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5 木曜日の心霊写真
しおりを挟むその日の放課後のこと。
鞄に教科書をつめていたら、隣の席の凛ちゃんが声をかけてきた。
「どうしたの、伊織ちゃん。なんか元気ないみたい」
「えっ、そ、そうかな」
「うん。昼休みに戻ってきてからずっと、考えごとしてるみたいに見えたけど……」
ぎくっ。
「だ、大丈夫だよ! 全然何でもないから!」
「そう? もし何か悩みごとがあったら言ってね」
「ありがとう」
凛ちゃん、やさしいなあ……。
あたしの変な体質を知っても、他の子たちみたいに気持悪がらないでずっと友だちでいてくれるし、ホントにうれしいよ。
「ヤダ、気持ち悪―い」
きんきんと響き渡ったその声に、ビクッとすくみ上がってしまう。
――な、何?
おそるおそる見回すと、教室の隅で固まってる子たちの声だった。
スマホをみんなに見せてるちょっと派手な茶髪ロングの子は、杏子ちゃん。
「これ、本物の心霊写真じゃない!?」
「でしょ? 怖いよねー」
(何だ、よかった。あたしのことじゃないんだ)
自分でもちょっとビクビクしすぎなかって思う。
あの子たちは、うちのクラスでもキラキラした男女のグループだから、あたしとはほとんど話すこともないだろうな。
それより、ああいう子たちにあたしの力がバレたときのことを想像したらぞっとして、背筋がつめたくなった。
「これ、こないだ同小の子たちと行った『ぐねぐね屋敷』で撮ったんだ。すごいでしょ」
杏子ちゃんが言うと、周りを囲んでいた男女がいっせいにしゃべる。
「ぐねぐね屋敷? うわ、この町の超有名心霊スポットじゃん!」
「あそこ、マジでヤバいっていうよね」
「ね、どうしてあそこがぐねぐね屋敷っていわれてるか、知ってる?」
他の子たちは、お互いに顔を見合わせる。
「あそこの壁じゅうに、ぐねぐね文字が書いてあるからって聞いたぜ」
「ぐねぐね屋敷に行くと呪われて、自分もぐねぐね文字しか書けなくなるんでしょ?」
杏子ちゃんはフフンと笑って、長い髪を肩からはらった。
「あそこには元々、母と息子の二人が住んでたの。だけど、息子がある日、事故を起こして大ケガして、寝たきりになっちゃったんだって。そのせいで心がすさんで、お母さんに暴力をふるうようになっていったの。そのうちもお母さんも心の病気になっちゃって、息子を殺して自殺したの。あの家でね」
引き込まれて話を聞いていた周りの子たちが、ごくっと息を飲む。
「事故で人をひいたせいで呪われて、息子は読めないぐねぐね文字を壁に書くようになっちゃったんだって。しかも、お母さんも自殺する直前には、なぜか壁じゅうにぐねぐねした読めない文字を書くようになってたんだって。それがぐねぐね屋敷の由来」
「うわーこええー」
「じゃあ杏子ちゃんたち、呪われないの? 大丈夫?」
「あたし? あたしはちゃんとお守り持って行ったからへーきだもん。だからこうして心霊写真撮っても、ピンピンしてるし」
(――そうだね)
あたしは無意識に、自分の鼻のあたりを触っていた。
もしそこが立ち入っただけで呪われちゃうような場所だったら、今頃あたしのアレルギーが反応してるはずだもん。
そこにいる誰からも、ムズムズの感じはしない。
鞄に教科書をつめ終わったあたしが、席を立とうとしたときだった。
「へええ、面白そうだね。ぼくにも見せてよ」
(――えっ!?)
こ、この声は……
「せ、生徒会長?」
「きゃっ、二年の王子?」
杏子ちゃんとそのグルーブ子たちはいっせいにざわついた。
さすが、この学園の有名人、知ってるんだ。
「やあ。いきなりごめんね。ここを通りかかったら、面白そうな話が聞こえたからさ」
笑顔のまま、海人先輩と黒沢先輩はあたしの教室に入ってくる。
だけどなぜか、あたしじゃなくって、杏子ちゃんたちのほうに近づいていく。
(あ、あれっ?)
どうしたんだろう。
ホントにただの通りすがり?
