8 / 30
1章 『勇者』は失業の危機にある。
今までは『犬』見習い(インターン)やったんですか? 3
しおりを挟む いつまでも隠すわけにはいかぬと意を決してリルは家族と子を対面させた。
皆当然狼の子か、そうでなくとも他種の完全な獣人が生まれてくると思っていたようで、予想外の出来事に驚きはしたものの、恐れていたよりずっと簡単にリルの子を受け入れてくれた。
ただ兄なんかは「リルが人間なんぞに汚されてしまった」と嘆いていたが、母に一蹴されるとそれもすぐに止んだ。
生まれてきた子は通常の狼獣人より大人しいとはいえ、夜泣きには散々苦しめられ、リルは常に疲労感を纏うはめになったが、それでも縁側で乳を含ませている最中なんかに、
「可愛い子だねぇ、きっと父様に似たんだねぇ」
「こんなに可愛い子が息子なんて父様も嬉しいだろうねぇ」
と母や家の者に笑いかけられると、キャッキャとはしゃぐ我が子に徐々に愛情が増していくようで。腹にいる時以上に生まれてからも手のかかるのに、そうやってどんどん可愛く思えてくるのが、リルには不思議だった。
こうなると今度は段々欲が湧いてきて、
「サリウスさんにも会わせたいな」
夜、子を寝かしつけながら父親である彼のことを子に語って聞かせるようになった。
「お前のお父さまはすごい魔法使いなんだよ。もしかしたらお前も魔法が使えちゃったりして」
期待と、拒絶されたらという不安と半々。
優しいサリウスは真正面からリルたちを傷つけるようなことはしないだろうけれど、目を反らされたり避けられたりしたらつらいんだろうなとリルは思う。
それでも健やかな子の寝顔を眺めていると、サリウスもきっと二人の繋がりを証明する結晶を喜ぶんじゃないかって信じたくなる。
「ねぇ、お前になんて名を授けようね」
頬っぺたを突くと、子の口元が緩み隙間からよだれが零れる。ふくふくとした様子が本当に幸福そのものという感じで、リルはなんだか堪らない気持ちになった。
人間のことは知らないが狼獣人は父親が子の命名をする慣習があるため、まだ名づけもしていない子を「お前」としか呼べないことが申し訳なくて。サリウスにそっくりな子を自分だけが知っているのがもったいなくて。
認知してもらえなくても、私生児という扱いにもしてもらえなかったとしても、サリウスに二人の赤ん坊を見せたいという欲が日に日にリルの中で大きくなっていく。
もうサリウスが結婚をしてしまっていたら迷惑だろうけど、それでもこの生命体の可愛さを独り占めするのは気が引けた。というより、サリウスとほんの少しでも愛しい我が子のことを分かち合いたかった。
びっくりするかな。するよね、きっと。
サリウスが子の存在に驚くのと同じように、リルの両親もサリウスの正体を知ったら驚くんだろうな。
全部を把握しているのはリルだけ。
全てが明らかになった時のことを想像してみると、リルはなんだかおかしくなった。
父母はサリウスのことをリルがいつまでも黙っているのを聞き出そうとはしないけれど、訳アリなことくらいとっくに察しているのだろう。
「父様に似ている」だとか「父様も会いたがるだろう」と口にする割に直接「どこの誰か」なんて詮索する真似はしてこない。
兄たちは「碌でもないやつ」と決めつけてかかっているから、もしかしたら両親にもそう思われているのかもしれないが。
でも、サリウスは良い人で本当に悪いのは自分の方。
その経緯を伝えたら彼らはまた怒り出しそうだからなかなか言い出せずにいるだけだ。
特に雪の中で行き倒れていたアルファを拾ったくだりなんて、危機感がないと言われかねないし、そうなると話が脱線すること必至。
人間より遥かに丈夫とはいえ、産後の体力を消耗した状態ではそれどころでなかったし、手のかかる子に付きっきりでそんな余裕もなかった。
結局リルはそういう事情は一旦伏せたままにしておくことにした。
そして、同じように「子の父親に会いに行きたい」という言葉も。
いかにも実家に逃げ帰ったという風で、そのまま素性の知れない男との子を出産までしてしまった手前、どう打ち明けていいのかわからなくなっていたのだ。
相手は魔塔に所属する魔導士で、王宮内の寮に住む貴族。当然アルファでリルの番で、でも恋人じゃなくて。当然妊娠の事実も知らない。なんなら貴族の持つ姓も、正確な住居も、爵位も、家族構成も詳しいことは何も知らない。
そんな彼とのことはどこを切り取って伝えても騒ぎになりそうで、リルは黙りを決め込み続けていた。
ただ生後しばらく経っても名前がないと役場を困らせてしまうからと母に、
「早めに名前をつけておやりよ」
急かされたことを機にリルはますますサリウスとの邂逅を夢見るようになった。
とはいえ、パン屋の主でさえリルの正確な居所を知らないのだから、偶然に彼がこの場所を訪れるなんてことはない。
こっちから会いに行かなければ何も起こらないのだ。
そうして、母の言いつけから数日後、村役場の職員がリルを訪ねて来た晩、リルはついに王都へ発つことを心に決めた。
昼間役人に「早く届けを出してくれ」とせっつかれ、ようやく腹を括ったのだ。
「やっぱり子の名づけは父親であるサリウスさんにしてもらいたい」
これがリルの出した答えだった。
洗いざらいとはいかないが、王都にいる男が子の父親だと白状したリルに、家族はリルの予想に反して肯定的な姿勢を見せてくれたことが何よりの救いだった。
皆リルが何を語っても受け入れようと示し合わせていたのだそう。
兄たちは弟と甥っ子が一気にいなくなることを寂しがったが、両親は最初にリルが家を出た日と同じように落ち着いていた。
「いつでも帰っておいでよ」
身支度を整え、荷物を纏めるリルを母はそう言って送り出す。
「いってきます」
残暑の中、来た時に持って来た荷物に加えて、ずっしり重いお包みを抱えるとリルは村に背を向け歩き始めた。
ここから先はまた荷馬車でも捕まえよう。
腕の中の子があまり泣かないといいんだけれど。
今はまだ機嫌の良さそうな我が子に目を向けると、微笑みが返ってくる。それだけで、どんなことでも頑張れそうな気がする。
徐々に頭上の木の葉が薄くなり、トンボの飛ぶ空が露わになる。
砂で固められた道が現れ、遠くの方に行商人の幌馬車が小さく見える。
まずそれ目掛けてリルは軽い足取りで進み始める。
子を産んで三ヶ月の、ある晴れた日のことだった。
皆当然狼の子か、そうでなくとも他種の完全な獣人が生まれてくると思っていたようで、予想外の出来事に驚きはしたものの、恐れていたよりずっと簡単にリルの子を受け入れてくれた。
ただ兄なんかは「リルが人間なんぞに汚されてしまった」と嘆いていたが、母に一蹴されるとそれもすぐに止んだ。
生まれてきた子は通常の狼獣人より大人しいとはいえ、夜泣きには散々苦しめられ、リルは常に疲労感を纏うはめになったが、それでも縁側で乳を含ませている最中なんかに、
「可愛い子だねぇ、きっと父様に似たんだねぇ」
「こんなに可愛い子が息子なんて父様も嬉しいだろうねぇ」
と母や家の者に笑いかけられると、キャッキャとはしゃぐ我が子に徐々に愛情が増していくようで。腹にいる時以上に生まれてからも手のかかるのに、そうやってどんどん可愛く思えてくるのが、リルには不思議だった。
こうなると今度は段々欲が湧いてきて、
「サリウスさんにも会わせたいな」
夜、子を寝かしつけながら父親である彼のことを子に語って聞かせるようになった。
「お前のお父さまはすごい魔法使いなんだよ。もしかしたらお前も魔法が使えちゃったりして」
期待と、拒絶されたらという不安と半々。
優しいサリウスは真正面からリルたちを傷つけるようなことはしないだろうけれど、目を反らされたり避けられたりしたらつらいんだろうなとリルは思う。
それでも健やかな子の寝顔を眺めていると、サリウスもきっと二人の繋がりを証明する結晶を喜ぶんじゃないかって信じたくなる。
「ねぇ、お前になんて名を授けようね」
