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河童編
17雨上がりはおまかせを(後編)
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社長は、一呼吸の合間を置く。ふぅっと吐く息は、何処か哀れみを持ち合わせたように。
再び彼女の口元はゆっくりと開く。少し乱れた前髪を整いながら告げる。
「確かに、人は哀れで無知だ。そこは同族として同情しよう。
しかし、貴様らが行なっている事は今まで恨んできた人間と然程変わらんではないか。
怨念が蔓延る歴史は、ただ繰り返すだけだ。気付かぬ内に貴様らは人と同じ道を歩んでいるのだよ!」
長老へと向けた人差し指は、既に白い手袋で覆われていた。
獣のような荒々しい掌は静かに収められていた。印すらも収めているという事は・・・。
つまり、彼らに対して社長は、もう刃を向ける必要性が無くなったという事だろうか。
もう彼女の拳には敵意が無い。そう暗示させているんだ。発する言葉こそはドギツイけれど。
「馬鹿め、我らが人間と同じだと⁉︎一緒にするな、キツネ風情が!
我らには、これしか道がもう無いのだ!」
吐き捨てる言葉には、寄り添う気は毛頭無い。
河童の長老は勿論、周りを囲うように携えた兵達も同様だ。
これは人間がしてきた怒りもブレンドされている。けれど、彼女は動じる様子は無かった。
「だからそれをエゴだと云ったのだよ、長老。
減ったのなら増やせば良い、無いのなら作れば良い。お前達にはその力がある。
健気ながらも努力を惜しまない力がある。そして、自然はずっと私たちよりも強い。
それは、お前達河童どもが良く理解している筈だ。」
そう、まるでその言葉を待っていたと言わんばかりに、社長は言葉を返した。
予め用意していた手札には、既にどう切れば良いのか彼女は理解していた。
自信に満ち溢れた仕草で一枚ずつカードを切り、適切なロジックを形成する。
彼女の言葉に一瞬ではあるが、河童の長老は狼狽えていた。
まるで、『お前は今、何を言っているのだ?』そう捉えられる表情だ。
「我らにどうしろと?」
プツリと線が切れた音がしたようだった。
心無しか激昂していた長老の覇気が、霧を撒いたように薄れる。
そして、社長は目線だけを後ろに向け声をかける。
「尻子玉を必要としない里を、お前達の世界を作れば良い。
おい、テンジョウ。話は聞いていただろう?」
白羽の矢が立ったのは、テンジョウだった。
その当の本人も思いがけずに受けた言葉にポカンと口を開けている。
同時にその言葉に理解したのか、テンジョウは恐る恐る社長へとその真意を伺い始める。
「はぁ・・・、まさかコマチさん。私を呼んだのは、これが本命ですか?」
「開拓は、貴様の領分であろう?」
どうやらテンジョウの予想は的中したようだ。
案の定、彼はぽっかりと空いた夜空を見上げながら額に手を当てる。
それでも彼の切り替えは早かった。社長との付き合いも長いからかだろうか。
この手の流れは良くある事と認識しているようで、直様傍にいた側近へと伝える。
気配も無く現れたサングラスと真っ黒なスーツを着た男に耳打ちで物事を伝えていた。
「御意。」と短い言葉で了解を得たならば、颯爽に姿を影を消すように去る。
「よく聞け、河童ども。こいつがお前達の新しい里を提供してやる。
尻子玉を使って水神様へ提供する事無く、豊かな自然を作り出してやる。
人をも認知させない土地をな。所謂、秘境と云うやつだ。」
秘境。人が踏み入れる事が出来ない未到の地。社長の云う秘境は、また一つ意味合いが違うのかも知れない。
人をも認知させないという事は、人がその領域に入らないよう結界でも張って近付けさせない。
認知・認識をさせないのだからその領域に踏み入れる事が出来ないのだから、謂わばそれはまさに秘境だ。
彼女は、初めから彼らと戦いの前にこの交渉を用意していた。
その為に、テンジョウをここに呼び寄せたのか。この手の界隈を用意出来る者を。
確かに彼女は云っていた。テンジョウはサポート役だと。
それは、単に戦闘に対するバフ掛け要員だけだったという訳では無かった。
