トレード・オフ

大淀たわら

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第一章「無限の愛」

(4)渇き

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 僕の両親は正義の味方だった。
 少なくとも彼ら自身はそう信じていた。同じくそうであると信じる大勢の仲間たちと一緒に。敵の力は強大で、彼らの闘争に終わりはなかった。支持者を優遇する無策な首長。労働者を搾取する巨大な企業。それら庇護する醜悪な政府。戦乱を招く外国勢力。弱者の人権を守るためにプラカードを掲げ、日夜シュピレヒコールを轟かせた。闘争を繰り広げる彼らにとって幼い子供は足手まとい以外の何者でもなかった。休日にドライブへ行く時間などなく、バラエティを観ながら笑い合うのは論外だった。もしかしたらたとえ恨まれようと闘争を続けることが息子のためだと固く決意していたのではないか。……そう信じたい気持ちも多少はあったが実態はほぼ無関心だった。彼らが愛していたのは犠牲になったひと。可哀想なひと。おとうさんとおかあさんの似顔絵を放置された我が子はには含まれていなかった。
 僕は頻繁に祖父母の元に預けられた。両親とは正反対の思想を持つ祖父母は、息子とその嫁の活動を苦々しく思っていたらしい。表立った衝突こそは避けていたが、陰で二人のことを現実の見えていない馬鹿者だと罵っていた。では現実の見えている祖父母が孫をどう扱ったのか? これもまた現実の見えていない両親のそれと大差なかった。食事時に冷凍食品を提供してくれる以外は、スーパーのレジ隣で埃を被っている漫画雑誌を与えられ、時間を潰すように仕向けられた。僕はそれを特別面白いとも思わなかった。でも静かにしていないと祖父母の機嫌が悪くなるので大人しくページをめくっていた。僕が部屋の隅でじっとしている間、祖父母はやはり退屈そうにテレビの画面を眺めていた。
 祖父母は僕のことが憎かったわけではないだろう。気に喰わない息子夫婦の子供だからと言って、孫のことまで気に喰わなかったわけではない。ただ単純に興味がなかったのだ。だから僕のなかで他人とは『僕に関心がなく大人しくしていないと不機嫌になる存在』と定義づけられた。
 小学校に上がっても暗い男子に話しかけてくる人間はいなかった。喋る機会もなかった。仮に機会があったとしても僕の発言にはクラスの雰囲気をぎこちなくする効果しかなかった。騒がしいやつらがデリカシーのない振る舞いをしても笑って済まされるのに、僕が一言発するだけで皆の表情が曇るのだ。一体何がいけなかったのか、未だによく分からない。
 自然と一人で過ごす時間が増えた。それが平気だったと強がるつもりはない。笑い声で満たされた教室の隅で置物みたいにじっとしているのは苦痛だったし、団体行動のとき頭を下げてグループに入れて貰うのも屈辱だった。僕は『ひとりでいても平気な理由』を見つけなければならなかった。
 そこですがったのが漫画だった。幼い頃から漫画を読むことでしか居場所を作れなかった僕は再びそれに頼ることにした。その頃になると単に読むだけでなく作者の絵柄を真似て描く……もちろん小学生レベルでの話ではあるが、その程度のことはできるようになっていた。
『漫画を描くのに忙しいから君たちと一緒に遊んではいられない』
 そういうポーズで精神のバランスを保とうとしたのだ。始めは誰に見せるでもなく黙々とノートにイラストを描いていた。当時人気だった、サッカーを題材にした漫画のキャラクターだ。それが何かのきっかけでクラスの連中の目に止まり、結構な賞賛を受けた。こんなもので良ければと別の絵を描いてみると、彼らはまた大いに喜んだ。いつしか僕は『物静かだが絵の上手いやつ』というポジションを手に入れていた。僕自身の人格や意見が認められることはなかったが少なくとも絵を描いて披露するその時間だけは皆の注目を集められることを知った。
 悪い気はしなかった。
 息子に興味のない活動家たちも、痴呆で施設に押し込まれた祖父母の存在も大したことではないように思えた。その状況は小学校を卒業するまで続いた。
 中学に進学すると僕がイラストだけでなく漫画を手掛けるようになった。僕に対する周囲の評価は『イラストが上手いやつ』から『漫画を描けるやつ』に変化した。小学校の頃と同じく、僕の絵を見てはしゃぐ連中は何人かいて、やはり悪い気はしなかった。一方で昔とは異なる点があることにも気が付いていた。数だ。昔と違って褒めてくれる人間の数が明らかに減った。かつてはクラスの半分に近い数が群がってきたのに中学にもなると小グループにまで縮小していた。皆の興味の幅が広がり、漫画を描くという行為が注目に値しないどころか、むしろ暗く魅力のない趣味として軽蔑の対象にすらなっていたのだ。いつしか僕の居場所は再び教室の隅に逆戻りしていた。肩身が狭かった。でも、それでもまだ、グループでいられるだけマシだったと今はそう思う。
 高校へ進学すると状況が一変した。小学の頃は絵が描ける。中学では漫画が描けるというだけで充分だった。しかし高校へ上がって漫研に入ると、その程度のことは当たり前にできるやつがいくらでもいるという事実を突きつけられた。今思えば彼らもただの趣味人に過ぎなかったのだろう。でも当時の僕には彼らがプロの卵みたく輝いて見えた。自分の描いたものがいかにも素人臭く、いかにも不出来な代物に見えて死にたくなった。
 かつてのような手放しの賞賛はもはや期待できない。かと言って腕を磨き直そうという意欲も湧いてこなかった。僕はひたすら連中の作品を腐した。それならば簡単にできた。自分の作品を棚に上げ、そいつらの短所をあげつらった。最初は部活仲間の指摘として真摯に受け止めていた連中も、段々と小癪な批判を煙たがるようになった。程なくして僕は孤立した。それでも意地になって部室の隅に居座っていたが、それも一年が限界だった。進級間近、最後にもう一度だけ罵り合ってから漫研を辞めた。事実上の追放だった。
 それからの二年間は言うまでもないだろう。同類の集まりにさえ居場所のなかった僕に、身を寄せられるところなどあるはずもない。教室にあっては騒ぐ連中を呪い、家に帰っては姿のない両親を呪った。僕は自分の部屋で黙々と漫画を描き、ネットにアップするようになった。広い電脳の世界であれば僕を認めてくれる人間がいるかも知れない。そんな淡い期待を抱いたのだ。でも反応は現実のそれと大差なかった。最初は漫画を描くだけで褒めてくれるひとはいた。でも、伸びしろがないと見限られたのか、僕の人間性に嫌気がさしたのか、徐々に反応も薄れていった。呪う相手がまたひとつ増えた。
 大学へは行かなかった。学びたいことがあったわけではないし、遊ぶ時間も欲しくなかった。居場所ですらなかった実家を出て、目的もなく就職した。そして十年。僕は未だに漫画を描き続けている。いつか、誰かの目に止まることを夢に見ながら、狭い部屋の中で、ずっと。
 それは価値を失ったガラクタを未練たらしく抱え続けるようなものだ。
 磨くことを厭うたものに価値など宿るわけがない。
 つまりはあの悪魔の言う通りなのだろう。
 僕は、漫画が好きなわけではない。好きだから漫画を描いていたわけではない。
「……僕はただ、誰かに愛して欲しかった……」
 夜明け前、悪夢から目覚めた僕は、頬を伝うものを拭った。
 現状はこのザマだ。何一つ犠牲を払わなかった僕は、何一つ得ることができなかった。二十代の終わりを前にして、狭い部屋のなかで独り行き詰っている。
 僕はこれからどうなるのだろう? 誰にも愛して貰えない僕は、これからどうなっていくのだろう? このまま無為に齢を重ね、誰にも看取られない最期を迎えるのだろうか? これから何十年と、何の変化もない日々を過ごした挙句、孤独に。惨めに。
 翌週の月曜日、同僚のひとりが命を絶った。通勤途中の列車に身を投げてバラバラになったらしい。社内は騒然となった。中には泣き出す女性もいた。どう考えても死んだ彼と交流があったとは思えないのだが。
「どうして」
 男性社員に慰められる彼女を眺めながら、僕は一人納得していた。
 彼もまた孤独に生きる人間だった。きっと耐え切れなくなったのだ。何もない砂漠の真ん中で、独り立ち尽くすだけの人生に。
 彼は、もう何も思い悩む必要がない。それはとても羨ましいことだった。
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