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第8話 忌むべき記憶
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まだ1時間そこらしか経過していないというにもかかわらず、いつの間にか兵錬所には噂を聞きつけた隊員たちが集まり、新たな観衆となって輪に加わっていた。
その人の輪をかき分け、ようやく“女騎士”が戻ってくる。試合場のど真ん中で黙して待っていたリオンに、アテナはやはりなんら緊張などせず、明るい笑顔を浮かべた。
「お待たせ! すまんすまん、思いの外、サイズが合うものがなくてな」
言いながら、アテナは左手の“盾”を持ち上げる。先程まで、彼女は自身が愛用しているものと同様の重さ、大きさの代物を探していたようだ。
気安く語りかけられはしたが、やはりリオンはこれまで同様に自然体で返すことができない。彼はどこかぶすっとした表情のまま、「そうかい」と端的に返す。
そんなリオンに構うことなく、やはりアテナは意気揚々と、大きな声で言ってのけた。
「それじゃあ、始めるとするかな。誰か、審判をお願いできないだろうか?」
周囲の隊員に問いかけるアテナだったが、あいにく、すぐさま名乗り出る者はいない。誰も彼も、これから始まる試合の重大さが分かっているからこそ、安易に声を上げることができないのだ。
『デュランダル』の精鋭部隊を率いる隊長が、連れてきた“義賊”と試合をする――前代未聞のこの状況に、さしもの隊員たちも完全に委縮してしまっていた。
しばらく周囲を見渡していたアテナだったが、不意に対面に立つリオンが声を上げる。
「別に、審判なんざいらないだろう。どっちかがぶっ倒れたら終わり――それでいいんじゃあないか?」
彼の一言で、明らかに周囲の観衆は動揺した。しかし一方で、アテナは「おお」となぜか嬉しそうに目を見開く。
「それはいいな! 実にシンプルで、分かりやすい! よしよし、そうしよう。その方がお互い、思い切りやれそうだな」
彼女がなおも嬉しそうに笑う理由が、リオンにはさっぱり理解できなかった。だが、リオンとしてももうこれ以上、無駄口を叩くつもりなどない。
“義賊”は二刀を逆手に持ったまま、黙って構えを作る。腰を落とし、膝をたわませるリオンを前に、アテナはなおもどこか嬉しそうに微笑んだまま、「よしっ」と声を上げた。
アテナもわずかに腰を落とし、剣と盾を持ち上げる。鋼鉄の直剣と盾を携えたその姿は、あの日――リオンが“敗北”を喫した、あの夜とまるで同じ姿だった。
過去の忌々しい記憶が蘇り、リオンは歯噛みしてしまう。奥歯を強く噛みしめたまま、肉体の内側から沸き上がる負の感情を、なんら隠すことなく肉体へと流し込んだ。
審判すらいない試合場のど真ん中で、“義賊”と“女騎士”は対峙する。目の前に立つ凛としたアテナの姿に、リオンはついに感情を爆発させた。
負けるわけにはいかない。ましてや、“騎士”なんていう存在に。
これ以上、俺の――人生を遮ろうとするな。
瞬間、音もたてずにリオンが跳んでいた。その初動を見極められた者はごくわずかで、大抵の隊員は彼の体が瞬間移動したのではと、錯覚してしまう。
気が付いた時には、「キィン」という甲高い音が群衆の鼓膜を揺らしていた。目の前の光景に、周囲を取り囲む隊員たちが息をのむ。
リオンがいつの間にかアテナの至近距離に到達し、右の短剣を薙ぎ払っていた。だが、首筋目掛けて放たれたそれを、アテナは悠々と盾を持ち上げ受け止めている。
リオンはすぐさま盾を蹴り飛ばし、距離を取った。その爪先が着地するや否や、彼はまたもや前へと高速移動し、左の短剣で薙ぎ払う。向かってきた右からの一刀を、アテナは今度は剣によって受け止める。
瞬く間に、超高速の“攻防”が始まってしまった。
リオンは急停止、急加速を繰り返し、ただひたすら、凄まじい速度でアテナ目掛けて襲い掛かる。左右の短剣を駆り、あらゆる軌道から女騎士の急所という急所を襲った。
一方で、アテナはその場から一歩も動かず、向かってくる斬撃をすべて受け止めていく。剣と盾を巧みに操り、リオンが放つ刃を着実に打ち返していった。
無数の火花が空間を染め上げ、かろうじて二人の攻防を周囲の群衆に認識させる。鉄と鉄がぶつかり合う音が幾重にも連なり、途切れることなく試合場の空気を震わせ続けた。
誰も彼もが、目の前の光景に唖然としてしまう。リオンの肉体が生み出す速度もさることながら、それに堂々と対応してしまうアテナの立ち振る舞いにも、ただただ息をのんでしまった。
かくいうリオンもおびただしい量の汗を浮かべ、肉体を加速させながら歯噛みしてしまう。すぐ目の前に見える“彼女”の表情に、どうしようもない焦燥感が湧き上がってきた。
女騎士は汗一つかいていない。それどころか彼女はなおも――笑っているのだ。
「く――っそお!!」
苛立ちを押し殺すように叫び、リオンは肉体をひねる。全体重を預けた渾身の薙ぎ払いも、アテナの盾を弾くことすらできず、堂々と押し返されてしまった。
20を超える斬撃を終え、ようやくリオンは停止する。二刀を構え、深く、大きく呼吸を繰り返していた。溢れ出る汗をぬぐうことすらせず、彼は目の前にいるアテナを睨みつける。
一方、アテナはやはりまるで取り乱すことなく、剣と盾を持ち上げたまま平然と笑っていた。
「いやぁ、やはりすごいな、君は。これほどの速度と精度の斬撃を使いこなせる人間など『デュランダル』にもそういないぞ」
「そりゃ、どうも。さっきから受けてばっかで、余裕綽々って感じだな?」
皮肉のつもりで投げかけた言葉だったが、一方でアテナはなぜか痛快な笑い声をあげた。そのいつも通りの姿がリオンには癪だったが、それでも彼女はどこか無垢な表情のままこちらを見つめている。
