【完結】かつて勇者だった者

関鷹親

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111 失態と天敵

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 時は少し遡る。春輝を逃がしオーバンは大勢の精霊族の前になす術もなく、あっけなくその命を散らしていた。
 堅牢な造りとなっている地上への扉は、外側から閉ざされている。教会騎士達が既に破壊を試みているので、扉が開かれるのも時間の問題だった。
 最後まで扉を守るようにしていたオーバンの体は、まるでゴミのように脇へと放りだされたままだ。
 絶命したオーバンを前に、ジェンツは躊躇いなく事切れた体を踏みつける。その顔は醜悪に歪むばかりだ。
 十分に洗脳し妖精の粉も常に与えていたし、まだ使いようがあろうと、体が弱っていたオーバンに生きたまま妖精を飲ませて動けるようにしていた。
 そうしてオーバンは完全に手駒となっていたはずだったのだ。それがどう言う訳か自我を取り戻し、春輝を助け出した。

 そのせいで、あと少しと言うところで春輝が自我を取り戻してしまったのだ。オーバンを早々に殺した上で妖精で操っていればと後悔の念が過るが、全ては後の祭りでしかない。
 逃げ出した春輝を捕まえたら、今度こそ自我を無くすように粉を存分に吸わせようとジェンツが考え込んでいる間に、分厚い扉が開かれた。

 石畳の螺旋階段を教会騎士達と足早に上がり、執務室へと戻る。特に変わった様子の無い室内を見回し、春輝がすぐにこの場から去ったのが分かる。

「きっと居場所は離宮でしょう。あそこにはホッパー卿が残っていますしね」

 数名の教会騎士達に指示を出す。自我が戻り、警戒心を剥き出しにした春輝をトビアスが素直に春輝を渡すとは思わないが、この際力尽くで奪い取ればいい。
 そして時が来るまで地下で春輝を囲ってしまえばいいのだ。
 そのための大事な駒であるいちかを執務室に呼びつけている最中、慌てた様子の教会騎士が執務室へと駆け込んできた。

「猊下っ火急の知らせがございます!」

 尋常ではないその様子に、ジェンツを含めた執務室内にいる者達の間に緊張が走る。息も絶え絶えの教会騎士は、顔面を青白くさせ何度も唾を飲み込んでから言葉を発した。

「王都のすぐ近くに、魔王軍が進軍してきております!」

 静まり返った部屋に、その報告はやけに大きく聞こえた。まさか魔王軍がこの王都まで攻めてくるとはジェンツには予想外の出来事だった。
 これまで魔獣の襲撃は何度かあれど、魔王が軍を上げて王都に攻め入ろうとすることなど長い時間の中では、精霊族が滅ぼされる寸前にまで追い込まれた戦い以降は無かったからだ。
 一体何故だと考えながら、ガベルトゥスが春輝に執着していると言うことを思い出した。

ーーまさか、たった一人の人間の為に軍を動かすだろうか?

 他の理由を探してみたが、考えられるものは何もない。その事実に、ジェンツは腹の底から激しい怒りを覚えた。
 汚らわしい魔族如きが大事な胚を欲していると言う事実に、腸が煮えくり返る。大事に育ててきた胚は実を結ぶ時を待っているのだ。
 その時期はあと少しで、そうすれば次代を作り出すことができる。そしてこれまで以上に精霊族が増え、かつてのような栄光を再び手に入れることができると言うのに。

 これまでの勇者達とは違い、春輝はそれをこなせるだけの器がある。珍しく胚だけではなく、全てを欲してしまうほどの人間なのだ。
 それを掠め取られては堪らない。

 憤怒に顔を歪めたジェンツは、すぐさま戦闘準備を整えるように指示を出す。王都を覆う結界があるため、直ぐに中へは侵入出来ないはずだが油断はできない。
 かつての大戦では、圧倒的な魔族の火力で結界を突破されているからだ。

 年若く大戦を経験していない精霊族達は、恐怖しながらもどこか結界があることへ安心感があるような雰囲気を見せる。
 それでもピリつく空気から、決して油断しているわけではないのだと分かるが、大戦を経験したジェンツからしてみれば多少の苛立ちを感じる程に緩さを感じてしまうのだった。

 天敵であるドラゴンが居なくてよかったと思わずにはいられない。大戦後に生まれた者達は、戦闘力は確かに人間より上で魔族と同等ではあるが、本格的な戦争を経験してはいないのだ。ずっと隠れ住んできた弊害ともいえる。
 目の前に突如現れた問題に悩ましく思いながらも、ジェンツは早く春輝を地下に匿い結界が壊される前に人間達も先導しつつ魔王軍を叩かなければと、己も戦闘の準備を整えていく。

 その時、突如として聞こえてきた甲高い咆哮に、ジェンツの体は芯から一気に体温が無くなり冷え切ったのを感じた。
 防衛本能から、身を竦ませたくなるような感覚が襲いくる。背中にたらりと一筋の冷や汗が伝い落ちていく感覚が、やけにゆっくりだった。
 久しく聞いてはいなかったが、確実に分かるその咆哮に驚愕するとともに、心臓が痛いほどに脈を打つ。
 どうしてあんなものが王都に、それも結界内部に居るのか。そもそも絶滅したはずではなかったのかと、ジェンツの頭は混乱を極めた。

「次から次へと……」

 食いしばった歯の隙間から漏れ出た言葉をまともに聞けるものは居なかった。執務室の中にいる精霊族達は皆怯えを多分に含んだ顔で外を見ている。
 久方ぶりに表れた天敵のあまりのタイミングの悪さに胃が痛くなり、服の上からそのあたりをジェンツは無意識に掴んでいた。

「怯むなっ!! 直ちに戦闘準備を強化しなさい。妖精達も放ち、人間達も先導して魔王軍を早めに叩きます。先の大戦で我らはドラゴンも倒しました、今一度倒すこともできるはず! さぁ行きなさい!!」

 自信をも鼓舞するように発したジェンツの活に、恐怖で固まっていた精霊族は顔色を戻すと、飛ぶように各所へと走り出す。
 途端に慌ただしくなった教会内は、着々と戦の準備を進めていくのだった。
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