頬っぺたを突くと、子の口元が緩み隙間からよだれが零れる。ふくふくとした様子が本当に幸福そのものという感じで、リルはなんだか堪らない気持ちになった。
人間のことは知らないが狼獣人は父親が子の命名をする慣習があるため、まだ名づけもしていない子を「お前」としか呼べないことが申し訳なくて。サリウスにそっくりな子を自分だけが知っているのがもったいなくて。
認知してもらえなくても、私生児という扱いにもしてもらえなかったとしても、サリウスに二人の赤ん坊を見せたいという欲が日に日にリルの中で大きくなっていく。
もうサリウスが結婚をしてしまっていたら迷惑だろうけど、それでもこの生命体の可愛さを独り占めするのは気が引けた。というより、サリウスとほんの少しでも愛しい我が子のことを分かち合いたかった。
びっくりするかな。するよね、きっと。
サリウスが子の存在に驚くのと同じように、リルの両親もサリウスの正体を知ったら驚くんだろうな。
全部を把握しているのはリルだけ。
全てが明らかになった時のことを想像してみると、リルはなんだかおかしくなった。
父母はサリウスのことをリルがいつまでも黙っているのを聞き出そうとはしないけれど、訳アリなことくらいとっくに察しているのだろう。
「父様に似ている」だとか「父様も会いたがるだろう」と口にする割に直接「どこの誰か」なんて詮索する真似はしてこない。
兄たちは「碌でもないやつ」と決めつけてかかっているから、もしかしたら両親にもそう思われているのかもしれないが。
でも、サリウスは良い人で本当に悪いのは自分の方。
その経緯を伝えたら彼らはまた怒り出しそうだからなかなか言い出せずにいるだけだ。
特に雪の中で行き倒れていたアルファを拾ったくだりなんて、危機感がないと言われかねないし、そうなると話が脱線すること必至。
人間より遥かに丈夫とはいえ、産後の体力を消耗した状態ではそれどころでなかったし、手のかかる子に付きっきりでそんな余裕もなかった。
結局リルはそういう事情は一旦伏せたままにしておくことにした。
そして、同じように「子の父親に会いに行きたい」という言葉も。
いかにも実家に逃げ帰ったという風で、そのまま素性の知れない男との子を出産までしてしまった手前、どう打ち明けていいのかわからなくなっていたのだ。
相手は魔塔に所属する魔導士で、王宮内の寮に住む貴族。当然アルファでリルの番で、でも恋人じゃなくて。当然妊娠の事実も知らない。なんなら貴族の持つ姓も、正確な住居も、爵位も、家族構成も詳しいことは何も知らない。
そんな彼とのことはどこを切り取って伝えても騒ぎになりそうで、リルは黙りを決め込み続けていた。
ただ生後しばらく経っても名前がないと役場を困らせてしまうからと母に、
「早めに名前をつけておやりよ」
急かされたことを機にリルはますますサリウスとの邂逅を夢見るようになった。
とはいえ、パン屋の主でさえリルの正確な居所を知らないのだから、偶然に彼がこの場所を訪れるなんてことはない。
こっちから会いに行かなければ何も起こらないのだ。
そうして、母の言いつけから数日後、村役場の職員がリルを訪ねて来た晩、リルはついに王都へ発つことを心に決めた。
昼間役人に「早く届けを出してくれ」とせっつかれ、ようやく腹を括ったのだ。
「やっぱり子の名づけは父親であるサリウスさんにしてもらいたい」
これがリルの出した答えだった。
洗いざらいとはいかないが、王都にいる男が子の父親だと白状したリルに、家族はリルの予想に反して肯定的な姿勢を見せてくれたことが何よりの救いだった。
皆リルが何を語っても受け入れようと示し合わせていたのだそう。
兄たちは弟と甥っ子が一気にいなくなることを寂しがったが、両親は最初にリルが家を出た日と同じように落ち着いていた。
「いつでも帰っておいでよ」
身支度を整え、荷物を纏めるリルを母はそう言って送り出す。
「いってきます」