「そんなことはないさ。せっかくだから、まずはじっくりと君の力を受け止めてみたかったんだ。ここからはもちろん、私も“攻め”させてもらうさ」
言いながら、アテナは右手の直剣をわずかに引く。リオンは何気なく「そうかよ」と返すが、言葉が終わる前に再び加速してみせた。
唐突に再開してしまった攻防に、群衆がわあと沸く。そんな耳障りな声を振り払うように、リオンは雨あられのように斬撃を叩きこみ続けた。
とはいえ、そのどれもこれもが“ダミー”でしかない。
リオンは攻めたてながら、一方でしっかりとアテナの様子をうかがっている。盾で攻撃を受け止める女騎士の視線、呼吸、四肢の動きを注意深く観察していた。
しばらくして、すぐにリオンが待ち望んだ瞬間が訪れる。リオンの右の一刀が弾かれた瞬間、アテナが体重移動をするのが見て取れた。
来る――リオンは加速を止め、今度は照準をアテナの右手へと移した。リオンの予測通り、アテナはついに手にした剣で仕掛けてきたのである。
その一撃を見据え、リオンは万全の体勢で受け入れる。向かってくる一撃を“パリング”で捌き、交差的に放った一撃でアテナの首筋を狙うつもりだった。
鍛え上げたリオンの動体視力は、向かってくる刃の切っ先を冷静に捉える。先程相手にした大男・ロゴスがそうであったように、この程度の芸当はリオンにとってはさほど難しいことでもないのだ。
まずは一撃を受け止めるべく、リオンは左の短剣を向かってくるアテナの刃へと向けた。このまま斬撃に“合流”し、力を込めることでその軌道を変えるつもりだった。
しかし、リオンの視界のなかでアテナの刃が“急加速”する。突然の事態に息をのみつつ、それでもリオンはなんとか短剣を跳ね上げた。
小さな刃の切っ先は、しっかりと向かってくる剣と交わる。しかし、リオンは力を込めた瞬間、腕へと伝わってきた“異質”な感覚に唖然としてしまった。
跳ねのけれない――リオンは急遽、上体を反らすことで刃の直撃を避ける。アテナが放った斬撃はリオンの体を捉え損ねたが、ごおという音と共にすぐ目の前の大気を割ってみせた。
周囲の群衆には、リオンの“パリング”が成功したように見えたのだろう。だが、当の本人であるリオンは、すぐそばを通過した刃の凄まじい“圧”を体感し、冷や汗を流してしまった。
体勢を崩しながら、それでもリオンは卓越したバランス感覚で耐え、すぐさまアテナの次の一手を悟る。女騎士は薙ぎ払った一刀の勢いをそのままに、今度は上から下に、大きく斬り込んできた。
リオンは後方に高く跳び、かろうじて振り下ろされた一撃を避けてみせる。宙返りする彼の姿に観衆は大きく沸いたが、すぐさま響いた「ズドン」という重い音と地響きで、誰しもが言葉を失う。
リオンも着地し、目の前に広がっていた光景に呼吸を止めてしまった。
アテナの振り下ろした剣が地面に落ち、大地を文字通り“裂いていた”。地面の土が衝撃によって深々とえぐれ、そこら中にばらまかれている。
もはやそれは斬撃などという生温いものではなかった。
先程、リオンが相手取った大男・ロゴスの駆る長剣のそれより遥かに重々しい一撃を、アテナはこともあろうに片手で悠々と放ってみせたのである。
化け物――そんな一言を振り払うように、リオンは自身の肉体を前に送り込んだ。逆手に握りしめた短剣を加速させ、全身全霊をもってアテナの首筋を狙う。
本来なら、女騎士が刃を持ち上げる前に、リオンの短剣が命中していたのだろう。だが、アテナはまるで読み切っていたかのように、すぐさま向かってくるリオンを迎撃してみせた。
振り上げられた“盾”が、下からリオンの体を叩く。
瞬間、鈍い音と共に大気が揺れ、突風が兵錬所を駆け抜けた。
リオンは細身だが、それでも成人男性である。そのリオンの肉体が、アテナが片手で放った“盾”の衝撃によって、易々と宙に打ちあがってしまう。叩きこまれた一撃がリオンの肺にたまっていた空気を無理矢理押し出し、全身の力を霧散させてしまった。
宙を舞う“義賊”の姿に、周囲で見守る隊員たちはもはや声すら上げられない。一方、リオンは痛みと浮遊感に包まれたまま、高速で流れる視界のなかで思いを巡らせていた。
呼吸ができないことで、うまく頭が回らない。だがそれでも、心の奥底に宿った強烈な“思い”が、本能となってその華奢な肉体を突き動かす。
リオンは歯を食いしばり、まばたき一つせずに全身を駆動させた。空中で体をひねり、わざと回転を加速させることで、頭でなく爪先から地面に着地してみせる。
その予想外の展開に観衆が息をのむなか、対峙するアテナは「おお」と嬉しそうに笑みを浮かべた。
そんな女騎士の凛とした姿目掛けて、リオンの体内に眠っていた感情が炸裂する。
俺を見て、笑うな――瞬間、リオンは無意識で右手の短剣の“持ち方”を変えていた。これまでの逆手ではなく、刃を前に向けた“順手”でしっかりと柄を握りしめる。
そのわずかな変化を、やはり対峙しているアテナだけが悟っていた。大きく一歩を踏み出したリオンの喉元から、おびただしい熱と共に咆哮が漏れる。
「――オオオオオ!!」
まるでそれは、“獣”の雄叫びであった。超高速でリオンの肉体が前に押し込まれ、二つの刃が無秩序な軌道で走る。
その斬撃の数々を、なおもアテナは“盾”で受け止めていく。しかし、鋼越しに伝わってくるある“感触”に、アテナは初めて目を見開いていた。
これまでよりも明らかに“重い”その一撃に、ついにアテナがわずかに後退する。その一瞬の隙を、リオンは本能から掴み取っていた。
しゃおん――と、右手の短剣が跳ねる。アテナはなんとか首を反らしてかわしたが、刃を持たぬ短剣の切っ先が彼女の金髪を数本、切断して宙にばらまいた。
