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100 人ならざるものへ
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くぐもった叫び声が断続的に室内に響く。それと同時に聞こえてくるのは、どたばたと床をのたうち回る音だ。
トビアスは椅子に座りながら自身の片腕をタオルで押さえ、視線を上げた。その先にあるのは苦しみに藻掻き苦しむ春輝の姿。
春輝に乞われ、最終的にトビアスは春輝に自身の血を呑ませることにした。それは勝てない方に掛ける賭け事のような、ハイリスクなものだ。
しかし春輝の強い意思を変えることもできず、またトビアス自身も春輝の洗脳をこれ以上解く方法がわからなかった。
春輝の洗脳が完全に解かれなければ、いくらトビアスが魔力供給で核を少しずつ壊そうとも完全に元に戻ることは無い。
寧ろ、あの妹擬きと妖精の粉がふんだんに使われている食事のお陰で、核の根はこれまで以上に浸食し自我を失うだろう。
そうなればジェンツの思うつぼで、春輝の体内に完成されつつある胚で春輝は妖精を産むことになってしまうのだ。
「ぐうっ……あ゛ぁっガハッ」
「……ハルキ殿、難しいかもしれませんがもう少し声を抑えてください」
「はぁ、はぁっ……くそっもっとだトビアス、もっと血を寄越せ」
タオルをどけられ、春輝にキツく噛みつかれた腕からは青い血がしたたり落ちる。絨毯には大量に吐き散らかされた赤い血が、その全てを吸いつくせずに赤黒い海を作っていた。
ごくごくと喉を鳴らしながら血を飲む春輝の目は、本来の黒い眼とドラゴンの金の眼の色を行ったり来たりと明滅するように変わる。
このまま上手く春輝がドラゴンになれるか、死に向かうかは誰にもわからない。
およそ人の力よりも強く噛みつかれ、皮膚を破り肉に突き破る歯にトビアスは眉をきつく寄せその痛みに耐える。必死に自我を保とうとする春輝の姿は痛々しさを感じるが、一種の生存本能のようにも思えた。
暫くしてピタリと止まった春輝が、深く息を吐き出しながらトビアスの腕から顔を上げた。
口元を真っ青に染め上げた春輝の伏せられていた瞼がゆっくりと上がれば、薄暗い室内で輝く色はハッキリとした金色だ。
――完全に自身を取り戻された……!
半分ではあるが同族が増えたことへの喜びと、命が長らえ春輝と言う人物が完全に戻ってきたことが嬉しくてたまらない。
歓喜に打ち震えるトビアスをよそに、汚れた口元を拭くこともなく春輝は体の調子を確かめるように手を何度か動かし、首を捻り骨を鳴らす。
トビアスはその一挙手一投足を注意深く見ていた。自身がドラゴンになった時よりも、春輝の変化は早かったため、どこかに不備が生じていないかと気がきではなかったからだ。
けほっと小さく零した咳が次第に大きくなる。やはりドラゴンの血は上手く馴染まなかったのだろうかと不安に揺れた直後、春輝はその口から青い血に塗れた何かを吐き出した。
びしゃりと床に落ちた塊は、転がりトビアスの足元までやってくる。荒い息を整えた春輝は、血に塗れた塊を徐に拾い上げると、金の瞳を細めた。
「これは……」
「これが核みたいだな。ドラゴンの魔力で無力化して根も完全に絶やした」
鈍く光る核は、春輝の手で握り潰されるとサラサラと光る砂のように赤黒く変色した絨毯へ落ちる。
「胚はどうなりましたか」
「それも絶やした」
ニヤリと口端を釣り上げた春輝だったが相当に無理をしたのか、次の瞬間にはガクンと体を傾けた。
「ハルキ殿っ」
支えた体の熱は高く、体は冷や汗が大量に流れていた。その状態に
「なにも一度にやらずとも……無茶をしすぎです」
「……異物だらけで気持ち悪かったんだから仕方がないだろう?」
流石に体力を消耗しきったのか、段々と春輝の意識が遠のいていくのがわかる。トビアスは慎重にその体を抱え上げると、手早く清め着替えさせた。
