便箋小町

藤 光一

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第1章 始動編

2新人社員におまかせを(再編集版)

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 ここは便箋小町。
他の運び屋とは異なるちょっと特殊なところ。
例え入口に辿り着いたとしても通常の人達は、便箋小町を認識する事は出来ない。
求めていないもしくは届ける意思が無い者には、そこに見えるのは真っ新な壁しか認識出来ないのだ。
本当に求める者のみ見つけ出す事が出来る。名前を知る者は少なくはない。
都市伝説や妖怪のように、河童やツチノコは聞いた事はあるが実際に見た事が無いと云うようなもの。
だからこそ、誰彼構わず入れる訳では無いのだ。事だてを増やしたく無いのもあってこそ。
野暮な面倒事を嫌う社長は、そんなご都合主義な結界を張ったのだと云う。そういう意味では理に適っている。
つまりここに訪れたこの客人は「本物」である。
ちなみに僕がいつも何気なく事務所へ出入り出来るのは、ここの従業員であるから。
原理は分からないが、特別な処置が組み込まれているかららしい。
そう云えば・・・、今思うと入社当時に違和感のある事をした気がする。
雇用契約の書類に捺印した時だ。契約書とは別に、社長は別の紙を用意していた。
他の紙と比べて古めかしく、茶色く濁った紙だった。その紙にわざわざ印鑑があるのにも関わらず指印させたのだ。
それがどうやら、ここを出入りする為の下準備だと彼女は説明していた。

 客人を招き入れた僕たちは、室内へと入らせ応接場まで案内をする。
硬くもなく柔らかくも無い、まぁ腰掛けるにはギリギリストレスは感じないのであろうソファへと。
どうしてまぁ、ここの机や椅子達はこんなにも質素なんだろうか。
何とも言えない椅子に、味気の無いスチール性の机。床のタイルに至っては、良く言えばレトロと表現できる。
が、逆に言えば古臭いとも感じる事が出来てしまい、タイムスリップでもしてしまったのかと思う程だ。
あとはそう、ここにはエアコンなんてそんなハイカラなもんは無い。
この事務所に唯一存在するのは、今にも壊れそうな三十年は生きているであろう色褪せた扇風機だけだ。
こんなのでこれから夏へと坂道発進しようとしているのだから、気が思いやられてしまいそうだ。
彼が汗をかいてしまっているのは、ここへ来るまでの緊張だけでは決して無いはず。
外の気温は三十度近く。当然、室内だってその気温は影響しており、充分にそれだけで暑い筈だ。
そんな客人は持ち前の手拭いを取り出し、そそくさと冷や汗混じりの汗を拭き取っていた。
漸く辿り着いた目的地に、一つの安堵を手にした客人は静かにこちらへ一礼をする。
彼に釣られるように僕も一礼を返す。が、社長は客人よりも早く腕を組んだまま既に座ってるし。
礼儀というかマナー的な要素が彼女には無い。特殊な事情の運び屋だからこそなのかも知れないが。
男は先程の一礼に合わせるように、これまた静かな動作でゆっくりと腰をかけた。

「ようこそ、客人よ。して、何用かな?」

 交差させた指から人差し指だけを立たせ、社長は問い出した。
彼女の表情は落ち着いた眼差しで客人を見つめていたが、決して穏やかとは言えない。
それはここに訪れる者達は、特殊な事情を抱えてやってくる。
少なくとも一筋縄では行かず、常識に囚われるような簡単な厄介ごとでは無いからだ。
この目の前に座り込む客人だってそう、並々ならぬ思いでこの便箋小町へと流れ着いたのだろう。
社長の問いかけに対し、少しだけ首を俯かせて上目遣いで彼は塞いでいた口を開く。