試合場を包む熱が、その質を変えてしまう。
歯を食いしばり、敵意をむき出しにする“義賊”と、それを嬉々として迎え入れようとする“女騎士”。
再び二人が前に出た瞬間、もう一つの“影”が試合場のど真ん中へと飛び込んでくる。
リオンの短剣と、アテナの直剣がぶつかった。だが、甲高い鋼の音のなかに、もう一つ別の音色が混ざったことに、誰しもがすぐに気づく。
突如、目の前に現れた“彼女”の姿に、リオンは「あっ」と我に返り、アテナは「おお」と嬉しそうに微笑んだ。
リオンとアテナの刃に自身の得物――“刀”の鞘を挟み込んだまま、狐型の獣人・カンナはにっこりと笑う。
「はい、そこまでぇ。お二人共、落ち着いとぉくれやす」
思わぬ乱入者の姿に、ようやく周囲を取り囲んでいた隊員たちから戸惑いの声が上がる。どよめく輪の中心で、リオンはしばらく刃を突き出したまま、身動きが取れなくなってしまった。
一方、先に事態に気付いたアテナが、自ら剣を引き戻す。彼女は構えを解き、「はっはっはぁ!」と嬉しそうに肩を揺らして笑った。
「いやぁ、すまんすまん! つい、熱くなりすぎていたなぁ。カンナ、恩に着るよ。あのままだと、止め時が分からなくなっていたところだ」
いつもの波長を取り戻したアテナに、カンナも「ええ、ええ」と刀を下ろしながら頷く。一方で、リオンも短剣を下ろしはしたものの、どこか腑に落ちない様子でアテナを睨みつけてしまう。
「止め時って……別に俺は、まだやってもいいんだぜ?」
「そのやる気は嬉しいが、あくまでここは兵錬所だ。我々はなにも“殺し合い”をするつもりで、ここに来ているわけではないからな!」
すごんでみたリオンだが、やはり元に戻ったアテナには無意味であったらしい。あっさりと流された挙句、一方的に“試合”を終わらせられてしまう。
そんな二人に、突如、周囲から無数の拍手が降り注ぐ。見ればこれまで一部始終を見守っていた隊員たちが、皆一様に手を叩き、リオンたちを賞賛していた。
その乾いた音色の数々が、リオンのなかに湧き上がった憤りを霧散させてしまう。どうにもバツが悪かったが、それでも彼は「ふん」とため息を漏らし、二刀を腰の鞘に戻した。
数々の騒動を経て、ようやく隊員たちは各々の“合同練習”へと戻っていく。だが、いまだに彼らのなかには試合の熱が残っているようで、そこかしこから先程の戦いに関する話題が聞こえてきた。
そんな兵錬所の隅に用意されたテントの下に座り、リオンはようやく一息をつく。終始、調子を狂わされてばかりの自分が、なんとも情けなく思えてしまった。
どこかがっくりとうなだれるリオンだったが、“女騎士”の変わらぬはつらつとした声に顔を上げてしまう。
「やあ、おつかれ! 先程は突然、すまなかったな。ロゴスとの一戦だけでなく、とことん君に付き合わせてしまった」
見れば、いつのまにかすぐ隣にアテナが立っていた。彼女はどこか嬉しそうにリオンを見つめていたが、あいにく、いまいち笑顔で返す気にはなれない。リオンは視線をそらしながら、なおも不機嫌に応対してしまう。
「別に……結局、あんたの圧勝って感じだったしな」
「そんなことはないぞ。私だって、内心ひやひやしていたんだ。一瞬でも気を抜いたら、本当に首筋を掻っ切られてしまいそうだったよ」
リオンはちらりとアテナを見上げたが、彼女はなおも肩を揺らして笑っている。つくづく、なにがそこまで楽しいのか、いまいちその思うところが理解できない。
ふてくされ視線を落としたリオンだったが、アテナの放った一言にどうしても反応せざるをえなかった。
「それに、ああでもしなければ、君の気が済まなかっただろうからな。君を怒らせてしまったのは私だから、少しでも責任を取りたかったんだ」
無意識に顔を上げると、こちらを見下ろすアテナと視線がぶつかった。彼女の澄んだ青い瞳を覗き込んだまま、リオンは眉をひそめてしまう。
「あんた……だからあえて、試合を仕掛けたのかよ?」
「ああ。私にも深くは分からないが、恐らく、ロゴスとの試合後の私の発言が、君のなかの“なにか”に触れてしまったのだろうな。私との試合の最後に放ったあれ――あの斬撃も、そんな気持ちから繰り出した、珠玉の一撃だったのだろう?」
なにからなにまで見透かされていたことに、改めてリオンは全身の力が抜けてしまう。尋問室のときの彼女がそうであったように、アテナはなおもリオンが抱え込んでいた感情や想い、その奥で渦巻く“影”すらもしっかりとその眼に捉えていた。
心の奥底まで不意に踏み込まれたことで、リオンはしばらく言葉に迷う。だがなぜだか、不思議と不快には思わない。“義賊”は地べたに座り込んだまま、困ったように後ろ頭をかき、揺らいでいる自身の心をゆっくりと整理していった。
冷静さを取り戻したリオンは、ようやく引き抜いた心の刃をしまい込み、これまでと変わらないトーンで“女騎士”に返していく。
「おおよそ、あんたが見抜いている通りさ。けれど、なにもあんたに対して苛立ってたわけじゃあない。なんていうか、その――“騎士”って存在に、ちょっとした因縁があってな」
リオンの一言にアテナは「ふむ」と頷き、そしておもむろに彼の隣に腰を下ろした。突然、目線を合わせられたことで戸惑ってしまうリオンだったが、彼女は青い瞳でこちらを見つめ、まっすぐ告げる。
「それは、よほど深い因縁なのだろうな。先程の一撃――刃の向こう側に滾る感情が、離れていても伝わってきたよ。きっと、君にとって相当、手痛い“なにか”がそこにはあったんだろう」
皆までは言わなかったが、アテナはきっとそのおおよそを見抜いているのだろう。彼女が持つ特有の観察眼が、リオンがひた隠しにしてきた過去を遠慮なく暴いていく。
