27 / 50
第三章「トレード・オフ」
(5)クリスマス・イヴ
しおりを挟む
「……彼女は?」
阿南に尋ねた。彼は推し測るような沈黙を挟み、答えた。
「……事情は何も。いつも通り処分しろとしか」
それは落ち度のない解答だった。本来であれば私も彼も指示通りに動けば良い立場だ。目の前の者がどのような理由で連れて来られたかなど知る必要はない。阿南がそれを知ることができるのは、彼の上役が気紛れに世間話をしてくれるときだけ。機会がなければ引き渡されて終わりだった。彼を通して私が何かを知ることもない。積極的に知ろうともしていなかった。今までは。
部屋の奧で拘束されているのは、まだ十代も半ばを過ぎたばかりではないかという少女だった。白いランジェリーを血痕で汚し、頬を腫らしてうなだれている。
女が送られてくるのは初めてではない。私の元へは年齢性別を問わず様々な人間が送られてくる。だが眼前の少女はその中でも異例の若さだった。見た目には、ごく普通の、高校生ぐらいの少女に見える。我々の業界と接点があるようにも思えない。
こんな平凡な少女が、一体何をすれば山奥の地獄へ運ばれてくるというのか。
「ほら、ちょっと前にデータの改竄問題で辞任した大臣がいたでしょ?」
答えを寄越したのは小倉だった。心なしか以前よりも気安さを感じられる口調だった。
「厚生省だか文科省だったか忘れましたけど、そいつとズブだった製薬会社のお偉いさんが今回の発注元っスよ。そこの会長の長男坊が手の施しようがないクズだってのは有名な話でして。高校んときツッコんだ女を自殺に追い込んだっつーのが飲みの席の鉄板らしいっス。表向きはクリーンで通ってるとこスから親父のほうもケツ拭くのに右往左往してるみたいで。この娘も……まあ、お察しってとこじゃないっスか?」
少女は、虚ろに床を見つめていた。いや、見つめているかどうかも怪しかった。半ば閉じられた瞳には暗い色が宿るばかりで何の感情も見出すことはできなかった。意志を示す気力すら失われているのだ。これでは、まるで、
「人形みたいっスね」
小倉が肩をすくめた。
「可哀相なもんです。でも、オレらも仕事なんで」
そう言って自嘲を浮かべた。阿南が、事務的な口調で続ける。
「発注者からのオーダーはありません。ただ別口からの注文が入っています」
息を呑んだ。
別口。つまりはリサイクルだ。物好きな連中はどこにでもいる。珍しいものを観たい者。珍しいものが食べたい者。自らの生活に飽いたとき、そして、そこから抜け出す力と意志を持ち合わせていたとき、人は更なる刺激を求め、新天地へ向けて移動を始める。中でも、ここに辿り着く人間は極め付け下衆な部類に入ると断言して構わない。『肉の塩漬け』などが良い例だ。阿南らの飼い主は『処分』の依頼とは別に、その手の『転売』も取り扱っていた。
「写真、それと動画の提供を求められています。もちろん肉のほうも」
解体。出荷。販売。
人を人とも思わない悪鬼の所業、ではあるが、
(彼らの欲望に応えてきたのは、他ならぬ俺ではないか)
それに……と省みる。
彼らは決して人を人として扱っていないわけではない。牛や豚と同じように考えているわけではない。人を人として扱っているからこそ、その侵犯を求めているのだ。根底にはそれを禁忌とする倫理が備わっている。ならば、私は?
唇を噛んだ。
私には彼らを蔑む権利すらない。
「撮影は私らが担当します。安藤さんはいつも通り作業をなさってください。零時半には次の業者に連絡を入れますので、それを目途に時間の調整を。……それで構わないですね?」
阿南が念を押した。言外にこう問いかけていた。「本当に大丈夫か?」と。
そう尋ねられる程度に憔悴していたのだろう。実際、家で鏡を覗いたときは我ながら酷い顔をしていた。他人からどう見えているかなど考えるまでもない。だが強がるしかなかった。
「……ああ、構わない」
阿南は、やはり値踏みをするような沈黙を挟む。だが不信感だけで仕事を中断する胆力はなかったらしい。結局は「わかりました」と答えた。
「では私と小倉は上から機材を運んできます。安藤さんも作業の準備を。揃い次第取り掛かりましょう」
阿南は小倉を引き連れてエレベーターへ向かう。私はそのまま奧へ進んだ。間近で見ると、少女の若さと平凡さが一層鮮明に見て取れた。それを徹底的に破壊した暴力の醜悪さも。
見知らぬ男が前に立っても、少女は、動きらしい動きを見せなかった。視線を向けようとする素振りすらない。ただひとつ……無意識の反応だったのかも知れない。露わになった両腿に、僅かに力が込められるのが分かった。無駄と知りつつ、それでも開くまいとするように。
拳を握った。腸が煮えくり返って仕方がなかった。いっそぶち殺してやりたかった! 少女を絶望の淵に叩き込んだ畜生を。人の皮を被ったケダモノを! そして……そんな人畜を糾弾する資格すらない、自分自身を。
怒りと惨めさが私の中で渦を巻いた。
一方不思議とクリアになっていく部分があることも自覚していた。それは、暗い感情が濃度を増すほど、強く、静かに、支配的になるようだった。私は、その感情を何と呼ぶべきか正確な知識を有していなかった。だが心当たりはあった。今までの私には縁遠かったが、目にしたことがないわけではなかった。たとえば命尽きるまで抗い続けた、あのタフな男のように。
それは覚悟だった。
阿南に尋ねた。彼は推し測るような沈黙を挟み、答えた。
「……事情は何も。いつも通り処分しろとしか」
それは落ち度のない解答だった。本来であれば私も彼も指示通りに動けば良い立場だ。目の前の者がどのような理由で連れて来られたかなど知る必要はない。阿南がそれを知ることができるのは、彼の上役が気紛れに世間話をしてくれるときだけ。機会がなければ引き渡されて終わりだった。彼を通して私が何かを知ることもない。積極的に知ろうともしていなかった。今までは。
部屋の奧で拘束されているのは、まだ十代も半ばを過ぎたばかりではないかという少女だった。白いランジェリーを血痕で汚し、頬を腫らしてうなだれている。
女が送られてくるのは初めてではない。私の元へは年齢性別を問わず様々な人間が送られてくる。だが眼前の少女はその中でも異例の若さだった。見た目には、ごく普通の、高校生ぐらいの少女に見える。我々の業界と接点があるようにも思えない。
こんな平凡な少女が、一体何をすれば山奥の地獄へ運ばれてくるというのか。
「ほら、ちょっと前にデータの改竄問題で辞任した大臣がいたでしょ?」
答えを寄越したのは小倉だった。心なしか以前よりも気安さを感じられる口調だった。
「厚生省だか文科省だったか忘れましたけど、そいつとズブだった製薬会社のお偉いさんが今回の発注元っスよ。そこの会長の長男坊が手の施しようがないクズだってのは有名な話でして。高校んときツッコんだ女を自殺に追い込んだっつーのが飲みの席の鉄板らしいっス。表向きはクリーンで通ってるとこスから親父のほうもケツ拭くのに右往左往してるみたいで。この娘も……まあ、お察しってとこじゃないっスか?」
少女は、虚ろに床を見つめていた。いや、見つめているかどうかも怪しかった。半ば閉じられた瞳には暗い色が宿るばかりで何の感情も見出すことはできなかった。意志を示す気力すら失われているのだ。これでは、まるで、
「人形みたいっスね」
小倉が肩をすくめた。
「可哀相なもんです。でも、オレらも仕事なんで」
そう言って自嘲を浮かべた。阿南が、事務的な口調で続ける。
「発注者からのオーダーはありません。ただ別口からの注文が入っています」
息を呑んだ。
別口。つまりはリサイクルだ。物好きな連中はどこにでもいる。珍しいものを観たい者。珍しいものが食べたい者。自らの生活に飽いたとき、そして、そこから抜け出す力と意志を持ち合わせていたとき、人は更なる刺激を求め、新天地へ向けて移動を始める。中でも、ここに辿り着く人間は極め付け下衆な部類に入ると断言して構わない。『肉の塩漬け』などが良い例だ。阿南らの飼い主は『処分』の依頼とは別に、その手の『転売』も取り扱っていた。
「写真、それと動画の提供を求められています。もちろん肉のほうも」
解体。出荷。販売。
人を人とも思わない悪鬼の所業、ではあるが、
(彼らの欲望に応えてきたのは、他ならぬ俺ではないか)
それに……と省みる。
彼らは決して人を人として扱っていないわけではない。牛や豚と同じように考えているわけではない。人を人として扱っているからこそ、その侵犯を求めているのだ。根底にはそれを禁忌とする倫理が備わっている。ならば、私は?
唇を噛んだ。
私には彼らを蔑む権利すらない。
「撮影は私らが担当します。安藤さんはいつも通り作業をなさってください。零時半には次の業者に連絡を入れますので、それを目途に時間の調整を。……それで構わないですね?」
阿南が念を押した。言外にこう問いかけていた。「本当に大丈夫か?」と。
そう尋ねられる程度に憔悴していたのだろう。実際、家で鏡を覗いたときは我ながら酷い顔をしていた。他人からどう見えているかなど考えるまでもない。だが強がるしかなかった。
「……ああ、構わない」
阿南は、やはり値踏みをするような沈黙を挟む。だが不信感だけで仕事を中断する胆力はなかったらしい。結局は「わかりました」と答えた。
「では私と小倉は上から機材を運んできます。安藤さんも作業の準備を。揃い次第取り掛かりましょう」
阿南は小倉を引き連れてエレベーターへ向かう。私はそのまま奧へ進んだ。間近で見ると、少女の若さと平凡さが一層鮮明に見て取れた。それを徹底的に破壊した暴力の醜悪さも。
見知らぬ男が前に立っても、少女は、動きらしい動きを見せなかった。視線を向けようとする素振りすらない。ただひとつ……無意識の反応だったのかも知れない。露わになった両腿に、僅かに力が込められるのが分かった。無駄と知りつつ、それでも開くまいとするように。
拳を握った。腸が煮えくり返って仕方がなかった。いっそぶち殺してやりたかった! 少女を絶望の淵に叩き込んだ畜生を。人の皮を被ったケダモノを! そして……そんな人畜を糾弾する資格すらない、自分自身を。
怒りと惨めさが私の中で渦を巻いた。
一方不思議とクリアになっていく部分があることも自覚していた。それは、暗い感情が濃度を増すほど、強く、静かに、支配的になるようだった。私は、その感情を何と呼ぶべきか正確な知識を有していなかった。だが心当たりはあった。今までの私には縁遠かったが、目にしたことがないわけではなかった。たとえば命尽きるまで抗い続けた、あのタフな男のように。
それは覚悟だった。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
『霧原村』~少女達の遊戯が幽から土地に纏わる怪異を起こす~転校生渉の怪異事変~
潮ノ海月
ホラー
とある年の五月の中旬、都会から来た転校生、神代渉が霧野川高校の教室に現れる。彼の洗練された姿に女子たちは興味を示し、一部の男子は不満を抱く。その中、主人公の森月和也は、渉の涼やかな笑顔の裏に冷たさを感じ、彼に違和感を感じた。
渉の編入から一週間が過ぎ、男子達も次第に渉を受け入れ、和也の友人の野風雄二も渉の魅力に引き込まれ、彼の友人となった。転校生騒ぎが終息しかけたある日の学校の昼休み、女子二人が『こっくりさん』で遊び始め、突然の悲鳴が教室に響く。そしてその翌日、同じクラスの女子、清水莉子が体調不良で休み、『こっくりさん』の祟りという噂が学校中に広まっていく。その次の日の放課後、莉子を心配したと斉藤凪紗は、彼女の友人である和也、雄二、凪沙、葵、渉の五人と共に莉子の家を訪れる。すると莉子の家は重苦しい雰囲気に包まれ、莉子の母親は憔悴した姿に変わっていた。その異変に気づいた渉と和也が莉子の部屋へ入ると、彼女は霊障によって変わり果てた姿に。しかし、彼女の霊障は始まりでしかなく、その後に起こる霊障、怪異。そして元霧原村に古くから伝わる因習、忌み地にまつわる闇、恐怖の怪異へと続く序章に過ぎなかった。
《主人公は和也(語り部)となります。ライトノベルズ風のホラー物語です》
奇怪未解世界
五月 病
ホラー
突如大勢の人間が消えるという事件が起きた。
学内にいた人間の中で唯一生存した女子高生そよぎは自身に降りかかる怪異を退け、消えた友人たちを取り戻すために「怪人アンサー」に助けを求める。
奇妙な契約関係になった怪人アンサーとそよぎは学校の人間が消えた理由を見つけ出すため夕刻から深夜にかけて調査を進めていく。
その過程で様々な怪異に遭遇していくことになっていくが……。
アポリアの林
千年砂漠
ホラー
中学三年生の久住晴彦は学校でのイジメに耐えかねて家出し、プロフィール完全未公開の小説家の羽崎薫に保護された。
しかし羽崎の家で一ヶ月過した後家に戻った晴彦は重大な事件を起こしてしまう。
晴彦の事件を捜査する井川達夫と小宮俊介は、晴彦を保護した羽崎に滞在中の晴彦の話を聞きに行くが、特に不審な点はない。が、羽崎の家のある林の中で赤いワンピースの少女を見た小宮は、少女に示唆され夢で晴彦が事件を起こすまでの日々の追体験をするようになる。
羽崎の態度に引っかかる物を感じた井川は、晴彦のクラスメートで人の意識や感情が見える共感覚の持ち主の原田詩織の助けを得て小宮と共に、羽崎と少女の謎の解明へと乗り出す。

ヤクザに医官はおりません
ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした
会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。
シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。
無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。
反社会組織の集まりか!
ヤ◯ザに見初められたら逃げられない?
勘違いから始まる異文化交流のお話です。
※もちろんフィクションです。
小説家になろう、カクヨムに投稿しています。
本当にあった怖い話
邪神 白猫
ホラー
リスナーさんや読者の方から聞いた体験談【本当にあった怖い話】を基にして書いたオムニバスになります。
完結としますが、体験談が追加され次第更新します。
LINEオプチャにて、体験談募集中✨
あなたの体験談、投稿してみませんか?
投稿された体験談は、YouTubeにて朗読させて頂く場合があります。
【邪神白猫】で検索してみてね🐱
↓YouTubeにて、朗読中(コピペで飛んでください)
https://youtube.com/@yuachanRio
※登場する施設名や人物名などは全て架空です。
【商業企画進行中・取り下げ予定】さようなら、私の初恋。
ごろごろみかん。
ファンタジー
結婚式の夜、私はあなたに殺された。
彼に嫌悪されているのは知っていたけど、でも、殺されるほどだとは思っていなかった。
「誰も、お前なんか必要としていない」
最期の時に言われた言葉。彼に嫌われていても、彼にほかに愛するひとがいても、私は彼の婚約者であることをやめなかった。やめられなかった。私には責務があるから。
だけどそれも、意味のないことだったのだ。
彼に殺されて、気がつけば彼と結婚する半年前に戻っていた。
なぜ時が戻ったのかは分からない。
それでも、ひとつだけ確かなことがある。
あなたは私をいらないと言ったけど──私も、私の人生にあなたはいらない。
私は、私の生きたいように生きます。
不遇な王妃は国王の愛を望まない
ゆきむらさり
恋愛
〔あらすじ〕📝ある時、クラウン王国の国王カルロスの元に、自ら命を絶った王妃アリーヤの訃報が届く。王妃アリーヤを冷遇しておきながら嘆く国王カルロスに皆は不思議がる。なにせ国王カルロスは幼馴染の側妃ベリンダを寵愛し、政略結婚の為に他国アメジスト王国から輿入れした不遇の王女アリーヤには見向きもしない。はたから見れば哀れな王妃アリーヤだが、実は他に愛する人がいる王妃アリーヤにもその方が都合が良いとも。彼女が真に望むのは愛する人と共に居られる些細な幸せ。ある時、自国に囚われの身である愛する人の訃報を受け取る王妃アリーヤは絶望に駆られるも……。主人公の舞台は途中から変わります。
※設定などは独自の世界観で、あくまでもご都合主義。断罪あり。ハピエン🩷
※稚拙ながらも投稿初日からHOTランキング(2024.11.21)に入れて頂き、ありがとうございます🙂 今回初めて最高ランキング5位(11/23)✨ まさに感無量です🥲
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる