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第19話 本当の“憧れ”
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ニュースか、雑誌か、ドラマか、映画か――一樹は必死に自身の記憶の海の中から、目の前にいる男性の顔を探ろうとしていた。
一向に答えは出ない。だが確実に、一樹はこの男性のことを知っている。
思い出せない自身の愚鈍さにやきもきしていると、男性が口火を切った。
「先程、桜井さんから聞いたよ。今回の“連載”の話、受けてくれるってことだね?」
「あ……は、はい! それは――もちろん……」
「良かった。もし断られたらどうしようかと、実は今までひやひやしていたんだ。肝が冷えたよ」
「ええと……なぜ、あなたが、そんな?」
一瞬、桜井の上に立つ編集長か、はたまた出版社の社長か何かかと考えた。しかし、だとしたら一樹が彼の顔を見たことがあるというのは、おかしい気がする。いちいち出版社の社員や重役を覚えている程、一樹の脳みそは賢くはない。
困惑する一樹をどこか楽しむように眺めながら、男は言う。
「今回、君をこちらの出版社に推薦したのは、僕なんだよ」
「えっ――」
予想外の回答に、なおさら分からなくなってしまう。出版社の人間に、受賞を逃した誰かを推薦できるような存在など、そうはいないだろう。
色々と言葉は浮かぶが、一樹はまず、とにかく彼に礼を告げることを優先した。
「あ、あの……ありがとうございます」
「いやいや、感謝するのはこちらだよ。それに、“四葉社”さんの懐の深さもありがたい次第だ。こんな“老いぼれ”のわがままを聞いてくれたんだからね」
はっはっはと痛快に笑うが、まるで一樹は同調できない。いまだにこの男性の纏う“オーラ”の意味する所が、理解できないのだ。
「出版社さんに提出された“没作品”を、勝手に拝借して読むのが趣味みたいになっていてね。時々こうやって、見所のある新人さんに声をかけるっていうことをやらせてもらっているんだよ」
饒舌に語る彼の言葉の中から、なんとか手掛かりを探る。少なくともここまでの流れで、彼は出版社の人間というわけでもなさそうだ。そもそも、会社とは別のどこかに籍を置く人間なのだろう。
それでいて、彼は出版社とは随分と密接な繋がりを持っている。その事実がより一層、一樹を混乱させた。
だが困惑する一樹に、男は核心に近い一言を投げる。
「まぁ、これも“老人”の楽しみの一つってやつさ。もちろん、真剣に考えてもいるんだよ。僕みたいな“古参”を、今の時代の若者達に早く追い抜いてほしい。これから時代を作る、新たな“若葉”達の書く物語が、楽しみで仕方がないんだ」
「そう……なんですね……」
「特に今回、君の作品を読ませてもらって、“怪奇もの”というのが、なんともびびっと来たんだ。それこそ“僕の作品”と似た、親近感が沸いたんだよ」
また男は、はっはっは、と笑うが、一方で一樹は息を止め、目を見開いてしまう。
――今、なんと言った。
急激に思考が加速し、瞬きすら忘れてしまう。そして彼の放った一言が、ようやく一樹の記憶の奥底に沈んでいた“それ”を、手繰り寄せるきっかけとなった。
彼は言ったのだ。一樹の書いた小説は、“自分の作品”に似ている、と。
一樹とて物書きである前に一人の“読書家”だ。だからこそ、自分が好きな作品に感化され、そこに記された文章の数々に影響を受けて、自身の物語を書いている。
なんで忘れていたのだろうと、反射的に自身を叱咤した。だが、そんな後悔がどうでも良くなるほどに、激しい混乱が肉体の中で暴れている。
正常な思考ができない。自身の作品で“連載”が決まったあの瞬間より、はるかに大きな衝撃が肉体を真正面から叩く。
一樹は彼を知っている。
彼の作品を持っているし、何度もそれを読み直した。
彼の描く世界観に憧れたからこそ、今日までこうして筆をとってきた。
