運命に抗え【第二部完結】

関鷹親

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第二部-失意の先の楽園

10 千尋のヒート

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 意識を落としてどれぐらい経ったか、隣で酷く魘される千尋に気が付きレオはハッと目を覚ました。
 苦悶の表情で汗を大量に流す千尋に、レオは慌てて彼を揺り起こす。

「千尋起きるんだ、千尋っ」

 揺さぶり頬を軽く叩けば、きつく寄せた眉根が僅かに和らぎ千尋が薄く目を開けた。

「れお……」
「大丈夫か千尋」

 小さく頷き、レオの手に縋りつくように寄ってきた千尋の体温は熱い。その瞬間僅かに香った匂いに思わず顔を顰めた。

「レオ?」
「千尋、ヒートだ」
「またですか……もう少し先のはずなのに」
「今までとは状況が違うからな」

 今までどんなに仕事が忙しくなろうと、ヒートに周期がズレることの無かった千尋だが、少し前とは大きく事情が変わっている。
 千尋は運命の番を亡くし、その反動が悪夢を見せていた。そしてそれはヒート周期にも影響を徐々に及ぼしていたのだ。
 大幅に早まったり遅れることはないが、今までとは違うズレは千尋を苦しめるには充分なものだった。

「起きられるか? 薬を飲もう」

 ゆっくりと体を起こす千尋の背に手を添え介助する。用意した抑制剤と睡眠薬、ミネラルウォーターを手渡せば千尋はそのまま薬を飲み下す。

「本当に忌々しいですね。バース性と運命の番というものは……」
「対運命の番用の薬が完成すれば、悪夢も衝動も収まるだろう」

 運命の番は片方が死ぬと、残された方は酷く精神を乱す。青山やレオの件でその事実を知ったブライアンを始めとした権力者達は、急いで番喪失に耐えられる薬の開発に着手したのだ。

 千尋が導いた運命の数はとても多く、そしてそれは世界を回している人々が殆ど。引退する前に番を亡くせばどうなるか分からないのだから、彼らは素早く行動を起こしたと言う訳だ。
 厳重に番を囲うことも勿論そうだが、精神を乱すことなく耐え切る薬を完成させることが今の彼らの急務だった。
 秘密裏に進められる薬の開発は、完成まで左程時間が掛からないだろう。
 ブライアンはその薬が完成した暁には、千尋へ優先的に回すと言っている。千尋が運命の番を亡くしたことを知っているのはレオと成瀬、そしてブライアンのみ。
 決して外部に漏らせない事柄だが、ブライアンが味方に居るため薬の入手はそう難しくはないというのが有難い。

 開発が早く進むのならと、この話が出てすぐに成瀬が治験に手を上げている。
 運命の番を亡くした片割れと言う稀有な存在はそう容易くは見つからない。研究者たちは諸手を上げて喜んだ。
 着実に進む薬の開発だが、この日に完成すると言う確約はない。
 完成するその日まで千尋は悪夢と、時折襲ってくる自死の衝動に耐えなければならないのだ。

「本当に、忌々しいな」

 千尋の制御されていないフェロモンを嗅ぎながら、レオは千尋に寝るように促す。少しでも薬が効いているうちに睡眠を取っておいた方が良い。

「傍に居てくれますかレオ」
「勿論だ。魘されたら何度でも起こそう」

 安心したように眠りに誘われていく千尋の頭をゆるりと撫でながら、千尋が深く眠りに落ちたことを確認したレオは、スマホを取り出し目当ての番号を躊躇いなく押す。
 何度かコールが続く間にベッドからドアまで移動すれば、目当ての人物の声が聞こえてきた。

『やぁ、レオ。暫くぶりだ』
「こんばんは大統領。今大丈夫でしょうか。千尋のことです」
『人払いをするから少し待ってくれるかな? ……OK、それで何かあったのかな?』
「例の薬はいつ頃できそうですか?」
『……千尋の反動はそんなに酷いのかい?』

 レオはブライアンにヒート周期の乱れと、それがいつ大幅にズレてしまうか分からない恐怖を語る。
 常にαの中にいる千尋にとって、突然ヒートが起きるとなると大問題だ。
 千尋のフェロモンはレオと成瀬以外には刺激が強すぎる。
 大勢の中で突然ヒートが起きれば大惨事どころではない。
 そしてもう一つの懸念は、数年に一度起こる特殊なヒート。
 だがこのことをブライアンには伝えてはいなかった。千尋の全てを伝えるのは得策ではないからだ。

『ふむ、もう少しで効果がありそうなのができそうだと聞いているけど。流石にそれをすぐに渡すことはできないよ?』
「それでも、安全が確認できれば早急にこちらに渡してください」
『わかったよ、できる限り急かしておくとしよう。――ところでレオ』

 急にブライアンの声のトーンが下がったことに、レオに緊張が走り背筋が伸びる。

『このところ、立て続けに有力者の家のΩが行方不明になっていてね。そちらでの休暇中はそこまで危なくはないと思うけど、存分に警戒しておくんだよ』

 有力者の家族であるΩが行方不明になるなどそうそうあることではない。
 明らかな異常事態が起きている。

「誘拐でしょうか」
『どうだろうね? 全力で彼らの足取りを調べている所さ。あぁ、ただもう一つ。千尋がかかわったことのあるライリー・オブライエンも行方不明者の一人だよ。何か知っているかい?』

 そのことを聞き、レオはどう答えたものかと目を閉じ考えた。ライリーのあの夜の行動を表沙汰にならないようにと動いたが、失踪と何かしらの関係があるかもしれないと、軍人の感が告げているのだ。

『ーーなるほどね。傷心からの一人旅……ならいいけれど、他の人達との時期が被るから一概にそうだとは言えないな。さて、暗い話はここまでだ。暫しの休暇を楽しんでくれ』

 切れた通話にレオは溜息を深くつく。一難去ってまた一難と言ったところか、悩ましい出来事が後を絶たない。
 レオは再び千尋が眠るベッドに近づくと、取り敢えず今は何も考えないようにしようと布団に潜り込んだ。
 慣れた千尋のフェロモンで肺をいっぱいに満たせば、悩ましい事柄は隅に追いやられ、幸福感がレオの胸をしめるのだった。
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