ブルースカイフェアリーズ

藤谷 灯

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ブルー・フェアリー

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連絡船オービターの、豪華客船も顔負けの広々としたデッキを、心地よい潮風が吹き抜ける。
キャップを被った少女はベンチにもたれてジーンズの脚を組み、潮風を受けながら、その黒いまなざしを水平線へとぼんやり漂わせていた。
キャップからはみ出した黒髪の短い毛先が、若草のように風に揺れている。肉付きの少ない華奢な体とその服装から、一見しただけでは少年かと見間違ってしまいそうだ。
彼女の手の中には、ひとつの腕時計。その文字盤はきれいな青色だったが、ガラスには大きく蜘蛛の巣状のクラックが入っており、ベルトの一部には煤がこびりついている。優美なシルエットの針は、既に時を刻むことを止めていた。
不意にデッキが騒々しくなる。それに気付いた少女は手にしていた時計を素早く上着のポケットにしまう。そして、目深に被っていたキャップのツバを、人差し指の先でほんの少し持ち上げた。巣穴から慎重に顔を出して外の様子をうかがう野生の獣のような鋭さで、目の前に広がる景色を見遣る。
アジア系の団体旅行客らしい人群れが、海がよく見えるデッキの手すり付近に集まっていた。添乗員と思われる明るい色のスーツ姿の若い女性が、おもむろに舳先の方向を指し示して話し出す。
「さてみなさま、あちらに見えてまいりました大きな人工の島が、シューティング・スター島です。そしてその奥に見えているのがコメット島。言うまでもないですが、それぞれ、国際防衛アカデミーと連合空軍の本拠地です。その頭文字を取って、国際防衛アカデミーはIDA、連合空軍はUAFと呼ばれていますが、みなさんにはそちらの呼称の方が馴染み深いかもしれませんね」
聞こえてきたその言葉に、少女はふと、郷愁にも似た思いにとらわれる。今となっては懐かしい母国語。それをまさか、こんなところで聞こうとは。
「はるばる日本から、このIDA、UAF観覧ツアーにご参加いただいた皆さんの中にはIDAとUAF、そして今やその広告塔とも言えるブルー・フェアリーの存在を知らないという方は、おそらくいらっしゃらないのではないかと思いますが、あらためてご説明させていただきますね」
ツアーの参加者は、見たところ年齢も性別もさまざまだ。彼女の説明をよそに、皆勝手におしゃべりに興じている。しかし添乗員は慣れているのか、気にとめるふうでもなく淡々と続けた。
「さながら止むことのない雨のような紛争の数々を経て、国連主導の元で、超国家的な問題解決のための軍事介入機関としてのUAFが設立されてから十年という節目の年に結成されたのが、ご承知のとおりのアクロバット飛行部隊ブルー・フェアリーです。ちなみに、フェアリーの正式な部隊名は連合空軍第七航空団臨時第三五飛行隊といいます」
さすがにUAFに近いせいもあって、時折添乗員の言葉に被さるようにして遠雷のような音が低く響く。胃の腑の奥をふるわせるように響く、ジェットエンジンの音だ。
少女はそちらへ目を凝らす。
編隊を組み、青空を切り裂いて飛んでゆくのは、おそらく戦闘機だろう。IDA所有の訓練機か。もしくはUAF機か。いずれにせよ、ここからでは遠すぎて、目のいい少女でも肉眼では確認できない。
波の穏やかな海面が陽光を反射し、少女は目を細める。
前夜まで降っていた雨のせいで、空気中の水蒸気濃度は濃い。そのために両翼の先端から伸びた美しいヴェイパー・トレイルが、くっきりとどこまでも続いていた。
それは、いつか見た光景を少女の脳裏に鮮やかに浮かび上がらせる。
穏やかだった日々。何も知らなかった、知らなくても生きてゆけたあの頃。
そんな遠い日々に少女は思いを馳せるが、それはほんの一瞬のことだった。

