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第20話 生ける屍
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また一つ、どこか遠くから悲鳴が響き渡った。リオンはわずかに物陰から身を乗り出したが、眼前には薄暗い貯蔵庫の景色が広がっているのみである。
本来ならばすぐにでも飛び出し、襲われているであろう誰かを救いに向かいたかったのだが、リオンはどうしても飛び出すことができずためらってしまう。今は感情に任せ、安易に行動している余裕などまるでない。
あの時――応接室が“闇”に包まれたのも束の間、見えざる“力”が瞬く間にリオンの全身を包み、その自由を奪ってしまった。
辛うじて腰のナイフを引き抜き反応したのだが、気が付いた時には目の前には豪華な家具と茶菓子が並んだ応接間ではなく、岩肌が剥き出しになった洞穴の通路が広がっていた。
なにがなんだか分からないまま、それでもリオンは自身の肉体に起こった“事実”だけを汲み取り、今置かれた状況を把握していく。
(恐らくあれは、“転移魔法”――けれど、なぜそんな回りくどいことを?)
“転移魔法”によって“義賊連合”の根城であるアジトのどこかに強制移動させられた、ということはおぼろげに理解できる。しかし一方で、リオンはそれを仕掛けた奴――教団の教祖・タタラの思惑が理解できず、困惑せざるをえなかった。
間違いなく、タタラは連合に牙をむいた。だがそれならばあの時、一同の視界を奪った一瞬で、直接攻撃を仕掛けることが出来たはずである。わざわざ、別の場所に各々を転移させる必要があるとは思えない。
思考を巡らせるリオンの耳に、またしても彼方から悲鳴が響いた。反射的に振り向いたが、突如力を込めた左足首がずきりと痛む。
実にうかつだったと、リオンは思わず歯噛みしてしまった。左足首の切り傷は浅く、すでに貯蔵庫で調達した麻布を使って応急措置を施していたが、みすみす被弾を許してしまった自分の未熟さが嫌になってしまう。
“転移”だけで事が終わるわけがない。いまやこのアジトのなかは、未曽有の大混乱に陥っていた。
どこに、どれだけの数の“敵”が潜んでいるかは分からない。しかし、この薄暗い貯蔵庫で時を待ったとしても、事態が好転するとは思えない。
リオンは呼吸を整え、意を決して腰を上げる。危険を承知の上、彼はあえて安住の地を手放し、外へと足を向けた。
(とにかく、誰かと合流しないと。このまま、持久戦をするわけにもいかないな)
おそらく、リオン以外の面々もあの場から別のどこかへ“転移”されたのだろう。ならば今は一刻も早く、彼らと合流し、戦力を一か所に固めるべきだった。
通路に飛び出ると潮の香りと共に、より明白な“戦い”の音色が鼓膜を揺らした。すでにアジトの各所で、大小さまざまな規模の衝突が発生しているのだろう。
右も左も分からない連合のアジトを、とにかくリオンはがむしゃらに進んだ。薄暗い洞穴を抜け、少しでも明るく広大な空間に辿り着くべく、脇目もふらずに駆け抜けていく。
そんなリオンの目の前に、唐突に無数の“黒”が立ちはだかった。その見覚えのある姿を前に、リオンは思わず「ちぃ!」と舌打ちをし、即座に構えを作ってしまう。
タタラによって“転移”されてから、すでにリオンも“それ”に幾度となく襲われていた。彼が二刀を持ち上げる目の前で、空間に漂っていた霞のような“黒”が集結し、気体から固体へと変化していく。
気が付いた時には、リオンの目の前に二体の怪物が立っていた。真っ黒な“闇”そのものを塗り固めた人形のようなそれは、声一つあげることなく、かくかくと首を動かしている。無機質で無感情なその挙動に、リオンは思わずおぞましい感覚を覚えてしまった。
既にアジト中にこの怪物が出現し、“義賊連合”全体を襲い始めていた。倒せども倒せども、とにかくひたすらに姿を現し、誰彼構わず襲い掛かってくる。なにより、表情すらない“マネキン”のような姿はただただ不気味で、対峙ししているだけで背筋を冷たいものがなでつけた。
かつて対峙したものと同様、目の前に出現した二体はなんら躊躇することなく、リオン目掛けて跳びかかってくる。黒い怪物は武器こそ持っていないが、腕の先端を鋭利にとがらせ、“刃”の如く振り下ろしてきた。
向かってくる斬撃を、リオンは冷静に見極める。左の一撃がわずかに早いことを察し、こちらも迷うことなく打って出た。
湿っぽい空気を切り裂き、黒い刃が薙ぎ払われる。リオンはその下をかいくぐるように突進し、まずは左のナイフで怪物の一体目掛けて切りつけた。
一体の首がバックリと裂ける。リオンはさらに右側から襲い掛かってくる一刃をナイフで受け止め、その表面を滑るように移動――そのまま、横回転を加えた斬撃でこれまた怪物の首を跳ね飛ばした。
振りぬいた二刀の先からは、何の感触も伝わってこない。柔らかさも、硬さもなにもない気持ちの悪さを覚えながらも、とにかくリオンは身をひるがえし、構えを作る。
一瞬の攻防で黒い怪物たちが殲滅された。怪物の耐久力は低く、リオンが持つナイフの一撃でもいとも容易くその体を破壊することができた。切り裂かれた怪物の体はボロボロと崩れ去り、再び黒い靄となって空気中を漂い始める。
その散り際が、リオンにはどうにもおさまりが悪かった。まるで斬り裂いたはずの怪物が、一旦体を分解しまだそこら中を漂っているようで、言い知れない不快感を抱いてしまう。
