【完結】かつて勇者だった者

関鷹親

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08 旅立ち

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 晴れ渡った空の下、民衆達は興奮の色を押さえられないというように春輝がこの世界に召喚された時と同じような熱量で叫んでいた。
 前回と違う点があるとすれば、今回はオーグリエの王族だけではなく周辺諸国の王族達までもがこの場にいると言うことだろうか。
 力が発現してから一月。この日春輝はついに魔王を討伐するため、トビアス含む各国から集められた総勢二五〇人の騎士達と共に城から旅立つのだ。

 歓声が頭の奥まで響き、痛みだす。春輝はまるで自分がパンダかなにかになったような気分を味わっていた。静かに旅立ちたかったが、国として功績を大々的に示さねばならないと言われ、どうしようもなかった。
 目立つことが嫌いな春輝はこの場にいたくはないのだが、勇者と言う肩書上逃げることなど許されるわけがないのだ。

「勇者様の無事を、そして勇敢なる騎士の皆様の無事を、皆で祈りましょう」

 豪奢な法衣を纏った教会の頂点である教皇ジェンツが尊大に手を広げれば歓声はピタリと止み、皆が皆胸の前に手を組み祈りだす。
 元々神の存在など信じていない春輝はその場にただ一人祈るポーズをとることもなく、冷めた目でその光景を見ていた。
 誰の意識も向いていないことをいいことに、いちかの方を振り返る。小さな妹は律儀に周りに合わせ、真剣な表情で祈っていた。
 その光景に自然と頬が緩む。
 目の前で大勢の人に祈られようが、高貴な人々に祈られようがなにも感じはしないが、いちかが自分の無事を祈ってくれていると言う事実がなによりも春輝は嬉しかった。

 祈りが終わり、出立の準備を促される。べったりと春輝に貼りつこうとするサーシャリアを無視し、春輝は暫く離れることになるいちかの元へと駆け寄った。

「お兄ちゃん、行っちゃヤダぁ!」

 この世界に来て初めて、いちかが春輝に泣きついてきた。命一杯手に力を込め、春輝を行かせまいと服を強く握りしめている。春輝はギリギリの強さでいちかを抱きしめた。
 いちかを置いていくことに不安がないわけではない。勇者の権限を存分に使い、安全だとわかるオーバンやマクシムにいちかを任せることにしていた。
 いちか自身も二人には懐いているし、王や宰相らが用意した子守りより断然いいと春輝は判断していた。だがそれでも、彼らとは出会ってまだひと月しか経っていないのだ。
 たまにしか会わない親戚に預けるのとはまた違う不安がある。だからといって、いちかを危ない戦場へと連れて行けるわけにもいかない。
 なによりも、オーバンに治癒を施されてはいるが死んでもおかしくないほどの怪我をしていたいちかの体調は、まだまだ元通りとはいえない。ここで待っていてもらうしかないのだ。

「すぐに帰って来るから。ほら、うさぎさんとお留守番してて?」

 いちかの胸に抱かれているうさぎのぬいぐるみの手を動かしながら、春輝はいちかを宥めた。いちかが生まれてから、長期間いちかの元を離れたことがない。春輝もいちかから離れるのは苦しく耐えがたいことなのだ。
 耐えられないほど心が軋むが、その気持ちをなんとか押し殺し春輝はマクシムとオーバンにいちかを預けた。

「ハルキ様がお戻りになるまでこのマクシム、オーバン様と共にしっかりとイチカ様をお守りいたします」
「あぁ……頼んだマクシム」

 最後にいちかの頬に軽く口付けると、春輝は何かに突き動かされるようにその場を離れた。



 トビアスはその光景を見て、少しばかり心を痛めていた。幼い妹はこれ以上兄を困らせないようにと涙を流しながらも、ドレスの裾を強く握りしめ縋るような言葉を発しはしない。
 この一か月、数々の訓練や遠征の準備を行う傍ら、トビアスはどれだけ春輝が妹を大事に思っているかしっかりと見ていた。
 いつも無表情かしかめっ面しかしていない春輝が、この妹だけには優しく微笑み柔らかく話すことを知り、傲慢でいけ好かない勇者といった春輝に対しての認識を改めていた。
 
 その中で、もし勇者として召喚されなければ彼らは元の世界で穏やかに過ごせていたのではないのだろうかと考えてしまったのだ。
 だが召喚された勇者は春輝だ。その力は記録を見た宰相が言うには、歴代最高に近いほどだという。
 そんな彼ならきっと早く魔王を打ち取ることができ、早く帰還することも可能なはずだ。脅威がなくなった世界で、仲睦まじい兄と妹が心穏やかに暮らせるようになるだろう。
 トビアスはそう考え、彼らに対する芽生えた申し訳なさを飲み込んでいた。
 確かに勇者に功績を総取りされるのは面白くはないが、冷静に考えれば彼は全く無関係な争いに無理やり引きずり込まれているのだ。

 出立の準備を騎士達に指示を出しながら、トビアスは憐憫の情を覚え隣に立つ春輝を見てしまう。

「なんだよ」

 ジッと見過ぎていたせいか、春輝から冷めた声が掛けられ、トビアスは内心慌てながらもそれを表に出さないように努めた。

「いえ、相変わらず仲が良いなと思いまして」
「いまさら同情でもしたっていうのか?」

 鼻で笑いながら皮肉気に問うてくる春輝に、トビアスはどう答えたものか一瞬悩みはしたが、ここは正直に答えた方がいいだろうと口を開く。

「……そうです。我々がお呼びしなければ、妹君と離れることなどなかったでしょうにと」
「勝手に呼んで、勝手に敵意を向けてきたかと思えば今度は同情するなんてな。ここの奴らは勝手な奴ばかりだ」

 春輝の言葉にトビアスはなにも言い返さえず、静かに目を閉じた。
 語り継がれる勇者像に囚われ、誰も春輝を一人の人間としては見ていない。勇者と言えど同じ人間で、同じように感情があるにも関わらずだ。
 語り継がれてきた勇者達は皆その使命に燃え、自ら進んで討伐へと赴いたらしい。しかし中にはきっと春輝のように嫌々仕方なくといった勇者もいたのではないのだろうか。

「私達は語り継がれてきた勇者像しか知らないのです。よくよく考えれば、英雄譚と言う物などは、その華々しい活躍と功績しか語られないというのに。勇者も一人の人間だということを皆失念してしまっているのです」

 静かに目を開けたトビアスは、真剣な表情で春輝に向き直る。

「正直私も、勇者と言う存在を一人の人間だと見ていなかった。初対面の時は自分達の功績が全て取られてしまうことに面白くないと、正直なところ敵意もあったのです。ですが妹君と接するハルキ殿を見ている内に考えがかわりました」

 トビアスは申し訳なさそうに話すが、春輝はそんなトビアスの身勝手な懺悔を遮ることなく耳を傾けてくれていた。

「きっと騎士達が私と同じ考えになることは難しいでしょう。ですが私は、ハルキ殿が無事に妹君の元へ帰還できるように尽力しようと思います。歴代最強に近い力を持つハルキ殿には要らぬ心配かもしれませんが」
「本当に勝手な奴ばかりだな、好きにしたらいいだろう」

 そっけなく返されトビアスは思わず苦笑してしまうが、完全に拒絶されている訳ではないのだろう。
 全ての準備が整った勇者一行の隊列は、民達の声援を受けながらゆっくりと王都の中を進み、やがて王都を囲む塀を超えた。

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