だが、やはりその感覚がそれほど悪いものではないことに、リオンは随分と戸惑ってしまう。
相も変わらず“騎士然”としてないアテナのその気安さに、リオンは自然と、無意識に己の内に渦巻いていた感情を吐露していってしまった。
「俺も昔は――あんたらみたいな“騎士”になりたかったんだ。そのために数年前、登用試験だって受けた。こことは違う、別の都市だったけどな」
「へえ、そんな過去が! ということは、もしかしたら君もここにいる“彼ら”と肩を並べていたかもしれないんだなぁ」
言いながらアテナは、視線を兵錬所で訓練を続ける『デュランダル』の隊員たちに向けた。見れば離れた位置では、大勢の女隊員たちを相手にカンナが剣の“型”について手ほどきを与えている。
リオンも活気あふれる隊員たちの姿を眺めたまま、自身の過去を紐解いていった。
「けれど、そんな“夢”はあっけなく打ち砕かれたよ。俺は試験に落ちた。しかも後から分かったけど、それは――“八百長”だったんだ」
彼の一言で、アテナも目を丸くする。二人の視線がまたわずかに至近距離で交わった。
「八百長……つまりそれは、試験の結果が作為的だったというわけか。不正が行われていた、と?」
「ああ。実力云々じゃあなく、社会的地位の高い“貴族”なんかを優遇して、試験に合格させていたんだと。俺が試験に落ちたまさにその年に、国のガサ入れが入ったことで発覚したんだ」
気が付いた時には、リオンはどこか自虐的な乾いた笑みを浮かべていた。彼方の隊員たちを見つめていた視線が、手元へと落ちていく。
「運が悪いというか、滑稽というか――“騎士”を夢見て田舎を飛び出した一人のガキは、社会の汚い“理”ってのをその時、身をもって知ったのさ。長年、重ねてきた努力は、“生まれ”なんてものであっけなく覆された。これまで信じてきたみたいに、世界ってのは綺麗でもなけりゃ、平等にもできてない。そんな当たり前の現実は、俺の心をへし折るには十分すぎた」
微かに目を閉じると、あの日の光景がまざまざと蘇ってくる。
田舎とはまるで違う大都市の光景に心を弾ませ、緊張に包まれながら試験会場の門をくぐった。震える肉体と心を自らが蹴り飛ばし、これまで積み重ねてきたありったけを、あの日に集中させたはずだった。
そんなリオンの努力を見ている者は、はなから誰一人としていなかったのだ。彼らが選別していたのは、生まれながら決められた血筋、家系の強さ。この世界に産み落とされた際、いやがおうにも決まる“強者”としての素質、ただその一点のみだったのだ。
無論、リオン自身もそれが“たまたまだった”というのは、理解している。この世界に生きるすべての“騎士”が八百長をしているわけでもなければ、差別的思想を抱いているわけでもない。
だが、それが分かっていながらしてなお、リオンに焼き付いたどす黒い影が消えることはない。あの日からずっと、リオンの心のなかにいる“騎士”という存在は、まっとうさというものからは遠く離れた、忌むべき存在でしかないのである。
兵錬所はなおも朝日に煌々と照らし出されているが、隅に座っているリオンの周囲には仄暗い影がまとわりついていた。テントが日光を遮っている以上に、彼の肉体から染み出した負の感情が、周りの空気を重く澱ませてしまう。
喋りすぎたな――調子が狂い、どうにも自制心を失ってしまった自分を、リオンは後ろ頭を掻きむしりながら恥じる。
そんな彼のすぐ隣に座っていた“女騎士”は、やがて視線を前へと戻し、「ふむ」と声を上げた。
「そんなことがあったのだな。本当に痛ましいことだ。私も無遠慮に踏み込みすぎてしまったようだ」
「いや、いいさ。怒りに我を忘れたのは俺だからな。大体、こんなのは逆恨みと同じなんだ。あんたらはなにも、悪くないよ」
「それにしたって、私がもう少し配慮すべきだった。すまない。そして――ありがとう」
アテナが放った一言で、リオンは「えっ」と声を上げ、思わず振り向いてしまう。すぐ隣に座る彼女は同様にこちらを見つめていたが、そのまなざしにはどこか真剣な色が浮かんでいた。
これまでとは一風違った“女騎士”の強い視線に、リオンは唖然としてしまう。
「きっと、過去にあったそれは、君の生き方を変えてしまうほど大きく、辛く、悲しい出来事だったに違いない。それをこうして話してくれたんだ。君にとってもそれを口にすること自体、大きな決断だったんだろう? そこまでしてくれたこと、感謝するよ」
「いや、俺は――」
咄嗟になにかを言い返そうとしたリオンだったが、まるで言葉が浮かんでこない。改めて手元を見つめ、なぜここまで自身が遠ざけていた過去を吐露しているのか、己の心が理解できず混乱してしまう。
きっとそれは彼女と――すぐ隣で笑うこの“女騎士”と、全力で対峙したからなのだろう。
これまでリオンのなかでくすぶっていた行き場のない力を、事実、アテナは試合とはいえ、全身全霊で受け止めてくれた。それがきっかけとなり、ほんのわずかだがリオンが抱え込んでいた仄暗い感情が瓦解し、薄まってしまったのかもしれない。
つくづく、おかしな奴だ――リオンは隣に座るアテナの横顔を見つめ、ため息を漏らす。彼女は兵錬所で鍛錬を続ける隊員たちを見つめ、やはり口の端に笑みを取り戻していた。
その凛とした表情と、彼女とぶつけ合った数々の刃の感触を思い出し、リオンはどこか確信してしまう。
この世界には数多の紛い物がいる。
だがそれでも、すぐ隣に座るこの破天荒な女性は、正真正銘、本物の“騎士”なのだ、と。
また一つ、兵錬所から甲高い鉄の音が響き渡った。見れば、またもや隊員同士の模擬戦が始まり、各々が自身の力を発揮すべく刃を振るっている。
火花を散らす隊員たちを、テントの下でリオンとアテナは眺めていた。
兵錬所に渦巻く熱気は、駆け抜けた朝の冷たい風によって遠くへと奪い去られてしまう。
目の前で己の力を研ぎ澄ます“騎士”たちの姿に、リオンは肩の力を抜き、なおも大きなため息をつくほかなかった。
その人の輪をかき分け、ようやく“女騎士”が戻ってくる。試合場のど真ん中で黙して待っていたリオンに、アテナはやはりなんら緊張などせず、明るい笑顔を浮かべた。
「お待たせ! すまんすまん、思いの外、サイズが合うものがなくてな」
言いながら、アテナは左手の“盾”を持ち上げる。先程まで、彼女は自身が愛用しているものと同様の重さ、大きさの代物を探していたようだ。
気安く語りかけられはしたが、やはりリオンはこれまで同様に自然体で返すことができない。彼はどこかぶすっとした表情のまま、「そうかい」と端的に返す。
そんなリオンに構うことなく、やはりアテナは意気揚々と、大きな声で言ってのけた。
「それじゃあ、始めるとするかな。誰か、審判をお願いできないだろうか?」
周囲の隊員に問いかけるアテナだったが、あいにく、すぐさま名乗り出る者はいない。誰も彼も、これから始まる試合の重大さが分かっているからこそ、安易に声を上げることができないのだ。
『デュランダル』の精鋭部隊を率いる隊長が、連れてきた“義賊”と試合をする――前代未聞のこの状況に、さしもの隊員たちも完全に委縮してしまっていた。
しばらく周囲を見渡していたアテナだったが、不意に対面に立つリオンが声を上げる。
「別に、審判なんざいらないだろう。どっちかがぶっ倒れたら終わり――それでいいんじゃあないか?」
彼の一言で、明らかに周囲の観衆は動揺した。しかし一方で、アテナは「おお」となぜか嬉しそうに目を見開く。
「それはいいな! 実にシンプルで、分かりやすい! よしよし、そうしよう。その方がお互い、思い切りやれそうだな」
彼女がなおも嬉しそうに笑う理由が、リオンにはさっぱり理解できなかった。だが、リオンとしてももうこれ以上、無駄口を叩くつもりなどない。
“義賊”は二刀を逆手に持ったまま、黙って構えを作る。腰を落とし、膝をたわませるリオンを前に、アテナはなおもどこか嬉しそうに微笑んだまま、「よしっ」と声を上げた。
アテナもわずかに腰を落とし、剣と盾を持ち上げる。鋼鉄の直剣と盾を携えたその姿は、あの日――リオンが“敗北”を喫した、あの夜とまるで同じ姿だった。
過去の忌々しい記憶が蘇り、リオンは歯噛みしてしまう。奥歯を強く噛みしめたまま、肉体の内側から沸き上がる負の感情を、なんら隠すことなく肉体へと流し込んだ。
審判すらいない試合場のど真ん中で、“義賊”と“女騎士”は対峙する。目の前に立つ凛としたアテナの姿に、リオンはついに感情を爆発させた。
負けるわけにはいかない。ましてや、“騎士”なんていう存在に。
これ以上、俺の――人生を遮ろうとするな。
瞬間、音もたてずにリオンが跳んでいた。その初動を見極められた者はごくわずかで、大抵の隊員は彼の体が瞬間移動したのではと、錯覚してしまう。
気が付いた時には、「キィン」という甲高い音が群衆の鼓膜を揺らしていた。目の前の光景に、周囲を取り囲む隊員たちが息をのむ。
リオンがいつの間にかアテナの至近距離に到達し、右の短剣を薙ぎ払っていた。だが、首筋目掛けて放たれたそれを、アテナは悠々と盾を持ち上げ受け止めている。
リオンはすぐさま盾を蹴り飛ばし、距離を取った。その爪先が着地するや否や、彼はまたもや前へと高速移動し、左の短剣で薙ぎ払う。向かってきた右からの一刀を、アテナは今度は剣によって受け止める。
瞬く間に、超高速の“攻防”が始まってしまった。
リオンは急停止、急加速を繰り返し、ただひたすら、凄まじい速度でアテナ目掛けて襲い掛かる。左右の短剣を駆り、あらゆる軌道から女騎士の急所という急所を襲った。
一方で、アテナはその場から一歩も動かず、向かってくる斬撃をすべて受け止めていく。剣と盾を巧みに操り、リオンが放つ刃を着実に打ち返していった。
無数の火花が空間を染め上げ、かろうじて二人の攻防を周囲の群衆に認識させる。鉄と鉄がぶつかり合う音が幾重にも連なり、途切れることなく試合場の空気を震わせ続けた。
誰も彼もが、目の前の光景に唖然としてしまう。リオンの肉体が生み出す速度もさることながら、それに堂々と対応してしまうアテナの立ち振る舞いにも、ただただ息をのんでしまった。
かくいうリオンもおびただしい量の汗を浮かべ、肉体を加速させながら歯噛みしてしまう。すぐ目の前に見える“彼女”の表情に、どうしようもない焦燥感が湧き上がってきた。
女騎士は汗一つかいていない。それどころか彼女はなおも――笑っているのだ。
「く――っそお!!」
苛立ちを押し殺すように叫び、リオンは肉体をひねる。全体重を預けた渾身の薙ぎ払いも、アテナの盾を弾くことすらできず、堂々と押し返されてしまった。
20を超える斬撃を終え、ようやくリオンは停止する。二刀を構え、深く、大きく呼吸を繰り返していた。溢れ出る汗をぬぐうことすらせず、彼は目の前にいるアテナを睨みつける。
一方、アテナはやはりまるで取り乱すことなく、剣と盾を持ち上げたまま平然と笑っていた。
「いやぁ、やはりすごいな、君は。これほどの速度と精度の斬撃を使いこなせる人間など『デュランダル』にもそういないぞ」
「そりゃ、どうも。さっきから受けてばっかで、余裕綽々って感じだな?」
皮肉のつもりで投げかけた言葉だったが、一方でアテナはなぜか痛快な笑い声をあげた。そのいつも通りの姿がリオンには癪だったが、それでも彼女はどこか無垢な表情のままこちらを見つめている。
「そんなことはないさ。せっかくだから、まずはじっくりと君の力を受け止めてみたかったんだ。ここからはもちろん、私も“攻め”させてもらうさ」