しかし、そんなことに一喜一憂している暇はない。リオンはとにかく仲間と合流するため、迷いを振り払って再び走り始めた。
行く先々では“義賊連合”の構成員たちの姿があったが、皆、すでに怪物の手によって事切れてしまっていた。交戦の末に体を貫かれた者もいれば、なすすべなく首を跳ね飛ばされた者もいる。薄暗い洞穴のそこかしこに染み付いた血の跡と壮絶な破壊痕に、リオンは思わず目を背けたくなってしまう。
死体を一つ飛び越え、リオンはさらに加速する。だが、前に進もうとしていたリオンのその足首を、倒れていたはずの男の手ががっしりと掴んだ。
「――ッ!?」
突然の事態に慌てて振り向くと、やはりそこには血だまりのなかに突っ伏した男の死体があった。彼の腕だけが持ち上がり、痛いほどにリオンの足を掴み、引き寄せている。
状況が理解できないリオンの前で、死体の顔がぐぐぐと持ち上がる。血に濡れた真っ赤な男のその表情に、リオンは絶句してしまった。
事切れた男の目や鼻、口のなかに“黒”が滑り込んでいく。怪物を構成しているものと同様の靄が死体のなかに入り込み、亡骸を操り人形のように動かしているのだ。
素早く身構えるリオンだったが、その足首をさらに強い力で死体――もとい“怪物”が引き寄せる。凄まじい怪力によってリオンの体が真横に振り回され、そのままボロ雑巾のように無造作に投げ捨てられてしまった。
高速回転しながらも、リオンは素早く天地上下を把握し、身をひるがえす。壁に激突する寸前でなんとか受け身とを取り、立ち上がることができた。
だが、構えを作るリオンの頬を無数の冷や汗が伝っていく。自身が目の当たりにしている異様な光景に、肉体に襲い掛かる震えを抑え込むことができない。
一人、また一人と構成員の“死体”が起き上がってくる。首を裂かれた者、体に大穴が空いた者、腕が切断された者など様々だったが、いずれも確かに絶命したはずの存在が、“怪物”によって骸を利用され、リオンに襲い掛かろうと近付いてきている。
その“生ける屍”の群れを前に、たまらずリオンは後ずさってしまった。しかし、すぐ背後には分厚い岩石の壁があるのみで、退路はまるでない。後方から伝わる圧迫感に彼がたじろぐなか、すでに前方では三体の死体が起き上がり、こちらへと距離を詰めてきていた。
その異様な光景に気圧されてしまうリオンだったが、なおも怪異たちの攻勢は勢いを増していく。死体の隙間を縫うように黒い靄が形を成し、闇を固めた怪物が2体、戦線に加わってしまう。
まさに多勢に無勢という状況のなか、それでもリオンはナイフを逆手に構えたまま、腰を落として思考を巡らせる。ぞろぞろと群がってくる敵意を跳ねのけるように、歯を食いしばり、鋭い眼差しで向かい合う怪物たちと対峙し続ける。
湿った洞窟の空気に鋭い緊張が走るなか、先頭の一人――否、“一匹”がついに一手を仕掛ける。顔の左側が大きく砕けた男は、関節の砕けた腕をまるで鞭のようにしならせ、リオン目掛けて叩きつけてきた。
その男の踏み込みをきっかけに、まるで示し合わせたかのように他の個体も飛びかかってくる。しかし気圧されないよう、リオンはとにかく至近距離の一人に的を絞り、動いた。
すれすれで男の腕の一撃をかわすと、大気の振動を受けて鼓膜が嫌に震えた。リオンをとらえ損なった一撃はそのまま地面へと炸裂し、足元の岩を砕き割る。
衝撃により男の骨が砕け、肉が千切れた。しかし痛みを感じない死体は、構うことなく身を翻し、二撃目へと移行する。
だが、リオンの走らせた刃が一手早く、男の首筋を捉えた。ナイフは鮮やかな軌道で男の首を切り裂き、その奥の頸椎まで深々と切り込む。
致命傷を与えながらも、リオンは狙いを次の死体に合わせていた。休む暇などないまま、再びナイフを握る手に力を込める。
だが、突如背中で弾けた凄まじい衝撃に、たまらず彼は声を上げてしまった。
「なん――だとッ!?」
吹き飛ばされながら、リオンは自身の背を叩いたものの正体を悟り、言葉を失ってしまう。
先程、確かに首筋を切り裂いたはずの男が、なおもぐちゃぐちゃに変形した腕を振り抜き、リオンを背後から叩いていた。
ナイフによって切り裂かれた彼の首はだらりと傾き、皮一枚でかろうじてぶら下がっているという状態である。
にも関わらず、その体が動きを止めることはまるでない。リオンは何度も地面を跳ねながら、自身の“慢心”に気付き、歯噛みしてしまう。
今相手にしているのは、人間ではない。肉塊となった死体を、内側からあの“黒い靄”が操っているに過ぎないのだ。
ならば人間にとっての急所など、もはや意味をなさないのは当たり前だ。頭を吹き飛ばされようが、心臓を抉られようが、きっと彼らは新たな“宿主”の思うがまま、リオンを攻め立ててくるのだろう。
それどころか、痛みに躊躇しないがゆえに、死体たちの怪力も常人離れしていた。肉体が変形することすら厭わない一撃は、リオンの背中に甚大なダメージを植え付け、背筋や骨格の奥底に守られたはずの内臓にまで、甚大な被害をもたらしていた。
すぐさま立ちあがろうとするリオンだったが、四肢に力が入らない。肉と臓、神経にまで刻まれた傷は、彼の体を着実に麻痺させてしまう。
歯を食いしばり、全身に汗を伝わせるリオンに、無数の足音が近付いてくる。無数の死体と黒い怪物は、一歩ずつ、着実にリオンを包囲していった。
(なんとかしないと……せめて、どうにか、脱出を――!)
必死に思考を巡らせるが、やはり肉体は容易く回復してくれはしない。必死に体を持ち上げるリオンのすぐ目の前に、すでに新たな死体が歩み寄り、腕を引き絞っていた。
抗おうと力を込めるリオンに対し、非情な一撃はただちに発射された。死体の握りしめた拳は、リオンの頭部目掛けて弧を描き、奔る。
必死に回避しようと足に力を込めるリオンだったが、落ちてくる一撃を見据え、それが当たってしまうという事実をいち早く悟る。その体は無意識に硬直し、襲いくるであろう衝撃と痛みに備えてしまった。
ごばっ――という音が大気を揺らし、洞穴のなかに乱反射した。だが、その轟音と共に弾けた“熱”と“光”に、たまらずリオンは声を上げてしまう。
「炎……だと?」
死体の腕はリオンに当たる直前で、突如、紅蓮の炎に包まれてしまう。それは拳を内側から砕き、瞬く間に炭へと変えてしまった。
肉が焼けるおぞましい匂いが立ち込めたが、まるで構うことなく一つ、二つとさらなる“爆炎”が死体に炸裂した。男の胸と頭部で弾けた紅蓮は、生ける屍をそのまま焼き尽くし、機能を停止させてしまう。
わけも分からず固まってしまうリオンの耳に、聞き覚えのある“女性”の声が響く。正確には耳に取り付けた連絡用の“魔石造りのピアス”が震え、彼女の声を脳内に直接流し込んでくれる。
「なによ、こいつら死体まで操るわけ? 気色わるッ」
その不機嫌極まりない物言いに、リオンは「えっ」と声を上げてしまう。彼が視線を持ち上げると、まさに声の主である小さな影が通路をこちらへと歩いてくるところであった。
死体たちや黒い怪物も、一瞬、姿を現した“彼女”へと視線を向ける。その無数の怪物たちの圧を受けてもなお、彼女のつまらなそうな眼差しが怯むことなどまるでなかった。
青白い肌と尖った耳、後ろでまとめ上げた艶やかな白髪――見覚えのある“ダークエルフ”の少女の姿に、リオンの体にまとわりついていた緊張がほんのわずかに和らぐ。
怪物たちは照準を一斉に、新たに現れた少女へと切り替えた。体が崩れた三匹の死体が、ほぼ同時に彼女――『デュランダル』7番隊・隊員、ココに襲いかかる。
リオンが声を上げそうになるなか、やはりココはまるで動じることなく、手にした愛用の杖をゆるりと持ち上げた。彼女はそれを握りしめたまま、強い眼差しで向かってくる怪物たちを睨みつけている。
少女の髪の毛が、風すら受けずにざわざわと揺れていた。ココはその小さな体の内に滾らせた力を、なんら容赦することなく一気に解放する。
「中途半端なことするつもりはないわ。死体ならやっぱり――“火葬”に限るわよね」
瞬間、彼女は持ち上げていた杖を振り下ろし、地面へと突き立てる。カツゥンという乾いた音を追いかけるように、彼女の肉体から空間へと“魔力”が流れ込んだ。
飛びかかった三体の死体が、同時に火柱に包まれる。どおと音を立てて吹き上がった紅蓮の渦は、手心など一才加えず、圧倒的な火力で屍の体を焼き尽くしていく。
突然の熱波と輝きに、リオンまでもが圧倒されてしまった。火炎が渦巻くたびに洞穴内を閃光が暴れ、影が四方八方に伸びる。
気がついた時には火柱が止み、黒焦げになった死体だけが残された。三体の屍は一瞬で炭に変わり、倒れた途端、バラバラに崩れてしまう。
初めて見るココの“魔法”に、リオンはナイフを手にしたまま茫然自失してしまう。怪物を駆逐してもなお、ココは呼吸すら乱さず、悠然とこちらに歩いてきていた。
彼女の魔導士としての圧巻の実力に、リオンは驚きと共に安堵すら覚えてしまう。仲間と合流できたということ以上に、ココのその凄まじい実力が彼のなかの緊張の糸をわずかに緩ませてしまった。
その一瞬の隙を、“怪物”たちは見逃さない。残っていた黒い人形たちは、照準を再び壁際にいるリオンへと切り替え、一気に襲いかかってきた。
洞窟の大気と、立ち込めていた殺気が一気に流動する。リオンは呆けてしまった自分を恥じ、慌ててナイフを持ち上げ直した。
より近く、より弱い相手を仕留める――怪物たちはそんな本能に従い、左右から同時にリオンへと飛びかかる。
だが迎撃の構えを取るリオンの耳に、やはり“救援”の声が響き渡る。ココとは違う男性の声が、静かに、柔らかな波長で告げた。
「は~い、その場所で動かないでくださいね。ちゃっちゃと片付けますんで」
目を見開くリオンの耳に、二発の“銃声”が響き渡る。けたたましい発射音と共に飛来した弾丸が、向かってきていた怪物の胴体を捉え、ど真ん中に風穴を開けてしまった。
怪物は声こそ上げなかったが、胴体を穿たれたことで動きを止めてしまう。腕を持ち上げたままの黒い人形たちに構うことなく、さらに数発の銃声が洞穴内に響き渡った。
飛来した弾丸は着実に命中し、怪物の黒い体を削り取っていく。怪物は回避行動を取ろうともがいていたが、その行動すら先読みしたかのように新たな一弾が飛来し、腕や足、胴体、頭部を吹き飛ばす。
呆気にとられてしまうリオンの目の前で、弾丸の雨にすら怯むことなく、なおも冷静にココが通信石越しの“彼”に告げる。
「ニーア、なにやってんのよ。こいつら、体の中の“核”を壊さないと、いつまでも蘇ってくるわ。無駄弾使わず、とっととぶっ飛ばしなさいよね」
実に堂々としたココの忠告に、通信先の彼――ニーアが「ご忠告感謝」と短く返す。そのやり取りを境に、飛来する弾丸の“軌道”に変化があった。
空を裂く弾丸は直接怪物の肉体を穿つのではなく、あえて一度、壁や天井、床といった“岩肌”にぶつかる。小さな金属製の弾はそのまま跳ね返り、怪物の肉体を死角から、より深い位置へと抉り抜く。
跳弾――まさかの攻撃にリオンが絶句するなか、“核”を砕かれたことでついに怪物も動作を停止し、ばらばらに砕け散ってしまった。
結局、リオンは壁際で二刀を構えたまま、一歩たりとも動くことができずじまいだった。群がっていた敵意が消え去るなか、ゆっくりと歩いてくるココの後ろから、もう一つの足音が駆け寄ってくる。
リオンが武器を鞘にしまったときには、目の前に『デュランダル』第7守護隊のメンバーの二人が立っていた。ココはその真っ赤な眼差しを「やれやれ」といった感じに歪め、背後から駆け寄ってきた全身に包帯を巻いた男・ニーアを睨みつける。
「やれるなら、最初からそうしなさいよね。弾だって経費で落ちるんだろうけど、そこそこ値段がするんだから」
「分かってますよぉ。なにせこっちは、ココみたいに魔力を“視る”ことができないもんでして。手探りで戦ってる分、ご勘弁を」
困ったように笑うニーアに対し、なおもココは「ふん」とつまらなそうに目を細めていた。二人のいつも通りのやり取りを前に、リオンもどこか肩の力が抜けてしまう。
「リオンさん、大丈夫ですか? 危ない所でしたね」
「あ……あ、ああ。助かったよ。さすがにあの数じゃあ、俺もヤバかったからさ」
ニーアはひとまずリオンが無事そうであることを確認し、「良かった」と嬉しそうに笑う。彼は自身の得物である長いバレルを持った“機工銃”を、ようやく腰のホルスターへと収めた。
一方、ココも杖を背負い直し、腕組みをしたままリオンの足首に気付く。
「なんだ、怪我してるんじゃない。私らが来なけりゃあ今頃、冗談抜きにお陀仏だったかもね」
「そ、そうだな……けれど、運良く合流出来てほっとしたよ」
「運なんかじゃあない。私たちがあんたの“反応”を辿って、助けに来てやったのよ。感謝しなさいよね」
ここの一言に呆けてしまうリオンだったが、彼女が指差した“腕輪”を思わず見つめてしまう。どうやら彼女は、リオンが逃げないようにと取り付けた“魔法錠”の反応を探知し、ここまでやってきたようだ。
ココの言葉遣いはなんとも高圧的だったが、それ以上に彼女が行使する“魔法”の数々にリオンは素直に感服してしまう。したたかな少女の姿にため息をついてしまうリオンだったが、ニーアの真剣な一言で我に返った。
「驚きましたよ。外で待機していたら、いきなり洞窟のなかが黒い“靄”みたいなもので覆われたんです。かと思えば、あの怪物が現れて、手当たり次第にアジトの人々を襲いだしちゃって……」
「そのようだな……どれもこれも、あの教祖――タタラってやつのせいなんだ。どういうつもりか知らないが、やっぱりあの野郎、はなから“義賊連合”と真っ向勝負するつもりだったらしい」
リオンから状況を説明され、ココも「ふぅん」とどこか納得の声を上げる。
「なるほど、ね。そのタタラってやつ、かなりの“使い手”ってことか。アジトを襲ってるのは間違いなく、奴が召喚する“魔導生物”よ。おそらく、自動的に人間を襲うように命令が刻み込まれてる」
「なんだって? じゃあ、あのタタラを止めない限り、延々とあの化物共が湧いてくるってことか」
「そういうこと。ったく、こういう厄介事になるから、“義賊連合”なんかと絡むのは反対だったのに。やれやれだわ」
ココの物言いはなんとも無愛想だったが、一方で彼女の眼差しから真剣な色は消え去っていない。彼女もまた、『デュランダル』の一員として、現状を打破する一手を考えているのだろう。
鋭い眼差しを浮かべたまま、小さき魔導士はなおも迅速に判断を下していく。
「とにかく、このまま戦い続けても無駄に消耗するだけよ。まずは生き残りを確保しながら、隊長たちを探しましょ。ニーア、くれぐれも“弾切れ”なんて間抜けな事態だけは避けるようにね」
「分かってますって。あとで高額請求が来ないように、できるだけ省エネで頑張りますので」
言うや否や、ココは何ら臆することなく通路の奥へと歩み始めてしまう。このような事態において、即座に行動に移る彼女の豪胆さに、リオンはまたもや圧倒され言葉をのんでしまった。
だがやはり、ニーアに言葉に背を押される形で、リオンは我に返る。包帯の隙間に見えるニーアの目は笑っていたが、そこにはやはり鋭く、したたかな輝きが覗いていた。
「状況はさっぱりですが、我々としても乗り掛かった舟、です。“義賊連合”の方々も、出来る限り救出しながら進みましょう。リオンさんの腕前も、頼りにしていますからね」
思いがけない提案に動揺してしまうリオンだったが、それでもニーアから伝わってくる“熱”が彼の心を震わせていく。どれだけ混沌とした状況でも、決してぶれることのない『デュランダル』たちの意思が、混乱にからめとられようとしていたリオンの背をひっぱたいた。
なにからなにまで、理解できないことだらけだ。このアジトに起こっていることはもちろん、教祖・タタラの思惑も謎のままである。
しかし、今は余計なことには目もくれず、リオンは二人の隊員たちを追うように歩き始める。たった一つ分かることは、この場で何もしなければ、リオンらもまた混沌とした渦に巻き込まれ、二度とこの孤島から脱出できない、ということだ。
(そんなダサい終わり方は、死んでもごめんだ)
気が付いた時には、リオンもまた強い眼差しを取り戻し、薄暗い洞穴の奥を睨みつけていた。
どこか遠くから悲鳴と喧噪が響き、次なる激突の時を予感させる。三人はそれぞれの熱き思いを胸に、冷たく、湿っぽい洞穴の空気をかき分けながら前へと進み続けた。
本来ならばすぐにでも飛び出し、襲われているであろう誰かを救いに向かいたかったのだが、リオンはどうしても飛び出すことができずためらってしまう。今は感情に任せ、安易に行動している余裕などまるでない。
あの時――応接室が“闇”に包まれたのも束の間、見えざる“力”が瞬く間にリオンの全身を包み、その自由を奪ってしまった。
辛うじて腰のナイフを引き抜き反応したのだが、気が付いた時には目の前には豪華な家具と茶菓子が並んだ応接間ではなく、岩肌が剥き出しになった洞穴の通路が広がっていた。
なにがなんだか分からないまま、それでもリオンは自身の肉体に起こった“事実”だけを汲み取り、今置かれた状況を把握していく。
(恐らくあれは、“転移魔法”――けれど、なぜそんな回りくどいことを?)
“転移魔法”によって“義賊連合”の根城であるアジトのどこかに強制移動させられた、ということはおぼろげに理解できる。しかし一方で、リオンはそれを仕掛けた奴――教団の教祖・タタラの思惑が理解できず、困惑せざるをえなかった。
間違いなく、タタラは連合に牙をむいた。だがそれならばあの時、一同の視界を奪った一瞬で、直接攻撃を仕掛けることが出来たはずである。わざわざ、別の場所に各々を転移させる必要があるとは思えない。
思考を巡らせるリオンの耳に、またしても彼方から悲鳴が響いた。反射的に振り向いたが、突如力を込めた左足首がずきりと痛む。
実にうかつだったと、リオンは思わず歯噛みしてしまった。左足首の切り傷は浅く、すでに貯蔵庫で調達した麻布を使って応急措置を施していたが、みすみす被弾を許してしまった自分の未熟さが嫌になってしまう。
“転移”だけで事が終わるわけがない。いまやこのアジトのなかは、未曽有の大混乱に陥っていた。
どこに、どれだけの数の“敵”が潜んでいるかは分からない。しかし、この薄暗い貯蔵庫で時を待ったとしても、事態が好転するとは思えない。
リオンは呼吸を整え、意を決して腰を上げる。危険を承知の上、彼はあえて安住の地を手放し、外へと足を向けた。
(とにかく、誰かと合流しないと。このまま、持久戦をするわけにもいかないな)
おそらく、リオン以外の面々もあの場から別のどこかへ“転移”されたのだろう。ならば今は一刻も早く、彼らと合流し、戦力を一か所に固めるべきだった。
通路に飛び出ると潮の香りと共に、より明白な“戦い”の音色が鼓膜を揺らした。すでにアジトの各所で、大小さまざまな規模の衝突が発生しているのだろう。
右も左も分からない連合のアジトを、とにかくリオンはがむしゃらに進んだ。薄暗い洞穴を抜け、少しでも明るく広大な空間に辿り着くべく、脇目もふらずに駆け抜けていく。
そんなリオンの目の前に、唐突に無数の“黒”が立ちはだかった。その見覚えのある姿を前に、リオンは思わず「ちぃ!」と舌打ちをし、即座に構えを作ってしまう。
タタラによって“転移”されてから、すでにリオンも“それ”に幾度となく襲われていた。彼が二刀を持ち上げる目の前で、空間に漂っていた霞のような“黒”が集結し、気体から固体へと変化していく。
気が付いた時には、リオンの目の前に二体の怪物が立っていた。真っ黒な“闇”そのものを塗り固めた人形のようなそれは、声一つあげることなく、かくかくと首を動かしている。無機質で無感情なその挙動に、リオンは思わずおぞましい感覚を覚えてしまった。
既にアジト中にこの怪物が出現し、“義賊連合”全体を襲い始めていた。倒せども倒せども、とにかくひたすらに姿を現し、誰彼構わず襲い掛かってくる。なにより、表情すらない“マネキン”のような姿はただただ不気味で、対峙ししているだけで背筋を冷たいものがなでつけた。
かつて対峙したものと同様、目の前に出現した二体はなんら躊躇することなく、リオン目掛けて跳びかかってくる。黒い怪物は武器こそ持っていないが、腕の先端を鋭利にとがらせ、“刃”の如く振り下ろしてきた。
向かってくる斬撃を、リオンは冷静に見極める。左の一撃がわずかに早いことを察し、こちらも迷うことなく打って出た。
湿っぽい空気を切り裂き、黒い刃が薙ぎ払われる。リオンはその下をかいくぐるように突進し、まずは左のナイフで怪物の一体目掛けて切りつけた。
一体の首がバックリと裂ける。リオンはさらに右側から襲い掛かってくる一刃をナイフで受け止め、その表面を滑るように移動――そのまま、横回転を加えた斬撃でこれまた怪物の首を跳ね飛ばした。
振りぬいた二刀の先からは、何の感触も伝わってこない。柔らかさも、硬さもなにもない気持ちの悪さを覚えながらも、とにかくリオンは身をひるがえし、構えを作る。
一瞬の攻防で黒い怪物たちが殲滅された。怪物の耐久力は低く、リオンが持つナイフの一撃でもいとも容易くその体を破壊することができた。切り裂かれた怪物の体はボロボロと崩れ去り、再び黒い靄となって空気中を漂い始める。
その散り際が、リオンにはどうにもおさまりが悪かった。まるで斬り裂いたはずの怪物が、一旦体を分解しまだそこら中を漂っているようで、言い知れない不快感を抱いてしまう。
しかし、そんなことに一喜一憂している暇はない。リオンはとにかく仲間と合流するため、迷いを振り払って再び走り始めた。
行く先々では“義賊連合”の構成員たちの姿があったが、皆、すでに怪物の手によって事切れてしまっていた。交戦の末に体を貫かれた者もいれば、なすすべなく首を跳ね飛ばされた者もいる。薄暗い洞穴のそこかしこに染み付いた血の跡と壮絶な破壊痕に、リオンは思わず目を背けたくなってしまう。
死体を一つ飛び越え、リオンはさらに加速する。だが、前に進もうとしていたリオンのその足首を、倒れていたはずの男の手ががっしりと掴んだ。
「――ッ!?」
突然の事態に慌てて振り向くと、やはりそこには血だまりのなかに突っ伏した男の死体があった。彼の腕だけが持ち上がり、痛いほどにリオンの足を掴み、引き寄せている。
状況が理解できないリオンの前で、死体の顔がぐぐぐと持ち上がる。血に濡れた真っ赤な男のその表情に、リオンは絶句してしまった。
事切れた男の目や鼻、口のなかに“黒”が滑り込んでいく。怪物を構成しているものと同様の靄が死体のなかに入り込み、亡骸を操り人形のように動かしているのだ。
素早く身構えるリオンだったが、その足首をさらに強い力で死体――もとい“怪物”が引き寄せる。凄まじい怪力によってリオンの体が真横に振り回され、そのままボロ雑巾のように無造作に投げ捨てられてしまった。
高速回転しながらも、リオンは素早く天地上下を把握し、身をひるがえす。壁に激突する寸前でなんとか受け身とを取り、立ち上がることができた。
だが、構えを作るリオンの頬を無数の冷や汗が伝っていく。自身が目の当たりにしている異様な光景に、肉体に襲い掛かる震えを抑え込むことができない。
一人、また一人と構成員の“死体”が起き上がってくる。首を裂かれた者、体に大穴が空いた者、腕が切断された者など様々だったが、いずれも確かに絶命したはずの存在が、“怪物”によって骸を利用され、リオンに襲い掛かろうと近付いてきている。
その“生ける屍”の群れを前に、たまらずリオンは後ずさってしまった。しかし、すぐ背後には分厚い岩石の壁があるのみで、退路はまるでない。後方から伝わる圧迫感に彼がたじろぐなか、すでに前方では三体の死体が起き上がり、こちらへと距離を詰めてきていた。
その異様な光景に気圧されてしまうリオンだったが、なおも怪異たちの攻勢は勢いを増していく。死体の隙間を縫うように黒い靄が形を成し、闇を固めた怪物が2体、戦線に加わってしまう。
まさに多勢に無勢という状況のなか、それでもリオンはナイフを逆手に構えたまま、腰を落として思考を巡らせる。ぞろぞろと群がってくる敵意を跳ねのけるように、歯を食いしばり、鋭い眼差しで向かい合う怪物たちと対峙し続ける。
湿った洞窟の空気に鋭い緊張が走るなか、先頭の一人――否、“一匹”がついに一手を仕掛ける。顔の左側が大きく砕けた男は、関節の砕けた腕をまるで鞭のようにしならせ、リオン目掛けて叩きつけてきた。
その男の踏み込みをきっかけに、まるで示し合わせたかのように他の個体も飛びかかってくる。しかし気圧されないよう、リオンはとにかく至近距離の一人に的を絞り、動いた。
すれすれで男の腕の一撃をかわすと、大気の振動を受けて鼓膜が嫌に震えた。リオンをとらえ損なった一撃はそのまま地面へと炸裂し、足元の岩を砕き割る。
衝撃により男の骨が砕け、肉が千切れた。しかし痛みを感じない死体は、構うことなく身を翻し、二撃目へと移行する。
だが、リオンの走らせた刃が一手早く、男の首筋を捉えた。ナイフは鮮やかな軌道で男の首を切り裂き、その奥の頸椎まで深々と切り込む。
致命傷を与えながらも、リオンは狙いを次の死体に合わせていた。休む暇などないまま、再びナイフを握る手に力を込める。
だが、突如背中で弾けた凄まじい衝撃に、たまらず彼は声を上げてしまった。
「なん――だとッ!?」
吹き飛ばされながら、リオンは自身の背を叩いたものの正体を悟り、言葉を失ってしまう。
先程、確かに首筋を切り裂いたはずの男が、なおもぐちゃぐちゃに変形した腕を振り抜き、リオンを背後から叩いていた。
ナイフによって切り裂かれた彼の首はだらりと傾き、皮一枚でかろうじてぶら下がっているという状態である。
にも関わらず、その体が動きを止めることはまるでない。リオンは何度も地面を跳ねながら、自身の“慢心”に気付き、歯噛みしてしまう。
今相手にしているのは、人間ではない。肉塊となった死体を、内側からあの“黒い靄”が操っているに過ぎないのだ。
ならば人間にとっての急所など、もはや意味をなさないのは当たり前だ。頭を吹き飛ばされようが、心臓を抉られようが、きっと彼らは新たな“宿主”の思うがまま、リオンを攻め立ててくるのだろう。
それどころか、痛みに躊躇しないがゆえに、死体たちの怪力も常人離れしていた。肉体が変形することすら厭わない一撃は、リオンの背中に甚大なダメージを植え付け、背筋や骨格の奥底に守られたはずの内臓にまで、甚大な被害をもたらしていた。
すぐさま立ちあがろうとするリオンだったが、四肢に力が入らない。肉と臓、神経にまで刻まれた傷は、彼の体を着実に麻痺させてしまう。
歯を食いしばり、全身に汗を伝わせるリオンに、無数の足音が近付いてくる。無数の死体と黒い怪物は、一歩ずつ、着実にリオンを包囲していった。
(なんとかしないと……せめて、どうにか、脱出を――!)
必死に思考を巡らせるが、やはり肉体は容易く回復してくれはしない。必死に体を持ち上げるリオンのすぐ目の前に、すでに新たな死体が歩み寄り、腕を引き絞っていた。
抗おうと力を込めるリオンに対し、非情な一撃はただちに発射された。死体の握りしめた拳は、リオンの頭部目掛けて弧を描き、奔る。
必死に回避しようと足に力を込めるリオンだったが、落ちてくる一撃を見据え、それが当たってしまうという事実をいち早く悟る。その体は無意識に硬直し、襲いくるであろう衝撃と痛みに備えてしまった。
ごばっ――という音が大気を揺らし、洞穴のなかに乱反射した。だが、その轟音と共に弾けた“熱”と“光”に、たまらずリオンは声を上げてしまう。
「炎……だと?」
死体の腕はリオンに当たる直前で、突如、紅蓮の炎に包まれてしまう。それは拳を内側から砕き、瞬く間に炭へと変えてしまった。
肉が焼けるおぞましい匂いが立ち込めたが、まるで構うことなく一つ、二つとさらなる“爆炎”が死体に炸裂した。男の胸と頭部で弾けた紅蓮は、生ける屍をそのまま焼き尽くし、機能を停止させてしまう。
わけも分からず固まってしまうリオンの耳に、聞き覚えのある“女性”の声が響く。正確には耳に取り付けた連絡用の“魔石造りのピアス”が震え、彼女の声を脳内に直接流し込んでくれる。
「なによ、こいつら死体まで操るわけ? 気色わるッ」
その不機嫌極まりない物言いに、リオンは「えっ」と声を上げてしまう。彼が視線を持ち上げると、まさに声の主である小さな影が通路をこちらへと歩いてくるところであった。
死体たちや黒い怪物も、一瞬、姿を現した“彼女”へと視線を向ける。その無数の怪物たちの圧を受けてもなお、彼女のつまらなそうな眼差しが怯むことなどまるでなかった。
青白い肌と尖った耳、後ろでまとめ上げた艶やかな白髪――見覚えのある“ダークエルフ”の少女の姿に、リオンの体にまとわりついていた緊張がほんのわずかに和らぐ。
怪物たちは照準を一斉に、新たに現れた少女へと切り替えた。体が崩れた三匹の死体が、ほぼ同時に彼女――『デュランダル』7番隊・隊員、ココに襲いかかる。
リオンが声を上げそうになるなか、やはりココはまるで動じることなく、手にした愛用の杖をゆるりと持ち上げた。彼女はそれを握りしめたまま、強い眼差しで向かってくる怪物たちを睨みつけている。
少女の髪の毛が、風すら受けずにざわざわと揺れていた。ココはその小さな体の内に滾らせた力を、なんら容赦することなく一気に解放する。
「中途半端なことするつもりはないわ。死体ならやっぱり――“火葬”に限るわよね」
瞬間、彼女は持ち上げていた杖を振り下ろし、地面へと突き立てる。カツゥンという乾いた音を追いかけるように、彼女の肉体から空間へと“魔力”が流れ込んだ。
飛びかかった三体の死体が、同時に火柱に包まれる。どおと音を立てて吹き上がった紅蓮の渦は、手心など一才加えず、圧倒的な火力で屍の体を焼き尽くしていく。
突然の熱波と輝きに、リオンまでもが圧倒されてしまった。火炎が渦巻くたびに洞穴内を閃光が暴れ、影が四方八方に伸びる。
気がついた時には火柱が止み、黒焦げになった死体だけが残された。三体の屍は一瞬で炭に変わり、倒れた途端、バラバラに崩れてしまう。
初めて見るココの“魔法”に、リオンはナイフを手にしたまま茫然自失してしまう。怪物を駆逐してもなお、ココは呼吸すら乱さず、悠然とこちらに歩いてきていた。
彼女の魔導士としての圧巻の実力に、リオンは驚きと共に安堵すら覚えてしまう。仲間と合流できたということ以上に、ココのその凄まじい実力が彼のなかの緊張の糸をわずかに緩ませてしまった。
その一瞬の隙を、“怪物”たちは見逃さない。残っていた黒い人形たちは、照準を再び壁際にいるリオンへと切り替え、一気に襲いかかってきた。
洞窟の大気と、立ち込めていた殺気が一気に流動する。リオンは呆けてしまった自分を恥じ、慌ててナイフを持ち上げ直した。
より近く、より弱い相手を仕留める――怪物たちはそんな本能に従い、左右から同時にリオンへと飛びかかる。
だが迎撃の構えを取るリオンの耳に、やはり“救援”の声が響き渡る。ココとは違う男性の声が、静かに、柔らかな波長で告げた。
「は~い、その場所で動かないでくださいね。ちゃっちゃと片付けますんで」
目を見開くリオンの耳に、二発の“銃声”が響き渡る。けたたましい発射音と共に飛来した弾丸が、向かってきていた怪物の胴体を捉え、ど真ん中に風穴を開けてしまった。
怪物は声こそ上げなかったが、胴体を穿たれたことで動きを止めてしまう。腕を持ち上げたままの黒い人形たちに構うことなく、さらに数発の銃声が洞穴内に響き渡った。
飛来した弾丸は着実に命中し、怪物の黒い体を削り取っていく。怪物は回避行動を取ろうともがいていたが、その行動すら先読みしたかのように新たな一弾が飛来し、腕や足、胴体、頭部を吹き飛ばす。
呆気にとられてしまうリオンの目の前で、弾丸の雨にすら怯むことなく、なおも冷静にココが通信石越しの“彼”に告げる。
「ニーア、なにやってんのよ。こいつら、体の中の“核”を壊さないと、いつまでも蘇ってくるわ。無駄弾使わず、とっととぶっ飛ばしなさいよね」
実に堂々としたココの忠告に、通信先の彼――ニーアが「ご忠告感謝」と短く返す。そのやり取りを境に、飛来する弾丸の“軌道”に変化があった。
空を裂く弾丸は直接怪物の肉体を穿つのではなく、あえて一度、壁や天井、床といった“岩肌”にぶつかる。小さな金属製の弾はそのまま跳ね返り、怪物の肉体を死角から、より深い位置へと抉り抜く。
跳弾――まさかの攻撃にリオンが絶句するなか、“核”を砕かれたことでついに怪物も動作を停止し、ばらばらに砕け散ってしまった。
結局、リオンは壁際で二刀を構えたまま、一歩たりとも動くことができずじまいだった。群がっていた敵意が消え去るなか、ゆっくりと歩いてくるココの後ろから、もう一つの足音が駆け寄ってくる。
リオンが武器を鞘にしまったときには、目の前に『デュランダル』第7守護隊のメンバーの二人が立っていた。ココはその真っ赤な眼差しを「やれやれ」といった感じに歪め、背後から駆け寄ってきた全身に包帯を巻いた男・ニーアを睨みつける。
「やれるなら、最初からそうしなさいよね。弾だって経費で落ちるんだろうけど、そこそこ値段がするんだから」
「分かってますよぉ。なにせこっちは、ココみたいに魔力を“視る”ことができないもんでして。手探りで戦ってる分、ご勘弁を」
困ったように笑うニーアに対し、なおもココは「ふん」とつまらなそうに目を細めていた。二人のいつも通りのやり取りを前に、リオンもどこか肩の力が抜けてしまう。
「リオンさん、大丈夫ですか? 危ない所でしたね」
「あ……あ、ああ。助かったよ。さすがにあの数じゃあ、俺もヤバかったからさ」
ニーアはひとまずリオンが無事そうであることを確認し、「良かった」と嬉しそうに笑う。彼は自身の得物である長いバレルを持った“機工銃”を、ようやく腰のホルスターへと収めた。
一方、ココも杖を背負い直し、腕組みをしたままリオンの足首に気付く。
「なんだ、怪我してるんじゃない。私らが来なけりゃあ今頃、冗談抜きにお陀仏だったかもね」
「そ、そうだな……けれど、運良く合流出来てほっとしたよ」
「運なんかじゃあない。私たちがあんたの“反応”を辿って、助けに来てやったのよ。感謝しなさいよね」
ここの一言に呆けてしまうリオンだったが、彼女が指差した“腕輪”を思わず見つめてしまう。どうやら彼女は、リオンが逃げないようにと取り付けた“魔法錠”の反応を探知し、ここまでやってきたようだ。
ココの言葉遣いはなんとも高圧的だったが、それ以上に彼女が行使する“魔法”の数々にリオンは素直に感服してしまう。したたかな少女の姿にため息をついてしまうリオンだったが、ニーアの真剣な一言で我に返った。
「驚きましたよ。外で待機していたら、いきなり洞窟のなかが黒い“靄”みたいなもので覆われたんです。かと思えば、あの怪物が現れて、手当たり次第にアジトの人々を襲いだしちゃって……」
「そのようだな……どれもこれも、あの教祖――タタラってやつのせいなんだ。どういうつもりか知らないが、やっぱりあの野郎、はなから“義賊連合”と真っ向勝負するつもりだったらしい」
リオンから状況を説明され、ココも「ふぅん」とどこか納得の声を上げる。
「なるほど、ね。そのタタラってやつ、かなりの“使い手”ってことか。アジトを襲ってるのは間違いなく、奴が召喚する“魔導生物”よ。おそらく、自動的に人間を襲うように命令が刻み込まれてる」
「なんだって? じゃあ、あのタタラを止めない限り、延々とあの化物共が湧いてくるってことか」
「そういうこと。ったく、こういう厄介事になるから、“義賊連合”なんかと絡むのは反対だったのに。やれやれだわ」
ココの物言いはなんとも無愛想だったが、一方で彼女の眼差しから真剣な色は消え去っていない。彼女もまた、『デュランダル』の一員として、現状を打破する一手を考えているのだろう。
鋭い眼差しを浮かべたまま、小さき魔導士はなおも迅速に判断を下していく。
「とにかく、このまま戦い続けても無駄に消耗するだけよ。まずは生き残りを確保しながら、隊長たちを探しましょ。ニーア、くれぐれも“弾切れ”なんて間抜けな事態だけは避けるようにね」
「分かってますって。あとで高額請求が来ないように、できるだけ省エネで頑張りますので」
言うや否や、ココは何ら臆することなく通路の奥へと歩み始めてしまう。このような事態において、即座に行動に移る彼女の豪胆さに、リオンはまたもや圧倒され言葉をのんでしまった。
だがやはり、ニーアに言葉に背を押される形で、リオンは我に返る。包帯の隙間に見えるニーアの目は笑っていたが、そこにはやはり鋭く、したたかな輝きが覗いていた。
「状況はさっぱりですが、我々としても乗り掛かった舟、です。“義賊連合”の方々も、出来る限り救出しながら進みましょう。リオンさんの腕前も、頼りにしていますからね」
思いがけない提案に動揺してしまうリオンだったが、それでもニーアから伝わってくる“熱”が彼の心を震わせていく。どれだけ混沌とした状況でも、決してぶれることのない『デュランダル』たちの意思が、混乱にからめとられようとしていたリオンの背をひっぱたいた。
なにからなにまで、理解できないことだらけだ。このアジトに起こっていることはもちろん、教祖・タタラの思惑も謎のままである。
しかし、今は余計なことには目もくれず、リオンは二人の隊員たちを追うように歩き始める。たった一つ分かることは、この場で何もしなければ、リオンらもまた混沌とした渦に巻き込まれ、二度とこの孤島から脱出できない、ということだ。
(そんなダサい終わり方は、死んでもごめんだ)
気が付いた時には、リオンもまた強い眼差しを取り戻し、薄暗い洞穴の奥を睨みつけていた。
どこか遠くから悲鳴と喧噪が響き、次なる激突の時を予感させる。三人はそれぞれの熱き思いを胸に、冷たく、湿っぽい洞穴の空気をかき分けながら前へと進み続けた。
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