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第165話 お前も着替えて来いよ
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「師範ー」
「ケイ、少し待ちなさい」
七海が道場に入ると、中心で和服を着た隻眼の老人が立っていた。腕を下ろして手の平を広げ、並みならぬ雰囲気で何かを待つように動かない。
「……」
七海は言う通りに老人の様子を見守る。そして、
「そこか!」
老人が何かに反応し動く。パァン! と顔横で手の平を合わせる様に勢い良く閉じられた。
「ふむ。やったな」
「何やってんの?」
「蚊」
自らの手で忌まわしい敵を仕留めた老人は満足そうだった。
「最近のスプレーは高性能だけどな。一回、シュッてするだけで蚊をぶっ殺す環境を20日は保つヤツとか」
「ケイ。私は仕留めた時の爽快感を味わっているのだ。君の方法は全てを台無しにする」
と、七海は咄嗟に両手を勢いよく合わせた。パァン! と言う音が再度道場に響く。
「こんなんに時間を使うのは非効率だろ」
仕留めた蚊を見せながら、ポケットティッシュを取り出して手を拭くと、近くのゴミ箱へ、ぽいっと投げ入れる。
「流石は愛弟子。教える事は何もないね」
「こんなんで免許皆伝認定するなら破門にしてくれ」
少しおちゃらけた隻眼の老人は道場主であり師範代――大宮司四門。彼は、更なる高みへ行くか、と笑った。
「門下生はどこだ?」
「今日は週一の休みだよ? 道場の掃除する日だからね」
社会人にも門を開いている大宮司道場は平日に休みを取る。休日と祝日は基本的に開けてあるのだ。
「今日は君も休むと言っていただろう? 掃除の手伝いに来てくれたのかい? 駿や智人君に朝から手伝って貰ってもう殆んど終わってしまったけどね」
「いや、今日は――って、ノリトのヤツ来てんの?」
「ああ。今、ランニングがてら駿と一緒にノーランドの散歩に――」
ばうー! どわー!
「帰ってきたようだ」
「悪い師範、ちょっと空ける」
「ああ」
七海は開けっ放しの戸へ戻ると、ノリトォ! と外に居る弟へ怒鳴りつける。
ノリトはケンゴと天月のスーツ姿に社会人であると見て、更に門下生じゃない事から、姉関係であると悟り、道場に来ていると瞬時に理解した。
「やっべ。逃げよ」
そーっと場を離れのようとするノリトの後ろで道場の入り口から怒号が飛ぶ。
「ノリトォ!」
「ダッシュ!」
声が聞こえた段階でノリトは逃走を開始する。ノーランド! と言うケイの声に反応して大型犬が、ばうー! と彼の背後に覆い被さった。
「クソったれ! 主従関係はまだ姉貴が上か!」
じたばたするノリトに静かな怒りでケイは近づく。
「学校サボって何やってんだコラ……」
「出席日数とか大丈夫だから! ちゃんと計算してるから!」
「理由になってねぇ! ボケェ!」
ケイの拳骨がノリトの頭に落とされる。
ゴッ! と石を石の上に落とした様な音が響き、煙を出しながらノリトは目前のめりに沈黙した。
骨とか大丈夫かなぁ、とケンゴは彼の安否を心配する。
「大宮司四門だ。よろしくね」
弟さんに石段の雑草抜きを命令した七海課長は、オレと天月さんを道場に招き入れてくれた。目の前には眼帯をつけたご老人と七海課長が正座している。
「天月新次郎といいます」
「鳳健吾です」
すげー。隻眼の武術家って初めて見た。やっぱり七海課長の師に当たる人物なだけあって座ってても迫力があるな。
「天月新次郎……あの天月新次郎かい!? メダリストの!」
シモンさんは驚いた様子で七海課長を見る。
「そーだよ」
「嬉しい限りです。フランスのみならず、日本でも俺の事を広く認知されてるなんて」
日本人でスポーツと言えば天月家が真っ先に出てくる人材だからなぁ。特に目立ってるのは、ボクサーの天月久遠と天月新次郎の二人だろう。