「実は・・・。」

 一度手にした安堵から一転した客人は、平常な表情を弾ける泡のように失っていた。
見て取れるように目は魚のように泳ぎ、不自然に発汗も多かった。
その重い唇を振るわせながらも動かし、掠れ混じりな声と共に手に持っていた紙袋をこちらへ差し出した。
テーブルに置かれた紙袋を社長は、そっと覗き込んでいた。

「ふむ・・・。」

 社長の緊張に電流が走る。目を細め、口元を紡ぐ。
紙袋の中身は、僕達の瞳に映し出されたのは一眼では異形なモノとは言い難い古びたぬいぐるみだったのだ。
本体はあちらこちらとシミやホツレがあり、元は白かったのであろう犬のぬいぐるみは全体的に黄ばんでいた。
その不自然さからも異様と捉えられ、僕は唖然として言葉を失う。
明らかに彼のような中年男性が肌身離さず持ち歩いている代物とは思えない。
かといって大事そうに抱えてはいるが、それは少し意図が違う気がする。
どちらかと云えば、“仕方なく持たされている。”の方が限りなく表現としては近い。
彼女はそのぬいぐるみに指を差し、客人へと再び問いただす。

「客人、どこで契約した?」

 社長の眼光は鋭かった。
それは顎元にナイフを突き立てるように、とても一顧客へ向ける表情ではなかった。
僕には分からなかったが、彼女は一眼見てそれが何なのかを察知したようだった。
その証拠を裏付けるように客人の反応は、“契約”という言葉に対し過敏に反応し始める。


「な、何故それを・・・?」

 客人は、驚きを表現するように口をぽっかりと空けた。揺らぎはあるが、瞳の黒点は中央で震わせている。
思わず空いた口を隠す為に左手で口元を塞ぎ、先程よりやや低く俯かせていた。

「生業上、経験則ってとこかな?貴方も営業マンであるならば、共感出来るところはあるだろう?」

 社長は腕を組みながら、客人に共感を与えた。それは、一つの安心感を与える為だったのだろうか。
まるで心を映す鏡にでも当てられているかのように、彼女は客人の心を見透かしているみたいだ。
ただ、僕は正直なところほぼ置いてけぼりだった。何を話しているのかさっぱりである。
一見よく眼にする古びたぬいぐるみとだけ。僕にはどうしても、その光景だけだと不思議と感じるだけだった。

「何なんです、このぬいぐるみ?」

 僕は、紙袋の中を覗き込む。
やはり見たところ、少々傷んではいるがぬいぐるみである事に変わりは無かった。
何故この人は、こんなものを持たされているのだろうか。ただただ、それだけが疑問として残る。
見たところ、特にアンティーク感を彷彿させるようなマニアが喜ぶ代物とも呼べない。
それにどこかの中古店へ売りに行くような物だとは、この男からそういった素振りも見えない。
やはり何らかの意図があるのだろう、というのが自然な推理だ。
脳裏に浮かんだ推理を膨らませた好奇心が働き、僕は徐に袋の中へと手を伸ばそうとした。

「やめとけ、垂くん。」

 腕を組みながらの姿勢は変わらず、右目だけをこちらに向け冷静とした口調で僕の行動を抑制した。
抑制を促したその言葉に躊躇し、僕はピタリと伸ばそうとした腕が止まった。
けれどそれは、僕だけの力で止まる程のものでは無かった。
不思議な感覚だが、一瞬とはいえ袋の中のぬいぐるみが僕の腕を引っ張ろうとしていた。
見えない腕が伸びて、僕の手首を掴み取り奥へと引き摺り込もうとする感覚。
それを中和するように何かの力が働き、固まった鉛のようにピタリと僕の腕は動かない。
見えない何かと見えない力が引っ張り合っているような感覚だ。本能的にこれ以上、腕を伸ばしてはいけない。
黒く邪悪な何かが僕の手に纏わり付いている、とでも云うのだろうか。
まるで穴の中央で嵌った獲物を待ち構えるアリジゴクのようにも見えてしまう。

