ゴースト×ライター

創也慎介

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第8話 四つ面

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 錆びついた鉄門には錠前が括り付けられており、押し引きしたところで、まるで手ごたえがない。かといえ、鍵を持ち合わせているわけでもないのだから、どうにも途方に暮れてしまう。

 一樹は「ふむ」と声を上げ、改めて目の前の巨大な建造物を見上げた。
 住宅街の中心部に鎮座する巨大な三階建ての“館”は、存在感こそあれど、人の気配は全く持って感じられない。
 それもそのはずで、どうやら調べたところによると、もう十年ほど前から空き家として放置されているらしいのだ。

 夕暮れ時の仄暗さが、殊更ことさら、館の不気味さを増長している。遠くから聞こえるカラスの鳴き声が、嫌に鼓膜を震わせた。

 鉄門の隙間から庭を覗き込んでみるが、荒れ放題で草も伸びきってしまっている。建物の窓は至る所が閉め切られているが、一部は老朽化か、はたまた誰かのいたずらによるものか、窓が割れているのが確認できた。

 一樹は窓の奥の闇を覗き込み、ごくりと唾を飲み込んでしまう。思わず視線を反らし、すぐ隣でスマートフォンを見ている奈緒に問いかける。

「なあ、ここで間違い――ないよな。さすがに」
「うん、ここだね。ネットに書き込まれてる情報とも一致するよ」

 一樹は「そう」とどこか残念そうな相槌を打ち、またちらちらと館の様子を観察していた。

 あの日――奈緒がとんでもない提案を持ちかけた日から、二人は日常の合間を縫って、頻繁に会うようになっていた。
 だがそれは決して、一樹の書いた自作小説を読むためではない。
 奈緒の提案通り、二人は新たな作品を作り上げるため、まずは徹底的に調査を行うと決めたのだ。

 “幽霊”――一樹と奈緒が共有できる、明らかなる怪異。その正体や素性、特性をより深掘りすることで、それを題材にした“リアリティ”のある物語を作り、コンテストを狙おう、と画策しているのである。

 一樹としては家に帰ってからもまだ半信半疑だったのだが、彼を待たずして奈緒がぐいぐいと前に進んでしまった。
 彼女はどこから調べ上げたのか、近隣の街で話題になっている“幽霊”の目撃情報や体験談を日々収集し、定期的に一樹に送ってくるようになったのである。

 彼女は“本気”なのだ――そう思うと一樹も今更、断る気にはなれない。
 彼女の強すぎる“推進力”に巻き込まれるような形で、一樹もまた、今まで目を背け続けてきた“幽霊”という存在を調べるようになった。

 実際に調べてみると、驚いたことに街のあちらこちらに“幽霊”は存在しており、そしてそれを“視る”ことができる人間も、ちらほらと存在しているという事実が明らかになった。
 夜中の路地で、職場の一室で、ゲームセンターで――場所も時間も様々で、そのディティールも実に多彩である。
 今まで真剣に考えたことのない一樹にとって、これは素直な発見だった。

 ただし、どれだけ情報とバリエーションは増えたとしても、それらが“謎の存在”であることには変わりがない。
 町の住人も気味悪がり、それ以上深追いなどはしようとしていないし、一樹同様、それからできる限り身を遠ざけようとするのだから、詳細など分かるわけもないのだろう。

 情報を集めるかたわら、二人は“幽霊”の目撃情報があった場所を巡り、調査も行ってきた。
 一樹も“リアリティ”という一点にはこだわっていたつもりだったが、ここまで本格的に体を使い、能動的に追い求めたのは初めてである。

 奈緒はスマートフォンの表面を指で操作しながら、真剣なまなざしを向けていた。

「う~ん、最新の書き込みは、一か月前かぁ。結構頻繁にここに関して書かれてるねぇ」

 どうやらそれは、この街の“オカルトスポット”について書き込んでいるネットの掲示板らしい。少し画面を覗き込みながら、一樹も問いかける。

「なに、なんて書かれてるんだよ?」
「やっぱり、窓から“影”が見えたんだって。ちらっとって感じだけどね」

 二人揃って、またもガラスが欠けた二階の窓を見上げてしまった。相変わらず、闇の奥にはなにも見えない。

 数々の“幽霊”に関する情報が集まる中、特に二人の目を惹いたのがこの“幽霊館”についての話だった。
 住宅街の中にたたずむ巨大な古びた館――そこで度々目撃される、いるはずのない“なにか”。

 ありがちと言えばありがちな話だが、二人が注目したのはその“数”である。
 子供から大人まで、男女問わず、この“館”について様々な話を教えてくれた。
 なにかに見られている気がした、不気味な吐息の音が聞こえたなど、その現象自体は様々だが、なかでも特に多かったのが窓から見える“影”の存在だったのである。

 多くの場合、こういった噂話は“気のせい”や“思い込み”であることがほとんどだ。実際、“視える”二人が赴いたところで、何一つ感じ取れないというケースも、珍しくはない。

 一方で、この“幽霊館”については、ある程度のディティールが統一されており、その上でいまだに情報も頻繁に飛び交っていた。
 火のない所に煙はなんとやら――情報の数から“信憑性”が高いと感じた二人は、実際に館に赴いてみたのである。

 実際、建物と対峙して、確かに今までの“心霊スポット”とは、雰囲気が違う。
 もちろん、長らく放置されたが故の古めかしさが、そう錯覚させているだけという可能性も否定はできないが、それでも二人の肌が“理論”ではなく“本能”に訴えかけてくる。

 一樹はちらりと周囲を取り囲む住宅の群れを見て、微かに首をかしげてしまう。

「どうにも妙な立地だよな。これだけ古めかしい館が、こんなきれいな住宅街の中にずっと取り壊されずに残ってるってのも、変な感じだ」
「うん。住んでいる人もいないのに、そもそも十年もなんで、このままにされてるんだろう」

 どれだけ言葉を交わそうが、謎が謎を呼んでしまい、らちが明かない。一樹の言う通り、立ち並ぶ住宅とこの“館”とでは、造りも、外観も、纏った雰囲気も、何もかもがあべこべだ。

 こうしている間にも、時間だけが過ぎ去っていく。このままでは答えが出る前に、周囲が濃い夜闇に包みこまれてしまうだろう。

 ――それだけは、まずいな。

 一樹は腕を組んだまま、なんともばつが悪そうに口を開く。

「ここまできて、帰るつもりは――ない、よな?」

 恐る恐る、隣に立つ奈緒に問いかけた。万に一つでも、彼女が怖気づいてくれることを、どこか心の奥底で願っていた自分がいたのは、情けないことに事実である。

 そんな願いは、やはり万に一つも叶いはしない。奈緒は首を縦に振り、「ふんす」と気合を入れる。

「もちろん。さあ、夜になる前に、とっととやっちゃおう。“取材”を!」

 予想通りの奈緒の姿に、観念してため息をつく一樹。後ろ頭をかきながらも、再び目の前の“取材相手”を睨みつける。

 ――何もなけりゃ、いいんだけど。

 夕闇を背負う館は、なおも黙したまま鎮座していた。


 ***


 封鎖された鉄柵を乗り越え、二人は館の内部へと侵入を試みる。草をかき分けながら探したところ、運よく館の背後の壁に小さな穴を発見し、そこから内部へと進む。

 無論、良い行いでないということは、重々理解していた。そもそも、廃屋だからといって好き勝手に足を踏み入れて良いということはない。この館がここにある以上、ここを管理している誰かの“所有物”である可能性が大きいからだ。

 だが、どれだけ調べても、この館の持ち主についての情報は手に入れることができなかった。それゆえに、二人は“最終手段”をとったというわけである。

 壁を一枚乗り越えただけで、まず抱いたのは強烈な“違和感”だった。

 館内の空気は湿っぽく、窓から差し込む夕日だけが、薄暗く内装を照らしている。外観同様、内部も西洋のそれに近い構造をしているが、壁紙や床板は剥がれ、砕け、朽ち果てていた。

 廃屋だというのに、何故か中途半端に椅子や机が取り残され、妙な生活感がある。とはいえ、いずれも積もったほこりの濃度で、それらがただの瓦礫でしかないということを理解した。

 放置された巨大な“館”――だが、その無残な姿とはまた別の“妙な感覚”が、館内に侵入した瞬間から細胞そのものをざわつかせている。

 用意していた懐中電灯を点け、少しでも視界を確保する二人。奈緒は口元をハンカチで覆いながら、素早く周囲を警戒していた。

「うわぁ、思った以上だね。本当、なんでこんな状態で放置してるんだろう……」
「ああ。なんだか、見れば見るほど変な建物だな。まぁ、元々の持ち主はきっと、相当な金持ちなんだろうな」

 建物のサイズだけでなく、取り残された家具の数々を見ても、一樹の予想は当たっているのだろう。だがそれならば、なおさらなぜこの建物を手放し、そして立て壊さないままなのかが、より一層不気味に浮かび上がってしまう。

 なにか、やむにやまれぬ理由でもあったのか、あるいは――どうにも思考の中に、薄ら寒いものが滑り込んでこようとする。
 一樹は考え込むことを一旦止め、とにかく“動く”ことを優先させた。

「まぁ、なんにせよ、だ。とにかく、暗くなる前に調べよう。なにかあったら、すぐに――」
「オッケイ! 分かってる分かってる、声かけるからね」

 このやり取りも、すっかり慣れたものだった。なんともたくましい奈緒の“グッドサイン”を受け、一樹もため息をついてしまう。

 二人はある程度の距離感を保ちつつ、それぞれ手分けしながら建物の中を調べていく。朽ち果てた館内を写真に収めたり、噂にある“妙な気配”の正体を探っていく。

 一階、二階と進めていくが、写真こそ溜まっていくものの、なにかが姿を現す気配はない。異様な空気感にも慣れてきたのか、一樹は声を潜めながらも奈緒に問いかけた。

「奈緒、なにか感じたりする?」
「ううん、なんにも。おかしいなぁ、ここまで噂が飛び交ってるのに、こんなもんなのかなぁ……」
「その、“影”が見えたっていうのは、三階なんだよね?」

 奈緒は「うん」と頷き、またもスマートフォンを取り出す。したためていたメモを取り出し、そこに記されている内容を振り返った。

「なんでも、昼間から夕方にかけて“大きな影”が動いているのを見た人がいるんだってさ。西側だから――こっちのほうの窓かな」
「西……つまり、あの割れていた窓の方か」

 二人は同時に、三階への階段を見つめた。傾きつつある夕日が窓から差し込み、茜色と濃い影を伸ばしている。

「ただ、どうにも変な情報も混じってるんだよねぇ。まぁ、聞いた相手が小学生だったってのもあるんだけどさ」
「変な情報、っていうのは?」
「なんか、“大きなクローバーが見えた”って言ってるんだよ」
「なんだそりゃ。なにか妙なアンティークでも置いてるのかな」

 こうなると、どうにも“情報”そのものも疑わしくなってしまう。もっとも、はなから噂話というものは、そういった不確かなものでしかないのかもしれない。

 とにかく二人は階段を上り、三階へと到達する。階下と同様、部屋はどこも朽ち果てており、床板が剝き出しで穴が開いている所まであった。踏み外して落下などしたら、たまったものではない。

 構造上、三階は二階に比べてもかなりエリアは狭い。二人はいっそのこと手分けして、一気に探索を終えてしまおうと考えた。
 
 奈緒が進むのとは反対側の部屋を調べていくと、ついに一樹はくだんの場所――割れた窓へとたどり着く。
 欠けた部分から外を覗き込むと、高いこともあって住宅街の様子が一望できた。ここに住んでいた人間は、毎日このような絶景を拝んでいたと思うと、どうにも羨ましい。

 夕暮れに染まる街を、人々が行き交うのが見える。すぐ外には変わらぬ日常があると分かるだけで、随分と気持ちが落ち着いた。

 と同時に、その夜へと向かう街の姿に、別の思いを馳せてしまう。

 人間が住むこの世界の“隙間”に、確実に“幽霊”はいる。
 互いに触れ合えないだけで、重なり合うように存在する“それら”を思うと、見慣れたはずの街がなんだか別の色に染まって見えた。

 ――案外、この世界そのものが“異界”なのかもな。

 行き過ぎた考え方に苦笑してしまう一樹。
 そんな彼の背後で、“ぎしり”と軋む音が聞こえた。

 慌てて振り向き、奈緒を探す。しかし、そこには誰もいない。
 警戒はしたが、それでも肌をざわつかせるあの“感覚”もないことから、どこか安心したまま数歩、前に出た。

 なにもいないならば、それに越したことはない。とにかく奈緒と合流し、早く脱出して帰還するべきなのだろう。
 一樹はせめて写真を撮ろうと、手元のスマートフォンを操作した。

 だが、ここで妙なことに気付く。
 なぜか先程まで起動していたはずのスマートフォンの電源が落ちており、何度ボタンを押しても一向に立ち上がってくれない。
 突入時に電池残量が十分だったのを確認していたため、ありえるとすれば突然の故障なのだが、それもどこか妙であった。

 かちかちとボタンを押したり、意味がないと分かっていても画面をタップし続ける一樹。もはや不安ではなく苛立ちの方が勝り、自然と「なんだよ」と眉間にしわを寄せてしまう。

 だが、数瞬の後、まずは一樹の“耳”が、違和感に気付く。

 なにか、空気が漏れるような音が聞こえる。
 それはいくつも重なり、不定期にそれぞれのリズムを刻んでいた。“ハァー”だの“シィー”だのという奇妙な音色に、首をかしげてしまう。先程、この部屋に踏み込んだ時は、鳴り響いていなかったはずだ。
 
 手元のスマートフォンの故障音かとも思い、端末の隅々までを調べるが、そもそも電子端末から空気が漏れるような機構があるわけもない。

 この時もまだ、一樹の中では“苛立ち”が勝っていた。端末を強く握りしめ、黒くなった画面に写り込んだ自身の不満げな顔を睨みつけてしまう。

 その反射する一樹の“背後”に――“それ”を見つけてしまった。

 動きを止める。
 目を見開き、呼吸を止め、ぼやけた反射画像をじっと見つめた。

 なにかが、いる。
 一樹の顔の背後――少し離れた位置に、真っ白な“なにか”が。

 だが、おかしい。
 一樹は今、手元のスマートフォンを“覗き込む”ような形で、見ているのである。
 
 “下”にある画面を、“上”から。
 すなわち、その顔の背後とは――一樹は遅れて、ついに気付いてしまう。

 先程から鳴り響いている“音”の、正確な“方向”を。

 ゆっくりと、顔を持ち上げる。
 ゆるゆると昇っていく視線は廃墟の壁を経由し、すぐに天井を捉えた。

 一樹の頭上――部屋の天井に、“それ”はいた。
 まるで昆虫のように、長い四肢のみで天井に張り付き、それでいて“それ”の顔はしっかりと、真下の一樹を見ている。

 人間の形をしていた。だが、一樹を遥かに超える巨大な姿に、ただただ唖然としてしまう。
 衣服は纏っていない。まるでマネキン人形のような、一切の色を持たない真っ白な肌をしている。
 
 声一つ、あげることができなかった。一樹は頭上の“それ”のある一点――その存在の“頭部”を見つめ、硬直してしまう。

 首の先の顔が、一樹を見て笑っている。
 その口元から、先程から聞こえているあの“音”が鳴り響いているのが分かった。

 呼吸音――だが、なぜそれが複数聞こえるのか。
 その理由を、即座に一樹は理解した。

 巨大な人型のその頭部は“四つ”あった。
 首の上に四つの頭が、十字を形作るように乗っている。

 巨大な体躯に、四つの大きな頭。不意に、一樹の脳裏に、先程奈緒と交わした会話が蘇っていた。

 ――“大きなクローバー”が見えた。

 絶句し、全てを理解してしまう一樹の前で、“それ”の口元がさらに大きく、歪む。

 ――ハァアアアーーーー。

 嬉しそうに、ただ喜びのみに満ちたその笑顔に、ついに一樹の精神が限界を迎える。
 まるで“幸運”とはかけ離れた邂逅に、一樹はついに初めて、悲鳴を上げてしまった。
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