この話を持ち出す為に、彼を用意した。そして大前提として、テンジョウにはそれが出来る。
「我らの新しい、土地を・・・。」
思っても見ない言葉に、河童達には響めきが沸々と浮かび上がる。
当の族長でもある長老もその言葉に驚きを隠せないでいるようだった。
彼らにとってそれは、希望の光のようなもの。雲を掴む程の遠く叶うのも儚いもの。
「あぁ、そうだ。だが勘違いするな!お前達が何もしなければ、綺麗な川も大地も腐り果てる。
土地は用意するが、後はお前達のその努力で自然と共にあれ。」
社長は、重ねるように言葉を添える。何も完全に管理された物ではないのだと強調する。
謂わば、土地は提供するが管理は自分達でと捉えさえ、僕達の監視下に無いのと言いたいのだ。
あくまでも道を切り開くのは自分達次第なのだと、言い聞かせる為に。
確かにそうでなければ、それこそ一時の幸福で終わってしまう。自分達で築き上げ、努力しなければならない。
ただ、河童達にはそれが出来る力が元々備わっている。それを理解しているからこその社長の提案なのだ。
「その言葉、信じて良いのだな?」
長老は、社長の言葉に確認をした。もう、そこには強まる語気は無かった。
雨が止んだように冷静とした眼差しで、長老は問いただした。
当人達としては、喉から手が出る程に掴みたい希望。それでも浮かれる事無く、まずは冷静さを整えている。
「あぁ、タダとは言わんがな。」
彼女は、人差し指を唇に添えながら返す。
条件が良過ぎる材料は、かえって不信感を抱いてしまう。だから、社長は交換条件を持ち掛けていた。
「見返りはなんだ。」
案の定、と予測していた長老は片目を開く。
その眼差しは、疑心を帯びた視線。今までの会話の流れから無理難題をつけれても違和感は無い。
彼にはその覚悟があるように思えた。だが長老の思惑とは裏腹に、社長が突きつけた返答は違った。
「先に伝えたであろう?尻子玉をこの少年に返す。ただそれだけさ。」
会話の隙間に長老は、ほんの少し呆気に取られていた。
至極簡単で単純。それでいて、社長の提案は一向に変えているわけではない。
初めから『尻子玉をトリヤマくんに返す事。』だけである。仮定の変動はあっても、結論はブレていない。
いや、違う。彼女は初めからここまでの会話がロジックとして成立していたのかも知れない。
今は確認のしようは無いけれど、恐らく社長の真っ直ぐの瞳に嘘偽りが無い事は確かだ。
少なくとも養豚所の豚を見るような哀れんだ目では無いから、そこは安心している。
「・・・ならば、引き受けよう。」
秒針が回る程の短くも長い沈黙の末、彼の口から掠れ混じりに言葉を返した。
けれどその言葉は、その判断は苦渋の決断という訳では無かった。
先程までの長老の怒りは消え失せ、嵐が過ぎ去った波打ち際の海岸のように静かに返す。
「では、里の移転については私から追ってお伺いします。
同じ妖怪の好みです。あなた達の環境にあったプランを提供させて頂きます。」
パンッと手を叩き、テンジョウは言葉を締め括る。
ゆっくりと靴を弾ませながら、内ポケットに仕舞っていた名刺を取り出す。
そうして長老の手元へと自分の名刺を差し出し、そっと一言。「以後お見知り置きを。」と残す。
受け取った名刺をジッと見つめ、少しまた長老は静止する。
二呼吸の浅い溜め息を溢し、そっと呟く。
「ならば、今はもう長居は無用だな。皆の者、退くぞ。」
目線はこちらからズラす事無く、自分達の兵へと告げる。すると、再び霧が立ち込めてきた。
河童たちが現れたような深く濃い霧が兵たちの周りを包み込み始める。
続々と兵たちは後ろを振り向き、霧の方へと姿を消していく。
けれど、長老だけは違った、兵たちは逆側へと歩みを進め始める。こちらへと近寄って来ているのだ。
互いの手が丁度届かない程の距離まで詰め、長老は社長の前へと歩みを止める。
彼は静かに顔を上げ、再び口を開く。
「コマチと云ったな。まだ礼は言わんぞ。だが、貴様の会社の名は聞いておかんとな。」
「構わないさ、長老殿。便箋小町におまかせを・・・。」
まるで執事のような仕草でゆっくりとお辞儀をしながら、いつもの台詞を吐く。
それを聞いて満足したのか、一人残った長老も短いお辞儀をした後、霧の中へと戻る。
終わったのだ。短いようでとても長く感じたこの雨が。河童との攻防が。
そう思った瞬間、どっと疲れを感じ始めてしまい膝をついてしまった。
一気にほぐれた緊張感が全身から抜け落ちた感覚に陥り、今日一番の溜め息を撒き散らす。
凪にも近い淡い風が吹いた頃には、霧はすっかり晴れ河童たちの姿が消えていた。
それから、数日後の事である。
結局今回の一連の騒動は、報酬無しどころかテンジョウへの負担もあり赤字だったのである。
その為、チップとの出張は継続されており、社長からの怒号をブレンドした電話の日々。
ギフト絡みの仕事を探す毎日なのである。もうすぐ夏だというのに、相変わらずの炎天下に気が滅入りそうだ。
あぁ、そういえば。あれからの事についてとなるのだが。
尻子玉を抜かれた少年トリヤマくんは、元の病室へと運びベットへと寝かせた。
そして、尻子玉を戻してあげた。ずっと浅い呼吸のみをして眠っていた身体は目を覚ます。
長く口を開けていなかった少年の口はすっかり乾き切っており、発声が上手く出せていなかった。
恐らく「君たちは?」と聞いていたのだろう。少年に擬態したコツメは、ただ一言。
「目を覚まして良かった。」と伝えた後に、僕達は病室を後にする。
これはコツメなりの配慮だった。これ以上、あの子に迷惑をかけてはいけないと思ったのだろう。
僕達も何も言わず、そっと彼の肩に手を添えるだけだった。
それから、コツメは里には戻るつもりは無いらしい。と云っても、会社で預かるのも定員オーバー。
これ以上の赤字も厳しかった訳だが、コツメも端からうちの会社に来る気も無かったようだ。
代わりに尋ねていたのは、あのタバコ屋。板さんのところだ。
相当居心地が良かったらしく、真っ先にそこへ向かったようだ。
板さん本人も「新しい孫が出来たようで、嬉しいよ。」と満面の笑みで快諾していた。
真面目で優しい性格の彼は、板さんの身の回りや家事を手伝いながら暮らしているらしい。
テンジョウは、河童たちの商談がうまく行ったようで、約束通り河童の秘境を提示したようだ。
当然僕もその場所までは知らない。着々と移住が進んでいるようで、問題無く事は進んでいるらしい。
その場所は、この国の何処かかも知れない。もしくはもっと広いこの星の何処かかも。
僕にはそれを知る術は無い。わざわざ調べ上げる必要も無いし、干渉するのも面倒だからだ。
近年、河童達の姿をパッタリと見なくなってしまったのは、ひょっとしたらこの会社のせいかも知れない。
彼らは人の認識できない、秘境で豊かに暮らしているだろう。
尻子玉を必要としなくなった彼らは、わざわざ人のところへ訪れる必要は無い。
だからもう、一目には付かなくなったのだろう。
一連の事件は思わぬ方向へと動いたが、これはこれで良かったのか。
きっと正解かと問われても、違う角度から見ればもっと別の方法があったのかも知れない。
どんな方法を持ち掛けたとしても、人が人である以上意見が必ずしも一致する事は無いのだ。
結局のところ、当人同士が納得の域に達すれば問題は無い。だが、君達がどう思うかは自由だ。
なぜならば、それが聞き手側の特権だからだ。
それよりも、僕には聳え立つ現実に直面している。久々にオフィスに戻ってきたところなんだ。
そう注目すべきは、僕の机さ。見たまえよ。
僕の目の前にズラリと並ぶこの報告書の山は現実のようで、避けては通れないようだ。
再び彼女の口元はゆっくりと開く。少し乱れた前髪を整いながら告げる。
「確かに、人は哀れで無知だ。そこは同族として同情しよう。
しかし、貴様らが行なっている事は今まで恨んできた人間と然程変わらんではないか。
怨念が蔓延る歴史は、ただ繰り返すだけだ。気付かぬ内に貴様らは人と同じ道を歩んでいるのだよ!」
長老へと向けた人差し指は、既に白い手袋で覆われていた。
獣のような荒々しい掌は静かに収められていた。印すらも収めているという事は・・・。
つまり、彼らに対して社長は、もう刃を向ける必要性が無くなったという事だろうか。
もう彼女の拳には敵意が無い。そう暗示させているんだ。発する言葉こそはドギツイけれど。
「馬鹿め、我らが人間と同じだと⁉︎一緒にするな、キツネ風情が!
我らには、これしか道がもう無いのだ!」
吐き捨てる言葉には、寄り添う気は毛頭無い。
河童の長老は勿論、周りを囲うように携えた兵達も同様だ。
これは人間がしてきた怒りもブレンドされている。けれど、彼女は動じる様子は無かった。
「だからそれをエゴだと云ったのだよ、長老。
減ったのなら増やせば良い、無いのなら作れば良い。お前達にはその力がある。
健気ながらも努力を惜しまない力がある。そして、自然はずっと私たちよりも強い。
それは、お前達河童どもが良く理解している筈だ。」
そう、まるでその言葉を待っていたと言わんばかりに、社長は言葉を返した。
予め用意していた手札には、既にどう切れば良いのか彼女は理解していた。
自信に満ち溢れた仕草で一枚ずつカードを切り、適切なロジックを形成する。
彼女の言葉に一瞬ではあるが、河童の長老は狼狽えていた。
まるで、『お前は今、何を言っているのだ?』そう捉えられる表情だ。
「我らにどうしろと?」
プツリと線が切れた音がしたようだった。
心無しか激昂していた長老の覇気が、霧を撒いたように薄れる。
そして、社長は目線だけを後ろに向け声をかける。
「尻子玉を必要としない里を、お前達の世界を作れば良い。
おい、テンジョウ。話は聞いていただろう?」
白羽の矢が立ったのは、テンジョウだった。
その当の本人も思いがけずに受けた言葉にポカンと口を開けている。
同時にその言葉に理解したのか、テンジョウは恐る恐る社長へとその真意を伺い始める。
「はぁ・・・、まさかコマチさん。私を呼んだのは、これが本命ですか?」
「開拓は、貴様の領分であろう?」
どうやらテンジョウの予想は的中したようだ。
案の定、彼はぽっかりと空いた夜空を見上げながら額に手を当てる。
それでも彼の切り替えは早かった。社長との付き合いも長いからかだろうか。
この手の流れは良くある事と認識しているようで、直様傍にいた側近へと伝える。
気配も無く現れたサングラスと真っ黒なスーツを着た男に耳打ちで物事を伝えていた。
「御意。」と短い言葉で了解を得たならば、颯爽に姿を影を消すように去る。
「よく聞け、河童ども。こいつがお前達の新しい里を提供してやる。
尻子玉を使って水神様へ提供する事無く、豊かな自然を作り出してやる。
人をも認知させない土地をな。所謂、秘境と云うやつだ。」
秘境。人が踏み入れる事が出来ない未到の地。社長の云う秘境は、また一つ意味合いが違うのかも知れない。
人をも認知させないという事は、人がその領域に入らないよう結界でも張って近付けさせない。
認知・認識をさせないのだからその領域に踏み入れる事が出来ないのだから、謂わばそれはまさに秘境だ。
彼女は、初めから彼らと戦いの前にこの交渉を用意していた。
その為に、テンジョウをここに呼び寄せたのか。この手の界隈を用意出来る者を。
確かに彼女は云っていた。テンジョウはサポート役だと。
それは、単に戦闘に対するバフ掛け要員だけだったという訳では無かった。
この話を持ち出す為に、彼を用意した。そして大前提として、テンジョウにはそれが出来る。
「我らの新しい、土地を・・・。」
思っても見ない言葉に、河童達には響めきが沸々と浮かび上がる。
当の族長でもある長老もその言葉に驚きを隠せないでいるようだった。
彼らにとってそれは、希望の光のようなもの。雲を掴む程の遠く叶うのも儚いもの。
「あぁ、そうだ。だが勘違いするな!お前達が何もしなければ、綺麗な川も大地も腐り果てる。
土地は用意するが、後はお前達のその努力で自然と共にあれ。」