「え・・・?え!・・・これ、一体?」

「まだ命を削るのは嫌であろう?」

 すると引き摺り込もうとしていた力は、スゥーと消え失せた。
先程の引っ張る力が嘘のように抜け落ち、自然と自分の力でも腕が動くようになる。
見た目はただのぬいぐるみ・・・。けれど、これは何か違う。何かまでは分からないがヤバい事は確かだ。
これは、直接触れてはいけないもの。すぐに僕は自分の腕を引っこ抜き、左手で手首を摩る。
まだ何かに触れられた感覚が僅かながらに残っている感じがする。
ひょっとしてだけど、今引き摺り込まれそうになった腕を抑止してくれたのは社長なのだろうか。
言葉だけでなく、彼女は見えない何かが見えていて払い除けるように守ってくれたのだろうか。
もし彼女が居なければ、僕はどうなっていたのかと想像すると思わずゾッとしてしまった。
ふと社長へと目線を送ると、彼女は親指をテーブルへと何かを潰すように強く押し当てていた。
見えない何かを指で払い除けると、ジュッと燃え焦がすような音を啜らせる。
テーブルには焼け残った炭のようなものを残し、少しスス汚れていた。

「さて、客人よ・・・。また厄介なヤツと契約したもんだな?」
 
 客人は俯いたまま、こちらへ視線を合わせようとしない。
隠し通せる筈もない嘘を覆い被せているような姿だ。ただ、疑問として残る事はいくつかある。
先程から社長が云う“契約”という言葉。そして、厄介なヤツとは。
一体何がこの客人をここまで縛り付け、触れる事すら許されない状況を作ったのだろうか。
それはやはり、この女社長からもこの客人からも情報を聞き出し分析をしなければならない。
今の状況では余りにも情報が薄過ぎるし、話についていけない。
思わず僕は立ち上がり、社長へと質問を投げかけた。

「一体何なんです?さっきから、その・・・契約ってやつは?」

 そう、シンプルに聞く。これが最も手っ取り早いと思ったからだ。
わからない事を聞いて覚えるのが新人の勤めだと社長も言っていたし。社長はチラリとこちらに目線を向けた。
にも関わらず、少し不機嫌そうな顔である。何故だ、何故そんな顔をする・・・。
僕は何か、社長に不味い事でも聞いてしまったのだろうか。何故かとても不服そうだ。
眉を歪ませ、ふぅーっと溜息をこれでもかと漏らした後に彼女は口を開いた。

「これは悪魔との契約だよ、垂くん。」

 悪魔って。あの悪魔の事か?
コウモリみたいな翼を生やして、矢印みたいな触覚を二本頭にぶら下げたあの悪魔か。
三叉の槍を持ちながら舌出してるアレか。いやいやいや・・・、漫画の世界じゃあるまいし・・・。
僕は少し肩を外したような感覚だった。が、彼女の真顔でそう語っている以上、冗談の素振りには見えなかった。

「そうさ、これは悪魔との契約だ・・・。新人。」

 ぴょこんと、突然僕の膝下に飛び乗ってきたのはメル。あぁ、そうか。
よく分からない毛むくじゃらの自称妖怪も居るんだったっけか。
そう思うと疑っていた気持ちはストンと抜け落ちていき、妙に僕は納得してしまった。
実際に目の前で体験しないと信じないのが人間のさがなんだ。
その信じ難い現実を目の当たりにすると、信じざるを得ない。