「ねえねえ。何の話してたの、教えてくれる?」
「そうなんですー! 見てくださいよ、これ! 心霊写真が撮れちゃったんですよ」
杏子ちゃんはガタンと席を立つと、海人先輩にくっついた。
ズキン、と胸が小さく痛む。
(あれ……? 何、今の)
「ほら、オーブもいっぱい! 幽霊みたいな変な顔も写ってるし。ここに写ってる千代ちゃんの手なんか、消えちゃってるんです」
「ふうん、なるほどねえ」
杏子ちゃんのスマホをしげしげとのぞきこんで、感心したみたいに海人先輩が言った。
そんな先輩たちを見ていると、胸の中がモヤモヤしてくる。
ふっと、感じたにおいに、ハッとした。
何かが燃えて焦げたような……だけど冷たい感じのにおい。
これ、怒ってるときのにおいだ。
しかもこのにおい、あたしからしてる……。
やだな。怒ってるときのにおいって、やきもちのにおいとおんなじなんだ。
(どうしたんだろ、あたし……)
「じゃあね、凛ちゃん、ばいばい」
「うん。ばいばーい」
椅子を引いて席を立つ。
なるべく目立たないようにそっと教室から出ようとしたのに、
「ねえねえ、ほかの子も一緒に見ようよ。心霊写真だって。すごいよ」
このタイミングで海人先輩が話しかけてくる。
「え? あたし、ですか?」
「うん、そうそう」
(ちょ、先輩、どういうつもりですか?)
そう言いたかったけど、ぐっとがまん。
もしかして……あたしと先輩たちが知り合いだってバラさないのは、何か理由があるのかな?
だけどうじうじ迷ってる時間なんてない。
海人先輩のうしろで、杏子ちゃんがムッとした顔でこっちをにらんでたから、
実際に火がついちゃいそうなくらいの、イライラしたにおいが杏子ちゃんからしてくる。
(うっ)
もう少しで、鼻を押さえそうになっちゃった。
でもそんなことしたらあやしまれちゃうから、がまんがまん。
「へ、へえ、心霊写真ですか? すごいですねえ」
「うん。ほら、見せてもらえば。ね?」
海人先輩にうながされて、杏子ちゃんはしぶしぶあたしにスマホを向けた。
さっき杏子ちゃんが言ってたとおり、心霊スポットで撮ってきたって写真には、いろんなものが写っていた。
丸い光の珠みたいなオーブ。ぐねぐね文字で埋め尽くされた壁の前でポーズを取ってる子たちの間からのぞいてる、不気味な人の顔。黒いワンピースを着た女の子の肘から先が、消えたみたいになくなってる。
お父さんが霊能者だから、こういう写真はあたしもたくさん見たことがある。
だけど今ままで、お父さんのところに持ちこまれた心霊写真であたしのアレルギーが出たのなんて、ほんの二、三くらいしかなかったと思う。写真もスマホの画像含めても、たったそれくらいだ。
今回も、そう。
杏子ちゃのスマホの画像を見ても、くしゃみは出ない。
海人先輩はなぜかあたしの顔をじっと見てる。
あたし――先輩に幽霊アレルギーのこと、話してなかったよね?
「ね、怖いでしょ?」
だけどあたしの体質のことなんかもちろん知らない杏子ちゃんは、そう言ってあたしの顔をのぞきこんでくる。
ぎくっ。落ち着け、落ち着けあたし。
これが昔のあたしだったら、ついうっかり口をすべらせて、
「これ、心霊写真じゃないよ」
なんて断言しちゃってたところ。
だから気持ち悪いって言われたり、いじめられたりしたんだよね。
でももう、おんなじことは繰り返さないんだから。
「うわ、ホント。こわーい……」
「でしょー!」
棒読みのあたしの答えにも、杏子ちゃんは満足そうな顔。
この場は丸く収まりそう。
だったのに――――
「あれ、ごめーん。ぼくの勘違いだったみたいだ。よく見たらこれ、心霊写真じゃないね」
突然降ってきた爆弾発言に、ぎょっとする。
その発言の主は、いわずもがな。海人先輩。
(ちょ、ちょっと、何言い出すんですか!?)
あせってつい黒沢先輩をにらんじゃったけど、黒沢先輩は小さく首を横に振るだけ。
えええ? どういうこと?
