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第4話 第7守護隊
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渡り廊下で兵練から帰還する一団とすれ違ったが、通り過ぎる兵たちは皆、実に複雑な表情を浮かべていた。先頭を行くアテナに誰も彼もが敬礼をするのだが、彼女のすぐ後ろを行く手枷をつけたままの“義賊”の姿に、意表を突かれてしまうのだろう。
無理もない。青いサーコートと軽鎧を身にまとった女騎士の後ろを、手枷で束縛されたままのみすぼらしい男が一人、連行されているのである。すれ違う人間はもちろん、遠巻きにこちらを見る者たちの視線が殊更、当の“義賊”にとっては煩わしかった。
そんなリオンの心中を察したかのように、目の前を行く女騎士・アテナが笑う。
「すまないな。どうも皆、君のことが気になるらしい。突然の決定だったせいで、まだ部隊内に君のことを周知できていないんだよ」
「ああ、そう……まるで、そういう刑罰なのかと思ったよ。晒し者として楽しんでくれてるなら、なによりだ。もっとみすぼらしく、しょげかえっていたほうがいいかい?」
実に刺々しく、うんざりとした波長で嫌味を投げかけたリオンだったが、やはりアテナはどこか無邪気に、痛快に笑い声をあげる。
「そう卑屈にならないでくれ。きっと皆も、巷で噂の“義賊”の素顔に驚いているんだよ。私だって、まさかここまで若い人物だとは思わなかったんだ。そういえば君、歳はいくつなんだ?」
「え……24だけど」
「なんだ、私と同い歳じゃあないか! 若いとは思っていたが、まさかそこまでとは思わなかったよ」
なぜか嬉しそうに笑う彼女の顔を見ていると、どうにも調子が狂ってしまう。尋問室の時と同様、リオンは今現在、自分が置かれている状況と目の前の女性の態度のギャップを、すんなりと受け入れることができない。
リオンが捕らわれ、移動しているのは間違いなく城塞都市・ハルムートを管轄する守護兵団・『デュランダル』の本拠地の中だ。切り出し、研磨された石を組み合わせ作られた巨大な建物がいくつも連なり、その隙間を縫うように青々とした芝生や植木が彩を添えている。
幾何学的な美しさを持つアーチ型の天井は、真っ白な石膏で装飾されており、光が射し込むことで清らかな輝きを放っていた。大理石の柱が廊下に並び、その柱頭には繊細な彫刻が施され、神聖な空気をさらに際立たせている。
兵士の詰所というより、その様相はまさに“神殿”のそれだ。絨毯を張り巡らせた長い廊下の壁には、歴代の英雄たちと思われる肖像画が等間隔に置かれている。壁に掛けられた剣や槍の横には、『デュランダル』の兵士たちが貫いているであろう規律や教訓が、美しい文字として刻印され掲げられていた。
リオンは黙々と歩を進めながら、胸の奥に広がる荘厳な感覚に圧倒されてしまう。この場所がただの豪華な建物などではなく、長い歴史と誇りが凝縮された象徴であることが、石の冷たさと共に伝わってくる。ここで過ごした猛者たちの思い出が、どこからともなく響いてくるような気がした。
その上でやはり、気が付けばリオンの意識は目の前を歩くアテナへと向けられてしまう。先程、同い年と言ったからには、彼女もまた24歳という若さで『デュランダル』第7守護隊の隊長という座に就いていることになる。
リオンとて『デュランダル』の内情に詳しいわけではないのだが、数ある精鋭部隊の長の一人がここまで若い女性だなどと思いもしなかった。
なにより、騎士としての凛とした姿と、喋ったときの無邪気で子供っぽい立ち振る舞いには奇妙なズレを感じざるをえない。
なんとも複雑な心境のまま、リオンはようやく目的地へとたどり着く。アテナに続いて部屋に入り、目の前の光景に一瞬、足を止めてしまった。
一言で言えばそれは、広々とした“作戦室”のように見える。部屋の中央に巨大な木製のテーブルが置かれ、いくつかの椅子が等間隔に配置されていた。壁際には大きなコルクボードが立てかけられ、資料がいくつもピン止めされている。
だが、反対側の壁際には調理器具や皿類を並べたガラス棚が置かれていたりと、いまいち統一感がない。まるで騎士たちの詰所のその中に、無理矢理に生活空間を混ぜ合わせてしまったような、無秩序さを感じてしまった。
広々とした部屋の中で、一人の女性がすでに椅子に腰かけていた。彼女はこちらを見るや否や、柔らかな笑顔を浮かべて声を上げる。
「あら、隊長はん。おかえりやす」
その独特の波長に、リオンは目を丸くしてしまった。アテナは「やあ」と嬉しそうに応対しているが、一方でリオンは椅子に腰かけたまま微笑んでいる“彼女”をまじまじと観察してしまう。
なんとも独特の衣装に身を包んだ女性だが、リオンはそれが東方の国で流通している“着物”と呼ばれるものだと知り得ていた。裾の長い茜色のそれは実に鮮やかで、着こなしている彼女の肉体のラインを所々で強調している。
だが、見慣れない衣服の造詣以上に、それを身に纏う女性の容姿そのものにも驚かされてしまう。
全身にうっすらと生えそろった薄茶色の体毛、人間のそれとは異なった尖った口先と鼻。薄桃色の髪の毛の隙間から覗く耳は、顔の横ではなく頭の真上にピンと突き立っていた。
獣人――しかも、一目見ただけで“狐”型の亜人であることが理解できる。彼女は少し垂れた、どこかおっとりとした眼差しでリオンを見つめ、「あらぁ」と声を上げた。
「そちらの方が、例の義賊はんどすか。噂には聞いてたけど、えらいお若いんどすなぁ」