脂汗が滲み出ていた。一樹は椅子の端を痛いほど掴んだまま、からからになった喉から、必死に言葉を絞り出す。
「あなたは……まさか――」
以前、奈緒に“なぜ幽霊が怖いのに、ホラーを書くのか”と問いかけられたことがあった。その際、一樹は改めて考え、そして一つの結論に行きついたのだ。
全ては一樹が抱いた“憧れ”があったがゆえだった。かつて偶然にも出会い、そして貪るように読み漁ったある“作家”の影響で、知らず知らずのうちに“怪奇”な世界に惹きつけられるようになった。
“彼”がいたから、人ならざる者の世界に興味を持った。“彼”がいたから、怖くともその先に何かがあると信じ、好奇心を抱いてのめり込んだ。
汗を浮かべて固まる一樹を見て、目の前の男――“彼”は気付く。
「おお、そうか。すまないね、私の自己紹介がまだだったね。いやぁ、うっかりが過ぎるな。いよいよ“老人”と呼ばれても仕方がないなぁ」
痛快に笑った後、ついに“彼”は告げる。
一樹も良く知る、その名を。
「烏真紘彦――そういうペンネームで、やらせてもらってる者だ。改めて、よろしく」
電流のような衝撃が、一樹の肉体を貫く。瞬間、皮膚の内側に待機していた汗の群れが、どっと全身から溢れ出た。
疑惑が確信に変わる。だからこそ、一樹は呼吸のリズムすら忘れ、目を見開いた。
どんなに眼が痛んでも、目の前に座る男を直視してしまう。
「烏真……先生……あなたが?」
「おお、ご存じかな? そりゃあまた、光栄だね」
飄々と言ってのける姿が、なんともイメージとはかけ離れている。だがしかし、今となっては一樹の記憶に浮かぶ“彼”と、目の前の“彼”の像は、完全に一致してしまう。
処女作、“呪喰い”シリーズでデビューして以来、怪奇小説家として最前線を走り続ける、大御所の一人。
稀代の怪奇小説家・烏真紘彦その人が、そこに座っていた。
明確にうろたえる一樹に、烏真はなおも笑う。
「信じられない、って顔だねえ」
「あ……あ、あの、その……すみません、俺――」
「いやいや、別に構わないんだよ。よく言われるさ。“小説家”なんかより、“棋士”だの“陶芸家”だののほうが、しっくりくるってね」
一樹は一瞬、失礼な反応だったかと焦ったが、まるで関係ないとばかりに烏真は笑った。その痛快な笑みのおかげで、一樹もなんとか我を取り戻す。
「俺、あの……あ、あなたに憧れて……その、嘘なんかんじゃあないんです! これは正真正銘……本当、です……」
なにを焦っているのか、自分でも理解できない。たどたどしくなる言葉がもどかしく、素直に気持ちを言葉にできない自分が酷く嫌だった。
だがそれでも、烏真は顔色一つ変えず、大きく頷いてくれる。
「ありがたいねぇ。そう言ってくれると、僕も今まで書いてきた“かい”があったというものだ。どうやら僕が君に抱いた親近感は、正しかったらしい」
「えっと……で、でも……なんでまた、俺なんですか? 受賞した作品は……もっといくらでもあるのに」
この素直な問いかけにも、烏真はまるで動じない。「うんうん」と頷き、答えてくれる。
「確かに、君の文章は“まだまだ”だ。表現法も直した方が良いし、誤字脱字も多い。ストーリーももう少し練り直すべきだし、なによりもっと読みやすく、すっきりできるはず。とにかく“稚拙”な作品であることは、言うまでもないんだ」
唐突に叩き込まれた批判の嵐に、思わず浮足立っていた一樹も我に返ってしまう。だが、ぼろぼろに言われているはずなのに、気が付けばその“意見”を真摯に受け止めようとしている自分がいた。
もはや細胞が理解しているのだ。
目の前に座る“大御所”は、ペテンなど使わない“本物”なのだと。
だからこそ、言葉に重みがある。痛烈であっても、その一言一言は間違いなく“真実”なのだ。
次の一言に対し身構える一樹を、またも“大先輩”は軽くいなしてしまう。
「だが、どれだけ受賞作には程遠くても、これだけは分かる。君のこれは――“本物”だ」
たまらず「えっ」と呆けてしまう一樹。
目の前の烏真の顔に、真剣な色が覗く。
まるで“幽霊”とは違う、まったく別の“怪物”の威厳を纏い、彼は語った。
「たどたどしい文章のそれぞれが、真剣だ。まっすぐで、率直で――だからこそ、そこに“本物”しかだせない“凄味”がある。僕は思ったんだ。この作者はもしかして――“体験したこと”を書いているんじゃないか、って」
こちらを見つめられ、ギョッとしてしまう一樹。
当たっている――一樹が“幽霊”を視て、それを調べた内容を作品に落とし込んでいることを、彼は見抜いているのだ。
普通の人間ならば、“ありえない”と笑うのだろう。“幽霊”なんて非現実的な存在がいて、それを視える人間が、リアルな体験を元にこの物語を書いている、などと。
だが、目の前に座る彼から、そんな嘲りの念は伝わってこない。
真っすぐ差し込まれた言葉を、一樹は反射的に否定してしまった。
「い、いやぁ……そういうわけでは――」
「まぁ、内容が真実かどうかは、実はどうでも良い。ただ、そこに描かれた“リアリティ”は読む者を惹きつける。僕は君の作品に、そんな“原石”特有の輝きを感じたんだよ」
それがきっと、大御所・烏真紘彦が一樹に“連載”を持ちかけた、真の意味だったのだろう。
いまだに浮世離れしすぎていて追いつけない一樹に、さらに“怪物”は追い打ちをかけた。
「それに、少なくとも“偽物の恋物語”を書き続けるよりは、ずっと生き生きしてるよ」
一瞬、一樹自身もその言葉の意味する所が分からなかった。だが一拍遅れて、彼の言葉の真意に気付く。
嫌な汗が、どっと溢れ出た。先程のそれとは別の色の感情が、その雫の中に滲み出ている。
この男は、知っている。
否、理解っているのだ。
自分が“偽物の恋物語”――「ラブ&ゴースト」を手掛ける“幽霊”であることを。
どれだけ取り繕おうとも、対峙してしまった相手の異次元な存在感に、汗を止めることができない。一樹はそれでもなんとか、今まで通り自分を偽ろうとしてしまった。
「な、なんのことですか……僕は……別に……」
「同じ“幽霊”でも、段違いだよ。まぁ、そもそも君が書きたいのは、とってつけたような“恋”の話じゃあないだろうしね」
まるで意に介さず、圧倒し続ける烏真。
彼は確実に、全ての“真実”を見通している。
違う――自分とも、奈緒とも、出版社の人間とも、そして、あの大女優とも。
あらゆる意味で、人間としての“格”が違いすぎる。
困惑しっぱなしの一樹に、烏真はどこか意地悪に、そして嬉しそうに告げた。
「まぁ、甘い世界じゃあないから、あまり適当なこと言うと怒られちゃうんだけどね。でも少なくとも僕は、やりたいようにやるのが一番だと思うよ。君が“書きたいもの”を書けばいい」
「やりたいようにやる……“書きたいもの”を」
「そう。受賞もできないかもだし、負けて悔しい思いをするかもだけど、思いきりやった方が清々しいってものさ。第一、一度や二度の負けで“終わる”ほど、人生は簡単じゃあないからね」
それはきっと、“小説論”というよりも、彼が持つ“人生論”なのだろう。
降り注ぐ言葉の束を真っすぐに受け止め、一樹は思いを巡らす。
いつしか汗は引いていた。代わりに一樹は、烏真に告げられた言葉の一つ一つを、自身の体の中で噛み砕き、のみ込んでいく。
全てを見通す“怪物”は、それでも決して恐怖など感じない痛快な笑顔で、一樹に歯を見せる。
「“辞める”ことが簡単なように、人間なんていくらでも“再生”できるんだ。そもそも君は、いくらでも好き勝手に戦える“権利”を持っているはずだ。なにせ君は今もしっかり――“生きて”いるんだからね?」
あまりにも単純で、底抜けに明快な理論が、一樹の体を殴りつける。体に響き渡った音に意識が覚醒し、ぶれていた思考が定まった。
何から何まで、掌の上だった。だがそれでいて、一樹は目の当たりにした“彼”の姿に、ただただため息が漏れる。
落ち着きを取り戻した一樹の姿を見て、どこか無邪気さを秘めたあどけない表情のまま、目の前の“憧れ”は笑っていた。
一向に答えは出ない。だが確実に、一樹はこの男性のことを知っている。
思い出せない自身の愚鈍さにやきもきしていると、男性が口火を切った。
「先程、桜井さんから聞いたよ。今回の“連載”の話、受けてくれるってことだね?」
「あ……は、はい! それは――もちろん……」
「良かった。もし断られたらどうしようかと、実は今までひやひやしていたんだ。肝が冷えたよ」
「ええと……なぜ、あなたが、そんな?」
一瞬、桜井の上に立つ編集長か、はたまた出版社の社長か何かかと考えた。しかし、だとしたら一樹が彼の顔を見たことがあるというのは、おかしい気がする。いちいち出版社の社員や重役を覚えている程、一樹の脳みそは賢くはない。
困惑する一樹をどこか楽しむように眺めながら、男は言う。
「今回、君をこちらの出版社に推薦したのは、僕なんだよ」
「えっ――」
予想外の回答に、なおさら分からなくなってしまう。出版社の人間に、受賞を逃した誰かを推薦できるような存在など、そうはいないだろう。
色々と言葉は浮かぶが、一樹はまず、とにかく彼に礼を告げることを優先した。
「あ、あの……ありがとうございます」
「いやいや、感謝するのはこちらだよ。それに、“四葉社”さんの懐の深さもありがたい次第だ。こんな“老いぼれ”のわがままを聞いてくれたんだからね」
はっはっはと痛快に笑うが、まるで一樹は同調できない。いまだにこの男性の纏う“オーラ”の意味する所が、理解できないのだ。
「出版社さんに提出された“没作品”を、勝手に拝借して読むのが趣味みたいになっていてね。時々こうやって、見所のある新人さんに声をかけるっていうことをやらせてもらっているんだよ」
饒舌に語る彼の言葉の中から、なんとか手掛かりを探る。少なくともここまでの流れで、彼は出版社の人間というわけでもなさそうだ。そもそも、会社とは別のどこかに籍を置く人間なのだろう。
それでいて、彼は出版社とは随分と密接な繋がりを持っている。その事実がより一層、一樹を混乱させた。
だが困惑する一樹に、男は核心に近い一言を投げる。
「まぁ、これも“老人”の楽しみの一つってやつさ。もちろん、真剣に考えてもいるんだよ。僕みたいな“古参”を、今の時代の若者達に早く追い抜いてほしい。これから時代を作る、新たな“若葉”達の書く物語が、楽しみで仕方がないんだ」
「そう……なんですね……」
「特に今回、君の作品を読ませてもらって、“怪奇もの”というのが、なんともびびっと来たんだ。それこそ“僕の作品”と似た、親近感が沸いたんだよ」
また男は、はっはっは、と笑うが、一方で一樹は息を止め、目を見開いてしまう。
――今、なんと言った。
急激に思考が加速し、瞬きすら忘れてしまう。そして彼の放った一言が、ようやく一樹の記憶の奥底に沈んでいた“それ”を、手繰り寄せるきっかけとなった。
彼は言ったのだ。一樹の書いた小説は、“自分の作品”に似ている、と。
一樹とて物書きである前に一人の“読書家”だ。だからこそ、自分が好きな作品に感化され、そこに記された文章の数々に影響を受けて、自身の物語を書いている。
なんで忘れていたのだろうと、反射的に自身を叱咤した。だが、そんな後悔がどうでも良くなるほどに、激しい混乱が肉体の中で暴れている。
正常な思考ができない。自身の作品で“連載”が決まったあの瞬間より、はるかに大きな衝撃が肉体を真正面から叩く。
一樹は彼を知っている。
彼の作品を持っているし、何度もそれを読み直した。
彼の描く世界観に憧れたからこそ、今日までこうして筆をとってきた。
脂汗が滲み出ていた。一樹は椅子の端を痛いほど掴んだまま、からからになった喉から、必死に言葉を絞り出す。
「あなたは……まさか――」
以前、奈緒に“なぜ幽霊が怖いのに、ホラーを書くのか”と問いかけられたことがあった。その際、一樹は改めて考え、そして一つの結論に行きついたのだ。
全ては一樹が抱いた“憧れ”があったがゆえだった。かつて偶然にも出会い、そして貪るように読み漁ったある“作家”の影響で、知らず知らずのうちに“怪奇”な世界に惹きつけられるようになった。
“彼”がいたから、人ならざる者の世界に興味を持った。“彼”がいたから、怖くともその先に何かがあると信じ、好奇心を抱いてのめり込んだ。
汗を浮かべて固まる一樹を見て、目の前の男――“彼”は気付く。
「おお、そうか。すまないね、私の自己紹介がまだだったね。いやぁ、うっかりが過ぎるな。いよいよ“老人”と呼ばれても仕方がないなぁ」
痛快に笑った後、ついに“彼”は告げる。
一樹も良く知る、その名を。
「烏真紘彦――そういうペンネームで、やらせてもらってる者だ。改めて、よろしく」
電流のような衝撃が、一樹の肉体を貫く。瞬間、皮膚の内側に待機していた汗の群れが、どっと全身から溢れ出た。
疑惑が確信に変わる。だからこそ、一樹は呼吸のリズムすら忘れ、目を見開いた。
どんなに眼が痛んでも、目の前に座る男を直視してしまう。
「烏真……先生……あなたが?」
「おお、ご存じかな? そりゃあまた、光栄だね」
飄々と言ってのける姿が、なんともイメージとはかけ離れている。だがしかし、今となっては一樹の記憶に浮かぶ“彼”と、目の前の“彼”の像は、完全に一致してしまう。
処女作、“呪喰い”シリーズでデビューして以来、怪奇小説家として最前線を走り続ける、大御所の一人。
稀代の怪奇小説家・烏真紘彦その人が、そこに座っていた。
明確にうろたえる一樹に、烏真はなおも笑う。
「信じられない、って顔だねえ」
「あ……あ、あの、その……すみません、俺――」
「いやいや、別に構わないんだよ。よく言われるさ。“小説家”なんかより、“棋士”だの“陶芸家”だののほうが、しっくりくるってね」
一樹は一瞬、失礼な反応だったかと焦ったが、まるで関係ないとばかりに烏真は笑った。その痛快な笑みのおかげで、一樹もなんとか我を取り戻す。
「俺、あの……あ、あなたに憧れて……その、嘘なんかんじゃあないんです! これは正真正銘……本当、です……」
なにを焦っているのか、自分でも理解できない。たどたどしくなる言葉がもどかしく、素直に気持ちを言葉にできない自分が酷く嫌だった。
だがそれでも、烏真は顔色一つ変えず、大きく頷いてくれる。
「ありがたいねぇ。そう言ってくれると、僕も今まで書いてきた“かい”があったというものだ。どうやら僕が君に抱いた親近感は、正しかったらしい」
「えっと……で、でも……なんでまた、俺なんですか? 受賞した作品は……もっといくらでもあるのに」
この素直な問いかけにも、烏真はまるで動じない。「うんうん」と頷き、答えてくれる。
「確かに、君の文章は“まだまだ”だ。表現法も直した方が良いし、誤字脱字も多い。ストーリーももう少し練り直すべきだし、なによりもっと読みやすく、すっきりできるはず。とにかく“稚拙”な作品であることは、言うまでもないんだ」
唐突に叩き込まれた批判の嵐に、思わず浮足立っていた一樹も我に返ってしまう。だが、ぼろぼろに言われているはずなのに、気が付けばその“意見”を真摯に受け止めようとしている自分がいた。
もはや細胞が理解しているのだ。
目の前に座る“大御所”は、ペテンなど使わない“本物”なのだと。
だからこそ、言葉に重みがある。痛烈であっても、その一言一言は間違いなく“真実”なのだ。
次の一言に対し身構える一樹を、またも“大先輩”は軽くいなしてしまう。
「だが、どれだけ受賞作には程遠くても、これだけは分かる。君のこれは――“本物”だ」
たまらず「えっ」と呆けてしまう一樹。
目の前の烏真の顔に、真剣な色が覗く。
まるで“幽霊”とは違う、まったく別の“怪物”の威厳を纏い、彼は語った。
「たどたどしい文章のそれぞれが、真剣だ。まっすぐで、率直で――だからこそ、そこに“本物”しかだせない“凄味”がある。僕は思ったんだ。この作者はもしかして――“体験したこと”を書いているんじゃないか、って」
こちらを見つめられ、ギョッとしてしまう一樹。
当たっている――一樹が“幽霊”を視て、それを調べた内容を作品に落とし込んでいることを、彼は見抜いているのだ。
普通の人間ならば、“ありえない”と笑うのだろう。“幽霊”なんて非現実的な存在がいて、それを視える人間が、リアルな体験を元にこの物語を書いている、などと。
だが、目の前に座る彼から、そんな嘲りの念は伝わってこない。
真っすぐ差し込まれた言葉を、一樹は反射的に否定してしまった。
「い、いやぁ……そういうわけでは――」
「まぁ、内容が真実かどうかは、実はどうでも良い。ただ、そこに描かれた“リアリティ”は読む者を惹きつける。僕は君の作品に、そんな“原石”特有の輝きを感じたんだよ」
それがきっと、大御所・烏真紘彦が一樹に“連載”を持ちかけた、真の意味だったのだろう。
いまだに浮世離れしすぎていて追いつけない一樹に、さらに“怪物”は追い打ちをかけた。
「それに、少なくとも“偽物の恋物語”を書き続けるよりは、ずっと生き生きしてるよ」
一瞬、一樹自身もその言葉の意味する所が分からなかった。だが一拍遅れて、彼の言葉の真意に気付く。
嫌な汗が、どっと溢れ出た。先程のそれとは別の色の感情が、その雫の中に滲み出ている。
この男は、知っている。
否、理解っているのだ。
自分が“偽物の恋物語”――「ラブ&ゴースト」を手掛ける“幽霊”であることを。
どれだけ取り繕おうとも、対峙してしまった相手の異次元な存在感に、汗を止めることができない。一樹はそれでもなんとか、今まで通り自分を偽ろうとしてしまった。
「な、なんのことですか……僕は……別に……」
「同じ“幽霊”でも、段違いだよ。まぁ、そもそも君が書きたいのは、とってつけたような“恋”の話じゃあないだろうしね」
まるで意に介さず、圧倒し続ける烏真。
彼は確実に、全ての“真実”を見通している。
違う――自分とも、奈緒とも、出版社の人間とも、そして、あの大女優とも。
あらゆる意味で、人間としての“格”が違いすぎる。
困惑しっぱなしの一樹に、烏真はどこか意地悪に、そして嬉しそうに告げた。
「まぁ、甘い世界じゃあないから、あまり適当なこと言うと怒られちゃうんだけどね。でも少なくとも僕は、やりたいようにやるのが一番だと思うよ。君が“書きたいもの”を書けばいい」
「やりたいようにやる……“書きたいもの”を」
「そう。受賞もできないかもだし、負けて悔しい思いをするかもだけど、思いきりやった方が清々しいってものさ。第一、一度や二度の負けで“終わる”ほど、人生は簡単じゃあないからね」
それはきっと、“小説論”というよりも、彼が持つ“人生論”なのだろう。
降り注ぐ言葉の束を真っすぐに受け止め、一樹は思いを巡らす。
いつしか汗は引いていた。代わりに一樹は、烏真に告げられた言葉の一つ一つを、自身の体の中で噛み砕き、のみ込んでいく。
全てを見通す“怪物”は、それでも決して恐怖など感じない痛快な笑顔で、一樹に歯を見せる。
「“辞める”ことが簡単なように、人間なんていくらでも“再生”できるんだ。そもそも君は、いくらでも好き勝手に戦える“権利”を持っているはずだ。なにせ君は今もしっかり――“生きて”いるんだからね?」
あまりにも単純で、底抜けに明快な理論が、一樹の体を殴りつける。体に響き渡った音に意識が覚醒し、ぶれていた思考が定まった。
何から何まで、掌の上だった。だがそれでいて、一樹は目の当たりにした“彼”の姿に、ただただため息が漏れる。
落ち着きを取り戻した一樹の姿を見て、どこか無邪気さを秘めたあどけない表情のまま、目の前の“憧れ”は笑っていた。
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