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私、王子が罪を犯さないよう見張る役は荷が重いんですけど!?
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「ねえ副会長、私が罪を犯さないように見張っていてくれない?」
「······はい?」
さらさらと仕事をこなす優美なミカエル第三王子殿下から想像もつかない言葉が紡ぎ出されて、私の手元から書類が一気に落ちてしまった。
◇ ◇ ◇
私はアルバーティン王国にある王立学院に在学している公爵令嬢ユーフェミア・オースティン。
とある事件のため婚約解消をしてから、なかなか次が見つからないでいる。
――やはり公爵令嬢というのがネックなのかしら?
大体の高位貴族のご子息様は、皆さん婚約者がお決まりになっていらっしゃるし、かと言ってあまりに家格が違うとお相手が及び腰になってしまわれる。
性格や外見がよろしくないとか私自身の問題だとは断じて思いたくない。
外見は······まあ良い方なのではないかしら?
豊かに波打つ金髪にすんなりした身体、お顔もお人形のようとよくおっしゃっていただくし。
では性格の方かしら?
いや、気が多少強いかなとは思うけれど、公爵令嬢などおっとりだけではやっていけないことが多いので、まあこのくらいは皆さん隠されてるだけで、同じようなものだと思うのだけど。
平素はなるべく穏やかに微笑みを絶やさないように心がけているし。
足元をすくわれないためにも。
三年生になり、生徒会副会長としても忙しくこなしていた今日の生徒会室でのこと。
たまた会長と二人で今年度予算案の書類作成をしていたら、そのお相手、生徒会長のミカエル王子殿下が先程の物騒な言葉を呟いた。
ミカエル殿下は我がアルバーティン王国の第三王子であらせられて、美麗なお姿に違わず誰に対しても公平で、常に温厚、冷静沈着な生徒会長。
まだ王立学院在学中にも関わらず、その魔術の才を見込まれて王立魔術研究所の管轄長を務めている凄い方だ。
凄い方なのだ。
だから······、今の言葉はきっと私の早とちりで······。
「あの······私の聞き間違いでしょうか。今『罪を犯す』とか何とかとおっしゃいました? そんな訳ないですわよね?」
「いいや、オースティン嬢。そう言ったよ」
「ご冗談ですわよね? いやだわ殿下ったら」
おほほほほ······、笑い飛ばすしかないわね。
それなのにミカエル殿下は、美しい指で私が取り落とした書類をトントンとまとめ上げると、爽やかな顔でお話を続けようとしている。
困った人だね、とおっしゃるけれど、書類がバラバラになったのは私のせいじゃないと思う。
「残念ながら、今私は犯罪を犯しかねない精神状態なのだよ」
「それは······」
怖っ!
何を言ってるんですか?
「私にはね、あまりに好きな人がいて、このままでは思いあまって何かしてしまいそうだと危惧していたんだ。だけどね、それを振り払うように魔術構築に打ち込んでいたら······」
「何ですか?」
恋愛相談?
そこから何で不穏な空気になるのですか??
「彼女の気持ちを完璧に僕に向けさせ、なおかつライバルを文字通り駆逐するるような術式を組み上げてしまったんだよ」
ひーーー!!
いま駆逐って言った?
「でもさ、そんなの使っちゃまずいでしょう? 仮にも王子なんだしさ」
「いけませんわね」
いや王子とかではなくて誰だってまずいですわよ!
いつもの『完璧な王子様』はどこ行ったのですか?
「ライバルが死んじゃうかもしれないし、彼女の心を操作するのもいけない事だし」
洗脳に抹殺予告······
「だけどね、それを使ってしまいたいくらい彼女が好きなんだよ。どうしたらいいと思う?」
ええと、根底がおかしい気がするわ。
「あの、殿下。普通に思いを告げるとか、正式に婚約の手続きをお取りになるとかではいけませんの? 正攻法で動かれたら思いは成就するのではないですか?」
にこにこと笑ってらっしゃるけど、私の意見は無視されてますわよね?
「あっ、もしかしてお相手様とは身分差がおありですの? すでに結婚されているとか婚約者と愛し合っている方だとか。それならお相手様のために諦めることも······」
「色々思い悩んだ結果、こうして諦められず犯罪を犯しそう、という状況なのだよ」
頭のいい方のはずなのに、『犯罪を犯しそう』とか危険思想をさらっと告白なさるのは何故なのかしら?
何か試されてる?
「そう言われましても······。というか何故私にそのようなお話を?」
「オースティン嬢なら生徒会でも一緒、魔術科のクラスも一緒でしょう? 私が罪を犯さないように見張るなら適任じゃないか」
適任なわけないと思うのですが······。
「殿下の側近の方達では駄目ですの?」
「彼等が彼女を好きになってしまっても困るし、何よりこれから私の執務を支えてくれる彼等に犯罪者になるかもしれない私の姿は見せられない。もし寝返って唆されてその術を使わされたら? 兄上達の治世にまで影響してしまったら困るし。だから好きな彼女のことも話せないんだ」
滔々と話す様が怖い! 恐いですわ!
どんな術式なのかも分からないですが、恋に溺れて暴動を起こしそうな王子が目の前にいる状況が恐ろしい!
こんな綺麗で優美なお姿なのに、頭の中は危ない方なのですね。
「厄介ですのね」
「だから君を見込んでお願いしたいんだ。私が罪を犯さないように見張ってくれるかい? 副会長としてもまずい事は分かるだろう? ······ここまで話したのだからまさか断るとか他言するとかもやめてほしいのだけど」
ああ、勝手に巻き込んでおいて逃げ場を塞がれたわ。
「······私では阻止出来ないかもしれませんけど、仕方ありませんね」
ミカエル殿下の深まる笑みを見て内心冷や汗の私は、表面上はたおやかに握手を交わした。
◇ ◇ ◇
何故か今、私はミカエル殿下と王都のカフェに来ております。
生徒会の方は予算案をまとめ上げたので一段落は着いていたのはたしかだけれど、有無を言わさず連れ出されてしまった。
あの悪魔の一言を添えて。
「ごめんね、どうしてもここのケーキが給べたくて」
「私は構いませんが、本当によろしいんですの? もし本当にここに彼女がいらしたら誤解されますわよ?」
「そうなんだけどね、もしも彼女を見て思いが爆発して、洗脳の術式を展開させてしまったら困るだろう?」
あ、ついに、ご自身で『洗脳』ってワードを使いましたね。
「だから気持ちをセーブさせるためにも、オースティン嬢に協力を頼んだのだ」
「はあ」
私はさり気なくあたりを見渡した。
女性客が多いお店ではあるけれど、ミカエル殿下のご様子が変わらないので、お目当ての方はいないのだなと安心する。
「お相手様はいつもどなたかとご一緒なんですの?」
「いや、分からないんだ」
「と言いますと」
「他から彼女がここに時々来店していると聞いて、行ってみたかったのだ」
うん? 誰かに彼女の動向を調査させてるの?
「彼女が好んでよく食べるというスイーツは、何度か買ってきてもらって食べているが、すごく美味しいのだ。一度店舗で食べてみたかったので嬉しいよ」
心理的には付きまとい行為をする男性と同じなのかしら?
精神が不健全だわ。
「殿下、それはあぶな······」
「ああ、ここではその呼び名は困るな。ミカエルと呼んでくれ。私もユーフェミアと呼ぶから」
「えっ、どうしてですの?」
「こういう場ではその方が馴染むだろう?」
彼女がよく来店する店で誤解を招く行為はどうかと思うけれど、たしかに殿下呼びはよろしくないかもしれない。
「僕は彼女がよく食べるというダークチェリーとチョコレートのタルトケーキにしようと思うんだけど、ユーフェミアはどうする?」
あら、急に砕けたお言葉になりましたね。
『僕』っておっしゃるのが新鮮だわ。
「あら、私もこちらではよくそれをいただきますわ。美味しいですわよね? そうですね······私は今日は季節のフルーツケーキにします」
「チーズケーキもおすすめと聞いたが」
「そうなんです! ここのチーズケーキは濃厚なのとあっさりなお味の二層仕立てになっていて、人気ですのよ。甘いものが得意ではない男の方にも好評だとか」
「······男性ともよく来るのかい?」
あら、何故か急にミカエル殿下の笑みが冷えたように見えるわ。
もしかして······。
「ミカエル様、ご心配なのですね? お相手様がここに来るのは男性のためなのかと。でもそうと決まった訳でもありませんわ。甘いものと一緒に食べたくなるのです」
「へえ、そういうものか。ユーフェミア、今日は二つ食べなくていいのかい?」
「ええ、そういう時もあるのですが······」
仮にもミカエル殿下と同席している時に、呑気に二つも食べていられないわ!
お待たせすることになるのも気が引けるし。
「ところで、術式のことですが。もしミカエル様がそれを行使してしまったとして、それを解術する式はあるのですか?」
「······何でそんなこと聞くの?」
「もちろん行使しないことが絶対ですが、魔術師は試してみたくなる生き物でしょう? 危機回避のためにもそのような手立てがあるならば予め伺っておきたいですわ」
「ふふふ、そうだね。たしかに起こるかもしれない危機に際しての対策は講じておくべきだね」
満足そうなお顔でタルトを完食されてるわ。
そして流れるようにチーズケーキの追加もなさった。
「それであるんですの?」
「洗脳の方は今あるものを組み替えたら解術の式になると思う。期間を限定するとかっていう風にするとかね。ただ······」
「ライバルを、その、駆逐する方のは?」
「死んだものを生き返らせるのは無理かなあ。悪魔でも召喚しない限り」
やっぱりそういう代物なの?
恐ろしい。
このタイミングで殿下のチーズケーキが届いた。
殿下は、ほら半分ことおっしゃって、私の口にフォークでケーキを入れようとなさる。
え、これ食べないと悪魔召喚かしら。
背に腹は代えられないので、いただきますわ。
「美味しい? もっといる?」
「美味しいですが、分けて下さるならお皿にお願いしますわ。それと今日はお相手様がいらっしゃらなかったようですわね?」
「そうだね、おかげで今日も罪を犯さなくて良かったよ。でも彼女が他の男と一緒だったら······」
ひいっ。
その先は聞きたくない! 聞きたくないわ!!
「恋は人を狂わせるよね」
◇ ◇ ◇
「オースティン嬢、疲れているのかい?」
「そんなことありませんわ」
いや、そうなのです。
ただ疲れてる理由は言えません、目の前のご本人には。
翌日の王立学院内のカフェレストランでのお昼休み。
お友達と連れ立ってランチを頂こうとしたところ、ミカエル殿下に『お腹が空くとうっかりが出るかもしれないから、ランチも一緒に摂ってほしい』と先手を打たれてしまった。
「お相手様は同じ学院生なのですか?」
「だから心配なんだ。彼女を見ないようにしてても心が不安定になるし、もしも無意識に術式を呟いてしまったら······」
こんなところで犯罪者予備軍宣言しないでいただきたいわ!