「悪魔は俺らと違ってな、まぁ面倒なんだよ。気なくせぇのに決められた契約だけは、きっちり守りやがる。」

「はい、それで私も困ってまして・・・。」

 俯きながら客人はボソリと呟く。滲み出た冷や汗が顎の先まで滴る。
いや、というか驚かないのか?この得体の知れないモジャモジャに。
明らかな喋る人外を目の前に、あんた普通に会話してるけど良く考えて見てくれよ!
まずこっち見て!これ見て!「なんだこの毛むくじゃらは!?」と声を荒げるのが先だろ。
社長も社長で少しは慌てろよ、初めて会う客人に喋る毛むくじゃらがぴょんぴょこしてるんだぞ?
そこで出てくるのが、「あー!ちょちょちょーーーっとすみません!」とか慌てふためいた後にさ。
「こら、人前では出るなと言っただろう!」とか小声で聞こえないように云うのがお決まりだろうが。
なんだ?僕が可笑しいのか。僕の常識の方が歯車ズレているのか。あぁ、もう。常識って何だっけ!
冷静にシリアスに物語進んでるけど、とにかく僕は何だか頭が痛いよ。
何だよもう、頭抱えて変に悩んでいるの僕だけかよ。じゃあ、良いよもう。物語を進めてください。

「ほんの・・・、ほんの軽はずみだったのです。こうなれば良いなと、魔が差してしまって。
気が付けば私は・・・、悪魔とやらに契約を交わされ・・・。」
 
 少しずつ吐露する度に、客人の瞳からは涙腺が開放されていく。
自分の髪を掻き毟るようにぐしゃりと両手で掴み、己の犯した後悔を噛み締めていた。
指先まで震える彼の心情は、目の前の焦点が合わずピントが合っていないようだった。

「それで、なぜ・・・、そんな契約を?」

 僕は客人に手を差し伸べるように下から尋ねた。
重い表情を少しでも回復させるには、まずは事情を聞く事。自分に何があったのか。
そして、これからどうするべきかの原因を改善させるのが一番だ。
彼も並々ならぬ思いで、ここへ訪れたのに違いない。では、それに応えてあげるのが人情というやつだ。
僕達はあなたの味方であると証明するこの手をゆっくりと差し伸べて、話を聞こうじゃないか。
震えながらも彼は、化粧を落とすように覆い被さった両手を開く。
そのまま指を交差させ、揺れた眼差しで静かに口を開く。

「いや何、小遣い使い過ぎて今月ピンチになりましてね。
パチンコに行ったら持ち合わせも倍々になるかなぁと思った訳ですよ。
そしたら変な声が聞こえてきて『俺と契約したら、その更に倍にしてあげるよ~』って云うもんですから。
まぁ、半信半疑で話に乗ったら、ビックボーナスに確変続きで全回転とアホみたいに当たりましてね~!」

 よーしよしよし、そうかそうか、おっさん。手の平を返すようだが前言撤回だ。
さっきまでの重い表情が嘘のようじゃないか。今までのシリアスな雰囲気は、どこに行ったんだ?
漏れるギリギリのところ、トイレに間に合ったような安堵と開放感に包まれた表情になっているじゃないか。
男はケロッとした様子で舌を出し、右手で頭の後ろをさも恥ずかしそうに掻いている。
あ、駄目だこいつ、早く何とかしないと。さっきまでの僕の気持ちを返してくれよ。
この駄目なおっさんを見て、僕は呆れながらにそう思った。




 さて、そんなどうにも馬鹿げた事の発端はわかった訳だが。
殺風景なこの事務所に集まるのは、半妖の社長と毛むくじゃらの丸っこい妖怪。
悪魔にいつの間にか契約された客人、そして普通の人間である僕という奇妙な四人。
異質で奇妙な組み合わせが無機質な事務テーブルを囲い、一服を挟みながら詳細なヒアリングが始まった。
尋ねてみると客人の名前は「桐谷ミツグ」。四十代前半の男性。
ほぼ同い歳の妻がおり、小学三年生の息子と三人暮らしの家庭を持っているようだ。
何処かしら気弱そうで、よく見る家庭や妻には頭が上がらないタイプ。
そんな印象の桐谷は、社長の読み通りか俗に云う営業マンであり、中年平社員だ。
上司の命令は絶対!という以前に、根っからの頼まれ事を断れないイエスマンなのだろう。
よく怒られはするが、いざとなって相手を怒る事が出来ない。よく言えば「優しい人」と言われる人柄である。
趣味は、たまに通うギャンブルとレトロ映画鑑賞との事だ。
そんなたまに通うギャンブルに手を染め、悪魔との契約に魔が差してしまったのだと云う。
事情が事情だけに哀れだが、どこか同情がしづらい。まぁ、日頃のストレスが溜まってしまったのだろう。
話を聞いたところ、ストレスを抱えやすそうだし発散させるのにもよく分からないのだろう。
彼はどちらかと云うと、自分のキャパシティ以上にストレスを超えていると認識出来ないのかも知れない。

