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第二部-失意の先の楽園
14 過去の話
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その名前を聞き、千尋は心臓を思い切り鷲掴みにされたような感覚を味わった。
耳の奥で普段は聞こえない脈がドクドクと音を立てて聞こえる。車中で何度も聞いていた名前だが、今のような状態にはならなかった。
何故今は血の気が引いて足元がふらつくのか。嫌な予感が止まらない。
「私は彼の教育係だったの。レオは人に教えることは得意じゃないから」
千尋の嫌な予感は当たってしまった。同じ部隊というだけでも距離が近いというのに、教育係という立場の者と出会うことになるとは。
「最初は他の新兵と同じようなひよっこだったけれど、レオという目標を見つけてからめきめきと頭角を現したの。彼を鍛えるのは楽しかった」
特殊部隊に配属されたアーヴィングを、ニコールは徹底的に扱いたのだという。
危険が他の兵士達より多い彼らの部隊では、考え方から変えていかなければならず、またそれと同時に戦闘スタイルも体も鍛え直さなければならない。
特殊な訓練に加えて基礎も叩き直されるので、最初の一年で脱落するものは多いのだという。次々と同期が居なくなる中で、アーヴィングはレオに憧れを持ち、その才能を開花させた。
その年に残ったのは結局アーヴィングを含めて三人。
現場に出るようになってからは更にレオに追いつこうと必死に食いついていたのだという。
そんなアーヴィングを、ニコールもレオも可愛がっていた。
何度も任務を共にし、死線を潜り抜けた彼らは固い友情で結ばれ、休暇中もよく一緒に過ごしたのだとか。
そんな友を殺せと命じた時、レオはどんな気持ちだったのだろう。
「任務で最後は貴方を守ったと……名誉だったはずよ。それにきっと彼はレオに頼まれて張り切って、それに応えることができたのだから本望だったでしょう。できれば、彼を忘れないであげてほしいの、図々しいお願いかもしれないけれど」
どこか縋るようにニコールは千尋に視線を向けてくる。その目にはアーヴィングに対しての慈愛が見て取れた。
ニコールにとって、それだけアーヴィングを大事にしていたかということがわかる。
「……勿論、忘れたりしませんよ」
罪悪感が大きな津波のように押し寄せる。自身の運命の番を殺したことも、自分でできないからとレオを頼ったことも、そのレオの友であったことも忘れたことはない。
「ありがとう千尋」
ほっとしたように笑ったニコールの目には薄く涙の膜が張られていた。
ニコールとの会話は、レオ達が部屋に戻ってきたことで終わりを迎えた。部屋に入ってきたレオの姿を見て、押し寄せていた罪悪感が少しだけ和らぐ。
レオは部屋の雰囲気から何かを察したようで、ニコールを見て僅かに眉を寄せていた。
「千尋」
「お帰りなさいレオ。ここで見ていましたが、やっぱり凄いですね」
気遣うような視線を向けるレオを安心させるべく、千尋は何事もなかったように口元に笑みを浮かべる。
「さてレオ、事前に聞いていたが千尋に撃ち方を教えるんだろう?」
「あぁ、そのつもりだったが……思ったより時間が押している。次の機会に――」
「大丈夫ですよレオ」
気を回してこの場から出ようとするレオを千尋は止める。
「ほら早くしてくださいレオ。教えてくれるんでしょう?」
訓練場から元居た場所に車で戻ってきた千尋は、レオと共にコンクリートで囲まれたシューティングレンジへと入る。
ニコールとフレッドは隣の部屋でコーヒーを飲みながら談笑しているようだった。
「……無理にやる必要はないぞ千尋」
「いいえ、少しでも別のことをしていた方が気がまぎれます」
千尋用に用意された小さなハンドガンをケースから出したレオは、大まかに説明していく。
説明が終われば、レオから渡された無骨な耳当てを着け千尋は銃を構えた。的へと真っ直ぐに構え狙いを定め、引き金を引く。
大きな銃声は耳当てをしていても聞こえてくる。撃った反動で体が後ろによろけてしまうが、レオが体を支えてくれたおかげで足が一歩引いただけで済んだ。
「思ったよりも反動がすごいですね。腕が痛いです」
「千尋は少し鍛えた方がいいかもしれないな。的を見てみろ、狙いが外れてる」
レオが言うように、目の前にぶら下がる的は千尋が狙いを定めた場所からかなり上にズレていた。
「押さえつける力がないと銃が暴れて、別の場所に銃弾が飛んで逆に危ないんだ」
「どうやらそうみたいですね……一緒にやってくれますか? トレーニングは手加減してほしいですけど」
「ははは、軽いものにしよう」
可笑しそうに笑うレオに、千尋もつられたように微笑む。
「レオは教えるのが上手くないとニコールが言っていましたけど」
「そんなことまで言っていたのか?」
「だから彼の教育係は彼女がなったって。でも私にはとても丁寧に教えてもらえましたよ」
「……兵士に教えるのと、千尋に教えるのとは違う。彼らはたとえ一人になろうとも命令があれば戦わなければならないが、千尋には私がいる。これはあくまでもしもの時のためだからな」
真剣な眼差しで見つめてくるレオに、千尋はそっと大きな手を握る。幸い死角になっていて別室のニコールとフレッドからは見えない。
「ありがとうレオ」
微かに震え始めた手をレオの大きな手が包みむ。そのぬくもりだけが千尋の暗い部分を優しく包み込んでくれていた。
耳の奥で普段は聞こえない脈がドクドクと音を立てて聞こえる。車中で何度も聞いていた名前だが、今のような状態にはならなかった。
何故今は血の気が引いて足元がふらつくのか。嫌な予感が止まらない。
「私は彼の教育係だったの。レオは人に教えることは得意じゃないから」
千尋の嫌な予感は当たってしまった。同じ部隊というだけでも距離が近いというのに、教育係という立場の者と出会うことになるとは。
「最初は他の新兵と同じようなひよっこだったけれど、レオという目標を見つけてからめきめきと頭角を現したの。彼を鍛えるのは楽しかった」
特殊部隊に配属されたアーヴィングを、ニコールは徹底的に扱いたのだという。
危険が他の兵士達より多い彼らの部隊では、考え方から変えていかなければならず、またそれと同時に戦闘スタイルも体も鍛え直さなければならない。
特殊な訓練に加えて基礎も叩き直されるので、最初の一年で脱落するものは多いのだという。次々と同期が居なくなる中で、アーヴィングはレオに憧れを持ち、その才能を開花させた。
その年に残ったのは結局アーヴィングを含めて三人。
現場に出るようになってからは更にレオに追いつこうと必死に食いついていたのだという。
そんなアーヴィングを、ニコールもレオも可愛がっていた。
何度も任務を共にし、死線を潜り抜けた彼らは固い友情で結ばれ、休暇中もよく一緒に過ごしたのだとか。
そんな友を殺せと命じた時、レオはどんな気持ちだったのだろう。
「任務で最後は貴方を守ったと……名誉だったはずよ。それにきっと彼はレオに頼まれて張り切って、それに応えることができたのだから本望だったでしょう。できれば、彼を忘れないであげてほしいの、図々しいお願いかもしれないけれど」
どこか縋るようにニコールは千尋に視線を向けてくる。その目にはアーヴィングに対しての慈愛が見て取れた。
ニコールにとって、それだけアーヴィングを大事にしていたかということがわかる。
「……勿論、忘れたりしませんよ」
罪悪感が大きな津波のように押し寄せる。自身の運命の番を殺したことも、自分でできないからとレオを頼ったことも、そのレオの友であったことも忘れたことはない。
「ありがとう千尋」
ほっとしたように笑ったニコールの目には薄く涙の膜が張られていた。
ニコールとの会話は、レオ達が部屋に戻ってきたことで終わりを迎えた。部屋に入ってきたレオの姿を見て、押し寄せていた罪悪感が少しだけ和らぐ。
レオは部屋の雰囲気から何かを察したようで、ニコールを見て僅かに眉を寄せていた。
「千尋」
「お帰りなさいレオ。ここで見ていましたが、やっぱり凄いですね」
気遣うような視線を向けるレオを安心させるべく、千尋は何事もなかったように口元に笑みを浮かべる。
「さてレオ、事前に聞いていたが千尋に撃ち方を教えるんだろう?」
「あぁ、そのつもりだったが……思ったより時間が押している。次の機会に――」
「大丈夫ですよレオ」
気を回してこの場から出ようとするレオを千尋は止める。
「ほら早くしてくださいレオ。教えてくれるんでしょう?」
訓練場から元居た場所に車で戻ってきた千尋は、レオと共にコンクリートで囲まれたシューティングレンジへと入る。
ニコールとフレッドは隣の部屋でコーヒーを飲みながら談笑しているようだった。
「……無理にやる必要はないぞ千尋」
「いいえ、少しでも別のことをしていた方が気がまぎれます」
千尋用に用意された小さなハンドガンをケースから出したレオは、大まかに説明していく。
説明が終われば、レオから渡された無骨な耳当てを着け千尋は銃を構えた。的へと真っ直ぐに構え狙いを定め、引き金を引く。
大きな銃声は耳当てをしていても聞こえてくる。撃った反動で体が後ろによろけてしまうが、レオが体を支えてくれたおかげで足が一歩引いただけで済んだ。
「思ったよりも反動がすごいですね。腕が痛いです」
「千尋は少し鍛えた方がいいかもしれないな。的を見てみろ、狙いが外れてる」
レオが言うように、目の前にぶら下がる的は千尋が狙いを定めた場所からかなり上にズレていた。
「押さえつける力がないと銃が暴れて、別の場所に銃弾が飛んで逆に危ないんだ」
「どうやらそうみたいですね……一緒にやってくれますか? トレーニングは手加減してほしいですけど」
「ははは、軽いものにしよう」
可笑しそうに笑うレオに、千尋もつられたように微笑む。
「レオは教えるのが上手くないとニコールが言っていましたけど」
「そんなことまで言っていたのか?」
「だから彼の教育係は彼女がなったって。でも私にはとても丁寧に教えてもらえましたよ」
「……兵士に教えるのと、千尋に教えるのとは違う。彼らはたとえ一人になろうとも命令があれば戦わなければならないが、千尋には私がいる。これはあくまでもしもの時のためだからな」
真剣な眼差しで見つめてくるレオに、千尋はそっと大きな手を握る。幸い死角になっていて別室のニコールとフレッドからは見えない。
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