囁くような声に加え、なんとも独特の“訛り”を交えて話す女性だ。呆気に取られてしまうリオンだが、一方でアテナは平然と彼女に応えてみせる。
「そのとおり! さっき聞いたんだが、私と同い年らしいぞ」
「あらまぁ。どうりでかわいらしいお顔をされてる思た」
言いながら、彼女はすくと立ち上がってみせた。“狐”と同様の尖った耳と、背後に回っていたふさふさとした尻尾が揺れる。立つとかなりの長身で、リオンを見下ろしながらも彼女はぺこりと頭を下げた。
「はじめまして。『デュランダル』第7部隊の副隊長を務めさしていただいとる、カンナと申します。以後、お見知りおきを」
丁寧な“自己紹介”に、やはりリオンは唖然とするほかない。戸惑うリオンに変わってアテナが彼の名を告げ、それを受けてまた一つ、着物姿の獣人・カンナは笑った。
「そういうたら隊長はん、さっきフランはんが探してましたわぁ。ちょい今度の遠征について、相談したいことがあるらしゅうてね」
「なに、フランが? 一体全体、何事だろうか」
「さあねぇ。ただ、帰り次第伝えといてとは言われたんで。第4部隊の詰所にいる言うてましたけど」
カンナからの言伝を受け、しばしアテナは「うむぅ」と悩んでいたが、彼女はすぐに決断してしまう。女騎士は相変わらず快活な笑顔のまま、堂々とカンナに告げた。
「すまんが、ちょっと行ってくる。その間、こちらのリオンのことを任せられるか」
まさかの申し出に、「ええ?」と声を上げてしまったのはリオンだった。だが一方で、それを受けたカンナは「はいはい」と柔らかに頷く。わけが分からないリオンに、アテナは振り返りながらどこか困ったように笑っていた。
「悪い、ちょっとした野暮用でな。すぐに戻るんで、しばらくゆっくりしていてくれ」
「は……いや、ゆっくりって、あんた――」
「大丈夫、大丈夫。そう緊張しなくても、なにも取って食うわけでもないのだからな」
そういうことじゃあなくて――とリオンが返す前に、アテナは「では!」と手を掲げ、そそくさと退出してしまった。
その奔放すぎる立ち振る舞いに唖然とするほかないリオンだったが、背後でクスクスと笑うカンナの声に振り向いてしまう。
「不思議な方やろう? 初めて会う人は大抵、そないな反応されるさかいね」
「え……い、いやぁ、その……」
「まぁ、隊長はんが言うとったように、そう緊張しいひんでもよろしい。あの人が帰ってくるまで、お茶でも飲んでゆっくりしまひょ」
リオンの反応すら待たず、カンナはゆらりと立ち上がり壁際へと歩いていく。彼女は棚から陶器製のポットを取り出し、“茶”の準備を始めてしまった。
カンナが魔鉱石製の“火打石”で暖炉の薪を軽く叩くと、瞬く間に茜色の炎がぼっと音を立てて燃え上がる。
そのあまりにも緊張感のない振る舞いに立ち尽くしてしまうリオンだったが、カンナがちらりとこちらを振り返り「さあさあ、座って座って」とうながす。すっかりと緊張の糸が緩んでしまい、彼も手枷をはめたまま目の前の椅子に腰を下ろした。
しばらく調理台に向き合うカンナの背中を見ていたリオンだったが、ここでまたある一つの事実に気付く。茶葉を取り出したり、ポットを火にくべたりとカンナが動くたび、彼女が身にまとった着物の左袖だけがどうにも不自然に揺れている。
(左腕が、ないのか――)
目の前でマイペースに振舞う彼女が“隻腕”だという事実に、リオンはどこか息をのんでしまった。
わずかにひるんでしまったリオンではあったが、彼の目はすぐさま二人きりになった部屋の内部の様子を素早く観察していく。
壁にはそれぞれ窓が用意されているが、それらはいずれも閉め切られており、擦りガラスの向こうから昼前の陽光が差し込んでいる。部屋の出入口は一つだけで、リオンたちが先程入ってきたドア以外の道はない。
無表情で黙ったまま、リオンは瞬く間にここから“脱出”するための算段を組み上げていく。この場にいるのは“隻腕”の女性隊員だけで、しかも彼女は出入口とは逆側で背を向けているのだ。
ドアから一気に飛び出し、先程通ってきた廊下を駆け抜け、中庭までを一気に突破。ここに来るまでに見えた庭園に身を潜めながら、どうにか詰所を取り囲む大きな外壁を潜り抜ければ、外へと逃げ出すことができるはずである。
鍵開けの道具を調達するか、あるいは下水道などに潜り込んでルートを確保するか。
入り口のドアを見つめたままプランを練るリオンだったが、そんな彼の背にカンナの一言が刺さる。
これまでとはまるで違う――どこか“おぞましい”波長で。
「――やめといたほうがええで、そんなんは」
冷たく、研ぎ澄まされた“つらら”のようなものが、リオンの肉体を貫いたようだった。呼吸が止まり、まばたき一つできない。ただ自身の奥底で脈打つ鼓動だけが、制御を失い大きく乱れていくのが分かった。
ゆっくり、静かに彼は振り返る。気が付いた時には、机を挟んで対面にいつの間にかカンナが戻ってきていた。
音一つ――否、気配すら感じることができなかった。彼女は静かにカップを置き、そこに淹れたての茶を注いでいく。
湯気を挟んだその向こう側で、カンナは口を大きく歪めて笑った。目を細め、獣人特有の“牙”を覗かせながら。
「せっかくこうしてお話しできるのに、けったいな事したらうちも動くしかあらへんさかいな。あんただって、“斬られる”のんは痛いし、嫌やろう?」
斬られる――その一言でリオンは我に返り、ようやく彼女が椅子の横に立てかけている、一本の“得物”の存在に気付いた。
黒く細い鞘に納められたそれは、まるでカンナに寄り添うかのように鎮座している。騎士が使う直剣などではない。わずかに反れた刀身部と、鮮やかな刺繍を施された柄や鍔を見て、リオンは悟る。