あたしのパニックをよそに、海人先輩はどんどん話を続けていく。
「まずこれ。オーブって言われる、光の珠みたいな丸いやつ。これはホコリや水滴なんかが写りこんだものだよ。特に心霊スポットなんてほこりっぽし、ジメジメしていることが多いからね」
「えっ……」
さっと杏子ちゃんの顔色が変わった。
「でっ、でもほら! 千代の手が消えてるんです! これも心霊写真ですよね?」
「ああ。これも論理的に説明ができるよ。写真を撮ったとき、きみはカメラに向かって手を振るような動作をしていたんじゃないかな?」
海人先輩は、輪の中にいた千代ちゃんに向き直る。
「えっ、どうしてわかるんですか?」
「ほら、ここ見て。きみの後ろに、ライトを持った子がいるだろ? 明かりの手前ですばやく体を動かすと、その一部が消えたようになって写るんだよ。体の一部が消える心霊写真と言われているものの理由は、たいていがこれだ。黒っぽい服を着ていると、特にこうなりやすいって言われてるね」
そうなんだ。たしかにこの画像の中で千代ちゃんが着てるのは、黒いワンピースだった。
「じゃ、じゃあ、これは? この顔は確実に幽霊ですよね?」
杏子ちゃんが最後に指さした箇所には、ぐねぐね文字の隙間から、ぼんやりと人の顔のようなものが浮かび上がっている。
「うーん、残念ながらこれはシミュラクラ現象だと思うね」
「しみゅ、らくら?」
「そう。人間の脳っていうのはね、3つから4つの点があると、勝手に顔を想像してしまうんだ。木の年輪や蝶の羽の模様が顔に見えたりすることがあるよね。こういうのがシミュラクラ現象。ここもほら、よく見てごらん。廃屋の中が暗いからわかりにくいかもしれないけど、顔に見えたのは壁にしみだした雨漏りの後だね」
「雨漏り……」
あっけに取られたみたいに杏子ちゃんがつぶやいた。
「ホントだ」
「よく見たらこれ、壁のシミじゃん」
さっきまであれだけ盛り上がってたのに、男子たちはすっかりからかう側にまわっちゃってる。
「でしょ? だからね、心霊スポット探検とかには、行かないほうがいいよ。呪いなんて実際にあるわけないし、ホコリとかカビがすごいから、それを吸いこんで病気になったり、腐ってる床を踏み抜いてケガすることもあるしね」
それを聞いて杏子ちゃんは、ハッとしたような顔になった。
「それにこういう廃墟って、あんまり人が来ないような場所にあることが多いでしょ。そういうところに、きみたちみたいなカワイイ子たちだけで行って、もし何かあったら危ないから、気をつけたほうがいいよ」
「……たしかに、そうですよね」
自分が得意げに見せた心霊写真を否定されて、あからさまにイライラ顔だった杏子ちゃんの勢いが、みるみるしぼむ。
海人先輩、いくらオカルト好きだからって、どうしてあんなふうに頭ごなしに否定するんだろうって思ってたけど。もしかして最初から、こういう流れに持っていくのが狙いだったのかな。
だって、海人先輩が言ってたこと、うちのお父さんとかお姉ちゃんが言ってることとまったく同じなんだもん。
ああいう廃墟には軽い気持ちで行くべきじゃないって、二人とも言ってた。
幽霊や怪異に出会って呪われたりするより、ケガしたり病気になったりすることのほうが、はるかに怖いんだからって。
「さっきはびっくりした?」
みんなが帰った後の教室で、海人先輩はやっといつもの笑顔になって言った。
あたしはため息。
「そりゃびっくりしましたよ」
「こいつの悪趣味全開だったな」
「最初からわかってたから、黒沢先輩、全然止めなかったんですね」
「そういうこと」
そう言って苦笑いする黒沢先輩。
まったく、ホントに変わった人たちだなあ。
っていうか、そんなあたしもこの人たちと知り合ってから、まだ一週間も経ってないんだけどね。なんだかもうすっかりなじんじゃってるけど。
「あ、あのー……」
そんな話をしていたら、入り口のほうからひかえめな声がした。
開け放しにされた戸の向こうから、おずおずと顔をのぞかせていたのは、千代ちゃん。
さっきの心霊写真では、腕が消えてた女子だ。
「どうしたの? 千代ちゃん。忘れ物?」
「ううん。そういうわけじゃ、ないんだけどー―もしまだ先輩たちが残っていたら、相談したいことがあって」
「ぼくたち?」
海人先輩と黒沢先輩は顔を見合わせる。
「いいよ。ぼくらでよければ話を聞いてあげる。こっち来て」
海人先輩はやさしく言って椅子を引くと、長い脚を組んで座った。
千代ちゃんはうなずいて、あたしたちのところまで小走りにやってくる。
あたしたち四人は、車座になって座った。
膝に置いた手をもじもじさせながら、うつむきがちに千代ちゃんは話しだす。