「分かりましたわ!」
「ふふふ、デザートはこちらで用意するよ」
こんな風にランチも一緒、授業でペアを組む実習でも一緒······と、ミカエル殿下と離れて過ごす余裕がない。
ミカエル殿下は今まで人に恋心を打ち明けていなかった反動なのか、よくお相手様の惚気話をなさる。
『彼女は優秀で人望があり、勉強も幼少のころからとても頑張っていた』
『彼女は美しくて綺麗で可愛らしくて、最近知ったのだけどわりとはっきりと物を言うところも素敵なのだ』
『彼女はスイーツがとても好きで、なんでも好むが焼き菓子とチョコレートは特に好物らしい』
『彼女は完璧なご令嬢のように見えるが時々おっちょこちょいな点が可愛いのだ』
殿下から惚気を聞きつつ犯罪を犯さないよう監視しているだけなのに、周りからは、『ついにミカエル殿下は婚約者をオースティン嬢にお決めになったのかしら?』なとどとんでもない噂が飛び交うようになってしまった。
実態を知らない方々はいいわよね、好きな事を騒いで。
いつやんごとなき御方が犯罪を犯すかもしれないというのを、始終見張っていなければならないこちらの気苦労を知ってほしい。
ミカエル殿下からはこの頃『監視に付き合わせてるお礼だから』とちょっとしたお菓子をいただくので、そのおかげで······まあ耐えている。
ミカエル殿下の危険な術式について、図書室で対抗策を調べてみたり、教師にそれとなく質問してみたりもした。
だが、術の具体があいまいなため、適切な解決法は見つけることが出来なかった。
ミカエル殿下が罪を犯さないように諌め導くこと。
これは臣下として当然行うべき事であり、側近でなくとも近くにいる者として犯罪の芽を摘む機会を見逃してはならない。
だが対象者が分からないため、見張るにしても四六時中になってしまい、ひいては我が身の自由がなくなってしまう。
家に居る時が唯一の心休まるひとときになっていた。
◇ ◇ ◇
家でのお夕食の際、お父様が『ユーフェミア、後で書斎に来てくれるかい?』とおっしゃられた。
家族の前では話せないことなのかしらと多少気になったが、ご指示どおり伺うと。
「実は第二王子殿下、第三王子殿下ともにまだ婚約者がいないだろう? お二人共第一王子のジョエル殿下がお決まりになってから、という話だったのだが、そうも言ってられないのでね」
あ、なんだかいやな予感ですわ。
「適齢の令嬢を集めて週末に王城で茶会を開くことになっているのだけど、急遽ユーフェミアも参加してほしいのだ」
やはりそうでしたか。
我がアルバーティン王国の三王子様方は何故かまだどなたも婚約者がいらっしゃらない。
第一王子のジョエル殿下、第二王子のエイベル殿下、そして第三王子のミカエル殿下は、お三方ともそれぞれの才を発揮してご活躍だが、過去の王族の方に望まない政略結婚をしたことで王家に起きた惨劇を踏まえ、現在ではなるべく当人に伴侶を決めさせるようにしているのだそうだ。
まあ王族の一員になる姫君を選ぶのだから、家格等である程度は限定されるだろうけど。
それでも適齢期になっても婚約者すら定まっていないというのは他国を例にしてもかなり珍しい。
通常だと幼少期より后となるべく特別な教育を授けていく場合が主なのだ。
何故それを知っているかというと、私は身に沁みているからとしか言いようがない。
「再三お断りしたのだけど、これが最後と言うことで臣下としてお受けするしかなかったのだ」
「分かりましたわ、お父様」
「急なことですまないね。ユーフェミアが選ばれる事はないと思うのだが、慣例として出席するように。いいね?」
◇ ◇ ◇
『私は選ばれない』とお父様がおっしゃったのには理由がある。
私にはかつて婚約者がいた。
元々同一国であったという隣国ルベルトとは地続きということもあり、我が国の貴族にもルベルト人と婚姻を成した者が少なからずいる。
そうした事情のためか、ルベルトは我が国に対してこのところ度重なる内政干渉を行って来ていた。
それを退けるために、大国セロジネとどうにか縁を繋ぎたいと考えていたアルバーティン王国は、ある時セロジネの王族を招いて懇親会を開いたのだ。
当時セロジネにはとある流感が平民中心に流行っており、特効薬を作る薬草が不足していたのだが、それを援助する形でアルバーティンが恩を売ったのだ。
その他にも良質な薬草があることをアピールし、両国間の販路を定めるなど、今回の騒ぎをきっかけにセロジネとしても利のある話となった。
無事に流感もおさまったが、まだ自国では大手を振ってパーティを開ける状況でもないということで、今後の縁を見込んで我が国にて一席設けたというわけだ。
「かわいい! 運命の出会いだ! 僕はこの子をお嫁さんにする!!」
その場に来ていたセロジネのバイロン王太子殿下は、何故か私を指差しそう宣言なさった。
アルバーティン王国としてもルベルトへの牽制にもなるし、両国の結びつきを考えればいい話だった。
あくまで国同士としては。
私は五歳で大国セロジネの王太子の婚約者になることが定められ、我が国の公爵家令嬢としての教育の他にセロジネの后教育が追加された。
そのため、その後に開催された殿下方の婚約者探しの意味もあった王家主催の子供交流会にも参加出来ず、ただひたすら勉強漬けの日々となっていた。
それから七年後。
十二歳になった私は、相変わらず勉強ばかりの生活だったが、ある日勉強が一段落したご褒美に植物園に連れて行ってもらった。
自宅では見られない珍しい花々や、不思議なつたの絡まる巨大な異国の木など、私は興奮しながら見物していた。
その時、運の悪いことに虻に刺されて左頬が見る間に腫れ上がってしまった。
植物園の職員達は平謝りだったけれど、これは災難な事故としか言えないので、しばらく療養しようとなった。
そうしたら、またまた運の悪いことに、婚約者のバイロン王太子殿下が我が国に来ることになり、婚約者として歓迎の夜会への同席を求められた。
未成年だからとか体調が悪くてだとか断り文句を述べても聞いてくれる方ではなくて、どうしてもドレスを着て王城に来るようにと言われてしまった。
諦めて参じたところ、当のバイロン王太子殿下は私を心配するどころか『なんだその顔は! 僕の婚約者は化け物になったのか?』と来たものだ。
いくら虻に刺された一時的な腫れだと言っても、婚約者からの公の場での『化け物』発言は翻せない。
ましてや今は人前に出られないと婉曲に断ったのに無理に出させられたのだ。
それであっさりと婚約は解消。
セロジネも慰謝料は支払ったものの、『子供の言ったことだから』と暗に許すように圧力をかけるように、さらなる物流の融通をはかってきた。
あちらの方が年上なのに。
王国が強く出られないのにオースティン公爵家が何か出来るわけもなく、この話はそのままになったのだが、その後の王家にはオースティン公爵家に無理強いは出来ないという暗黙の了解が生まれて今に至っている。
なので普通なら王家の婚約者を決める茶会になど声がかかるはずがないのだ。
オースティン公爵家は言わば『王家』に恥をかかされたのだから。
◇ ◇ ◇
「悪いね。僕達になかなか婚約者が決まらないばかりに」
「······いいえ、臣下として当然伺いますわ」
図書室で今度の実習に役立ちそうな本を借りてから、ミカエル殿下とともに王城内にある魔術研究所へと向かう馬車の中、ミカエル殿下は特段悪いと思っていなさそうな顔でそうおっしゃった。
「お相手様はご出席でいらっしゃるのですか?」
「そのようだけど、美しい彼女が着飾って男性の前に現れるのかと思うとやきもきしてしまうね。嫉妬で心かき乱された僕が、うっかり術式を発動させないように側に居て気を配っていてほしいんだ」
『うっかり』を気をつけるのは貴男ですよね?
なんだか私が諸悪の根源のような気までしてきたわ。
「お相手様との関係は進展しておられるのですか?」
「うーん、してるような、してないような······だね」
「煮えきらないですわね」
「え?」
「殿下はお立場もおありでしょうけど、そろそろ行動なさっては? 変な術など使わなくて真正面から思いを伝えられたらきっと受け止めて下さいますわ」
「断られたらどうするんだ?」
うじうじしてますわね!
「逆にいつまで続けるんですの? 週末のお茶会にその方がいらっしゃるなら男らしく告白されては? それが出来ないのでしたら諦めるしか道はありませんわよ」
「ユーフェミア、君も言うようになったね······。でも諦められないと思うんだが」
「それなら、いつものように完璧な布陣でお相手様に了承されるような手立てを考えましょう!」
「そうだね······」
「このままなら兄王子殿下に取られる事だってありましてよ。それにミカエル殿下だってこの茶会で婚約者を決めなくてはならないのでしょう?」
そうなのだ。
元々ミカエル殿下は策略を凝らすのがお得意なタイプで、このような感情に左右されてどうにもならないといったお人ではない。
恋をするとここまで人を変えるのだろうか······。
その時馬車がガタンと揺れた。
前に倒れそうになる私の体を、ミカエル殿下がサッと受け止めてくださった。
「大丈夫? ユーフェミア」
心配そうに覗き込むお顔は相変わらずお綺麗です。
対応も紳士そのものなのに、危険思想なのは残念よね。
「ええ、ありがとうございます」
「ではお茶会に彼女の参加が決まったら、彼女を魔術無しで陥落出来るように協力してくれるかい? 女性の意見がほしいんだ」
ミカエル殿下は私の手を取って、いつになく真剣な面差しでそう懇願なさった。
「私でお役に立てるのでしたらお力になりますわ」
「心強いよ、ありがとう」
そうよ! 犯罪者になんかさせないわ!
◇ ◇ ◇
王立魔術研究所は王城内に独立して建てられた施設で、そこの管轄長を務めているミカエル殿下には研究室が用意されている。
ここで研究をしたり、所員の論文に目を通したり、決裁文書にサインをしたりと、学生の身でありながら長として働いていらっしゃるのだそう。
今回連れて来てくださったのは、私が研究している魔術に使用する薬草育成に土魔法以外の魔法は有効なのかというテーマに関連する資料を見せていただくためだ。
魔法とは、簡単に言うと本人の持って生まれた資質によって為せるもので、自身に魔力があって適性にかなう魔法と呼ばれる文言を展開して起こすもの。
それから魔術はというと、理論に基づいて導き出された術式を展開することによって引き起こる超現象といったものだろうか。
これには自身の魔力や魔力のもとになる媒体を使う。
魔力を秘めた石や薬草などの他、自然発生している魔力を増幅させて使用する場合もあるので、この方法なら魔力がない人間でも使用が出来る。
私は薬効や魔力媒体として効果の高い薬草を作るのに、土のみに効果を付与するのではなくて、成長過程の根や葉、発芽前の種に、別の魔法を付与させて新しい力を持つ薬草が出来ないかと考えているのだ。
もちろんそれらは錬金で行うことも出来るのだが、初めから特殊効果が付いた種や苗を販売することが出来たら、より便利化になるだろうと思ったのだ。
本を見せてもらっていると、ノックの音がした。
「ミカエル殿下、ちょっといいですか?」
「はい、どうぞ」
いくつかの資料を抱えた男性が入室して来た。
「ああ、お客様でしたか。お茶を用意させますか?」
「お気になさらず。用はなんですか? ······あ、ユーフェミア、こちらは研究員のクリストフ・サザーランドさん。クリストフ、こちらはユーフェミア・オースティン嬢だよ」
「初めまして、オースティン嬢。お噂はかねがねこちらのミカエル殿下から伺っていますよ。卒業後はここに?」
「······クリストフ、余計な事は」
ミカエル殿下が珍しく苛々したところを見せている。
学院でも、あの物騒な発現の前まではいつも穏やかで心の動揺や闇を見せることなどない方だった。
ここは学院ではないので、もっと人間らしく感情を見せたりなさっているのかもしれない。
いいな。
······あれ? いいなって何だ?