言いながら、アテナは右手の直剣をわずかに引く。リオンは何気なく「そうかよ」と返すが、言葉が終わる前に再び加速してみせた。
唐突に再開してしまった攻防に、群衆がわあと沸く。そんな耳障りな声を振り払うように、リオンは雨あられのように斬撃を叩きこみ続けた。
とはいえ、そのどれもこれもが“ダミー”でしかない。
リオンは攻めたてながら、一方でしっかりとアテナの様子をうかがっている。盾で攻撃を受け止める女騎士の視線、呼吸、四肢の動きを注意深く観察していた。
しばらくして、すぐにリオンが待ち望んだ瞬間が訪れる。リオンの右の一刀が弾かれた瞬間、アテナが体重移動をするのが見て取れた。
来る――リオンは加速を止め、今度は照準をアテナの右手へと移した。リオンの予測通り、アテナはついに手にした剣で仕掛けてきたのである。
その一撃を見据え、リオンは万全の体勢で受け入れる。向かってくる一撃を“パリング”で捌き、交差的に放った一撃でアテナの首筋を狙うつもりだった。
鍛え上げたリオンの動体視力は、向かってくる刃の切っ先を冷静に捉える。先程相手にした大男・ロゴスがそうであったように、この程度の芸当はリオンにとってはさほど難しいことでもないのだ。
まずは一撃を受け止めるべく、リオンは左の短剣を向かってくるアテナの刃へと向けた。このまま斬撃に“合流”し、力を込めることでその軌道を変えるつもりだった。
しかし、リオンの視界のなかでアテナの刃が“急加速”する。突然の事態に息をのみつつ、それでもリオンはなんとか短剣を跳ね上げた。
小さな刃の切っ先は、しっかりと向かってくる剣と交わる。しかし、リオンは力を込めた瞬間、腕へと伝わってきた“異質”な感覚に唖然としてしまった。
跳ねのけれない――リオンは急遽、上体を反らすことで刃の直撃を避ける。アテナが放った斬撃はリオンの体を捉え損ねたが、ごおという音と共にすぐ目の前の大気を割ってみせた。
周囲の群衆には、リオンの“パリング”が成功したように見えたのだろう。だが、当の本人であるリオンは、すぐそばを通過した刃の凄まじい“圧”を体感し、冷や汗を流してしまった。
体勢を崩しながら、それでもリオンは卓越したバランス感覚で耐え、すぐさまアテナの次の一手を悟る。女騎士は薙ぎ払った一刀の勢いをそのままに、今度は上から下に、大きく斬り込んできた。
リオンは後方に高く跳び、かろうじて振り下ろされた一撃を避けてみせる。宙返りする彼の姿に観衆は大きく沸いたが、すぐさま響いた「ズドン」という重い音と地響きで、誰しもが言葉を失う。
リオンも着地し、目の前に広がっていた光景に呼吸を止めてしまった。
アテナの振り下ろした剣が地面に落ち、大地を文字通り“裂いていた”。地面の土が衝撃によって深々とえぐれ、そこら中にばらまかれている。
もはやそれは斬撃などという生温いものではなかった。
先程、リオンが相手取った大男・ロゴスの駆る長剣のそれより遥かに重々しい一撃を、アテナはこともあろうに片手で悠々と放ってみせたのである。
化け物――そんな一言を振り払うように、リオンは自身の肉体を前に送り込んだ。逆手に握りしめた短剣を加速させ、全身全霊をもってアテナの首筋を狙う。
本来なら、女騎士が刃を持ち上げる前に、リオンの短剣が命中していたのだろう。だが、アテナはまるで読み切っていたかのように、すぐさま向かってくるリオンを迎撃してみせた。
振り上げられた“盾”が、下からリオンの体を叩く。
瞬間、鈍い音と共に大気が揺れ、突風が兵錬所を駆け抜けた。
リオンは細身だが、それでも成人男性である。そのリオンの肉体が、アテナが片手で放った“盾”の衝撃によって、易々と宙に打ちあがってしまう。叩きこまれた一撃がリオンの肺にたまっていた空気を無理矢理押し出し、全身の力を霧散させてしまった。
宙を舞う“義賊”の姿に、周囲で見守る隊員たちはもはや声すら上げられない。一方、リオンは痛みと浮遊感に包まれたまま、高速で流れる視界のなかで思いを巡らせていた。
呼吸ができないことで、うまく頭が回らない。だがそれでも、心の奥底に宿った強烈な“思い”が、本能となってその華奢な肉体を突き動かす。
リオンは歯を食いしばり、まばたき一つせずに全身を駆動させた。空中で体をひねり、わざと回転を加速させることで、頭でなく爪先から地面に着地してみせる。
その予想外の展開に観衆が息をのむなか、対峙するアテナは「おお」と嬉しそうに笑みを浮かべた。
そんな女騎士の凛とした姿目掛けて、リオンの体内に眠っていた感情が炸裂する。
俺を見て、笑うな――瞬間、リオンは無意識で右手の短剣の“持ち方”を変えていた。これまでの逆手ではなく、刃を前に向けた“順手”でしっかりと柄を握りしめる。
そのわずかな変化を、やはり対峙しているアテナだけが悟っていた。大きく一歩を踏み出したリオンの喉元から、おびただしい熱と共に咆哮が漏れる。
「――オオオオオ!!」
まるでそれは、“獣”の雄叫びであった。超高速でリオンの肉体が前に押し込まれ、二つの刃が無秩序な軌道で走る。
その斬撃の数々を、なおもアテナは“盾”で受け止めていく。しかし、鋼越しに伝わってくるある“感触”に、アテナは初めて目を見開いていた。
これまでよりも明らかに“重い”その一撃に、ついにアテナがわずかに後退する。その一瞬の隙を、リオンは本能から掴み取っていた。
しゃおん――と、右手の短剣が跳ねる。アテナはなんとか首を反らしてかわしたが、刃を持たぬ短剣の切っ先が彼女の金髪を数本、切断して宙にばらまいた。
試合場を包む熱が、その質を変えてしまう。
歯を食いしばり、敵意をむき出しにする“義賊”と、それを嬉々として迎え入れようとする“女騎士”。
再び二人が前に出た瞬間、もう一つの“影”が試合場のど真ん中へと飛び込んでくる。