それはやはり、遥か東の国の戦士たちが使うことで有名な、“刀”と呼ばれる武器だ。鉈の重さと剃刀の切れ味を兼ね備えた、技量そのものが切れ味を生む恐ろしい武器だと聞いている。
リオンはしばし、先程身を貫いたあの冷たく、研ぎ澄まされた感覚を黙ったまま反芻してしまっていた。彼の全身からようやく、じんわりと汗が湧き上がってくる。指一本でも動かせば、なにか重大な事が起こってしまうのではと、慎重にならざるをえない。
そんなリオンの緊張を、やはり目の前に座るカンナが茶を差し出しながらほぐしてくれた。
「そないに怖がらんでもええどすえ。じっとしとったら、うちだって暴れたりしまへんさかいな」
ことりと音を立てて、リオンのすぐ目の前にカップが置かれる。陶器製のそれには薄緑色の液体が注がれていたが、とてもすぐに手を伸ばす気にはなれない。
リオンはごくりと生唾を飲み込み、喉を潤す。二つの湯気を挟み、ようやく目の前に座る彼女目掛けて言葉を投げかけることができた。
「その格好に、武器――あんた、東の国の出身か?」
「ええ、そうどす。もうえらい前になるんかね。こちらの大陸に渡ってきたのは」
「なんでまた、こんな所に……東の国っていうと、絢爛豪華で優雅な生活を送ってるって聞くけど?」
「そらまぁ、人に寄るなぁ。地域によってもえらいちゃいますさかい。うちの場合、毎日毎日、剣の稽古ばっかりで華もなんもあらしまへん」
カンナはくすくすと笑った後、自身の茶を口にした。彼女のその様子を見ていると、茶になにか仕込まれているというわけでもないらしい。
分かった途端、リオンもより一層、喉が渇いてきてしまう。これまでまともなものを口にしていなかったというのもあるが、それ以上に先程のあの凄まじい“気配”のせいで、肉体の奥底に残っていた水分が一気に汗となって絞りあげられてしまった。
手枷がついたままなのでどこかぎこちなかったが、それでもリオンは目の前に置かれたカップを手に取り、ゆっくりと口へ運ぶ。どこか青々とした爽やかな香りに続き、微かに含んだだけで口の中に独特の渋みが広がった。
初めての味だったが、胃と喉を中心に一気に肉体が熱を帯び、意識まで覚醒してしまう。妙に気持ちが落ち着いてしまい、思考がクリアになった。
リオンの変化を肌で感じ取ったのか、カンナはどこか嬉しそうに笑ったまま、自然体で語りかけてくる。
「うちはいわゆる武者修行で、こっちに来たんどす。あてものうぶらぶらしとったら、たまたまさっきの隊長はんに出会いましてな」
「武者修行……随分と物好きなことだな」
「生まれてこの方、“剣”くらいしか取り柄があらしまへんさかい」
カンナは茶に軽く口をつけ、けらけらと笑った。彼女の柔らかな雰囲気に加え、その独特の間の取り方や笑いどころが、リオンの調子を狂わせ続けている。彼はなんとか脱出について思考を巡らせようとしたが、すぐに緊張の糸を緩まされてしまった。
「うちも成り行きでこないな場所にいてはるけど、ほんでも後悔はしてまへん。ここでは色々とおもろいことが起こるんでな。あんたみたいな、“義賊”なんかにも会えたわけどすし」
「成り行き、ねぇ。なんだか『デュランダル』ってのはつくづく、思い描いていた組織とは少し違うみたいだな」
「よう言われますえ。特にうちの部隊は『でゅらんだる』の中でもとりわけ、“色物”が多い――ってね」
独特の発音はもちろん、“色物”という単語がしっくりきすぎて、リオンも苦笑してしまった。思いがけず脳裏に浮かんだのは、先程、この部屋を出ていったばかりのあの“女騎士”の姿である。
「特にあの隊長さん――アテナ、だっけか――随分と“変わり者”だな。俺みたいなコソ泥の言うことを、あっさりと信じちまうんだからさ」
「うちも最初は、アテナはんを見てえらいけったいな人やな思たわぁ。そやけど、今ではあの人のことは信頼してます。そやさかいきっと、あんたはほんまに“富豪殺し”なんてやってへんのやろうなぁ」
「おいおい。あんたまで、信じちまうのかよ? その……俺が嘘つきで、極悪人だったらどうするつもりだ?」
「そら、えらいこわおすなぁ。うちみたいなか弱い女じゃあ、どないかされてまいそうどす」
意地悪な質問を投げかけたつもりのリオンだったが、まるで動じることなく飄々とカンナは返してしまう。アテナもアテナだが、目の前に座るこの獣人の女性も十分に“変わり者”なのだと痛感してしまった。
「そやけど心配あらしまへん。隊長はんがああ言うんやったら、間違いはあらへんどす。あの人はいつも、物事の“芯”を見てる――それだけは確かなことやさかい」
あまりにもあっさりと言ってのけるカンナを見て、リオンは「はあ」と肩の力が抜けてしまう。だが、目の前でにこにこと語る彼女を見ていると、それが本心なのだということが本能で理解できてしまった。
つくづく、あのアテナという女騎士のことが分からない。今のリオンにとってみれば、彼女は若くして精鋭部隊の隊長という座に就いた、ただ底抜けに“お人好し”な女性にしか見えないのだ。
(能天気な馬鹿なのか。あるいは……)
そこまで思考を巡らせたリオンの背後で、ノックすらせずに勢いよく扉が開く。件の“女騎士”が、意気揚々と部屋のなかに戻ってきた。
「ただいま! いやあ、すまんすまん。思いの外、長引いてしまった」
相変わらずはきはきと喋りながら、彼女は机の脇までやってくる。快活な笑みを浮かべている部隊長・アテナに、カンナも「おやぁ」と柔らかに笑った。
「フランはんには会えたんどすか?」