「一つ教えて欲しい。天月早雲は君の祖父かね?」
おっと……警視庁の武術師範の名前が出てきたぞ。
「はい。当主を知ってるんですか?」
「武技を習うものなら誰しもが触れる人物だからね。私は同年代で何度か挑戦はしたが……やはり彼に土をつける事は叶わなかったよ」
「失礼ながら……その眼は当主との戦いで?」
「ん? ハハ。早雲じゃない。これは『神島』にやられたのだ」
「うえ!?」
オレは思わず声を上げる。どうかしたか? と七海課長の視線に、なんでも無いデス……と身を引っ込める。容赦ねぇな、ジジィ……
「『神島』……この国のタブーと聞きますが」
「私も当時若くてね。早雲を越える為には常識外に触れなくてはと焦っていたのだ。そこで触ったのが『神島』だった」
「師範。目玉潰された話で盛り上がるのは良いが今日は俺の用事を優先するぜ」
と、シモンさんの横で正座していた七海課長は立ち上がる。
「天月と仕合う。鳳は立会人だ」
七海課長は場を本来の目的へ引き戻す。
「ふむ。私は審判かな?」
「ああ。頼めるか?」
「いいよ。本気でやるんだろう? 天月君、道着を貸そう。その方がフェアだろうからね」
「七海課長が直接相手ですか……手加減はしませんよ!」
「ああ、俺もだ。全力でぶっ殺しに行くからな」
「いや……殺す方は止めましょうよ」
七海課長は本気になると殺意出るなぁ。シモンさんなんて、ケイの本気は久しぶりに見るよ、って笑ってるし。
「それじゃ少し身体を温めます。外を走るので10分ほど時間を下さい」
「いいぞ」
アスリートの習慣なのか前準備は標準らしい。天月さんは師範について道着を受け取りに行く。
「何やってんだ、鳳」
「? 正座ですけど……」
「お前も着替えて来いよ」
「何故に!?」
今日のオレは非戦闘員のハズ……
「俺もアップするからに決まってんだろ。ヤツを確実に潰すためだ。相手しろ」
「……拒否権は?」
「心配すんな、案山子やってりゃいい。体型が近いと何かと間合いが計りやすいからな」
今日は寿命が縮むかもな……
「ケイ、少し待ちなさい」
七海が道場に入ると、中心で和服を着た隻眼の老人が立っていた。腕を下ろして手の平を広げ、並みならぬ雰囲気で何かを待つように動かない。
「……」
七海は言う通りに老人の様子を見守る。そして、
「そこか!」
老人が何かに反応し動く。パァン! と顔横で手の平を合わせる様に勢い良く閉じられた。
「ふむ。やったな」
「何やってんの?」
「蚊」
自らの手で忌まわしい敵を仕留めた老人は満足そうだった。
「最近のスプレーは高性能だけどな。一回、シュッてするだけで蚊をぶっ殺す環境を20日は保つヤツとか」
「ケイ。私は仕留めた時の爽快感を味わっているのだ。君の方法は全てを台無しにする」
と、七海は咄嗟に両手を勢いよく合わせた。パァン! と言う音が再度道場に響く。
「こんなんに時間を使うのは非効率だろ」
仕留めた蚊を見せながら、ポケットティッシュを取り出して手を拭くと、近くのゴミ箱へ、ぽいっと投げ入れる。
「流石は愛弟子。教える事は何もないね」
「こんなんで免許皆伝認定するなら破門にしてくれ」
少しおちゃらけた隻眼の老人は道場主であり師範代――大宮司四門。彼は、更なる高みへ行くか、と笑った。
「門下生はどこだ?」
「今日は週一の休みだよ? 道場の掃除する日だからね」
社会人にも門を開いている大宮司道場は平日に休みを取る。休日と祝日は基本的に開けてあるのだ。
「今日は君も休むと言っていただろう? 掃除の手伝いに来てくれたのかい? 駿や智人君に朝から手伝って貰ってもう殆んど終わってしまったけどね」
「いや、今日は――って、ノリトのヤツ来てんの?」
「ああ。今、ランニングがてら駿と一緒にノーランドの散歩に――」
ばうー! どわー!