「シューティング・スター島での本日の観光予定の中には、IDAの敷地内にありますブルー・フェアリー資料館も入っていますので、詳細はそこでじっくりご覧いただきますが、予備知識として少しお話しいたしましょう」
 いつしか、客たちはひとりまたひとりとおしゃべりを中断して、添乗員の説明に聞き入り始めていた。
「ブルー・フェアリーの最大の特徴は、その構成員にあります。みなさんの中には、ブルー・フェアリーのメンバーはUAFの正規軍人と思っている方もいらっしゃるかもしれませんが、実はそうではありません。UAFの士官を育成する目的で設立されたIDAの航空部の、厳しい入学試験を突破したエリート学生の中でも、よりぬきの少女パイロットたちだけが選抜され、入隊を許されるのです。その正規軍人顔負けの華やかな曲技により、UAFのイメージアップにつとめること、それが彼女たちの主な任務です」
 添乗員は銀色のフレームをした眼鏡の位置を直して微笑う。
「彼女たちに憧れてIDAを目指す学生も、決して少なくありません。このアメリカ国内はもとより、世界中から学生が集まります。もちろん日本人の学生もいるそうですよ」
「日本人もいるの?」
 団体客のひとり、初老のご婦人が驚いたように声を上げる。添乗員は頷いた。
「ええ、数は多くはないですが、整備補給部に何人かいると聞いています。しかし残念ながら、ブルー・フェアリーのメンバーには、航空部の生徒しかなれません。航空部の基礎訓練課程の修了、もしくは修了相当の技能を有していることが入隊の必須条件だからです。それに、残念ながらまだブルー・フェアリーに日本人の生徒が採用されたことはありません。今後に期待したいですね」
「日本の女の子はおしとやかだから、飛行機に乗って曲芸するなんて荒々しいことは無理なのかもしれないわねえ」
 ご婦人は恰幅のいい体を揺らして、しきりにうんうんと頷く。その隣にいた、おそらくは新婚かと思われる男女二人連れの、男性の方が手を上げた。
「航空部の入学試験って、厳しいんですか?」
「ええ、英語を日常生活に支障のない程度に話せることはもちろんですが、理科系の筆記試験と実技試験があり、いずれもたいへん高レベルだそうです。それにそもそも、パイロットは裸眼で視力がよくなくてはなれませんから」
 添乗員は微笑んで、逸れた話題を元に戻す。
「ブルー・フェアリーの人気は絶大で、それこそ各国の航空ショーでもひっぱりだこです。けれど彼女たちが私たちを惹きつけるのは、その華やかさだけではありません。驚くべきことに、設立よりこんにちに至るまで、ブルー・フェアリーは一度も事故を起こしていないのです。そのエピソードだけでも、学生とはいえ、彼女たちがいかに優秀なパイロットであるか、うかがい知れるというものでしょう」
 添乗員は青い空をふりあおぐ。
そこにはさきほど飛び去った戦闘機が残したコントレイル(飛行機雲)が、かすれた引っかき傷のような白い筋となって漂っていた。
「そうした高い安全性も、彼女ら空飛ぶイルカたちが、私たちを魅了する要因のひとつなのでしょうね。ああ、ちなみに彼女たちの乗る機体、ダルフィムはイルカという意味です。夜空にかろやかに輝くイルカ座が、その由来とのことですよ」
 その頃には、客たちは添乗員の話にすっかり引き込まれていた。
添乗員はにっこりと微笑む。
「これはおそらくあまり知られていないことなのですが、彼女たちの乗る機体、ダルフィム‐マークⅢ、通称D‐3は単なる曲技専用機ではありません。D‐3が装備する強力なアフターバーナーによる推進力は、充分実戦に耐えうる威力です。また、名目上は機体を安定させるバラスト代わりということですが、D‐3はその身に機銃を搭載しているのです」
 添乗員の話に、少女はふうん、と心の中では感嘆の声を上げた。
「まだ十代の少女たちを乗せ、高速で飛ぶこの機体は、名目上は曲技仕様、戦技研究用機として開発されてはいるものの、ちょっとした仕様変更で実戦にも即投入可能な、実に高性能の機体なのです。今後、彼女たちの演技をご覧になる際に、そういったことを知っているのとそうでないのとでは、印象はまったく違ったものになるでしょう」
 そこまでを言い終わると、添乗員は開いていた手帳をぱたんと閉じる。
「オービターがシューティング・スター島に到着するまでは、まだもう少しお時間があります。それまでは自由行動としましょう。しばし船旅をお楽しみください」
 彼女の言葉に従って、旅行客たちは思い思いにデッキのそこかしこに散ってゆく。
日本人とは特殊な生きものだな、とその集団をずっと眺めていた少女は思った。おそらく世界で最も、集団好きな生きものだ。
元来、人間とは群れて生きることを余儀なくされた生きものだが、その中でも日本人は特殊だと、少女は思う。彼らはなによりも集団の輪から外れることを嫌う。彼らにとっては群れの中にいるのが一番落ち着くのだ。それが「ふつう」であり、「ふつう」でないことは、彼らにとって全て異質なものであり、異分子なのだろう。群れの属性から外れた存在などもってのほか、彼らにとっては排除すべき存在でしかないのだ。それはもはや、強迫観念に近い。
「ここ、いいかしら」
聞き覚えのある声が頭の上から降ってくると共に、視界が不意に暗くなる。見上げれば、少女の前にはあの添乗員が立っていた。手にはカフェオレのカップを持っている。その指は、ベンチに座る彼女の隣の空きスペースを指していた。
添乗員は英語で質問したのだが、少女は微笑むと日本語で答えた。
「ええ、空いてますよ。どうぞ」
「あら」添乗員は小さく目を見開き、声を上げる。「日本語、わかるのね。もしかして日本人?」
「ええ」少女は頷く。
添乗員は礼を言って少女の横に座ると、脚を組んだ。
「さっき遠目に見たときからなんとなく、そうかなって思ってたけれど、勘が当たったみたいね」
「わたしが日本人って?」
「ええ」
「詳しいんですね、ブルー・フェアリーのこと。感心しちゃいました」
「それを伝えるのが仕事だから。……って、この距離で、私の話が聞こえていたの?」
 添乗員は驚いたように目を丸くした。少女はこともなげに頷く。
「わたし、目と耳はいいんです。それにこちら側は風下だし」
「へえ」
「日本では今、ブルー・フェアリーが流行っているんですか?」
「そうね。大流行よ。彼女たち、クールでしょう?」
 添乗員は口元に笑みを浮かべた。
「そういえば、あなたも彼女たちと同じくらいの年代ね。IDAの入学試験を受けるの? あ、そのために日本から来たとか?」
「ううん。確かにIDAに用事があるんだけど、試験のためじゃないの」少女は曖昧な笑みを口元に浮かべる。
「そういうお姉さんは? もしかして、IDAを受けたことがある、とか」
「あら」
「驚いた。さっきから驚きの連続よ、よくわかったわね」
「そう? なんとなく、そう思っただけ」
「あなた、観察眼が鋭いのね。うらやましいわ」
 添乗員は目を細める。
「そのとおり。私は昔、IDAを受けたわ。もちろん航空部をね。結果は惨敗だったけれど、ほら、パイロットは目がよくないとだめでしょう?」
 そう言って添乗員は、銀色のフレームの眼鏡を押し上げてみせた。
「でも満足。こうして飛行機を眺められる仕事ができているだけで満足よ」
そのとき、船内に響き渡る、ピンポーンという単調な電子音が二人の会話を遮った。
続けて、いかにも人工的な女性の声のアナウンス。
『ご乗船のみなさま、本日は当オービターをご利用いただきありがとうございます。まもなく、本船はシューティング・スター島に到着いたします。国際防衛アカデミーへご用の方はこちらでアカデミー行きシャトルにお乗換えください。本日は、誠にありがとうございました。お忘れ物などありませんよう、ご注意ください――』
「少ししか話せなかったけど、楽しかったわ。気をつけてね」
添乗員は軽く手を振ると、客たちの元へと去って行った。少女は笑顔で見送る。
下船の準備を始める他の客たちは、早くもそわそわと動き始めている。やがて船が接岸し、乗客たちが先を争うように降りてゆくと、少女はよいしょと勢いをつけて大きなザックを背負った。小柄で華奢な彼女がそうしていると、まるで荷物に背負われているようだ。昔、父さんにそんなふうに言われたことがあったな、などと昔を思い出しながら、人波にまぎれるようにして、少女は確かな足取りで歩き出す。



