅いよォおおおっ」
「ごめんなさいっ」

  屋敷に入った途端に鼻につく異臭と子供たちの泣き声にヴィルデ・フラムはこっそりと苦笑いを噛み殺した。

「魔女さまぁぁあっ」
「まじょたまー!!!!」
「おかーしゃうんちーー!!!!!レトにぃがうんちしたーー!!!!」
「おれはしてないっていってんだろー!!!!!」
「わかったわかった!とりあえず窓を開けなさい話はそれからよ!」

  ヴィルデ・フラム。それは悲しい妖精。
荒野に住む女性しかいない愛情深く、家庭的で優しい隣人。

  黒曜石の輝きの髪を持つ乙女。
彼女たちは人間の子供を自分の子供として育てる習性がある。

  400年前、復讐に取り憑かれ鬼となった少女は時を経て、口減らしに売られる子供たちを引き取り、育て上げることを生き甲斐とした美しい女性となった。

  彼女は自分自身を黒曜石の髪を持つ乙女ヴィルデ・フラムに例え人間や人外に対してもそう名乗る。

  本当の名前は歴史の中に埋もれて消えた。

  かつて精霊の善き隣人、精霊姫と呼ばれた精霊使いの少女は400年経ち、深遠の森の魔女ヴィルデ・フラムと姿を変えた。
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