「帰ってきたようだ」
「悪い師範、ちょっと空ける」
「ああ」
七海は開けっ放しの戸へ戻ると、ノリトォ! と外に居る弟へ怒鳴りつける。
ノリトはケンゴと天月のスーツ姿に社会人であると見て、更に門下生じゃない事から、姉関係であると悟り、道場に来ていると瞬時に理解した。
「やっべ。逃げよ」
そーっと場を離れのようとするノリトの後ろで道場の入り口から怒号が飛ぶ。
「ノリトォ!」
「ダッシュ!」
声が聞こえた段階でノリトは逃走を開始する。ノーランド! と言うケイの声に反応して大型犬が、ばうー! と彼の背後に覆い被さった。
「クソったれ! 主従関係はまだ姉貴が上か!」
じたばたするノリトに静かな怒りでケイは近づく。
「学校サボって何やってんだコラ……」
「出席日数とか大丈夫だから! ちゃんと計算してるから!」
「理由になってねぇ! ボケェ!」
ケイの拳骨がノリトの頭に落とされる。
ゴッ! と石を石の上に落とした様な音が響き、煙を出しながらノリトは目前のめりに沈黙した。
骨とか大丈夫かなぁ、とケンゴは彼の安否を心配する。
「大宮司四門だ。よろしくね」
弟さんに石段の雑草抜きを命令した七海課長は、オレと天月さんを道場に招き入れてくれた。目の前には眼帯をつけたご老人と七海課長が正座している。
「天月新次郎といいます」
「鳳健吾です」
すげー。隻眼の武術家って初めて見た。やっぱり七海課長の師に当たる人物なだけあって座ってても迫力があるな。
「天月新次郎……あの天月新次郎かい!? メダリストの!」
シモンさんは驚いた様子で七海課長を見る。
「そーだよ」
「嬉しい限りです。フランスのみならず、日本でも俺の事を広く認知されてるなんて」
日本人でスポーツと言えば天月家が真っ先に出てくる人材だからなぁ。特に目立ってるのは、ボクサーの天月久遠と天月新次郎の二人だろう。
「一つ教えて欲しい。天月早雲は君の祖父かね?」
おっと……警視庁の武術師範の名前が出てきたぞ。
「はい。当主を知ってるんですか?」
「武技を習うものなら誰しもが触れる人物だからね。私は同年代で何度か挑戦はしたが……やはり彼に土をつける事は叶わなかったよ」
「失礼ながら……その眼は当主との戦いで?」
「ん? ハハ。早雲じゃない。これは『神島』にやられたのだ」
「うえ!?」
オレは思わず声を上げる。どうかしたか? と七海課長の視線に、なんでも無いデス……と身を引っ込める。容赦ねぇな、ジジィ……
「『神島』……この国のタブーと聞きますが」
「私も当時若くてね。早雲を越える為には常識外に触れなくてはと焦っていたのだ。そこで触ったのが『神島』だった」
「師範。目玉潰された話で盛り上がるのは良いが今日は俺の用事を優先するぜ」
と、シモンさんの横で正座していた七海課長は立ち上がる。
「天月と仕合う。鳳は立会人だ」
七海課長は場を本来の目的へ引き戻す。
「ふむ。私は審判かな?」
「ああ。頼めるか?」
「いいよ。本気でやるんだろう? 天月君、道着を貸そう。その方がフェアだろうからね」
「七海課長が直接相手ですか……手加減はしませんよ!」
「ああ、俺もだ。全力でぶっ殺しに行くからな」
「いや……殺す方は止めましょうよ」
七海課長は本気になると殺意出るなぁ。シモンさんなんて、ケイの本気は久しぶりに見るよ、って笑ってるし。
「それじゃ少し身体を温めます。外を走るので10分ほど時間を下さい」
「いいぞ」
アスリートの習慣なのか前準備は標準らしい。天月さんは師範について道着を受け取りに行く。
「何やってんだ、鳳」
「? 正座ですけど……」
「お前も着替えて来いよ」
「何故に!?」
今日のオレは非戦闘員のハズ……
「俺もアップするからに決まってんだろ。ヤツを確実に潰すためだ。相手しろ」
「……拒否権は?」
「心配すんな、案山子やってりゃいい。体型が近いと何かと間合いが計りやすいからな」
今日は寿命が縮むかもな……
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