     *



それからしばらくして、黒髪の少女の姿はIDAの敷地内、アクロバット部隊ブルー・フェアリーの練習場に在った。
まぶしげに手のひらをかざし、ナイフエッジで空を切り裂くようにして高く上昇してゆくその機体を見上げる。その大きな黒い瞳は、興奮気味に輝いていた。
船の上からではよく見えなかったが、こうして間近で見ると、やはりその迫力はすさまじい。
ある程度まで上昇し、スナップ・ロール。続けてインメルマン・ターン。さらには背面からのなめらかなエルロン・ロール。息もつかせず急降下すると、今度は背面のまま、轟音とともに滑走路すれすれをかすめて飛び去る。
なんて低さだろう。おそらく高度は一メートル以下だったに違いない。まさに空技のお手本とでもいうべき、正確できれいな演技だ。素直に拍手を送りたい気持ちになる。
だがそれも当然だろう。あれはただの飛行機ではない。それに、おそらくは乗っている人間も普通のパイロットではないのだ。
ダルフィム‐マークⅢ、通称D‐3。IDAご自慢のアクロバット部隊ブルー・フェアリーが誇る、双発、単座の高性能な曲技専用機なのだ。
機体にペイントされた数字は4。四番機のコードネームはラケシス、パイロットはドイツ出身の十七歳、エルフリーデ・フライフォーゲルだ。彼女はこのブルー・フェアリーの最年少メンバーだが、実力は一、二を争うと評判のパイロットだ。
「すごいなあ。まさに空飛ぶイルカ、ね」
思わず少女は感嘆の声を上げていた。そんな彼女の姿に気付いて、歩み寄る足音がひとつ。
「おい、君。どこから入った。ここは関係者以外立ち入り禁止だぞ」
 少女は振り返る。
その瞳がとらえたのは、腰に手を当てて佇む、二十代後半と思しきひとりの青年の姿だった。輝く襟章は、彼がUAFの人間であることを言葉よりも雄弁に語っている。
風になびくまっすぐな黒髪と、隙のない黒い瞳は、彼がアジア系の血を引く証だった。
少女は小首を傾げ、実にあっけらかんと言い放つ。
「わたしのことですか?」
「君以外に誰がいる」
 青年は不満そうに目を眇めた。そうしてつかつかと早足で歩み寄ってくる。
その硬質でリズミカルな足音が、いかにも軍人らしい、と少女は思った。
「ここはブルー・フェアリー専用の訓練場だ。部外者の立ち入りは厳しく禁止されている。そう簡単に観光客が入って来られるところじゃないんだぞ」
 そうして、呆れたように前髪をかきあげると、溜息を漏らす。
「まったく、警備員は居眠りでもしているのか。とんだ職務怠慢だな」
 少女は相変わらず悪びれもせずに、にっこり微笑んだ。
「警備員さんなら、ちゃんと仕事しています。きちんとゲートを開けて、通してくれましたよ」
そう言って少女は被っていたキャップを脱いだ。
それまでキャップの中に隠れていたショートカットの柔らかな黒髪が、澄んだ風になびく。
「なに?」
「申し遅れましたが、わたしは本日付けで、このIDA航空部二年に編入すると同時にブルー・フェアリーへの入隊を命ぜられました、各務蒔那(カガミ・マキナ)です。よろしくお願いします」
 呆気に取られる森岡中尉に、マキナは軽く敬礼してみせると、首から提げたIDタグと持参した書類を示す。中尉は、その二つと少女の顔を交互に見比べていたが、やがてその目が大きく見開かれる。
「いやあ、驚いた。とすると、君が今日来ることになっていた、五番機アトロポスの新しいパイロット候補ということか」
「はい。よろしくお願いします」
 マキナは元気よく返事をすると、もう一度敬礼した。
「これは失礼したよ。悪かったね」
 森岡中尉はぽりぽりと頭を掻いて微笑む。
マキナの素性が知れたことで警戒をほどいた彼からは、さきほどまでの不穏な気配はもう感じられない。
少し長めの前髪の奥に輝く瞳は、よく見れば柔和な光をたたえている。
このときになって、マキナは気がついた。ずっと黒だとばかり思っていた森岡中尉の瞳は、実は青なのだ。その青色が濃いために、遠目には黒い瞳に見えるのだ。日本人に特有の茶色の瞳が、少し離れて見ると黒く見えるのと同じ。
握手を求めて差し出されたその手を握って、マキナも微笑んだ。
「改めて自己紹介しよう。ぼくは森岡。大地・レナード・森岡中尉だ。聞いてのとおり、半分は君と同じ日本人だよ。日米のあいのこさ。今はこのブルー・フェアリーの教官を任命されている。とは言っても、もうそれは君も知ってるよな?」
「はい。こちらへの推薦状をいただいたときに」
「君のことは、フェアリーの統括責任者であるヴァーノン大佐からも、ぜひよろしくと伝言を預かっているよ。素晴らしい能力の持ち主だから、ぜひここで伸ばしてやって欲しい、とね。大佐は見る目のある方だ。その大佐にああ言ってもらえるなんて、すごい子なんだろうなと、楽しみにしてたんだ」
「いえ。……きっと大佐は、わたしの能力を買いかぶっておられるのです」
 マキナは苦笑して、わずかに目を伏せる。
それで森岡中尉はおや、と思う。
彼女がどういった経緯でIDAに編入することになったのかは詳しく知らない。
だがここは、普通の学校ではない。推薦による入学も不可能なわけではないが、本人に実力が伴っていなければ、推薦を受けることすら困難だ。こうして正式な編入許可が下りたということは、本人は認めていなくとも、厳しいIDA入学審査委員会メンバーの首を縦に振らせることができる程度には、優秀な者だということになる。
彼女の表情が変化した理由が気になったが、森岡中尉は思いとどまった。それは今後ゆっくり読み解いてゆけばいいことだ。幸い、彼はそうしたタイミングを読むのに長けていた。そしてまたそれこそが、彼がこの地位に若くして就いている理由のひとつでもあったのだ。
森岡中尉は親指を立て、アカデミーの校舎の方を指し示す。
「ここで立ち話もなんだから、まず学生本部へ案内しよう、いろいろ手続きがあるだろう?」
「はい。ありがとうございます」
 マキナの言葉を遮るような轟音をたてて、四番機が降りてくる。つられて彼女が見上げたとき、かの機は胴体からランディング・ギアを出し、今まさに着陸へのアプローチへ入ったところだった。
なめらかな曲線を描くボディが陽光を弾く。機体に描かれた三本のスカイブルーのラインと、星型のペイントはブルー・フェアリーのシンボルだ。
「きれいな機体だろう。あれがこれから君の乗ることになるダルフィム。D‐3だよ。もっとも、君の五番機はまだ調整中なのでハンガーの中だが。せっかくだから見ていくかい?」
 マキナは首を横に振る。
「いいえ、また後にします。整備の方たちの邪魔はしたくないので」
「わかったよ。じゃあ、行こうか」
 少女は頷くと、重いザックを背負い直し、中尉の後に続いた。




