ゴースト×ライター

創也慎介

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第3話 “視える”二人

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 しばらく呆けていた一樹は一旦、生唾を飲んで喉を潤し、なんとか一言を絞り出す。
 先程から動悸が治まらない。それは決して、歳が近い女性と対峙する緊張からくるものではなかった。
 一樹は反射的に、自分が置かれた状態に気付いてしまったのだ。

 原稿を読まれた――今、机の上に置かれている“あれ”は、来月号に掲載する「ラブ&ゴースト」の生原稿である。
 その原本をうかつにも机に出したまま、席を立ってしまったのだ。

 もっとも、自分が堂々と作業をしているはずの席に、別の誰かが座るなど思いもしない。
 目の前の彼女がなぜ、そんな突飛な行動をとっているのか、ひとまずその理由は後回しにすることにした。

「あの……その席――」
「え……あ、ああ! ごめんなさい。ここ、あなたが?」

 どんな態度に出られるか不安だったが、一樹の戸惑いから察してくれたらしい。
 彼女は慌てて立ち上がり、一歩、椅子から遠のいた。

「本当にごめんなさい!」
「あ……いや……」

 本来ならば、怒っても仕方ない場面なのだろう。人が作業をしている席にあえて座り、あまつさえそこに並べられていた資料――いわば“個人情報”を盗み見られた可能性が高いのだ。
 もっと「なにをやってるんだ」と声を荒げても、ばちは当たらないのかもしれない。

 だが、一樹はどうにも怒鳴る気分にもなれず、ただ女性が明け渡した椅子に、再び座ることしかできなかった。
 あまりにも突飛な事態に頭が追い付いていないというのが、正直なところである。

 ――何者なんだ。

 横目で警戒しつつ、一樹はゆっくりと本を畳み、自身のノートと二冊の“原稿”を片付け始めた。
 だが原稿を手に取った一樹に、隣に立つ女性が問いかける。

「あのぉ、もしかして、“小説家”さんですか?」

 びくりと動きを止め、慌てて振り向く一樹。女性は立ち去るどころか、何故か一歩だけ距離を詰めている。
 不可解な態度だが、問いかけの内容に思わず胸がざわつく。

 ――やはり、読まれてしまったか。

 なんとか、自分が「ラブ&ゴースト」の“代筆者”であるということだけは、隠さなくてはいけない。
 この件については、出版社からも徹底して「ばれないように」と念を押されているんどあ。

 乗り気ではない仕事を必死に守ろうとしている自分がどこか滑稽だったが、一樹は少しひきつった笑みで返す。

「いや……別に、そんなんじゃあ……」
「じゃあ、“自作小説”ですか、それ?」
「ま、まあ……そんな……ところです」

 和やかに返しつつも、脳みそは必死に言い訳を探っている。
 女優・|黒住《》に憧れて書いている。あるいはたまたまタイトルが被っただけ――なにをどう組み合わせても、どこか嘘くさくなるから、嫌になってしまう。
 元来、嘘をつけない性分である自分を、この時ばかりはひどく呪った。

 どう突っ込まれるのか、どう追及されるのか。
 びくびくしながら構えている一樹に、彼女は笑みを浮かべた。

「小説家志望なんですね、すごい!」

 随分と弾んだ語気に、たまらず一樹は振り向く。見れば女性は目をらんらんと輝かせ、また少し距離を縮めていた。
 相変わらず、大きな瞳の中に映る自分の呆け顔が、なんとも締まらなく、滑稽だ。

「は、はい?」
「私も同じ――自作小説、書いてるんですよ。奇遇ですねぇ!」

 嬉しそうに笑う彼女に、一樹は「はあ」と気の抜けた返事しかできない。
 だがこの態度を見る限り、どうやら彼女は一樹の“正体”には気付いていないようである。

「そ、そう……そりゃあ、まぁ……偶然、だね」
「はい! でも、凄いですね。ちらっと見ただけで、一気に惹きこまれちゃいました、それ!」
「ふぅん……それは、その……ありがとう」

 どうにもぎこちなく返すことしかできず、自分自身でもしどろもどろだと分かっていながら、とりあえず礼だけは絞り出した。
 
 改めて手元の原稿に目をやる。上に重ねられた「ラブ&ゴースト」を、さりげなく自身の原稿の後ろ側に隠した。

 席を立つ前に、学生達が交わしていたあの会話を思い出してしまう。
 どれだけ賞賛されても、自然とそれが一樹ではなく大女優・黒住という存在に向けられたものに変換され、すぐさま色を失っていく。

 ため息をつき、原稿の端を整える一樹。憂鬱な眼差しを落とす一樹の隣で、なおも自由に女性は語り続ける。

「凄いなぁ、私なんかより全然、文才あって羨ましいですよ」
「ああ、そう……」
「特に、迫力が凄かったです。あの、主人公が“絡新婦じょろうぐも”の首を切り落とすところの、あの臨場感と言ったら、もう――!」
「うん、そう……うん?」

 適当に返事をしていたつもりが、彼女の言葉の中に妙な違和感を抱き、覚醒してしまった。
 原稿を掴んだまま、視線が手元ではなく前を向いて固まる。

 ――絡新婦?

