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第一章「無限の愛」
(2)黒い装丁の本
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始まりは昨日の朝だった。
通勤途中、道の先に雑誌類が山積みにされているのが見えた。
(今日は紙の日か)
部屋の惨状を思い出し、舌を打った。
今週こそ出そうと決めていたのに。
ぼんやりと遠目に眺めていたところに一人の男が現れた。男は紙の山に何かを投げると踵を返して路地へ消える。気になるものを感じ、前で立ち止まった。
黒い装丁の本だった。
タイトルも、何も、書かれていない、奇妙な本だ。それが一冊だけ無造作に、縛った雑誌の上に乗せられている。捨てたのだろう。ゴミ置き場に置かれているのだから。向かいの路地を振り返ったが男の姿は既になかった。再び本に視線を転じた。
そこで立ち去っていればよかった。ゴミの持ち去りが違法であることは知っていたし、普段からそんなことをしているわけでもない。だが、どうしてだろう。そのままにしてはいけない気がした。このまま廃棄されるのは、何か勿体ないような……。
周囲に目を這わせたあと、黒い表紙に手を伸ばした。
勤務中はバッグに突っ込み、その存在すら忘れていた。中身を開いたのは帰宅後、描き終えた漫画をアップしたあとだった。「そう言えば」と思い出し、バッグのファスナーに指を伸ばした。
改めて見ても奇妙な本だった。タイトルもなければ著者の名前もない。当然出版社の表記もない。古い本だということは分かるが、どの程度の古さなのかは分からない。ただ高級そうな感じはあった。
装丁の材質は滑らかで撫でると何だかぞくぞくした。革製だということは分かる。でも何の皮であるかまでは分からない。もっとも見た目だけで判別できるものでもないのだが。
『黒』という事実を突きつけられている。
そんな表現が脳裏を過ぎった。
(これでダイエットの本だったら大笑いだな)
自嘲し、表紙をめくった。タイトルだろうか? 扉に横書きで文字が綴られていた。どこの国の言葉なのか、これもまた分からなかった。アラビア語のような雰囲気はあるが、単に文字化けしているようにも見える。もちろん意味など理解できない。
適当にページをめくった。しかし、どこを開いても似たようなものだった。理解不能な文字でびっしり埋め尽くされ挿絵一つ見当たらない。
「こりゃさっぱりだな」
ページを飛ばしつつ息を吐いた。
内容どころかジャンルすら見当がつかない。学術書の類だとすれば写真や図解が掲載されていても良さそうなものだし、そうでなくとも小見出しぐらいはあるだろう。改行もなくだらだらと文字が綴られているだけでは大切なことは何も伝えられまい。それよりは日記や小説、経典の類と考えたほうがまだしっくりとくる。それにしたって色気のないレイアウトだが。
「こんな見た目じゃ資料にも使えないな」
と、めくる手を止めようとしたとき、妙なものが目に入った。
「あれ?」
文字が途切れている。ページの半ばで、ぷっつりと。
下半分は空白。続く片面は真っ白だった。印刷ミスかと思い、次のページをめくる。やはりまっさらな見開き。その次も、次の次も同じだった。
まるで、執筆途中みたいだ。
奇怪な事態に眉をひそめる。製本ミスか、はたまた何かの演出か。この空白は最後までずっと続いているのか? 逆側から確認してみようと本を裏返そうとした。そのときだった。
「え?」
手首を握られていた。
ページをめくっていた右手……我ながら痩せて骨張った手首に真っ白な指が絡みついていた。呆気に取られて顔を上げた。誰もいなかった。当然だ。この部屋に人を上げたことなど一度もない。誰もいるはずがない。だったら、これは?
もう一度手元を見下ろした。やはり手首を掴まれている。虚空から生えた何者かの手。爪が針みたいに尖っていた。
「うあっ」
本から手を離した。右手は抵抗なく自由になった。……かのように思えた。だが持ち上げた右腕には、まだしっかりと指が絡んでいた。いや、指ではない。腕だ。腕が垂れ下がっていた。垂れた先を見やると開いた本のページがある。
地面から木が生えてくるように、真っ白な見開きから腕が生えていた。
「え!? えええ!?」
非常時に気の利いた言葉なんて出てこない。只々頓狂な声が漏れた。無論、狼狽えたところで何も解決しない。状況は一方的に進行しつつあった。握られた手首に、力が加えられるのを感じた。
腕の持ち主……本のなかにいるとしか思えないそれは、僕の腕を支えに、そこから這い出そうとしていた。
「なにこれ? なに? うあ……」
前腕に続いて肘が見えた。そこから垂れる黒い袖。肩。側頭部。
徐々に浮上してくる顔半分に真っ赤な唇が張り付いていた。蛭のように艶めくそれが、ニタリと嘲りを浮かべる。そして、
通勤途中、道の先に雑誌類が山積みにされているのが見えた。
(今日は紙の日か)
部屋の惨状を思い出し、舌を打った。
今週こそ出そうと決めていたのに。
ぼんやりと遠目に眺めていたところに一人の男が現れた。男は紙の山に何かを投げると踵を返して路地へ消える。気になるものを感じ、前で立ち止まった。
黒い装丁の本だった。
タイトルも、何も、書かれていない、奇妙な本だ。それが一冊だけ無造作に、縛った雑誌の上に乗せられている。捨てたのだろう。ゴミ置き場に置かれているのだから。向かいの路地を振り返ったが男の姿は既になかった。再び本に視線を転じた。
そこで立ち去っていればよかった。ゴミの持ち去りが違法であることは知っていたし、普段からそんなことをしているわけでもない。だが、どうしてだろう。そのままにしてはいけない気がした。このまま廃棄されるのは、何か勿体ないような……。
周囲に目を這わせたあと、黒い表紙に手を伸ばした。
勤務中はバッグに突っ込み、その存在すら忘れていた。中身を開いたのは帰宅後、描き終えた漫画をアップしたあとだった。「そう言えば」と思い出し、バッグのファスナーに指を伸ばした。
改めて見ても奇妙な本だった。タイトルもなければ著者の名前もない。当然出版社の表記もない。古い本だということは分かるが、どの程度の古さなのかは分からない。ただ高級そうな感じはあった。
装丁の材質は滑らかで撫でると何だかぞくぞくした。革製だということは分かる。でも何の皮であるかまでは分からない。もっとも見た目だけで判別できるものでもないのだが。
『黒』という事実を突きつけられている。
そんな表現が脳裏を過ぎった。
(これでダイエットの本だったら大笑いだな)
自嘲し、表紙をめくった。タイトルだろうか? 扉に横書きで文字が綴られていた。どこの国の言葉なのか、これもまた分からなかった。アラビア語のような雰囲気はあるが、単に文字化けしているようにも見える。もちろん意味など理解できない。
適当にページをめくった。しかし、どこを開いても似たようなものだった。理解不能な文字でびっしり埋め尽くされ挿絵一つ見当たらない。
「こりゃさっぱりだな」
ページを飛ばしつつ息を吐いた。
内容どころかジャンルすら見当がつかない。学術書の類だとすれば写真や図解が掲載されていても良さそうなものだし、そうでなくとも小見出しぐらいはあるだろう。改行もなくだらだらと文字が綴られているだけでは大切なことは何も伝えられまい。それよりは日記や小説、経典の類と考えたほうがまだしっくりとくる。それにしたって色気のないレイアウトだが。
「こんな見た目じゃ資料にも使えないな」
と、めくる手を止めようとしたとき、妙なものが目に入った。
「あれ?」
文字が途切れている。ページの半ばで、ぷっつりと。
下半分は空白。続く片面は真っ白だった。印刷ミスかと思い、次のページをめくる。やはりまっさらな見開き。その次も、次の次も同じだった。
まるで、執筆途中みたいだ。
奇怪な事態に眉をひそめる。製本ミスか、はたまた何かの演出か。この空白は最後までずっと続いているのか? 逆側から確認してみようと本を裏返そうとした。そのときだった。
「え?」
手首を握られていた。
ページをめくっていた右手……我ながら痩せて骨張った手首に真っ白な指が絡みついていた。呆気に取られて顔を上げた。誰もいなかった。当然だ。この部屋に人を上げたことなど一度もない。誰もいるはずがない。だったら、これは?
もう一度手元を見下ろした。やはり手首を掴まれている。虚空から生えた何者かの手。爪が針みたいに尖っていた。
「うあっ」
本から手を離した。右手は抵抗なく自由になった。……かのように思えた。だが持ち上げた右腕には、まだしっかりと指が絡んでいた。いや、指ではない。腕だ。腕が垂れ下がっていた。垂れた先を見やると開いた本のページがある。
地面から木が生えてくるように、真っ白な見開きから腕が生えていた。
「え!? えええ!?」
非常時に気の利いた言葉なんて出てこない。只々頓狂な声が漏れた。無論、狼狽えたところで何も解決しない。状況は一方的に進行しつつあった。握られた手首に、力が加えられるのを感じた。
腕の持ち主……本のなかにいるとしか思えないそれは、僕の腕を支えに、そこから這い出そうとしていた。
「なにこれ? なに? うあ……」
前腕に続いて肘が見えた。そこから垂れる黒い袖。肩。側頭部。
徐々に浮上してくる顔半分に真っ赤な唇が張り付いていた。蛭のように艶めくそれが、ニタリと嘲りを浮かべる。そして、
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