     *



「ちょっと中尉! どういうことですか、って……」
 騒々しい足音とともに、ブリーフィング・ルームのドアが勢いよく開け放たれる。
そこには既に、フライトスーツを纏った三人の少女たちが待機していた。だが、まだ教官である森岡中尉は戻って来ていないようだ。その事実に拍子抜けしたように、後から入ってきた蜂蜜のように艶やかな金髪の少女は小さく舌打ちする。
そのまま彼女は大股に部屋を縦断し、代わりとばかりに中心にいた銀髪の少女に歩み寄る。その勢いは、もはや猪突猛進と言ってもいいくらいだ。彼女の琥珀色の瞳は、怒りにも似た激しい感情に燃えていた。
「騒々しいわね、エリー」
「そんなに落ち着いてる場合? 今さっきそこで聞いたわよ。五番機の新しいパイロット、日本人ですって? しかもIDA編入と同時にブルー・フェアリー入隊? そんなの前代未聞よ。何かの間違いじゃないの?」
 そんな彼女の気性の激しさには慣れているのか、詰め寄られた側の少女は、いたって涼しい顔で、お手上げと言わんばかりに肩をすくめてみせる。
「どうもこうもないわ。私も初めはそう思ったわよ。でもねエリー、これは間違いでも誤報でもないの。れっきとした真実よ。森岡中尉も言っていたもの」
 イレインの落ち着き払った態度が、エルフリーデの激情に油を注いだ。
「ありえないわよ! だいたい旧型のD‐2の基礎訓練課程も修了していない人間が、新型のD‐3で飛べるわけ? 編入前はどこで何していたか知らないけど、D‐3はそんなに甘い機体じゃないわ」
溜息を漏らして、イレインは目を上げる。IDAのクール・ビューティとも称されるイレイン・ソロウの、絶妙の角度で切れ上がったアイスブルーの瞳の奥に宿るのは、繊細なその容姿とは裏腹に獰猛な獣のような鋭さだ。
「ありえるかありえないかはともかく、さっきから言っているように、真実なんだから仕方ないでしょ」
「仕方ないって……イレイン、あなた、あたしたちのリーダーでしょ。それでいいの!?」
「まあ、どちらにしてもそれらの疑問は近いうちに解決するわ。落ち着きなさいな」
「どういうこと?」
 訝しげに眉根を寄せるエルフリーデの前に、イレインはぱさりと放り投げるようにして資料を置く。
「さっそく三日後、件の新人のシミュレータを使った模擬飛行と、アトロポスとのダイレクトリンク・テストがあるんですって。使えるか使えないかは、その結果次第ということね。お手並み拝見といきましょう」
 エルフリーデは資料をぱらぱらとめくる。そこに羅列されていたのは、五番機アトロポスの新パイロットに課せられる当面のスケジュールだった。
一口にテストといっても、IDAの場合、ゲームのように気軽なものではない。ここでの結果が悪ければ、その場で入隊取消ということもあり得る厳しいものなのだ。このアカデミーでの基礎訓練を終えていない人間にとっては、けっして楽なハードルではない。
事実、過去にこのテストをパスできずに、一度もD‐3に乗ることなくブルー・フェアリーを去っていった少女は、決して少なくなかった。イレインが言いたいのは、つまりそういうことなのだ。エルフリーデは唸る。
「――なるほど、そうね。もしその子がコネで入ってきたのなら、テストすればすぐに化けの皮が剥がれるわね」
「そうかしら。むしろ逆かもしれないわよ」
 それまで、ずっと黙ってイレインとエルフリーデのやり取りを聞いていた少女の一人が、それだけ言うと席を立つ。むっとした表情を隠しもせずに、エルフリーデは攻撃の矛先を変えた。
「何よ、ノエル・マクルーハン。あなたの言い分は違うって言うの?」
「ブルー・フェアリーはコネで入れるような部隊じゃないわ。IDAもよ。それなりの理由があるはずよ」
「理由? じゃあ、どんな理由だっていうのよ」
「知らないわ。単なる仮定よ」
 掴み掛からんばかりの勢いでエルフリーデが詰め寄っても、ノエルは表情ひとつ変えずに、淡々と続ける。
「少なくとも、D‐2の基礎訓練課程を終えていない人間は、ブルー・フェアリーへの入隊許可なんか下りないわ。それはあなたもわかっているでしょう?」
「だから、何よ」
「最後まで言わなきゃわからない?」ノエルは目を細める。
「この新人――マキナ・カガミって子――は、ここで学ぶ前に、既にD‐2の基礎訓練課程修了と同等の操縦技術があるってことよ。もしかしたら、D‐3を飛ばすこともできるかもしれないわね。今すぐにでも」
「馬鹿言わないでよ!」
「馬鹿なんて言ったつもりはないわ。それよりあと十分でブリーフィングよ。早く着替えた方がいいわ」
 ノエルは顔色一つ変えずに言い終えると、ブリーフィング・ルームを出て行ってしまう。
「さすが無表情・無感動・無関心の権化だわ。むかつくぅ!」
 ここにストレス極まれりといった顔で、叩き割らんばかりの勢いでデスクに拳を打ち付けるエルフリーデの背後で、一部始終を傍観していた少女が、けたけたと遠慮もなく笑う。
案の定、きっと鋭い視線をぶつけてくる金髪の少女をなだめるように、その栗色の髪をした少女はひらひら手を振ってみせた。
「まあまあ。どんなときでも冷静さを保つのがパイロットの必須条件なんだから。あなたもノエルを少し見習ってもいいくらいよ、エリー」
「うるさいわね、オーガスタ。あなたいったい誰の味方よ」
「あたし?」オーガスタ・マレットは口の端を上げてにっと笑う。
「決まってるじゃない。あたしは永世中立よ」
 ぎりぎりと音がしそうなほどに歯軋りしたエルフリーデの背後で、呑気とも取れる声が響く。
「何だ何だ、賑やかだな。まだみんな着替えてないのか」
 彼女が振り返ると、数枚のファイルを小脇に抱えてそこに立っていたのは件の教官殿だった。
「森岡中尉!」
「何だね」
「新人が……それもIDAに入学したての日本人がブルー・フェアリーに入隊するって本当ですか?」
「ああ」森岡中尉は涼やかな笑みで応じる。それがエルフリーデの怒りに油を注いだ。
「何かの間違いでは? フェアリーはIDAでの訓練を終えていることが入隊資格のはずよ」
 先程ノエルにぶつけた質問を、エルフリーデはそのまま中尉にぶつけた。
森岡中尉は慎重に言葉を選んでいるかのようにその濃青の瞳をゆっくり瞬かせた後、しっかりとした口調で言った。まるでこれ以上、ここで余計な疑問をさしはさむことは許さないとでもいうように。
「いいや。間違いではないよ、エリー。新しく入隊することになった彼女、マキナ・カガミは非常に優秀なパイロットだと、このブルー・フェアリーの統括責任者ヴァーノン大佐のお墨付きだ。本日付で入隊することに何の問題もない、それどころか、みんなにとって刺激になるような逸材だと、大佐は太鼓判を押してくださった。さあ、どっちみち近いうちに彼女には会えるんだから、お喋りはこのくらいにして、今日のブリーフィングを開始しよう。いいね?」 



     *



 深夜の滑走路は、闇の冷たさを吸い込んだかのようにしんと静まりかえっていた。
一定間隔で設置された滑走路灯が、地上に降り積もった雪のように、白く淡い光を放っている。滑走路灯は管制塔からの制御で光度を調節できるので、離発着のない時間帯は、ひかえめにしてあるのだろう。
 UAFのあるコメット島の方角から、遠雷のような轟音が聞こえてくる。暗くてよくは見えないが、あれは練習機のものではないなとマキナは思った。おそらくUAFの戦闘機だ。夜間の飛行訓練なのか、それともスクランブルなのかはわからないが、淡い緑色をした編隊灯だけは、ここからでもはっきりと視認できた。
滑走路脇のハンガーの出入り口に備え付けの認証装置に、マキナは首から提げたIDタグをかざす。ピッという小さな電子音がして、認証装置の小さなディスプレイに、暗証キーを入力するよう指示するメッセージが浮かび上がる。あらかじめ伝えられていたキーを入力すると、もう一度電子音がして、鉄の扉は開錠された。重苦しい音をたてて横にスライドする。
中に入ると、天井に設置された照明が、自動的に点灯した。眩い灯りに照らし出されたのは、白銀の機体たちだった。ブルー・フェアリーは五機で編成される部隊だが、機体は全部で六機あった。六番機セレイネスは予備機なのだ。
マキナは機体にペイントされた青いナンバーを一機一機確認しながら、広々としたハンガー内を歩く。冷たくしんとしたコンクリートの床に、彼女の足音だけが響いた。
目指す相棒はハンガーの一番奥、六番機と並んでひとり佇んでいた。
ナンバーは5、五番機アトロポス。これからマキナが乗る機だ。
 手近にあった外部ラダーを勝手に使って主翼の上に乗り、キャノピィの中を覗き込む。シートは思ったよりも狭かった。
キャノピィの外部ハンドルを回す。勝手に機体に触ったのがばれたら叱られるかもしれないが、実際に飛ばすわけじゃないのだ。それくらい、たいしたことじゃない。
なめらかな曲線を描く透明なキャノピィが、ゆっくりと開いていく。自分を受け入れようとしてくれているみたいだなと、マキナは夢のように思った。
 コックピットに滑り込み、そっとシートに身を沈めてみた。
アトロポスのシートは人のぬくもりに飢えていたかのように、マキナの肌から布越しに体温を奪ってゆく。
思わずエンジン・スターター・ボタンを押して、相棒のエンジン音を聞いてみたい欲求にかられるが、さすがにそれはまずいだろう。見つかったら、小言ではすまないに違いない。
マキナは苦笑して、そっとシートにもたれかかった。
 ハンガーの高い天井に吊るされた照明が眩しくて、マキナは目を閉じる。
いっそのこと、このまま今夜はここで眠ってしまうのもいいかもしれないな。寮の部屋からブランケットと、温かいココアでも持ってくればよかった。半ば本気でそう思いながら。
薄らいでゆく意識の中で、磨き上げられたHUD(ヘッド・アップ・ディスプレイ)が、マキナの思いに応えるように、ぼんやりと淡い光を放ったように見えた。

「――ねえ、ちょっと」
「……え?」
「ねえってば。君、そこの君だよ」
 ぼんやりしていたマキナは、その声で我にかえる。アトロポスのシートに座ったまま、ほんとうに少し眠ってしまっていたらしい。
移動や転入手続き関連のわずらわしさで、疲れていたのかもしれない。
すぐには焦点の合わない目を擦りながら身体を起こすと、開けはなしたままのキャノピィの隙間から、一人の少年がコックピットの中を覗き込んでいた。
「困るなあ。勝手にそんなところで寝られちゃあ」
 鳶色の髪と瞳をした少年は、困ったように眉をひそめた。
ここにいるからには、IDAの学生なのは間違いのだろうが、彼は航空部に所属する人間ではないと、マキナにはすぐにわかった。彼が身に纏っているのは、元は白かったのだろうと想像できる、オイルで汚れたツナギだったから。
航空部は主にパイロットを目指す学生のみが在籍する学部だが、整備補給部は中核となる機体の整備・保全の他に航空電子工学(アビオニクス)を志す学生が在籍するところだ。整備補給部は実質的にこのIDAの要であり、同時にマキナたち航空部の対となる学部なのだ。
「ここは関係者以外、立ち入り禁止だよ。君、どうやって入ったの?」
 彼の言葉に、思わずマキナは小さく吹き出しそうになる。
「ここに来てから、それを言われたのはあなたで今日二人目だわ」
「え?」
 目を瞬かせる少年に、マキナは首から提げていたIDタグを見せた。
「わたしの名前はマキナ。マキナ・カガミ。このアトロポスの新しいパイロットよ。よろしく」
 途端、少年は目を丸くした。もう少しで零れ落ちてしまうんじゃないか、そう思うくらいに。
「うわあ! そうなんだ! おれはパーシー・アレックス。整備補給部の二年だよ。よろしく!」
少年は喜色満面で手を差し出してくる。彼の勢いにやや圧倒されながらも、その手を握り返し、マキナは微笑んだ。
「よろしく、パーシー」
「近々アトロポスのパイロットが入隊するって聞いてたけど、今日なんて知らなかったよ。中尉も教えてくれたっていいのに」
「パーシーは、アトロポスの整備士なの?」
 パーシーは頷くと、外部ラダーから主翼の上に乗り移る。
「もちろん、おれはまだ学生だから正式な担当ではないけどね。ブルー・フェアリーの機体は基本的にはUAFの整備補給士が整備するけど、勉強も兼ねてIDAの学生も整備に参加してるんだ。おれは去年からアトロポスの担当をしてる。だから新しいパイロットが来るのがすごい楽しみでさ」
そうして、ぽんぽんと鋼鉄の翼をやさしくたたいた。
「よかったな、アトロポス。やっとまた、飛べるようになるわけじゃん」
「パーシーは、アトロポスを大切にしているのね」
 少年は、力強く頷いた。
「もちろん大切だよ。彼女はおれにとって、初めての相棒だからね」
「約束する。アトロポスには大切に乗る。彼女を傷付けるような真似はしない」
「ありがとう。そう言ってくれると嬉しいな――でも」
「でも、なに?」
「もし、万が一のことがあって、自分の身に危険が及びそうになったら、迷わず自分の身の安全を選ぶって約束してくれよな。機体を優先して自分が傷付くなんて、本末転倒だからさ。機械は壊れてもまた作り直せるけれど、人間はそうじゃないんだから」
 そう言って、パーシーはもう一度、アトロポスの大きな翼をやさしく叩く。
しんとしたハンガーに響くその音は、アトロポスの言葉のようにも聞こえた。
「パーシー……」
マキナはいっとき目を瞬いて、そして微笑む。
「そうね。確かにそのとおりだわ」
 パーシーは照れくさくなったのか、へへ、と頭を掻きながら笑った。マキナはコックピットから出て、パーシーの手を借りながら主翼の上へ移動する。外部ハンドルを回して、ていねいにキャノピィを閉じるマキナの背中に、パーシーは問いかけた。
「ところでマキナは、どうしてアトロポスのコックピットにいたんだい?」
マキナは苦笑して、そっと名残惜しそうにアトロポスのボディを撫でる。
「今日は色々忙しくて、ゆっくりこの子に会いに来ることができなかったから、挨拶してたの」
「中尉に案内してもらわなかったの?」
「うん。まだ調整中だって中尉に聞いたから、邪魔しない方がいいかなと思って。アトロポスはいつ頃飛ばせるようになるの?」
「うーんそうだなあ。あと二、三日もあれば充分かなあ」
「そうなの? 楽しみ」
作業を終えたマキナは、外部ラダーを伝って床へ降りる。
「そう言えば、パーシーこそこんな時間にどうしたの? もう作業の時間は終わってるでしょ?」
「ああ。おれはたまたま別のハンガーで大先輩の作業を手伝っててさ。寮に帰る途中で、ここに灯りが点いているのが見えたから、まだ誰か作業をしてるのなかと思って、寄ってみたんだ」
 マキナに続いて床へ降り立った整備士見習いの少年は、改めて大きな白銀の機体を見上げる。
「しかしパイロットってすごいよなあ。こんな鉄のかたまりに乗って飛ぶなんて」
 マキナは小さく目を見開く。それはマキナにとって、意外な言葉だった。
「パーシーって、整備士でしょ。面白いこと言うのね」
「マキナこそ面白いなあ。フェアリーのメンバーには、ちょっと珍しいタイプだよ」
「そう?」
「そうだよ。他の奴らなんて、おれら整備の人間を小間使いか何かと勘違いしてやがんだぜ、きっと」
「そんなことないわ。パーシーたちのおかげで、わたしたちは安心して飛べるんだもの」
それはマキナにとってはごく自然に口をついて出た素直な思いだったが、パーシーにとってはそうでなかったらしい。彼は目を輝かせると、握りこぶしを天に突き上げた。
「くーっ! みんなそういうふうに言ってくれたら、おれ相当はりきっちゃうんだけどな」
 そのとき、扉の認証装置が小さな電子音をたてた。
続いて重苦しい音とともに、鉄の扉がスライドする。はっとして思わず振り返った二人がそこに見たのは、よく見知った青年の姿だった。
「こんなところにいたのか、探したぞ、マキナ。――なんだ、パーシーも一緒だったのか?」
「すみません、森岡中尉」
「なんだはひどいですよ、中尉。これでもさっきまで、レックス少尉に頼まれて、整備の手伝いをしてたんですから」
「そうだったのか。すまんすまん」
 森岡中尉は薄いファイルを小脇に抱えて、五番機の足元に佇む二人の元に歩み寄る。
そして、今はまだ翼を休ませているアトロポスを見上げた。
「どうだいパーシー、アトロポスの状態は」
「上々ですよ。まかしといてください」
 若き整備士見習いは胸を張った。森岡中尉は満足そうに目元をゆるめる。
「そうだね。マキナ、彼は優秀だ。安心して任せておくといいよ」
「はい」マキナは微笑む。
「あ、そう言えば中尉、わたしを探していたって……」
「ああ、そうだ。何度寮の部屋にコールしても出なかったから、もしかしたらと思ってね。明日からの君のスケジュールを渡しておくよ。事前に目を通しておいてくれ。フェアリーの訓練は通常の講義と平行で行われる。激務になるとは思うが、ぜひ頑張ってほしい」
「はい、中尉」
差し出されたファイルを受け取り、中に挟んであった書類にマキナは素早く目を通す。
中尉に渡された書類とパーシーの話を総合して考えると、D‐3を実際に飛ばすことができるのは、少なくとも数日後ということになりそうだった。それまではシミュレータでの模擬飛行と、アトロポスの制御システムへのダイレクト・リンクのテスト、そしてD‐3の機体に関する講習を黙々とこなすことになるらしい。
確かに当分は忙しくなりそうだったが、こうしてD‐3に乗ることができる幸せを考えたら、そんなものはマキナにとって苦痛でもなんでもなかった。
「今日はもう遅い。二人とも、寮に帰って休みなさい」
「はい。おやすみなさい、中尉」
 言い残し、森岡中尉は軽く手を振ると背を向けた。パーシーが軽く敬礼して中尉を見送る。だが、マキナは思わず声を上げていた。
「あ、あのっ、待ってください、中尉!」
「何だい?」
 中尉は足を止めて、肩越しにこちらを見遣る。口調はあくまでも穏やかだったが、その黒い瞳にはやはり隙がない。
天井の照明が、男性にしては色の白い彼の頬に、大理石の彫像のように濃い影を落とす。それはどこか、深い闇のようにも見えた。マキナは森岡中尉の前に駆け寄ったが、両手でファイルを胸に抱いたまま、一瞬言葉に迷った。
けれど中尉自身はあくまでも静かにマキナの言葉を待っている。近くで見ると、その瞳が深い青であることがよくわかった。ファイルを抱く手のひらに、じわりと汗がにじんでくるのを感じながら、マキナはゆっくり顔を上げた。
「中尉は……」
「ん?」
 森岡中尉は小首を傾げた。やや長い前髪が揺れて、ほんの少し瞳を隠す。
「中尉は、もう、ご自分では飛ばないんですか?」
「ぼく?」
「ああ、すみません、言い方が変でした。中尉は昔、まだUAFにアクロバット部隊があった時代に、その部隊に所属されていた方だとお聞きしたことがあります。中尉の技術は大変素晴らしいものだったと。ですが、今はご自分で曲技飛行をされることはないとも、お聞きしました。それは本当なのですか?」
 そのとき、森岡中尉の瞳がかすかに見開かれるのを、パーシーはマキナの肩越しに見た。彼にとってもそれは初耳だった。当の森岡中尉は頭を掻きながら、目線を逸らして苦笑する。
「そうだね。君の言うとおりだよ。でも、昔の話だ」
「理由を、お聞きしてもいいですか?」
 マキナは食い下がった。森岡中尉は僅かに眉をひそめる。
「それはぼくの個人的なことだ。君には関係ないと思うけど?」
「マキナ」パーシーがマキナの腕を掴んで、それ以上の言葉を遮った。
「もうそれくらいにしなよ。もう遅いし、中尉に失礼だろ」
彼女は抗議めいたまなざしを少年に向けたが、パーシーの言い分が正しいことくらいわかる。マキナは小さく唇を噛みしめると、森岡中尉に向かって頭を下げた。
「大変申し訳ありませんでした、中尉。今の発言は、どうか忘れてください」
「いいよ、気にしないで。それよりも今日は早く休みなさい。いいね」
「はい」
 マキナは今度こそ小さく敬礼して、去ってゆく上官の背を見送る。彼女が突然あんな行動を取ったことの理由がパーシーは知りたかったが、それをマキナ本人に尋ねることはできなかった。中尉が去っていった後も冷たい扉の向こうを見続ける彼女の背中が、それ以上の会話を拒絶していたから。



     *



 編入初日の講義を早々に切り上げ、マキナは地図を片手にIDA構内を駆けていた。いよいよブルー・フェアリーの訓練が始まるのだ。さすがにいきなり実機での訓練というわけにはいかないが、それでも胸が躍った。
メンバー専用の更衣室にマキナが入ったとき、既にそこには一人の少女がいた。彼女は壁際に置かれた簡易椅子に腰掛けて長い脚を組み、本を読んでいたが、マキナが入ってくるとそれを閉じる。
輝く金色の髪をしたその少女にマキナは見覚えがあった。もちろん直接会話をかわしたことなどないが、ブルー・フェアリーのメンバーは全員、事前に顔と名前などおよその情報は把握している。少女は不機嫌そうに眉をひそめた。
「あんたが、新人?」
「ええ」マキナは微笑んで、握手を求める手を差し出す。「あなたは確か、四番機ラケシスのパイロット、エルフリーデね。よろしく」
しかしエルフリーデはそれを無視して、マキナの頭のてっぺんからつま先までをじっくり眺め回してから、ふんと鼻を鳴らした。
マキナは苦笑してその手を引っ込めると、自分の名前が書かれた認証プレートが付けられたロッカーを探して歩み寄る。首から提げたIDタグをプレートにかざしてセキュリティを解除。そして、あらかじめロッカーの中に準備されていたフライトスーツに着替えを始めた。
 エルフリーデはマキナが着替えている間、これといって何をするでもなく、組んだ脚を不機嫌そうにぶらぶらさせていた。
「D‐3の操縦経験は?」
「え?」
「だ・か・ら、D‐3! ダルフィム‐マークⅢよ! 知らないなんて言わないわよね。ブルー・フェアリーに入隊するんでしょ」
 フライトスーツのジッパーを閉めながら、マキナは肩越しに振り向いた。
「そうみたいね」
「そうみたいって……」
 呆気に取られたように、エルフリーデはあんぐりと口を開ける。こうなっては、せっかくの美少女が台無しだ。おそらく、そんな答えがマキナの口から返ってくるなんて、まったく想像もしていなかったのだろう。
マキナは視線を前に戻すと、フライトスーツの中にIDタグを入れて、首までジッパーを閉める。扉を閉じると、ロッカーは自動で再び施錠された。
「だって、わたしが入りたいって言ったわけじゃないもの」
「何ですって?」
「そういう命令だったから、従ったまでよ」
「命令? 誰の?」
「あなたに教える義務はないわ。中尉に聞いてみたら?」
「な……」
 エルフリーデは言葉を失った。怒りにか、それとも驚きにか、その整った顔がみるみるうちに青ざめるのがわかる。
「だいたい、そんな偉そうなこと言ってるけど、あんたちゃんとD‐3を飛ばせるんでしょうね?」
「D‐2って、確かD‐1(練習機)を改造した機体よね? D‐3はD‐2の改良版だったと思ってるけど」
「そ、そうよ。でもそれがどうしたっていうのよ」
「わたし、練習機はD‐1しか操縦したことないわ」
「なんですって!」
 弾かれたようにエルフリーデは立ち上がる。その勢いで跳ね飛ばされた簡易椅子が、床を転がって甲高い音をたてた。
「嘘おっしゃい! それでどうしてブルー・フェアリーに入隊できるのよ!」
 怒りのあまり、彼女の声は上ずっている。さすがに挑発に乗って言い過ぎたかなとマキナは思ったが、こういうシチュエーションに陥った場合は、下手に出るよりも毅然とした態度で接する方がよいことを、マキナは経験的に知っていた。
「嘘じゃないわ」
「だったら、なおさらどうしてよ。ありえないわ!」
「言ったでしょ。それが命令だからよ」
 それだけを言い残して、マキナはドアの向こうに消えた。



     *


 ブルー・フェアリー用のシミュレータは、シミュレータ・ポッドと呼ばれるカプセル状の装置の中に、実際のコックピットを模して作られた擬似コックピットに収まって、機体を操作するものだ。
擬似コックピットとは言っても、シミュレータの制御コンピュータは、各々のパイロットが乗る機の制御コンピュータと直接的にリンクしているため、ほとんど実際の操縦と変わらない環境、変わらない操作感を体験できる。さらには、遠心力を利用した重力加速度装置により、操縦に伴ってパイロットにかかるGまでが精密に再現されるのだ。
フライトスーツに身を包んだマキナは、アトロポスとリンクするためのインタフェースである小さなパッドをこめかみと首筋、それから手首につけ、シートに深く身を沈めていた。
それらのパッドは制御コンピュータにパイロットのバイタル・データを伝える以外にも、脳や神経から伝わる電気刺激を即時に読み取って、機動に反映させるという、高度な処理も行っている。それはひとえに、まだ歳若い彼女たちを過酷な空へ誘うために、IDAが講じた策のひとつだった。
本来、曲技飛行は熟練したパイロットにとっても非常に危険な行為である。そんな危険な世界へ、まだ学生である彼女たちを向かわせることは、必然的に通常よりも高い事故の危険性をはらんでいる。そこを補う目的で開発されたのがD‐3であり、その制御コンピュータなのだ。
「ダイレクト・リンク及びバイタル・データ、オールグリーン」
ヘッドセットを通して、森岡中尉の声が聞こえる。
「準備はいいか?」
「はい」目を閉じてシートにもたれたまま、マキナは答えた。
無骨なショルダーハーネスを装着したその身体は、ふだんよりもいっそう華奢に見える。テイクオフ時のGにさえ耐えられるのか、森岡中尉も心配になるほどだ。けれど、マキナの声はいつもにまして力強い。
「大丈夫です。いつでも始めてください」
「わかった。では始めよう。アトロポスの離陸を許可する。ユー・ハブ・コントロール」
それを合図にしたように、マキナはゆっくりと目を開く。
「アイ・ハブ・コントロール」
 目の前には巨大な電子スクリーン。
まるで劇場の幕が開くように、そこに無限の大空が映し出されてゆく。
まず、右エンジンのスターター・ボタンを押す。低い音とともに、なめらかにタービンが回転を始める。右エンジンに点火。
回転数が上がるにしたがって、エンジンの音が徐々に耳を刺すような甲高いものへと変わる。右の回転数が充分に上がったことを確認して、次に左エンジンにも同じように点火。
高度な制御コンピュータによって、リアルに再現された心地よいエンジン音が、細かな振動となって肌に伝わる。
マキナは深く息を吐いた。ひさしぶりに「飛べる」のだ、そう思った。たとえそれが、コンピュータによる擬似的な体験だったとしても。
通常の飛行時のように、スタビレータなど、舵の動きを確認する。
パーキングブレーキを解除。スロットルを慎重に押し上げる。ゆっくりタキシングして滑走路へ。
スクリーンに映し出される眺めは、コックピットからの眺めそのもの。まるで、キャノピィの向こうに広がるのは本物の空のようだ。手を伸ばせば、すぐそこに浮かぶ白い雲にも届きそうなほど。
 さらにスロットルを押し上げると、エンジン音が甲高いものへと変化してゆく。それはまるで、すぐにでも飛びたいというアトロポスの声のようにも聞こえた。
 アフターバーナーに点火。身体をぐん、とシートに押し付けられるように強烈なG。
これがシミュレータではなく本当の飛行なら、きっとエンジンノズルから美しい炎が尾を引くのが見えたことだろう。残念だな、無意識にそうマキナは小さく呟いていた。
 翼端で空を切り裂くようにして急上昇。
眼下に見える滑走路も、シューティング・スター島も、どんどん小さくなる。
半分ループしたところでロールをして機体を水平へ。インメルマン・ターンだ。
「気が早いな、アトロポス」
 ヘッドセットから、苦笑をこらえたような森岡の声が聞こえてきた。
「飛行が安定したら、マニューバーのテストに入る。準備ができたら教えてくれ」
「はい、すみません。いつでも大丈夫です」
 マキナは答え、操縦桿を握る手に、無意識のうちに力を込める。
マニューバーとはアクロバット飛行における、高いGをかけた旋回や背面飛行などの機動のことだ。曲技部隊である彼女たちにとっては、欠かすことのできない技術なのだ。
「これからスクリーンの右端に、いくつかマニューバーを表示する。そのとおりに飛んでみてくれ。わからないものについては、省略してもかまわない」
「了解しました」
 言われてマキナは目線だけを動かして、スクリーン横の表示を見た。
シミュレータのコンソール・パネル上を森岡中尉の長い指が、まるでピアノを弾くように滑る。その動きに合わせるように、スクリーン上に次々とマニューバーが表示された。
さきほど実際にやってみせたインメルマン・ターン。そしてスロー・ロール。フォーポイント・ロール。最後にバーティカル・キューバン・エイト。
マキナは操縦桿を握る手のひらに、再度確かめるように力をこめた。
「さて、じっくりお手並み拝見といこうかしら」
 スクリーンを見ていたイレインが呟く。エルフリーデはそんな彼女には答えず、スクリーンに投影されるシミュレータ機の飛行に、焼け付くような視線を注いでいた。
森岡中尉の長い指が、ピアノを弾くように、コンソール・パネルを軽やかに叩く。
 
 スロー・ロールを終えたところで、それは突然やって来た。
 ぞくりと、背筋があわだつ。
体が本能的に危険を感じ取っている証拠だ。
 ――なに?
マキナは反射的に操縦桿を握る手に力をこめた。鋭い警告音と共に、HUD上は、衝突危険防止装置の赤い警告メッセージでいっぱいになる。
 急激な失速だった。どんどん高度が下がってゆく。このままでは墜落の危険があった。
崩れた左右のバランスを立て直すためにロールしようとしたが、うまくいかない。
いったい何が起こったのかと、マキナは計器類に素早く目を走らせる。左のエンジン出力が急激に低下していた。
更に計器類を確認。そしてマキナはようやくその原因に気付いた。
左のエンジンで燃料漏れが発生していたのだ。ただちに左エンジンへの燃料移送を止める。
その間にも、アトロポスは機首を下に向けて、どんどん降下。やがて雲に突っ込んだ。
これが本当の飛行で、もし右エンジンの調子まで悪くなってしまったら、最悪の場合、射出座席のレバーを引いて、脱出するか否かを選択しなければならないところだ。マキナがそう思ったとき、森岡中尉の感情を抑えた低い声が、ヘッドセットから聞こえてきた。
「落ち着け、アトロポス」
「はい、中尉」
「これはテストだ。焦る必要はない。もし失敗しても、命を落とすことはない。落ち着いて行動しろ。それが全てだ」
 なだめるようなその言葉で、マキナはようやく悟る。
 ――そうか、これが本当のテストなんだ。