「サザーランド侯爵子息様、初めてお目にかかります。地域による薬草の薬効差に関する論文はとても面白く拝見いたしましたわ。私も興味のある分野ですの。でも残念ながら、私にはこちらで勤務出来るレベルに届いていませんのよ」
「そんな事ないでしょう。オースティン嬢が書こうとされている薬草の論文に、もし協力できることがあったら言ってくださいね」
「ありがとうございます」
クリストフ・サザーランド様はこうしてお目にかかると長身ではあるが比較的ほっそりしておられて、涼やかなお顔立ちをしている。
頭のいい方特有の何事にも動じない感じが、切れ者風な美貌と相まっていかにも研究者な感じがする。
さすが社交界のお姉様方が騒ぐのも納得の美しさだ。
その上良い方なのね、クリストフ様は!
「クリストフ! 急ぎの用でないのならこれで······」
「ああそうそう。ところで殿下。べアトリスがなにか用事があるとか言ってましたので、お手隙の時に店まで来てほしいそうです」
「え? ベアトリス?」
あら? ミカエル殿下が目に見えて動揺し出したわ。
もしかして、ベアトリス様が『彼女』?
「急ぎではないようですが、よろしくお願いしますね」
クリストフ様は、またねと言って出て行かれたが、ミカエル殿下の様子はまだおかしい。
そわそわしてるというか、少し頬に赤みが差しているようにも見受けられる。
「あー、あの、ユーフェミア。さっきの話だけど」
「さっき?」
「魔術無しで彼女を陥落させる方法という件なんだが」
「ああ、そちらの話······お続けになるのですね······」
「魔術ではなく例えば薬で心を解すとかはどうだろう?」
「······はい?」
今度は薬漬けにでもしようというのですか?
心なしかもじもじしてるように見えるのですが、何で?
「いや、魔術で洗脳するのはまずいかもしれないと思って。ほらその後好きになってもらえたとしても、ずっと洗脳されてるからかもと疑心暗鬼になるでしょう? それよりも解毒薬が開発されている薬で、合法的に心のガードを外して素直になる薬だったらよくないかな?」
よくないです!
それって自白剤と何が違うんでしょう。
······ん? ちょっと待って。
「お相手様は、ミカエル殿下に対してガードがあると思われるのですか?」
「······そうだね。自分は恋愛には関係ないと思っているようなんだよ。誰に対してもね」
「それじゃあ恋愛のスイッチを押さないといけませんわね。政略結婚を強いられて、恋を知らないとか」
「ユーフェミアは知ってるの?」
「私ですか? そう言われると知りませんかしら?」
今まで『恋』などというものには振り回されるだけで、自分が恋をすることを想像したことがなかった。
私の恋は、あのセロジネの王太子の恋に迷惑をかけられたものくらいしか思いつかない。
そして犯罪を犯しそうなミカエル殿下の恋。
王子の恋はどちらも危ないわね。
「でも恋愛小説は読んでますわよ。淑女の嗜みとして」
「それでその程度か······」
何故かがっくりされてしまったが仕方ないでしょう!
「とにかく引き続き僕を監視しててね。お願いするよ」
◇ ◇ ◇
本日はミカエル殿下はお休みだった。
久々に友人達とランチも楽しめたし授業でも穏やかに過ごせたのだが、少し物足りない気がしてしまう。
······刺激不足? まさか私まで毒されて危険思想に?
「皆さん、私はここで。生徒会室にまいりますわ」
「ユーフェミア様、まだ話足りないですわ。今度ゆっくりカフェにでも行きましょう」
「そうね、最近は私達のユーフェミア様をミカエル殿下に独占されてひどいんですもの」
「嬉しいわ、また集まりましょうね」
友人と別れて生徒会室に向かうと、扉の中から役員達の話し声が聞こえて来た。
「ミカエル様もなあ、早く告白しちゃえばいいのに」
「だから今日ベアトリス様の薬店に行ったんだろ?」
「あ! じゃあいよいよ······」
「ミカエル様があれじゃあ俺達も落ち着かないし」
「しかしいいなあ、ベアトリス様美人なんでしょ? 俺も会いたい!」
「いや、そんなの聞かれたら殿下に怒られるって」
「クリストフ様にも怒られるよ。双子仲いいんだから」
――やはりベアトリス様が殿下の想い人なのだわ。
クリストフ様と双子のベアトリス様ならサザーランド侯爵家令嬢の方だし、家格的にも問題ないはずなのに。
ただ、体が弱くて社交界にはほとんど出て来られない方だと思っていたけれど、薬店で働いてるとはどういう事かしら?
盗み聞きするように役員達の話を聞いてしまったので、何となく入りにくくなってしまった。
やはり図書室に向かおうと踵を返したところ、廊下で先輩のカリーナ・ベイツ子爵令嬢と行き合った。
彼女は昨年卒業されて、現在は王立魔術研究所で事務補佐員をなさっている。
ご挨拶すると、今日はクリストフ様のご用事で学院での講師兼業申請を提出しに来られたのだと言う。
「懐かしいですわ、このカフェも」
連れ立って入った学院内のカフェレストランで、カリーナ様は紅茶を一口飲んで、ほうっと息をつかれた。
「魔術研究所でのお仕事はいかがですか?」
「何とかこなしてるわ。そういえばこの間管轄長のところにいらしてたのですってね。お会いできずに残念だったわ」
「サザーランド様にはお会いしました。薬草研究のことで協力して下さるとあたたかいお言葉までいだたいて」
「そうでしたの。あの方はお姉様が薬草に詳しくていらっしゃるから」
「ベアトリス様ですか? 薬店をなさっているとか」
「まあそこまで聞いてらっしゃるのね。王都にある薬店で、あの方の作る薬の効き目が凄いのでノーラン騎士団御用達なのよ」
ベアトリス様はそんな素晴らしい方なのね。
でもその方の作った自白剤を本人に飲ませても、果たして効果があるのかしら?
······ちょっと調査してみましょうか。
「ベアトリス様は薬草に造詣が深くて素晴らしいのですね。ご結婚はされているのですか?」
「本当に尊敬できる方よ! ただあまり人の事を言うのもあれですけれども、婚約も結婚もしたくないようですわ」
「まあ······」
「それでも人のお気持ちは変化するものですから、良いご縁があの方を待っているかもしれませんわね。何にしろジョエル殿下は積極的でいらっしゃるから」
弟殿下方や魔術研究所のメンバーまで巻き込んで凄いのですよ、とおかしそうに続けられた。
え? ジョエル殿下はベアトリス様がお好きなの?
じゃあ叶わない相手だから、ミカエル殿下はベアトリス様を洗脳したい程思い詰めておられるの?
「ユーフェミア様はいかがなのです? そのようなお話をされるということは、やはりあのお噂は本当なのですか?」
「いいえ、私の話ではなくて······って噂ですか?」
「ミカエル殿下と婚約間近と」
「違いますわ!」
「でもこのところ、いつもご一緒に過ごされてるって。だから魔術研究所に二人でいらしたというのも、所長にご婚約の報告なのかしらって勝手にお祝いの気持ちでいましたわ」
そう言われると、たしかにいつもご一緒していたけれど、でもそれは犯罪を犯さないように見張っていただけで······。
「ふふふ、まだ恋が固まっていない時でしたのね。でも御本人のお気持ちが第一ですわ。ユーフェミア様が殿下をどうお思いかで進められたらよろしいわ」
私の気持ち。
恋が固まっていないって? いやいやいや······
恋愛小説によくあるような、危機から救ってくれて恋に落ちるだとかそんな事は普通には起こらない。
だってミカエル殿下はベアトリス様か他のどなたかを愛していらして、私は暴走しないように見張ってて······
カリーナ様がお帰りになった後も、私はそのまましばらくお茶を続けて、残りのクッキーを食べた。
いつもミカエル殿下が買って下さるクッキー。
袋に五枚入っているそれは、ミカエル殿下が居ない今日は多くて食べ切れない。
――『恋は人を狂わせるよね』
ミカエル殿下を監視している内に、私もどこか狂い出したのかもしれない。
◇ ◇ ◇
翌日の学院は、先日王領地である東の森近くの海上に新しい島が出来たというニュースで大盛り上がりしていた。
何でも海底火山が突如活性化して噴火し、みるみる間に島が生まれたのだという。
この大陸の成り立ちに思いを馳せる人もいれば、無人島に行ってみたいとはしゃぐ人、何故このような事が突然起きたのか調査したいという人など様々だが、新しい島を誰が管轄するのかという事が貴族としては一番の関心事だろう。
しかし耳聡い人の話によると、ミカエル殿下が昨日調査に向かったのだという。
それならばやはり王家管轄になるので、新島には迂闊に足を踏み入れられないだろう、ということで落ち着いた。
「ユーフェミア、週末の茶会のことだけど」
昨日新島の調査に行かれたと噂のミカエル殿下は、今日は普通に学院にいらしていた。
心なしかすっきりと明るいお顔をしているように感じる。
私は逆にミカエル殿下の狂気が伝染したのか、カリーナ様にお会いしてからというもの、どこか体調が優れない。
何か胸がもやもやするので、疲れが出ているのかもしれない。
「はい、何でしょうか」
あの後ベアトリス様と思いを通わせたのかしら?
そうしたらジョエル殿下はどうなるの?
それとも恋を吹っ切ってしまわれたとか?
「僕達のせいで急遽の参加となり申し訳ないし、また今までのお礼も兼ねて、君に茶会用のドレスを贈りたいのだけど。今日の帰りにマダム・メラニーのドレスショップに付き合ってくれないか?」
初めに浮かんだ感情は『嬉しい』だった。
だけどミカエル殿下がドレスを贈るべき相手はベアトリス様のはず。
「お気持ちはありがたいのですが、でもそれは······」
「もうオーダーしているんだ。気持ちなので受け取ってほしい」
ベアトリス様に贈れなくなってしまったドレスを代わりに下さるというのだろうか?
殿下は全く分かっていない。
自身はお相手様が男性とケーキを食べることすら嫉妬する方なのに!
