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番外編(本編中のネタバレもあります。)
【愛】を返す日 後編 (* 皆でふたりのデートの為に頑張る話です。)
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ご覧頂きありがとうございます。
場面切り替え毎に語り手が代わり、最後に百合になります。
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気持ちが逸り予定していた時刻よりも早くに帰ってきた。
愛しい妻の待つ俺の部屋からは、最愛の匂いに混じり、あれの好む菓子などの香りが漂ってきている。
今日も俺と楽しむ為に何かを用意しているようだ。
俺を想い偶に料理などもするその気持ちに無上の喜びを感じている。
今ある幸せが夢や幻ではないかと恐ろしくなることがある。
最愛の番を娶り、永く共に在った。
暫しの別離を経て、今また共に在る。
取り戻した最愛を抱き蜜月を過ごした後、その腹には俺の蒔いた種が宿り芽を出した。
そしてそれがもうすぐ産まれようとしている。
(これは紛れもなく現にあることだ。)
御簾越しに最愛に声をかける。
「百合、戻った。大事ないか?」
俺に並び鬼のΩの中で、一等強く美しい俺の妃には、字(Ωの名)で呼ばれることなど、本来相応しくない。
だというのに高い身分を厭うお姫様は、昔から俺や従者などに『百合』と呼ばれることを、嬉しく思うらしい。
(幼い頃から字で呼ばれていたからだろうか?)
義母はお姫様の【真名】を秘匿し、強い暗示までして隠し、 誰にも伝えられないようにさえしていたから、そのせいかもしれぬ。
そのうえ俺が名付けたことを明かすことも出来ぬようにもしていた。
(あれはお姫様と違い老獪でかなわん。)
成る丈希望通りにしてはいるが、やはり俺が授けた『紫』と呼びたく、真剣な話の時や閨などではずっとそう呼んでいる。
俺だけが呼ぶ名というのも悪くはないが、妃に相応しい名を名乗らせたくもある。
俺自身も、皆から俺を縛る名の『朱点』ではなく、違う名で呼ばれる日が来てほしい。
(その日も近くあるが、なかなか難しいだろう。)
そんなことを思案していると最愛から返事が返ってきた。
「ん、おかえり朱天。
全然問題ないよー。」
部屋からほんの少し薫る、爽やかだが濃厚で甘い最愛の薫りに安らぎを覚える。
しかしながら、この頃は子の持つ薫りも合わさってか、非常に危うい匂いをしており心配は尽きない。
遺伝的なものか分からぬが、母や義母にこいつの様な強い力のあるΩほど、このような体質に生まれついている。
このことから察するに腹の子も母親と同じく、薫り過多の異常体質に違いないだろう。
朝から出掛け用事を済ませ戻った俺に、飛びかかる様に駆け寄り抱きついてくる。
「お姫様、その体で走るのは良くない。気をつけろ。」
注意しつつもそれを受け止める態勢を取るが、不意に昔言っていた事を思い出す。。
大きくなっている腹が邪魔をして、俺にひしと抱きつくことが出来ずもどかしいと、双子を身籠っていた頃にそう言っていた。
俺の胸に飛び込んできた愛しい番を、ふんわりと包みこむように抱き留め、背や頭などを優しく撫でてやる。
「もう!お前まで。全く、過保護すぎるのは良くないぞ。」
「ハハッ…すまんな。」
呆れたような物言いに剥れた顔で拗ねる様は、とても成人した子と腹に子がいる親とは思えぬ、幼い振る舞いで笑いが出る。
「おお、また腹を蹴ったな?お前が『ママ』にせがんだのか?」
大きな腹に触れた場所から微かな振動の様なものを感じ、こんな事を聞いてしまう。
「この子もだけど…『ママ』も『パパ』に会いたかったんだ……」
恥ずかしいのか語尾になるにつれ声は小さくなり、顔も赤くなっている。
俺のお姫様はこんなところも愛いらしい。
「そうか。ひとりにして悪かった。
だが、本当に気をつけてくれ。」
こんなふうに不安になり、素直に俺に甘えるのも身籠っている間のみだ。
子を産んで暫くするとまた生意気で素直じゃなくなる。
それ故、俺はこの時期のお姫様をとても甘やかし、従者はもちろん息子にも苦言を言われている。
「忘れるな、俺はいつでもお前を心配しているし、どんなものからも守りたい。」
「うん。ありがとう朱。」
上目遣いで俺を見つめてくるお姫様に、内心は悶つつも平静を装いまた頭を撫でた。
下の息子曰く、『全力で殺しに来ている』かのようなその仕草に俺はとても弱い。
「すまんな、引き継ぎがありまだ暫くは不便をかける。」
「お義母様たちはお元気にされていた?」
先程まで隠居し住まいを別にする父母たちの元を訪ねていた。
俺自身離れたくはないが、連れて行くには遠すぎるうえに、抱えて跳ぶのも良くはない時期になった。
「父上も母上も変わりない。お前の腹の子を気にされていた。」
「…いつもならこの時期はお義母様と一緒に居たから、少し不安なんだ。
何度も経験してるのに不思議だよな。」
沈んだ声をして強く俺に抱きついてきた。
両親は俺や黒などに後を任せて、そろそろふたりで気儘に静かに暮らしたいと仰られた。
母を慕っていたお姫様には可哀想だが、そろそろ俺たちも親離れをしなくてはいけない。
(俺たちは万年にも手が届く程歳を経たものだ。
いい加減に親を楽にしてやらねばならん。)
「母上は子が生まれる少し前には様子を見に戻られるそうだ。」
「それは楽しみだ。お義母様にこの子の名付けをお願いするかな?」
「それについては俺がする。」
生まれる前ではあるが、既に名は決めている。
「だからそれはナシだ。」
ついでに言えば許嫁も決まっている。
誰より濃く母親似の体質を受け継ぐ子には、あれくらいの者でなければ任せれない。
「お前のセンスはなぁ…」
名付けに関してはどうにも信用がないらしい。
しばしば指摘されるが確かに俺の感性は酷く、興味のないものなどに付けた名は、後になり自分でも呆れることがある。
しかも息子に受け継がれた。
(『肉』『人』『肌』『塵』『灰汁』は謝りにいけと言われたが、あれは俺ではない。)
その様な名の者が歩いているのを偶に見るので、過去の大失態もある俺の仕業だと決めつけてられている。
そう思うのも無理はない。
だが、あれらについては黒がした。
重複して同じ名をつけることすらままあるから、あいつは俺より酷い。
それを指摘すれば『そんなもの後ろに壱や弐とでも付ければ良い。』などと言う。
(皆はもちろん俺ですら絶句したな。)
おかげで先日、久方ぶりにお姫様がするまでは【名付けの儀】を頼まれることすら無くなっていた。
(だが…)
「その子の様な稀な美しさを持つ魂には、相応しい名をつける。」
「…僕が配慮してやれば良いか。
良いか?くれぐれも出産後の僕が疲れて寝てる時なんかに勝手につけるなよ!」
「わかったわかった、お前にも確認する。それで良いか?」
「結構です朱天くん。違えたら【血吸】です!」
なんとなく腑に落ちぬがそれで終いとなった。
どうやら今日のお八つらしい、膳の置かれている前まで連れて行かれ、気をとりなしたお姫様からそれを手渡された。
「ハイ、コレが今日のやつ。」
ニコニコと笑いながら渡されたものは、黄みの強い橙色の氷菓水で、お姫様が好みよく飲んでいるものだ。
近頃は毎日のように従者に命じて買ってこさせている。
これとは別に八時(おやつの時間)には俺が菓子を与えている。
相変わらず甘いものを好み、俺と共にそれを摂る時間が楽しいそうだ。
「これは菴羅果味のに色々と加えた氷菓水。
僕の好きな楂古聿なんかも入ってる。」
杯を受け取るが微かに魔力を感じる。
何か魔術などを使い形状を留めているようだ。
「……このルーンを俺は好かぬ。」
容器に記された印に嫌な思い出が刺激される。
「コレは状態を維持するのに良いの。
でも、お前が嫌なら次からは厨の者にお願いするよ。」
「いや、気を使わせたな。すまぬ。」
「サンドイッチも作ったから。」
そう言って差し出された皿には、先日の『ピクニック』とやらで出された、麺麭に果醤や落花生酪やらを塗り挟んだものが盛られている。
「前に皆で出掛けた際にも用意してくれたな。」
「そ、ホントは今日がホワイトデー?って日らしくて、
お前になんかお菓子を作ろうと思ったんだけど…
僕にはこれしか出来なかった、ゴメン。」
「そんな事は気にするな。
お前が作るものならば俺にはそれが何よりも美味い。」
先ほど俺が戻った時より、何処かしら無理をして明るく振る舞う様子が気になる。
だが、その様に俺のことを想う気持ちは本当に嬉しい。
「オイオイ、世辞とか無理すんな。
それにお前は嘘ついたりとかやっちゃだめだろ!」
「嘘偽りなどはない。俺には本当に美味く感じれている。」
不思議なことに、俺にはこいつの作ったものが美味く感じれるが、他の者はそうではないらしい。
「ホントにそうなんだ…不思議だな、僕はメシマズのはずなのに。
ちょっと…いや、かなり嬉しいかも。」
「まだ飯時には少しばかり早いが、これから共に摂ろう。」
「んー、悪いけどなんか疲れたから、今は横になりたい。
連れてってくれる?」
そう言いながら俺の首に腕をかけ甘えてきた。
「構わん。」
「それでお前が良かったら、そのまま添い寝して欲しい。」
「お姫様の望むままに。」
抱き上げ大事に両手に抱える。
「………強請らなくてもやってくれるようになって僕は嬉しい。」
「何の事だ?」
「…何でもない!」
何故か赤くなり俺の首もとに顔を埋めてしまった。
「やはり腹も減っているだろう?好きに持っていっても構わんぞ?」
「お前なぁ…違うって…いい加減分かれよ……」
(何か対応を誤ったか?)