社長は、重ねるように言葉を添える。何も完全に管理された物ではないのだと強調する。
謂わば、土地は提供するが管理は自分達でと捉えさえ、僕達の監視下に無いのと言いたいのだ。
あくまでも道を切り開くのは自分達次第なのだと、言い聞かせる為に。
確かにそうでなければ、それこそ一時の幸福で終わってしまう。自分達で築き上げ、努力しなければならない。
ただ、河童達にはそれが出来る力が元々備わっている。それを理解しているからこその社長の提案なのだ。
「その言葉、信じて良いのだな?」
長老は、社長の言葉に確認をした。もう、そこには強まる語気は無かった。
雨が止んだように冷静とした眼差しで、長老は問いただした。
当人達としては、喉から手が出る程に掴みたい希望。それでも浮かれる事無く、まずは冷静さを整えている。
「あぁ、タダとは言わんがな。」
彼女は、人差し指を唇に添えながら返す。
条件が良過ぎる材料は、かえって不信感を抱いてしまう。だから、社長は交換条件を持ち掛けていた。
「見返りはなんだ。」
案の定、と予測していた長老は片目を開く。
その眼差しは、疑心を帯びた視線。今までの会話の流れから無理難題をつけれても違和感は無い。
彼にはその覚悟があるように思えた。だが長老の思惑とは裏腹に、社長が突きつけた返答は違った。
「先に伝えたであろう?尻子玉をこの少年に返す。ただそれだけさ。」
会話の隙間に長老は、ほんの少し呆気に取られていた。
至極簡単で単純。それでいて、社長の提案は一向に変えているわけではない。
初めから『尻子玉をトリヤマくんに返す事。』だけである。仮定の変動はあっても、結論はブレていない。
いや、違う。彼女は初めからここまでの会話がロジックとして成立していたのかも知れない。
今は確認のしようは無いけれど、恐らく社長の真っ直ぐの瞳に嘘偽りが無い事は確かだ。
少なくとも養豚所の豚を見るような哀れんだ目では無いから、そこは安心している。
「・・・ならば、引き受けよう。」
秒針が回る程の短くも長い沈黙の末、彼の口から掠れ混じりに言葉を返した。
けれどその言葉は、その判断は苦渋の決断という訳では無かった。
先程までの長老の怒りは消え失せ、嵐が過ぎ去った波打ち際の海岸のように静かに返す。
「では、里の移転については私から追ってお伺いします。
同じ妖怪の好みです。あなた達の環境にあったプランを提供させて頂きます。」
パンッと手を叩き、テンジョウは言葉を締め括る。
ゆっくりと靴を弾ませながら、内ポケットに仕舞っていた名刺を取り出す。
そうして長老の手元へと自分の名刺を差し出し、そっと一言。「以後お見知り置きを。」と残す。
受け取った名刺をジッと見つめ、少しまた長老は静止する。
二呼吸の浅い溜め息を溢し、そっと呟く。
「ならば、今はもう長居は無用だな。皆の者、退くぞ。」
目線はこちらからズラす事無く、自分達の兵へと告げる。すると、再び霧が立ち込めてきた。
河童たちが現れたような深く濃い霧が兵たちの周りを包み込み始める。
続々と兵たちは後ろを振り向き、霧の方へと姿を消していく。
けれど、長老だけは違った、兵たちは逆側へと歩みを進め始める。こちらへと近寄って来ているのだ。
互いの手が丁度届かない程の距離まで詰め、長老は社長の前へと歩みを止める。
彼は静かに顔を上げ、再び口を開く。
「コマチと云ったな。まだ礼は言わんぞ。だが、貴様の会社の名は聞いておかんとな。」
「構わないさ、長老殿。便箋小町におまかせを・・・。」
まるで執事のような仕草でゆっくりとお辞儀をしながら、いつもの台詞を吐く。