 それは大昔の怪談などに登場する、蜘蛛の妖怪だ。美しい女性に化けることから“女郎蜘蛛”とも記載される。
 その名前に一樹はひどく馴染みがあった。だが聞き覚えがあるからこそ、彼女の言葉にそれが登場することが、どうにも妙なのだ。

 なぜなら「ラブ&ゴースト」の中に、絡新婦は――それどころか、“妖怪”など登場はしないのである。
 ましてや恋愛を前面に押し出した作品に、彼女の言う“首を切り落とす”なんて残酷な描写は、登場しえない。

 ただそれでも、その描写には覚えがある。
 一樹の視線が手元の原稿――手前に位置する、自身の一作に向けられた。
 彼の動揺に気付かないまま、なおも女性は語る。

「しかも、しかもですよ! 蜘蛛の姿が全部“作り物”で、本体が上から糸で操ってたっていうのが、意外も意外で――!」

 嬉しそうな女性の声を聞きながら、自身の無名作品の原稿をめくる一樹。数枚めくった後、すぐに彼女が言うシーンに辿り着いた。

 間違いない。彼女が語っているのは「ラブ&ゴースト」の内容ではなく、一樹が書き上げたオリジナル作品について、だ。

 加速する女性の言葉を、ついに一樹は遮ってしまう。

「君は――君も、小説を?」

 一瞬、女性は言葉を止めてきょとんとしていたが、すぐに笑顔を取り戻して首を縦に振る。

「はい! って言っても、まぁ、趣味で書いてるだけですけどね」

 なぜか彼女は「へへへ」と、気恥ずかしそうに笑っていた。一方で一樹は、どこか真剣な眼差しで問いかける。

「そうか……あの……こ、これ! その、率直に……どう思う?」
「どう、っていうのは――」
「だから、その……面白かった――かい?」

 質問の内容自体がどうにも間抜けに思えてしまったが、それでも一樹は問いかけずにはいられなかった。
 彼女が自分と同じ“物書き”であるという親近感もあったが、なにより今まで一度も出会わなかった、実に稀有けうな存在だと直感で理解したからだ。

 初めて、自分の作品を真っ当に読んでくれた――気が付いた時には、一樹は強く原稿を握りしめ、持ち上げていた。

 どこか緊張したまま前を向く一樹に、驚くほどあっさりと、彼女は頷いて見せる。

「もちろん! 私、そういうドンパチするのが大好きなんですよぉ。なんかこう、世間は“女の子って恋愛小説好きでしょ”的な偏見の目も多いんですけど、昔からばっちばちにバトルする話が大好物なんですよねぇ」

 嬉しそうに語る彼女の笑顔が、なんだかひどく眩しい。その輝きを真正面で捉えているだけで、鼓動が酷く高鳴るのを感じていた。

 持ち上げた原稿を机の上に置き、背もたれに体重を預けなおす一樹。なおも笑顔のまま、こちらを見つめている女性。
 大きく吐き出されたため息は、先程までトイレでついていたそれとは、まるで色が違う。

「そうか……よ……良かった」
「それ、どこかに投稿するんですか?」
「あ……い、いや、そういうんじゃあ――」

 なぜか今度は一樹の方が気恥ずかしくなってしまい、慌てて机に向き直る。

「ええ、なんでですか? せっかくだから、賞とかコンテストに出せばいいのに」
「ま、まぁ、ねぇ」

 ひとまず「ラブ&ゴースト」のことがばれていないことに一安心はしたが、今度は“この女性が何者なのか”という点が、急に気になってきた。
 そもそも人の原稿を勝手に読んだだけでなく、随分とフレンドリーに語り掛けてくる姿が妙に掴めない。

 改めて何者なのか――と、気になる一樹の背筋を、不意にまた“あの感覚”が襲う。

 唐突に、氷の塊を肉体に抉りこまれたような、耐えがたい冷たさ。
 緩んでいた肉体が一気に引き締まり、歯を食いしばってしまう。

 反射的に視線を走らせると、やはり対面の壁際に“それ”が――女性の“幽霊”の姿があった。
 またもカウンターに座る司書の前を堂々と横切り、反対側の本棚へと音もなく移動していく。
 窓から差し込む陽光を受けても、仄暗い闇を纏い、重力を感じさせない動きを見せている。

