デュランダル・ハーツ

創也慎介

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第1話 闇夜を駆る“義賊”

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 大きな荷物を載せた馬車が到着すると、入り口の上に飾った木彫りの看板がぐらりと揺れた。看板の表面に刻まれた「黒羊亭」の文字は昼下がりの太陽を受け、鈍く輝いている。

 行商が中に入るとウェイトレスの「いらっしゃいませぇ」という間延びした挨拶が響いたが、客でないと気付くや否や、すぐに厨房にいる店主へと報告した。そして店主の男もまた、客人の到着をさらに奥――食器が積み重なった洗い場へと伝達する。

「おおい、リオン。食材のご到着だ。裏の方に運んでやってくれ」

 店主の号令を受け、バンダナを巻いた青年は「はい」と慌てて振り向いた。泡だらけになった手を大急ぎで洗い、入口へと駆けていく。

 飛び出てきた若者の姿を見て、行商の男は肩を揺らして笑った。

「よお、久しぶりだな新人君。まだ辞めてなかったか」
「あ……え、ええ、まぁ」

 青年はバンダナを取り、ぎこちない笑みを作り頷く。汗ばんだ癖の強い赤毛は、押さえられつけていたせいか張りを失ってしまっていた。

 わずかに手にこびりついていた泡をエプロンの裾でぬぐいながら、赤毛の青年・リオンは伝票を受け取り、サインをつづっていく。

「いやぁ。正直なところ、次来たときにはもういなくなってるんじゃあねえかって思ってたんだ。なにせここの親方、なかなか“しごき”がきついだろう? 昔から若手が入っては、すぐに辞めていっちまうからさぁ」

 言いながらも、行商はリオンの肩越しにちらりと厨房の奥を見つめた。角ばった顔を持つ店主は、巨大な包丁を荒々しく古い、イノシシの肉を骨ごとさばいている。

 行商はあくまで気さくに話しかけてくれたが、一方でリオンはやはりどこかたどたどしく答えることしかできない。

「そう――ですねぇ。色々と、ご指導はいただいてますけども……」
「まぁ、めげずに頑張りな! もし辞めたくなったら、話くらいは聞いてるやるからよ」

 豪快に笑う行商を前に、なおも苦笑いで返すリオン。終始、どこか噛み合わないやり取りが続いた後、リオンは荷馬車から降ろされた木箱を一つ一つ、店の裏手へと運んでいく。

 重労働を終えたころには汗だくだったが、休むことは許されない。厨房に戻ると、今度は出来上がった大皿を二つ、テーブルへと運んでいった。

 町はずれの小さな料理屋は、昼時には常連客でごった返す。店主の料理人としての腕が確かなためか、足繁く通ってくれる馴染みの顔も多い。リオンが皿を運んだ先にいた老夫婦も、昨日、同じ時間帯に、同じテーブルで料理を楽しんでいた。

 慣れない接客を続けるリオンだったが、隣のテーブルに座っていた男たちの会話が不意に耳に飛び込んでくる。すでに彼らは料理を平らげた後だったが、コーヒーを片手に優雅に語り合っていた。

「なあ、聞いたか。昨日は、第6地区の豪商がやられたらしいぜ」
「ああ、知ってる知ってる。例の“義賊”だろ? ものの見事に、かっさらっていったらしいじゃあねえか」

 別の卓の皿を片付けながら、リオンはその会話に耳を傾ける。目の前の客に笑顔で対応こそしてはいたが、意識は完全に男たちへと向けられていた。

「すげえもんだなぁ。たしかあの豪商って、たんまり金をかけて館の周囲に堀や防壁までこさえてたんだろう? 警備だって山のように配置されていたってのに、一体全体、どうやって切り抜けたんだか」
「結局、今回も手掛かり一つ掴めてないらしいよ。噂によると、なにか“秘術”の類でも使いこなす魔法使いが犯人なんじゃあねえかって話だ」

 男たちは大いに盛り上がっているが、一方でリオンは表情を変えないまま、心のなかで苦笑してしまう。

 ――そんなものが使えたら、もう少しばかり楽に済むんだけどね。

 別のテーブルで談笑する貴婦人たちから追加注文を請け負いながら、彼らの言葉を盗み聞きしていく。

「魔法使い、か。最近じゃあこのハルムートにも、“邪教団”だの怪しい連中が多く出入りしてるというじゃあねえか。そういう類の輩なのかね」
「さぁな。しかし、“城塞都市”だってのに名ばかりな場所だぜ。せっかく家族で移住してきたってのに、これじゃあ安心もくそもねえっての」

 リオンの期待を裏切るように、どこか男たちの話題は“義賊”からそれていってしまう。互いの家族の愚痴合戦に展開してしまったことをきっかけに、盗み聞きをやめておとなしく店内から厨房へと戻っていった。

 まとめあげたゴミを店の裏に捨て、一つ、大きなため息をつく。狭い路地裏は湿っぽさと腐臭にまみれていたが、そのなかでリオンは壁にもたれかかり、思わず口元を緩ませてしまう。

 どうしても思い返すのは、先程の男たちの会話――そこに登場した“義賊”についての話題だ。

 もうこれで、リオンにとって4度目の大きな“盗み”になる。特に昨夜は今まで以上にうまくいったという実感があっただけに、店のなかに飛び交う“義賊”の――否、自身の功績についての噂が、殊更、むず痒く甘い痺れとなって心の奥底をうった。

 思わず、昨夜盗み出した金銀財宝の行方に思いを馳せてしまう。今頃、貧民街の住人たちは驚いているかもしれない。なにせ朝目が覚めた途端、これまでは触れることもできなかったような高価な品物の数々が、手元に置かれているのだから。

 “プレゼント”を受け取った彼らの顔を見てみたくもなったが、あくまでそこまではするつもりがない。あまり深追いしすぎると、自分自身でも思わぬところでリスクを抱え込む可能性すらある。

 それは他ならぬ、かつての“彼”――リオンにとって“師”と慕っていた男の教えの一つでもあった。

 物思いにふけっていると、店内から野太い店主の声が響いた。どうやら次は、大量のジャガイモの皮を剥かされるらしい。雑用に次ぐ雑用に嫌気は差したが、それでもリオンはもうひと踏ん張りと、重い腰を上げる。

 収入のためではない。自身が冴えない、善良な市民の一人であると偽るため――丁寧なカモフラージュのために、リオンは再び勤め先である店の中へと戻っていった。

 結局、それからも激務に次ぐ激務で、一息を入れる間もなく夜を迎えてしまう。私服に着替え、店を出た頃にはすでに周囲は闇に覆われており、街灯の灯りだけが静かに街を照らしていた。

 昼でこそ半袖で活動できるのだが、やはり夜になると急に寒くなってしまう。リオンは安物の外套を一枚はおり、そそくさと自宅目掛けて歩き始めた。

 店から家まではそう遠くないのだが、リオンはあえて真っすぐは帰らない。別段、買い物もないくせに商店街を練り歩いたり、噴水広場をぶらついたりして、わざと時間を潰す。そこそこ時間が経過した後に、右往左往としながらようやく町はずれの路地裏にある我が家へと辿り着くのだ。

 それもこれもすべて、自身の足取りを攪乱するためだった。何者かに尾行されているというわけではないが、それにしても用心するに越したことはない。なにせ、ここはかの有名な“城塞都市”・ハルムートである。治安維持のため、どこに監視の目が張り巡らされているか分かったものではない。

 木造のボロ小屋に戻り、荷物を置くとようやく一息つくことができた。人通りなどほとんどないエリアゆえに、外からは物音一つ聞こえてこない。

 一人暮らしを送る分にはひどく物静かな空間だったが、寂しいと思ったことはなかった。むしろ、同居人や隣人がいない分、現在の活動に専念できるという点は非常に都合がいい。

 リオンは机に向かい、そこに広げられた地図に視線を落とした。羊皮紙の上にはすでにいくつかペンで印が刻まれており、その横には人名も記されている。

 そのうちの一つ――昨日、侵入したとある富豪の館を見つめ、思わず笑みがこぼれてしまった。難攻不落と噂されていたこの館に突入するのはかなり緊張したものだが、いざ突入してしまうと、そのあまりの警備のザルっぷりに拍子抜けしてしまったのだ。

 良いお客さんばかりだね、本当――椅子に深くもたれかかり、天井を見上げる。目を閉じ、暗闇のなかでこれまでの歩みをゆるゆると振り返ってしまった。

 半年前か、一年前か。あるいはもっと昔から、この活動を続けている気がしてしまう。昼は洋食屋・“黒羊亭”の冴えない店員として働き、夜は各地の富豪が貯め込んだ資産を巻き上げる、“義賊”として駆けまわる。

 リオンがこれまで手にかけた富豪たちは、皆、なにかしら違法な手段を用いて財を成していた人物ばかりだ。

 最初の一人は違法薬物の売買、二人目は奴隷商人として、三人目は武器の密売、そして昨夜の四人目は横流しした宝石で巨万の富を築いていたのである。

 誰も彼も、私利私欲のために悪事に手を染め、ときには他の人間の不幸すらいとわず、自分勝手に富を手に入れた者ばかりなのだ。リオンはしばらく前から、そういった悪人たちに狙いを定め、彼らが貯め込んだ財を奪い取り、貧困にあえぐ人々にばらまいているのである。

 無論、リオンがなしていることも、世間一般から見れば悪事でしかない。最初の盗みを行った後、瞬く間にリオンという“義賊”の存在が明るみになり、指名手配されることとなった。

 もっとも、名もなき義賊として活動しているため、その正体に気付いている者は誰一人としていない。一度だけ“黒羊亭”にも捜査員の類がやってきたが、堂々と振舞うリオンを誰も疑いなどしなかった。

 それもこれも、やはり“彼”の教えあってのことである。リオンは椅子にもたれかかったまま、机の片隅に置かれた小さな写真を見つめた。それはかつて、“彼”が渡来品として手に入れた撮影機を使い、試しに撮ったものである。

 小さな写真のなかでは、長い黒髪の男性が不敵に笑っていた。無精ひげを蓄えた彼は飄々としているが、その眼光から研ぎ澄まされた力強さは失われていない。

 盗みの技術も、身のこなしも。数々の道具の作り方も、盗賊としての心構えも。なにもかもが今は亡き“彼”から受け継いだものばかりだ。

 写真のなかの笑みを見つめていると、これまでの弾んだ気持ちにわずかばかり影が差してしまう。どれほど功績を挙げようとも、やはりまだまだ自分の実力が――否、“義賊”としての器が、かつての“師”に追い付いていないのだと実感してしまった。

 まだまだ、こんなものじゃあ駄目だ――リオンは再び身を乗り出し、机の上の地図に向き直る。広大な“城塞都市”・ハルムートの見取り図を前に、彼は無意識に次のターゲットを品定めしはじめていた。

 もっと大きく、もっと難攻で、そしてもっと邪悪な人間を探し、彼の瞳がひた走る。昨日の手応えが余韻となって肉体に残るなか、若き“義賊”はすでに次の標的に狙いを定め、闘志を滾らせていった。
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