 こういう場では温かいお茶などが一般的なのだろう。
なんだってこの殺風景な事務所に用意されたのは、ティーカップに注がれたカモミールティーである。
どうやら気持ちを落ち着かせる効果があるんだとか、用意したのも僕でも社長ではなくあのメルなのだ。
いかんせん違和感の塊が注いだハーブティーを喉に潤させるのが実に癪だ。
あいつが気を遣ってかどうかは分からないが、彼のストレスを少しでも緩和させようと思ったのか。
だがスゥーっと鼻から喉へと進む香りは、確かに気持ちを落ち着かせる。
これをリラックスと表現するのならば、強ち間違いでは無いのだろうとは思う。
時折、ズズズっとカモミールティーを啜る音がシンクロする。
加えて悔しいのが、ハーブティーの淹れ方が上手い事だ。そこらへんの洒落た下手な喫茶店なんかより美味い。
社長曰く、紅茶よりもメルの淹れるコーヒーの方が絶品であると豪語していた。
あの毛むくじゃらでどうやって、ポットに注いでいるんだか・・・。
というか、メルも紅茶を飲んでるようだがお前の口はどこにあるんだよ。

「私はこの後、どうすれば良いのでしょう?」

 カモミールで落ち着いてきたのか一時の静止を断ったのは、桐谷だった。
当然だろう、解決をしたいが為にここへ来たのだから。
カチャリ・・・とティーカップのソーサーへと戻した社長は、一呼吸の溜息を吐きながら言葉を返す。

「その悪魔に会って、契約を破棄すべきだろうな。」

 目を瞑りながら冷淡に事を告げた。
言葉で表現するだけなら実に簡単だ。だが、現実は違う。僕や桐谷にとっては実態の見えないのもの。
その為、気になるところで障害は二つある。恐らくそれは、桐谷本人も同意見であろう。

一、その悪魔にどうやって接触するのか。
二、一が成立したとして、どうやって契約を破棄させるのか

 既に一の時点でかなり怪しい。そもそも、悪魔の存在すらまだ肯定しかねるのだ。
生憎、僕は現実主義なんだ。目の前に半妖やらモジャモジャがいようとそれは別問題。
まずは、桐谷を狙ったその悪魔を見つけ出さなければならない。当然、悪魔の探し方なんて分からない。
義務教育しか受けていない僕には、オカルトの話は皆無だったからだ。まぁ、漫画とかでは読んだ事あるけど。
そして、悪魔と接触させた後に今回の本題でもある契約の破棄だ。
漫画なんかで観る悪魔の契約は、僕らの現実的な契約とは一癖も二癖もある。
願いが叶う代わりに命や心を失うなどのような契りを交わすというのは聞いた事がある。
と、まぁ僕にある知識はその程度な訳だ。あれは、フィクションだから受け入れられる。
現実には無い空想の物と認識しているからだ。現実の悪魔への対処法なんて見当も付かない。
社長は続けて、浅く右手を挙げ話を続ける。

「まず、桐谷殿が持たされたそのぬいぐるみは一種の贄みたいなものだ。
垂くん、さっきも触れようとして何となくわかっただろう?こいつは近付く者の生気を奪う。
しかし、契約された者は手放す事が出来ず時が来るまで離れない。
桐谷殿は持っているだけで正気を奪われ続け、そのぬいぐるみへ時間と共に担保される。
君達で云うところの“悪魔の定期預金”みたいなものさ。」

「定期預金って、そんな。無茶苦茶な・・・。」

 社長曰く、このぬいぐるみは悪魔にとっての貯金箱みたいな物なのだろうか。
あまりの非現実な内容に、僕は少し混乱する。本当にこんな物があって良いのだろうかと疑ってしまうくらいだ。
悪魔の事も、その悪魔の契約の事も喉が詰まりそうな程だ。

「銀行だって必要が無くなれば、君達もその口座を解約するだろう?」

「社長・・・、いや、まあそうですけど。契約を破棄って、そんなのどうやってやるんですか?
というか、そもそも銀行とは訳が違うでしょうし、だいたいそんなの出来るもんなんですか?」

 そう、銀行とは違うのだ。癖のある悪魔をどう言いくるめて破棄させようとしているのか。
分からない以上、今は唯一の手掛かりである社長へ聞くしかない。
そんな彼女は、万年筆を指揮棒のようにこちらへと向けた後に僕へ言い返した。

「そんなもんあるか!」

「えーーーー・・・。」

 僕と桐谷は、肩が崩れた。空が落ちてきた気分だ。
あたかも何かしらの方法があるような言い回しだったので、期待をしていたのだけれど。
ふんッと鼻息を立てている彼女は、そんなの当たり前だろうとでも云うように爪を立てていた。
そんな僕らのあっけらかんとした表情をブッツリと断ち切るように、社長は続けて話す。

「ところで垂くん。ギフトって知ってるかな?」

 また突拍子も無い。今度は何だろうか、今日は色々と知らない言葉のオンパレードだ。
正確には聞き馴染みがある訳ではないが、決して馴染み深い物ではない物ばかり。
もっと云えば、なるべくなら関わりたくない物と云うべきか。まぁ、それでもギフトというのは一応わかる。
何かの面接試験の問題だろうか。とりあえず、当たり障りなく言ってみるか。

「ギフトって、贈り物・・・的なやつですよね?英語で言うところの。」

 僕は当たり障りなく、ごく一般的な英語の問題を出されているような感覚で答えた。
すると膝の上に乗っていたメルがぴょんとジャンプをする。
その反動に気付いた僕は、呆れた表情を浮かべるモジャモジャへと視線を移した。

「お前、意外と馬鹿だろ?ギフトってのは、別の国の言葉ではなぁ・・・。」


   『“毒“って意味にもなるんだぜ?』


 毒・・・。そのワードをメルに聞かされて、心の奥底で騒めいた。
意外な言葉を耳にし、心臓の鼓動が一段大きく跳ね上がるのを感じる。

「垂くん。桐谷殿に取り憑くようなこの世界に蔓延するそんなオカルトな存在。
我々は、彼らの事を総じて“ギフト“と呼んでいる。」

 畳み掛けるように社長も告ぐ。
オカルトって事は、今回の悪魔に限らず、他のものも“ギフト“と呼称しているのだろうか。
それはこのメルも、自称半妖と称する社長も“ギフト“と称されるものと該当される。
ただ、気になるのはこの先だ。実際の依頼内容の解決について話を戻そう。
先程、契約を破棄させる方法はない!と豪語された訳だ。であるならば、どうするか。
さてさて、弊社の社長はどうお考えであるか。僕はただ、恐る恐る聞くしかないのだ

「その・・・。今回の“ギフト“?は、どうするんですか?」

「ぶん殴って、クーリングオフさせる。それだけだ!」

 迷い無き間髪の無い真っ直ぐな解答でした・・・。「あー」と思わず頭を抱えてしまった。
もはや彼女の言っている事は、支離滅裂である。そんな話があるだろうか。
ぶん殴って、話してクーリングオフさせるってとんだクレーマーも良いところだろう。
その曇り無きまなこで自信満々に掲げた回答は、どうやらもう捻じ曲げる気は無さそうだ。