リオンの短剣と、アテナの直剣がぶつかった。だが、甲高い鋼の音のなかに、もう一つ別の音色が混ざったことに、誰しもがすぐに気づく。
突如、目の前に現れた“彼女”の姿に、リオンは「あっ」と我に返り、アテナは「おお」と嬉しそうに微笑んだ。
リオンとアテナの刃に自身の得物――“刀”の鞘を挟み込んだまま、狐型の獣人・カンナはにっこりと笑う。
「はい、そこまでぇ。お二人共、落ち着いとぉくれやす」
思わぬ乱入者の姿に、ようやく周囲を取り囲んでいた隊員たちから戸惑いの声が上がる。どよめく輪の中心で、リオンはしばらく刃を突き出したまま、身動きが取れなくなってしまった。
一方、先に事態に気付いたアテナが、自ら剣を引き戻す。彼女は構えを解き、「はっはっはぁ!」と嬉しそうに肩を揺らして笑った。
「いやぁ、すまんすまん! つい、熱くなりすぎていたなぁ。カンナ、恩に着るよ。あのままだと、止め時が分からなくなっていたところだ」
いつもの波長を取り戻したアテナに、カンナも「ええ、ええ」と刀を下ろしながら頷く。一方で、リオンも短剣を下ろしはしたものの、どこか腑に落ちない様子でアテナを睨みつけてしまう。
「止め時って……別に俺は、まだやってもいいんだぜ?」
「そのやる気は嬉しいが、あくまでここは兵錬所だ。我々はなにも“殺し合い”をするつもりで、ここに来ているわけではないからな!」
すごんでみたリオンだが、やはり元に戻ったアテナには無意味であったらしい。あっさりと流された挙句、一方的に“試合”を終わらせられてしまう。
そんな二人に、突如、周囲から無数の拍手が降り注ぐ。見ればこれまで一部始終を見守っていた隊員たちが、皆一様に手を叩き、リオンたちを賞賛していた。
その乾いた音色の数々が、リオンのなかに湧き上がった憤りを霧散させてしまう。どうにもバツが悪かったが、それでも彼は「ふん」とため息を漏らし、二刀を腰の鞘に戻した。
数々の騒動を経て、ようやく隊員たちは各々の“合同練習”へと戻っていく。だが、いまだに彼らのなかには試合の熱が残っているようで、そこかしこから先程の戦いに関する話題が聞こえてきた。
そんな兵錬所の隅に用意されたテントの下に座り、リオンはようやく一息をつく。終始、調子を狂わされてばかりの自分が、なんとも情けなく思えてしまった。
どこかがっくりとうなだれるリオンだったが、“女騎士”の変わらぬはつらつとした声に顔を上げてしまう。
「やあ、おつかれ! 先程は突然、すまなかったな。ロゴスとの一戦だけでなく、とことん君に付き合わせてしまった」
見れば、いつのまにかすぐ隣にアテナが立っていた。彼女はどこか嬉しそうにリオンを見つめていたが、あいにく、いまいち笑顔で返す気にはなれない。リオンは視線をそらしながら、なおも不機嫌に応対してしまう。
「別に……結局、あんたの圧勝って感じだったしな」
「そんなことはないぞ。私だって、内心ひやひやしていたんだ。一瞬でも気を抜いたら、本当に首筋を掻っ切られてしまいそうだったよ」
リオンはちらりとアテナを見上げたが、彼女はなおも肩を揺らして笑っている。つくづく、なにがそこまで楽しいのか、いまいちその思うところが理解できない。
ふてくされ視線を落としたリオンだったが、アテナの放った一言にどうしても反応せざるをえなかった。
「それに、ああでもしなければ、君の気が済まなかっただろうからな。君を怒らせてしまったのは私だから、少しでも責任を取りたかったんだ」
無意識に顔を上げると、こちらを見下ろすアテナと視線がぶつかった。彼女の澄んだ青い瞳を覗き込んだまま、リオンは眉をひそめてしまう。
「あんた……だからあえて、試合を仕掛けたのかよ?」
「ああ。私にも深くは分からないが、恐らく、ロゴスとの試合後の私の発言が、君のなかの“なにか”に触れてしまったのだろうな。私との試合の最後に放ったあれ――あの斬撃も、そんな気持ちから繰り出した、珠玉の一撃だったのだろう?」
なにからなにまで見透かされていたことに、改めてリオンは全身の力が抜けてしまう。尋問室のときの彼女がそうであったように、アテナはなおもリオンが抱え込んでいた感情や想い、その奥で渦巻く“影”すらもしっかりとその眼に捉えていた。
心の奥底まで不意に踏み込まれたことで、リオンはしばらく言葉に迷う。だがなぜだか、不思議と不快には思わない。“義賊”は地べたに座り込んだまま、困ったように後ろ頭をかき、揺らいでいる自身の心をゆっくりと整理していった。
冷静さを取り戻したリオンは、ようやく引き抜いた心の刃をしまい込み、これまでと変わらないトーンで“女騎士”に返していく。
「おおよそ、あんたが見抜いている通りさ。けれど、なにもあんたに対して苛立ってたわけじゃあない。なんていうか、その――“騎士”って存在に、ちょっとした因縁があってな」
リオンの一言にアテナは「ふむ」と頷き、そしておもむろに彼の隣に腰を下ろした。突然、目線を合わせられたことで戸惑ってしまうリオンだったが、彼女は青い瞳でこちらを見つめ、まっすぐ告げる。
「それは、よほど深い因縁なのだろうな。先程の一撃――刃の向こう側に滾る感情が、離れていても伝わってきたよ。きっと、君にとって相当、手痛い“なにか”がそこにはあったんだろう」
皆までは言わなかったが、アテナはきっとそのおおよそを見抜いているのだろう。彼女が持つ特有の観察眼が、リオンがひた隠しにしてきた過去を遠慮なく暴いていく。
だが、やはりその感覚がそれほど悪いものではないことに、リオンは随分と戸惑ってしまう。
相も変わらず“騎士然”としてないアテナのその気安さに、リオンは自然と、無意識に己の内に渦巻いていた感情を吐露していってしまった。
「俺も昔は――あんたらみたいな“騎士”になりたかったんだ。そのために数年前、登用試験だって受けた。こことは違う、別の都市だったけどな」
「へえ、そんな過去が! ということは、もしかしたら君もここにいる“彼ら”と肩を並べていたかもしれないんだなぁ」
言いながらアテナは、視線を兵錬所で訓練を続ける『デュランダル』の隊員たちに向けた。見れば離れた位置では、大勢の女隊員たちを相手にカンナが剣の“型”について手ほどきを与えている。
リオンも活気あふれる隊員たちの姿を眺めたまま、自身の過去を紐解いていった。
「けれど、そんな“夢”はあっけなく打ち砕かれたよ。俺は試験に落ちた。しかも後から分かったけど、それは――“八百長”だったんだ」
彼の一言で、アテナも目を丸くする。二人の視線がまたわずかに至近距離で交わった。
「八百長……つまりそれは、試験の結果が作為的だったというわけか。不正が行われていた、と?」
「ああ。実力云々じゃあなく、社会的地位の高い“貴族”なんかを優遇して、試験に合格させていたんだと。俺が試験に落ちたまさにその年に、国のガサ入れが入ったことで発覚したんだ」
気が付いた時には、リオンはどこか自虐的な乾いた笑みを浮かべていた。彼方の隊員たちを見つめていた視線が、手元へと落ちていく。
「運が悪いというか、滑稽というか――“騎士”を夢見て田舎を飛び出した一人のガキは、社会の汚い“理”ってのをその時、身をもって知ったのさ。長年、重ねてきた努力は、“生まれ”なんてものであっけなく覆された。これまで信じてきたみたいに、世界ってのは綺麗でもなけりゃ、平等にもできてない。そんな当たり前の現実は、俺の心をへし折るには十分すぎた」
微かに目を閉じると、あの日の光景がまざまざと蘇ってくる。
田舎とはまるで違う大都市の光景に心を弾ませ、緊張に包まれながら試験会場の門をくぐった。震える肉体と心を自らが蹴り飛ばし、これまで積み重ねてきたありったけを、あの日に集中させたはずだった。
そんなリオンの努力を見ている者は、はなから誰一人としていなかったのだ。彼らが選別していたのは、生まれながら決められた血筋、家系の強さ。この世界に産み落とされた際、いやがおうにも決まる“強者”としての素質、ただその一点のみだったのだ。
無論、リオン自身もそれが“たまたまだった”というのは、理解している。この世界に生きるすべての“騎士”が八百長をしているわけでもなければ、差別的思想を抱いているわけでもない。
だが、それが分かっていながらしてなお、リオンに焼き付いたどす黒い影が消えることはない。あの日からずっと、リオンの心のなかにいる“騎士”という存在は、まっとうさというものからは遠く離れた、忌むべき存在でしかないのである。
兵錬所はなおも朝日に煌々と照らし出されているが、隅に座っているリオンの周囲には仄暗い影がまとわりついていた。テントが日光を遮っている以上に、彼の肉体から染み出した負の感情が、周りの空気を重く澱ませてしまう。
喋りすぎたな――調子が狂い、どうにも自制心を失ってしまった自分を、リオンは後ろ頭を掻きむしりながら恥じる。
そんな彼のすぐ隣に座っていた“女騎士”は、やがて視線を前へと戻し、「ふむ」と声を上げた。
「そんなことがあったのだな。本当に痛ましいことだ。私も無遠慮に踏み込みすぎてしまったようだ」
「いや、いいさ。怒りに我を忘れたのは俺だからな。大体、こんなのは逆恨みと同じなんだ。あんたらはなにも、悪くないよ」
「それにしたって、私がもう少し配慮すべきだった。すまない。そして――ありがとう」
アテナが放った一言で、リオンは「えっ」と声を上げ、思わず振り向いてしまう。すぐ隣に座る彼女は同様にこちらを見つめていたが、そのまなざしにはどこか真剣な色が浮かんでいた。
これまでとは一風違った“女騎士”の強い視線に、リオンは唖然としてしまう。
「きっと、過去にあったそれは、君の生き方を変えてしまうほど大きく、辛く、悲しい出来事だったに違いない。それをこうして話してくれたんだ。君にとってもそれを口にすること自体、大きな決断だったんだろう? そこまでしてくれたこと、感謝するよ」
「いや、俺は――」
咄嗟になにかを言い返そうとしたリオンだったが、まるで言葉が浮かんでこない。改めて手元を見つめ、なぜここまで自身が遠ざけていた過去を吐露しているのか、己の心が理解できず混乱してしまう。
きっとそれは彼女と――すぐ隣で笑うこの“女騎士”と、全力で対峙したからなのだろう。
これまでリオンのなかでくすぶっていた行き場のない力を、事実、アテナは試合とはいえ、全身全霊で受け止めてくれた。それがきっかけとなり、ほんのわずかだがリオンが抱え込んでいた仄暗い感情が瓦解し、薄まってしまったのかもしれない。
つくづく、おかしな奴だ――リオンは隣に座るアテナの横顔を見つめ、ため息を漏らす。彼女は兵錬所で鍛錬を続ける隊員たちを見つめ、やはり口の端に笑みを取り戻していた。
その凛とした表情と、彼女とぶつけ合った数々の刃の感触を思い出し、リオンはどこか確信してしまう。
この世界には数多の紛い物がいる。
だがそれでも、すぐ隣に座るこの破天荒な女性は、正真正銘、本物の“騎士”なのだ、と。
また一つ、兵錬所から甲高い鉄の音が響き渡った。見れば、またもや隊員同士の模擬戦が始まり、各々が自身の力を発揮すべく刃を振るっている。
火花を散らす隊員たちを、テントの下でリオンとアテナは眺めていた。
兵錬所に渦巻く熱気は、駆け抜けた朝の冷たい風によって遠くへと奪い去られてしまう。
目の前で己の力を研ぎ澄ます“騎士”たちの姿に、リオンは肩の力を抜き、なおも大きなため息をつくほかなかった。
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