いつもならこの時間には俺の血を欲しがるからそう思ったが、お姫様は不満げだ。
「はぁ…うちの旦那は何でこう色々とムードを壊すかなぁ…」
何か俺に文句を言っているが、よく分からんので放っておく。
閨まで運び、お姫様を静かに褥に下ろしてから、ふたりして横になる。
差し出した俺の腕に頭を乗せたお姫様が体を寄せて甘えてくる。
「この子が生まれたら、またしばらくは慌ただしいだろうな。」
腹を撫でながら語るその顔は幸せそうで安心する。
「今回は乳母がいないから、僕もお前も少なくともあと一年半は禁酒だからな。」
「少しばかり辛くもあるな。」
摂らねば死ぬようなものではないが、無性に呑みたくなる事があるのでこんな事が口に出た。
これについては味もそれほど分からぬので本当に面倒で仕方ない。
「ふざけんな!僕なんかもうずっとだ!!
ワインとか飲みたいのに!
またそんなこと言ったらホントに殴るからな!!」
だが、お姫様は違うらしい。
アルフヘイムの者は酒が好きで、それの中毒や依存症状を持つ者も多い。
姉の影響か母からの性質なのかこいつも弱いのに酒好きだ。
(弱いうえに酒癖も酷くてかなわん。
お前は少し禁酒を続けた方が良いぞ?)
「他にも色々と制限があるうえ変わらず悪阻は酷いし、腰も痛いし、浮腫むしホントに辛いんだからな!」
先日までは仕事をすることも許していたが、それも産み月も控えた今は休んでいる。
そのせいか今のように制限のある生活に不満を溜め込み、近頃は菓子を食うか俺に似せた人形に当たり散らしている。
何なら俺を殴って解消しろと言ったら「Mにまで目覚めたのか?!」などと言われ「勘弁だ!」と断られた。
何か他に気分を晴らしてやれるものはないだろうかといつも思う。
(息子や従者などにも聞いてみるか?)
「白練の元許嫁が先日出産したそうだ。
それを乳母にはしてはどうだ?」
乳母になれそうなものを思い出したので薦めてみる。
「確か【赤】の家の出だよな?」
「そこまで詳しくは知らぬ。それなりの力は持っているらしいが。」
「皇と血が遠すぎるわ!せめて僕に近い【青】からにしろ!!
それに許嫁の元許嫁を乳母にするのか?!それはどうかと思うぞ…」
名案かと思ったが即座に却下されてしまった。
「んー、でもまぁ従者候補としてはありだしな。打診するか?」
「お前に任せる。」
「その子が涅みたいな感じの子ならお願いするよ。」
乳母を置くことでお姫様の床上げも早まる。
俺は今、最愛を抱けぬ日が続き熱を持て余している。
双子の息子たちを鍛えながら軽く運動をしているが、あいつらは弱っちくすぐに音を上げている。
(もしくはあいつらを乳母代わりにするか?)
「すまんが今の俺は禁欲を長く強いられるのが辛い。出来れば乳母を置け。」
「はぁ?!何言ってんだ!少しくらいは我慢しろ、この絶倫!!
大体お前のでっかいのは暴れ過ぎだ!!!
変態耳長に性愛の神として信仰されてるくらいに、お前はヤバいんだからちょっとは控えろ。」
少し前からその様な淫祠邪教が、あの国で流行っていると伯母上から聞き、それを裏付けるように俺の二つ名が増え、神格も上がった。
そのせいでなのかは分からぬが、欲求がさらに強まり不思議だったので、どうやら内情を知っているらしいお姫様に聞く。
「なぜそのようなことになったのかお前は知らぬか?」
「……存ジテオリマセン。」
少しばかり目を細め睨むと、俺から視線を反らした。
(原因はお前か。)
そのことでこいつが何か関わっていると確信する。
「あー、うん!なんか僕眠くなったわ。おやすみッ!」
下手くそな誤魔化しをして、寝たふりをするお姫様に呆れるが、それも可愛らしく思えてしまう。
子を寝かしつける様に空いた手で、背などをトントンと叩いてやっていると、疲れていたのかそのうち本当に寝入ってしまった。
「全く、しようのないやつだ。」
今もお姫様を悩ませる酷い悪阻などの体の不調や、ままならない環境による気鬱に不満。
お姫様の不満解消に良いものはないかと考えてみるが、どうにも思いつかない。
「…すまんな。外歩きを好むのに叶えてやれない。」
自らが出歩きたいと言うが、菓子などの好物を従者に買ってこさせることなどで、何としても止めさせている。
黒を身籠っていた頃の、薫りが薄まっている状態ですらあの騒ぎだ。
番を得ても尚、薫り異常体質のお前と腹の子が、男やαにどんな馳走に見えることか分かっていない。
かといって俺が共に出かけるとそれはそれで騒ぎとなる。
それを可哀想に思い甘やかすと、それもやり過ぎだと息子や従者たちには苦言を言われる。
だが、こんなにも愛おしいものを愛でるなと言う方が難しい。
(本当にどうしたら良いものか?)