「ああ。ちょっとした相談だったんだが、“彼”のことを話すと興味津々でな。今度是非、話を聞いてみたいと言っていたよ」
言いながら、アテナがその凛としたまなざしをリオンに向ける。思わず「え、俺ぇ?」と目を丸くするリオンだったが、カンナはどこか意地悪に「それはそれは」と笑った。
リオンにとっては、知らないところでどんどんと自身の存在が知れ渡ってしまっているのが、不可解でならなかった。このままだと『デュランダル』の全隊員に、彼のことが認知されてしまうのも時間の問題だろう。
(やっぱり、早く逃げ出さないと……)
気持ちを切り替え、脱出の算段を立てようとしたリオンだったが、構うことなくアテナも椅子に腰かける。カンナは彼女の分の茶を入れるため、再び暖炉へと向き合った。
「やはり皆、君の素性や経歴を知りたがっていた。なにせ、巷を賑わしている“義賊”というだけでなく、“富豪殺し”解決の糸口にもなる存在だからな」
「そう……け、けれど、悪いけど本当に俺は何も知らないんだよ。その“富豪殺し”ってのも無関係で、こっちだって巻き込まれた側なんだ。そんな俺がいたところで、解決の役に立つかどうかなんて――」
「それはもちろんだ。けれど、君はあの日たしかに、例の富豪――たしか、ザンビアと言ったか――彼が殺害された現場にいたし、その他の殺された富豪たちの館にも盗みに入っている。君自身が知り得ないところで、もしかしたらなにか事件と繋がってしまっているかもしれないだろう?」
アテナの言葉はどれも推測の域を出なかったが、それを強く否定することができなかった。彼女に言われて、リオンは改めて自身が巻き込まれている現状を振り返ってしまう。
リオンは確かに、富豪たちの豪邸に忍び込み、彼らが蓄えた“汚い金”を盗み出していた。しかし、誓って富豪を傷付けてなどいない。ましてやこれまで、リオンは豪邸に忍び込んだ際、その姿を衛兵や住人に見つかってすらいないのだ。
無関係だと思う一方で、やはり奇妙な“偶然”が続いているのも事実である。
『デュランダル』の調べ上げた内容が事実ならば、リオンが盗みに入った富豪たちは皆、謎の死を遂げているのだ。はたから見れば、“盗み”と“殺人”を同一人物が行ったと考えてもおかしくはないのかもしれない。
カンナが新たな茶を淹れ、席に戻ってくる。アテナは差し出されたカップを「ありがとう」と受け取り、勢いよく口をつけた。
しかし、すぐさま「あっつ!」と声を上げ、ふうふうと大きな音を立てて冷まし始めてしまう。
(子供か……)
とリオンが心の中で突っ込むも、彼女は無理矢理に話題を前に進めた。
「改めてだが、君にもぜひ我々と協力して“真犯人”を捜してほしいのだ。なにせ我々『デュランダル』は、兵としてのノウハウはあっても、“盗賊”としての知見はこれっぽっちも持ち合わせていないからな。やはりその手の“専門家”に教えを請いたいんだよ」
「教えを請うって――あんた、それでいいのか? “騎士”が“盗人”に助けてもらうなんて、前代未聞だぞ」
驚くリオンを前に、やはりアテナは動じることなどなく、ただ嬉しそうに「たしかにな」と笑って見せた。相も変わらずその笑顔はひたすらにまぶしかったが、そうやって笑っていられる理由がいまいち理解できない。
混乱するリオンに対し、再び席に着きなおしたカンナが助け舟を出してくれた。
「そんなんも含めて、うちらは“変わり者”の集まりどすさかい。こんなん考えるの、隊長はんくらいしかいてはらへんよ」
目を細めて笑うカンナの隣で、アテナは殊更大きく笑ってみせた。
「機会があった部隊長たちにも伝えているんだが、皆、『正気か』と驚いていたよ。特に君を尋問していた彼――エーギルは、あれから不機嫌極まりないんだ。まぁ、彼は大体いつもああだから、あまり気にする必要はないんだがな」
アテナの一言で、リオンは思わず尋問室で相対していた男・エーギルの顔を思い浮かべてしまった。最後の最後まで怒鳴り散らしていた姿から、彼が納得などしていないということは容易に想像できてしまう。
「けれど、私は自分の考えを曲げる気などさらさらないんだ。色々な思想はあれど、皆、“富豪殺し”の犯人を突き止めたいという思いは一緒なのだからな」
「そのために、俺を利用したいってことか。やれやれ、つくづくとんでもない所にお縄になっちまったもんだよ」
「そう腐らないでくれ。協力者としてはもちろん、君自身にも非常に興味があるんだ。なぜ、“義賊”を続けているのか。どうして、富豪たちだけから盗むのか――君の気持ちが固まってからでいい。そんな話も聞かせてもらえたら、とても嬉しいと思っている」
あえてアテナは、強く追及することはしなかった。彼女は嬉しそうに笑いながら、再び手元にあったカップを口元に近付ける。恐る恐る唇で触れ、ちょうど良い温度であることを確かめながらようやく、茶を口にすることができた。
その姿を前に、改めてリオンは肩の力が抜けてしまう。と同時に、アテナという女性から伝わる、あまりにも規格外の感情に身を任せる他なかった。
精鋭部隊を束ねる実力者でありながら、どこか無邪気で子供っぽく、常識外れも甚だしい彼女から、それでも混じりっ気のない不思議な“輝き”が伝わってくる。
凛として強く、鋼のような堅牢さを兼ね備え、しかしそれでいて柔らかく、暖かい。
何もかもがあべこべなその“女騎士”の姿を前に、もはやリオンは逃亡を図ろうとする意識すら薄れてしまっていた。枷はなおも両手を縛っていたが、それでも彼はたまらず目の前のカップを手に取り、不思議な渋みの茶で喉を潤す。