ベッドの上へ横たえた時には、既に春輝からは規則正しい寝息が聞こえてきていた。縋るようにして抱き込むうさぎのぬいぐるみの首につくブローチを握りこむ春輝は、無意識にガベルトゥスを求めているかのようだ。
魔法を用いて手早く室内を片付けたトビアスが一息つく頃には太陽が昇り始めていた。カーテンの隙間から差し込む日の光に、春と共に無事に朝を迎えることができたことに安堵していれば、窓ガラスをコツコツと叩く音が聞こえてくる。
見れば小さな鳥が小さく鳴きながら、窓を嘴で叩いていた。トビアスが窓を開け手をゆっくりと差し出せば小鳥は警戒する素振りも見せず、慣れたように指に乗る。
足に巻き付けられた小さな筒から紙片を取り出したトビアスは、その中身を読むとテーブルに移動し手早くペンを走らせた。
小鳥を送ってきた主は離宮から逃がしたトゥーラだ。ガベルトゥスの従者として共に来ていたトゥーラをそのまま置いておくこともできず、トビアスは王都に潜入させているという半魔の者達と合流するように指示を出していた。
トゥーラは無事に仲間と合流できたようで、いつでも動けるようにしてあるという。これでガベルトゥスとの連絡も取れるようになった。
『勇者は陛下の手の中に』
そう書き記した紙片を再び小鳥の足についている筒に入れると、褒美に木の実を食べさせてから窓から放った。
小さく空にに溶けていく小鳥を見届けていれば、気が付けば春輝がトビアスの隣に立っていた。
「陛下へと渡りをつけました。暫くすれば何かしら動きがあるでしょう」
「頼もしい限りで。その間に俺達は俺達で、やるべきことをやろうか」
「そうですね、しかしその前に少しでも休んでください、ハルキ殿」
「ドラゴンは睡眠をあまり必要としないだろう?」
「それでもです。体を弄り倒されたのを無理やり治したんですから、少しでも休養せねばなりませんよ。ドラゴンとて不死身ではないのですから」
トビアスが苦言を漏らせば、春輝は渋々といった様子で再びベッドへと戻る。素直に話を聞くあたり、やはり体調は万全ではないのだろう。
ベッドの横に置いた椅子に座ったトビアスは、今後の動きを考えながら目を閉じた。
トビアスは椅子に座りながら自身の片腕をタオルで押さえ、視線を上げた。その先にあるのは苦しみに藻掻き苦しむ春輝の姿。
春輝に乞われ、最終的にトビアスは春輝に自身の血を呑ませることにした。それは勝てない方に掛ける賭け事のような、ハイリスクなものだ。
しかし春輝の強い意思を変えることもできず、またトビアス自身も春輝の洗脳をこれ以上解く方法がわからなかった。
春輝の洗脳が完全に解かれなければ、いくらトビアスが魔力供給で核を少しずつ壊そうとも完全に元に戻ることは無い。
寧ろ、あの妹擬きと妖精の粉がふんだんに使われている食事のお陰で、核の根はこれまで以上に浸食し自我を失うだろう。
そうなればジェンツの思うつぼで、春輝の体内に完成されつつある胚で春輝は妖精を産むことになってしまうのだ。
「ぐうっ……あ゛ぁっガハッ」
「……ハルキ殿、難しいかもしれませんがもう少し声を抑えてください」
「はぁ、はぁっ……くそっもっとだトビアス、もっと血を寄越せ」
タオルをどけられ、春輝にキツく噛みつかれた腕からは青い血がしたたり落ちる。絨毯には大量に吐き散らかされた赤い血が、その全てを吸いつくせずに赤黒い海を作っていた。
ごくごくと喉を鳴らしながら血を飲む春輝の目は、本来の黒い眼とドラゴンの金の眼の色を行ったり来たりと明滅するように変わる。
このまま上手く春輝がドラゴンになれるか、死に向かうかは誰にもわからない。
およそ人の力よりも強く噛みつかれ、皮膚を破り肉に突き破る歯にトビアスは眉をきつく寄せその痛みに耐える。必死に自我を保とうとする春輝の姿は痛々しさを感じるが、一種の生存本能のようにも思えた。
暫くしてピタリと止まった春輝が、深く息を吐き出しながらトビアスの腕から顔を上げた。
口元を真っ青に染め上げた春輝の伏せられていた瞼がゆっくりと上がれば、薄暗い室内で輝く色はハッキリとした金色だ。
――完全に自身を取り戻された……!
半分ではあるが同族が増えたことへの喜びと、命が長らえ春輝と言う人物が完全に戻ってきたことが嬉しくてたまらない。
歓喜に打ち震えるトビアスをよそに、汚れた口元を拭くこともなく春輝は体の調子を確かめるように手を何度か動かし、首を捻り骨を鳴らす。
トビアスはその一挙手一投足を注意深く見ていた。自身がドラゴンになった時よりも、春輝の変化は早かったため、どこかに不備が生じていないかと気がきではなかったからだ。
けほっと小さく零した咳が次第に大きくなる。やはりドラゴンの血は上手く馴染まなかったのだろうかと不安に揺れた直後、春輝はその口から青い血に塗れた何かを吐き出した。
びしゃりと床に落ちた塊は、転がりトビアスの足元までやってくる。荒い息を整えた春輝は、血に塗れた塊を徐に拾い上げると、金の瞳を細めた。
「これは……」
「これが核みたいだな。ドラゴンの魔力で無力化して根も完全に絶やした」
鈍く光る核は、春輝の手で握り潰されるとサラサラと光る砂のように赤黒く変色した絨毯へ落ちる。
「胚はどうなりましたか」
「それも絶やした」
ニヤリと口端を釣り上げた春輝だったが相当に無理をしたのか、次の瞬間にはガクンと体を傾けた。
「ハルキ殿っ」
支えた体の熱は高く、体は冷や汗が大量に流れていた。その状態に
「なにも一度にやらずとも……無茶をしすぎです」
「……異物だらけで気持ち悪かったんだから仕方がないだろう?」
流石に体力を消耗しきったのか、段々と春輝の意識が遠のいていくのがわかる。トビアスは慎重にその体を抱え上げると、手早く清め着替えさせた。
ベッドの上へ横たえた時には、既に春輝からは規則正しい寝息が聞こえてきていた。縋るようにして抱き込むうさぎのぬいぐるみの首につくブローチを握りこむ春輝は、無意識にガベルトゥスを求めているかのようだ。
魔法を用いて手早く室内を片付けたトビアスが一息つく頃には太陽が昇り始めていた。カーテンの隙間から差し込む日の光に、春と共に無事に朝を迎えることができたことに安堵していれば、窓ガラスをコツコツと叩く音が聞こえてくる。
見れば小さな鳥が小さく鳴きながら、窓を嘴で叩いていた。トビアスが窓を開け手をゆっくりと差し出せば小鳥は警戒する素振りも見せず、慣れたように指に乗る。
足に巻き付けられた小さな筒から紙片を取り出したトビアスは、その中身を読むとテーブルに移動し手早くペンを走らせた。
小鳥を送ってきた主は離宮から逃がしたトゥーラだ。ガベルトゥスの従者として共に来ていたトゥーラをそのまま置いておくこともできず、トビアスは王都に潜入させているという半魔の者達と合流するように指示を出していた。
トゥーラは無事に仲間と合流できたようで、いつでも動けるようにしてあるという。これでガベルトゥスとの連絡も取れるようになった。
『勇者は陛下の手の中に』
そう書き記した紙片を再び小鳥の足についている筒に入れると、褒美に木の実を食べさせてから窓から放った。
小さく空にに溶けていく小鳥を見届けていれば、気が付けば春輝がトビアスの隣に立っていた。
「陛下へと渡りをつけました。暫くすれば何かしら動きがあるでしょう」
「頼もしい限りで。その間に俺達は俺達で、やるべきことをやろうか」
「そうですね、しかしその前に少しでも休んでください、ハルキ殿」
「ドラゴンは睡眠をあまり必要としないだろう?」
「それでもです。体を弄り倒されたのを無理やり治したんですから、少しでも休養せねばなりませんよ。ドラゴンとて不死身ではないのですから」
トビアスが苦言を漏らせば、春輝は渋々といった様子で再びベッドへと戻る。素直に話を聞くあたり、やはり体調は万全ではないのだろう。
ベッドの横に置いた椅子に座ったトビアスは、今後の動きを考えながら目を閉じた。
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