運命に抗え【第二部完結】

関鷹親

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第二部-失意の先の楽園

51. Ωの楽園2

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 千尋は僅かに眉を跳ね上げ、不愉快だとばかりにフレディを睨む。
 確かに似ているのだろうが、目の前の男と一緒にはされたくはなかった。

「やだなぁ、怖い顔だ」
「貴方と一緒にされたくありません」
「そういうけど、救われてるΩがいるのは事実だよ」

 辿り着いた先。周りの家より少し大きい家の玄関ポーチを上がり、断りもなく扉を開けフレディはどんどん中へ足を進めていく。
 千尋は躊躇いながらも彼に着いていく選択をするしかなかった。
 室内に足を踏み入れた途端、鼻に纏わりつく香りに既視感を覚え千尋の心臓が早鐘を打つ。
 その匂いは足を進める度に強くなり、部屋の奥から微かに聞こえてくる多数の人の声に嫌な汗が流れて仕方がなかった。

 カントリー調の木製家具で飾られる質素な家の中、最奥の部屋に辿り着いたフレディがニヤリと笑みを浮かべて千尋を振り返り、見てごらんと示して見せる。
 そこに広がる光景を見た千尋は一気に嫌悪感に包まれた。

 先の部屋は緩く何かの香が焚かれ、煙が薄く部屋を満たしている。
 その中で行われていたのは無数の人間による性行為だった。
 誰の首にもネックガードは付けられてはおらず、誰の首にも噛み跡が複数付けられている。
 大勢があちこちで交わる光景は、まるで理性をかなぐり捨てた獣のようだった。
 目は血走り、繰り返し行われている行為はとても同じ人とは思えない。

 ――あぁ気持ち悪い、これではただの動物とかわらないではないか。

 目の前で繰り広げられる光景を見ていられず、千尋はすぐに目を反らした。
 だが耳は音を拾い、鼻は部屋に充満する香りを嗅いでしまう。
 香りが混ざり合い一つの香りを形成しているが、千尋には運命の番の場所が濁流のように流れ込んできていて、頭を殴られ脳震盪を起こしたような状態になっていた。

 流れ出る冷や汗は量を増していくばかり。
 眩暈で倒れそうになるが、こんな場所で意識を失うわけにはいかないと千尋は手首に爪を立て、痛みで消えそうな意識を保った。

「これが……Ωの幸せだと?」
「そうだよ。己の性を全て受け入れ、解放する。それは心の開放にもつながるでしょう?」

 再び歩き出したフレディにのろのろと着いていく。どうやらこの場所を見せたかっただけのようで、すぐに外に出ることができた。
 思わず深呼吸すれば森の清々しい空気が肺を満たし、鼻にこびりつく臭いが幾分かマシになる。
 だが全てをすぐに取り除くことはできない。短時間でも服に染みついた香りが纏わりついて気持ち悪かった。
 鼻を突く甘い匂いは、嗅いだことのあるものだ。既視感の正体を漸く掴めた千尋は、さらにフレディを警戒する。

「運命の番を求めるのは何もαだけじゃない。Ωもそうなのさ。けれど出会える確率はほぼ無いだろう?」

 ぐらぐらと揺れる頭のまま、気が付けば元の大きな建物まで戻って来ていた。
 千尋の様子に気づいているのかいないのか、フレディは一人喋り続ける。

「運命に出会えないなら、作ればいいんだ」
「運命を……作る?」

 フレディがポケットから徐に取り出したのは小さな透明な袋に入った粉だ。

「これを使えばね、あら不思議! 誰でも彼でも運命の番に大変身さ」

 頻発するようになったフェロモンアタック。そしてその際に使用が確認されている薬物の正体、それがフレディが手にしている物だった。
 今まで確認されていなかった新種の薬物。それがまさかこんなところにあろうとは。

 彼が手にする薬は、ブライアンから聞いていた通り個のフェロモンの香りを消し去り、大元のフェロモンの匂いだけが増幅されてしまう物だという。
 それは何もΩだけではなく、この薬を摂取すればαであっても同じ効果が表れるというのだ。
 まるで運命の番同士の香りが一つになるように――

「うーんでも君にはあまり効かないのかな? あの香りを少し嗅いでも僕を見る目が変わらないものねぇ」

 目をより一層細めたフレディが舌なめずりしたのを見て、千尋は思わず引き攣った声が出そうになり彼から一歩距離を取る。

「なーんてね! 大丈夫、僕が君に手を出すことはないから怯えなくてもいい。君には利用価値があるもの」

 そう言われたところで、誘拐に加え楽園と自称するおかしな場所、それに新種の薬物を持つ男の言うことなど信用できるはずもない。

 日が落ちれば辺りは真っ暗な闇に飲まれた。
 森の中にある光源は少し離れた場所にある家々の僅かに漏れる光と、夜空に浮かぶ星と月明りだけだ。
 出された食事は当然のように食べる気にはなれず、おかしそうに笑うフレディは千尋が暫くの間寝起きする部屋へ案内すると、鍵も閉めずにどこかへ行ってしまった。

 彼は千尋がここから逃げるとは微塵も思っていないようだ。
 逃げ出せばすぐに分かるようになっているのか、それとも千尋の様子から怯えて行動を起こせないと踏んでいるのか。

 通されたのは、ベッドと衣裳ダンスがある広いだけの簡素な部屋だった。
 オレンジ色に弱く光る古びた電灯の下、千尋はベッドの端に腰を下ろして壁に頭を凭れ掛からせる。
 内ポケットを探ればピルケースは取られておらず、千尋はそれを慣れたように飲み下した。

 頭の中では昼間に見たこの場所の住人達の光景がどうしても頭を過る。
 まるで動物のように成り果てた彼らは、果たしてアレで幸せだと言えるのだろうか。
 確かに運命の番を求めてしまうのは分かる。
 だがあんな偽りのものなど手に入れたところで、我に返りさらに虚しくはならないのだろうか。
 それとも、あの薬でそんな思考さえも溶けてしまっているのか。

 思考を掻き消すように頭を振ったその時、ちゃりっ……と微かに金属が擦れる音が聞こえた。
 その音に気が付いた千尋は、慌てて自身のジャケットについているポケットに手を入れる。

「これ……」

 手にしたのは最初に着けようとしていたネックガードだ。
 華美になりすぎると外し、時間に追われるままポケットに放り込んだままだった物。
 どうやらネックガードには到底見えない外見から、彼らに取り上げられなかったようだ。
 そのことにほっと息を吐いた千尋に漸く安堵感が僅かに芽生えた。
 開け放たれた古びたカーテンから漏れる月明り。
 千尋はそのネックガードを着けることはせず、手に握りしめたまま微かに震える体を縮めて言い知れぬ不安と戦うのだった。
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