それを聞いて満足したのか、一人残った長老も短いお辞儀をした後、霧の中へと戻る。
終わったのだ。短いようでとても長く感じたこの雨が。河童との攻防が。
そう思った瞬間、どっと疲れを感じ始めてしまい膝をついてしまった。
一気にほぐれた緊張感が全身から抜け落ちた感覚に陥り、今日一番の溜め息を撒き散らす。
凪にも近い淡い風が吹いた頃には、霧はすっかり晴れ河童たちの姿が消えていた。
それから、数日後の事である。
結局今回の一連の騒動は、報酬無しどころかテンジョウへの負担もあり赤字だったのである。
その為、チップとの出張は継続されており、社長からの怒号をブレンドした電話の日々。
ギフト絡みの仕事を探す毎日なのである。もうすぐ夏だというのに、相変わらずの炎天下に気が滅入りそうだ。
あぁ、そういえば。あれからの事についてとなるのだが。
尻子玉を抜かれた少年トリヤマくんは、元の病室へと運びベットへと寝かせた。
そして、尻子玉を戻してあげた。ずっと浅い呼吸のみをして眠っていた身体は目を覚ます。
長く口を開けていなかった少年の口はすっかり乾き切っており、発声が上手く出せていなかった。
恐らく「君たちは?」と聞いていたのだろう。少年に擬態したコツメは、ただ一言。
「目を覚まして良かった。」と伝えた後に、僕達は病室を後にする。
これはコツメなりの配慮だった。これ以上、あの子に迷惑をかけてはいけないと思ったのだろう。
僕達も何も言わず、そっと彼の肩に手を添えるだけだった。
それから、コツメは里には戻るつもりは無いらしい。と云っても、会社で預かるのも定員オーバー。
これ以上の赤字も厳しかった訳だが、コツメも端からうちの会社に来る気も無かったようだ。
代わりに尋ねていたのは、あのタバコ屋。板さんのところだ。
相当居心地が良かったらしく、真っ先にそこへ向かったようだ。
板さん本人も「新しい孫が出来たようで、嬉しいよ。」と満面の笑みで快諾していた。
真面目で優しい性格の彼は、板さんの身の回りや家事を手伝いながら暮らしているらしい。
テンジョウは、河童たちの商談がうまく行ったようで、約束通り河童の秘境を提示したようだ。
当然僕もその場所までは知らない。着々と移住が進んでいるようで、問題無く事は進んでいるらしい。
その場所は、この国の何処かかも知れない。もしくはもっと広いこの星の何処かかも。
僕にはそれを知る術は無い。わざわざ調べ上げる必要も無いし、干渉するのも面倒だからだ。
近年、河童達の姿をパッタリと見なくなってしまったのは、ひょっとしたらこの会社のせいかも知れない。
彼らは人の認識できない、秘境で豊かに暮らしているだろう。
尻子玉を必要としなくなった彼らは、わざわざ人のところへ訪れる必要は無い。
だからもう、一目には付かなくなったのだろう。
一連の事件は思わぬ方向へと動いたが、これはこれで良かったのか。
きっと正解かと問われても、違う角度から見ればもっと別の方法があったのかも知れない。
どんな方法を持ち掛けたとしても、人が人である以上意見が必ずしも一致する事は無いのだ。
結局のところ、当人同士が納得の域に達すれば問題は無い。だが、君達がどう思うかは自由だ。
なぜならば、それが聞き手側の特権だからだ。
それよりも、僕には聳え立つ現実に直面している。久々にオフィスに戻ってきたところなんだ。
そう注目すべきは、僕の机さ。見たまえよ。
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