「あの、あたし……考えすぎかなって思ってたんだけど、やっぱりどうしても気になってたことがあって……でもさっきの先輩の話を聞いて、もしかしたら相談に乗ってもらえるかもって思ったんです」
さっきの杏子ちゃんとは違って、千代ちゃんは真剣そのものだった。
「あたしは、本当は心霊スポットなんかに行きたくなかったんです。小さい頃から、おばあちゃんに、亡くなった人は敬わないといけないって言われてきたし……。でも、杏子ちゃんには逆らえないから」
「わかる……グループのリーダーっぽい子にイヤっていうの、しんどいよね」
思わず本音をもらすと、千代ちゃんはガバッと顔を上げてうなずいた。
「そうなの! でもね、心霊スポットから帰ってきた次の日、おつかいでおばあちゃんちに行ったら、おばあちゃん……ぐねぐね文字しか書けなくなっちゃってたんです。おばあちゃんは歳のせいだって言うけど、もしかして、あの家の呪いなのかも」
千代ちゃんの目に、涙がじわっとにじむ。
それまでずっと一人で悩んでいたのかな。
「も、もし本当におばあちゃんがあたしのせいで呪われたんだったら、どうしようって思ったら、し、心配で、怖くって」
それまでじっと、脚を組んだまま話を聞いていた海人先輩が、姿勢を正した。
「実はね、さっきはしゃべらなかったことがある。あのぐねぐね屋敷の壁に書かれていたのは、鏡文字なんだ」
「鏡文字?」
あたしと千代ちゃんは、顔を見合わせる。
すると海人先輩はスマホを取り出し、すいすいと画面に指をすべらせていたかと思うと、こっちに向けた。
表示されている画像は、救急車?
「鏡文字というのは、上下はそのままで、左右を反転させた文字だよ。そのままでは読みにくいけど、鏡に映せばちゃんと読めるから鏡像文字といわれているね。これには実用性もあってね、救急車の全面には鏡文字で『AMBULANCE』や『救急』って書かれていることもあるんだよ。これはね、救急車の前を走っている車のドライバーが、バックミラーで救急車が接近してきていることにすぐに気づいて、道を空けられるようにするためなんだ」
それで救急車なんだ。なるほどねー。
「実はね、事故などで頭を打ったり、脳出血を起こしたりしても、鏡文字を書くようになるんだ。あの家に元住んでいた親子も、息子は事故で、母は脳出血のせいで鏡文字を書くようになったんじゃないかとぼくは思っている」
千代ちゃんの顔が、みるみる青ざめていく。
「それじゃ、もしかしておばあちゃんも――」
海人先輩は真剣な表情でうなずいた。
「脳出血を起こしている可能性が高いかもしれない。一刻も早く病院で見てもらったほうがいいだろう」
その日の夜遅く。
いつものようにお姉ちゃんの部屋でおしゃべりしていると、パジャマ代わりのジャージのポケットでスマホが「ピロン♪」と鳴った。
「あ、千代ちゃんからのメッセージだ」
「千代ちゃん? もしかしてさっき言ってた子?」
「そう。おばあちゃんを説得して病院に連れてったら、本当に脳出血が見つかって、すぐに入院になったんだって! よかったあ」
「よかったな。早く病気が見つかって」
「うん。海人先輩のおかげだよ」
「そういえば、その先輩にミステリーサークルのこと、聞いてみたんだっけ? どうだった?」
興味しんしんの顔で乗り出してくるお姉ちゃんに、昼休みに中庭で聞いたことをあたしは話した。
「ふうん。怪奇現象や都市伝説の謎解きねえ。物好きだな」
「もしミステリーサークルに入ったら、あたしも誰かの力になれるかな。……今日の海人先輩みたいに」
「おや、その言い方だと海人先輩がミステリーサークルのメンバーみたいだけど」
「あっ! そ、そうかもって思っただけで……まだ決まったわけじゃないんだけど」
「まあたしかに、限りなくクロに近いよなあ」
「クロ?」
「この場合、伊織の想像しているとおりかも、ってこと」
「お姉ちゃん、あたし、どうしよう……明日が期限だよ」
急に弱気になってお姉ちゃんのジャージの裾にしがみついてみる。
そしたらお姉ちゃんはあたしの頭をわしゃわしゃなでながら、笑って言った。
「もう伊織の中では結論が出てるようにあたしには見えるけどね」
「えー、そうかな?」
「あとはちょっとだけ勇気を出してみたらいいんじゃないか? 大丈夫、もし伊織を泣かせるようなやつだったら、あたしがじきじきにお仕置きしてやるさ」
「だから、お姉ちゃんのお仕置きは冗談で済まないから……」
そうは言ったけど、お姉ちゃんの言う通りかも。
だってもう、あたしの気持ちはほとんど固まってたから。
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