「して、桐谷殿。今回の報酬の件だが・・・。」

 乱暴に話を切り替えた社長は、桐谷へと目線を変え再び指を交差させる。
そう、これは仕事なのだ。慈善事業で行っている訳では無い。
先述の通り、この便箋小町は距離×想いで依頼請求額が成立する。
届けたいと物への想いに対して、報酬は比例するように上昇していく。

「は、はい・・・!」

 突然話を振られた桐谷は跳ねるように驚いてしまい、言葉を噛みながら答えた。
社長は握っていた万年筆を内ポケットへと仕舞い込み、差し伸べるように桐谷へ手の平を向けた。

「即金、三百万で本件を引き受けようではないか。」

「さ、三百万・・・、ですか⁉︎」

 桐谷は彼女が告げた法外にも近い請求に対し、生唾を飲み込んでいた。
三百万・・・。しかも即金。僕の給料の何ヶ月分だろうか。少なくとも僕には、ポンっと払える金額では無い。
彼女も詫びる事も一切無く、まるでどこかの闇医者のように当たり前だと言わんばかりだ。

「なーに、高い金額では無い筈だ。これから失う命と引き換えならばな。
それにその悪魔のお陰で、賭博から得たものもあるから財布も分厚くなっているのだろう?」

「し、しかし・・・。」

 確かに彼にはギャンブルで得た収入もあるから、それを全て精算させれば払えない金額では無い。
萎んだ雑巾のように衰弱し切った桐谷には、もう時間が無いのだろうか。
けれど、恐らく彼の云うべき答えはもう決まっている。喉にまだ何かがつっかえているのか。
振り絞る踏ん切りが、決断に至れていない様子だ。社長は立ち上がり、そんな桐谷の肩に手を添える。

「桐谷殿、君たち人間の一生は我々と比べて遥かに短かい。残りの余生は、後四十年後か、または二十年先か。
はたまた十年後か。いずれにしても、その儚さ故に怠慢な妖怪よりも人は生きる時間を大切にする。
その一生は、どの生物よりも濃厚であると私は知っている。さて、桐谷殿・・・。
一度の年収分で済むのなら充分に安い金額だと思うが、引き受けてもよろしいかな。」

「わ、わかり、・・・ました。お願い、します。」

 やはり彼はイエスマンだ。頼まれ事を断ろうにも断れない。
けれど今回は、自分の命が関わっている。他に頼みの綱は無い。
検討して、他を探るにも恐らく時間は少ないだろう。と、なると承諾せざるを得ないのだ。
この状況では、藁にもすがりたいという気持ちが本音だ。
では、もう一つ。僕は最後の望みを叶える気持ちで顔を上げた。僕は念の為、確認しないといけない。
それは地獄に吊り下された一本の蜘蛛の糸が来たように。せめてもの希望を求めて。
社長へ確認しなければならない事がある。どうか、そうでありませんようにと。

「で、社長・・・。と、云う事は・・・、社長自らが対応なされるんですよね?」

 僕は恐る恐る社長に問い出した。耳に入った社長は、ゆっくりとこちらへ振り向く。
腕を組んだままコツコツとゆっくりとした足取りで僕に近付き、僕の肩をポンっと叩く。
肩を弾ませるような気持ちの良い音を奏でたと思いきや、彼女の表情は本日とびっきりの笑顔だった。

「桐谷殿、君は運が良い。私たちに巡り会えたのだからな。垂くん、喜ぶが良い。君の初仕事だ。」

 この先大丈夫なんだろうか。恐らく僕と桐谷の意見は一致しているのだろう。
気付けば、カモミールティーは底を覗いていた。
ただ間違いなく言えるのは、飛川コマチの笑顔が初めて怖いと思った事だ。
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