残暑の中、来た時に持って来た荷物に加えて、ずっしり重いお包みを抱えるとリルは村に背を向け歩き始めた。
ここから先はまた荷馬車でも捕まえよう。
腕の中の子があまり泣かないといいんだけれど。
今はまだ機嫌の良さそうな我が子に目を向けると、微笑みが返ってくる。それだけで、どんなことでも頑張れそうな気がする。
徐々に頭上の木の葉が薄くなり、トンボの飛ぶ空が露わになる。
砂で固められた道が現れ、遠くの方に行商人の幌馬車が小さく見える。
まずそれ目掛けてリルは軽い足取りで進み始める。
子を産んで三ヶ月の、ある晴れた日のことだった。
0
お気に入りに追加
153
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。


なんでも諦めてきた俺だけどヤンデレな彼が貴族の男娼になるなんて黙っていられない
迷路を跳ぶ狐
BL
自己中な無表情と言われて、恋人と別れたクレッジは冒険者としてぼんやりした毎日を送っていた。
恋愛なんて辛いこと、もうしたくなかった。大体のことはなんでも諦めてのんびりした毎日を送っていたのに、また好きな人ができてしまう。
しかし、告白しようと思っていた大事な日に、知り合いの貴族から、その人が男娼になることを聞いたクレッジは、そんなの黙って見ていられないと止めに急ぐが、好きな人はなんだか様子がおかしくて……。

【BL】国民的アイドルグループ内でBLなんて勘弁してください。
白猫
BL
国民的アイドルグループ【kasis】のメンバーである、片桐悠真(18)は悩んでいた。
最近どうも自分がおかしい。まさに悪い夢のようだ。ノーマルだったはずのこの自分が。
(同じグループにいる王子様系アイドルに恋をしてしまったかもしれないなんて……!)
(勘違いだよな? そうに決まってる!)
気のせいであることを確認しようとすればするほどドツボにハマっていき……。

真面目系委員長の同室は王道転校生⁉~王道受けの横で適度に巻き込まれて行きます~
シキ
BL
全寮制学園モノBL。
倉科誠は真面目で平凡な目立たない学級委員長だった。そう、だった。季節外れの王道転入生が来るまでは……。
倉科の通う私立藤咲学園は山奥に位置する全寮制男子高校だ。外界と隔絶されたそこでは美形生徒が信奉され、親衛隊が作られ、生徒会には俺様会長やクール系副会長が在籍する王道学園と呼ぶに相応しいであろう場所。そんな学園に一人の転入生がやってくる。破天荒な美少年の彼を中心に巻き起こる騒動に同室・同クラスな委員長も巻き込まれていき……?
真面目で平凡()な学級委員長が王道転入生くんに巻き込まれ何だかんだ総受けする青春系ラブストーリー。
一部固定CP(副会長×王道転入生)もいつつ、基本は主人公総受けです。
こちらは個人サイトで数年前に連載していて、途中だったお話です。
今度こそ完走させてあげたいと思いたってこちらで加筆修正して再連載させていただいています。
当時の企画で書いた番外編なども掲載させていただきますが、生暖かく見守ってください。

春を拒む【完結】
璃々丸
BL
日本有数の財閥三男でΩの北條院環(ほうじょういん たまき)の目の前には見るからに可憐で儚げなΩの女子大生、桜雛子(さくら ひなこ)が座っていた。
「ケイト君を解放してあげてください!」
大きなおめめをうるうるさせながらそう訴えかけてきた。
ケイト君────諏訪恵都(すわ けいと)は環の婚約者であるαだった。
環とはひとまわり歳の差がある。この女はそんな環の負い目を突いてきたつもりだろうが、『こちとらお前等より人生経験それなりに積んどんねん────!』
そう簡単に譲って堪るか、と大人げない反撃を開始するのであった。
オメガバな設定ですが設定は緩めで独自設定があります、ご注意。
不定期更新になります。


ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる