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89 交わることのない想い

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「くくっくははははは!!」

 突然笑い出したガベルトゥスに、ハンネスは僅かに困惑したような表情を滲ませる。ひとしきり笑ったガベルトゥスは、片方の口端を盛大に釣り上げその尖った牙を剥き出しにした。
 嫌悪を存分に滲ませた冷笑を浮かべるガベルトゥスに流石になにか感じ取ったのか、ハンネスは一歩後退しようとするがガベルトゥスが掴んだ手首が離されることはない。
 ガベルトゥスは掴んでいたハンネスの手首に躊躇いなく力を入れると、まるで小枝でも折るようにその手首をぼきりと折った。
 突如走った激痛にハンネスは呻き声を上げ、パッと手を離せば後ろにたたらを踏む。
 信じられないと目を見開くハンネスを目の前に、ガベルトゥスは自身の腰に下げられていた剣をゆっくりと引き抜いた。

「この俺が力を持つ、たったそれだけで相手を選ぶと? はぁ……二百年一番側にいて、俺に愛を囁くお前が理解できていないとはなぁ」

 威圧を敢えて抑えることもせずにハンネスを眼光鋭く睨みつければ、じりじりと相手が後ろに下がっていく。
 本来これほどまでの威圧を受ければ、人間は愚か魔族でも立っていることは難しいだろう。ハンネスが今怯えながらも立っていられるのは、ガベルトゥスと共にして居た時間が長いからに他ならない。
 それをハンネス自身は他の魔族よりも優位に立っていて、寵愛を受けていると思っていたのだろうが、ガベルトゥスからしてみればハンネスは体のいい駒でしかない。
 側近として重用してはいたが、ハンネスに心の内を吐露した覚えは二百年余りの間、一度たりともありはしないのだ。なによりもガベルトゥス自身、この世界の者に理解されたいなどと微塵も思わない。
 故にハンネスはガベルトゥスと言う存在を根本から勘違いしてしまっているのだ。

「俺はこの世界自体が嫌いでね。それは勿論、この世界に生きる物全てに言える。わかるか? 俺は魔王だが、魔族も嫌いなのさ」

 そう、この世界はガベルトゥスから全てを奪い去った。貧しくも楽しかった生活も、友人も、かつての恋人も、愛も。そして憎悪に駆られたガベルトゥスは、人としての体も失った。
 それは自分自身で選んだ選択ではあるが、この世界の人間が勇者などを召喚しなければ、人の身を捨てるという選択は無かったのである。
 だから全てが憎くて憎くて仕方がない。湧き上がる憎悪がこの世界全体に向くのは仕方がないことだろう。

「同じ世界からの人間で、同じく勇者として連れてこられ、同じくらいの憎悪の熱量を持つ春輝だから良いんだ。根底から全てが違う。この世界に生まれたお前では足元にも及ばない、俺の深層心理は到底理解出来ないだろうよ」

 スパンっと剣を素早く薙ぎ払えば、威圧で慄くハンネスの片腕はあっけなく空中へと放り出された。ぼたぼたと流れ落ちる血の色は魔族特有の青。

「だからこそ、俺は唯一の理解者である春輝と共にこの世界を滅ぼすのさ」
「貴方は、貴方様はッ……!! 我ら魔族の王なのにッ!! どうして、どうしてどうして!!」

 理解ができないのか、ハンネスは頭を左右に振りながら慟哭する。その姿を哀れには思う。自らが王と長年仕え恋情すら持った相手が、まさか自らのみならず全てに憎悪を抱き、破壊しようとしていたのだから。
 そうとも知らずに、来る勇者たちをガベルトゥスの駒となれる者か長年にわたり試していたのもハンネスだ。

 じりりと近づくガベルトゥスに、未だ動揺を納められずに狼狽えるハンネスは、しかし長年の恋情故に未だガベルトゥスに攻撃出来ずにいるようだった。
 その葛藤がありありと見てとれるが、そんな物でガベルトゥスの心が動かされることはない。
 今はただただ、春輝をまんまと敵の手に渡してしまった悔しさと怒りを目の前のハンネスにぶつけてしまいたいだけだった。

 ガベルトゥスが痛ぶるように、攻撃してこないハンネスへ向け魔法を放つ。
 その攻撃がハンネスの足に直撃すれば、体勢を崩して地面に倒れ伏した。

「陛下、へいっか、長年私は貴方様に誠心誠意支えてきました。どうか、どうか、先程の言葉は嘘だと言ってください」

 痛みで顔を歪めながらも懇願してくるハンネスに、ガベルトゥスが凶悪な笑みを緩めることはない。
 断末魔を聞きながら、ガベルトゥスは残りの手足を切り刻み、腰から生えた魔族らしい羽をも引きちぎった。
 周りがすっかり青い血で溢れかえった頃には、ハンネスは生き絶えていた。
 最後まで攻撃してこなかったハンネスの恋情は本物だったのだろうが、その気持ちを向けられることほど気持ち悪いことはない。
 それを受け入れるとすれば、春輝からの物だけだ。普通の物とはだいぶ違う形をする春輝の想いは心地がいい。

 剣に纏わりつく青い血を振り払い、鞘に収めたガベルトゥスが歩き出そうとしたその時、背後からカサカサと音が聞こえてきた。
 すぐさま警戒態勢を取り振り返れば、ハンネスの周りには無数の妖精が緑の光を放ちながら這ってい悍まし光景が見える。
 一体なにをしているのかと訝しみながら見ていれば、虫たちはハンネスの開いた口や、傷口から体内にどんどんと侵入していく。
 ざわざわと耳障りな羽音が止んだかと思えば、死んだはずのハンネスの体が、壊れた操り人形のようにカクカクと動き出したのだった。
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