「ミカエル殿下はご存知ですか? この頃私達がよく一緒に過ごしていることで、周りに婚約するのではと噂されてしまっているようです。殿下のお相手様にますます誤解されてしまう事は控えた方がよろしいのではないでしょうか」
「面白い噂だね」
「え?」
「とにかくユーフェミア用に仕立てているし、マダム・メラニーも楽しみにしているから行こうね」
「え?」
「じゃあ後で」
◇ ◇ ◇
マダム・メラニーのドレスショップは、伝統的なものから流行最先端のものまでマダムの目利きで淑女の要望に見事に応えてくれるお店だ。
王族からファッションに敏感な貴族に大変人気のお店で、オースティン公爵家も長年利用させていただいている。
「ミカエル殿下、ユーフェミアお嬢様。ようこそいらっしゃいました」
お店に着くと忙しいマダム・メラニーが直々に挨拶に出向いてくれる。
その他にも多くの従業員さんがずらりと並んで頭を下げている。
「ご機嫌よう、マダム。今日はあの······」
「マダム、今日はよろしく頼む。早速だが先日のものをユーフェミアに合わせてもらえないか?」
「ええ、ええ! ご用意しておりますわ! さあユーフェミアお嬢様、奥へいらして下さいませ」
「え?」
「僕はここで待ってるから、行っておいでユーフェミア」
「え? あ、はい······」
あれよあれよという間に着替えさせられたのは、ブルースターを模したような可憐な花の刺繍やモチーフとドレープが華やかで美しいピンリー織のドレス。
繊細なレースの配置などとても見事なものだ。
あわせて帽子、日傘、手袋、ヒール、宝石類をつけられて、全てが計算されたコーディネートになっている。
ただこれはまずい。
全体をブルーで統一している意味を来賓者に誤解させてしまう。
このブルースターの色はミカエル殿下の瞳の色に酷似しているのだ。
「素敵だよ、ユーフェミア」
「あの、ありがとうございます。ですが······」
「ん、どうしたの? とても可愛いね」
「本当によくお似合いでお美しいですわ! お嬢様」
「そ、そうかしら?」
「可愛いね、本当に可愛い」
「······」
「ではこれをオースティン公爵家宛に届てくれ」
「畏まりました」
誤解を招くから駄目だと思うのだけど、謎の褒め殺しで押し切られ、受け取ることになってしまった。
さすがマダムは私の好みをよく知っていて、とても心躍るお作りなのだ。
······まあドレスに罪はないのだけど。
「送るけど、その前にどこかに寄るかい?」
「いえ、今日はもう家に帰りますわ」
「そう? あのね、ユーフェミア。茶会の時に話があるんだ」
「大切なお話?」
「そう。だから悪いけれど当日は少しだか早く来てくれないか」
「分かりましたわ」
◇ ◇ ◇
茶会当日。
私はミカエル殿下に言われた時間よりもさらに早く王城に入った。
しかもお父様とご一緒に。
ドレスについてはお父様にもご相談の上で、結局ミカエル殿下から贈られたものを着ている。
そしてこれだけ早く入ることになったのは、国王陛下からお呼びがかかったため。
謁見室にお父様と一緒に入室し、陛下に後挨拶申し上げる。
「本日は息子達のことでも呼んでおるのに、私まで声がけをして申し訳なかったな。オースティン、ユーフェミア嬢」
「陛下が気になさることはございません。して本日のお召は茶会の事でしょうか?」
「国王陛下、久方ぶりのご挨拶となり誠に失礼をしております。父公爵同様に、臣下を召し上げるのにお気遣いなど無用でございますわ」
「うむ。ではそなたらに話がある。実はセロジネの馬鹿王太子から、またおかしな事を言う書簡が届いたのでな」
陛下が封筒をひらひらとさせながら、ため息をつかれている。
セロジネ? バイロン様がまだ王太子というだけであの国も終わってるわね。
ただ封筒を見る限り、王太子からの私的な郵送物に見える。
仮にも一国の王に対して、いくら大国の王太子だからといってそんな軽く見るようなものを送りつけてくるかしら?
······なんだかますますいやな予感だわ。
「陛下、拝見してもよろしいですかな?」
お父様が書簡をお預かりしてさっと目を通すが、みるみるうちに顔が紅潮して震え出した。
「これは······、当家を、アルバーティン王国を愚弄なさっているということですか?」
「あれも二十歳だ。焦っているのだろうが、見たとおりこれは正式な書簡ではない。随分と年若の使者も恐縮しきった顔で持参してきたようだし、ただ単に馬鹿なのだろう」
陛下もお父様も馬鹿馬鹿言っている話なのですね、聞きたくないけれど仕方がない······。
「一体その書簡で先方は何を申されているのですか?」
「ああユーフェミア。腹立たしいことにセロジネの馬鹿王太子がな、綺麗な顔に戻ったお前なら自分に相応しいから婚姻の話を進めようと言い出しているのだ」
「あやつは、かの国がどれ程の慰謝料を払ったのか覚えていないのかのう。馬鹿だから知らんのかもしれんな」
はあ? 人を『化け物』呼ばわりして婚約解消したくせに、またすり寄って来たの?
きっと王太子なのにお相手が見つからないのね。
馬鹿だから。
「それはお断りして差し支えないのですよね?」
「もちろんだ。ただユーフェミア嬢よ、確認だがそなたはあの馬鹿に思いを残してるという事はないよな?」
淑女の微笑を忘れて思わず声を荒げそうになってしまったその時、大きな音とともにミカエル殿下がいらした。
「父上! 『ぼんくら』から使者が来たとは何事ですか? ユーフェミアとオースティン公爵まで呼んで! もしやあのセロジネのクソ馬鹿ぼんくらと婚姻させようとしてるんじゃないでしょうね!」
えっ? 大国の王太子をぼんくら呼ばわり?
激高しながらセロジネ国王太子への罵詈雑言をまくし立てるミカエル殿下に、私とお父様はぽかんとしてしまった。
この方はどなた?
お相手様絡みでは時々おかしな発言をなさる事はあったけれど、こんなに悪口をおっしゃる方にだった?
そしてその服······恐ろしいくらいに私と対になってますわね。
全体のお色味、それから同じブルースターの刺繍と、胸元にブルースターの生花まで差し込んでおられるわ。
冴え渡る美しさなのに、発言がおかしいままだわ。
「こらこらミカエル、ユーフェミア嬢が驚いているぞ」
「あ、ユーフェミア! あんなぼんくらと結婚なんかしないよね? ルベルト対策も考えてるし、セロジネの国力を削ぐ方法も考えているから、馬鹿王太子と結婚なんかする必要はないんだ!」
口の悪いままのミカエル殿下は、私の手を握りながら、汗をかいてなおも叫んでいる。
「陛下! セロジネの方は外貨獲得首位の特産物『ピンリー織物のレッド』はすでに我が国でもほぼ同じ良質なものを作ることに成功しました! このハンカチと、ユーフェミアのドレスが何よりの証です」
そう言って美しい光沢の赤いハンカチを殿下に献上する。
が、何故か私の手は握ったままだ。
それと、私のドレス? やけに美しいピンリー織物だとは思ったけれど、ミカエル殿下が開発されたものなの?
「ほう、これは見事だ。遜色ないな」
「また、うるさいルベルト国についても先日作った新島に砦を建設し、エイベル兄上にも協力してもらって騎士団を配置し現状より少しでも早くルベルトの侵攻などの異変を察知出来るよう備えるつもりですし、我が国の中にルベルトへのスパイ行為をしていると思われる貴族についてはジョエル兄上のところに汚職等の問題を洗い出したリストを提出しているところです。もし我が国に背く動きを見せた者には新たに開発した誓約魔法を施すつもりです!」
陛下はミカエル殿下の必死の様を笑って見ておられる。
お父様はもう呆気に取られて、言葉が出ない様子だ。
それと『先日作った新島』? 『誓約魔法』って?
「だからユーフェミアは絶対に渡しません! よろしいですか、陛下!」
「おいおい、随分と外堀を埋めてきたな」
「それからオースティン公爵! ユーフェミアを蔑ろにしたあのぼんくらの国には、これから流通させる我が国のピンリー織物で必ずセロジネの国庫を削ってやるので楽しみにお待ち下さい! そしてユーフェミアのことは絶対に絶対に大切にしますので私に下さい!!」
呆気に取られていたお父様はようやくいつもの冷静さを取り戻してはいたものの、少し困った顔をしてミカエル殿下にお尋ねした。
「ミカエル殿下······! このドレスに込められた殿下のお気持ちは大変嬉しく思いますが、その······娘は了承しているのですか?」
「······えっ?」
ミカエル殿下はパニックを起こしながら私を見遣り、「そうだ、順番を間違えた!」と叫ばれた。
······そうですよね?
「恋は変態的行為で、恋は起爆剤にも堕落の道にもなる。
僕は君に恋をして変態の仲間入りをしたんだ」
応接間に移動して、少し落ち着かれたミカエル殿下とお茶をいただいていると、意を決したように殿下は口火を切った。
「あのぼんくらに先を越されて、僕はおかしくなったんだ。僕もあの時君に恋をしたのだから」
「そして君がぼんくらに愚弄され、君は恋をすることを諦めてしまった。学院でそれとなく思いを匂わせても自分に恋は関係ないと思い込んでいるようだったし」
「あのぼんくらが憎かった。過去まで遡って抹殺したいと思って術式を編もうとしたこともあるけど、あいつに関わるよりも僕を見てほしかった」
「あちらの次代があのぼんくらなら、セロジネなんかに頼らなくてもやって行けるようにすることを考えた。元々あちらの特産はセロジネ固有種であるレッドビンリーの繭から取れる光沢の強い滑らかな赤い織物だろう? 我が国もピンリー加工業は行っているが、あの赤は長年出せるものではなかった。でもユーフェミアの研究案からヒントを得て、ピンリーの食べるワミの葉を種や苗から魔法で付与をして、その魔法のカラーをまとう糸が出来るのではないか? そう思って、在来種を損なわないよう隔離された土地で実験したいと思って新しい島を作ったまでだ」
ちょうど軍事的にも有用な位置に作ったことで、兄上達のルベルト監視にも役立ててもらえそうだよ、と笑っておられるけど、島ってそんなに簡単に作れるものなの?
「ベアトリスとクリストフに協力してもらい、ピンリーの繭を赤くすることに成功したので、君のために僕の瞳と同じブルーになるよう研究をした成果があのドレスだ。セロジネの赤を再現出来るならピンリー織物業を弱らせる事が出来るから、復讐にもなると思った」
「私、ミカエル殿下の『お相手様』はベアトリス様だと思っていたんです」
ミカエル殿下は深く息を吐き、弱く笑いかけて来られた。
「ベアトリスはジョエル兄上の想い人で、今回のことではワミの葉の作成実験や育成なんかに協力してもらってただけなんだ。······しかし僕は公爵や陛下にお認めいただくための功績作りと周りの牽制ばかりして、嘘でユーフェミアを囲い込んでいたくせに、振られるのが怖くて今までろくに何も伝えずにいたんだね」
ミカエル殿下は跪き、胸ポケットに飾っていたブルースターを私に差し出した。
「ユーフェミア、昔から君だけが好きだ。結婚してほしい」
ド変態に告白されて涙が出る私も相当だと思うけど、それを見てミカエル殿下も涙目になっているわ。
涙で声が出ないので、首だけはしっかり了承の気持ちで頷いてみせたら、ぎゅっと抱きしめられた。
「あの島には植物の研究施設も作るつもりだ。ユーフェミアもぜひ自身の研究に利用してほしい。ごめんね、インスパイアされたとはいえ君の考えを勝手に発展させてしまって······。新しいピンリー織の筆頭開発者は君の名前にしておいたけど······許してくれないか。新島での君の研究室には必要な人以外入れないように結界は張っておくけど、······それでも時々は僕も入れてほしい······」
しかし凄まじいわね······新しい島を作って、新しい誓約魔法を作って、その他にもピンリー織を飛躍的に発展させて······、これを全部私のためにしたことなのよね?
あの仮説については、出来たら一緒に検証したかったですけど、ミカエル殿下に相当相談していたものだったし、私がやってみたい本来の研究はまだあるし、そこはいいわ。
なのに落ち込みっぷりまで凄まじいわ。
「学院であれだけ露骨にユーフェミアの側に居たから、もう駆逐するような輩は現れないだろうが、今思い起こしてもセロジネのあのクソ王太子は抹殺しておけば良かったと思っているよ。国際問題にならないようにどうにかやれないか再考するか······。今日の茶会前に告白しようとしてたのに計画を潰されたし······」
あら、だんだん不穏な発言が増えて来ましたね。
危険! 思考を止めましょう。
「ミカエル様! このドレス、ありがとうございます。ブルースターは私の好きな花ですわ」
「他の者からそう聞いていたから、勝手に脈ありなのかと喜んでいたよ」
「『他の者』ってそういえば何ですの?」
「それは知らない方が良くないかな?」
「『見張ってほしい』なんておっしゃりつつ見張られてたのは私の方でしたのね······」
さて。恋が固まり、私もめでたく変態になってしまったようですわ。
この過激思想で突拍子もない事をなさるミカエル殿下が可愛く見えるなんて。
「ミカエル様。ブルースターのお色も、そのお色の瞳を持つ方も好きですわ」
「ユーフェミア······!」
「さあ! 見張っててあげますから、茶会に参りましょう」
「······はい?」
さらさらと仕事をこなす優美なミカエル第三王子殿下から想像もつかない言葉が紡ぎ出されて、私の手元から書類が一気に落ちてしまった。
◇ ◇ ◇
私はアルバーティン王国にある王立学院に在学している公爵令嬢ユーフェミア・オースティン。
とある事件のため婚約解消をしてから、なかなか次が見つからないでいる。
――やはり公爵令嬢というのがネックなのかしら?
大体の高位貴族のご子息様は、皆さん婚約者がお決まりになっていらっしゃるし、かと言ってあまりに家格が違うとお相手が及び腰になってしまわれる。
性格や外見がよろしくないとか私自身の問題だとは断じて思いたくない。
外見は······まあ良い方なのではないかしら?
豊かに波打つ金髪にすんなりした身体、お顔もお人形のようとよくおっしゃっていただくし。
では性格の方かしら?
いや、気が多少強いかなとは思うけれど、公爵令嬢などおっとりだけではやっていけないことが多いので、まあこのくらいは皆さん隠されてるだけで、同じようなものだと思うのだけど。
平素はなるべく穏やかに微笑みを絶やさないように心がけているし。
足元をすくわれないためにも。
三年生になり、生徒会副会長としても忙しくこなしていた今日の生徒会室でのこと。
たまた会長と二人で今年度予算案の書類作成をしていたら、そのお相手、生徒会長のミカエル王子殿下が先程の物騒な言葉を呟いた。
ミカエル殿下は我がアルバーティン王国の第三王子であらせられて、美麗なお姿に違わず誰に対しても公平で、常に温厚、冷静沈着な生徒会長。
まだ王立学院在学中にも関わらず、その魔術の才を見込まれて王立魔術研究所の管轄長を務めている凄い方だ。
凄い方なのだ。
だから······、今の言葉はきっと私の早とちりで······。
「あの······私の聞き間違いでしょうか。今『罪を犯す』とか何とかとおっしゃいました? そんな訳ないですわよね?」
「いいや、オースティン嬢。そう言ったよ」
「ご冗談ですわよね? いやだわ殿下ったら」
おほほほほ······、笑い飛ばすしかないわね。
それなのにミカエル殿下は、美しい指で私が取り落とした書類をトントンとまとめ上げると、爽やかな顔でお話を続けようとしている。
困った人だね、とおっしゃるけれど、書類がバラバラになったのは私のせいじゃないと思う。
「残念ながら、今私は犯罪を犯しかねない精神状態なのだよ」
「それは······」
怖っ!
何を言ってるんですか?
「私にはね、あまりに好きな人がいて、このままでは思いあまって何かしてしまいそうだと危惧していたんだ。だけどね、それを振り払うように魔術構築に打ち込んでいたら······」
「何ですか?」
恋愛相談?
そこから何で不穏な空気になるのですか??
「彼女の気持ちを完璧に僕に向けさせ、なおかつライバルを文字通り駆逐するるような術式を組み上げてしまったんだよ」
ひーーー!!
いま駆逐って言った?
「でもさ、そんなの使っちゃまずいでしょう? 仮にも王子なんだしさ」
「いけませんわね」
いや王子とかではなくて誰だってまずいですわよ!
いつもの『完璧な王子様』はどこ行ったのですか?
「ライバルが死んじゃうかもしれないし、彼女の心を操作するのもいけない事だし」
洗脳に抹殺予告······
「だけどね、それを使ってしまいたいくらい彼女が好きなんだよ。どうしたらいいと思う?」
ええと、根底がおかしい気がするわ。
「あの、殿下。普通に思いを告げるとか、正式に婚約の手続きをお取りになるとかではいけませんの? 正攻法で動かれたら思いは成就するのではないですか?」
にこにこと笑ってらっしゃるけど、私の意見は無視されてますわよね?
「あっ、もしかしてお相手様とは身分差がおありですの? すでに結婚されているとか婚約者と愛し合っている方だとか。それならお相手様のために諦めることも······」
「色々思い悩んだ結果、こうして諦められず犯罪を犯しそう、という状況なのだよ」
頭のいい方のはずなのに、『犯罪を犯しそう』とか危険思想をさらっと告白なさるのは何故なのかしら?
何か試されてる?
「そう言われましても······。というか何故私にそのようなお話を?」
「オースティン嬢なら生徒会でも一緒、魔術科のクラスも一緒でしょう? 私が罪を犯さないように見張るなら適任じゃないか」
適任なわけないと思うのですが······。
「殿下の側近の方達では駄目ですの?」
「彼等が彼女を好きになってしまっても困るし、何よりこれから私の執務を支えてくれる彼等に犯罪者になるかもしれない私の姿は見せられない。もし寝返って唆されてその術を使わされたら? 兄上達の治世にまで影響してしまったら困るし。だから好きな彼女のことも話せないんだ」
滔々と話す様が怖い! 恐いですわ!
どんな術式なのかも分からないですが、恋に溺れて暴動を起こしそうな王子が目の前にいる状況が恐ろしい!
こんな綺麗で優美なお姿なのに、頭の中は危ない方なのですね。
「厄介ですのね」
「だから君を見込んでお願いしたいんだ。私が罪を犯さないように見張ってくれるかい? 副会長としてもまずい事は分かるだろう? ······ここまで話したのだからまさか断るとか他言するとかもやめてほしいのだけど」
ああ、勝手に巻き込んでおいて逃げ場を塞がれたわ。
「······私では阻止出来ないかもしれませんけど、仕方ありませんね」
ミカエル殿下の深まる笑みを見て内心冷や汗の私は、表面上はたおやかに握手を交わした。
◇ ◇ ◇
何故か今、私はミカエル殿下と王都のカフェに来ております。
生徒会の方は予算案をまとめ上げたので一段落は着いていたのはたしかだけれど、有無を言わさず連れ出されてしまった。
あの悪魔の一言を添えて。
「ごめんね、どうしてもここのケーキが給べたくて」
「私は構いませんが、本当によろしいんですの? もし本当にここに彼女がいらしたら誤解されますわよ?」
「そうなんだけどね、もしも彼女を見て思いが爆発して、洗脳の術式を展開させてしまったら困るだろう?」
あ、ついに、ご自身で『洗脳』ってワードを使いましたね。
「だから気持ちをセーブさせるためにも、オースティン嬢に協力を頼んだのだ」
「はあ」
私はさり気なくあたりを見渡した。
女性客が多いお店ではあるけれど、ミカエル殿下のご様子が変わらないので、お目当ての方はいないのだなと安心する。
「お相手様はいつもどなたかとご一緒なんですの?」
「いや、分からないんだ」
「と言いますと」
「他から彼女がここに時々来店していると聞いて、行ってみたかったのだ」
うん? 誰かに彼女の動向を調査させてるの?
「彼女が好んでよく食べるというスイーツは、何度か買ってきてもらって食べているが、すごく美味しいのだ。一度店舗で食べてみたかったので嬉しいよ」
心理的には付きまとい行為をする男性と同じなのかしら?
精神が不健全だわ。
「殿下、それはあぶな······」
「ああ、ここではその呼び名は困るな。ミカエルと呼んでくれ。私もユーフェミアと呼ぶから」
「えっ、どうしてですの?」
「こういう場ではその方が馴染むだろう?」
彼女がよく来店する店で誤解を招く行為はどうかと思うけれど、たしかに殿下呼びはよろしくないかもしれない。
「僕は彼女がよく食べるというダークチェリーとチョコレートのタルトケーキにしようと思うんだけど、ユーフェミアはどうする?」
あら、急に砕けたお言葉になりましたね。
『僕』っておっしゃるのが新鮮だわ。
「あら、私もこちらではよくそれをいただきますわ。美味しいですわよね? そうですね······私は今日は季節のフルーツケーキにします」
「チーズケーキもおすすめと聞いたが」
「そうなんです! ここのチーズケーキは濃厚なのとあっさりなお味の二層仕立てになっていて、人気ですのよ。甘いものが得意ではない男の方にも好評だとか」
「······男性ともよく来るのかい?」
あら、何故か急にミカエル殿下の笑みが冷えたように見えるわ。
もしかして······。
「ミカエル様、ご心配なのですね? お相手様がここに来るのは男性のためなのかと。でもそうと決まった訳でもありませんわ。甘いものと一緒に食べたくなるのです」
「へえ、そういうものか。ユーフェミア、今日は二つ食べなくていいのかい?」
「ええ、そういう時もあるのですが······」
仮にもミカエル殿下と同席している時に、呑気に二つも食べていられないわ!
お待たせすることになるのも気が引けるし。
「ところで、術式のことですが。もしミカエル様がそれを行使してしまったとして、それを解術する式はあるのですか?」
「······何でそんなこと聞くの?」
「もちろん行使しないことが絶対ですが、魔術師は試してみたくなる生き物でしょう? 危機回避のためにもそのような手立てがあるならば予め伺っておきたいですわ」
「ふふふ、そうだね。たしかに起こるかもしれない危機に際しての対策は講じておくべきだね」
満足そうなお顔でタルトを完食されてるわ。
そして流れるようにチーズケーキの追加もなさった。
「それであるんですの?」
「洗脳の方は今あるものを組み替えたら解術の式になると思う。期間を限定するとかっていう風にするとかね。ただ······」
「ライバルを、その、駆逐する方のは?」
「死んだものを生き返らせるのは無理かなあ。悪魔でも召喚しない限り」
やっぱりそういう代物なの?
恐ろしい。
このタイミングで殿下のチーズケーキが届いた。
殿下は、ほら半分ことおっしゃって、私の口にフォークでケーキを入れようとなさる。
え、これ食べないと悪魔召喚かしら。
背に腹は代えられないので、いただきますわ。
「美味しい? もっといる?」
「美味しいですが、分けて下さるならお皿にお願いしますわ。それと今日はお相手様がいらっしゃらなかったようですわね?」
「そうだね、おかげで今日も罪を犯さなくて良かったよ。でも彼女が他の男と一緒だったら······」
ひいっ。
その先は聞きたくない! 聞きたくないわ!!
「恋は人を狂わせるよね」
◇ ◇ ◇
「オースティン嬢、疲れているのかい?」
「そんなことありませんわ」
いや、そうなのです。
ただ疲れてる理由は言えません、目の前のご本人には。
翌日の王立学院内のカフェレストランでのお昼休み。
お友達と連れ立ってランチを頂こうとしたところ、ミカエル殿下に『お腹が空くとうっかりが出るかもしれないから、ランチも一緒に摂ってほしい』と先手を打たれてしまった。
「お相手様は同じ学院生なのですか?」
「だから心配なんだ。彼女を見ないようにしてても心が不安定になるし、もしも無意識に術式を呟いてしまったら······」
こんなところで犯罪者予備軍宣言しないでいただきたいわ!
「分かりましたわ!」
「ふふふ、デザートはこちらで用意するよ」
こんな風にランチも一緒、授業でペアを組む実習でも一緒······と、ミカエル殿下と離れて過ごす余裕がない。
ミカエル殿下は今まで人に恋心を打ち明けていなかった反動なのか、よくお相手様の惚気話をなさる。
『彼女は優秀で人望があり、勉強も幼少のころからとても頑張っていた』
『彼女は美しくて綺麗で可愛らしくて、最近知ったのだけどわりとはっきりと物を言うところも素敵なのだ』
『彼女はスイーツがとても好きで、なんでも好むが焼き菓子とチョコレートは特に好物らしい』
『彼女は完璧なご令嬢のように見えるが時々おっちょこちょいな点が可愛いのだ』
殿下から惚気を聞きつつ犯罪を犯さないよう監視しているだけなのに、周りからは、『ついにミカエル殿下は婚約者をオースティン嬢にお決めになったのかしら?』なとどとんでもない噂が飛び交うようになってしまった。
実態を知らない方々はいいわよね、好きな事を騒いで。
いつやんごとなき御方が犯罪を犯すかもしれないというのを、始終見張っていなければならないこちらの気苦労を知ってほしい。
ミカエル殿下からはこの頃『監視に付き合わせてるお礼だから』とちょっとしたお菓子をいただくので、そのおかげで······まあ耐えている。
ミカエル殿下の危険な術式について、図書室で対抗策を調べてみたり、教師にそれとなく質問してみたりもした。
だが、術の具体があいまいなため、適切な解決法は見つけることが出来なかった。
ミカエル殿下が罪を犯さないように諌め導くこと。
これは臣下として当然行うべき事であり、側近でなくとも近くにいる者として犯罪の芽を摘む機会を見逃してはならない。
だが対象者が分からないため、見張るにしても四六時中になってしまい、ひいては我が身の自由がなくなってしまう。
家に居る時が唯一の心休まるひとときになっていた。
◇ ◇ ◇
家でのお夕食の際、お父様が『ユーフェミア、後で書斎に来てくれるかい?』とおっしゃられた。
家族の前では話せないことなのかしらと多少気になったが、ご指示どおり伺うと。
「実は第二王子殿下、第三王子殿下ともにまだ婚約者がいないだろう? お二人共第一王子のジョエル殿下がお決まりになってから、という話だったのだが、そうも言ってられないのでね」
あ、なんだかいやな予感ですわ。
「適齢の令嬢を集めて週末に王城で茶会を開くことになっているのだけど、急遽ユーフェミアも参加してほしいのだ」
やはりそうでしたか。
我がアルバーティン王国の三王子様方は何故かまだどなたも婚約者がいらっしゃらない。
第一王子のジョエル殿下、第二王子のエイベル殿下、そして第三王子のミカエル殿下は、お三方ともそれぞれの才を発揮してご活躍だが、過去の王族の方に望まない政略結婚をしたことで王家に起きた惨劇を踏まえ、現在ではなるべく当人に伴侶を決めさせるようにしているのだそうだ。
まあ王族の一員になる姫君を選ぶのだから、家格等である程度は限定されるだろうけど。
それでも適齢期になっても婚約者すら定まっていないというのは他国を例にしてもかなり珍しい。
通常だと幼少期より后となるべく特別な教育を授けていく場合が主なのだ。
何故それを知っているかというと、私は身に沁みているからとしか言いようがない。
「再三お断りしたのだけど、これが最後と言うことで臣下としてお受けするしかなかったのだ」
「分かりましたわ、お父様」
「急なことですまないね。ユーフェミアが選ばれる事はないと思うのだが、慣例として出席するように。いいね?」
◇ ◇ ◇
『私は選ばれない』とお父様がおっしゃったのには理由がある。
私にはかつて婚約者がいた。
元々同一国であったという隣国ルベルトとは地続きということもあり、我が国の貴族にもルベルト人と婚姻を成した者が少なからずいる。
そうした事情のためか、ルベルトは我が国に対してこのところ度重なる内政干渉を行って来ていた。
それを退けるために、大国セロジネとどうにか縁を繋ぎたいと考えていたアルバーティン王国は、ある時セロジネの王族を招いて懇親会を開いたのだ。
当時セロジネにはとある流感が平民中心に流行っており、特効薬を作る薬草が不足していたのだが、それを援助する形でアルバーティンが恩を売ったのだ。
その他にも良質な薬草があることをアピールし、両国間の販路を定めるなど、今回の騒ぎをきっかけにセロジネとしても利のある話となった。
無事に流感もおさまったが、まだ自国では大手を振ってパーティを開ける状況でもないということで、今後の縁を見込んで我が国にて一席設けたというわけだ。
「かわいい! 運命の出会いだ! 僕はこの子をお嫁さんにする!!」
その場に来ていたセロジネのバイロン王太子殿下は、何故か私を指差しそう宣言なさった。
アルバーティン王国としてもルベルトへの牽制にもなるし、両国の結びつきを考えればいい話だった。
あくまで国同士としては。
私は五歳で大国セロジネの王太子の婚約者になることが定められ、我が国の公爵家令嬢としての教育の他にセロジネの后教育が追加された。
そのため、その後に開催された殿下方の婚約者探しの意味もあった王家主催の子供交流会にも参加出来ず、ただひたすら勉強漬けの日々となっていた。
それから七年後。
十二歳になった私は、相変わらず勉強ばかりの生活だったが、ある日勉強が一段落したご褒美に植物園に連れて行ってもらった。
自宅では見られない珍しい花々や、不思議なつたの絡まる巨大な異国の木など、私は興奮しながら見物していた。
その時、運の悪いことに虻に刺されて左頬が見る間に腫れ上がってしまった。
植物園の職員達は平謝りだったけれど、これは災難な事故としか言えないので、しばらく療養しようとなった。
そうしたら、またまた運の悪いことに、婚約者のバイロン王太子殿下が我が国に来ることになり、婚約者として歓迎の夜会への同席を求められた。
未成年だからとか体調が悪くてだとか断り文句を述べても聞いてくれる方ではなくて、どうしてもドレスを着て王城に来るようにと言われてしまった。
諦めて参じたところ、当のバイロン王太子殿下は私を心配するどころか『なんだその顔は! 僕の婚約者は化け物になったのか?』と来たものだ。
いくら虻に刺された一時的な腫れだと言っても、婚約者からの公の場での『化け物』発言は翻せない。
ましてや今は人前に出られないと婉曲に断ったのに無理に出させられたのだ。
それであっさりと婚約は解消。
セロジネも慰謝料は支払ったものの、『子供の言ったことだから』と暗に許すように圧力をかけるように、さらなる物流の融通をはかってきた。
あちらの方が年上なのに。
王国が強く出られないのにオースティン公爵家が何か出来るわけもなく、この話はそのままになったのだが、その後の王家にはオースティン公爵家に無理強いは出来ないという暗黙の了解が生まれて今に至っている。
なので普通なら王家の婚約者を決める茶会になど声がかかるはずがないのだ。
オースティン公爵家は言わば『王家』に恥をかかされたのだから。
◇ ◇ ◇
「悪いね。僕達になかなか婚約者が決まらないばかりに」
「······いいえ、臣下として当然伺いますわ」
図書室で今度の実習に役立ちそうな本を借りてから、ミカエル殿下とともに王城内にある魔術研究所へと向かう馬車の中、ミカエル殿下は特段悪いと思っていなさそうな顔でそうおっしゃった。
「お相手様はご出席でいらっしゃるのですか?」
「そのようだけど、美しい彼女が着飾って男性の前に現れるのかと思うとやきもきしてしまうね。嫉妬で心かき乱された僕が、うっかり術式を発動させないように側に居て気を配っていてほしいんだ」
『うっかり』を気をつけるのは貴男ですよね?
なんだか私が諸悪の根源のような気までしてきたわ。
「お相手様との関係は進展しておられるのですか?」
「うーん、してるような、してないような······だね」
「煮えきらないですわね」
「え?」
「殿下はお立場もおありでしょうけど、そろそろ行動なさっては? 変な術など使わなくて真正面から思いを伝えられたらきっと受け止めて下さいますわ」
「断られたらどうするんだ?」
うじうじしてますわね!
「逆にいつまで続けるんですの? 週末のお茶会にその方がいらっしゃるなら男らしく告白されては? それが出来ないのでしたら諦めるしか道はありませんわよ」
「ユーフェミア、君も言うようになったね······。でも諦められないと思うんだが」
「それなら、いつものように完璧な布陣でお相手様に了承されるような手立てを考えましょう!」
「そうだね······」
「このままなら兄王子殿下に取られる事だってありましてよ。それにミカエル殿下だってこの茶会で婚約者を決めなくてはならないのでしょう?」
そうなのだ。
元々ミカエル殿下は策略を凝らすのがお得意なタイプで、このような感情に左右されてどうにもならないといったお人ではない。
恋をするとここまで人を変えるのだろうか······。
その時馬車がガタンと揺れた。
前に倒れそうになる私の体を、ミカエル殿下がサッと受け止めてくださった。
「大丈夫? ユーフェミア」
心配そうに覗き込むお顔は相変わらずお綺麗です。
対応も紳士そのものなのに、危険思想なのは残念よね。
「ええ、ありがとうございます」
「ではお茶会に彼女の参加が決まったら、彼女を魔術無しで陥落出来るように協力してくれるかい? 女性の意見がほしいんだ」
ミカエル殿下は私の手を取って、いつになく真剣な面差しでそう懇願なさった。
「私でお役に立てるのでしたらお力になりますわ」
「心強いよ、ありがとう」
そうよ! 犯罪者になんかさせないわ!
◇ ◇ ◇
王立魔術研究所は王城内に独立して建てられた施設で、そこの管轄長を務めているミカエル殿下には研究室が用意されている。
ここで研究をしたり、所員の論文に目を通したり、決裁文書にサインをしたりと、学生の身でありながら長として働いていらっしゃるのだそう。
今回連れて来てくださったのは、私が研究している魔術に使用する薬草育成に土魔法以外の魔法は有効なのかというテーマに関連する資料を見せていただくためだ。
魔法とは、簡単に言うと本人の持って生まれた資質によって為せるもので、自身に魔力があって適性にかなう魔法と呼ばれる文言を展開して起こすもの。
それから魔術はというと、理論に基づいて導き出された術式を展開することによって引き起こる超現象といったものだろうか。
これには自身の魔力や魔力のもとになる媒体を使う。
魔力を秘めた石や薬草などの他、自然発生している魔力を増幅させて使用する場合もあるので、この方法なら魔力がない人間でも使用が出来る。
私は薬効や魔力媒体として効果の高い薬草を作るのに、土のみに効果を付与するのではなくて、成長過程の根や葉、発芽前の種に、別の魔法を付与させて新しい力を持つ薬草が出来ないかと考えているのだ。
もちろんそれらは錬金で行うことも出来るのだが、初めから特殊効果が付いた種や苗を販売することが出来たら、より便利化になるだろうと思ったのだ。
本を見せてもらっていると、ノックの音がした。
「ミカエル殿下、ちょっといいですか?」
「はい、どうぞ」
いくつかの資料を抱えた男性が入室して来た。
「ああ、お客様でしたか。お茶を用意させますか?」
「お気になさらず。用はなんですか? ······あ、ユーフェミア、こちらは研究員のクリストフ・サザーランドさん。クリストフ、こちらはユーフェミア・オースティン嬢だよ」
「初めまして、オースティン嬢。お噂はかねがねこちらのミカエル殿下から伺っていますよ。卒業後はここに?」
「······クリストフ、余計な事は」
ミカエル殿下が珍しく苛々したところを見せている。
学院でも、あの物騒な発現の前まではいつも穏やかで心の動揺や闇を見せることなどない方だった。
ここは学院ではないので、もっと人間らしく感情を見せたりなさっているのかもしれない。
いいな。
······あれ? いいなって何だ?