 アトロポスは降下してゆく。もしこのまま何も策を講じなかったら、あと数分の後には墜落してしまうだろう。やれやれとばかりにエルフリーデは肩をすくめてみせた。
「ほら見なさい、言わんこっちゃないわ。大体、編入前はどこで何してたか知らないけど、そうそう簡単に乗りこなせるほど、ダルフィムは大人しい子じゃないわよ」
 森岡中尉も、他のメンバーも何も喋らない。ただ黙って、スクリーン上の白銀の機体、ただそれだけを食い入るように見つめている。
雲の海を突っ切り、アトロポスは雲下に出た。下は海だった。電子的に再現された海の青さが目にまぶしい。きらめく波頭までが見えるようだ。その水面がどんどん近くなる。
――焦る必要はない。落ち着いて行動しろ。
マキナは無意識に呟いていた。
「じゃあ、全力で行くよ、アトロポス」
 操縦桿を握る腕にじわりと汗がにじむ。大きく息を吸って、吐いた。
右主翼のみスポイラを上げ、逆に左主翼の補助翼を下げる。そうすることで左右の逆同期が起こり、機体のロール性が飛躍的に向上する。
アトロポスは機体をゆるく右へバンクさせたまま、急旋回。
翼端を海面に擦りそうなほどだ。もうもうと水飛沫が上がる。
片肺の痛手を補うための、ストールを利用した加速。スクリーン上のアトロポスは、まるで息を吹き返したかのようだった。
 しかし、右のエンジンは生きているものの、スクリーン上に表示されている残存燃料は限りなくゼロに近い。
とてもこれ以上の曲技飛行は無理だ、即座にそうマキナは判断した。
「こちらアトロポス。左エンジンにトラブル。マニューバーのテストを中止、ただちに帰投します」
「了解した」
 森岡中尉はそう答えたきりで、マキナの要請を拒否することはしなかった。
まだテストは続いているのだ。そう確信したマキナは続ける。
「ただし、基地まで燃料が持ちそうにありません。最悪の場合、緊急着水するか――」
 言いかけて、マキナはスクリーン上に映し出されている、黒子のように小さな一つの黒い影に気がついた。レーダーの出力を最大まで上げる。
HUDに大きく表示されたそれは、航空母艦だった。
「中尉、あの空母へ緊急着艦します。飛行甲板のアレスティングギアの準備をお願いします。フックランディングを行いたい」
アレスティングギアは、アレスティングワイヤーと、油圧で制御されたアレスティングエンジンを組み合わせたもので、着艦する艦上機を拘束するために用いられる装置だ。空母の飛行甲板の長さは限られているため、艦上機はアレスティングフックをアレスティングワイヤーに引っ掛けることで、強制的にブレーキをかけるのだ。
「本気か、アトロポス。機を捨てて緊急射出することもできるんだぞ」
「はい。本気です、中尉」
「これは訓練だ。D‐3の実機の操縦経験のない君に、正直なところ、そこまでは要求されていない。それでも、やるか?」
「はい」マキナは頷く。
だがそれでも森岡中尉は迷っているようだった。
「お願いします、中尉」
「フックランディングの経験は?」
「何度か、あります。もちろんこの機体ではありませんが」
「――わかった。対処しよう」
「ありがとうございます」
 森岡中尉が答えて間もなく、スクリーン上に、空母のアレスティング・ギアの準備が完了したことを示すメッセージが表示される。飛行甲板はオールクリア。条件は全て整った。
あとは自分の腕と、運、そして度胸次第だ。
「これよりアトロポス、アプローチに入ります」
 マキナは機を大きく旋回。慎重に高度を下げていく。
「アレスティングフック、ダウン」
 機体後部にあるフックが出る。いわば巨大な鉤爪だ。
「ランディング・ギア(降着装置)、ダウン」
 そのとき、鋭い警告音が鳴った。HUDに踊るその文字にマキナはハッとする。
「どうした、アトロポス」
「ノーズ・ランディング・ギア(前脚)に異常発生。車輪が出ません。たぶん、油圧系統に問題が起こったんです」
「メイン・ランディング・ギア(主脚)だけでいけるか?」
背中を冷たい汗が伝う。マキナは唇をかみしめた。
「わかりません。経験がないので」
 胴体着陸にそなえ、既に残存燃料は投棄していた。もう一度上昇して旋回するほどの余裕はない。
「でも、やってみます」
 エアブレーキをかけるため、両翼のスポイラを上げる。これで充分とは思えないが、やらないよりはましだ。
ファイナルアプローチ。飛行甲板に侵入する。
前脚が出ないため、機体をバウンドさせないように、慎重に体勢を保つ。
一瞬の後、フックがワイヤーを引っ掛ける強い衝撃が襲ってきた。
体を前に押し出されるような強烈なG。ハーネスに体が強く締めつけられる。
瞼の裏に焼き付いた、空の欠片が青白くスパークした。


「なに、なんなの、あれ――」
 エルフリーデは息を飲む。自分でも気が付かないうちに、強く握り締めていた手のひらには、汗がじっとりとにじんでいた。
「信じられない。片エンジンで、なんて無茶な飛び方をするの。しかも空母に緊急着艦するなんて。だいたい、このテストは混乱して墜落すると失格なんであって、冷静に判断して射出するだけでよかったのに」
「エリー、あなたが信じられないのも無理ないわ。だって、私もそうだもの」
 長い脚を組んで椅子に座っていたイレインの顔は、ほんの少し青ざめている。
「――手品か、夢でも見ているみたい」
「手品じゃないわ」
 二人の会話を中断するように、鋭い声が背後から降ってくる。ショートカットの小柄な少女が、鋭いまなざしをこちらに向けていた。
「あの子の度胸と技術は本物よ。だからアトロポスも、それを認めたんだわ」
「何よ、新人の味方をするの、ノエル」
「違うわ。私は客観的に事実を述べてるだけよ」
 ノエルは目を細める。そんな彼女の肩を、オーガスタがぽんと叩いて言う。
「あたしたちがこのIDAに入学してからさんざん苦労して手に入れた飛行技術を、あの子は既に持っている。それだけでも充分脅威だし、ちょっと気味が悪いのは確かよ、まるで出来レースみたい」
 言い知れぬ悔しさに、エルフリーデは唇を噛み締めていた。
「あの子……練習機はD‐1しか乗ったことがないって言ってたのに」
「練習機? それ、本当?」
「なによ、イレイン」
「何か引っ掛かる言い方ね。まるで――」
 イレインは顎に指をあてて押し黙る。苛々とエルフリーデは声を荒げた。
「なによ、気になることがあるんだったら、もったいつけないで言いなさいよ」
「もったいつけてやしないわよ。ただ……マキナは確かにそう言ったのね?」
「そうよ。でもそれがいったい何だって言うのよ」
エルフリーデはやはり苛々とそう答えたが、イレインはそれ以上答えることはしなかった。
もしかしたら、それはそのまま言葉のとおりかもしれない。
マキナは『D‐1しか乗ったことがない』のではなく、『練習機は』D‐1しか乗ったことがない、そう言っているのではないのだろうか。




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