【完結】かつて勇者だった者

関鷹親

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88 待ち受けていた者

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 王都を覆う結界の外、街道からも離れた林の中に転移したガベルトゥスは、腹の底から沸き上がる苛立ちで知らぬ間に唇に自身の鋭い牙を立てていた。
 深くめり込んだ唇から流れる紫の血を拭うこともせず、見つめる先は教会の方角。結界の外からは見えぬ場所に春輝が捕らわれたことへの憤りが。更に胸を突きガベルトゥスを苛立たせた。
 今すぐに奪い返したいが、衝動的に動いても良いことはなにもない。幸いガベルトゥスの意図を正しく読み取ったトビアスが春輝の側につくことができている。
 だがそれとていつ正体がバレるかわかったものじゃない。離宮には自由に動けるトゥーラも居るため、先に王都に潜入させていた半魔の一族たちとも連携が取りやすい。
 上手くトゥーラを使いトビアスに春輝を守らせつつ、当初の計画通りに結界を内側から破壊すれば、春輝を奪還するのは容易いだろう。

 精霊族の天敵であるドラゴンも居る、それに加えてガベルトゥスには切り札もあるのだ。問題があるとすれば、春輝を奪還後どうやって洗脳を解くかという点と、あの死んだはずのいちかだ。
 いちかは死んだはずで、灰すら残さず燃やし尽くしたはずだ。となれば、あの場にいた者はいちかに似せた紛い物と考えるのが妥当だろう。しかしそうは思っても、病的なまでに妹を溺愛する春輝が妹を見間違うことなどあり得るのだろうかという疑問が沸き上がる。
 春輝は棺の中のいちかを確実に見て、その死を確認している。春輝がいちかの死を見間違うはずもない。
 紛い物でもなく本物だとすれば、一体どうやってジェンツはいちかを生き返らせたと言うのか。
 体がそのままだと言うのなら、棺の中は空だった可能性がある。棺を閉めた後に開ける者などいない。そのまま地中に埋められるのが常だ。
 それは春輝とて同じだった。違うことと言えば領地まで棺を運んだぐらいだ。中身を確認していればこんな事態には陥っていなかっただろう。
 過ぎた過去にガベルトゥスは思考を巡らせるが、全てたらればでしかない。重く息を吐き出し元の姿に戻れば、背後からガサリと木々が揺れる音が聞こえた。

「あぁ陛下、なんと御労しい」

 聞き覚えのありすぎる声にガベルトゥスが振り向けば、そこに居たのはトゥーラ達半魔に始末させたはずのかつての側近、ハンネスだった。
 いちかに続き、死んだはずのハンネスまでこの場にいるとは。精霊族は死者を蘇らせることでもできるのだろうか。
 アンデットを作り出すのは魔王の専売特許だと思っていたが、精霊族も似たようなことができるというのだろうか。

「お前は死んだはずだが?」
「確かに一度死の淵を歩みましたが、この通り。あなた様の元へ帰ってきました」

 うっそりと笑みを深めるハンネスに、勢いよく片眉を跳ね上げたガベルトゥスはいつでも攻撃ができるようにハンネスの動向を注視する。

「お可哀想な陛下。教皇に勇者を取られたのでしょう? この私がその分を埋めて差し上げます」
「何故それを?」
「私を死の淵から助けてくださったのが教皇だからですよ」

 ハンネスは青白く骨ばった細い手に嵌る指輪を、見せつけるように高く上げた。僅かにだがその指輪からは洗脳に使われる核の気配がして、ガベルトゥスは今度は眉を顰めた。

「人間を侮っていましたが、これは素晴らしい物ですね。この粉と合わせれば、更に力がみなぎってくるようです。前の私よりも格段に力を得ることができました。陛下、勇者の力を借りなくても、この私の力があればあの国を亡ぼせますよ? 陛下を裏切ったあんな勇者より……私の方が陛下を愛しているのですから、私と共に滅ぼしましょう? それが貴方様の望みでしょう?」

 妖精の粉を躊躇いなく吸い込むハンネスの目は、狂気に満ちていた。ハンネスが並々ならぬ感情をガベルトゥスに向けていることには気が付いていたが、この二百年常に弁えていた。
 それが春輝を目に掛けたことで、駒としてしか認識していなかった勇者を敵と認識したのだろう。だがガベルトゥスはどんなにハンネスに気持ちを向けられても、答える気はさらさらない。
 寧ろその感情を向けてくれるなとすら思う。ガベルトゥスがこの二百年求めてきたのは、紛れもなく春輝のような勇者だ。
 それを軽々変えたのは、春輝の持つ仄暗い執着心と歪んだ愛情を気に入ったからに他ならない。
 目の前のハンネスも歪んではいるが、ガベルトゥスが求める物はこれではない。

「この俺が、お前に気持ちを傾けるとでも?」

 すり寄ってこようとするハンネスの手首を掴み、嘲笑を浮かべる。そんなガベルトゥスの表情にも、ハンネスはどこか自信ありげに笑むばかりだった。

「だって彼は貴方が嫌いな人間ではないですか。あの力に惑わされているだけですよ」

 ハンネスの言葉にガベルトゥスは沸き上がる侮蔑の感情をとうとう爆発させ、腹の底から笑い声を上げたのだった。
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