「サザーランド侯爵子息様、初めてお目にかかります。地域による薬草の薬効差に関する論文はとても面白く拝見いたしましたわ。私も興味のある分野ですの。でも残念ながら、私にはこちらで勤務出来るレベルに届いていませんのよ」
「そんな事ないでしょう。オースティン嬢が書こうとされている薬草の論文に、もし協力できることがあったら言ってくださいね」
「ありがとうございます」
クリストフ・サザーランド様はこうしてお目にかかると長身ではあるが比較的ほっそりしておられて、涼やかなお顔立ちをしている。
頭のいい方特有の何事にも動じない感じが、切れ者風な美貌と相まっていかにも研究者な感じがする。
さすが社交界のお姉様方が騒ぐのも納得の美しさだ。
その上良い方なのね、クリストフ様は!
「クリストフ! 急ぎの用でないのならこれで······」
「ああそうそう。ところで殿下。べアトリスがなにか用事があるとか言ってましたので、お手隙の時に店まで来てほしいそうです」
「え? ベアトリス?」
あら? ミカエル殿下が目に見えて動揺し出したわ。
もしかして、ベアトリス様が『彼女』?
「急ぎではないようですが、よろしくお願いしますね」
クリストフ様は、またねと言って出て行かれたが、ミカエル殿下の様子はまだおかしい。
そわそわしてるというか、少し頬に赤みが差しているようにも見受けられる。
「あー、あの、ユーフェミア。さっきの話だけど」
「さっき?」
「魔術無しで彼女を陥落させる方法という件なんだが」
「ああ、そちらの話······お続けになるのですね······」
「魔術ではなく例えば薬で心を解すとかはどうだろう?」
「······はい?」
今度は薬漬けにでもしようというのですか?
心なしかもじもじしてるように見えるのですが、何で?
「いや、魔術で洗脳するのはまずいかもしれないと思って。ほらその後好きになってもらえたとしても、ずっと洗脳されてるからかもと疑心暗鬼になるでしょう? それよりも解毒薬が開発されている薬で、合法的に心のガードを外して素直になる薬だったらよくないかな?」
よくないです!
それって自白剤と何が違うんでしょう。
······ん? ちょっと待って。
「お相手様は、ミカエル殿下に対してガードがあると思われるのですか?」
「······そうだね。自分は恋愛には関係ないと思っているようなんだよ。誰に対してもね」
「それじゃあ恋愛のスイッチを押さないといけませんわね。政略結婚を強いられて、恋を知らないとか」
「ユーフェミアは知ってるの?」
「私ですか? そう言われると知りませんかしら?」
今まで『恋』などというものには振り回されるだけで、自分が恋をすることを想像したことがなかった。
私の恋は、あのセロジネの王太子の恋に迷惑をかけられたものくらいしか思いつかない。
そして犯罪を犯しそうなミカエル殿下の恋。
王子の恋はどちらも危ないわね。
「でも恋愛小説は読んでますわよ。淑女の嗜みとして」
「それでその程度か······」
何故かがっくりされてしまったが仕方ないでしょう!
「とにかく引き続き僕を監視しててね。お願いするよ」
◇ ◇ ◇
本日はミカエル殿下はお休みだった。
久々に友人達とランチも楽しめたし授業でも穏やかに過ごせたのだが、少し物足りない気がしてしまう。
······刺激不足? まさか私まで毒されて危険思想に?
「皆さん、私はここで。生徒会室にまいりますわ」
「ユーフェミア様、まだ話足りないですわ。今度ゆっくりカフェにでも行きましょう」
「そうね、最近は私達のユーフェミア様をミカエル殿下に独占されてひどいんですもの」
「嬉しいわ、また集まりましょうね」
友人と別れて生徒会室に向かうと、扉の中から役員達の話し声が聞こえて来た。
「ミカエル様もなあ、早く告白しちゃえばいいのに」
「だから今日ベアトリス様の薬店に行ったんだろ?」
「あ! じゃあいよいよ······」
「ミカエル様があれじゃあ俺達も落ち着かないし」
「しかしいいなあ、ベアトリス様美人なんでしょ? 俺も会いたい!」
「いや、そんなの聞かれたら殿下に怒られるって」
「クリストフ様にも怒られるよ。双子仲いいんだから」
――やはりベアトリス様が殿下の想い人なのだわ。
クリストフ様と双子のベアトリス様ならサザーランド侯爵家令嬢の方だし、家格的にも問題ないはずなのに。
ただ、体が弱くて社交界にはほとんど出て来られない方だと思っていたけれど、薬店で働いてるとはどういう事かしら?
盗み聞きするように役員達の話を聞いてしまったので、何となく入りにくくなってしまった。
やはり図書室に向かおうと踵を返したところ、廊下で先輩のカリーナ・ベイツ子爵令嬢と行き合った。
彼女は昨年卒業されて、現在は王立魔術研究所で事務補佐員をなさっている。
ご挨拶すると、今日はクリストフ様のご用事で学院での講師兼業申請を提出しに来られたのだと言う。
「懐かしいですわ、このカフェも」
連れ立って入った学院内のカフェレストランで、カリーナ様は紅茶を一口飲んで、ほうっと息をつかれた。
「魔術研究所でのお仕事はいかがですか?」
「何とかこなしてるわ。そういえばこの間管轄長のところにいらしてたのですってね。お会いできずに残念だったわ」
「サザーランド様にはお会いしました。薬草研究のことで協力して下さるとあたたかいお言葉までいだたいて」
「そうでしたの。あの方はお姉様が薬草に詳しくていらっしゃるから」
「ベアトリス様ですか? 薬店をなさっているとか」
「まあそこまで聞いてらっしゃるのね。王都にある薬店で、あの方の作る薬の効き目が凄いのでノーラン騎士団御用達なのよ」
ベアトリス様はそんな素晴らしい方なのね。
でもその方の作った自白剤を本人に飲ませても、果たして効果があるのかしら?
······ちょっと調査してみましょうか。
「ベアトリス様は薬草に造詣が深くて素晴らしいのですね。ご結婚はされているのですか?」
「本当に尊敬できる方よ! ただあまり人の事を言うのもあれですけれども、婚約も結婚もしたくないようですわ」
「まあ······」
「それでも人のお気持ちは変化するものですから、良いご縁があの方を待っているかもしれませんわね。何にしろジョエル殿下は積極的でいらっしゃるから」
弟殿下方や魔術研究所のメンバーまで巻き込んで凄いのですよ、とおかしそうに続けられた。
え? ジョエル殿下はベアトリス様がお好きなの?
じゃあ叶わない相手だから、ミカエル殿下はベアトリス様を洗脳したい程思い詰めておられるの?
「ユーフェミア様はいかがなのです? そのようなお話をされるということは、やはりあのお噂は本当なのですか?」
「いいえ、私の話ではなくて······って噂ですか?」
「ミカエル殿下と婚約間近と」
「違いますわ!」
「でもこのところ、いつもご一緒に過ごされてるって。だから魔術研究所に二人でいらしたというのも、所長にご婚約の報告なのかしらって勝手にお祝いの気持ちでいましたわ」
そう言われると、たしかにいつもご一緒していたけれど、でもそれは犯罪を犯さないように見張っていただけで······。
「ふふふ、まだ恋が固まっていない時でしたのね。でも御本人のお気持ちが第一ですわ。ユーフェミア様が殿下をどうお思いかで進められたらよろしいわ」
私の気持ち。
恋が固まっていないって? いやいやいや······
恋愛小説によくあるような、危機から救ってくれて恋に落ちるだとかそんな事は普通には起こらない。
だってミカエル殿下はベアトリス様か他のどなたかを愛していらして、私は暴走しないように見張ってて······
カリーナ様がお帰りになった後も、私はそのまましばらくお茶を続けて、残りのクッキーを食べた。
いつもミカエル殿下が買って下さるクッキー。
袋に五枚入っているそれは、ミカエル殿下が居ない今日は多くて食べ切れない。
――『恋は人を狂わせるよね』
ミカエル殿下を監視している内に、私もどこか狂い出したのかもしれない。
◇ ◇ ◇
翌日の学院は、先日王領地である東の森近くの海上に新しい島が出来たというニュースで大盛り上がりしていた。
何でも海底火山が突如活性化して噴火し、みるみる間に島が生まれたのだという。
この大陸の成り立ちに思いを馳せる人もいれば、無人島に行ってみたいとはしゃぐ人、何故このような事が突然起きたのか調査したいという人など様々だが、新しい島を誰が管轄するのかという事が貴族としては一番の関心事だろう。
しかし耳聡い人の話によると、ミカエル殿下が昨日調査に向かったのだという。
それならばやはり王家管轄になるので、新島には迂闊に足を踏み入れられないだろう、ということで落ち着いた。
「ユーフェミア、週末の茶会のことだけど」
昨日新島の調査に行かれたと噂のミカエル殿下は、今日は普通に学院にいらしていた。
心なしかすっきりと明るいお顔をしているように感じる。
私は逆にミカエル殿下の狂気が伝染したのか、カリーナ様にお会いしてからというもの、どこか体調が優れない。
何か胸がもやもやするので、疲れが出ているのかもしれない。
「はい、何でしょうか」
あの後ベアトリス様と思いを通わせたのかしら?
そうしたらジョエル殿下はどうなるの?
それとも恋を吹っ切ってしまわれたとか?
「僕達のせいで急遽の参加となり申し訳ないし、また今までのお礼も兼ねて、君に茶会用のドレスを贈りたいのだけど。今日の帰りにマダム・メラニーのドレスショップに付き合ってくれないか?」
初めに浮かんだ感情は『嬉しい』だった。
だけどミカエル殿下がドレスを贈るべき相手はベアトリス様のはず。
「お気持ちはありがたいのですが、でもそれは······」
「もうオーダーしているんだ。気持ちなので受け取ってほしい」
ベアトリス様に贈れなくなってしまったドレスを代わりに下さるというのだろうか?
殿下は全く分かっていない。
自身はお相手様が男性とケーキを食べることすら嫉妬する方なのに!
「ミカエル殿下はご存知ですか? この頃私達がよく一緒に過ごしていることで、周りに婚約するのではと噂されてしまっているようです。殿下のお相手様にますます誤解されてしまう事は控えた方がよろしいのではないでしょうか」
「面白い噂だね」
「え?」
「とにかくユーフェミア用に仕立てているし、マダム・メラニーも楽しみにしているから行こうね」
「え?」
「じゃあ後で」
◇ ◇ ◇
マダム・メラニーのドレスショップは、伝統的なものから流行最先端のものまでマダムの目利きで淑女の要望に見事に応えてくれるお店だ。
王族からファッションに敏感な貴族に大変人気のお店で、オースティン公爵家も長年利用させていただいている。
「ミカエル殿下、ユーフェミアお嬢様。ようこそいらっしゃいました」
お店に着くと忙しいマダム・メラニーが直々に挨拶に出向いてくれる。
その他にも多くの従業員さんがずらりと並んで頭を下げている。
「ご機嫌よう、マダム。今日はあの······」
「マダム、今日はよろしく頼む。早速だが先日のものをユーフェミアに合わせてもらえないか?」
「ええ、ええ! ご用意しておりますわ! さあユーフェミアお嬢様、奥へいらして下さいませ」
「え?」
「僕はここで待ってるから、行っておいでユーフェミア」
「え? あ、はい······」
あれよあれよという間に着替えさせられたのは、ブルースターを模したような可憐な花の刺繍やモチーフとドレープが華やかで美しいピンリー織のドレス。
繊細なレースの配置などとても見事なものだ。
あわせて帽子、日傘、手袋、ヒール、宝石類をつけられて、全てが計算されたコーディネートになっている。
ただこれはまずい。
全体をブルーで統一している意味を来賓者に誤解させてしまう。
このブルースターの色はミカエル殿下の瞳の色に酷似しているのだ。
「素敵だよ、ユーフェミア」
「あの、ありがとうございます。ですが······」
「ん、どうしたの? とても可愛いね」
「本当によくお似合いでお美しいですわ! お嬢様」
「そ、そうかしら?」
「可愛いね、本当に可愛い」
「······」
「ではこれをオースティン公爵家宛に届てくれ」
「畏まりました」
誤解を招くから駄目だと思うのだけど、謎の褒め殺しで押し切られ、受け取ることになってしまった。
さすがマダムは私の好みをよく知っていて、とても心躍るお作りなのだ。
······まあドレスに罪はないのだけど。
「送るけど、その前にどこかに寄るかい?」
「いえ、今日はもう家に帰りますわ」
「そう? あのね、ユーフェミア。茶会の時に話があるんだ」
「大切なお話?」
「そう。だから悪いけれど当日は少しだか早く来てくれないか」
「分かりましたわ」
◇ ◇ ◇
茶会当日。
私はミカエル殿下に言われた時間よりもさらに早く王城に入った。
しかもお父様とご一緒に。
ドレスについてはお父様にもご相談の上で、結局ミカエル殿下から贈られたものを着ている。
そしてこれだけ早く入ることになったのは、国王陛下からお呼びがかかったため。
謁見室にお父様と一緒に入室し、陛下に後挨拶申し上げる。
「本日は息子達のことでも呼んでおるのに、私まで声がけをして申し訳なかったな。オースティン、ユーフェミア嬢」
「陛下が気になさることはございません。して本日のお召は茶会の事でしょうか?」
「国王陛下、久方ぶりのご挨拶となり誠に失礼をしております。父公爵同様に、臣下を召し上げるのにお気遣いなど無用でございますわ」
「うむ。ではそなたらに話がある。実はセロジネの馬鹿王太子から、またおかしな事を言う書簡が届いたのでな」
陛下が封筒をひらひらとさせながら、ため息をつかれている。
セロジネ? バイロン様がまだ王太子というだけであの国も終わってるわね。
ただ封筒を見る限り、王太子からの私的な郵送物に見える。
仮にも一国の王に対して、いくら大国の王太子だからといってそんな軽く見るようなものを送りつけてくるかしら?
······なんだかますますいやな予感だわ。
「陛下、拝見してもよろしいですかな?」
お父様が書簡をお預かりしてさっと目を通すが、みるみるうちに顔が紅潮して震え出した。
「これは······、当家を、アルバーティン王国を愚弄なさっているということですか?」
「あれも二十歳だ。焦っているのだろうが、見たとおりこれは正式な書簡ではない。随分と年若の使者も恐縮しきった顔で持参してきたようだし、ただ単に馬鹿なのだろう」
陛下もお父様も馬鹿馬鹿言っている話なのですね、聞きたくないけれど仕方がない······。
「一体その書簡で先方は何を申されているのですか?」
「ああユーフェミア。腹立たしいことにセロジネの馬鹿王太子がな、綺麗な顔に戻ったお前なら自分に相応しいから婚姻の話を進めようと言い出しているのだ」
「あやつは、かの国がどれ程の慰謝料を払ったのか覚えていないのかのう。馬鹿だから知らんのかもしれんな」
はあ? 人を『化け物』呼ばわりして婚約解消したくせに、またすり寄って来たの?
きっと王太子なのにお相手が見つからないのね。
馬鹿だから。
「それはお断りして差し支えないのですよね?」
「もちろんだ。ただユーフェミア嬢よ、確認だがそなたはあの馬鹿に思いを残してるという事はないよな?」
淑女の微笑を忘れて思わず声を荒げそうになってしまったその時、大きな音とともにミカエル殿下がいらした。
「父上! 『ぼんくら』から使者が来たとは何事ですか? ユーフェミアとオースティン公爵まで呼んで! もしやあのセロジネのクソ馬鹿ぼんくらと婚姻させようとしてるんじゃないでしょうね!」
えっ? 大国の王太子をぼんくら呼ばわり?
激高しながらセロジネ国王太子への罵詈雑言をまくし立てるミカエル殿下に、私とお父様はぽかんとしてしまった。
この方はどなた?
お相手様絡みでは時々おかしな発言をなさる事はあったけれど、こんなに悪口をおっしゃる方にだった?
そしてその服······恐ろしいくらいに私と対になってますわね。
全体のお色味、それから同じブルースターの刺繍と、胸元にブルースターの生花まで差し込んでおられるわ。
冴え渡る美しさなのに、発言がおかしいままだわ。
「こらこらミカエル、ユーフェミア嬢が驚いているぞ」
「あ、ユーフェミア! あんなぼんくらと結婚なんかしないよね? ルベルト対策も考えてるし、セロジネの国力を削ぐ方法も考えているから、馬鹿王太子と結婚なんかする必要はないんだ!」
口の悪いままのミカエル殿下は、私の手を握りながら、汗をかいてなおも叫んでいる。
「陛下! セロジネの方は外貨獲得首位の特産物『ピンリー織物のレッド』はすでに我が国でもほぼ同じ良質なものを作ることに成功しました! このハンカチと、ユーフェミアのドレスが何よりの証です」
そう言って美しい光沢の赤いハンカチを殿下に献上する。
が、何故か私の手は握ったままだ。
それと、私のドレス? やけに美しいピンリー織物だとは思ったけれど、ミカエル殿下が開発されたものなの?
「ほう、これは見事だ。遜色ないな」
「また、うるさいルベルト国についても先日作った新島に砦を建設し、エイベル兄上にも協力してもらって騎士団を配置し現状より少しでも早くルベルトの侵攻などの異変を察知出来るよう備えるつもりですし、我が国の中にルベルトへのスパイ行為をしていると思われる貴族についてはジョエル兄上のところに汚職等の問題を洗い出したリストを提出しているところです。もし我が国に背く動きを見せた者には新たに開発した誓約魔法を施すつもりです!」
陛下はミカエル殿下の必死の様を笑って見ておられる。
お父様はもう呆気に取られて、言葉が出ない様子だ。
それと『先日作った新島』? 『誓約魔法』って?
「だからユーフェミアは絶対に渡しません! よろしいですか、陛下!」
「おいおい、随分と外堀を埋めてきたな」
「それからオースティン公爵! ユーフェミアを蔑ろにしたあのぼんくらの国には、これから流通させる我が国のピンリー織物で必ずセロジネの国庫を削ってやるので楽しみにお待ち下さい! そしてユーフェミアのことは絶対に絶対に大切にしますので私に下さい!!」
呆気に取られていたお父様はようやくいつもの冷静さを取り戻してはいたものの、少し困った顔をしてミカエル殿下にお尋ねした。
「ミカエル殿下······! このドレスに込められた殿下のお気持ちは大変嬉しく思いますが、その······娘は了承しているのですか?」
「······えっ?」
ミカエル殿下はパニックを起こしながら私を見遣り、「そうだ、順番を間違えた!」と叫ばれた。
······そうですよね?
「恋は変態的行為で、恋は起爆剤にも堕落の道にもなる。
僕は君に恋をして変態の仲間入りをしたんだ」
応接間に移動して、少し落ち着かれたミカエル殿下とお茶をいただいていると、意を決したように殿下は口火を切った。
「あのぼんくらに先を越されて、僕はおかしくなったんだ。僕もあの時君に恋をしたのだから」
「そして君がぼんくらに愚弄され、君は恋をすることを諦めてしまった。学院でそれとなく思いを匂わせても自分に恋は関係ないと思い込んでいるようだったし」
「あのぼんくらが憎かった。過去まで遡って抹殺したいと思って術式を編もうとしたこともあるけど、あいつに関わるよりも僕を見てほしかった」
「あちらの次代があのぼんくらなら、セロジネなんかに頼らなくてもやって行けるようにすることを考えた。元々あちらの特産はセロジネ固有種であるレッドビンリーの繭から取れる光沢の強い滑らかな赤い織物だろう? 我が国もピンリー加工業は行っているが、あの赤は長年出せるものではなかった。でもユーフェミアの研究案からヒントを得て、ピンリーの食べるワミの葉を種や苗から魔法で付与をして、その魔法のカラーをまとう糸が出来るのではないか? そう思って、在来種を損なわないよう隔離された土地で実験したいと思って新しい島を作ったまでだ」
ちょうど軍事的にも有用な位置に作ったことで、兄上達のルベルト監視にも役立ててもらえそうだよ、と笑っておられるけど、島ってそんなに簡単に作れるものなの?
「ベアトリスとクリストフに協力してもらい、ピンリーの繭を赤くすることに成功したので、君のために僕の瞳と同じブルーになるよう研究をした成果があのドレスだ。セロジネの赤を再現出来るならピンリー織物業を弱らせる事が出来るから、復讐にもなると思った」
「私、ミカエル殿下の『お相手様』はベアトリス様だと思っていたんです」
ミカエル殿下は深く息を吐き、弱く笑いかけて来られた。
「ベアトリスはジョエル兄上の想い人で、今回のことではワミの葉の作成実験や育成なんかに協力してもらってただけなんだ。······しかし僕は公爵や陛下にお認めいただくための功績作りと周りの牽制ばかりして、嘘でユーフェミアを囲い込んでいたくせに、振られるのが怖くて今までろくに何も伝えずにいたんだね」
ミカエル殿下は跪き、胸ポケットに飾っていたブルースターを私に差し出した。
「ユーフェミア、昔から君だけが好きだ。結婚してほしい」
ド変態に告白されて涙が出る私も相当だと思うけど、それを見てミカエル殿下も涙目になっているわ。
涙で声が出ないので、首だけはしっかり了承の気持ちで頷いてみせたら、ぎゅっと抱きしめられた。
「あの島には植物の研究施設も作るつもりだ。ユーフェミアもぜひ自身の研究に利用してほしい。ごめんね、インスパイアされたとはいえ君の考えを勝手に発展させてしまって······。新しいピンリー織の筆頭開発者は君の名前にしておいたけど······許してくれないか。新島での君の研究室には必要な人以外入れないように結界は張っておくけど、······それでも時々は僕も入れてほしい······」
しかし凄まじいわね······新しい島を作って、新しい誓約魔法を作って、その他にもピンリー織を飛躍的に発展させて······、これを全部私のためにしたことなのよね?
あの仮説については、出来たら一緒に検証したかったですけど、ミカエル殿下に相当相談していたものだったし、私がやってみたい本来の研究はまだあるし、そこはいいわ。
なのに落ち込みっぷりまで凄まじいわ。
「学院であれだけ露骨にユーフェミアの側に居たから、もう駆逐するような輩は現れないだろうが、今思い起こしてもセロジネのあのクソ王太子は抹殺しておけば良かったと思っているよ。国際問題にならないようにどうにかやれないか再考するか······。今日の茶会前に告白しようとしてたのに計画を潰されたし······」
あら、だんだん不穏な発言が増えて来ましたね。
危険! 思考を止めましょう。
「ミカエル様! このドレス、ありがとうございます。ブルースターは私の好きな花ですわ」
「他の者からそう聞いていたから、勝手に脈ありなのかと喜んでいたよ」
「『他の者』ってそういえば何ですの?」
「それは知らない方が良くないかな?」
「『見張ってほしい』なんておっしゃりつつ見張られてたのは私の方でしたのね······」
さて。恋が固まり、私もめでたく変態になってしまったようですわ。
この過激思想で突拍子もない事をなさるミカエル殿下が可愛く見えるなんて。
「ミカエル様。ブルースターのお色も、そのお色の瞳を持つ方も好きですわ」
「ユーフェミア······!」
「さあ! 見張っててあげますから、茶会に参りましょう」
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