微かに揺れる湯気の向こうで、やはり“彼女”は笑っている。白い歯を見せてこちらを見つめるその青い瞳の中には、相も変わらず呆気にとられ、うろたえ続ける自分の情けない姿が映りこんでしまっていた。
無理もない。青いサーコートと軽鎧を身にまとった女騎士の後ろを、手枷で束縛されたままのみすぼらしい男が一人、連行されているのである。すれ違う人間はもちろん、遠巻きにこちらを見る者たちの視線が殊更、当の“義賊”にとっては煩わしかった。
そんなリオンの心中を察したかのように、目の前を行く女騎士・アテナが笑う。
「すまないな。どうも皆、君のことが気になるらしい。突然の決定だったせいで、まだ部隊内に君のことを周知できていないんだよ」
「ああ、そう……まるで、そういう刑罰なのかと思ったよ。晒し者として楽しんでくれてるなら、なによりだ。もっとみすぼらしく、しょげかえっていたほうがいいかい?」
実に刺々しく、うんざりとした波長で嫌味を投げかけたリオンだったが、やはりアテナはどこか無邪気に、痛快に笑い声をあげる。
「そう卑屈にならないでくれ。きっと皆も、巷で噂の“義賊”の素顔に驚いているんだよ。私だって、まさかここまで若い人物だとは思わなかったんだ。そういえば君、歳はいくつなんだ?」
「え……24だけど」
「なんだ、私と同い歳じゃあないか! 若いとは思っていたが、まさかそこまでとは思わなかったよ」
なぜか嬉しそうに笑う彼女の顔を見ていると、どうにも調子が狂ってしまう。尋問室の時と同様、リオンは今現在、自分が置かれている状況と目の前の女性の態度のギャップを、すんなりと受け入れることができない。
リオンが捕らわれ、移動しているのは間違いなく城塞都市・ハルムートを管轄する守護兵団・『デュランダル』の本拠地の中だ。切り出し、研磨された石を組み合わせ作られた巨大な建物がいくつも連なり、その隙間を縫うように青々とした芝生や植木が彩を添えている。
幾何学的な美しさを持つアーチ型の天井は、真っ白な石膏で装飾されており、光が射し込むことで清らかな輝きを放っていた。大理石の柱が廊下に並び、その柱頭には繊細な彫刻が施され、神聖な空気をさらに際立たせている。
兵士の詰所というより、その様相はまさに“神殿”のそれだ。絨毯を張り巡らせた長い廊下の壁には、歴代の英雄たちと思われる肖像画が等間隔に置かれている。壁に掛けられた剣や槍の横には、『デュランダル』の兵士たちが貫いているであろう規律や教訓が、美しい文字として刻印され掲げられていた。
リオンは黙々と歩を進めながら、胸の奥に広がる荘厳な感覚に圧倒されてしまう。この場所がただの豪華な建物などではなく、長い歴史と誇りが凝縮された象徴であることが、石の冷たさと共に伝わってくる。ここで過ごした猛者たちの思い出が、どこからともなく響いてくるような気がした。
その上でやはり、気が付けばリオンの意識は目の前を歩くアテナへと向けられてしまう。先程、同い年と言ったからには、彼女もまた24歳という若さで『デュランダル』第7守護隊の隊長という座に就いていることになる。
リオンとて『デュランダル』の内情に詳しいわけではないのだが、数ある精鋭部隊の長の一人がここまで若い女性だなどと思いもしなかった。
なにより、騎士としての凛とした姿と、喋ったときの無邪気で子供っぽい立ち振る舞いには奇妙なズレを感じざるをえない。
なんとも複雑な心境のまま、リオンはようやく目的地へとたどり着く。アテナに続いて部屋に入り、目の前の光景に一瞬、足を止めてしまった。
一言で言えばそれは、広々とした“作戦室”のように見える。部屋の中央に巨大な木製のテーブルが置かれ、いくつかの椅子が等間隔に配置されていた。壁際には大きなコルクボードが立てかけられ、資料がいくつもピン止めされている。
だが、反対側の壁際には調理器具や皿類を並べたガラス棚が置かれていたりと、いまいち統一感がない。まるで騎士たちの詰所のその中に、無理矢理に生活空間を混ぜ合わせてしまったような、無秩序さを感じてしまった。
広々とした部屋の中で、一人の女性がすでに椅子に腰かけていた。彼女はこちらを見るや否や、柔らかな笑顔を浮かべて声を上げる。
「あら、隊長はん。おかえりやす」
その独特の波長に、リオンは目を丸くしてしまった。アテナは「やあ」と嬉しそうに応対しているが、一方でリオンは椅子に腰かけたまま微笑んでいる“彼女”をまじまじと観察してしまう。
なんとも独特の衣装に身を包んだ女性だが、リオンはそれが東方の国で流通している“着物”と呼ばれるものだと知り得ていた。裾の長い茜色のそれは実に鮮やかで、着こなしている彼女の肉体のラインを所々で強調している。
だが、見慣れない衣服の造詣以上に、それを身に纏う女性の容姿そのものにも驚かされてしまう。
全身にうっすらと生えそろった薄茶色の体毛、人間のそれとは異なった尖った口先と鼻。薄桃色の髪の毛の隙間から覗く耳は、顔の横ではなく頭の真上にピンと突き立っていた。
獣人――しかも、一目見ただけで“狐”型の亜人であることが理解できる。彼女は少し垂れた、どこかおっとりとした眼差しでリオンを見つめ、「あらぁ」と声を上げた。
「そちらの方が、例の義賊はんどすか。噂には聞いてたけど、えらいお若いんどすなぁ」
囁くような声に加え、なんとも独特の“訛り”を交えて話す女性だ。呆気に取られてしまうリオンだが、一方でアテナは平然と彼女に応えてみせる。
「そのとおり! さっき聞いたんだが、私と同い年らしいぞ」
「あらまぁ。どうりでかわいらしいお顔をされてる思た」
言いながら、彼女はすくと立ち上がってみせた。“狐”と同様の尖った耳と、背後に回っていたふさふさとした尻尾が揺れる。立つとかなりの長身で、リオンを見下ろしながらも彼女はぺこりと頭を下げた。
「はじめまして。『デュランダル』第7部隊の副隊長を務めさしていただいとる、カンナと申します。以後、お見知りおきを」
丁寧な“自己紹介”に、やはりリオンは唖然とするほかない。戸惑うリオンに変わってアテナが彼の名を告げ、それを受けてまた一つ、着物姿の獣人・カンナは笑った。
「そういうたら隊長はん、さっきフランはんが探してましたわぁ。ちょい今度の遠征について、相談したいことがあるらしゅうてね」
「なに、フランが? 一体全体、何事だろうか」
「さあねぇ。ただ、帰り次第伝えといてとは言われたんで。第4部隊の詰所にいる言うてましたけど」
カンナからの言伝を受け、しばしアテナは「うむぅ」と悩んでいたが、彼女はすぐに決断してしまう。女騎士は相変わらず快活な笑顔のまま、堂々とカンナに告げた。
「すまんが、ちょっと行ってくる。その間、こちらのリオンのことを任せられるか」
まさかの申し出に、「ええ?」と声を上げてしまったのはリオンだった。だが一方で、それを受けたカンナは「はいはい」と柔らかに頷く。わけが分からないリオンに、アテナは振り返りながらどこか困ったように笑っていた。
「悪い、ちょっとした野暮用でな。すぐに戻るんで、しばらくゆっくりしていてくれ」
「は……いや、ゆっくりって、あんた――」
「大丈夫、大丈夫。そう緊張しなくても、なにも取って食うわけでもないのだからな」
そういうことじゃあなくて――とリオンが返す前に、アテナは「では!」と手を掲げ、そそくさと退出してしまった。
その奔放すぎる立ち振る舞いに唖然とするほかないリオンだったが、背後でクスクスと笑うカンナの声に振り向いてしまう。
「不思議な方やろう? 初めて会う人は大抵、そないな反応されるさかいね」
「え……い、いやぁ、その……」
「まぁ、隊長はんが言うとったように、そう緊張しいひんでもよろしい。あの人が帰ってくるまで、お茶でも飲んでゆっくりしまひょ」
リオンの反応すら待たず、カンナはゆらりと立ち上がり壁際へと歩いていく。彼女は棚から陶器製のポットを取り出し、“茶”の準備を始めてしまった。
カンナが魔鉱石製の“火打石”で暖炉の薪を軽く叩くと、瞬く間に茜色の炎がぼっと音を立てて燃え上がる。
そのあまりにも緊張感のない振る舞いに立ち尽くしてしまうリオンだったが、カンナがちらりとこちらを振り返り「さあさあ、座って座って」とうながす。すっかりと緊張の糸が緩んでしまい、彼も手枷をはめたまま目の前の椅子に腰を下ろした。
しばらく調理台に向き合うカンナの背中を見ていたリオンだったが、ここでまたある一つの事実に気付く。茶葉を取り出したり、ポットを火にくべたりとカンナが動くたび、彼女が身にまとった着物の左袖だけがどうにも不自然に揺れている。
(左腕が、ないのか――)
目の前でマイペースに振舞う彼女が“隻腕”だという事実に、リオンはどこか息をのんでしまった。
わずかにひるんでしまったリオンではあったが、彼の目はすぐさま二人きりになった部屋の内部の様子を素早く観察していく。
壁にはそれぞれ窓が用意されているが、それらはいずれも閉め切られており、擦りガラスの向こうから昼前の陽光が差し込んでいる。部屋の出入口は一つだけで、リオンたちが先程入ってきたドア以外の道はない。
無表情で黙ったまま、リオンは瞬く間にここから“脱出”するための算段を組み上げていく。この場にいるのは“隻腕”の女性隊員だけで、しかも彼女は出入口とは逆側で背を向けているのだ。
ドアから一気に飛び出し、先程通ってきた廊下を駆け抜け、中庭までを一気に突破。ここに来るまでに見えた庭園に身を潜めながら、どうにか詰所を取り囲む大きな外壁を潜り抜ければ、外へと逃げ出すことができるはずである。
鍵開けの道具を調達するか、あるいは下水道などに潜り込んでルートを確保するか。
入り口のドアを見つめたままプランを練るリオンだったが、そんな彼の背にカンナの一言が刺さる。
これまでとはまるで違う――どこか“おぞましい”波長で。
「――やめといたほうがええで、そんなんは」
冷たく、研ぎ澄まされた“つらら”のようなものが、リオンの肉体を貫いたようだった。呼吸が止まり、まばたき一つできない。ただ自身の奥底で脈打つ鼓動だけが、制御を失い大きく乱れていくのが分かった。
ゆっくり、静かに彼は振り返る。気が付いた時には、机を挟んで対面にいつの間にかカンナが戻ってきていた。
音一つ――否、気配すら感じることができなかった。彼女は静かにカップを置き、そこに淹れたての茶を注いでいく。
湯気を挟んだその向こう側で、カンナは口を大きく歪めて笑った。目を細め、獣人特有の“牙”を覗かせながら。
「せっかくこうしてお話しできるのに、けったいな事したらうちも動くしかあらへんさかいな。あんただって、“斬られる”のんは痛いし、嫌やろう?」
斬られる――その一言でリオンは我に返り、ようやく彼女が椅子の横に立てかけている、一本の“得物”の存在に気付いた。
黒く細い鞘に納められたそれは、まるでカンナに寄り添うかのように鎮座している。騎士が使う直剣などではない。わずかに反れた刀身部と、鮮やかな刺繍を施された柄や鍔を見て、リオンは悟る。
それはやはり、遥か東の国の戦士たちが使うことで有名な、“刀”と呼ばれる武器だ。鉈の重さと剃刀の切れ味を兼ね備えた、技量そのものが切れ味を生む恐ろしい武器だと聞いている。
リオンはしばし、先程身を貫いたあの冷たく、研ぎ澄まされた感覚を黙ったまま反芻してしまっていた。彼の全身からようやく、じんわりと汗が湧き上がってくる。指一本でも動かせば、なにか重大な事が起こってしまうのではと、慎重にならざるをえない。
そんなリオンの緊張を、やはり目の前に座るカンナが茶を差し出しながらほぐしてくれた。
「そないに怖がらんでもええどすえ。じっとしとったら、うちだって暴れたりしまへんさかいな」
ことりと音を立てて、リオンのすぐ目の前にカップが置かれる。陶器製のそれには薄緑色の液体が注がれていたが、とてもすぐに手を伸ばす気にはなれない。
リオンはごくりと生唾を飲み込み、喉を潤す。二つの湯気を挟み、ようやく目の前に座る彼女目掛けて言葉を投げかけることができた。
「その格好に、武器――あんた、東の国の出身か?」
「ええ、そうどす。もうえらい前になるんかね。こちらの大陸に渡ってきたのは」
「なんでまた、こんな所に……東の国っていうと、絢爛豪華で優雅な生活を送ってるって聞くけど?」
「そらまぁ、人に寄るなぁ。地域によってもえらいちゃいますさかい。うちの場合、毎日毎日、剣の稽古ばっかりで華もなんもあらしまへん」
カンナはくすくすと笑った後、自身の茶を口にした。彼女のその様子を見ていると、茶になにか仕込まれているというわけでもないらしい。
分かった途端、リオンもより一層、喉が渇いてきてしまう。これまでまともなものを口にしていなかったというのもあるが、それ以上に先程のあの凄まじい“気配”のせいで、肉体の奥底に残っていた水分が一気に汗となって絞りあげられてしまった。
手枷がついたままなのでどこかぎこちなかったが、それでもリオンは目の前に置かれたカップを手に取り、ゆっくりと口へ運ぶ。どこか青々とした爽やかな香りに続き、微かに含んだだけで口の中に独特の渋みが広がった。
初めての味だったが、胃と喉を中心に一気に肉体が熱を帯び、意識まで覚醒してしまう。妙に気持ちが落ち着いてしまい、思考がクリアになった。
リオンの変化を肌で感じ取ったのか、カンナはどこか嬉しそうに笑ったまま、自然体で語りかけてくる。
「うちはいわゆる武者修行で、こっちに来たんどす。あてものうぶらぶらしとったら、たまたまさっきの隊長はんに出会いましてな」
「武者修行……随分と物好きなことだな」
「生まれてこの方、“剣”くらいしか取り柄があらしまへんさかい」
カンナは茶に軽く口をつけ、けらけらと笑った。彼女の柔らかな雰囲気に加え、その独特の間の取り方や笑いどころが、リオンの調子を狂わせ続けている。彼はなんとか脱出について思考を巡らせようとしたが、すぐに緊張の糸を緩まされてしまった。
「うちも成り行きでこないな場所にいてはるけど、ほんでも後悔はしてまへん。ここでは色々とおもろいことが起こるんでな。あんたみたいな、“義賊”なんかにも会えたわけどすし」
「成り行き、ねぇ。なんだか『デュランダル』ってのはつくづく、思い描いていた組織とは少し違うみたいだな」
「よう言われますえ。特にうちの部隊は『でゅらんだる』の中でもとりわけ、“色物”が多い――ってね」
独特の発音はもちろん、“色物”という単語がしっくりきすぎて、リオンも苦笑してしまった。思いがけず脳裏に浮かんだのは、先程、この部屋を出ていったばかりのあの“女騎士”の姿である。
「特にあの隊長さん――アテナ、だっけか――随分と“変わり者”だな。俺みたいなコソ泥の言うことを、あっさりと信じちまうんだからさ」
「うちも最初は、アテナはんを見てえらいけったいな人やな思たわぁ。そやけど、今ではあの人のことは信頼してます。そやさかいきっと、あんたはほんまに“富豪殺し”なんてやってへんのやろうなぁ」
「おいおい。あんたまで、信じちまうのかよ? その……俺が嘘つきで、極悪人だったらどうするつもりだ?」
「そら、えらいこわおすなぁ。うちみたいなか弱い女じゃあ、どないかされてまいそうどす」
意地悪な質問を投げかけたつもりのリオンだったが、まるで動じることなく飄々とカンナは返してしまう。アテナもアテナだが、目の前に座るこの獣人の女性も十分に“変わり者”なのだと痛感してしまった。
「そやけど心配あらしまへん。隊長はんがああ言うんやったら、間違いはあらへんどす。あの人はいつも、物事の“芯”を見てる――それだけは確かなことやさかい」
あまりにもあっさりと言ってのけるカンナを見て、リオンは「はあ」と肩の力が抜けてしまう。だが、目の前でにこにこと語る彼女を見ていると、それが本心なのだということが本能で理解できてしまった。
つくづく、あのアテナという女騎士のことが分からない。今のリオンにとってみれば、彼女は若くして精鋭部隊の隊長という座に就いた、ただ底抜けに“お人好し”な女性にしか見えないのだ。
(能天気な馬鹿なのか。あるいは……)
そこまで思考を巡らせたリオンの背後で、ノックすらせずに勢いよく扉が開く。件の“女騎士”が、意気揚々と部屋のなかに戻ってきた。
「ただいま! いやあ、すまんすまん。思いの外、長引いてしまった」
相変わらずはきはきと喋りながら、彼女は机の脇までやってくる。快活な笑みを浮かべている部隊長・アテナに、カンナも「おやぁ」と柔らかに笑った。
「フランはんには会えたんどすか?」
「ああ。ちょっとした相談だったんだが、“彼”のことを話すと興味津々でな。今度是非、話を聞いてみたいと言っていたよ」
言いながら、アテナがその凛としたまなざしをリオンに向ける。思わず「え、俺ぇ?」と目を丸くするリオンだったが、カンナはどこか意地悪に「それはそれは」と笑った。
リオンにとっては、知らないところでどんどんと自身の存在が知れ渡ってしまっているのが、不可解でならなかった。このままだと『デュランダル』の全隊員に、彼のことが認知されてしまうのも時間の問題だろう。
(やっぱり、早く逃げ出さないと……)
気持ちを切り替え、脱出の算段を立てようとしたリオンだったが、構うことなくアテナも椅子に腰かける。カンナは彼女の分の茶を入れるため、再び暖炉へと向き合った。
「やはり皆、君の素性や経歴を知りたがっていた。なにせ、巷を賑わしている“義賊”というだけでなく、“富豪殺し”解決の糸口にもなる存在だからな」
「そう……け、けれど、悪いけど本当に俺は何も知らないんだよ。その“富豪殺し”ってのも無関係で、こっちだって巻き込まれた側なんだ。そんな俺がいたところで、解決の役に立つかどうかなんて――」
「それはもちろんだ。けれど、君はあの日たしかに、例の富豪――たしか、ザンビアと言ったか――彼が殺害された現場にいたし、その他の殺された富豪たちの館にも盗みに入っている。君自身が知り得ないところで、もしかしたらなにか事件と繋がってしまっているかもしれないだろう?」
アテナの言葉はどれも推測の域を出なかったが、それを強く否定することができなかった。彼女に言われて、リオンは改めて自身が巻き込まれている現状を振り返ってしまう。
リオンは確かに、富豪たちの豪邸に忍び込み、彼らが蓄えた“汚い金”を盗み出していた。しかし、誓って富豪を傷付けてなどいない。ましてやこれまで、リオンは豪邸に忍び込んだ際、その姿を衛兵や住人に見つかってすらいないのだ。
無関係だと思う一方で、やはり奇妙な“偶然”が続いているのも事実である。
『デュランダル』の調べ上げた内容が事実ならば、リオンが盗みに入った富豪たちは皆、謎の死を遂げているのだ。はたから見れば、“盗み”と“殺人”を同一人物が行ったと考えてもおかしくはないのかもしれない。
カンナが新たな茶を淹れ、席に戻ってくる。アテナは差し出されたカップを「ありがとう」と受け取り、勢いよく口をつけた。
しかし、すぐさま「あっつ!」と声を上げ、ふうふうと大きな音を立てて冷まし始めてしまう。
(子供か……)
とリオンが心の中で突っ込むも、彼女は無理矢理に話題を前に進めた。
「改めてだが、君にもぜひ我々と協力して“真犯人”を捜してほしいのだ。なにせ我々『デュランダル』は、兵としてのノウハウはあっても、“盗賊”としての知見はこれっぽっちも持ち合わせていないからな。やはりその手の“専門家”に教えを請いたいんだよ」
「教えを請うって――あんた、それでいいのか? “騎士”が“盗人”に助けてもらうなんて、前代未聞だぞ」
驚くリオンを前に、やはりアテナは動じることなどなく、ただ嬉しそうに「たしかにな」と笑って見せた。相も変わらずその笑顔はひたすらにまぶしかったが、そうやって笑っていられる理由がいまいち理解できない。
混乱するリオンに対し、再び席に着きなおしたカンナが助け舟を出してくれた。
「そんなんも含めて、うちらは“変わり者”の集まりどすさかい。こんなん考えるの、隊長はんくらいしかいてはらへんよ」
目を細めて笑うカンナの隣で、アテナは殊更大きく笑ってみせた。
「機会があった部隊長たちにも伝えているんだが、皆、『正気か』と驚いていたよ。特に君を尋問していた彼――エーギルは、あれから不機嫌極まりないんだ。まぁ、彼は大体いつもああだから、あまり気にする必要はないんだがな」
アテナの一言で、リオンは思わず尋問室で相対していた男・エーギルの顔を思い浮かべてしまった。最後の最後まで怒鳴り散らしていた姿から、彼が納得などしていないということは容易に想像できてしまう。
「けれど、私は自分の考えを曲げる気などさらさらないんだ。色々な思想はあれど、皆、“富豪殺し”の犯人を突き止めたいという思いは一緒なのだからな」
「そのために、俺を利用したいってことか。やれやれ、つくづくとんでもない所にお縄になっちまったもんだよ」
「そう腐らないでくれ。協力者としてはもちろん、君自身にも非常に興味があるんだ。なぜ、“義賊”を続けているのか。どうして、富豪たちだけから盗むのか――君の気持ちが固まってからでいい。そんな話も聞かせてもらえたら、とても嬉しいと思っている」
あえてアテナは、強く追及することはしなかった。彼女は嬉しそうに笑いながら、再び手元にあったカップを口元に近付ける。恐る恐る唇で触れ、ちょうど良い温度であることを確かめながらようやく、茶を口にすることができた。
その姿を前に、改めてリオンは肩の力が抜けてしまう。と同時に、アテナという女性から伝わる、あまりにも規格外の感情に身を任せる他なかった。
精鋭部隊を束ねる実力者でありながら、どこか無邪気で子供っぽく、常識外れも甚だしい彼女から、それでも混じりっ気のない不思議な“輝き”が伝わってくる。
凛として強く、鋼のような堅牢さを兼ね備え、しかしそれでいて柔らかく、暖かい。
何もかもがあべこべなその“女騎士”の姿を前に、もはやリオンは逃亡を図ろうとする意識すら薄れてしまっていた。枷はなおも両手を縛っていたが、それでも彼はたまらず目の前のカップを手に取り、不思議な渋みの茶で喉を潤す。
微かに揺れる湯気の向こうで、やはり“彼女”は笑っている。白い歯を見せてこちらを見つめるその青い瞳の中には、相も変わらず呆気にとられ、うろたえ続ける自分の情けない姿が映りこんでしまっていた。
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