「紫、俺たちは昔と変わらず、色々とままならないこの身を嘆いているな。」
それを以上は考えるのも詮無いことだと諦め、そのまま共に昼寝をすることに決めた。
最愛の頭を撫でてからふっくらとして美味そうな唇に口づけを落し、
「起きたら共にお前の作ったものを食おう。
…それだけでも俺は幸せだ。」
起こさぬように小さな声で呼びかけた。
◆◆◆
主の命でお妃様を常に遠くから見守る僕は、彼が呟いた言葉を聞き逃さなかった。
『………デート、してみたいな。』
僕が聴いたこの言葉は、彼と主との会話の中で今まで何度も出ていた。
「できない訳じゃないけど、根回しとか色々と必要になるからな。」
前から考えていたことを実現させる為の相談に浮かんだ相手は四人。
「とりあえず黒様のところへ行くが、父上達にも来て頂こう。」
スマホを取り出し、まずは下僕共に直ちに例のプロジェクトの資料を纏める様に命令する。
「遅れたら仕置する」なんて書くと奴らはわざと遅れる変態なので、「早く仕上げたら少しだけ可愛がってやっても良い」と書いておく。
僕のことを魔王様と呼び、崇拝する痛い集団だが、仕事は出来るので飼っている。
「しかし何で僕の部下はあんな変態共しかいないんだ?」
父によると若い世代のゲンジは、父の世代から比べると変ら奴らが多いらしい。
父と同世代の者も大概なのだが、今は置いておこう。
続いて父と母へ共に黒様の元へ向って欲しい旨のメッセージを送る。
残りのふたりは直接足を運んだほうが早い。
彼の方の宮に向かい歩いている自分に、早速父からの返信が来た。
『おK』
…父の頭は若いのか古いのかよくわからない。
少し前までなら、こんな父の対応や母との仲睦ましい姿に苛立ち、それを周りにぶつけ解消していたが、今の僕はそんな事も気にならなくなった。
それぞれに『運命』を見つけ、愛し合っている者たちを見て羨ましくは思うが、前に抱いていた様な、ドロドロに煮詰めた妄執とまで言っていい感情は、消え去ってしまった。
僕自身がそれを見つけてしまったからだろう。
「アイツには『ご主人様も随分変わりましたよね。』なんて言われたな。」
それでもこんなふうに自らが主体となり、動こうとしている事には笑いが込み上げる。
自分も『運命』に影響され、変わった事に喜びを覚えているからだろう。
「ククッ…お前が怖がる食欲と性欲は変わらないけどな。」
僕の声を聞いた付近の者たちが、ギョッとした顔をして後退ったり、青くなって震えている。
以前の自分のしていた事が原因ではあるが、こいつらも未だに怯え過ぎているからいい加減ウザい。
最近は大人しくしていたが、そろそろ締めないといけないかもしれない。
そんな事を考えていたら主が戻り、部屋で彼と話している声が聴こえた。
自分のことが少し話題に上がっていたが仕方がないだろう。
もう少し大人しくしていることにする。
今までは主と同じく、常に異常な空腹を感じ、昂りを覚えると衝動的に喰らってしまう、そんな自らの食性を疎んでいた。
でも、自分も彼と出会い変わった。
(それを僥倖と思っていたら、旦那様に仕組まれたものと分かって力が抜けたけど。)
「あーヤバい、腹減ってきた。
アイツをめちゃくちゃに犯して…喰いたい。」
極上の味と体を持つ自分の『運命』を欲してそんな言葉が出たが、それを抑えるために持ち歩いている、特製の棒キャンディをポケットから取り出し、急いでフィルムを剥ぐ。
鮮やかな青い飴玉を口に入れ、それを舐めると欲求も落ち着いてくる。
何件か来ていた下僕共からのメッセージをチェックしつつ歩いていると目的地に到着する。
宮を守る者たちから礼などの挨拶をされながら黒様の部屋まで進んで行くが、部屋に着くまでに食べ終えるのは難しい。
行儀が悪いがバリバリと飴を噛み砕き、口の中には棒だけが残り、目的の場所にも辿り着く。
部屋に入る前に衣ずまいを正そうとすると、
「…それで父上と母上の事で相談とは何だ、白練?」
御簾越しに僕に尋ねるのは黒様。僕の主の長子だ。
どうやら既に父たちが到着して説明をしていたらしい。
既に全員が揃っている部屋に入った僕は皆に向かってお願いをする。
「黒様、まずは【域】をお作り頂けますか?
結界内で話し合い、機密が漏れぬようにしたく存じます。」
そう告げると後に、鬼族のすべての者が参加したがる人気の催しとなった、僕らが主たちの為に動いた、主たちには秘密のプロジェクトが始動することになった。
「ですが、この計画は時間が少々かかります。お妃様のご出産前には難しい。
おふたりの出会いの日が近々に迫ってましたよね?
ついでにあの双子の誕生日もですけど…
Bプランの決行をその日としましょう────
◇◇◇
───その日は朝からみんなの様子がおかしく、浮足立ち慌ただしかった。
起きた時には既に隣にあいつの姿がなく、寝ていた場所もとうに冷たく、随分前に出たことが分かった。
そういえば、あいつがここのところ朝早くから、双子の息子たちを折檻がてら扱いていたことを思い出す。
問題行動が目に余るのと、あいつの欲求解消の為に、白練から勧められて始めたらしい。
(ホントにあの子何気に色々と怖いよ。)
つい先日、それぞれから「お袋!親父を止めてくれッ!!」と言う悲鳴に「父上の要求はぶっ飛んでてムリ!」などと訴え泣きつかれたが…
当の旦那様は非常に機嫌が良さそうに、ニコニコと笑いながら、僕にしがみつき嫌がるあの子たちを引きずり、連れて行った。
(お前たちのおかげであいつの欲求不満も少しは解消されている。
まだしばらくは頑張っていて欲しい。 )
ぼんやり起き抜けの頭で考えていると、上の息子が訪ねてきた。
「おはようございます。ご機嫌はいかがですか、母上?
天気も良いですし、弟たちの宮には終わりかけですが梅に、桃と桜も咲いています。
良ければ父上も誘って、一緒にこのあたりを散歩いたしましょう。」
息子は毎日挨拶に来るが、珍しく散歩に誘われた。
その場では「後ほど迎えにあがります。」と言われ帰って行ったが、どうにも従者たちが騒がしい。
「若とお散歩なんて久方ぶりになりますでしょう?」
「折角ですから粧し込んで驚かせてはいかがでしょう?」
「お妃様、新しく仕立てておいたものがございますからこちらへ。」
「若は日課の坊っちゃん方の鍛錬を済ませてから来られるそうです。」
息子も一緒であいつとふたりきりではないのだが、そんなふうに勧められ、あれよあれよという間に仕度は済んだ。
朱地に金糸と銀糸で薔薇の柄が入った着物を着付けられる。
元々相当な衣装持ちで、さらに先日居を移す義母に譲ってもらったりもした、なのに今回は新しく仕立てたものを着せられた。
外に出ることが少ないうえに、閨では裸でいることも多い。
それなのに衣装持ちなのはどうかと思うが、あいつは嬉々として色々と貢いでくれている。
(あいつは着飾らせるのも、脱がすのも好きだからなぁ…)
黒に手を引かれ久しぶりに本殿まで来た。
あいつとはここで待ち合わせすることになっている。
「母上、常よりも増してお美しいです。」
「お前は自分の伴侶にそのように言ってあげなさい。」
僕の言葉に少しだけ赤くなる顔。
この子は僕の赤面症を受け継いだらしく、義父に似た凛々しく厳しい顔のままで、器用に顔色だけ赤くなり恥ずかしがる。
「…あれにもちゃんと伝えておりますから。」
小さく呟かれた一言。
それがなんとも可愛らしく、小さい頃のように抱きしめて頭を撫でてやりたくなるが、当然のように拒否されてしまう。
ふたりで歩きながら話していると、いつの間にかあいつと初めて会ったあの池の近くに来ていた。
「お前はこれを顕現させるのに苦労していましたね。」
初めてここに来た時には、義母の白菊が一面に咲いていたのに、今は息子の鬼灯が咲いている。
「先日お贈りしたものはお気に召して頂けましたか?」
「美しいものをありがとう。目で見て楽しめるお前のものが私は好きです。」
他にも最近自分が手解きをしている、息子の伴侶のものもチラホラと見えた。
あの頃とあまりにも変わったその姿に、驚きと少しの寂しさをおぼえる。
「それでも父上には敵いませんが。」
「まぁ…そうですね。ふふふ。」
自分の手を引き少し前を歩く息子も僕より背が高くなり、あいつより少し低い198cmほどだ。
この子も一年程前に番を得て、それを伴侶とし妃に迎えた。
「私とあれも父上と母上の様に、いつまでも仲睦まじく在りたい。」
「あの時お前に言った事を忘れずにいなさい。」
「はい、母上。」
本当に大きく強く育ってくれたこの子のことは、もう何の心配もない。
下の子の面倒もしっかりと見てくれていた。
「この子も…『ロク』も、お前のように育ってくれたら良いのですが…」
「母上、その名は?」
「旦那様が『俺たちの六番目の子になるから暫定的にロクだ。』と。」
「父上の感性はありえませぬ。」
「………………そうですね。(黒、お前も凄く酷いけどね…)」
「男か女か、オスかメスかも気になります。」
「旦那様が盛大に暴露されますので(作る前に決まってるんだよ…)
私はいつもそういった気持ちを味わったことがありません………」
「父上……」
そんなふうに話しながら、あの時あいつと出会った橋の付近まで来た。
なんとなく懐かしくてはしゃいでしまい、息子と手を離してひとりになってしまった。
橋の上から鯉を覗いてみたり、いつかした舟遊びを思い出して笑った。
今もキラキラ光る水面を、橋の上から見て物思いに耽っている。
(季節的に舟遊びにはまだ少し早いが、もう少ししたらそれも楽しいだろう。)
考えたらとても長く共にいるのに、住まいとしている皇宮の中ですら、ろくに散歩などは出来なかった。
永く、永く、永くあいつの【域】で生活した僕は、本当に深窓のお姫様だった。
あいつの宮は僕が快適に暮らせるようにどんどん改築されたけれど、外に出れるのは庭先くらい。
厳重に結界の中で守られ過ごしていた。
「そういえば、私はここで旦那様と出会いました。
ここに連れてくるなんて、あなたにそのことを話したことがありましたか?黒。」
息子に話しかけるが、返事がない。
周りを見回しても、全くその姿が見当たらない。
「黒?」
「く~ろ~」
「黒ッ!」
「…クロ。」
いくら呼びかけても息子の姿は見えず、匂いや気配すら遠くここにはいない。
──『母上、今日は何の日か覚えてらっしゃいませんか?』──
「…もう、エイプリルフールでしょう?それがどうしたんですか?」
僕の頭に直接流れて込んできた息子の言葉。
気づくと息子だけでなく、周りにいたはずの従者たちが皆全て姿を消している。
──『思い出して下さい。母上と父上にとって大切な日のはずです。』──
「ぇえ?!黒…知っているなら教えなさい!」
だが、僕の言葉は虚しく響き、そのまま空気に溶けてしまった。
言われてもなかなか出て来ないそれを考える。
永く生き過ぎて、記念日みたいなものは腐るほどある。
子どもたちの誕生日も、自分とあいつの誕生日も覚えている。
自分の歳は随分昔に数えるのをやめた。
「…あ、そういえば、今くらいの時期にあいつと初めて会った。」
あの時ここで後宮からの薫りと勘違いしたけど、あいつの匂いを初めて嗅いだ。
それで初めて発情期が来て………
とても衝撃的な事の連続で…今でもすぐに思い出せる。
「それでいきなり閨に連れ込まれた……無茶苦茶してるよな?あいつ。」
そこから始まった僕の災難は未だに続いているが、悪いことではなかった。
(どうやら息子は最初からここに連れてくることが目的だったみたいだ。)
景色は変わり白菊は無くなったが、小さく可愛らしい白い花と、赤い実のなった鬼灯に、すっと天に向かって凛と咲く、真っ赤な彼岸花が風に揺れている。
それをじっと眺めていると、ふわりと芳醇な薔薇の薫りが風に乗り流れてきた。
その事で僕らの出会いをより鮮明に思い出す。
「僕らが出会ったのは今くらいの時期…
確か…卯月の月初の事だった。」
(僕の僕だけのあいつの青薔薇の薫り。)
それはだんだん近づいてくる。
ぶっ飛んでおかしい規格外の旦那様と、冗談みたいな出会いを数千年も前にした。
「あ…そうか!今日、だ…今日だった!!」
どんどん近づいて来るのはいつも僕の側に居る、大好きな僕の番の持つ薫り。
すぐ側まで駆けて来て、それは僕に声をかける。
「双子の息子らが生まれた日でもあるな。」
「朱天!」
目の前には、皇の家の者の証の金色の双角に、腰までの鮮やかな朱い髪。
2メートルを超える大きな体を持ち、右目は金色、左目は金色の獣のような鋭い目、その男にも女にも見える整った顔貌は、一族でも飛び抜けて艶麗だ。
僕らの朱い鬼の護り神様。
僕の『運命』がそこに居た。
「お姫様、待たせた。」
「ううん。ここでお前と会った日のことを思い出してた。」
あの時と違うのは、その首もとに僕の【庭白百合】が咲いていて、僕にもこいつの【青薔薇】がある。
それに既に僕のお腹には、もうすぐ産まれてくる子どももいる。
「あの時、本能に強く働きかけるほど惹かれる、俺だけのΩの薫りに誘われて来たら、
一目でその魂に惹かれ、俺のものにしたくなったお前が…運命がいた。」
こいつのその後の行動は、自分にとって災難としか思えないことばかりだった。
「そうだね…問答無用でお前の手籠めにされたねぇ…」
「お姫様、お前も悦んでいた。物凄く好かった筈だ。」
「うん…そうだね…お前はそういうとこは、ホントに…全然、変わらないね………」
この話を続けると埒があかないので、とりあえず当初の予定の散歩することを提案する。
「あのさ、せっかくだしこの辺を散策とかしない?」
「【デート】をしろと下の子らに教えられ、衣装などを用意された。」
あの問題児たちが何を吹き込んだんだろうか?
「え?!うちの問題児コンビに?あの頭パッパラパーどもが?」
(あの子たちも今日が誕生日だから祝ってやらないといけないが…)
「そうだ。やつらに着飾らされた。」
よく見ればこいつの髪は、先日バレンタインデーに僕が贈った組紐で結われ、簪なども使っている。
(ん?簪???)
着ているものも僕に合わせてか、儀式のときほどではないが、いつもよりフォーマルなもの。
(だけどそれは中振袖と呼ばれるものの筈だよね?)
(それにサイドから複雑な編込みをしたハーフアップになんて…なんでしてるのかな?)
(あと、着ているものもなんで振り袖なんかを着せてんだ!
気づけよ!滅茶苦茶違和感あるだろうが!!)
紫地に僕の庭白百合を銀糸で描かれているが、袖のところや裾なんかに子どもたちの鬼灯、梅、桃、茉莉花などがある。
さらに梨と杏に蘭まで見つけたので、こいつの希望する予定も知った……
(これを用意したのは間違いなくあいつらだ。
なぜおかしいと気づかないのか?
お前が常に女装しているからか?)
(こいつはデカくてゴツいけど、滅茶苦茶美人の女にも見えかねないんだぞ!
お前にはありかもしれないが、こんなことしたら美少女に………流石に見えないか。)
だが、かなり危うい。
オスっぽい表情が無ければ、ごっつい美女に見えなくもない。
(デートに女装させるとか…あいつら、途中で気づけよ…マジに殴るぞ!)
「朱天…あいつらは本当に頭が痛いな。」
「やつらは常に良かれと思いしている。
好意しかない。
…それが良くないだけだ。」
朱天は疲れた顔をして、頭をふるふると横に振った。
どうやらちょっとした攻防があったらしい。
(僕は絶対にゴメンだが、こいつはなんだかんだであいつらに甘いからなぁ…)
こいつは僕や子どもに滅茶苦茶に甘いから、結局は許しているんだろうが、これは駄目だろう。
だが、僕とのデートの為に苦手な着飾ることをして、出てきてくれたこと自体は嬉しい。
(それが女装だっただけだ。)
「あの時もお前と顔合わせをする予定で着飾らされた。
俺は抜け出し、お前と出逢った時は髪も衣装も崩してしまっていたが。」
それが見れなくて残念だった。
着崩し乱れた頭で適当にしていたあの時ですら、鮮烈で記憶に残る美しさだった。
さらに磨かれなんてしたら…僕は悶死しそうだ。
(今の女装は綺麗だけど、マジにないからね?)
「お姫様、あの時出来なかった散策をしよう。」
そう言うと徐に手を差し出してきた。
「えぇ、よろしくお願いますね旦那様。」
僕も差し出された手に自分の手を重ねる。
すると抱き寄せられ腰に手を回された。
「体は辛くないか?」
「今は大丈夫だから。でも、あまり長い時間は辛いかな。」
「腹が張っていたり、調子が悪くなったらすぐに言え。」
「うん。」
僕を支えるように腰に手を回してくれ、共に歩き出す。
着ているものの違和感は拭えないが、スマートなエスコートにドキドキしている。
「お姫様、ここを見終えたら、先日『ピクニック』をした場所に行くぞ。
あいつらが花見の支度をしているらしい。
それに俺たちの為に、なにかを用意してくれているらしい。」
「ウェッ?!なにを用意してるんだろう?」
「あいつらはわりとまともなものを作るらしいが?」
「お菓子も料理も得意だからなぁ…
でも、あの子たちも祝ってもらう日なのになんだか悪いな。」
「…皆が揃っているようだ。」
「結局、ふたりきりというのは今だけか…」
「俺は皆で仲良く在るのが嬉しいので構わぬ。」
途中で歩くのが辛くなると僕をお姫様抱っこしてくれた。
「それに喜べ、お姫様。
従者たちが市を開くと言ってくれた。
今はそれを手配していると。」
「ええ?!そんな事考えてくれてたんだ。
そっかぁ…どんなんだろう?楽しみだ。」
僕の体調の事もあって長くは楽しめなかったけれど、昔のことを思い出しながら散策したことや、このあと皆でお祝いをしたことは、『ロク』を産む前の家族皆のとても良い思い出になった。
───────────
本当ならあの日はお見合いのあと、ふたりはデートする予定でした。
白練が色々と計画している事はもう少し話が進んでからになります。
場面切り替え毎に語り手が代わり、最後に百合になります。
───────────
気持ちが逸り予定していた時刻よりも早くに帰ってきた。
愛しい妻の待つ俺の部屋からは、最愛の匂いに混じり、あれの好む菓子などの香りが漂ってきている。
今日も俺と楽しむ為に何かを用意しているようだ。
俺を想い偶に料理などもするその気持ちに無上の喜びを感じている。
今ある幸せが夢や幻ではないかと恐ろしくなることがある。
最愛の番を娶り、永く共に在った。
暫しの別離を経て、今また共に在る。
取り戻した最愛を抱き蜜月を過ごした後、その腹には俺の蒔いた種が宿り芽を出した。
そしてそれがもうすぐ産まれようとしている。
(これは紛れもなく現にあることだ。)
御簾越しに最愛に声をかける。
「百合、戻った。大事ないか?」
俺に並び鬼のΩの中で、一等強く美しい俺の妃には、字(Ωの名)で呼ばれることなど、本来相応しくない。
だというのに高い身分を厭うお姫様は、昔から俺や従者などに『百合』と呼ばれることを、嬉しく思うらしい。
(幼い頃から字で呼ばれていたからだろうか?)
義母はお姫様の【真名】を秘匿し、強い暗示までして隠し、 誰にも伝えられないようにさえしていたから、そのせいかもしれぬ。
そのうえ俺が名付けたことを明かすことも出来ぬようにもしていた。
(あれはお姫様と違い老獪でかなわん。)
成る丈希望通りにしてはいるが、やはり俺が授けた『紫』と呼びたく、真剣な話の時や閨などではずっとそう呼んでいる。
俺だけが呼ぶ名というのも悪くはないが、妃に相応しい名を名乗らせたくもある。
俺自身も、皆から俺を縛る名の『朱点』ではなく、違う名で呼ばれる日が来てほしい。
(その日も近くあるが、なかなか難しいだろう。)
そんなことを思案していると最愛から返事が返ってきた。
「ん、おかえり朱天。
全然問題ないよー。」
部屋からほんの少し薫る、爽やかだが濃厚で甘い最愛の薫りに安らぎを覚える。
しかしながら、この頃は子の持つ薫りも合わさってか、非常に危うい匂いをしており心配は尽きない。
遺伝的なものか分からぬが、母や義母にこいつの様な強い力のあるΩほど、このような体質に生まれついている。
このことから察するに腹の子も母親と同じく、薫り過多の異常体質に違いないだろう。
朝から出掛け用事を済ませ戻った俺に、飛びかかる様に駆け寄り抱きついてくる。
「お姫様、その体で走るのは良くない。気をつけろ。」
注意しつつもそれを受け止める態勢を取るが、不意に昔言っていた事を思い出す。。
大きくなっている腹が邪魔をして、俺にひしと抱きつくことが出来ずもどかしいと、双子を身籠っていた頃にそう言っていた。
俺の胸に飛び込んできた愛しい番を、ふんわりと包みこむように抱き留め、背や頭などを優しく撫でてやる。
「もう!お前まで。全く、過保護すぎるのは良くないぞ。」
「ハハッ…すまんな。」
呆れたような物言いに剥れた顔で拗ねる様は、とても成人した子と腹に子がいる親とは思えぬ、幼い振る舞いで笑いが出る。
「おお、また腹を蹴ったな?お前が『ママ』にせがんだのか?」
大きな腹に触れた場所から微かな振動の様なものを感じ、こんな事を聞いてしまう。
「この子もだけど…『ママ』も『パパ』に会いたかったんだ……」
恥ずかしいのか語尾になるにつれ声は小さくなり、顔も赤くなっている。
俺のお姫様はこんなところも愛いらしい。
「そうか。ひとりにして悪かった。
だが、本当に気をつけてくれ。」
こんなふうに不安になり、素直に俺に甘えるのも身籠っている間のみだ。
子を産んで暫くするとまた生意気で素直じゃなくなる。
それ故、俺はこの時期のお姫様をとても甘やかし、従者はもちろん息子にも苦言を言われている。
「忘れるな、俺はいつでもお前を心配しているし、どんなものからも守りたい。」
「うん。ありがとう朱。」
上目遣いで俺を見つめてくるお姫様に、内心は悶つつも平静を装いまた頭を撫でた。
下の息子曰く、『全力で殺しに来ている』かのようなその仕草に俺はとても弱い。
「すまんな、引き継ぎがありまだ暫くは不便をかける。」
「お義母様たちはお元気にされていた?」
先程まで隠居し住まいを別にする父母たちの元を訪ねていた。
俺自身離れたくはないが、連れて行くには遠すぎるうえに、抱えて跳ぶのも良くはない時期になった。
「父上も母上も変わりない。お前の腹の子を気にされていた。」
「…いつもならこの時期はお義母様と一緒に居たから、少し不安なんだ。
何度も経験してるのに不思議だよな。」
沈んだ声をして強く俺に抱きついてきた。
両親は俺や黒などに後を任せて、そろそろふたりで気儘に静かに暮らしたいと仰られた。
母を慕っていたお姫様には可哀想だが、そろそろ俺たちも親離れをしなくてはいけない。
(俺たちは万年にも手が届く程歳を経たものだ。
いい加減に親を楽にしてやらねばならん。)
「母上は子が生まれる少し前には様子を見に戻られるそうだ。」
「それは楽しみだ。お義母様にこの子の名付けをお願いするかな?」
「それについては俺がする。」
生まれる前ではあるが、既に名は決めている。
「だからそれはナシだ。」
ついでに言えば許嫁も決まっている。
誰より濃く母親似の体質を受け継ぐ子には、あれくらいの者でなければ任せれない。
「お前のセンスはなぁ…」
名付けに関してはどうにも信用がないらしい。
しばしば指摘されるが確かに俺の感性は酷く、興味のないものなどに付けた名は、後になり自分でも呆れることがある。
しかも息子に受け継がれた。
(『肉』『人』『肌』『塵』『灰汁』は謝りにいけと言われたが、あれは俺ではない。)
その様な名の者が歩いているのを偶に見るので、過去の大失態もある俺の仕業だと決めつけてられている。
そう思うのも無理はない。
だが、あれらについては黒がした。
重複して同じ名をつけることすらままあるから、あいつは俺より酷い。
それを指摘すれば『そんなもの後ろに壱や弐とでも付ければ良い。』などと言う。
(皆はもちろん俺ですら絶句したな。)
おかげで先日、久方ぶりにお姫様がするまでは【名付けの儀】を頼まれることすら無くなっていた。
(だが…)
「その子の様な稀な美しさを持つ魂には、相応しい名をつける。」
「…僕が配慮してやれば良いか。
良いか?くれぐれも出産後の僕が疲れて寝てる時なんかに勝手につけるなよ!」
「わかったわかった、お前にも確認する。それで良いか?」
「結構です朱天くん。違えたら【血吸】です!」
なんとなく腑に落ちぬがそれで終いとなった。
どうやら今日のお八つらしい、膳の置かれている前まで連れて行かれ、気をとりなしたお姫様からそれを手渡された。
「ハイ、コレが今日のやつ。」
ニコニコと笑いながら渡されたものは、黄みの強い橙色の氷菓水で、お姫様が好みよく飲んでいるものだ。
近頃は毎日のように従者に命じて買ってこさせている。
これとは別に八時(おやつの時間)には俺が菓子を与えている。
相変わらず甘いものを好み、俺と共にそれを摂る時間が楽しいそうだ。
「これは菴羅果味のに色々と加えた氷菓水。
僕の好きな楂古聿なんかも入ってる。」
杯を受け取るが微かに魔力を感じる。
何か魔術などを使い形状を留めているようだ。
「……このルーンを俺は好かぬ。」
容器に記された印に嫌な思い出が刺激される。
「コレは状態を維持するのに良いの。
でも、お前が嫌なら次からは厨の者にお願いするよ。」
「いや、気を使わせたな。すまぬ。」
「サンドイッチも作ったから。」
そう言って差し出された皿には、先日の『ピクニック』とやらで出された、麺麭に果醤や落花生酪やらを塗り挟んだものが盛られている。
「前に皆で出掛けた際にも用意してくれたな。」
「そ、ホントは今日がホワイトデー?って日らしくて、
お前になんかお菓子を作ろうと思ったんだけど…
僕にはこれしか出来なかった、ゴメン。」
「そんな事は気にするな。
お前が作るものならば俺にはそれが何よりも美味い。」
先ほど俺が戻った時より、何処かしら無理をして明るく振る舞う様子が気になる。
だが、その様に俺のことを想う気持ちは本当に嬉しい。
「オイオイ、世辞とか無理すんな。
それにお前は嘘ついたりとかやっちゃだめだろ!」
「嘘偽りなどはない。俺には本当に美味く感じれている。」
不思議なことに、俺にはこいつの作ったものが美味く感じれるが、他の者はそうではないらしい。
「ホントにそうなんだ…不思議だな、僕はメシマズのはずなのに。
ちょっと…いや、かなり嬉しいかも。」
「まだ飯時には少しばかり早いが、これから共に摂ろう。」
「んー、悪いけどなんか疲れたから、今は横になりたい。
連れてってくれる?」
そう言いながら俺の首に腕をかけ甘えてきた。
「構わん。」
「それでお前が良かったら、そのまま添い寝して欲しい。」
「お姫様の望むままに。」
抱き上げ大事に両手に抱える。
「………強請らなくてもやってくれるようになって僕は嬉しい。」
「何の事だ?」
「…何でもない!」
何故か赤くなり俺の首もとに顔を埋めてしまった。
「やはり腹も減っているだろう?好きに持っていっても構わんぞ?」
「お前なぁ…違うって…いい加減分かれよ……」
(何か対応を誤ったか?)
いつもならこの時間には俺の血を欲しがるからそう思ったが、お姫様は不満げだ。
「はぁ…うちの旦那は何でこう色々とムードを壊すかなぁ…」
何か俺に文句を言っているが、よく分からんので放っておく。
閨まで運び、お姫様を静かに褥に下ろしてから、ふたりして横になる。
差し出した俺の腕に頭を乗せたお姫様が体を寄せて甘えてくる。
「この子が生まれたら、またしばらくは慌ただしいだろうな。」
腹を撫でながら語るその顔は幸せそうで安心する。
「今回は乳母がいないから、僕もお前も少なくともあと一年半は禁酒だからな。」
「少しばかり辛くもあるな。」
摂らねば死ぬようなものではないが、無性に呑みたくなる事があるのでこんな事が口に出た。
これについては味もそれほど分からぬので本当に面倒で仕方ない。
「ふざけんな!僕なんかもうずっとだ!!
ワインとか飲みたいのに!
またそんなこと言ったらホントに殴るからな!!」
だが、お姫様は違うらしい。
アルフヘイムの者は酒が好きで、それの中毒や依存症状を持つ者も多い。
姉の影響か母からの性質なのかこいつも弱いのに酒好きだ。
(弱いうえに酒癖も酷くてかなわん。
お前は少し禁酒を続けた方が良いぞ?)
「他にも色々と制限があるうえ変わらず悪阻は酷いし、腰も痛いし、浮腫むしホントに辛いんだからな!」
先日までは仕事をすることも許していたが、それも産み月も控えた今は休んでいる。
そのせいか今のように制限のある生活に不満を溜め込み、近頃は菓子を食うか俺に似せた人形に当たり散らしている。
何なら俺を殴って解消しろと言ったら「Mにまで目覚めたのか?!」などと言われ「勘弁だ!」と断られた。
何か他に気分を晴らしてやれるものはないだろうかといつも思う。
(息子や従者などにも聞いてみるか?)
「白練の元許嫁が先日出産したそうだ。
それを乳母にはしてはどうだ?」
乳母になれそうなものを思い出したので薦めてみる。
「確か【赤】の家の出だよな?」
「そこまで詳しくは知らぬ。それなりの力は持っているらしいが。」
「皇と血が遠すぎるわ!せめて僕に近い【青】からにしろ!!
それに許嫁の元許嫁を乳母にするのか?!それはどうかと思うぞ…」
名案かと思ったが即座に却下されてしまった。
「んー、でもまぁ従者候補としてはありだしな。打診するか?」
「お前に任せる。」
「その子が涅みたいな感じの子ならお願いするよ。」
乳母を置くことでお姫様の床上げも早まる。
俺は今、最愛を抱けぬ日が続き熱を持て余している。
双子の息子たちを鍛えながら軽く運動をしているが、あいつらは弱っちくすぐに音を上げている。
(もしくはあいつらを乳母代わりにするか?)
「すまんが今の俺は禁欲を長く強いられるのが辛い。出来れば乳母を置け。」
「はぁ?!何言ってんだ!少しくらいは我慢しろ、この絶倫!!
大体お前のでっかいのは暴れ過ぎだ!!!
変態耳長に性愛の神として信仰されてるくらいに、お前はヤバいんだからちょっとは控えろ。」
少し前からその様な淫祠邪教が、あの国で流行っていると伯母上から聞き、それを裏付けるように俺の二つ名が増え、神格も上がった。
そのせいでなのかは分からぬが、欲求がさらに強まり不思議だったので、どうやら内情を知っているらしいお姫様に聞く。
「なぜそのようなことになったのかお前は知らぬか?」
「……存ジテオリマセン。」
少しばかり目を細め睨むと、俺から視線を反らした。
(原因はお前か。)
そのことでこいつが何か関わっていると確信する。
「あー、うん!なんか僕眠くなったわ。おやすみッ!」
下手くそな誤魔化しをして、寝たふりをするお姫様に呆れるが、それも可愛らしく思えてしまう。
子を寝かしつける様に空いた手で、背などをトントンと叩いてやっていると、疲れていたのかそのうち本当に寝入ってしまった。
「全く、しようのないやつだ。」
今もお姫様を悩ませる酷い悪阻などの体の不調や、ままならない環境による気鬱に不満。
お姫様の不満解消に良いものはないかと考えてみるが、どうにも思いつかない。
「…すまんな。外歩きを好むのに叶えてやれない。」
自らが出歩きたいと言うが、菓子などの好物を従者に買ってこさせることなどで、何としても止めさせている。
黒を身籠っていた頃の、薫りが薄まっている状態ですらあの騒ぎだ。
番を得ても尚、薫り異常体質のお前と腹の子が、男やαにどんな馳走に見えることか分かっていない。
かといって俺が共に出かけるとそれはそれで騒ぎとなる。
それを可哀想に思い甘やかすと、それもやり過ぎだと息子や従者たちには苦言を言われる。
だが、こんなにも愛おしいものを愛でるなと言う方が難しい。
(本当にどうしたら良いものか?)
「紫、俺たちは昔と変わらず、色々とままならないこの身を嘆いているな。」
それを以上は考えるのも詮無いことだと諦め、そのまま共に昼寝をすることに決めた。
最愛の頭を撫でてからふっくらとして美味そうな唇に口づけを落し、
「起きたら共にお前の作ったものを食おう。
…それだけでも俺は幸せだ。」
起こさぬように小さな声で呼びかけた。
◆◆◆
主の命でお妃様を常に遠くから見守る僕は、彼が呟いた言葉を聞き逃さなかった。
『………デート、してみたいな。』
僕が聴いたこの言葉は、彼と主との会話の中で今まで何度も出ていた。
「できない訳じゃないけど、根回しとか色々と必要になるからな。」
前から考えていたことを実現させる為の相談に浮かんだ相手は四人。
「とりあえず黒様のところへ行くが、父上達にも来て頂こう。」
スマホを取り出し、まずは下僕共に直ちに例のプロジェクトの資料を纏める様に命令する。
「遅れたら仕置する」なんて書くと奴らはわざと遅れる変態なので、「早く仕上げたら少しだけ可愛がってやっても良い」と書いておく。
僕のことを魔王様と呼び、崇拝する痛い集団だが、仕事は出来るので飼っている。
「しかし何で僕の部下はあんな変態共しかいないんだ?」
父によると若い世代のゲンジは、父の世代から比べると変ら奴らが多いらしい。
父と同世代の者も大概なのだが、今は置いておこう。
続いて父と母へ共に黒様の元へ向って欲しい旨のメッセージを送る。
残りのふたりは直接足を運んだほうが早い。
彼の方の宮に向かい歩いている自分に、早速父からの返信が来た。
『おK』
…父の頭は若いのか古いのかよくわからない。
少し前までなら、こんな父の対応や母との仲睦ましい姿に苛立ち、それを周りにぶつけ解消していたが、今の僕はそんな事も気にならなくなった。
それぞれに『運命』を見つけ、愛し合っている者たちを見て羨ましくは思うが、前に抱いていた様な、ドロドロに煮詰めた妄執とまで言っていい感情は、消え去ってしまった。
僕自身がそれを見つけてしまったからだろう。
「アイツには『ご主人様も随分変わりましたよね。』なんて言われたな。」
それでもこんなふうに自らが主体となり、動こうとしている事には笑いが込み上げる。
自分も『運命』に影響され、変わった事に喜びを覚えているからだろう。
「ククッ…お前が怖がる食欲と性欲は変わらないけどな。」
僕の声を聞いた付近の者たちが、ギョッとした顔をして後退ったり、青くなって震えている。
以前の自分のしていた事が原因ではあるが、こいつらも未だに怯え過ぎているからいい加減ウザい。
最近は大人しくしていたが、そろそろ締めないといけないかもしれない。
そんな事を考えていたら主が戻り、部屋で彼と話している声が聴こえた。
自分のことが少し話題に上がっていたが仕方がないだろう。
もう少し大人しくしていることにする。
今までは主と同じく、常に異常な空腹を感じ、昂りを覚えると衝動的に喰らってしまう、そんな自らの食性を疎んでいた。
でも、自分も彼と出会い変わった。
(それを僥倖と思っていたら、旦那様に仕組まれたものと分かって力が抜けたけど。)
「あーヤバい、腹減ってきた。
アイツをめちゃくちゃに犯して…喰いたい。」
極上の味と体を持つ自分の『運命』を欲してそんな言葉が出たが、それを抑えるために持ち歩いている、特製の棒キャンディをポケットから取り出し、急いでフィルムを剥ぐ。
鮮やかな青い飴玉を口に入れ、それを舐めると欲求も落ち着いてくる。
何件か来ていた下僕共からのメッセージをチェックしつつ歩いていると目的地に到着する。
宮を守る者たちから礼などの挨拶をされながら黒様の部屋まで進んで行くが、部屋に着くまでに食べ終えるのは難しい。
行儀が悪いがバリバリと飴を噛み砕き、口の中には棒だけが残り、目的の場所にも辿り着く。
部屋に入る前に衣ずまいを正そうとすると、
「…それで父上と母上の事で相談とは何だ、白練?」
御簾越しに僕に尋ねるのは黒様。僕の主の長子だ。
どうやら既に父たちが到着して説明をしていたらしい。
既に全員が揃っている部屋に入った僕は皆に向かってお願いをする。
「黒様、まずは【域】をお作り頂けますか?
結界内で話し合い、機密が漏れぬようにしたく存じます。」
そう告げると後に、鬼族のすべての者が参加したがる人気の催しとなった、僕らが主たちの為に動いた、主たちには秘密のプロジェクトが始動することになった。
「ですが、この計画は時間が少々かかります。お妃様のご出産前には難しい。
おふたりの出会いの日が近々に迫ってましたよね?
ついでにあの双子の誕生日もですけど…
Bプランの決行をその日としましょう────
◇◇◇
───その日は朝からみんなの様子がおかしく、浮足立ち慌ただしかった。
起きた時には既に隣にあいつの姿がなく、寝ていた場所もとうに冷たく、随分前に出たことが分かった。
そういえば、あいつがここのところ朝早くから、双子の息子たちを折檻がてら扱いていたことを思い出す。
問題行動が目に余るのと、あいつの欲求解消の為に、白練から勧められて始めたらしい。
(ホントにあの子何気に色々と怖いよ。)
つい先日、それぞれから「お袋!親父を止めてくれッ!!」と言う悲鳴に「父上の要求はぶっ飛んでてムリ!」などと訴え泣きつかれたが…
当の旦那様は非常に機嫌が良さそうに、ニコニコと笑いながら、僕にしがみつき嫌がるあの子たちを引きずり、連れて行った。
(お前たちのおかげであいつの欲求不満も少しは解消されている。
まだしばらくは頑張っていて欲しい。 )
ぼんやり起き抜けの頭で考えていると、上の息子が訪ねてきた。
「おはようございます。ご機嫌はいかがですか、母上?
天気も良いですし、弟たちの宮には終わりかけですが梅に、桃と桜も咲いています。
良ければ父上も誘って、一緒にこのあたりを散歩いたしましょう。」
息子は毎日挨拶に来るが、珍しく散歩に誘われた。
その場では「後ほど迎えにあがります。」と言われ帰って行ったが、どうにも従者たちが騒がしい。
「若とお散歩なんて久方ぶりになりますでしょう?」
「折角ですから粧し込んで驚かせてはいかがでしょう?」
「お妃様、新しく仕立てておいたものがございますからこちらへ。」
「若は日課の坊っちゃん方の鍛錬を済ませてから来られるそうです。」
息子も一緒であいつとふたりきりではないのだが、そんなふうに勧められ、あれよあれよという間に仕度は済んだ。
朱地に金糸と銀糸で薔薇の柄が入った着物を着付けられる。
元々相当な衣装持ちで、さらに先日居を移す義母に譲ってもらったりもした、なのに今回は新しく仕立てたものを着せられた。
外に出ることが少ないうえに、閨では裸でいることも多い。
それなのに衣装持ちなのはどうかと思うが、あいつは嬉々として色々と貢いでくれている。
(あいつは着飾らせるのも、脱がすのも好きだからなぁ…)
黒に手を引かれ久しぶりに本殿まで来た。
あいつとはここで待ち合わせすることになっている。
「母上、常よりも増してお美しいです。」
「お前は自分の伴侶にそのように言ってあげなさい。」
僕の言葉に少しだけ赤くなる顔。
この子は僕の赤面症を受け継いだらしく、義父に似た凛々しく厳しい顔のままで、器用に顔色だけ赤くなり恥ずかしがる。
「…あれにもちゃんと伝えておりますから。」
小さく呟かれた一言。
それがなんとも可愛らしく、小さい頃のように抱きしめて頭を撫でてやりたくなるが、当然のように拒否されてしまう。
ふたりで歩きながら話していると、いつの間にかあいつと初めて会ったあの池の近くに来ていた。
「お前はこれを顕現させるのに苦労していましたね。」
初めてここに来た時には、義母の白菊が一面に咲いていたのに、今は息子の鬼灯が咲いている。
「先日お贈りしたものはお気に召して頂けましたか?」
「美しいものをありがとう。目で見て楽しめるお前のものが私は好きです。」
他にも最近自分が手解きをしている、息子の伴侶のものもチラホラと見えた。
あの頃とあまりにも変わったその姿に、驚きと少しの寂しさをおぼえる。
「それでも父上には敵いませんが。」
「まぁ…そうですね。ふふふ。」
自分の手を引き少し前を歩く息子も僕より背が高くなり、あいつより少し低い198cmほどだ。
この子も一年程前に番を得て、それを伴侶とし妃に迎えた。
「私とあれも父上と母上の様に、いつまでも仲睦まじく在りたい。」
「あの時お前に言った事を忘れずにいなさい。」
「はい、母上。」
本当に大きく強く育ってくれたこの子のことは、もう何の心配もない。
下の子の面倒もしっかりと見てくれていた。
「この子も…『ロク』も、お前のように育ってくれたら良いのですが…」
「母上、その名は?」
「旦那様が『俺たちの六番目の子になるから暫定的にロクだ。』と。」
「父上の感性はありえませぬ。」
「………………そうですね。(黒、お前も凄く酷いけどね…)」
「男か女か、オスかメスかも気になります。」
「旦那様が盛大に暴露されますので(作る前に決まってるんだよ…)
私はいつもそういった気持ちを味わったことがありません………」
「父上……」
そんなふうに話しながら、あの時あいつと出会った橋の付近まで来た。
なんとなく懐かしくてはしゃいでしまい、息子と手を離してひとりになってしまった。
橋の上から鯉を覗いてみたり、いつかした舟遊びを思い出して笑った。
今もキラキラ光る水面を、橋の上から見て物思いに耽っている。
(季節的に舟遊びにはまだ少し早いが、もう少ししたらそれも楽しいだろう。)
考えたらとても長く共にいるのに、住まいとしている皇宮の中ですら、ろくに散歩などは出来なかった。
永く、永く、永くあいつの【域】で生活した僕は、本当に深窓のお姫様だった。
あいつの宮は僕が快適に暮らせるようにどんどん改築されたけれど、外に出れるのは庭先くらい。
厳重に結界の中で守られ過ごしていた。
「そういえば、私はここで旦那様と出会いました。
ここに連れてくるなんて、あなたにそのことを話したことがありましたか?黒。」
息子に話しかけるが、返事がない。
周りを見回しても、全くその姿が見当たらない。
「黒?」
「く~ろ~」
「黒ッ!」
「…クロ。」
いくら呼びかけても息子の姿は見えず、匂いや気配すら遠くここにはいない。
──『母上、今日は何の日か覚えてらっしゃいませんか?』──
「…もう、エイプリルフールでしょう?それがどうしたんですか?」
僕の頭に直接流れて込んできた息子の言葉。
気づくと息子だけでなく、周りにいたはずの従者たちが皆全て姿を消している。
──『思い出して下さい。母上と父上にとって大切な日のはずです。』──
「ぇえ?!黒…知っているなら教えなさい!」
だが、僕の言葉は虚しく響き、そのまま空気に溶けてしまった。
言われてもなかなか出て来ないそれを考える。
永く生き過ぎて、記念日みたいなものは腐るほどある。
子どもたちの誕生日も、自分とあいつの誕生日も覚えている。
自分の歳は随分昔に数えるのをやめた。
「…あ、そういえば、今くらいの時期にあいつと初めて会った。」
あの時ここで後宮からの薫りと勘違いしたけど、あいつの匂いを初めて嗅いだ。
それで初めて発情期が来て………
とても衝撃的な事の連続で…今でもすぐに思い出せる。
「それでいきなり閨に連れ込まれた……無茶苦茶してるよな?あいつ。」
そこから始まった僕の災難は未だに続いているが、悪いことではなかった。
(どうやら息子は最初からここに連れてくることが目的だったみたいだ。)
景色は変わり白菊は無くなったが、小さく可愛らしい白い花と、赤い実のなった鬼灯に、すっと天に向かって凛と咲く、真っ赤な彼岸花が風に揺れている。
それをじっと眺めていると、ふわりと芳醇な薔薇の薫りが風に乗り流れてきた。
その事で僕らの出会いをより鮮明に思い出す。
「僕らが出会ったのは今くらいの時期…
確か…卯月の月初の事だった。」
(僕の僕だけのあいつの青薔薇の薫り。)
それはだんだん近づいてくる。
ぶっ飛んでおかしい規格外の旦那様と、冗談みたいな出会いを数千年も前にした。
「あ…そうか!今日、だ…今日だった!!」
どんどん近づいて来るのはいつも僕の側に居る、大好きな僕の番の持つ薫り。
すぐ側まで駆けて来て、それは僕に声をかける。
「双子の息子らが生まれた日でもあるな。」
「朱天!」
目の前には、皇の家の者の証の金色の双角に、腰までの鮮やかな朱い髪。
2メートルを超える大きな体を持ち、右目は金色、左目は金色の獣のような鋭い目、その男にも女にも見える整った顔貌は、一族でも飛び抜けて艶麗だ。
僕らの朱い鬼の護り神様。
僕の『運命』がそこに居た。
「お姫様、待たせた。」
「ううん。ここでお前と会った日のことを思い出してた。」
あの時と違うのは、その首もとに僕の【庭白百合】が咲いていて、僕にもこいつの【青薔薇】がある。
それに既に僕のお腹には、もうすぐ産まれてくる子どももいる。
「あの時、本能に強く働きかけるほど惹かれる、俺だけのΩの薫りに誘われて来たら、
一目でその魂に惹かれ、俺のものにしたくなったお前が…運命がいた。」
こいつのその後の行動は、自分にとって災難としか思えないことばかりだった。
「そうだね…問答無用でお前の手籠めにされたねぇ…」
「お姫様、お前も悦んでいた。物凄く好かった筈だ。」
「うん…そうだね…お前はそういうとこは、ホントに…全然、変わらないね………」
この話を続けると埒があかないので、とりあえず当初の予定の散歩することを提案する。
「あのさ、せっかくだしこの辺を散策とかしない?」
「【デート】をしろと下の子らに教えられ、衣装などを用意された。」
あの問題児たちが何を吹き込んだんだろうか?
「え?!うちの問題児コンビに?あの頭パッパラパーどもが?」
(あの子たちも今日が誕生日だから祝ってやらないといけないが…)
「そうだ。やつらに着飾らされた。」
よく見ればこいつの髪は、先日バレンタインデーに僕が贈った組紐で結われ、簪なども使っている。
(ん?簪???)
着ているものも僕に合わせてか、儀式のときほどではないが、いつもよりフォーマルなもの。
(だけどそれは中振袖と呼ばれるものの筈だよね?)
(それにサイドから複雑な編込みをしたハーフアップになんて…なんでしてるのかな?)
(あと、着ているものもなんで振り袖なんかを着せてんだ!
気づけよ!滅茶苦茶違和感あるだろうが!!)
紫地に僕の庭白百合を銀糸で描かれているが、袖のところや裾なんかに子どもたちの鬼灯、梅、桃、茉莉花などがある。
さらに梨と杏に蘭まで見つけたので、こいつの希望する予定も知った……
(これを用意したのは間違いなくあいつらだ。
なぜおかしいと気づかないのか?
お前が常に女装しているからか?)
(こいつはデカくてゴツいけど、滅茶苦茶美人の女にも見えかねないんだぞ!
お前にはありかもしれないが、こんなことしたら美少女に………流石に見えないか。)
だが、かなり危うい。
オスっぽい表情が無ければ、ごっつい美女に見えなくもない。
(デートに女装させるとか…あいつら、途中で気づけよ…マジに殴るぞ!)
「朱天…あいつらは本当に頭が痛いな。」
「やつらは常に良かれと思いしている。
好意しかない。
…それが良くないだけだ。」
朱天は疲れた顔をして、頭をふるふると横に振った。
どうやらちょっとした攻防があったらしい。
(僕は絶対にゴメンだが、こいつはなんだかんだであいつらに甘いからなぁ…)
こいつは僕や子どもに滅茶苦茶に甘いから、結局は許しているんだろうが、これは駄目だろう。
だが、僕とのデートの為に苦手な着飾ることをして、出てきてくれたこと自体は嬉しい。
(それが女装だっただけだ。)
「あの時もお前と顔合わせをする予定で着飾らされた。
俺は抜け出し、お前と出逢った時は髪も衣装も崩してしまっていたが。」
それが見れなくて残念だった。
着崩し乱れた頭で適当にしていたあの時ですら、鮮烈で記憶に残る美しさだった。
さらに磨かれなんてしたら…僕は悶死しそうだ。
(今の女装は綺麗だけど、マジにないからね?)
「お姫様、あの時出来なかった散策をしよう。」
そう言うと徐に手を差し出してきた。
「えぇ、よろしくお願いますね旦那様。」
僕も差し出された手に自分の手を重ねる。
すると抱き寄せられ腰に手を回された。
「体は辛くないか?」
「今は大丈夫だから。でも、あまり長い時間は辛いかな。」
「腹が張っていたり、調子が悪くなったらすぐに言え。」
「うん。」
僕を支えるように腰に手を回してくれ、共に歩き出す。
着ているものの違和感は拭えないが、スマートなエスコートにドキドキしている。
「お姫様、ここを見終えたら、先日『ピクニック』をした場所に行くぞ。
あいつらが花見の支度をしているらしい。
それに俺たちの為に、なにかを用意してくれているらしい。」
「ウェッ?!なにを用意してるんだろう?」
「あいつらはわりとまともなものを作るらしいが?」
「お菓子も料理も得意だからなぁ…
でも、あの子たちも祝ってもらう日なのになんだか悪いな。」
「…皆が揃っているようだ。」
「結局、ふたりきりというのは今だけか…」
「俺は皆で仲良く在るのが嬉しいので構わぬ。」
途中で歩くのが辛くなると僕をお姫様抱っこしてくれた。
「それに喜べ、お姫様。
従者たちが市を開くと言ってくれた。
今はそれを手配していると。」
「ええ?!そんな事考えてくれてたんだ。
そっかぁ…どんなんだろう?楽しみだ。」
僕の体調の事もあって長くは楽しめなかったけれど、昔のことを思い出しながら散策したことや、このあと皆でお祝いをしたことは、『ロク』を産む前の家族皆のとても良い思い出になった。
───────────
本当ならあの日はお見合いのあと、ふたりはデートする予定でした。
白練が色々と計画している事はもう少し話が進んでからになります。
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