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第471話 スパイダーレディ

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 昔から何でも出来た。
 与えられたモノを卒なくこなすと、御父様も御母様も喜んでくれたから、もっともっとその笑顔が見たかった。

「……初めて……かもしれません」

 湯船に浸かりながら、髪を洗ってくれた彼の事を思い出す。
 御父様の前では完璧に全てをこなせる。それが当たり前だし、これからも問題ない。けれど……彼の前では知らなかった素の自分が垣間見える。

「……幻滅されては元も子もない」

 ここに来た目的を忘れてはならない。私は……御父様がこの地へ帰って来る事を何よりも望まないといけないのだ。
 私が犯してしまった罪。“あの日”から……寂しそうな眼をする御父様の表情を晴らす。それが私の願――

「……ケンゴ様の側に居たいと思う事を……その願いに含めても良いでしょうか? 御母様……」

 初めて生まれたこの感情は私には贅沢すぎる代物だ。これだけは殻の中に仕舞っておかなければならない。





「いや……ホントさ。ユウヒちゃん、強すぎでしょ」

 ばっ様にノされたオレは大和にベロベロされて起きると、居間でユウヒちゃんと将棋を指す事にした。
 オレも里にいた頃はそれなりに指していたので、ある程度の心得はある。里では一番強かった事もあって、外でもそれなりの強者に数えられていたのだが…… 

「ケンゴお兄さん。すぐ罠にはまるんだもん」
「ぬぅ……」

 ユウヒちゃんはその数倍強い。盤面を思った様に構築するだけでなく、罠や搦め手と言った虚実を使いこなす相当な棋士だ。
 蜘蛛の巣の用に複数箇所に罠を張り、捕まえた所を一気に抉る。やってる戦術が、王手うわーい! って喜ぶ小学生のソレじゃないのよね。
 裏でスパイダーレディって呼ぼ。

「じゃあ、ここで」
「はい、王手」
「逃げ――」

 よく見ると逃げ場ねぇ。オレは負けました、と頭を下げる。

「ふっふーん! これで居る人全員に勝ったわね!」
「本当に驚く程強いなぁ」
「ケンゴお兄さん、ユウヒはオンライン将棋でランキング20位なんだ」
「コエ、19位よ。さっき一つ上げたわ」
「ほー、ちなみに何人くらいがやってるヤツ?」
「3万人は居るかな」
「20/30000ってヤバイね」

 更に嬉しそうにするユウヒちゃん。奨励会に入ったら素晴らしい未来が開けるだろう。しかし、それはここでは口には出来ない。
 『雛鳥』は自立出来る年齢になるまでは里から出る事を許されていないのだ。

「お待たせしました」

 そこへ、アヤさんがやってくる。オレはさっきの事もあるが、外見は平常心で応じる。

「次の方、どうぞ」
「よし、コエ行くよ。お風呂!」
「うん」

 そう言ってユウヒちゃんはコエちゃんを連れて脱衣所へ向かった。

「微笑ましい事ですね」
「心から里を好いてくれるのは良い事だけどね。結局は『雛鳥』だ」

 あー、やだやだ。仕方がないとは言え、こう言う風習は本当は無くさなければならない。オレは決定権は何もない自分に出来る事を考えながら駒を並べ直す。

「ケンゴ様」

 そう言いながらアヤさんはユウヒちゃんの座ってた席――オレの正面に座る。
 ふむ、中々に色っぽい。普段は後ろ髪を結っている人が髪を下ろすと印象が変わる。今のアヤさんはオフモードと言った所か。

「先ほどは……」
「あー、いいよ。もう考えるのは止めよう。その方が互いに気兼ねなくなれるでしょ?」
「……そうですね」

 残念そうな口調は、彼女の本心か悟り切れない。また、自己の殻に本心が籠ってしまったか。
 どちらにせよ、今夜はもう無理だな。
 肉体と精神の両方もかなり疲労してるし、まだ九時だが先に寝よう。

「皆様はどちらへ?」

 居間にはオレとアヤさんしかいない。

「蓮斗はもう寝てるよ。抗生物質には睡眠作用もあるらしくて、ぐーすかしてる。ヨミ婆はジジィの様子を見てる。久岐さんは外でロクじぃと話をしてて、残った面子は、外でばっ様から『古式』を見せて貰ってる」
「それは……よろしいのですか?」
「別に隠してる事じゃないからね」

 『古式』が書物などに残っていないのは、流派では無いからだ。最初は技名なども存在しなかったのだが、源流を一つに集める過程で一通りつける事になったらしい。

「それに、強くなるのが目的なら現代では格闘技を習った方が絶対に早いからね。今頃は肩透かしを食らってると思うよ」

 ジジィの強さの源は、当人の環境利用能力にあるのだろう。

「元々は弱者の為の術だし、圭介おじさんも素の『古式』はあんまり使わなかったでしょ?」
「御父様は『古式』に一つ、足しました」
「キッカケや基礎にはなるんだけどね。それだけじゃ機能しないんだ」

 『古式』の最大の強みは奇襲だ。一度でも警戒されると二度目は絶対に通用しない。

「『白鷺剣術』。御父様が作り上げた流派です」
「……ごめん。初めて聞いたよ」
「ふふ。良いのです。起こしてから10年も経っておりませんし、まだまだ成長中の流派なので」
「いやはや。圭介おじさんも凄いね。オレは何かを一から作るなんて想像も出来ないよ」
「私も御父様はとても偉大だと思います」

 そう語るアヤさんは胸に手を当てて誇らしく微笑んだ。うん、可愛い。

「それにしても、圭介おじさんも良く君の事を送り出したよね。オレならこんなに可愛い一人娘は、絶対に他の男の元に送らないよ」
「それは……たぶん、ケンゴ様の元だったからです。私も……同意しています」

 顔を赤くして辿々たどたどしくそう言う彼女。真摯な気持ちである事はすぐにわかった。しかし、オレの心は――

「そっか。圭介おじさんの好感度を稼いでて良かったよ。アヤさんが会いに来てくれるなんで人生の運を使い果たしても叶わなかっただろうからさ」

 本当に壊れてる。目の前の女の子から好意を向けられて何も感じないのだ。
 しかし、今回に限れば色恋に惑わされず冷静に物事を見極められるので都合が良かったかもしれない。

「アヤさん、一つ聞いても良い?」
「なんなりと」
奏恵かなえおばさんは今――」

 その時、公民館の玄関扉が開き、外に出ていた面子が戻ってきた。

「なんか、思ってたのと違ったわ」
「『古式』はケイには必要ないじゃろ」
「ガハハ、七海よ。強さを求めるなら普通に格闘技を極める方が早いぜ」
「全部他の技の基本の基本みたいなものばかりでしたね」

 七海課長、ばっ様、ゲンじぃ、天月さんは順に居間に入ってくると、オレは適度に挨拶した。
 アヤさんへの質問は他の人が居る前でする事では無いので、また明日にしよう。ふぁぁ、ねむねむ……





 と、思っていたオレはババァから今宵最後の罠を仕掛けられる事をまだ知らなかった。
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