 ゾッとはしつつも、こちらに危害を及ぼしてこないのは、一安心といったところか。ため息をつきながら、改めて隣に立つ女性を見つめた。

 だが、すぐそばに立つ彼女の姿に、息を飲む。
 女性は先程まで一樹が見ていた方向――対面の本棚を、どこか睨みつけているようだった。

 先程までの笑顔から一変、どこか恐ろしさすら伝わってくる形相の彼女に、一樹は恐る恐る問いかける。

「あの……どうしたの?」
「え――あ、ああ! ご、ごめんなさい、ちょっと……」

 彼女は再び笑顔を浮かべるが、随分とぎこちなく、不自然だ。笑いながらも視線だけは、ちらちらと先程の方向へ向けられている。

 その妙な挙動に一樹は本能的に察し、気が付いた時には一言を投げかけていた。

「君、もしかして――君も“視える”のか?」
「えっ……君も、って……まさか、あなたも――?」

 一樹の一言に、連鎖するように女性も察した。
 一樹は横目で“それ”に悟られないように気をつけながら、小声で目の前の女性に問いかける。

 この単語を直接口にするのは、どこかはばかられた。
 だがその言葉が、“あれ”を指し示すのに最も適していると、確信している。

「驚いた……初めてだよ。“幽霊”が視える人に、出会うだなんて」

 しばし互いを見つめ合う一樹と女性。二人は静かに呼応した後、再び遠くの本棚へと視線を走らせる。
 並んだ本の隙間――そこに確かにいる亡者の気配に、思わずごくりと生唾を呑み込んでいた。





 二人は図書館を後にし、すぐ目の前の噴水広場のベンチに腰かける。
 場所を変え、陽光に身を晒すことで、ようやく妙な緊張感から解き放たれた。
 広場に飛び交う親子連れや学生の声のおかげで、“幽霊”の存在を意識せず、自然なトーンで喋ることができる。

 彼女の名は朝霧奈緒あさぎりなお――偶然にも一樹とは同い年で、この近くに家族と一緒に暮らしているらしい。
 フリーターとして働いているようで、読書好きなことから図書館にもたびたび足を運んでいるのだとか。

 本が好きで、物語を書くことが好きで、そして“幽霊”を視る力がある――様々な共通点に、奈緒は笑いながら語る。

「本当、凄い偶然だねぇ。まさか年齢や趣味だけじゃなく、“視える”ところまでそっくりだなんてねぇ」
「そ、そうだね……」

 互いの素性が分かった途端、奈緒の敬語は瞬く間になりを潜めた。急激に距離を詰められたことに戸惑いはしたが、一樹もより肩の力を抜き、喋ることができる。

 偶然の出会いとはいえ、自身の小説に興味を示してくれた相手が、自分と同じような奇怪な“力”を持っているということに、一樹も素直に驚いていた。

 ――運命、と考えるのは図に乗りすぎか。
 
 くだらない妄想をかき消し、一樹は噴水を見つめたまま問いかける。

「一体、あれは何なんだろうな。俺も気が付いた時には“視えて”いたんだよな」
「う~ん。私も同じだなぁ。でも、“幽霊”の正体なんて、さっぱりだよ。“不思議なもの”って割り切って、あまり触れないようにしてきたしねぇ」
「だよなぁ。でもまぁ、ちょっとだけ安心したよ」

 こちらを見つめ「なにを?」と首をかしげる奈緒に、一樹は少し苦笑して返す。

「いや、もしかしたら俺にしか見えてないんじゃないか、って不安だったんだ。でも、こうして同じものを“視えてる人”がいるってことは、“あれ”は確実に存在してるんだな、って」

 奈緒は「そっかぁ」と納得していたが、しばらくして何かに気付き、目を丸くする。

「ああ、だからか。一樹君は、だからあの“物語”を書いたんだね」
「え、なにが?」
「あの“絡新婦”の話だよ! 自分が“視える”から、その体験を元に書いたんだね。だから描写がリアルなのかぁ」

 なんだか勝手に納得する奈緒だったが、一樹は思いがけない一言に驚き、首を横に振った。

「い、いや……そういうわけじゃあ。あれはあくまで、俺の妄想だよ。昔からホラーが好きだったからさ。まぁ、だから“あんなの”が、視えるのかもだけど」
「あれ、そうなの? なんだ。てっきり、実体験なのかと――」
「いやいやいや、いくらなんでも、蜘蛛と戦った経験なんてないさ」

 純粋というか、奔放な想像力というか――とにもかくにも、奈緒の一喜一憂する姿がどこかおかしく、思わず一輝まで笑ってしまった。

 奈緒は納得したのか、すくとベンチから立ち上がる。座ったまま見上げる一樹に、彼女は満面の笑みを向けた。
 どうやら時間らしく、去り際に彼女は嬉しそうに告げる。

「私、よくこの図書館に来るから、もしまた会ったら読ませてね。あの小説――楽しみにしてるから!」
「お、おお……」

 手を振り、踵を返し去っていく奈緒。一樹も座ったまま手を振り、遠ざかっていく後ろ姿を見つめていた。

 ――不思議な女性だ。

 思い返せば、終始彼女のペースに振り回されてしまったようだ。だがそれが苦痛ではなく、むしろ自身の体の中にたまっていた“もや”を払ってくれたようにすら感じる。

 たまらず、一樹は足元の鞄から、自身の作品の原稿を取り出す。
 しばしその文章を眺めた後、再び去っていった奈緒へと視線を向けた。

 すでに広場には彼女の姿はない。だが、記憶に焼き付いたあの笑顔を思い浮かべ、一樹は思う。

 ――きっとまた、出会う気がする。

 ほうと漏れたため息は、広場を吹き抜けた春の風に混じり、さらわれた。
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